ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます

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40.41.42.43.44.45.46.47.48.49.50.51.52.53.54.55.56.57.58.59.60.61.62.63.64.65.66.67.68.69.70.71.72.73.74.75.76.77.78.79.
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以下(いか)のコラムは宗教(しゅうきょう)サイトではありません。古神道(こしんとう)研究(けんきゅう)ノ−トです。
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高い波長に合わせる2002.02.24

☆感じやすい人が神懸りのようになったり、そういうものを受けやすいということについて教えてください。

ーありがとうございますー
根本はみんな一人ひとり自分の心で波を合わせて受けるんです。波が合わなかったら絶対会わないんです。どういう状態が起こっても波を合わしてしまっているので敏感というのとは少し違って、波が合うから受けるんです。敏感な人でも敏感なほど波を高い方に合わしていたら低い波に絶対に会わないです。敏感なほどピタッと高い方に合わしてしまえばいいんです。波長合せの精巧なものを敏感というんです。同時にみんなに合うのは鈍感です。ピタッと細かいところまで合うのが本当の意味の精巧な敏感な姿です。自分が高いものに合わせてしまったら絶対低いものは感知しなくなります。

☆高いものへ合わせる方法はありますか?

ーありがとうございますー
ありがとうございますをしっかりと唱えていると高く高くなってきます。それで無限の無限のプラスだけとなってくるとマイナスは一切感じなくなります。
周りの人がみんなマイナスに見ても自分だけは無限のプラスに見えます。敏感な人ほど神様をよく感じられるのでいいんですが無防備になったらいけないんです。自分をしっかり守っておかないといけないです。自分の心はしっかり自分が整えておかないといけないんです。ありがとうございますをしっかり唱えていると一番高いところへ波長を合わせていけます。

みんな一緒

☆ありがとうございますの近くにいる人は名前が似ていたりするようですが特別な縁があるということですか?

ーありがとうございますー
みんな一緒です。奥ではみんなひとつで本当の神さまとみんな一体です。それが枝葉に分かれてもとから離れるほど違いがはっきり出てくるんです。表面的に見て似てるからとか何かが一致しているからどうこういうことはなくて本当は違った方がいいんです。みんな違うのがいいのでちょっと何かが似てると親近感が湧くくらいのことで、名前が一致したり似ていたりしても違っていても両方楽しめばいいんです。

愛の三要素 ⇒思いやりと寛容と赦し

☆前に一度お話を聞いたのですが、愛の三要素についてもう少し詳しく教えてください。

ーありがとうございますー
 本当の愛は神さまの愛です。愛という言葉は会う、出会う、一体化するという意味で愛という言葉は一体化している姿を指しています。その愛がいろんな姿に現れるんです。思いやり、寛容、赦しが大きく分けると愛の三つの要素になります。

 思いやりは必要なものを的確に与え尽くしていくんです。全てに対して必要なものが必要なだけというのがみんないいので小さい光が必要なところは小さい光、柔らかい光が必要なところは柔らかい光、強い光が必要なところは強い光というふうに的確に本当に必要なだけを与え尽くしていく生き方が思いやりです。必要な以上に与えたらいけないんで、これは思いやりではなくなります。

 寛容の心はひろく受け入れるという、これは全てをプラスにプラスに受ける心です。全てをプラスに受ける心というのは一番下から受けないとダメなんです。マイナスの極からマイナスの無限大から全てをプラスに見ていくという光一元に眺める心です。そうすると小さいプラスは小さいプラスでいいし大きいプラスは大きいプラスと全部プラスへプラスへと向けていけるんです。これが寛容の心です。

 赦しは過去を相手にしないこと、一瞬一瞬新たに出てくる姿をしっかりとらえていくことです。過去のことを言わない、過去のことは過ぎ去って消えて役目が終わってもうないんです。必要なものが新たに新たに今出て来ているから今新たな姿だけををしっかりと今の一瞬だけ捉えるんです。そうしたらあの人は過去にどういう悪いことをしたとか言わないんです。今現れた必要な姿だけが神様の愛の姿として出て来るんです。それが本当の赦しです。

 この三つの働きが本当に一番大きい愛の働きです。この三つがあればみんな幸せになれます。この愛の心が宇宙全体に行き渡っているんです。神さまの愛だけが宇宙を駈け巡って光り輝いているんです。そこからいろんな生き方が発生して出てきます。
 例えば人の自由を絶対縛らないというのもそうです。人の自由を縛らないというのは、人が何を必要としているかを見抜いて必要なものだけを与えていくということはそのまま自由を尊重しているんです。相手の立場を本当に思いやっています。自分の思い通りにしたいという時は逆で相手の立場に立っていない自分のことしか考えていないという生き方です。だから自由を尊重するというのは愛のひとつの働きです。結婚しても結婚した時は新鮮な心だから普通は相手を縛らないです。恋人の時は特にそうかもしれません。絶対に縛らないで相手のいいところだけを認めて思いやりの心を与えようとすることが多いです。でも結婚すると掴んでしまうんです。結婚したんだとなったらもう自分のもので自分のものと掴んだら、自分の思い通りしたいと考えたら縛ってしまう可能性も出てきます。本当に自分を与え尽くして相手と一体化してひとつになるならいいんですけど自分の方へ取り込もうとするんです。
 求める心を起こすともうダメになります。相手には与え尽くすだけがいいです。絶対に求めないで一切報いを求めないで与えて与えて与え尽くすだけがいいです。
 そうすると本当の愛の姿をとるんです。本当は与えたら与え返されるんです。そして又神さまの心と波長があったら神さまから与えられるんです。だから与える生き方が愛の生き方なんです。一切求めない方がいい、求める心は損をするんです。相手が幸せになるためだったら何でも与えて与えて与え尽くすし自由を絶対縛らないなら好き勝手してても何も文句もいわないです。本当に相手の幸せだけを願う心はそうなんです。その時は自分が相手と一体化しているんです。自分の方から相手と一体化しに行っているんです。相手の立場に立ちきる、立つというのはそういうことです。これを逆にして自分の方へ取り込もうとすると相手の全部は取り込めないんです。それだと本当の一体化ではなくて部分的な一体化です。
 神さまと一体化するというのもそうです。神さまの全部を受けきれないです。ほんの一部受けるだけだったら神さまを取り込んでも一体化は出来ません。でも自分を神さまに与え尽くしたら、自分の全部を与え尽くしたら神さまの中に飛び込むので一体化します。完全に神さまと一体化できるんです。だから与え尽くす方が一体化が本物になるんです。そうしたら相手のものはもう自分のもので相手の幸せも自分の幸せです。本当の愛で相手と一体化できているという感じです。

みんなの結婚を楽しむ

☆そうなると結婚も無理にしなくていいと思いますが、そうなると子孫が続かなくなりませんか?

ーありがとうございますー
 いろんな番組があって番組ごとに表現が違うのですけど、高い番組だと何もないところから物質化してスッと生まれてくるんです。男女に分かれてそこから出てくる表現もありますが空中から自由自在にパッと飛び出してくるというのもあります。どこから生まれたか判らないという老子なんかはそうかもしれません。瞬間移動でどこへでも姿を現すというのはそうかもしれないです。必要な番組でいろんな姿をとっているだけです。陰陽に別れずに両性を持った時代もあります。それだと一人で勝手に生みます。そういう番組もあるんです。番組によってみんな表現が違ってそれは全部そこから何か幸せをしっかり捉える為にあるんです。陰陽に別れて助け合ってその中に幸せを見い出せたらそれもいいんです。
 でも本当の幸せは神様との一体感が深くなるほうがいいです。低い番組から順番に上っていくのは順番に神様との一体感を深める為なんです。その勉強の練習台みたいなものです。小さくひとりの人だけに自分を与え尽くしてという生き方も練習にはなるけど、与え返してもらえなかった時に文句をいいます。与え尽くすだけの勉強の為の練習ならそれも生きてきます。でも特定の人に絞らないでも本当は全体の為にと博愛的な生き方で与え尽くす方がもっと神様との一体化が大きく深くなるんです。愛を一体感を深める為にいろんな勉強はしていけばいいんですけどこの世的な結婚というような縛りはよくないです。必要ないと思います。結婚している人は毎日新婚というのがいいです。毎日毎日今日初めて結婚したという感じで一日を愛を深める為に勉強させてもらえばいいです。そうするとあまり囚われないです。あまり小さく見ないほうがいいです。
 できるだけ大きく大きく受け直して、大きい自分はみんなが結婚していたら自分がしているのと同じ感覚なんです。いろんな結婚の仕方を自分が楽しめばいいんです。身代わりに結婚して楽しんで幸せになってくれたら、いろんな結婚の仕方をしてくれて幸せをいっぱい与えてくれるんです。感謝はそうなんです。みんなの幸せを自分の幸せにしてしまうからみんなの体験を自分の体験にしてしまう、それが感謝のいいところなんです。

五井先生

☆お話を聞いていると時々五井先生がここにいるような感じがして、ありがとうございますのお話は五井先生との共同作業なのかと思ったりしますが・・・?

ーありがとうございますー
そういうふうにみたらそうです。テープの声が場合によってはそっくりになるようなんですけど、ただ五井先生と言っても肉体を持って一つの形でスッと動いているんじゃなくて大光体で働いているんです。肉体にはいろんな光が入ってきます。魂的な何かじゃなくて私の場合は心が空っぽだからどこからでも光がいっぱい入ってくるんでいろんな神さまがいたらいろんな神さまの光が全部入っているんです。通りがかりみたいなものです。その時その時みんな感じ方が違ってそれぞれ波の合うものを感じるんです。今誰かが話ししているように思うという人もいてまた別の誰かが来て話していると思う人もいてそれはそれでいいんです。みんな本当はもとはそうでみんなお互いに光を交流しあっているんです。縦横無尽に光が交流しあっていろんな働きをしてくれてるんです。

必要な人を派遣してくれる

☆例えば自分に今、五井先生が必要と思って五井先生を感じようとしたらその光が来るのですか?

ーありがとうございますー
 それは自分の思いや願いです。ありがとうございますで神さまの方が必要なものを感じるからスッと必要なものが出て来てくれるんで自分からご指名しないでもいいです。神さまのほうから必要な人を派遣してくれます。その方が楽です。
 神さまの方が何が必要かよく知っているから順番に必要な人を送り込んでくれますからそれが一番楽な幸せな生き方です。ありがとうございますがいいです。
 本当の神さまの働き・最高の助けは現実じゃないのです。お祈りの時に最高番組を受けるのが一番なんです。それがスーッと現実化していくものがいいんです。現実だけ見ているとそれは低い番組の働きだから最高のプラスばかりという姿をとらないのです。そのマイナスの姿まで神様が与えてくれたんだと掴んでしまいます。出来るだけ掴まない方がいい。いつも最高の方へ心を向けておいてそこから自然にスーッと出てくるように受けなおす見方がいい。一瞬一瞬だけ受けたらいい。現実ばかり掴むと過去を掴んでしまいやすい、こういうことがあった、ああいうことがあったと過去を長く掴んでしまうんです。一瞬一瞬の受け直しがどうしても出来なくなります。
 だからいつも神さまのほうへ心を向けて一瞬一瞬受け直す気持で、この世はさらさらと流すような感じで掴まない方がいいです。そうしたら必ずいい姿だけをとり続けます。掴まない分だけいいんです。

☆現実の生活で選択しないといけないことなどはどのように・・・?

ーありがとうございますー
それも別に一瞬一瞬いいものだけ受けていたらいいんです。ありがとうございますと受けている限り必ずいいようにいいように変化するからそれで絶対よくなります。無限の無限のプラスばっかりというふうに受けられます。掴んだら掴んだ分しか受けられないから本当の神様の大きな愛のプレゼントを拒絶してしまうんです。掴んだところからしか受けられないというのはそうです。必要な助けは全体から受ける方がいいんです。ありがとうございますでいつでもどこからでも神さまの助けを受けられる方がいいです。

大光体

☆大光体には段階がたくさんあるんですか?

ーありがとうございますー
 大光体もピンからキリまであります。宇宙は入れ子構造の姿をとるので一つの番組でも小さい光から大きい光までいっぱいあります。それが光源の姿をとったらみんな大光体の姿をとります。太陽みたいな光体が無限にあるんです。一人一人も本当はそういう大光体の姿をとるんです。無限に輝いた姿をとって光を交流しあっているんですけど、入れ子構造になると一個の原子の中にまた宇宙があるのでそれがまた大光源を構成していて、その中に無限の大光体がいっぱいあって・・そうなると頭がおかしくなるんです。だからひとつの大きな大光体を見ていてもその中がもっともっとすごい大光体がいっぱいあるんで、一個の大光体の中に無限の無限の大光体が生まれているんです。ただ自分はひとつの表面の大光体ひとつを感じるだけです。心をグッと奥に入れて深く感謝したらその中に無限の無限の大光体がまた出て来るんです。それが無限に無限にいっぱいなんです。だからどこもかしこも神さまの光だけなんです。そうしたら闇やマイナスはないです。神さまの愛の働きばっかりで神さまの愛の包み込まれてしまうんです。幸せばっかりで神さまに幸せでいっぱいにしてもらうんです。闇もマイナスもどこにもないんです。

聖徳太子の護り

☆ありがとうございますの新しい本が完成した2002.2.22という日に何か意味はありますか?

ーありがとうございますー
深い意味があります。222(聖徳太子の命日)はよく出てくるんですが聖徳太子の護りがいっぱいで聖徳太子は隠れて働く古神道の神々様の代表格なんです。大勢の神さまが護っているのでそれを形にちょっと見せようという感じです。すごい護りがいっぱいなんだよと教えてくれているんです。聖徳太子はあまり表に出ないんです。陰の働きを大事にするんです。でしゃばらないで人の苦しみを自ら背負って大犠牲精神で肩代わりする役目をモットーとするんです。だから表に出ずに神さまの働きでみんなをささえて幸せにしようとする働きだからこういう冊子が生まれるのもそうです。
お金儲けにはしないし名前も出さないしとなったらみんな陰の働きでみんなを幸せにする神さまの大きい働きなんです。みんな神さまが必要なものを与えてちゃんと計らってくれています。

ありがとうございますの本

☆普通の本と違ってエネルギーのもの凄く高い力のあるものということですか?

ーありがとうございますー
 エネルギーをいっぱい込めてくれるでしょうね。ありがとうございますシールも同じですけど単なるシールなら大したことないんです。でも神さまが光を込めてきたら一枚のシールにもの凄い光を放つんです。だから神さまが助けてくれたほうがいいんです。そういう神さまの大きい働きのお手伝いをさせてもらうきっかけなので、そういうきっかけを与えてもらった人はまた大きい光を受けて大きく輝くようになります。
 この本もできるだけ安く作って、神さまのお手伝いで頂いたお金をみんなで出し合ってそれをみんなに配ってくれる働きをする人を神さまがどんどん増やしてくれるんです。神さまの大きい働きをみんなに受けさせようとしているんです。もらってありがとうございますというだけの人はあまり大きい光を受けていません。お手伝いをしてみんなに光を届ける働きをさせてもらう人がもっと大きい光を受けるんです。神さまのお手伝いに生きる人を神さまは増やしたいみたいです。一人でもそういう人が増える方がいいのでそのためのいろんなテクニックが要るかも知れないです。お手伝いに参加してもらう人を増やす、本当のボランティア的な奉仕の心を起こす人を増やして神さまの大きい助けを受けさせたいんです。托鉢もそうなんですがお金持ちのところに行ったらあまりよくないとお釈迦様も言うんです。お金持ちはいくらお金やいいものを出してくれても与える心がないんです。余っているからポーンと出すので、でも自分が何も食べるのもがないくらい困っている人がちょっと出しても大事なものを出しているんです。与える心をいっぱ出さないと出来ないです。だから与える心を起こさせるというのが目的なんです。そのときに大きいプレゼントがその人に行く訳です。こういう本やシールはそういう働きをさせてもらう媒介になるんです。

感謝に生きる人は大菩薩

☆ありがとうございますと聖徳太子との関係はどうなっているのですか?

ーありがとうございますー
 みんな深い縁があるんです。私だけがあるんじゃなくてみんな深い縁があってみんな聖徳太子様の光がスーッと通っているんです。番組ごとにみんな見方が違うんですけど低い番組だとひとつの魂的な聖徳太子様の姿がここに現れていろんな人に付いているとか言います。感謝の世界に入ってきて番組が高くなると太陽よりもっと大きい大光体の聖徳太子様の光が大きい働きをしてみんなの中に入って働いているということで、光が働くのと魂的な働きとは雲泥の違いがあります。大きい光がスーッと入って働いてくれる方がはるかに大きいんです。そういう大きい働きをみんな受けているんです。
 感謝に生きる人は本当の大きい菩薩、大菩薩です。それだけの大きい働きを受けているからなんです。だから小さく見ないほうがいいです。過去にここに生まれたこういう立派な人がいてその魂が背後について護ってくれてるなんて小さいです。つまらない番組です。感謝する人はもっと高い番組に波長があっているから大きい働きを受けているんです。魂の聖徳太子様を掴んでもそれは爪の垢くらいなんです。本体の聖徳太子様を受けないといけないです。

☆その時代に生まれた人としてでなく永遠に続く聖徳太子様の光として・・ということですか?

ーありがとうございますー
そうです。神さまの絶対の中から一瞬一瞬新たに無限の無限の大光体として出て来ていると見て、それが深い縁があってスーッと光をもらっているんです。

☆NHK大阪の開局記念に聖徳太子のことがずっと放映されていて、たくさんの人に広く行き渡っていると思いました。

ーありがとうございますー
 そうです。テレビの放映というのは表面の小さい光の送り方になってしまうんですけど感謝する人が大もとで大きい光を受けて、また小さいところへふっと振り撒いている感じで段階を追っていきます。お祈りする人、感謝する人はすごい働きをしています。聖徳太子様の大きい働きを見るんでも、大きい光を受けてそれを段階を追って順番に縁をたどって流してくれています。過去の歴史の話だけでは本当に爪の垢を煎じたくらいの効果しかないんです。それでは何も本体から受けていません。聖徳太子様の本体から大きい光を受ける方がもっと大事でそれはみんな感謝する人の働きなんです。

☆そう考えると毎日その時その時光に包まれている感じがしてすごく幸せです。こういうお話を聞いた私たちはこれを誰かに伝えなくてもいいのですか?

ーありがとうございますー
いつも光の中におかれているんです。もの凄い大きい光がズーッと交流しあっているんです。本当の幸せ・・神さまの光に包まれて光の交流でいっぱいなんです。喜んでありがとうございますと感謝していたら必要なところが光って波が伝わるんです。自然にそれが伝わればいいです。必ず自分の縁の深いところに先ず大きい光がそれでスーッと届いているんです。その人を中から変えてしまう感謝できる人にどんどん変えていってしまうから自然にいい縁が新しく生まれてきて必要なところで必要な学びを一人ひとり全部していくようになるんです。

一番もとを掴む

☆難しいことを考えなくてもいいんですか?

ーありがとうございますー
 ありがとうございますだけでいいんです。単純に戻るほど力が出てくるんです
。もとへもとへ戻った方が力が出ますから単純化するほど力が出ます。神仏の名前が無限にあってそれをひとつひとつ並べてひとつひとつ数え上げてありがとうございますと言い続けるより単純にありがとうございますの方がいいんです。ひとつの神さまとなるとそのひとつの神さまの助けはその時受けますがひとつ掴んだ時には他から受けにくいんです。だから単純にまとめて一つにした方が全部から必要なものを受けられます。本当の幹とか根というのは一番シンプルな状態でそこから全部来るんです。末端の枝葉になるほど複雑に別れて来るのでシンプルに絞り込むほどいいんです。幹を掴んでいる根を掴んでいる状態です。一番もとを掴むんです。

ありがとうございますの答えは必ず変わる

☆質問に対するありがとうございますの答えはその時によって変りますか?

ーありがとうございますー
 必ず変ります。質問する人の今の心境と日にちがたった時の心境は全部違うからそれだけでも答えは変ります。同じ質問をしてもその人だけ聞いているんじゃないです。その人が代表でいろんな人の為にその質問が出ているんです。本人も周りの人も聞いていますがその時に周り人の背後の人も含めて気付きを与えたい時は言葉が変化します。自分の心境が変ったら同じ話を聞いても違うものを受けますし古いテープを聞いてもみんな違う意味で受けます。

☆ここへ来た時ありがとうございますにたくさんの人の代表で来たと言われてうれしかったのですが今私の後ろの縁のある人達はどんなふうに喜んでいるのかと・・・?

ーありがとうございますー
 感謝のお祈りを始めるとみんな無限の無限のチャンネルの番組に全部波が合うんです。ありがとうございますの中に全部含まれるので特定のところしか波長が合わないんじゃなく全部に波長があって必要な助けがスッと行くんです。その数はこの世に近いところだけでもすごい数です。グッと広げるとその影響力は無限になります。無限の人への影響があります。身近なところで何十万人パッと感じます。代表というのもお祈りをしだすとすごい代表です。涙がぽろぽろ流れるのは喜びの涙でそうするとあちこちに繋がってきます。勝手に涙がぽろぽろこぼれるのでそれだけ喜んでいる感激している感動している人がいっぱいいるんです。そうして喜ぶとまた喜びが皆に伝わって皆が幸せになっているんです。喜びの連鎖反応です。

感謝に生きるか我の自分を生きるか

☆自分でどうしようもない我の強さを感じています・・・。

ーありがとうございますー
 でももう道は決まるでしょう。
感謝に生きるか我の自分を生きるかといったら感謝に生きるしかないです。幸せの道はそれしかないんです。だから我が大きいほど感謝に生きたらいいんです。我が大きいほど喜びが増えます。みんな消してもらったらすごく得をした事になるんです。

☆ある時期は我も必要ということですか?

ーありがとうございますー
 喜びを大きくする意味で、そうです。宇宙大の我の塊でもいいんです。大きいほど消してもらった時に喜びなんです。でもそういうのも小さい我なんです。自分の思い通りしたいというのも小さい願いです。感謝して神様の無限の無限のプレゼントを受けるというのと較べたらそんなものはパッと消えます。思い通りになったって何もないです。やっぱり神さまのほうを向いてしまってありがとうございますとそこへ入ってしまうんです。最初は我が強いほうがいいです。大きい我が消されたという方がいいです。

☆ここに来るまでに自分が壊れるくらいの行き詰まった状態がありましたが、それもありがたいことなんですか?

ーありがとうございますー
 神さまがそうしてきたんでしょう。順調に行っている時は感謝なんか絶対にしないです。そのときは感謝は出来ないんです。行き詰まって頭打って初めて方向転換して神さまのほうを向いているんです。その時に神さまがスッと助けに入って感謝が出来るようにしてプラスにプラスに導いているんです。だからズーッと神さまが助け続けていて護り続けていて、やっとここまで・・というふうに本当はしてくれているんです。無限の昔から護り続けてくれているというのは本当です。それで感謝ひとすじに戻ってきたらやっとふるさとに自分の家に戻ってきたかという感じで神さまの中に戻るのが一番大事なんです。神さまは「おかえり」と言ってくれます。だから感謝ひとすじに絞り込めたら一番いいんです。後は神さまが大きく働いてくれるんです。

謙遜

☆自分では自分を卑下する癖があると思っていますが友人から謙遜エゴといわれました。謙遜と卑下とエゴについて教えてください。

ーありがとうございますー
 謙遜、謙虚はいいことです。ただその謙遜も謙虚もプラスに見ることです。マイナスに見たらダメです。プラスに見るというのは神様からどんなものでも小さいものでも大きいものでも全部プラスに見て受けることです。今の自分の状態も全部神様に与えてもらっています。存在している生かされているというのも全部そうです。どういう状態もそうです。それをみんなプラスに見た方がいいんです。
 もし何もなかったらゼロですから存在することが無限の価値があるんです。動かないでじっとしていても価値があるんです。彫刻みたいにじっと立っているだけで何もないのと較べたら無限の価値があります。そして動き出すんですから、存在するだけで無限の価値があったんです。それが動き出してまた価値が増えるんです。その動き方またプラスにプラスに神様の大きい働きとして動いていくんですから更に価値が増えてくるんです。
 だから本当は常に無限の価値があるんです。そういうふうに無限の価値があると認めることが謙虚、謙遜と言うんです。マイナスは数えないんです。もう卑下慢はないんです。楽観的にプラスにプラスに受けて喜ぶだけです。一番下に置かれても文句をいえない自分なのにこんなにプラスがいっぱい幸せがいっぱいと喜べばいいんです。自分に何かがあると掴んだら、いいものがあるなどと掴んだらこれは高慢です。何もないのに一番下なのにいいものがいっぱいと喜べるんです。一瞬一瞬いいものをいっぱい与えてもらってと、いいものは無限にあるんです。周りの人は認めているのに自分がないないと言ったら馬鹿です。みんな無限に価値がある、素敵だと認めているんです。
(☆・・いえいえ・・・。)
 そういう時はいえいえと言ったらダメです。おかげさまでと言うんです。
いいところはいっぱいあります。おかげさまでを言う練習をしたほうがいいです。

お金

☆お金についての考え方を教えてください。

ーありがとうございますー
 お金は神さまのお手伝いの為に循環流通させるのはいいんです。神さまを通したら光がいっぱいになるんです。そうすると光を伝える働きをするんです。神さまを無視する場合、自分の我の為に神さまを無視してお金を流通させると思いがいっぱい付いて回って、思いがいっぱい付いて回ったらあまり人を幸せにしないです。そのお金でどういう働きをさせてもみんなに思いがついて回ります。それだと損します。だからいつも神さまを通すんです。いつも感謝して神さまからお金でも何でも全てを受け直すんです。そして感謝して使わせてもらうんです。神さまが使うんだから、光をいっぱい込めて使ってくれます。いつも感謝を通せばいいだけなんです。そうしたら全部生きて輝いてきます。別個に考えるのが思いのほうでいつも感謝してると神さまとひとつになっているから神さまが使っているんです。

宗教団体というのは神様じゃない

☆寄付をする時に自分がするんだという思いのある時は業想念が入りますか?
それでもした方がいいのか、しない方がいいのか教えてください。

ーありがとうございますー
 そのままだったらあまりプラスにはならないです。感謝があるかないかなんです。少々の業想念は感謝があれば全部消えます。世間的にいろんな事をする場合でも本当にお礼の感謝の気持でする時はプラスに変化します。義理とかそういうものですると感謝が忘れられてしまいます。そのときはダメになります。思いだけを持っていくと相手に思いをかぶせたりします。だから神様事で寄付するのも本当の神さまに使ってもらうのはいいんです。
 本当の神さまに使ってもらうのはいいけど宗教団体というのは神さまじゃないです。偽物のほうです。宗教団体という組織が出来て、組織の業がいっぱい貯まると求める心が出来てくるんです。お金を持って来なさいとかここへ寄付したらいいですよとか言って上手に言葉で縛ってきます。それに乗せられたらあまりいいことはないです。本当の神さまにお手伝いという気持で奉仕するんです。それは宗教団体に奉仕するのとは違います。
 自分が使わないとダメで、自分が正しくいいことに使えばいいんです。みんなの幸せになるように神さまのお手伝いになるようにといいことに正しく使ったら神さまが自分を通して使ってくれます。これが本当の神さまに使ってもらう生き方なんです。神さまのお手伝いという気持で自分がさせてもらうのが一番いいんです。どこかの団体に寄付したってそこでどう使われるか判らないですから直接自分が使ったほうが正しいです。それは小さいことから始めたらそれでいいんです。ちょっとずつちょっとずつ神さまに使ってもらう練習をすればそれが積み重なったら大きくなります。
 宗教団体が最初は純粋で良さそうに見えてもだんだんおかしくなるのは、みんなお金をかき集めすぎるんです。オーム真理教もそうですが組織を維持して宣伝する為の費用がいっぱいかかりますから、みんなにお金を出しなさい財産を寄付しなさいとか言うんです。そういうことで業をいっぱいかき集めて狂ってしまうんです。最初の純粋な気持くらいでは負けてしまうんです。そういう意味では似たりよったりの宗教団体がいっぱいあります。
 
だから感謝して喜んでお手伝いの気持で協力してくれているのはマイナスはなくてプラスばっかりですけど、無理矢理に強制的にといったらダメです。みんなが喜んで喜んで神さまのお手伝いをさせてもらってと喜んでするのは光がいっぱいなんです。そういうのはみんなの思いも消して幸せいっぱいに変えていく働きなんです。
 真理の本も書いた人が著作権と言い出したら光はなくなります。著作権、版権を主張して印税がいっぱい入ったらもうダメです。神さまのものを勝手に自分のものにしたらダメなんです。そういう人はどんどんおかしくなって狂っていきます。


著作権・特許権は要らない

☆ありがとうございますの本に著作権は必要ないのですか?
ありがとうございますに特許権は要らないのですか?

ありがとうございますー
 神さまのものは人間が私物化や私有化はできないです。神さまからのプレゼントは特定の人にくれるということはないんです。みんなへのプレゼントです。誰がそれを先に受けてもそれをみんなに配る役目なんです。神さまのお手伝いの役目でちょっと神さまからそれを預かって配達する役目なので、神さまのお手伝いするだけですから無料でいいんです。ただで奉仕させてもらってお手伝いすることが喜びに変化するんです。つまらない真理の言葉なんて役に立たないです。欲しい人は全部とって本にすればいいんです。もっといいものがいっぱい神さまから降りて出て来るんです。
 
神さまのほうからありがとうございますでも無限にいいものがいっぱい出てくるから特許権を取った人以上のいいものがただで出て来たら古い特許をとったのなんて役に立たないです。だからどんな発明発見もないんです。これがいいと思ってするけど神さまの方がもっといいものを降ろしてきます。過去の特許権はもう役に立たなくなって、それにしがみついていると大損するんです。その特許権で何か製品を作るとして製品を作ったけどすぐにもっといいものが他からただで出て来たら絶対売れません。神さまがどんどんいいものを降ろそうとする時は神さまの方が知恵がいっぱいだから、神さまの働きは絶対邪魔できないです。
 そういうことも現実を掴んで執着する心で所有権を主張するだけなので、ちょっと番組が変わったら、与え合う世界の番組だからどうぞ自由にお使いくださいとお互いに譲り合うんです。その番組を引き降ろしたら執着している人はみんな馬鹿を見るんです。
 だから現実にどうのこうのではなくいい番組を降ろしたらみんな無償で与え尽くし合う世界になっていくんです。いいものはみんなの為のものでどうぞ自由に好きなだけお使いくださいとなるから心配要らないんです。神さまがそこまで先を見通してちゃんとしてくれます。

 だから特許なんてとらないほうがいいしそれをしても無駄なんです。時間も経費も全て無駄です。ありがとうございますが使えないとなったら神さまはもっといい言葉を降ろすかもしれないです。神さまには切り札がいっぱいありますから今はありがとうございますがいいと思って降ろしてくれますがこれを絶対使ったらダメとなったら神さまがどういう救い方をするか・・もっと単純化されて「あ」ひと言で救うかもしれないです。神さまの奥の手はすごいですから何も心配ないんです。


ボランティアと恩返し

☆ボランティアもいろんな番組のボランティアがあって、一般に私は(人の為に)ボランティアをしていますと使われる響きがどうも好きではないのです・・・。

ーありがとうございますー
 ボランティアという響きがいい時はそれでいいですけど段々と響きが悪くなれば言葉を変えてもいいです。たとえば恩返しとか・・恩返しと言うと報いを求める心は消えてしまうから謙虚に恩返しと言うと、何をしても恩返しと言うと響きが良くなったり他にもいろんないい言葉があると思うので使い分けられたらいいです。恩という意味は原因の因の心で奥の神様の心なんです。全ての恵みも助けも全部一番奥から来るんです。だから恩というのは神様の意味で神様にお返ししていくというような感じです。神様から受けたものを神様にお返ししてまた受けなおすという意味で恩返しも感謝なんです。即感謝の心なんです。それで恩返しという言葉が謙虚ないい響きになっているんです。

☆ここの中に入ったらとても厳しいのだろうと思うのですが、志を持つ人がここへ入ってくるのは、いつも神様と・・・ということなんでしょうか?

ーありがとうございますー
 恩返し。神さまに恩返しに行きたいという気持ちです。それでちょっとでも神さまのお手伝いが出来たらという気持ち、そして神さまの助けをたくさん受けるためだけで、自分が何かするんじゃなくて神さまの助けを受け続けるだけで幸せをいっぱいもらうだけがいいんです。思いがある間は自分の思い通りにならないとマイナスに見るんですけどその思いは自分ひとりではなかなか消しきれないです。ちょっとでも恩返しに生きようとした方が早く消してもらいます。早く楽にスッと知らない間に消してもらえるから早くしあわせな楽な状態になるんです。みんなマイナスに見たり苦しんだりする時はみんな思いの自分を生きてるときです。思いが曲者なんです。その思いを早く消してもらいたい楽に消してもらいたいというならこういうところで神さまのお手伝いをした方が楽かもしれないです。

卒業はあるか?

☆ここに入った場合に卒業とかはあるんですか?

ーありがとうございますー
 かたちじゃないです。私もまだ卒業出来てませんし、もっとお祈りをがんばりなさいと言われていますけど、神さま深く深く実感していく勉強だから別に卒業してもしなくても関係なくていつも神さまを身近に感じられた方がいいです。場所は関係ないです。神さまが全体だったら全部神さまになってくるだけで何から何まで全て神さまになってきたら・・・卒業してどこ行くの?

(☆作業とかをしていて、ああ温泉に行きたいとか帰りにラーメン食べたいと思ってしまって、私はここにいる悟っている人達とは違うんだ・・と思います)

 それは違います。ラーメン食べたかったら食べたらいいし、たぶん神さまのお手伝いをしていてラーメン食べたい時は先にスッとラーメンが入ってくるんです。必要なラーメンがスッと入って、なんて神さまは私のことをよく知っているんだろうといつも護ってくださってありがとうございますと感謝が深くなるんです。いろんなことがなかったら気付かないんです。ぎりぎりの状態に置かれて初めて神さまが身近にひしひしと感じられる状態においてもらうんです。神さまを感じるチャンスをいっぱい与えてくるんです
。目的を神さまを感じることにすればいいです。そうしたら全部よくなります。いっぱいいろんなことがたくさん出てきた方がいいです。それだけ神さまを感じることが出来ます。



ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます

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