ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます

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以下(いか)のコラムは宗教(しゅうきょう)サイトではありません。古神道(こしんとう)研究(けんきゅう)ノ−トです。またその内容(ないよう)に責任(せきにん)を保持(ほじ)していません。さらに著作権(ちょさくけん)も行使(こうし)しません。どうぞ自由(じゆう)に使(つか)いまわしてください。できればちょっとアレンジしていい感(かん)じになったよというのをどんどん、是非(ぜひ)メールでお知(し)らせください。

ar96神様の目的2002.10.12

☆昨日、突然こちらへ来たいなぁ・・と思って、いつもはもっと前に計画するんですが何かそれに意味があるのかなあと・・・。

ーありがとうございますー
 決めて来るのもいいですけど必要なものをすっと与えてもらうのが一番理想でしょう。長い時間かけてから受けるというより・・一瞬一瞬自由自在なのがいいでしょうからね。意味はいっぱいあるんでしょうけど、すべてプラスにプラスにね。

☆ありがとうございますは全く神様まかせで、明日こうしようとか一年後にはこうとかいう目標は持たないんですか?

ーありがとうございますー
 ないですね。ただ神様が目標立てているでしょう、それを受けるだけです。みんなお任せして、一番楽です。

☆そういう心境になれたのが二十歳のとき悟りを開いた時という事になりますか?

ーありがとうございますー
 ありがとうございますと唱えている時はそうですね。もう、おまかせですから。
ただ大きい目標がその時わかっているかどうかは別にして・・神様の御心に従いたいという気持ちですから。人の立てる目標も神様の立てる目標と一致するとスッと楽に乗って行けるんでしょうけど、ズレた時にちょっとギャップを感じますね。目的も大きい目的が神様の中にあります。だから神様の目的にどれだけ近付くか合せていくかで楽になっていくんだと思います。

☆私たちは知らず知らずのうちにこうしようとか目的をもってしまうと思うんです、それが神様の目的と合致していない場合は何か災い事とかトラブルとかで何か教えて頂いていると判断してよろしいんでしょうか?

ーありがとうございますー
 神様のバックアップがないと実現しないです。神様の目的に一致するほど神様のバックアップは大きいですからスッと実現しますね。そういう意味では楽なほうがいいんでしょうけど。だから苦労しても結果があまりいいことないというのはやっぱりちょっとズレているのかもしれないです。ただ大きい長い目で見ると神様も苦労させていいものを生み出すという一面もあるかもしれないですけど・・簡単にいいものがサッと降りたら、味気ないですものね。本当は大きい苦労の中で素晴らしいものがパッと出てくるのがいいですね。その方が神様の最高の芸術作品かもしれないです。

 神様への奉仕

☆子育ても終わって今すごく時間があるんです。何かボランティアとか世の中の為になることをしたいんですけど何をしたらいいのか判らないんです。何かしたい気持あるんですが・・何をしたらいいかどういうふうにしたら判るんでしょう?

ーありがとうございますー
 神様への奉仕というかお手伝いだったら無限にあるんですけどね。片っ端からさせてもらうといいんですけど・・。何でもいいんですよ。

☆周りの人たちの為になることを先ずするんでしょうか?

ーありがとうございますー
 いいえ。本当は神様への奉仕なんです。神様の最高の姿を現実化するための必要なことをさせてもらうのが一番の神様への奉仕になるんです。なんでもいいんです。片っ端からし始めることです。普通仕事って働いてお給料をもらえるのを仕事といいますね。でも本当の神様への奉仕、ボランティアというのは無償で働くんです・・報いを求めないで。最初はみんなからいろいろ助けてもらって借りをいっぱい作っているでしょう、本当は借金返しというのが普通なんです。国からも周りの人からもいろんな借金をいっぱい背負ってますね。
 お世話になった迷惑かけたというのはみんな借金です。それは利息付の借金です。どんどん膨らんでいくような借金ですね。その借金返しに先ずただ働きをするというのが一番必要なんです。ただ社会で働いているといってもお給料をもらわないほうがいいんですね。本当の借金返しはそうです。お給料をもらわずに働くんです・・ただ、もらわずにという気持ちで働かないといけないですね。
 その仕事の量は出来るだけ多い方がいいです。なんでもしているうちに能力がどんどん出てきますから。先ず最初はみんなお互いの借金返しなんです。それで次の段階に入って初めて奉仕なんです。
 神様への恩返しの奉仕、これは徳積みの貯金をするほうですね。神様のお手伝いというのは能力がいるんです。能力がないと神様のお手伝いまで行かないです。だから本当は借金返しの中でいろんな能力を磨くんです。何でもさせてもらうのが一番いいんです。それでその神様への奉仕というのは最高の理想を現実化するための奉仕でしょう、だから高い能力がないとお手伝いにも何にもならないですね。いろんな能力が開発されてこないと神様にこれして欲しいと言われても私出来ませんと言わなきゃならないです。
 だから能力磨きが先ず必要なんですね。何にでも挑戦して高い能力を身につけるというのが必要なんです。それで無償で働くという、それも普通の人の十倍くらい・・限界を破ろうとすると神様の力が大きく降りるんです。だから限界破りを常にしておく方が得なんです。

 神様の助けというのは二通りあるんです。宇宙の絶対神から中から助けてもらう助けと救済の神様の外から助けてもらう助けと両方あるんです。最初は救済の神様の助け、外からの助けが来るんです。一生懸命やっていると、かわいそうにという感じで応援してくれるんです。借金返しもそうです。一生懸命借金を返そうとしていると救済の神様がかわいそうにと見かねて助けに来ます。そして借金を肩代わりして助けてくれるという助け方です。
 でも宇宙絶対神の助けは中から力を添えてくるんです。それで大きい働きが出来るようにして自分で借金返しをさせてしまうんです。そのどっちが本当の助けかというと中から湧き上がる力が出てこないと本当の助けじゃないですね。だから自分の力で無限の借金を返してしまうというくらいの迫力がいいんです。それで徳の貯金もいっぱい積んでみんなに施そうという・・。
 だから外に頼らず中からの力を発揮するというのはやっぱり限界破りというのが大事なんです。常に限界を破って神様の力を引っ張り出すというのが・・そうするといくらでも無限の能力が引っ張り出されてくるんです。

☆それは年齢とか関係ないですか?

ーありがとうございますー
 本当の神様の助けは今の一瞬一瞬新たにだからもう年齢は無関係です。体力も。もう過去は無関係なんです。神様から無限の力を受けてそれを発揮するというだけなんです。大きい働きをするために神様の助けが必要でしょう、それでありがとうございますと神様を呼んでいるんです。
 
本当はありがとうございますと呼ぶのは棚からぼた餅式に助けてもらう助けを受けるためじゃないです。本当の神様の力を引っ張り出すために神様を呼んでいるんです。だからありがとうございますを唱えながらするとどんな力でも湧いてくるんです。働いても疲れなくなります。回復が早くなる程度じゃないです。本当に疲れなくなって湧いてくる力が出てくるからどんどん能力が伸びてくるんです。だから年齢関係なしに赤ん坊のつもりで挑戦するのがいいです。

 転ぶんだったら前に転んだほうがいい

☆今ドクターストップで休職していて・・国からいただいているんですけど、そでは大きな借金になりますよね?

ーありがとうございます
 普通はそうですね。国からも人からも助けてもらった分は借金なんです。

☆自分は仕事をしたいけどストップがかかって今すごくそういう状態なんです。皆さんから助けて頂いて・・・ありがとうございますのお話を聞くと今はすごく借金をして利息がついている感じがするんですけど・・・縁があって今勉強をしていることがあるんですが、そのための時間をいただいたのかなとも思うんですけど・・・。

ーありがとうございますー
 それもプラスにプラスに受けたらそうなんですけど、本当は無限の借金を積み重ねたらその借金の取立てが来た時に地獄の苦痛を味わうんですね。利息の催促の時でこの世の七難八苦がいっぱいなんです。それで病気になるでしょう、これはもう利息の催促です。早く返しなさいという感じで利息を取りに来ているような姿をとるんです。だからそれを返すのは働かないと返せないでしょう。

 だから本当はもっと働きなさいというメッセージなんです。それで利息が催促されているから働けないというのはおかしいんです。神様の側からみるともうひとつそうですね。いい事をいっぱいすればするほど神様の力が入ってくるわけでしょう、神様に助けてもらったらどんなマイナスも消してもらうから病気になる原因というのを全部消してくれるから働くほど元気になるのが本当なんです。だから早く直す方法は神様の助けを受けて力を受けて働くことなんです。治ってからというと遅いんです。治ってから動こうといっても治らない可能性もあるわけでしょう。でも神様のお手伝いというかたちで働き出したら中から神様が力を添えてきたら神様が早く治してしまうでしょう。いい働きをいっぱいしてもらうためにも神様の力で治してくるんです。マイナスを全部振り替えて肩代えて消してくれるしそうすると瞬間に治ったりもするのはそこですね。

 だから病気というのはみんな思いを溜めすぎて、思いというのは大体借金なんです。借金イコール思いなんです。思いがいっぱい溜まった時に借金がいっぱいあるということなんです。その思いを消すためにかたちに病気とか怪我とかいろんなマイナスの姿を取る訳です。それはみんなに気づかせる為のメッセージだから何か恩返ししないといけないんですね。働きを大きくしてその借金を返す、神様への恩返しをするというのが一番必要なんです。
 そうするとそのマイナスの姿は全部消えるんです。また心のマイナス、思いも消してくれます。そうすると感謝が湧き上がって喜びがいっぱいになる、かたちも調和してくるというふうになるんです。だから神様の助けをいっぱい受けて働く方が本当は得するんです。寝たきりで治るのを待っていたらしんどいんです。だから自分の出来ることでいいから何でも片っ端から始めた方がいいです。小さいことでも何でもいい、できることからすればいいんです。前に動き出した時に神様の力を添えてきてもらえるから早く回復します。

 私の友達でも大勢いましたけど大病して、もう死ぬかもしれないとお医者さんから言われて治った人はみんな前向きに進んだ人です。死ぬのを覚悟で、それなら恩返しで一日だけでも何かさせてもらおうという気持で絶対安静の病気を振り切って一日でも恩返ししようという気持で動き出した人は全部奇跡的に治してもらっています。でも軽い病気でも治ってからという人はあまりよくない、治りにくいし長引きますね。神様の助けを受ける秘訣ってそこら辺にあると思いますよ。先に前に動いた方がいいです。転ぶんだったら前に転んだほうがいいです。

 人への奉仕ではなく神様への奉仕が必要

☆その一日だけでもいいからと働いてその報酬をくださいと言ったらいけないんですか?

ーありがとうございますー
 借金返しも恩返しも無報酬で働かないとダメなんです。報いを求めると思いのこころだから。思いの心は番組を低く下げていくからマイナスの運命があまりよくならないんです。だから本当の与え尽くす心がいいんですね。

☆一般的にボランティアといわれる仕事がありますが、そういうのでもやっていけばいいんですか?

ーありがとうございますー
 そうですね。ただ人を相手にするボランティアは過去の自分の借金返しかもしれないです。徳積みのボランティアは神様への奉仕でないと、そこまで高め上げないといけないです。だから人への奉仕というのは人を甘やかしているかもしれないでしょう。ただ自分が借金しているから返すだけというそんな感じのボランティアですね。でも神様への奉仕というのは神様が本当に必要としていること願っていることをさせてもらうんです。それはみんなを大きく生かして幸せにする働きだから全然違うんです。

☆それが判るようにためには・・・ありがとうございますを唱え続けていたら判りますか?

ーありがとうございます
唱えながら片っ端から何でもさせてもらうとそれが練習になって判ってくるんです。だから同じボランティアをしていても全然違うように感じてくる筈です。人への奉仕じゃちょっと足りないんです。神様への奉仕になってこないと・・だから同じ人を見ていてもその人を神様の現われ、神様と拝めるくらいになったら本当のボランティアに近付いていくんです。

 可能性は無限に拡がる

☆何にでも感謝できるような心になるという・・・。

ーありがとうございますー
 ありがとうございますを唱えて中から神様が力を添えてきたら湧き上がる感謝になるでしょう、感謝できるようになるんです。神様としてみんなを感じ取れるんです。最初はありがとうございますを唱えるだけです。そして出来ることをしているうちにだんだんと深くなっていくんです。
判ってから動こうというのは遅いんです。動き出したら判ってくるんです。
 逆なんです、動き出したら判らせてくれるんです。判ってからなんて無理です。全体像が判らないと本当に判ったと言えないんです。最初はちょっとこうかなというくらいでもいいんです。そのうちによく判らせてもらうと思います。
ここにいる女の子でも別に能力ってないです。でもいろんな山の仕事でも頼まれてお手伝いに行くでしょう、だから何でも出来るようになるんです。最初は釘一本もうまく打てなかったです。でも必要だからということで神様のお手伝いということでしているとやっぱり護ってもらえるし能力もだんだん湧くように与えてもらうんです。
 だからこれは誰でも出来る、出来るというより神様にさせてもらえるんです。自分がするんだったら限界があるかも知れないけど神様に力を添えてもらってさせていただくというんだったら可能性は無限に拡がるんです。

☆それが自分のためというのが入るとダメなんですね。

ーありがとうございますー
 そうね。神様は相手にしてくれないですね。神様はノータッチです。

 この世のお墓はこの世の人に必要なだけ

☆舅に意地悪をされ続けられた嫁とか・・生前、仲の悪かったもの同士が同じお墓に入って問題ないのでしょうか?

ーありがとうございますー
 亡くなったらお墓に入ると思い込んでいる人もいるんですけど、お墓になんか入らないですね。あの世はあの世でちゃんとその人の心の波長の合う番組へ移ってしまいます。だから住む世界が全然違うんです。同じお墓なんかに入っていたら大変ですね。あの世の人がこの世のお墓に入れるわけないじゃない。
 この世のお墓はこの世の人に必要なだけです。ご先祖様に対して心を向ける対象として模型としてちょっとあっても別に悪くないかなというくらいで、ご先祖様を閉じ込める場所でも何でもないです。だからお墓はあの世の人にとっては無関係です。この世でいろいろ意地悪されて苦労した人ほど借金返しが早く済んでいるから高い世界へ上るんです。でも自分の思い通りにしてみんなを苛めたりした人は、これは借りを作っているんです。それは低い世界へ落ちるんです。
 結局はこの世で苦労しておいたほうが得しています。いい世界へ上っているんです。だから苦労した人ほど高い世界から低い世界はよく見えるから、ああ・・可哀想にと上から見ています。だからあの世で苛められたりお墓に入るようなことは絶対にないです。

 みんな自由に卒業式を喜んであげる

☆よく、おじいさんが亡くなったあと間もなくおばあさんが亡くなったりというのは何かあるんでしょうか?

ーありがとうございますー
 別に、早く卒業したい人が多いだけでいいじゃない。入学式が集まってかたまるような時もあるし卒業式がかたまる時もあるんじゃない。プラスにプラスに受けて喜んだらいいですね。喜んだ方がいいです。亡くなったら卒業式です。その人にとったら大きい幸せになるんだと思えば・・。この世の人は寂しいとか執着していると苦しいですね。でも人の自由はそういうふうに縛らないほうがいいからみんな自由に卒業式を喜んであげるのがいいです。

 極貧に甘んじる

☆今仕事をしていないで遊んでいるからこうしてありがとうございますのところへくることが出来たんですけど・・借金していても幸せに考えられたらいいですね・・・主人は遊びに行ってると思っていて経済的にも苦しいから、そんなお金あるのか?と・・・。

ーありがとうございますー
 お祈りをありがとうございますを唱えるだけでも神様のお手伝いなんですね。本当はプラスの大きい働きなんです。ここへ来るのも自分の縁ある人あの世の人いっぱい連れて来ているんです。道案内しているんです。
 自分ひとり出来ているんじゃないです。大勢の人も一緒に来て勉強して神様の助けを受けて幸せになっていくんですね。だから大きい徳を積む働きにもなっているんです。それで借金があったら借金を消してくれるし徳も積ませてくれるし、だから別に遊んでいるんじゃないんですね。
 ただ徳を積むのは人知れず積むのが一番いいんです。みんなにこういう良い事しましたと言うとちょっと徳が消されてしまうから陰徳という言葉があるわけで隠れて積む、人に知られずに積むのがいいから、あの人遊びに行ってるというくらいがいいです。

 神様への奉仕は命も捧げてするくらいだからお金の少々は使っても構わないです。でも
生活程度を下げていくというのは必要なんですね。今の人は贅沢すぎるでしょう。必要なだけで満足していないですね。だから清貧に甘んじるという・・最低限の必要なことだけで満足して喜んで働きを増やしていくという人が一番幸せなんですけど。でももうひとつ借金返しという段になったら清貧じゃなしに極貧に甘んじるんです・・そのくらいがいいでしょうね。そうすると借金も、もう返さないでいいよと言ってくれるんです。そこまで頑張るんだったらもういいよと・・借金返しが早く済むんです。
 でも普通はそうじゃないです、贅沢にしようとするからさらに借金しようとするから・・損しているように思うんだけど・・だから、何もなくっても大丈夫なんですよ。贅沢さえしなかったら必要なものだけでいいんだったらもう何もいらないはずなんだけど・・・。

 みんなただで働き出したら極楽世界

☆そうすると、仕事がうまくいかなくなってきているというのは・・いいことなんですか?

ーありがとうございますー
 ただの働きをしなさいという意味なんですね。働かなかったら循環が悪くなりますね・・みんな幸せになれないです。でもみんなただで働き出したら極楽世界です。ただの働きを増やしたら極楽世界ですね。お金儲けでする仕事はあまりよくならないです。お互いに借金ばかり積み重ねているようなものだから、バブルなんてそうですね。何も働かずにお金をたくさんもらったんでしょう、高利の借金をいっぱい積んだようなかたちだから、この借金返しに全部潰れていくんじゃない。潰れただけじゃ終わらないですね、借金が残っているから跡の運命を悪くしている・・仕事がないというのもそうです。
 だからただ働きをすると借金も返せるし徳も積めるんだけど・・失業している人はただでだったら働かないでしょう、安いのだったら・・それでも働かないでしょう、高給じゃないと働かないです、それで仕事がないと言うだけでしょう。だから借金をもっとしたい人がそういうふうに言うんでしょう。サラ金業者でも高利の借金だったらいくらでも貸してくれます・・そんなので喜んだらいけないですね。

 だから今、世の中を世界全体を見て何が必要か・・必要なことはいっぱいあるんです。ゴミ拾いも大事でしょう、それだけじゃなく本当は大自然を生かさないといけないんだけど、最近よく思うのは山が荒れているという・・日本でもそうだけど世界的にも森林を切り倒してダメになっているところが多いでしょう、砂漠になるような感じで。

 だから森林を守るというのもこれからは必要なんですね。日本はそんなに伐採ばっかりしていないから緑があるようでも管理できていないから荒れています。雑木林そのままだったらまだ自然のままでいいんだけど、杉やヒノキを植林して手入れしなかったらひょろひょろっとした杉やヒノキがいっぱい乱立すると山は死んでしまいます。大雨で地滑りでドーッと流れ落ちたり水を溜める保水力がない緑のダムの働きをしないから・・だから
みんな山を守るためにボランティアで参加すればいいと思うけど、農業でもそうですがお金儲けの農業はこれから必要ないですね。神様の恵みをいただくんだからみんなが参加しないとね。週一回か二回ボランティアで農業に参加すればいいですね。そうしたら神様の恵みがよくわかるんです。感謝が深くなると思います。

 お金で買えるなんて思うと大間違いです。神様の恵みはお金では買えないです。お金を出したら買えてるように錯覚を起すんでしょう、そうじゃないです。神様の恵みをいただく勉強だから、種を撒いて肥料を運んで出来たのを持って帰るだけなんだけど。みんな神様が育ててくれてるんですね、参加するとそれがよく判るはずです。だから農業や林業、そういうものは無償で奉仕の心で参加して神様の恵みを受ける勉強ですね。それをしっかりしておくと感謝が深くなるんです。

 お金が絡むのは人と人との間だけだから、神様にはお金は通用しないでしょう。太陽の光を受けたのをお金で払ったらものすごい額になります、電灯代くらいじゃすまないです。水でもそうです、水道代は払うけど本当の水には神様に対しては払ってないですね。空気もそうだけど空気代って払っている人はひとりもないですね。

 攻めるのは借金、攻められるのは返金

☆先ほどのお墓の話で苛める方と苛められる方があって、苛められる方は亡くなると高いレベルに行くと。苛める方の人というのは自分がなかなか気付きが見いだせなくてどうしても苛めてしまってそれで終わらせてしまうという・・。

ーありがとうございますー
 苛める側は人を自分の思い通りにしているわけで人の自由を縛っています。借りをいっぱい作っていることになりますね、借りを作るというのは思いをいっぱい積み重ねることになります。思いの心がいっぱいになったら神様の心が全然判らなくなります。もう気付きが全くなくなるんです。していることは自分が正しいと思っても間違っているんだけど、そういう事の反省も何もないですね。苛められる方は借金返ししているほうです、借金の取立てにあって返している方だからそれも痛みや苦しみが多いほど大きく消されていく、そうすると借金の思いが消えていくんです。思いが消えたら感謝の心がスッと出てくると気付きが増えてきます。反省も出来ます。何が正しいか判ってくると幸せへの道を歩めるようになってくるんです。

 腹立ちは「ありがとうございます」で消える

☆ある人に対して腹が立ってどうしようもない時があります。その人の様子を見ただけで腹が立って、これじゃダメだなと思うんですが、自分のこの気持はどうしてだろうといつも考えるんです。

ーありがとうございますー
 それでもまだ腹が立ってダメだなと反省できる心があるというのは消してもらえるわけでしょう。ちゃんと輝いた心があって消そうとしている自分があるから、それはありがとうございますを唱えているうちに全部消してくれます。そういうのは簡単に消してもらえますよ、ありがとうございますを唱えるだけで。出てきた度にありがとうございますを言っていたら消えていきます。

 思いを消す方法は幾通りもある

☆心の中にいろんな思いを我慢してそのまま置いておくより、出してしまった方がいいんでしょうか?

ーありがとうございますー
 思いを消す方法は幾通りもありますね。小出しに出すのもいっぺんに出すのもいろいろあるでしょう。ただ、ありがとうございますを唱えているとかたちに現れずに消してもらえるんです。知らない間に消してもらいます。
 だからありがとうございますを一心に唱え続けていたらいろんな思いが出る前に消されているから思いが出なくなってきます。出ても軽いから早く感謝して消してもらえます。ただ思いだけワーッと湧き上がる状態だと心が苦しいですね。そうすると病気や怪我でもうひとつ軽くしてくれるんです。病気や怪我をした時の方が思いが消されているから軽くなる、心は楽になるんです。
 でもその時でもお祈りを加えた方がいいです。ありがとうございますと感謝した方が両方きれいに消してもらうから心も軽くなるかたちもよくなるんです。やっぱりありがとうございますを唱えるのは得ですね。

 病気の人がサッと消えてしまう

☆ありがとうございますが一時期病気の人を治していたと聞きましたが、それは相手の病気の原因を自分の中に取り込んでそれを消していくという方法でやっていたんでしょうか?

ーありがとうございますー
 そうでもないですね・・拝むだけの練習です。もし自分の周りにマイナスの姿が出てきたら自分の心にマイナスがあるんです。病人が自分の目の前に出てきたら自分に病念があるんです。病気の原因の思いがあるんです。そのマイナスを消してもらえばいいんでしょう。
 だからみんな神様というふうに無限に無限に輝いているというふうに感謝を深めて神様の光を受けたら自分の心がマイナスを消してもらった状態になるでしょう。そうしたらマイナスを見なくなるんです。自分の目の前からマイナスの人が消えるわけで病気の人がサッと消えてしまうんです。
 それで後は自分の世界が広がれば地球の裏側の人でも同じなんです。みんな神様なんだと無限に無限に輝いているんだと拝み続けたらいいんです。感謝し続けたらマイナスの姿がみんな消えていくんです。そうすると病気の人を見なくなるそういう話を聞かなくなるというふうに、みんな幸せな人の話ばっかりになってくるんです。
 最近病気の人を私はあまり見ないです。だまには芝居している人もいるかもしれないけど・・。だから自分の心を淨めてもらうのが一番です。ありがとうございますとお祈りして拝むだけがいいです。

☆今のお話だと病気はその人だけじゃなく自分の心の反映と・・そうしたら私のほうも原因になっているからありがとうございますを唱えていけばいいという・・・?

ーありがとうございますー
 自分の心さえプラスに変ったら周りはプラスだけになります。病気だけじゃない全部がそうです。意地悪な人も同じなんです。自分の中にマイナスの意地悪な心があると意地悪な姿が出てくるんです。だからお祈りで消すのが一番早いです。みんな神様の現れと愛深い優しい人ばかりと拝んでいたらいいです。そうしたらみんな意地悪な人は消えてしまいます。

 ゴミが花びらになって落ちてくる

☆上に住んでいる人がすごくドンドンと音だけじゃなくゴミが落ちてきて・・シールを貼ったり上に向かってありがとうございますと。その方に会った時も最初は作り笑顔で挨拶したりしていたんですけど、それがだんだんなくなってきたんです。ゴミはやはり落ちてきて今日もお掃除してきたんですけどそうすると自分がすごくスッキリするんです。ああもうこれでいいやって・・・。

ーありがとうございますー
 そうですね。そのうちにゴミが花びらになって落ちてくる・・・。

 ちょっと家の外に出るといい

☆健康食品を売りたいからとか自分の気の力で治して優越感に浸りたいからとかでよく病人探しをしている人がいますけど、そういうのはどうなんでしょう?

ーありがとうございますー
 みんな自由で好みが違うんで、自由でいいんでしょうけど、お金儲けの為に利用するのもちょっと後ろめたいですね。また自分の優越感だけでするんだったら、人を下に見るだけだから本当の意味で人を幸せに出来ない、自分も幸せになれないですね。そういうのは回り道かもしれないです。

 病気の人はいない方がいいですね。健康食品なんて売らなくてもいいですね。みんなが幸せだったらいいだけで、別にこの世を相手にしてこの世で何かしようというんじゃなしに神様の最高番組を受けてみんなが幸せになればいいんです。みんなが拝みあって感謝してプラスのものを与え尽くし合えばみんな極楽世界に住めるのに、回り道が多すぎるんじゃない?

 本当にみんな幸せになりたいんだろうかと思いますよ。本当の幸せは天から太陽が降り注ぐようにいつも降っているんです。でも小さい幸せは棚からボタモチが降ってくるみたいにちょっとはあるのかもしれないけどないかもしれない。大きく神様の恵みを受けるような気持でいるといつも無限の幸せが降り注いでいるんだけど、気持が小さくなると受け損なうんですね。

 ちょっと家の外に出るといいです。みんな小さい殻に閉じこもって外へ心を向けないからです。大きく世界全体を見るような気持だったらしあわせいっぱいなのに、思いの殻に思いの家の中に入り込んでしまうんですね。そうすると判らなくなるんです。

 本当にお墓は必要?

☆お墓のことばかりで申し訳ないんですけど、お墓についてもう少し・・・。

ーありがとうございますー
 本当に何が必要かということで考えるといいんだけど、本当にお墓は必要?

☆それが仕事なもので・・・。ただ、今迄は仕事という感じはあまりなくて8月頃までは頼まれたのだけやろうということでやってきたんですが、出来たのを見て気に入った人からの注文が増えて・・こういう現象は今迄なかったのでこれはどういうことだろうと。
 2月にありがとうございますに質問したんですが、いい加減にやっている石屋が流行って私は丁寧にやっているつもりだけど、どうしてかと聞いたら・・あぶく銭に繋がったらいけないからタダでやれというのが答えだったんですけど、その後何人か原価まで下げてやれと思ってそれでも断られたりしたんです。それがここに来て仕事が繋がってなんなのかなと・・ありがとうございますもそんなには唱えていないんです。

ーありがとうございますー
 あぶく銭に繋がったらいけないですよ、損します。


ありがとうございますの師匠はどなたですか?

ーありがとうございますー
私の場合はもうみんな師匠ですね。全てから学び取るという感じですから、だから根本は神様ですから、神様の現われという姿で拝んでみんなから学ばせていただくという感じです。
 
 古神道
 
 世間で言われている古神道とまた捉え方が違いますよね。昔の古神道は神道の中での古いというか、わりと密教的なかたちのものを古神道といいますよね。その古神道という名前で呼ぶ必要性というのは何かありますか?
 
ーありがとうございますー
 本当はないですね。何もないですね。
 

 それでは仮に古神道と呼ぶことにすれば、こういうことだというふうに解釈してよろしいんでしょうか?
 
ーありがとうございますー
 そうですね。
 
 喜びが溢れ出て表現になっている
 

 どなたか・・お話したい方はありませんか?
 
ー☆ー
 神様は全宇宙すべてのすべてを創造なさったと聞いていますが、そもそも何故神様は創造なさったんでしょうか?
 
ーありがとうございますー
 ねえ、不思議ですね。不思議というところがいいんでしょうね。人間の考えを遥かに越えてますよね。だから宇宙の表現が神様の喜びの表現だと思うんですけど、喜びが溢れ出て表現になっているというのが本当かもしれないです。だから考えても判らないですね。
 

 確かに私達は論理的に納得したいというところがあってそれで質問をドンドンしてもやっぱりまだ判らないというところがどうしても残ってしまうように思います。それを何とか埋めようと思ってさらに繰り返すんですけど、それでもやっぱりまだどうも釈然としないというが残ってしまうんじゃないかなというふうに自分自身の感想として感じています。
 
 
 ありがとうございますとの出会い
 

ー ご主人もここへ来ることは賛同された訳ですね。
 
ー☆ー
 二人で本を読んでいたので一緒に「会いたいね」と。
 
ー こちらへ来られるようになってからどうですか、家族の雰囲気が変ったとかご主人が変ったとかお子さんとか、何か気付かれたことはありますか?
 
ー☆ー
 前から仲のいい家族なのでそれほど変ったことはないですが、やっぱりここへ来るのは楽しいですね。
 
ー 一緒にというのはいいですね。共通の話題ができることもありますし同じ方向を向いて歩んでいるなぁという実感が感じられるんじゃないでしょうか。
 

 今は出かけていくということはないわけですね。
 
ーありがとうございますー
 そうですね。もうお祈りだけに絞り込んでいるので。
 
ー みなさん・・いかがですか?
 
 不思議現象のプラスの理由を百も二百数えた方がいい
 
ー☆ー
 何だか足がつるんですよ・・なんでか判らないんですけど。こんなふうになったことがないのでどうしてかなと・・。
 
ーありがとうございますー
 不思議な予知しないことが起こりますよね。働きが大きいんでしょう、それは。
 
ー 現象として起こっていることって私達はその理由を探したくなりますよね。もしかするとその理由はあるのかもしれないけど、私たちがその理由をこうだと決めるとそれがその理由になってしまいますよね。何か計測できる科学的な方法で証明できるならそれは客観的な理由としてちゃんと位置付けられるのかもしれないけど、そうでない場合は私たちがどういうふうにそれと関わるかということがその意味付けになってしまうようなそんな気がしますね。それでもみんな理由を知りたがりますね。しかも自分で探すんではなくて私もそうなんですけど、こうなんですけど・・どういうことなんでしょうかというふうに確認したがるんですね。
 
ーありがとうございますー
 それはいいことなんですけどね、ただその理由はひとつやふたつじゃなしに百も二百数えた方がいいですね。いっぱいあるんです。
 
ー☆ー
 前は何かあると、ああ・・どうしてだろうと変なふうに取っていたんですけど今はこれは何か意味があるんじゃないかなとか何か教えてくれているんじゃないかなとかそんなふうにとるんです。あまり悪く取らないんです。
 ーありがとうございますー
 そう、そのプラスの理由が百か二百あるんです。
 

 先ほど病気とか怪我とかいうのも借金返しということでしたが、そうであればありがたいことですよね。返していけるわけですから・・そういうふうに受け取るという。
 
ー☆ー
 いつもありがとうございますがプラスに受け取るというふうにおっしゃるのでそういう癖がちょっとついてきたんです。
 
 浮かび出た時が返すチャンス
 
ー☆ー
 今は仕事をしていないのでずっと家にいるんです・・今までは会社に行っていたので朝早くでて夜遅く帰ってきていたから会話をする時って何か楽しくしていたんですね。でも今は朝から晩までずっと一緒に家にいるので・・今までそういう事はなかったのに私の方がなんかイライラしてくるんです。こういう現象は、イライラしないように修行しなさいということなのかなとか・・最近それがすごく気になって、今までこういう思いってなかったのに・・主人のほうは気にならないのか気にしないようにしているのか判らないんですけど、つい怒りが出てくるんです。どうしたらいいものかと・・主人に質問したらありがとうございますが足りないと・・。
 
ーありがとうございますー
 心に貯めた思いを、借りを返すチャンスを与えてもらったんですね。浮かび出た時が返すチャンスですからありがとうございますで一挙に消してもらえばいいです。そうしたら大きく得したでしょう。
 
 これ欲しいと人からもらうと借金
 
ー☆ー
 妹が独りで他県にいるんですけど、実家は農家でちょうど今は稲刈りの時期で兄弟は3人いるんですが他に誰も手伝う人が居ないので妹が結構役に立っているみたいなんです。ここへ来る前の日に母から電話が来て妹がとてもよくやってくれると。私達は今からここへ行くんだけど自分が出来ない分を妹がわざわざ帰ってやってくれる・・そういう出来事がとてもうれしくて・・最近うれしいことが多いんです、些細なことですが本がふたつも当たったり・・で、当たった時これはうれしいけど私一人のものにしちゃいけないと知り合いにひとつあげましたらとても喜ばれてそれがまたとてもうれしいんです・・。
 
ーありがとうございますー
 ありがとうございますで神様から受けるのは借金じゃないんです。自分から求めてあれ欲しい、これ欲しいと人からもらうと借金になりますね。
 
ー☆ー
 求めなくていただけるけるものは・・・
 
ーありがとうございますー
 神様から受けるのが大事ですね。
 
ー☆ー
 はい。わかりました。ありがとうございます。
 
 ありがとうございます実験によるショック
 
ー 本が当たってとてもうれしかったというふうにおっしゃいましたよね。それで出来事が現象が私たちを決めるんではなくてどんな些細なことであったとしても私たちがありがたいと思えばありがたいですしうれしいと思えばうれしいですし、それをあなたがうれしいと思えたことが素敵だなと思います。

ーありがとうございますー
 そうですね・・すべて神様の現れというふうに見ると神様のすべての力を持ってますよね。特にありがとうございますの言霊の力というのは必要なものをそこにサッと現す力ですから、水でも瞬間に最高の水に置き換えようと思ったらしてくるでしょうね。水自身が変身するでしょうね。
 
ー その神様の力ということでご説明いただければひじょうに解釈しやすい、ただ私達が思ってしまうのは、単にありがとうございますという文字を書いたシールじゃないかとそういう感覚で見てしまいますね・・そのシールが神様と同じような働きをするとそのように解釈してよろしいんでしょうか?
 
ーありがとうございますー
 そうですね、ただ水が神様の現れというふうに認めたときに力が潜むんでしょうね、単に言葉だけというんじゃなしに言葉が本当の水の働きを引っ張り出しているんでしょうけど・・でも水にそれだけの力がなかったらありがとうございますに反応して働いてくれないですね。だから水も神様という方がいいでしょうね。
 

ー 実験は絶対に否定できないですよね。現象的にちゃんと起こったわけですし、かといってこれから毎回その現象が起こるのか・・それはこれから実験を繰り返していってそのプロセスを見ていくというのが私たちの取るべき態度かなと私などは個人的にそう考えたりするんですけど。


 我のないシールの方が神様は働きやすい
 
ー☆ー
 ありがとうございますのテープを知り合いに送る時にシールも入れてあげました。そうしたらシールをたくさんありがとうございますという手紙も来ましたが中には自分は手作りでパンを作っていてお客様にはありがとうございますと自分で手書きで特に心を込めて書いているからこのシールは私には不要です、資源の無駄遣いではないでしょうか・・どう思いますかという手紙も来たんですけど、どう言っていいか判らなかったんです。
 
ー 私の場合はそういう時、今起こっていることを事実としてみるという方法をとります。ここで判っていることはその人は現時点でこの方法は資源の無駄遣いと思っている人・・ここまでです。これに対する意味付けをしません。つまりこの見方が正しいのか正しくのないかとかイヤな奴とかそうではなくて、思っている人というここまでで止めます。
 それで自分は今起こっている現象をどういうふうに捉えるのかなと今度は自分のとっている立場というか、それを両方を眺めていきます。並列させてこれに意味をつけないという状態で眺めているだけですね。正しいとか正しくないとかいうことを競い出すとここで争いが起こってしまいますね。あなた自身はそれを受け取ってどういうふうに感じましたか?
 
ー☆ー
 資源の無駄遣いかどうかわからないけど、先ず送る時に宅急便の方がありがとうございますというのを目にしますよね。そして今度は配送センターに行ってまた人が目にしてそしてその土地の配送センターに人が見てお客さんが見て、一枚のシールで何人も見てとてもいいんじゃないかと・・充分資源の有効利用じゃないかな・・だから無駄ではないんじゃないかと思うんですけど。
 
ー あなたは資源の有効利用がちゃんと出来ているというふうに考えてらっしゃる方ですし、今おっしゃったことは起こる可能性は充分ありますよね。全然根も葉もないことではなくて起こるだろうしあなたがそういうふうに考えている限り起こる可能性というのはドンドン広がっていくかもしれない、またそれ以上のことも起こるのかもしれない。
 
ーありがとうございますー
 ありがとうございますシールをちゃんと筆で書いて手書きのようなものでそういう書体の方がいいんじゃないかという人もあるんです。それはやっぱり個性が出ますよね。これは活字体ですよね・・誰でも使える印刷体ですね、これはもう自分がないんです。ただ自分がないほうが神様が働きやすいんですよね。
 だから自分が書いた分はその人なりの感謝なんです。ありがとうございますだけね。でも我を全部捨て切った時の方が神様が自由に大きく働けるんです。それでこれは誰かの書体を使わないんです。みんなが自由に使える方がいいからということで、それでここのシールはしっかりと神様の光を込めてもらうようにみんな一生懸命お祈りしているでしょう、単に書いたものじゃないんですね。祈りを込めてもらっている神様の光をいっぱい込めてもらっているから一枚でも神様が働いたら大きい力が出てくるんです。
 
 だからこれはもう神様からのプレゼントなんです。だから絶対売らない、無償なんです。買いたいという人にもこれは売らないです。ただシール寄金では、神様のお手伝いをしたいという人には協力してもらうんです。私たちもここにいる人も外で働いてお礼をもらったらシール資金に回しているんです。ただ僅かな人から出たお金では限界があるんです。それでシール寄金というかたちで大勢の人に神様のお手伝いをしてほしいということで仲間を増やしている訳です。
でもみんな無償です、絶対売ることはしないです。神様からのプレゼントはタダがいいんです。
 
 貸し借りが根本
 
ー☆ー
 好きとか嫌いとかいう感情というはよく貸し借りの関係といわれるんですけど、相思相愛とかお互いに嫌いとか・・なにかそれだけじゃないような気もするんですがその辺はどうなんでしょう?
 
ーありがとうございますー
 根本は貸し借りですね。ただ両方が与え尽くしあったら両方がそういうふうになっていくんでしょうね、両方が相思相愛という姿ね。だから純粋な与え尽くしあいになったら神様との直接の愛の交流でしょう、大好きどころじゃない・・そこまで行けば無限の大好きというような相思相愛の姿をとりますね。
 
ー☆ー
 例えば映画俳優のハンサムでカッコいい人とかみんなにすごく好きだという感情があると思うんですけど。
 
ーありがとうございますー
 例えば女の人でも汚いところの掃除をよくしておきなさいよと、今度生まれたら美人に生まれますよという言葉がありますね。だから前の世で過去世で人の為に一生懸命尽くして汚い仕事でも喜んでした人は美人に美男に生まれます。それはそういう意味ではみんなにやっぱり貸しがあるんですね。だから生まれてきてもみんなから好かれていろいろ返してくれる割合が大きい、そういう一面があります。だからこの世的には貸し借りが根本かもしれないです。それでも貸し続けて返してくれなかったら誰でもイヤになってきますね。
 神様でない限り・・神様でも与え尽くして受けてくれて喜んでまた恩返ししてくれたらもっと大きい喜びに変りますね。一方的に与え尽くしても何の反応もないというなら寂しくなります。人だったら尚更かもしれないですね。
 
 思いの心が幸せというのと感謝の心の幸せと全然違う
 
ー☆ー
 神様が作ったこの世の仕組みというのが人の為に生きるというそして感謝するというなんでしょうか?
 
ーありがとうございますー
 本当の幸せになればいいんですけど、人の幸せに繋がれば神様の本当の願いと一致しますよね。ただ思いの心と感謝で受けているのと正反対に考えている場合が多いです。思いの心が幸せというのと感謝の心の幸せと全然違うんですね。だから神様のほうは感謝の心で幸せと感じてくれる方が正しいと見てくれるんです。だから人の為に尽くすのでも甘やかすような与え方だと神様はダメだよというかもしれないです。与える側はそれでいいけど受ける側が損していくんですね。
 
 言葉よりも神様そのものを感じる
 
ー☆ー
 ありがとうございますは無限億万分の一秒で宇宙というか神様を感じ続けておられると思うんですが、ありがとうございますを早く言っても一秒くらいかかると思うんですけどそれをズーッと感じ続けていたらどういう状態なんでしょうか?
 
ーありがとうございますー
 肉体は五感の感覚でいろいろ感じるんですね。魂的なのは六感の感覚といいます。本心の感謝の心はもっと奥の心ですね。だから奥の心で感じるのは無限億万分の一秒もそこまで絞り込んでも大丈夫なんです。時間の感覚が違うんです。短い時間ほど大きく神様の素晴らしさを感じるんです。
 
ー そうするとなにか心とか言葉で唱えている感覚とはまたちょっと違ったような・・・?
 
ーありがとうございますー
 もう、言葉を越えるんですね。神様を感じるだけだから、言葉よりも神様そのものを感じるようになってきた方が・・本当の感謝ですね。
 
ーありがとうございます。