0カウンター.1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.32.33.34.35.36.37.38.3940.41.42.43.44.45.
46.47.48.49.50.51.52.53.54.55.56.57.58.59.60.61.62.63.64.65.66.67.68.69.70.71.72.73.74.75.76.77.78.7980.81.82.83.84.85.86.
87.88.89.90.91.92.93.94.95.96.97.98.99.100.101.102.103.104.105.106.107.108.109.110.112.113.114.115.116.117.118.119.110.
111
.112.113.114.115.116.117.118.119.120.121.122.123.124.125.126.127.128.129.130.131.132.133.134.135.136.137.138.139.
140.141142.143.144.145.146147.148.149.150.151.152.153.154.155.156.157.158.159.160.161.162.163.164.165.166.

しゃっきんさいそく

           
 ありがとうございます- うちはおてらなのですけど、おをねだられたりさいせんどろぼうがいたりします。それにもどうぞどうぞとげて、(マイナスを)してもらっているんだとするのがいのですか?

 ありがとうございます: だんかいがいろいろあるのです、いちばんうえだんかいほんとうていこうしゅです。キリストきょうならイエスキリストです、うわあたえたしたられたというんでしょう、みぎのほほをたれたらひだりのほほをしてたれよと。ほんとうにそこまでていこうしゅになれればおおきいかみさまのちからがそこにくわわるのです、そうしたらほんとうくはずです、そうしてぶんのマイナス・いんねんぜんしてもらえるのです。
 どんなマイナスがてもしゃっきんなのです、りがあるのです、それをしゃっきんりがいまあらわれているというかんじなのです。ほんとうぶんのほうからまえかしぬしさがしてそくつけておんがえしにかなければいけない、これはたいへんなのです。だからこうのほうからそくかるくしてしゃっきんさいそくにきてくれているのです、だいおんじんからそういうふうにてくれているのです。だからそういうマイナスの姿すがたおんがえしです、しゃっきんかえしです。
 だから「ありがとうございます」とほんとうかんしゃするのがいちばんいのです。それでっていかれるんだったらっていかれたかたいのです。でもそこまでかんしゃしたら、そうかそうかくわかった、それじゃぜんめんじょしようとなるかもしれない、おいていってくれるかもしれない。ほんとうかたていこうしゅかんしゃすることだとおもうのですけど。それじょうぜったいわるくはならないのです。

ar74神さまの別名2001.3.4

ありがとうございます:
 分身として全ての表現が生まれている。だから、みんな同じ神さんの別名なのです。どういう働きを捉えて名前にするかなんです。宇宙全体を絶対統一している名前が「天照大御神」、だから「天照大御神」という名前が出た時は、他の神さんは全部消えてしまう。 だから元々ひとつの神様だけなんです。

 ズレがある

質問:
 いろいろ考えて、行動することは良いことなんでしょうか?

ありがとうございます:
 未だ、低いですね。全部お任せで自然に湧いてくるのがいいんです。

質問:
 人間が意図的に生きるということは、ある意味では傲慢ですね。

ありがとうございます:
 はい。  ちょっと「ズレ」があります。

質問:
 人間が意図的に生きる瞬間から「ズレ」始める。

ありがとうございます:
 だから思いを出すよりは、感謝で一つにつながる方がいいのです。

質問:
「 ズレ」るということは、自然の摂理から言うと、人問の肉体と頭脳を持ったが故に始まった問題で、動物の中にはそういう問題は起きないのですか?

ありがとうございます:
 別に、人間だけじゃないですね。やはり、「ズレ」はあります

質問:
 植物の方がより近いですか?

ありがとうございます:
 いや、神さまの最高表現と比較したら、どれだけそれが具体化して出てきているかが大事なんです。その出方が人間よりは、動物の方が少ないですね。 植物はもっと少ないです。 鉱物はもっと少ないですよ。

質問:
 そうすると、人間が創造して作り出すことは、結果的にはどんどん、どんどん本来のあり様から離れている、ということになりますか?

ありがとうございます:
 感謝を忘れると、過去に報われて過去の残像を追いかけます。 過去の繰り返しが多いんです。「新しいものを受け損なっている」というマイナスが増えるわけですね。感謝があると新しい最高表現をどんどん受けて行けるから、よいものがどんどん具体化して出てきます。

 アトランティス

質問:
 かって、アトランティス・ムーとか、ああいう文明が存在したということは、それを究めていって滅ばざるを得なかった。また、時が変わり、同じ事を繰り返しているということですか?

ありがとうございます:
 そうです。あれは、まあ一つの神さんの心をこの世に現す過程で、ちょうど絵を描くような感じで、落書きになったのです。 最後に「それならもう一回書き直そうか」という感じです。もう一回全部消して、書き直すのは大変なんです。 いっぺんに、パッと紙を変えた方がいいわけですね。 だから感謝で神さまの御心を受けて、それを具体化すれば、一番最高理想が現実化するんです。 やはり感謝を忘れて、神さまの御心を無視して、自分勝手に動き出すと、過去の繰り返しになります。今、現実にあるものは最高表現じゃないんです。心に受けたものが現実化しているのです。特に、過去を心に捉えると、同じことを心に繰り返し取り込んで、それを現実化していくんです。 だから「歴史が繰り返される」と言うのも、現実の過去を掴み過ぎると似たようなものを繰り返すことになるわけですね。 だから、過去は相手にせずに、神さんの御心だけをしっかり捉えようとする方が、自分がどんどん現実化して現れてきますね。

神さんの助けを受けて

質問:
 今の姿としては、在る役割、職業、社会の仕組みがありますよね。そこの中で、感謝の行を続けることでなんですか?

ありがとうございます:
 そうです。だから、感謝をする中でいらないものは消して、よいものをどんどん現して下さる訳です。 マイナスとプラスの置き換えが、神さまが一番よくわかっているわけです。だから、神さんの助けを受けて、してもらう方が早く良くなるわけです。神さんの助けを大きく受ける意味で「ありがとうございます」と唱えるのがいいですね。

質問:
 ある意味で、想念から浮かぶ欲望など、本質のものと区別がつかない状況がありますよね。 それは念ずることによって、本質にむかうのですか?

ありがとうございます:
 そうです。 「はい」「ありがとうございます」と一言加える事によって、神さまの方からしむけてくださるんです。 これはプラスの必要なもの、これはマイナスの要らないものってね。 そしてマイナスを消してプラスを置き換えてくださる。 迷う時は、特にそうです。 感謝すだけの方がいいですね。

同じものは何一つとない

質問:
 顔や形が違うように、現世的に果たす役割の違いを持って生まれてきているのですか?

ありがとうございます:
 そうです。すべてがそうです、同じものは何一つとないのです。また二度と同じことを絶対繰り返さないこと、これ鉄則です。

神縁で

質問:
 みなさんとこういう縁をこの場で共有するということは、この一日、二日しか体験出来ないわけですよね。 これもまさに、触れ合ってまた散らばって行くという流れはあるんでしょうか?

ありがとうございます:
 つながりって「過去の縁で」という見方と、新しい神さまの「神縁で」という二通りあります。 本当は新しい神さまの神縁で必要なものがスッと助け合う姿として出てくるのですね。その方が本当の力を発揮して行くのです。 「過去世の縁で」というよりは、新しい縁の方がいいですね。

質問:
 もし、過去世で縁があったとしても、ここで新たに共に作り出した新しい縁を、スタートした意識の方がいいんですか?

ありがとうございます:
 いいですね。 だから、いいものがどんどん降りてくる訳です。 過去の方は腐れ縁の方が多いですよ。 それに、やっぱり過去の自分より、今の自分の方が立派になってる筈なんです。 過去にどんなにいい生き方しても、大したことはないですね。いろんな意味で今の自分の方が進歩してるのです。

質問:
 生きてる限りは、昨日より今日の方が進歩してる。

ありがとうございます:
 はい。だから、マイナスを積み重ねたように見えても、マイナスを体験をする事によって、心の幅が広がったり、いろんな意味で進歩してるのです。



質問:
 「欲」ってありますね。 それは人間だけじゃなしに、生きてる動物にとっても、食欲というものがあります。 特に人間の場合には、物欲というのが大変なことのように思うんですが、この「欲」というのは自分で出しているでしょう? 押さえようと思っても。これは理性で押さえていいものか、押さえなくてもいいものか。

ありがとうございます:
 「慾」という漢字が「谷」に「欠」「心」と書くでしょう。 「谷」は宇宙絶対神の「谷神・コク神」という意味です。「絶対神の心の欠けている状態」というんです。だから絶対神の心と一つになっていると、満ち足りているわけですね。求める心は全然ないです。 満ち足りて、ありがたいばっかし。満ち足りる心になれるわけです。「欲」という時は、やっぱり神さまと離れてしまって、折角与えられた無限の無限の幸せでも、受け取ってないという状態、不足の心なのです。
 それは感謝する事によって、神さんの心と一つになれば、もう全てが与えられているという心になれば、「欲」は自然に消えるわけですね。 でも、食欲も必要です。必要なものは、ちゃんと生かす為に与えてくださるのです。食べ物として、ぜんぶ必要なものなのに、わざわざ求める心を起こす必要はないのです。 本当に、神さんの方は、必要なものを全て与え続けてくださるわけで、それを感謝で受け続けている限りは、わざわざ求めて、欲の心を起こす必要はないのです。

 食事のあり方

質問:
 生きるためには、食欲というのがありますね。これは時間通りに食べなければいけないので、朝・昼・晩という、食べなきゃ死ぬわけですから、食事のあり方というのは、先生は、どのようにお考えですか?

ありがとうございます:
 お腹が空いた時に「ありがとうございます」って頂けばいいんです。 自然に、目の前に食べ物が出てくるはずです。感謝さえしていたら、「時間で何時に食べる」という事はないですし、お腹空いてなかったら、無理に食べなくてもいいでしょうし、また、あれ食べたい、これ食べたいと思わなくても、本当は感謝さえしてたら必要なものが食卓に上るはずなんです。

質問:
栄養バランスというでしょう。 でも、自分の体で感じるものを食べたらいいんですね。

ありがとうございます:
 そうです。 人間の体って、体というより神さまの命の働きの方がもの凄い働きなのです。だからビタミンがなくても、ビタミンを体から作り出してくれる。 だから何を食べても大丈夫なんです。人間だけですあれこれ言うのは。他の生物って、みな偏ってますでしょう、偏ってもちゃんと生かされているでしょう。 人間が、やっぱりあんまりおかしい考え方をし過ぎていると思いますね。 極端に言ったら、空気だけで生きるられるかも知れないし、水だけでも大丈夫かも知れない。 元々は物質化現象だと思うんです。
 神さまがこの世に物質化して生み出してくれている、一瞬一瞬の物質化現象が移り変わっているだけなんですね。 神さまの命の光の波動が、この世の物質波動になって現れて、それを五感六感の感覚で、そういうふうに物として認めているわけですね。 本当は波の変化だけなんです。

「欲」に対する対応の仕方

質問:
 目の前にある自分のいろんな「欲」に対する対応の仕方、または、集団という社会 例えば、平和運動・そういう社会との関わり、社会全体をどういう視点で集団(人類)を捉えると理想というのでしょうか? 在り様としてはどうなんでしょうか?

ありがとうございます:
 大事な事は、自分を変えるだけなんです。 自分の心をプラスにプラスに置きかえるだけで、周りの環境、世界が全部プラスに置き換わっていくんです。

質問:
 自然に、自ずと自分の役割がその中で降りてきて、必要な事はやらせてもらうという流れですか?

ありがとうございます:
 そうですね。自分の心を大きくプラスに変えてもらうのは、神さまに心を向ければいいだけなんです。神さんの方からプラスを受け入れて、心に受け入れたものが自然に法則的に物質化して具体化するわけです。

質問:
 そうすると、器なり役割が、その場によって時間とその場で広がってそれなりの形に変わって行く。

ありがとうございます:
 そうですね。

何か求めてる時

質問:
 一つに集中しますと、今までの経験でしかわかりませんけど、とにかく何か求めてる時は、そればっかり考えて生きてる。 それは、どうやら新しいアイディアでもないですけど、そう感じてるところがあるんですね。それは錯覚じゃないかと思うんですが、自分の中のなんていうかな、潜在能力が出したのか、よくわからないんですけど。 なにか求める時には、そればかり考えて、そして感じていることをしている。

ありがとうございます:
 自分の心を集中したところから、いろんな物を感じるわけですね。 自分の心の波に合ったものから、そのインスピレーションなり感じているわけです。その時の自分の心境の高さ、心の向け方によって、全部受け方も感じ方も違うんです。

質問:
 考えてみると、神さまの知恵袋から出てくるものなのか、それともまったく一人一人役目が違うと思うんですけども、その辺の何か合ったものがくるのか、何か新しいものが湧き出てくるのかよくわからない。

ありがとうございます:
 根本は、神さまの最高表現が頂点にあって、そこから無限の無限の段階の波の変化が常にあるわけです。そして、今の自分の心境に応じたところ、波の波長の合うところから感じるわけです。感謝を無限に深くして、高い次元へ心を向けたら、よいものを沢山感じるのです。それでも波を合わすというのは、一点集中ですね。精神集中によってピタッと波を合わせていくのです。 波の合わせ方が中途半端だとボヤーとしてくる。一つの事に集中して打ち込んでいる時の方が波が合うのです。具体化した姿で、インスピレーションを受けやすいのです。 その時の心境によって、種類がいろいろ分かれるわけですね。インスピレーションの源が無限の無限の段階になるんです。

運命

質問:
 人間の寿命というのはある程度決まっているのでしょうか?

ありがとうございます:
 一応生まれてくる時に決まっています。 あらかじめはね。大体第一、第二、第三の寿命ぐらい、三段階ぐらい決まってて、必要だったら最後まで行く。第三の寿命が終わってからでも、何か大きい使命があったら、また長引くわけですね。寿命が延びるわけですけど、これもやはり、みんな魂を立派に磨く為に、一番いい方法をとらされるんです。 だから早く亡くなってあの世へ行った方が、早く立派になれるんだったら早く引き上げてしまう。この世で長い寿命を生きた方がいいんだったらそうしてくれるし。 それでも第三迄ですね、一応決めた通りになってくる。その第三以上に延びる時は、もう特別な大きい使命がある時だけですね。その時だけちょっと伸ばしてもらいます。

質問:
 そういう役割だったら、青年という三次元的なスタートの宿命が決まってますよね。後、両親と持っているボディである程度は、推し量ることは可能ですか?

ありがとうございます:
 はい。 一応決められた範囲の移り変わりの姿って、一応決まってるんです。一応決まってて大きい力が加わったら、ガラッと変わります。修正が効くんです。 運命というのは、自分が一応決めてきて「こうする」というストーリーは決まっているんですけど、でも自分の心境が大きくガラッと変化したり、他から大きい力が加わった時は、もうぜんぜん別個の運命が生まれるんです。そこに、本当の人の自由があるわけです。 だから、いろんな予知的に人の運命を見る人がいますけど、お祈りし始めると予知が当たらなくなる。運命はコロコロ変って行く、良いように良いようにです。「何年先に病気になる」って予知されても、ぜんぜん当たらん。手相なんかもそうですね、前の世の生き方の傾向が、手相に出るわけです。惰性が続いているわけでしょう。新しい何かを加えなかったら、惰性がず一つと続くわけです。そうすると手相も、ちょっと当たる可能性があるわけでしょう。 でも全く新しい生き方がそこへ加わった時は、惰性を越えますから、そしたら手相はぜんぜん当たらなくなるし、手相も変化してきますね。 だから新しい生き方を加えるのは、やっぱり感謝です。「ありがとうございます」と感謝するほど、新しい自分がどんどん力を発揮してきます。 だから運命は絶対予知通りには、ならなくなります。

質問:
 考え方によっては、寿命というのがもしあれば、太くて同じ量でも、太くて短いのと、細く長くという生き方もあると思うんですよ。寿命がもし決まっているのだったら「難しくしなくても行けるじゃないか」といいつつそっちへ行くじゃないですか。 今 先生が、運命は自分で切り開くということで、言わせてもらってるんですけど。伝え方によっては、自分の運命は決まってるから、もう何もあくせくしない、悪ければいい、良ければいい、というようなことで努力しなくなるのではないかと思うんですけど。

ありがとうございます:
 「運命だから、もう決まってるから」という小さい捉え方だとそうなりますね。でも本当の自分は、無限の自由があって、無限の力を自在に捉えて、この世の生き方を何倍にも高率のいい生き方にも出来るし、何万倍にも内容の濃いものにも出来るわけです。 それは、もうどれだけ神さまの最高表現を現実に降ろしてくるかですね。 この今日の一日が、その人の一生以上の価値のある一日もあるわけです。
普通の人は一生かかって百年近く生きても、どれだけプラスのよいものを味わったか、というふうに考えたらあまりないですね。ダラダラつまらないものを、ちょっちょっと心に取り入れたぐらいでしょう。 でもね、お祈りを深めて、無限に素晴らしいものを一杯感じられる人は、その一日でそれ以上のものを味わってしまうでしょう。 だから、この世に生まれて来るのも、神さまの御心を現実化して、この世で楽しむ為なのです。本当は、ある意味ではその表現を楽しむような感じです。 だから、沢山の素晴らしいものを味わって楽しめる方がいいわけですね、密度が濃くなります。

本当に幸せ

質問:
 原則的に、生きていて楽しい、本当に幸せだと思う。それを瞬間・瞬間味わうということの繰り返しがいいのですか?

ありがとうございます:
 そうです。神さまの願いはそうです。 人が神さんの与えてくれるプレゼント全部受けて味わって欲しいのです。 だからいつも「無限の無限の幸せが一杯」というふうに味わい続けて欲しいわけです。

質問:
 そこには、難しい哲学とか倫理だとかそういうものは何も必要なくて、ただ瞬間受けるだけですね。

ありがとうございます:

 そうです。 ただ受けるだけがいいのです。受けてそれを味わう楽しみだけがいいんです。人間の心の働きで、「思う働き」と「感謝の働き」はぜんぜん異質の正反対の働きなのです。 「思う」というのは一つしか思わないでしょう。思い通りになっても、一つの事だけが叶うだけなんです。 でも感謝というのは無限に広がるのです。障害が消えてしまうわけなんです。ぜんぶ見えてくる。感謝に生きるほど視野が広くなって、光り輝いた世界が、全部スーと入ってきます。

思いを消す

質問
物の見方や考え方の癖というものを外すためには、感謝をすることで、その時間を占めないように外すということですか?

ありがとうございます
だから、
感謝だけを積極的にしていけば、思いが消されていきます。 すると思わなくなる。感謝を忘れると、どうしても感謝の光の心の波が、思いに変化してしまう。古いものにです。

自分の心が環境に映る

質問
例えば、スタッフが、どうしても自分の思いとは違う、言いなりではなくて、会社の方向と違う、そうすると、自分は「僕が一生懸命やってないからだ」と思ってしまって、最終的には、もの凄く僕は後悔するし、逃げというか、自分の気持ちの中でどうしたらいいんだろうというのを味わったんですよ。 私が悪いんじゃないかと落ち込んだんですよ。それに合わない人達は自分から出て行くんでしょうか。それでも、全員引っ張って行かないといけないのでしょうか?

ありがとうございます:
 先ず根本は、自分の心が環境に映るんです。 自分の心さえ変えたら環境も変るんです。自分の心の波の合うものだけを引き寄せるんです。波の合わないものは近寄れない。 ちょっと我の強い思いが出て来たとするでしょう、回りに我の強い姿が一杯映るんです。我と我がぶつかり合う姿になるんです。 でも、我の心で我は消せないんですね。丁度、煙を煙で払っても、煙は消えないですね。 だから別の心を持ってこないとだめなんです。光の心・感謝の心ね。そうしたら煙は消えるのです。我の思いが全部消えてしまうのです。そうすると光の心が、大きくそこに出てくると、周りが大きく光り輝いた姿に変化する。根本は自分の心だけなんです。 「心に何があるか」だけなんです。神さんの光が一杯になっているか、それとも我の心が一杯か、ということでしょう。我の心がある時は、神さんの光を受けなかった、それだけなんです。我の心は闇の心です。光を受け入れなかったというだけのことです。 感謝して神さんの光を受けたら、明るい喜びの幸せの心一杯になれるわけです。そうしたら周りが極楽世界の姿をとってくれます。

質問:
 すぐには、だけどならない。

ありがとうございます:
 なるんです、すぐになるんです。すぐになります。 闇の心は光を持って来たらスッと消えるでしょう、瞬間に消えて行くのです。 だから、もう感謝を一心に繰り返したら、すぐに明るくなります。光の方が強いんです。間よりね。だからどんな我の思いも、感謝し出したら消えてしまう。「ありがとうございます」を唱えながらでも「周りの闇を気にしてる」というのがあるでしょう。まだ闇を掴んでるわけでしょう。光だけを認めるのがいいんです。「神さま」っていう「無限の無限の大光源の中心に自分が置かれているんだ」という。それで「ありがとうございます」を唱えたら光りばかりじゃないのです。 闇を探す方が難しい、「人間の心の闇」というのは、目を閉じているか、光りに背を向けているかなのです。本当の闇というのは大したことないのですよ。本当は光だけの中に置かれているのですね。目を閉じて「暗い暗い」と言ってるか、光源に背を向けて「大したことない」と言うてるかなのです。

「ありがとうございます」の意味

質問:
 日本語の「ありがとうございます」の意味ですが、他にも何かいい言葉があると思うのですが、この「ありがとうございます」には特別な意味があるのでしょうか?

ありがとうございます:
 先ず言霊的には「あ」が、「光」とか「光源」ですね。その神さまの働きが、常にらせん状に宇宙の全てを生み出します。 「り」が、らせん状に無限に進展するという意味を示しています「が」が、「輝きに輝く」という、無限に無限に輝く、という意味でダブるんですね。 「か」が、ダブって「我」になるんです。 「とう」で、すべての時間・空間に、全部にという意味です。「あまてらす」というのもよく似てるんですよ。 無限に無限に輝く姿を「ありがとう」とか「あまてらす」という意味に捉えます。 だから、英語のサンキュウでは「人に感謝する」というだけでしょう、小さいですね。漢字で「難あり有り難し」といっても、捉え方があまりにも小さすぎますね。また「有り難しって」意味でね、「神仏の働きがなかったら、何事も存在出来ないんだ」というのも、まだ浅い捉え方ですね。 だから「無限に無限に輝いている」というところまで心を入れていかないと、本当の神さまの働きを捉えるところではないです。それもまた「あまてらす」というと、神道の人には受け容れやすいですけど、仏教や他の宗派では受け入れにくいですね。
 また宗教的な言葉だと、科学者や芸術家なんかは受け入れないですね。だから、誰でも受け入れられて、最高の助けを受け入れられる言葉というのが「ありがとう」「ありがとうございます」という究極の神さまでないと難しいですね。「ありがとうございます」は、誰でも唱えられるでしょう。どんな唱え方をしてもいいですね。小さい助けが必要な人は、小さい助けを受けて、大きい助けが必要な人は、大きい助けを受けられます。もう自由自在なんですね。その助けも全体から来るのです。特定の場所からやない、必要ならどこからでも、全体から常に助けが降りてきます。

マイナスは何故起こる

質問:
 その全知全能の神様があるのならば、マイナスのことは何故起こるのですか?

ありがとうございます:
 表現ですね。 神さまの表現は、絶対をプラスとマイナスに分けるでしょう、プラスの無限大と、マイナスの無限大の両極に分かれるわけです。それをらせん状に組み合すのです。その表現が、マイナスの無限大からプラスの無限大まで、無限の無限の段階の表現が、そこに生まれるんです。表現としては、ゼロからプラス無限大の表現までも、素晴らしいんですけどやはりちょっと浅いですね。マイナス無限大からゼロまでの表現もあり、ゼロからプラス無限大までもあり、というのがいいですね。 光だけの表現では、本当の光のありがたさがなくなるんですよ。慣れてしまって当たり前になるのです。閣があるから、光が浮かび上がるのです。マイナスの無限大という闇の極から、ゼロまでの間に「虚の光」があるわけです。闇がどんどん薄らいで行くわけでしょう。そこに見えない「虚の光」がどんどん大きくなって存在するわけでしょう。ゼロからはプラスの「実の光」が、どんどん無限に大きくなります。本当は「実のプラス無限大の光を味わう」、それを「どこから味わう」というのが目的です、ゼロからだとまだ浅いのです。
 マイナスの極からの方が、無限の無限の価値が生まれるんです。 表現として、最高のものを味わう為に、必ずマイナスの極を原点にするんです。だから「八百万の神様」という意味は、幾通りも解釈があるんです。天照大御神様の分身としての八百万の神様という時は、形あるものを生み出す全ての奥に働く、神通自在のプラスの働きなのです。普通、この世とか、幽界とか、神界とか、これ全部、形ある世界物質のある世界なのです。この世に肉体あり、幽体あり霊体、神体あり、これ全部物質がある世界なのです。その奥に働くものが八百万の神通自在の神様なのです。本当の意味のね。 だから、神界にいてる神様が八百万の神様じゃないんです。神界の姿は、八百万の神様によって、生み出された結果なんです。だからすべての世界がそうなんです。 ところが神界や霊界から見ると、この世に対しては、やはり次元が高いので自由自在に、この世へ働き掛けが出来るわけです。神界の神様も八百万の神様にこの世の人は思うわけです。 でも、本当の八百万の神様じゃないのです。そういう似たような関係がいっぱいあるわけです。

質問:
 それが、何故、人間だけに…・。

ありがとうございます: 
 いや、違う、みんなにあるのです。 全てにあるんです。

空と無…般若心経から

質問:
 「空の世界」、と「無の世界」とありますが、どういう世界ですか?

ありがとうございます:
 仏教の「空」は、「無限の無限プラスの根元」絶対なんです。本当はね。無とは違います。何にも無いんじゃないんです。 「空」を「無」と一緒にすると大きな間違いなんですね。般若心経の解釈は、本当はいろんな解釈があるのです。難しいですけどね。光源をしっかり見つめて、丁度、本当の太陽をしっかり見つめてどんどん光が来て、地球だったら地球の大気圏に入って光体が生まれます。太陽という光体が、仏教で言う「空即是色」の「色」なんです。 「空」の方は本体の太陽なんです。だから光源をしっかり見つめないとだめなんですね。深いお祈りを通して。その時に「色即是空、空即是色」の「光源と光体」が一つになるのね。光体として「無限の無限の輝きを捉えたら一切の闇はない」というね。だから「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄」です。 「照見五蘊皆空」というのは、全ては光体に見えるわけそして「一切の苦厄を度す」というのです。 「観自在菩薩」というのは、命の本当の自分です。その自分が深いお祈りをしないといけない。 「行」というのは、深く行ずる、「深く祈る」という意味ですね。 「般若波羅蜜多」というのが感謝のお祈りなんです。無限に無限に輝いているというお祈りなんです。 だから無限の無限の輝きが一杯というふうに、感謝のお祈りをすると、全てが大光体に見えるわけですね、無限に無限に輝いた光に見えるわけです。 そうしたら「般若心経」の本当の意味がわかります。現実に見てるいろんな姿全部「無い無い」尽くしで、否定してしまっているでしょう。プラスやマイナスなんて、本当は、光体を見つめた時は、全部消えてないんです。 「空」は、無限の無限のプラス、そういうふうに捉えるのがいいですね。 「無」はもう何もないのです。

現実をどう見るか

質問:
 地球上の人間の役割は、まだまだ必要なんですか、よく末期とかいいますけど。

ありがとうございます:
 末期というのは、人間が勝手に作り出すような感じでしょう。無限の無限のプラスを受けないから、末期症状になっているわけですね。 だから受け入れたら、即 全部消えてなくなるんです。
 感謝をし始めたら、いつも無限の無限のプラスー杯なのです。光り輝いてしまって「どこに間があるのか、マイナスがあるのか」ってなってくるんですけど。 だから、今まで皆感謝を忘れてたわけですね。過去ばっかり掴んで新しいものを受け損なった状態を続けてきたわけでしょう。それで良いものがない、良いもの
がないって探し回ってたのです。  感謝をし始める人が増えてきたら、勝手にプラスが一杯になってしまうんです。
 現実だけ見ているのは、神さまに背を向けてる生き方なんです。「現実だけ見る」というのは。 神さまの世界は、自分の心の奥にあるわけなんです。心の奥へ心を向けて、神さまの方へ向かないといけないですね。それが出来たら、現実を通してもどこからでも神さまを見ることができるのです。 そして「全てが神さまの現われ」というふうに見れるのです。一旦は神さまに心を向けないとだめですね。

 現実を無視して、現実に目を閉じて、心の内面へ心を向け続ける。外への感謝よりも、中へ感謝する。 一旦神さんを認めてから、それで内面も外面も全てを通して神さんを拝み出したらいいですね。
 五井先生が修行時代に守護神さんから言葉を頂いたというでしょう。 
「百知は一真実行におよばず、誠実真行 万里を織るに勝る」
 素晴らしい言葉ですね。
 「百知は一真実行におよばず、誠実真行、万里を織るに勝る」本当の実行のお祈りですね。 「ありがとうございます」なんですけど、百知るよりも一つの「ありがとうとざいます」の方がいいんですね。「誠実真行」「誠を込めた真実の行い」というこれも感謝ですよね。「万里を織るに勝る」「万の理屈を織るよりも勝る」となるのね。 やっぱり、実行なんです。一回一回「ありがとうございます」を実行すれば、全てに勝る生き方なんです。 神さまを直接知ればいいんです。神さまの助けを、光を、直接受けたらいいだけなんです。後は何にも必要ないです。
 だから、現実の世界を良くしようと思わなくてもね。 神さんの世界は無限にいいものが既にあって、「受けて欲しい、受けて欲しい」って待ってるわけです。だから現実を相手にせずによいものを心に受け入れたら置き換わるのです。 病気になっても「病気を治そう」って取り組まなくても、「無限健康ありがとうございます」って感謝してたら、病気は消えて健康が出てくる。すべてがそうなんですよ。 豊かになりたい、というのでも「一生懸命働いてお金もらおう」と思うでしょう。必要ないのです。「無限の富で一杯」って感謝してたらいいんです。

霊魂魄

質問:
 人間の魂というか霊、死というのと、それはどういう仕組み、その境界はどうなんですか?

ありがとうございます:
 本当は一つにつながっているのですが、霊が元にあって、魂があって、肉体があるんですね。 だから、光源に近い方が霊なんです。命・光なんですね。それが段々と末端に行く程、魂になり心になり、肉体になりって、それで消えて行くのです。奥にある光が強いほど、魂が消え肉体が消えるんです。

質問:
 霊の部分では、かなり大きい部分で共有する集団というか命、そこで交わっている。

ありがとうございます:
 そうですね。 だから奥へ行く程一体感が強いのです。 バラバラって感覚はないのです。一体感があって全部が生かし合い助け合いですね。

質問:
 隔てはなくなって?

ありがとうございます:
 なくなっていきますね。それでも働きは同じかというと違うのです、全部違うのね。 みんなが助け合いの姿をとって、働きが全部違うのです。

「ありがとうございます」の数と質

質問:
 「ありがとうございます」の数と質というと変かなあ、数を語ることもいいし、心を込めて中身をしっかり、どっちも重要やと思うんですけど。

ありがとうございます:
 そうですね。最初は自分が回数多く唱えるとするでしょう、それでいつも内容を濃く唱えようとするんです。どれも一生懸命されるといいですね。 その内に段々と「自分の」ではなしに、神さまにしていただいているというのに変るんですよ。

質問:
 では取りあえず数ですか。

ありがとうございます:
 (ははは)数が大事、というのは、余計なことを思わんとするんですね。 「ありがとうございます」を言っている時は、マイナスを思わないでするんですね。すると、神さんの助けを受け続けるばっかりで、どんどん、どんどん過去世から積んだマイナスも全部消してもらえるのです。 思いが出なくなるように変えてもらうのです、早くね、すると、感謝がどんどん深くなって、本当の感謝がわかり出すのです。 そしたら、今度は自分が、この世から感謝しているのではなしに、神さまが感謝しているのを自分が受けてるだけの感謝になる。 神さまの感謝が自分の感謝に置き換わってくるのです。

質問:
 電話がかかってきたときに無意識に「ありがとうございます」、電話一本が「ありがとうございます」。電話を頂いたことが「ありがたいなあ」と「ありがとうございます」というような思いでしてるんです。口癖に最近なりつつあるなあって。車を運転してて、「ありがとうございます、ありがとうございます」言うのはただ数言うてるだけかなあ、と思ってしまいます。

ありがとうございます:
 でもね、唱えるだけで神さんの助けが降りてくるのです。 実感として段々と無限の無限の輝きが一杯という実感が出てくるようになるのです。

質問:
 じゃあ、取りあえずは数。(そうそう)その内に質が中身。

ありがとうございます:
 そう、質がどんどん変化します。

質問:
 目標としては一日どのくらい?

ありがとうございます:
 十万回でもいいですよ。(はははは)一万回唱えたら大したもんですね。余計なことを思わんで済みますよね。

質問:
 今こうしてお話を聞いている中でも、心の中は「ありがとうございます」がどうしても続いてるんですけど。取り敢えず一万回。

ありがとうございます:
 一万回ね。(はははは)早かったら一時間でかなり数えられるでしょう。 一秒に一回で一時間で二千六百回でしょう。そのぺ一スだったら三時間で一万回越えますね。 別に口に出さなくていいんですよ、声に出さなくていいんです。「ありがとうございます」を心で唱えるのが早いですね。

質問:
 言葉にすると時間かかりますね。

ありがとうございます
そうでしょう。 それでも早口だったら一秒かからんでしょう。 ありがとうございますありがとうございます…。

皆徳を一にせんこと

質問:
 先生は怒ったことは、過去に無いのですか?

ありがとうございます:
 なかったですよ。小さいときから。(ははははは)

質問:
 むかっとすることもない。

ありがとうございます:

 もうぜんぜん腹は立たないですね。 教育勅語に「皆徳を一にせんこと…」とあるでしょう。だから自分がお祈りして徳を積むとか、いいことをして徳を積むんじゃなしに「皆その徳を一にせんこと」自分のお祈りはみんなの為のお祈りで、みんなのお祈りは、自分の為のお祈りで、自分のお祈りは神さまの為のお祈りで、神さまのお祈りは自分のお祈り、というふうに、全部一つに束ねてみるのがいいですね。 だから、自分が祈っているのは神様の為、全体の為のお祈りです。 自分が祈ってない時は、みんながみんなが自分の為に祈ってくれている。神様が祈ってくれてるんだってね。常に祈り続けている自分。それなら楽になるのです。 

 だから、一回の「ありがとうございます」が「無限の無限のありがとうございますなんだ」と思うのがいいのです。一回やないのです。無限の無限の回数の「ありがとうございます」やね。それが一回の「ありがとうございます」で、自分が唱えさせてもらっているというふうにね。 だから、みんなのお祈りを、代わってさせてもらっているのです。 そういう意味が「無限の無限のありがとうございます」です。

質問:
 それは、自分一人が何万回唱えるより、周りの人が百人ぐらい千回唱えている。それも、意味としては凄いですね。

ありがとうございます:
 本当そうね。

神様が自分を通して働く

質問:
 いろんなお話をしてくださる人で、段々変質してくる。 それは、安心というか、傲慢というか、感謝の気持ちが薄れて来るが故に、方向が変わってくるんでしょうか。

ありがとうございます:
 そうですね。 だからいつも謙虚に神さまの方へ向き続けて神さまに自分が使って頂いているんだ」という謙虚な感謝があったら、いつも神さまが自分のところで働くわけです。そうすると変らないです。 どんどん神さまの助けが大きく降りて、神さまがいい姿をずっと与え続けてくれると思うんですけど。でも、神さまに向くのを忘れてしまいます。 自分が上に立って逆に下を見てしまいます。下を見るとやっぱり下の姿が心に入りますね。心にマイナスが入ってくるのです。自分の心にマイナスが増えたら、自分がマイナスの姿をとるしかないのです。 だから自分が何かするんじゃなしに「神さまが自分を通して働いてくださっている」という感謝だけがいいんだと思いますね。

模型

質問:
 そうすると、宗教で拝むということですが、それを拝まないといけないとかは、関係ないんですね。

ありがとうございます:
 それはもう、小さい模型の模型の模型なんですね。 模型なしに本体を掴むわけでしょう。今度は逆に邪魔になる。でも後から来る初心者には、必要なんで、壊す必要はないですね。 地球を見るのでもね、地球を直接見れば、地球儀や地図はいらんのですよ。 でも大きく見れない場合は、地球儀があったら教えやすいでしょう。地図もある方がいいですね。 だからそれは、模型の模型のもう一つ小さい模型みたいなものです。仏壇もお墓も全部ね。

お経

質問:
 そういう神の作った真理というものを伝えるものとして、それがお経であったのですか。

ありがとうございます:
 そうですね。お経自体がそれを指し示す言葉なんですね。

質問:
 お釈迦様が直接作ったお経は存在しないそうですが、空海さんが作ったとされる般若心経はその中で、かなりそれを表現されているのですか?

ありがとうございます:
 お経自体は、かなり真理を説いていると思うんです。弟子が聞いて後で弟子が編纂したとしてもね。また後世の人が霊感を受けてそれを作ったにしてもね。

質問:
 それは部分部分の方法を表現しているんですか?

ありがとうございます:
 そうですね。でも今の時代は、今の時代に合った言葉での表現の方が、分かりやすいですね。 般若心経が真理を説いているといっても、昔の言葉だとなかなか意味が捉え難いです。どうしても誤解しやすいですね。 「唱えたら効果ある」くらいしか思えない。中の意味を理解せずに、教えだけを繰り返し唱えているみたいなものでしょう。

質問:
 では「ありがとうございます」を念ずるにしても、そういう真理の絶対を意識するのをプラスして念ずることの方がいいのですか?

ありがとうございます:
 そうですね。 段々と「ありがとうございます」を唱えている内に、プラスされてくるのです。中からどんどん理解が深くなって、中味が濃くなってきます。魔法の言葉ですね。本当にね。

シール

質問:
 シールなんですけど、シールを皆さんに配るっているんですが、どうなんでしょう。

ありがとうございます:
 いいですよ。 配ってそれを使うだけで、祈りが広がってるのです。 貼っておくだけでそこから光がず一つと出続けるのです、放射され続けるのです。

質問:
 私のところで、お店に置いてあるとなくなってくる、というのは、持って帰ってもらってるんだと思うのですが、これは何なのでしょうか?

ありがとうございます:
 光が振りまかれているのです。どんどん。それがマイナスをどんどん消して行く働きもしてるのです。

地球という船

質問:
 世の中のこれから政治も経済も行く末を心配する声が多いんですけど、乗ってる船自体がどっちへ行くのかな、どういう方向に行くんでしょうか?

ありがとうございます:
 そうですね。 地球という船が、どこへ行くのかっていうのね。でも、一人、本当に深いお祈り、感謝する人がいてたら絶対大丈夫なんです。 神さんの助けが大きく降りてくるんです。神さんは絶対強制はしないので、人間の自由意志を尊重するのです。 だからお祈りして感謝して、神さんの助けを受けようとする人がなかったらどうなるかわからないですね。 でも、一人でもいてたら必要な大きい助けを降ろしてもらえるのです。必要な助けを降ろしてくるのです。「地球を覆って欲しい」という願いがあって、感謝すれば、一人の人でも感謝してたらそこへ大きい力を降ろすのです。「必要だから」ってね。だからちゃんと覆ってもらえるです。それがどんどん増えてくれば、もっと降ろしやすいよね、プラスをね。 ただ、地球上の一人一人が問題なんです。一人一人に、強制的にプラスを一杯与えるわけにいかないのです。本当に「必要」と出合わないといけないのです。その為に行き詰まってマイナスに飽きてきて、その時間的な経過って必要でしょう。そしてプラスを願い出すのです。必要としだすのです。 そうすると「ありがとうございます」とお祈りする人の力が、そこで大きく発揮されてくるのです。神様の無限のプラスを受けてそこへ届ける働きになるのです。そうすると急速に世の中がプラスに変化するのです。

光のネットワーク

質問:
 そういう意味でのネットワークというか、共に念ずる場があるのが望ましいのですか?

ありがとうございます:
 そうですね。 感謝する人のネットワーク、光のネットワークですね。それが世界に網の目に張り巡らされて「何があっても大丈夫」となるんです。

質問:
 ありがとうございます村が、増築された後ここはどんなふうになるのですか?

ありがとうございます:
 ここは、何もないのですけど。 ただ泊りに来てくださる方の為に、まあ百人ぐらい泊まれるようにしておいて、自由に利用してもらおうと思っているんですけど。もっと必要になったらまた別に場所が出来るかも知れません。 でも、ここは中心でもなんでもないのです。あくまでも「ありがとうございます」という最高の神様が中心なんです。 
ここはちょっとした出先機関ぐらいで・・・みなさんが、それぞれの出先機関になって、大きく働いていただく方がいいんです。 だからこういう場所が、世界に沢山あった方がいいですね。 だから皆さん一人一人の神様の、言うたら「セールスマン」「天の使い」なんです。光を振り撒く為のね。

質問:
 今後、自分で願ったり祈ったりしますけども、今後どうしたらいいんでしょうか。自分一人一人が、どこかへ何かを伝えなくてはいけないでしょうし、伝わって行くのでしょうか。

ありがとうございます:
 もう、「ありがとうございます」を唱えていると神さまに使って頂くのね。 そしたら神さまが自分を通して働く力が本物なのです。 だから人と出会っても、自然にスッと伝えるチャンスを増やしてもらえるし、また向こうの方から訊ねてくれたりいろいろしてくれるのです。それはみんな神さまの計らいです。 人と人との縁結びもそうですね、みんな神さまが働いてくれるです。

どんな唱え方しても助けを受ける

質問:
 その言葉を「世界中にありがとうございます」というふうに言った方がいいですか?

ありがとうございます:
 別に宗教的な信仰をしてなくても出来ますものね。唯物論者でも出来ますね「ありがとうございます」はね。 どんな唱え方しても助けを受けるので、でも皆さんここへ来られたのも、自然に神さんに導かれてるだけなんですよ。 役目があって神さんのご用に使って頂く為の働きが、こういうふうに出てくるわけでしょう。みんなもう時期が来て、自分の持っている役割を的確に果たして行くんです。 それはもう最初から決まっているようです。神さんの方でね。それで神さんの方から助けが降りて、自然に、譲られて導かれて、ちゃんとなって行くんですね。 だから人が計画して何かをしてるという感覚じゃないのです。神さまが計画して神さまが動かしているという。全部神さまが責任持ってバックアップする。「ありがとうございます」を一回唱える唱え方にも、その無限の価値を見出す方がいいんですね。神さまが唱えてくださっている「ありがとうございますなんだ」というようにね。   そこにはもう「無限の働きと無限の力と無限の価値があるんだ」とね。その方が自分にとって、大きい得なんですよ。小さく考えたら損する。大きい助けを受け損なうし、拒絶してしまうことになる。だから一年に一回「ありがとうございます」を言うだけでもいいんです。 (はははは)一年分持つんです。(はははは)無限の光がバーっと一年間輝き続ける。

お祈りだけの役目

質問:
 今まで先生は、外には出られなかったけども、今後ともこれは受け入れられるのですか。基本的に昨日お聞きしましたら、なにか労働奉仕をしなければと言うことでもないようですが。

ありがとうございます
 ないんです。 それは自由です。でも、ここへ来られるのは、みな神さんに導かれてしか来れないみたいです。必要な人だけが来てくださるようになっていると思います。 なんぼ人に「行きましょう」と言うても「嫌」という人が大勢いてます。(はっはははは)それで何にも知らんと、スッと来る人もいてます。(はははは)だから神さんの方は全部知ってて、必要な人はちゃんと神さんが引っ張ってきてくれるのです。
 
私はもうお祈りだけの役目なんですけど、そういう人だったらいつでも喜んで会えるのです。 みなさんは「ありがとうございます」を唱えながら、自然に生かされているだけでいいんです。 神さんの方が、自然に導いてくださるのではないでしょうか。
ありがとうございます。