ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます

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以下(いか)のコラムは宗教(しゅうきょう)サイトではありません。古神道(こしんとう)研究(けんきゅう)ノ−トです。
またその内容(ないよう)に責任(せきにん)を保持(ほじ)していません。さらに著作権(ちょさくけん)も行使(こうし)しません。
どうぞ自由(じゆう)に使(つか)いまわしてください。できればちょっとアレンジしていい感(かん)じになったよというのをどんどん、是非(ぜひ)メールでお知(し)らせください。

ar36五井先生 2002.05.06
質問者:
 瞑想の時間に五井先生のテープが流れています。これには意味があるのですか?

ありがとうございます:
 五井先生はお祈り一筋に一生を終えられた方です。お祈りの本尊・神様という方です。奥の本体は物凄い大きい光を放っておられます。お祈りに関しては五井先生の拍手とか口笛の響きは強い光が流れています。それも1番自然な響きです。この口笛も人によっては鳥の鳴き声に聞こえたりカナカナゼミの鳴き声に聞こえたりカジカガエルの鳴き声に聞こえたりします。自然な響きとよく似てるのです。違和感が全然ないです。大自然から流れて来る響きと本当に1つです。清めの光が自然な響きとして強い光の必要な人には強い光が行くし、柔らかい光が必要な人には柔らかい光が行きます。光までも加減して与えて貰える様な感じです。バックミュージックとしては1番相応しいです。色んな素晴らしい音楽も良いですし自然な響きも良いのですが、「ありがとうございます」は何でも来いなんで何でもその中に含まれているので良いものはどんどん活用して貰うのが良いのです。そういう意味で五井先生のテープを活用させて貰っています。
 お祈りは心を大きく広げるのも必要なんです。「ありがとうございます」で、そのまま心が広がっていくのですが、例えば「世界人類が平和でありますように」と心をグッと広げるとまた光を受け易くなります。世界が自分という感覚になり易いのです。そういう意味で心を広げる祈り言葉もあって良いのです。そういう意味で使わせて貰っています。

 「ありがとうございます」を唱え続けて
質問者:
 色んな宗教の勉強をされた中で究極の「ありがとうございます」までに至ったお話を聞かせて下さい。

ありがとうございます:
 私は3歳ぐらいの小さい頃から自然に「ありがとうございます」を神様の助けで唱えさせて貰っています。小さい頃は相当、耐乏生活をさせて貰って色んな苦労を体験させて貰って感謝を深めさせて貰ったんです。私の両親は和歌山出身なんですけど、どちらも親兄弟を全部早くに亡くして孤児同然で育ったので親の愛を余り感じてないです。それで頼るところが神様しかなかった感じで神様が親代わりのような感じで色々指導してくれたみたいです。そういう所に私は生まれさして貰って何時も神様を身近に感じていました。本当に護られた感じで何時も導いて貰っていました。私にもそういう役目があったのかも知れません。「ありがとうございます」をズーっと唱えさせて貰う役目で、本当の「ありがとうございます」を意味を分からせて貰って、こうして皆さんに話させて貰っていると思います。私の努力とか力とかは何もないのです。ただ神様の方から与え続けられている感覚です。お祈りもさせて貰っているだけです。させて貰っていると言うよりも神様が中に入ってして下さってる感じです。私が1番得をしているのです。
 小さい時からの色んな苦労も傍目から見ると何か大変そうに思うらしいのです。家もない。家財道具一切なしで6畳のトタン張りの小屋を借りて家族6人で住んでたんです。布団は藁布団を被って寝ていました。綿の布団じゃなく藁布団です。着替え1つなかったです。破れても繕う糸すらなかったです。食べ物でも毎日1食なかったです。その辺の畑の野菜くずを拾っては水炊きして食べていました。炊く燃料も買えないです。この辺では山があるので木くずが一杯あるから燃料に不自由しないけど、都会だったので木を探すのも大変でした。捨てられた下駄とか燃える物は何でも探し出しては燃料にしていました。電気水道もありませんでした。電気はあっても家まで引けなかったです。ランプ生活でした。それで色んな内職を一杯させて貰いました。お正月も近所の子供は遊んでいますけど、自分はそんな事は出来ません。内職を一生懸命させて貰っていました。安い内職ばっかしだったんでお金にはならなかったですけど、そういう苦労を10年余りズーっとさせて貰ったんで感謝が物凄く深まったんです。何でも有り難い感覚にさせて貰ったんです。傍から見ると何か苦労してるように見えるらしいですけど私は苦労に感じませんでした。それは「ありがとうございます」をズーっと唱えさせて貰っていたからだと思います。神様の大きい護りの中で苦労させて貰ったのです。何時も神様が指導してくれてたのです。どう生きたら良いか?どういう生き方が大事なのか?だから仕事するのでも人が1番嫌がる汚いきつい仕事を喜んで喜んでするのが1番神様の御心にかなうだよと言って何時も励ましてくれるのです。だから1番人の嫌がる汚いきつい仕事を率先して喜んでするように心掛けさせて貰ったんです。だから嫌な仕事は何もなかったです。何でも喜んで出来たし楽しかったです。それも全て「ありがとうございます」をズーっと唱えさせて貰えたお陰なんです。神様が中で唱えてくれたお陰なんです。全然苦に思わなかったです。そういう生活を小さい時から成人する頃まで唱えさせて貰って続けているんです。
 丁度20の時に今まで肉体の自分とか魂の自分という感覚が強かったですけど、20の時に魂の自分以上の宇宙大に広がった意識の自分に戻って、それに気付いたのです。肉体感覚が消えて魂の感覚も消えて大きい意識に戻ったんです。その時から初めて神様の心が分かりだしたのです。それまでは人生の目的は何かとか、色々考えては悩んでは色々勉強を一杯させて貰ったんですけど、その時からあらゆる悩みも消えて仕舞ったのです。常に神様と共に生きてる神様に生かされている感覚です。その時から本当の意味のお祈り一筋になったのです。自分の全てを神様に捧げ尽くして命も何もかも全部捧げ尽くして神様のお手伝いが出来たら良いなという気持ちでどうぞ命をお使い下さいという気持ちで投げ出したのです。その後も月の内3週間断食したり、人の3倍連日働いていたのです。ズーっとです。でもそれが全然苦にならんのです。ある意味神様を試してる一面もありました。どれだけ護ってくれるかという感じで限界に挑戦していました。それが楽しくて堪らなかったのです。それも色んな問題一杯目の前に与えて貰って、それを解決する為の取り組みというのが1番自分のお祈りを深めさして貰ったと思います。
 私も小さい頃からお医者さんになって人の病気を治したい夢が気持ちとしてありました。それが現代医学には向かなかったですけどお祈りで人の病気を治す、それをズーっと練習させて貰いました。人を拝む事によって「みんな神様なんだ、無限に輝いているんだ、みんな無限健康なんだ」と拝むことによって遠隔治療・遠い所に居ても治って仕舞うのです。何万人とあったのです。だから知らないうちに治して貰った人が一杯いると思います。それが私にとってはお祈りの修行・練習だったのです。全てを神様と拝む練習です。そういうお祈りの修行を一生懸命させて貰ったお陰で、その奥に神様の素晴らしい働きが一杯あるんだと気付かせて貰ったのです。無限の無限のチャンネルが既に神様から与えられています。先ず神ありきです。それで無限の無限のチャンネルがあるのです。人は常に宇宙の大道を歩ませて貰っています。本当に自由自在に生きられる様にして貰っているんだと気付いたのです。神様は人を絶対に縛ってないのです。自由に更に自由を与えて無限の無限の良いもの一杯与えて、それを受けて楽しんで欲しいだけなんです。ところが人の方が勝手に1つのものを掴んで、それに囚われてしがみ付いて小さくなって行って仕舞っているのです。今までの色んな生き方が良いもん掴んだらしがみ付きます。ところが神様は無限の良いもんを与えて自由な心で、その1つを味わって次にまた他のをというふうに、それを待ってるんですけども中々1つの良いもんに酔いしれて他に心が向かなかったのが原因だと思います。1つに囚われて仕舞ったのです。
 本でも無限の本が与えられたとします。みんな読んで楽しめば良いのですけど1冊感動したら多分それ手放さないと思います。あと無限の本があるのに中々そこまで心が向かないです。1冊で満足して仕舞うところがあるかも知れません。TVの番組が無限のチャンネルがあっても1つのチャンネルが物凄く良かったら何回も見たいです。そのうちにそれしかないと錯覚するのでしょう。今の時代は特に神様の心をしっかり捉える時期なんです。本物の時代はそうです。神様の心をしっかり捉えて本物の幸せを味わう時期なんです。無限のチャンネルを与えて貰っているので、その選択肢を無限に広げる時代なんです。今までは小さく掴んでいた、その縛りを解いて大きくしてくれる時代なんです。良いものを一杯見せてあげようという時期なんです。それに気付かせてあげようという時期だと思います。そういう意味で私を使って色んな事を先ず気付かせて、それをみんなにお伝えしなさいという感じだったと思います。そうでなかったら小さい頃から「ありがとうございます」を唱えさせて貰ってなかったと思います。
 
これは全然私の努力でも何でもないです。私は自分の努力では全然何にも出来ないと思っています。私の母が若い時から働き者で、小学校の時から大人の何倍も働いてたみたいです。自分が努力して働いたら絶対に幸せになれる様な感覚を持ってたのです。普通の人間の考えはそうです。努力して働いたら自分の力で幸せになれると錯覚します。ところが努力すら出来ない状態に置かれる時があるのです。普通努力出来たらそう思うのです。でも努力も出来ない状態に置かれた時に初めて自分の努力が無力だなぁと思うのです。その時に初めて努力は神様から与えて貰うもんだと、それに気付くのです。私も本当の努力は神様から与えて貰うしかないと早く気付かせて貰ったのです。それで自分の努力を捨てて仕舞ったのです。神様から与えられるままに受けるだけ、全てを神様にお任せして神様に自分を使って貰って神様の働きをして頂く感じです。私のお祈りは物凄く楽なお祈りです。自分で努力してするお祈りではないです。受けるだけのお祈りです。「ありがとうございます」と神様のお祈りを受けるだけなんです。物凄く楽なんです。これは神様から自然に与えられただけなんです。役目としてただそれを与えて貰った感覚です。だから何時からどう変わったか分からないのです。何時の間にか感謝を深めさせて貰って神様の助けを一杯与えて貰った感覚です。そんなところです。「ありがとうございます」。

 恋愛・結婚
質問者:
 今現在では恋愛観・結婚観が沢山あると思います。良いのでしょうか?

ありがとうございます:
 色んな考え方があって良いのです。人の考えつく、ありとあらゆる考え方全部神様の番組として用意して下さって、それを体験できる様にそこに幸せを見出せる様にして下さっています。ただその1つの番組だけを掴んで仕舞うとそれが正しいんだとなります。実際この地球上で過去の色んな歴史上で一夫一婦制もあるんですけど一夫多妻制もあります。色んな生き方があります。それ全部本当は良いのです。その恋愛とか結婚と言うのは相手を幸せにする為に必要です。そしてまた自分も相手から幸せを与えて貰う為に必要です。両方の幸せを大きくする為に必要なんです。何が相手を幸せにし、自分を幸せにし、周りを幸せにするかというのが1番大事です。だから本当は形の方は自由自在で良いのです。与え尽くす生き方が本物の恋愛です。求めると相手を縛りますし自分もまた縛られます。求めてする恋愛はちょっと縛られて苦しむかも知れません。本当に与え尽くすだけなら本当に相手の幸せの為に必要なものを与え尽くすだけになります。そうすると縛りは段々少なくなるかも知れません。元々神様が全ての人を愛して生かして幸せにしようとします。先ず神様を自分の恋愛の対象にすれば良いです。そうすると自分に必要なものを的確に与えて貰えます。それで本当の正しい意味の、この世的な恋愛も自然に可能になるでしょう。

 病気
質問者:
 病気に何故なるのですか?

ありがとうございます:
 色んな角度から見て行けます。例えば神様の命が本当に輝いて躍動してたら1番健康なんです。その輝きが少なくなると暗くなって闇(病)になります。命の躍動がしっかりしてると良いのです。だから正しい目的を持って本当に命を輝かせて躍動してる時は病気に絶対になれないのです。命の輝きの程度に応じて無限の無限の段階の健康の表現があると見ると良いです。病気の時はまだ命を輝かせてないんだ躍動させてないんだ。だから「もっと命を輝かせたら良いんだ」という感じです。その命の輝かせ方が神様に感謝して命を受ける・頂く事によって輝き躍動するのです。感謝するとどんどん命が輝きます。そうすると健康がどんどん大きく増進されて病気であったのが健康に置き換えて貰えます。病気は健康がない虚の状態です。健康を持ってくれば良いのです。命を躍動させたらそれで病気が消えるのです。健康に置き換わります。

質問者:
 命を躍動させてない状況は自分で作り出してるのですか?

ありがとうございます:
 神様の命を受けてないという事です。まだ神様を受け入れてないのです。感謝を忘れたら受け損なうのです。感謝によって神様の全てを受け入れるのです。「ありがとうございます」と言えば神様の全てを頂けるのです。そうすると命も輝いて躍動して出て来ます。

質問者:
 その状況がどんなに最悪でも‥‥。

ありがとうございます:
 どういう状態でも神様を呼べば必要なものを与えて貰って全部良くして貰えます。必要だったら瞬間に病気が治ります。本当の奇跡がパッと起こります。それも1つの見方です。この世的に小さく見た時はこの世の病気の原因は沢山あります。自然の法則を侵しても病気になります。毒飲んだら可笑しくなります。不自然な生活したら病気がちになります。そういう自然の法則を侵すのも病気の原因です。また心の持ち方、心が色んな意味で暗いマイナスの心になると、それに応じた心の陰を肉体にうつします。肉体に現れた病気は全部心の種類に応じて変わります。心が陰を移すと病気になります。そういう心の原因をある意味、自分が自分の病気として現す場合もあります。自分に縁ある人を助ける意味でみんなのを振り替えて消す時もあります。身代りの病気もあります。ズーっと遠い過去生からマイナスのものを貯め続けると心に貯まります。それをいつ消すかです。消す時期が来たら消せるのですが、貯める時期は貯めるばっかしです。消す時期が来て消すだけの力が付いた時に、この肉体へ移し出して来ます。奥のマイナスの思いを全部浮かび上がらせて消す為にどんどん肉体へ現れて来ます。それで消すという働きが起こるのです。そうすると心が明るく澄み切って来ます。
 また心の波動をどんどん高める時は波動調整の意味で低い波を全部消し切る意味で肉体を使う時があります。波動の置き換えです。そうすると原因不明の病気になります。風邪引くのもそうです。軽いのは全部そうです。軽いのは波動の乱れなんです。波動のプラスへの置き換えで病気の姿をとる時があります。その他に色々この世的に見ても原因が沢山あります。先祖霊のせいであるとか、これも本当はあります。ただそれを自分の責任の元に受けるのが良いです。先ず自分のマイナスを先祖が先ず背負ってくれたという意味で、それを今力が付いたから返して貰って自分が今病気の姿で消すんだというのなら良いです。先祖の霊のせいにして責任を転化すると良くないです。みんな自分の責任という意味で色んな原因を探っても別に悪くはないです。全ての原因が感謝の心で全部解決します。感謝する事によって神様の助けを受けて神様の全てを受けて全部解決なんです。どんな場合も感謝する事によって解決して行くと思います。「ありがとうございます」。

 仕事
質問者:
 私の息子が「自分の希望する仕事がない」と言って大学を卒業をして2年も経つのですが今だにプー太郎の状態です。だからどんな所でも良いから働いて欲しいので、追い出そうと思っています。どの様に対応すれば良いのでしょうか?

ありがとうございます:
 仕事がないじゃなしに。人を幸せにする為の仕事は無限にあるんです。ただお金儲けが出来ないのが困りますが、ただでする仕事は無限にあります。でもただでする仕事が1番幸せを与えてくれます。ただでしても良いのです。
与えたものが必ず返って来るのが法則です。普通は手っ取り早くお金を先に手に入れようとします。それも働きが少ないのにお金を先に手にすると戻って来る幸せが小さいのです。法則なんです。だから自分が出来る人の為になる仕事を片っ端から何でもすれば良いのです。それが自分の能力も高め、また人を幸せにする事になって必ず与えたものが返って来ます。与える心でしてると神様の応援が大きいんです。神様からのプレゼント・助けを一杯受ける様になります。そうすると与えた以上の何10倍・何百倍・何万倍になって返って来ます。与えただけしか返って来なかったら大した事ないです。でも神様への恩返しの様な気持ちで与える心で人の為に尽くすと何万倍になって返って来ます。

質問者:
 私の様に年を取ると分かると思いますが息子の様に若いと分かって貰えないと思います。

ありがとうございます
 若い時はボランティアに生きる方が良いです。本当の仕事に出会えます。

質問者:
 「アフリカでも何所でもボランティアで行きなさい」と言えば良いのですか?

ありがとうございます:
 良いです。そこまで遠い所に行くのは勇気が要りますけど、身近な所に人の喜ぶ様なボランティアをしばらくされたら、そうすると良い仕事にスっと出会います。先ず与える心を起こして人の為に尽くしてると良い仕事がスっと舞い込んで来ます。そういう仕事に出合わせて貰えます。でもお金儲けを先に考えると、そういう仕事は今少ないです。競争して人のもん奪っても意味ないです。人に尽くす為の仕事は無限にありますから仕事がないんじゃないです。無限にあります。

 健康は家庭から
質問者:
 真弓先生に質問があります。「薬を使わない」「治療はしない」で、どんな感じで患者さんを見ているのですか?

真弓先生:
 私どもは学校の先生方とも交流しています。その方々と話す時にいつも言っている事は「治さない医療」と「教えない教育」とお互いに言っています。自分で治す医療・自分で考え自分で行動する教育が大事だと言っています。それを何所で気付くか。気付きの時期がいつあるか。それが大事なんです。それはむしろお父さんお母さんよりも子供が教えてくれます。子供が実行してくれます。昨日言ったように基本的に人というのは動物なんです。哺乳動物の事を色々話しましたが、猿の事は余り話しませんでした。昨日食べ物の話しをしました。子供は一生懸命自分で治ろうとしてる訳です。癒える訳です。子供自身も自分で治そうとして治るんじゃなくて自然に治る訳です。大人は子供より本能的な能力・自然治癒力が落ちる訳です。そういう大人達がもちろん良かれと思ってやる事なんですが、子供を治そうとか教育で子供を良くしようとか大人とか学校の先生がそういう邪念を持って子供に接すると子供が素直に伸びて行く芽を摘む事になります。子供がやっている事をそのまま素直に子供が本能的に求めているものに合わせて対応して行くと先ず病気がなくなります。
 猿とか色んな動物の事を勉強しているデズモンドウオリスという素晴らしい動物学者がいます。彼が人の場合に子供が親に対する要求をする時にどういう要求をしてるのか言っています。1歳まではホーミータイム・しっかり抱いて欲しい。兎に角何も考えずに素直に抱いて欲しい・おんぶして欲しい・添い寝をして欲しい本能的な欲求があります。1歳になったらテルミーダウン・下に降ろして欲しいとなります。小学校に入る頃6歳になったらエンミアローン・1人にして欲しい。22・3歳になる遥か前に1人にして欲しいと子供は言ってる訳です。それに対して何時までも逆をしていないか。そこでも昭和20年以前と以後ではハッキリと別かれます。以前は本当に川の字になってみんな寝ています。殆ど抱っこしてる訳です。自然にそうなってたのです。それが段々と西欧化される事によって意図的にやられた事ですが。添い寝は子供が場合によっては窒息死を起こす事がある。おんぶだとか抱っこは子供の自立を損なうとか言って逆の事をやった訳です。1歳まで抱かないで6歳から離れないで、つまり子離れが非常に遅れて仕舞ってるのです。子供が密着して欲しいと言われてる時に子供を1人で寝かせておいたり。1歳から離れたがって小学校で既に離れたがっている子供達を逆に何時までも手元に引き寄せ様としてるのです。大学受験の時に母親が付いて来るとか昔では考えられない事が今されている訳です。動物学的に言って子供が要求してる事と逆さまの事をしてるんじゃないかと思います。
 例えば健康面に関して言っても子供が実際にやってくれてるのです。小さい子供の頃を振り返って下されば分かると思います。1番近い動物が猿と申し上げた。猿というのは裸です。外で暮しているのです。外で裸で暮していれば病気はないのです。だけど人間は50万年前から不自然な生活をしています。火を使っている。住居に入っている。体毛が抜けてる。だから猿と同じ事は出来ません。冬に裸で外にいれば下手をすれば凍死して仕舞います。だけど限りなく猿に近い動物の生活は出来る筈なんです。猿に近い生活は限りなく裸に近い薄着の生活をする事です。薄着の場合は極端な場合、裸ですけれども、薄着の場合は子供がやってくれるのです。家の中でもしお父さんお母さんが衣類を沢山着せたら子供は必ず脱ぎます。必ず脱ぎます。冬であっても例外なく脱ぎます。靴下なんか殆ど脱ぎ捨てます。布団を沢山かけたら必ずはねのけます。そっちが正しいのです。ところが知識でマインドコントロールされちゃってますから、そういう形だと寒いんじゃないか風邪をひいちゃうんじゃないかと思って色々して仕舞い、そして見事に風邪をひいて仕舞うのです。子供がするもの・行動を冷静にお母さんが判断して子供の方に合わせて行けば、そんなに大きなミスは起きて来ないのです。ところが知識が邪魔します。
 Hさんという素晴らしいお医者さんが「知識は健康にしない」と言っています。もちろん知識は大事だけど知恵という土台を作ったうえで日本の分化・日本の生活環境という幹と根というしっかりと土台を作ったうえで人作りをしたうえで知識の枝葉を繁らせなくてはいけないのに土台作りが出来てないところに知識の枝葉を繁らせると折角子供が脱いだ衣類を着せ直す。折角脱ぎ捨てた靴下を履かせ直す。はねのけた布団をかけ直す。これが1番いけないのですが恐らく殆どのお母さんがかけ直してると思います。子供が求めてる事と反対の事をしてると思います。そういう事をしてると更に限りなく遠のきます。自律神経のバランスが崩れて仕舞う。ホルモンの分泌が乱れて仕舞う。特に副腎質ホルモンが出なくなります。良かれと思ってやってる事が悪循環で悪い方へ悪い方へ行って仕舞うのです。
 Tさんという人が「親が子供をガンにする」という本を書きました。ガンとは本来ない病気。なぜ病気になるのか?色んな心の問題とか生活環境も関係します。その中で10項目あげています。子供をガンにする。子供を喘息・アトピーにする。切れ易い子供にする。その10項目の中で2つだけあげますと。どういう子供が将来的に怖いのかというと、意思表示をしない子供・つまり反抗期がない子供です。自分が思ってても親の言いなりになっている。おじいちゃん・おばあちゃんの言いなりになっている様な子供は必ず何所かで鬱積したものが爆発します。意思表示をしない。笑わず・泣かず・怒らず。親にとってこんなに楽な事はないです。お母さん自由に出来ます。そういう子供達が将来的に色々な心の問題を生み出すと言っています。
 昨日過分な紹介をして下さったHさんとは15年以上の交流になります。もう20年近くなります。大阪に住んでらっしゃいます。私は東京なんです。よく電話を下さってました。感情を非常に表に素直に出す方で電話を通じても伝わって来る訳です。凄く明るい電話が入って来ました。「先生喜んで下さい」どうしたのかなと思い「はい」と言うと「先生喜んで下さい。息子が登校拒否を始めました」と。お母さんは疑問を持ってた訳です。少なくとも息子さんが行ってる学校はお母さんにとっては公立高なんだけど、こういう教育方法では子供は伸びて行かないんじゃないかと疑問を持っていました。ところが子供はそのまま行ってた訳です。そのうちに子供が「僕学校へ行かないよ」と言い出して「やっと言い出しました」と言うのです。何をしたか。その前に色々セークレットラン(?)と言って夏休みを使ってインディアンの人達と日本の人達と1ヶ月使ってランニングします。それを何年間もズーっと定期的にやっていました。だからインディアンの方達を一杯知っていらっしゃる訳です。小学校5年の時にインディアンに預けちゃったんです。子供が喜んで行きました。6年ぐらい経って素晴らしい青年になって帰って、今もう30越してるのかな今てんぷら屋さんで調理をやっています。その前に沢山ボランティア活動をズーっとやって、それこそインディアンの所から帰って来て職なんかありません。偉いのはそういう親子の姿勢なんです。息子さんは日本の小学校を出てないのです。だけど素晴らしい青年になったのです。教育ももちろん大事だけど、それよりも自然体験をするという事が非常に大事なんです。
 インディアンには「my」という言葉がないのです。私の子供なんて思っていないのです。みんなの子供なんです。私の食べ物なんてない、みんなの食べ物。私の家なんてない、みんなの家。私の土地じゃなく、みんなの土地なんです。
 教育で教えない部分の子供の自然な寮をやってる。衣類は薄着にする。外で裸は体毛がないから不可能です。だけど限りなく猿に近い温度差にするという事です。猿は外で暮してるから温度差がゼロです。Fさんという方がいました。農業をやってる方はご存知かも知れません。もう亡くなりましたが素晴らしいお百姓さんでした。その先生が「甦れ天然農法」という本を書いていらっしゃいます。その本の中に昭和20年以前と以降を比較して、今は暖身と言わないで暖房と言う。空気を加工してはいけないのです。お百姓さんですからその後はただ単に「だから風邪をひくんです」としか書いていませんけど「だから風邪ひくんです」「だから喘息になるんです」「だからアトピーになるんです」「だから心の乱れを生み出すんです」と。Fさんの本の中ではプラスマイナス10度と書いてあります。外の気温に対してプラスマイナス10度ぐらいが体毛が抜けた人間の過し易い温度です。体温の限界だろうと言っています。それ以上差がついて仕舞うと、外の温度と家の中の温度が10度以上の差がついて仕舞うとバランスが崩れると言っているのです。それはFさんが書いてある本です。
 小児科医が書いた別の本があります。その中に子供の赤ちゃんの方は自律神経とかホルモンの分泌は大人に比べるとまだ順応しにくいから10度では差が大き過ぎると言っています。逆に順応出来ない子供ほど厳しい環境に置かなくっちゃいけないと言っています。Yさんが書いている本の中では子供は5度の温度差と書いています。

質問者:
 私は札幌から来たんですけど。

真弓先生:
 札幌は猿がいないのです。猿がいない所は人が住めないのです。北海道の場合はまだ歴史が短いです。ヨーロッパの方は何千年・何万年と住んでいる訳です。遺伝子が違うのです。哺乳動物は産まれた所で死んで行くのです。札幌で産まれたキタキツネは札幌で死んで行くのです。人間の場合は移動する訳です。あなたがもしズーっと札幌にいるのなら牛乳を飲まざるをえないのです。パンを食べざるをえないのです。バターも使わないと餓死しちゃうのです。我々が今、ご飯・野菜を召し上がっています。心土不二という言葉があります。本来は自分が産まれた土地と自分の体を切り離して考える事は出来ないのです。それが本来の形だけど人の場合は2つ考えないといけません。自分が産まれた土地と過している土地が一緒なら今のままの生活を続けて良いのです。先祖代々、牛乳を飲みパンを食べ暖房もしてた。人が住めない所に人が住める工夫をしなくちゃいけないのです。大阪で冬の1番寒い時で何度くらいですか?0度とかマイナス1度くらいです。5度の温度差だと部屋の温度は5度です。Yさんの本の中にハッキリと書いてあります。赤ちゃんの部屋の温度はどのくらいが適当か。冬の場合だったら昼間が14・5度以上。夜は5度以上あれば赤ちゃんの発育には全く支障がないと。昭和20年以前大阪はもっと寒かった筈です。それでも暖房なんかはしてません。Fさんも言っていますが、その時どうするかというと暖身が大事なんです。体を暖めたり冷やしたり。空気を変えてはいけないのです。温度を変えてはいけないのです。

質問者:
 素足ですから。

真弓先生:
 そうです。ごめんなさい。靴下はいてないです。今日はネクタイもして来ました。ちゃんと書いてあるんです。「なるべく普段着で来て下さい。講師も含む」と書いてあったのを知っているけど、普段の習慣でして来ました。ネクタイはちょっと意味があったんです。歌を歌うと言ったんで私の友人がくれたんです。こっちが注文した訳ではないです。何かを貰おうとか何も思わない事です。欲しいものは自然に入って来るんです。何か目的を持って行動したら絶対にそれは適いません。何でも素直に無心でやってると入って来るんです。私のステージを見に来てくれる方がくれたりするのです。ネクタイに自分で刺しゅうして「先生これ今度ステージで使って下さい」と。世界で一本のネクタイなんです。それでちょっと着けて来ました。無心になる事が1番大事なんです。
 昭和20年代だったら先ず暖房をしてる家なんかありません。暖身の場合だったら冬は下半身を暖める。だから私の患者さんのお母さん方は湯たんぽをみんな持っています。今湯たんぽがないんです。

質問者:
 ここは大きいのがあります。

真弓先生:
 陶器の湯たんぽです。陶器の湯たんぽがないんです。特注なんです。でも家の患者さんの殆どはブリキの湯たんぽです。陶器だったら1万円くらいします。でも赤ちゃんの一生を考えたら安いものです。電気代なんかよりも。ちなみに私の家の1ヶ月の経費は電気代・水道代・ガス代含めて5千円で足ります。私は湯たんぽはしませんけど、足を暖める事が基本です。囲炉裏に手をかざすとか、炭のこたつ、電気ごたつは駄目です。炭のこたつで足元を暖めるとか、電気ごたつ・電気カーペット・電気毛布を使っている妊婦さんとただのシーツだけの妊婦さんと死産・奇形児の発生率は1対6です。喘息も6倍。アトピー性皮膚炎も6倍。だからその温度差が食べ物以上に大事なんです。夏になったら部屋の上を涼しくしたら良いのです。
 結婚して36・7年目今から10年くらい前に東京は暑かったんです。「暑いから買っても良いか?」と家内が聞くんで「ああ、買っても良いよ」で扇風機を買ったんです。36年目で初めて買ったんです。それまでは団扇と扇子でした。扇風機は下に置くのではなくて上にあった方が良いのです。レトロな映画を見るとみんな上にあります。生活の知恵です。夏は上を涼しくする。冬は下を暖かくする。頭寒足熱。健康を守る基本です。冷えは絶対温度ではないのです。上半身に比べ下半身が冷たくなる事を冷えと言います。暖房をしたら冷えを招きます。夏に外に出たら体は冷えないけど、冷房したら体が冷えちゃいます。そういう事の積み重ねが体だけじゃなくて、心と体を別けて考えちゃもちろんいけないので、心の方が遥かに大きいんですから、そういう体の変化が心の片寄りを生み出して、また心がマイナスのイメージを送る事によって体に悪影響を及ぼし悪循環を招きます。だから昨日ありがとうおじさんが言われたように病気は本来告げない方が良いのです。病気は知らない方が良いのです。病気を治すんじゃなくて体を元に治す。健康と病気を対立して考えない。同一線上にある訳です。
 同じ症状でもお母さん方の考え方によって、例えば鼻水が出た・咳をした・熱を出した。それを病気と考えるか元気と考えるかで全然違います。元気と考える人は限りなく自然治癒に傾きます。そこで1回苦労して自然治癒をしておけば薬などを使わずに次に同じ症状が出た場合に対応出来ます。病気でも何でもない。子供が治そうと一生懸命、熱を出してる。一生懸命、下痢してる。熱を出して下痢をしたりする事が1番病気の治療に良いのです。熱が高ければ高いほど病気は早く治るのです。下痢の回数が多ければ多いほど早く治るんです。
 1番良い例がO157です。平成8年に堺市で集団中毒が起きています。色んな事情がありますが、それは省略します。O157で亡くなった人達がいます。死者に鞭を打つのはつらいのですが、どういう人達が亡くなっているかと言うと、O157は72・3度で2・3分で死んで仕舞うばい菌なんです。冷蔵庫の中では生きています。病原菌の中で味方のばい菌が80%、ノンポリが20%です。圧倒的にばい菌は人間の味方なんです。1%くらいの病原菌は高温に弱くて低温に強いです。それが体に入れば子供は自分で治す訳です。O157などのばい菌と対抗する為に一生懸命体温を高める。お腹の中に入ったO157は苦しんでいる訳です。それを仮に解熱剤を使って元気と考えずに病気と考えて、熱を下げ様とする。子供がやろうとしてる事の逆さまをする。体温を下げたら喜んでいるのは子供ではないです。お腹に入ったO157は大喜びしています。子供が熱を出して苦しんでいるところを下げるからこんなに良い事はないです。お腹の中はばい菌が一杯増えます。今度は子供が苦しいから、それを必死になって早く外に出そうとします。ゆるくして回数を増やせば早く出て行く訳です。下から出し切らなければ吐けば良いです。子供が一生懸命やっているのに下痢止めなんかで止める。お腹の中にどんどんばい菌が増えてベロ毒素で死んで行って仕舞うのです。例外なく解熱剤と下痢止めを使った人達が亡くなっている訳です。つまり良かれと思って逆さまの方にしている。
 西洋医学は元々間違っていないのです。うんと古い事を言えば中国の周の時代、4千年前の周の時代には医者のランク付けがあった。1番上に来る医者が食医と言います。食べ物で治す医者です。その下に疾医があります。疾病の疾。薬を使って治す医者。その下に傷医があります。メスを使って治す医者。獣医さんには悪いけど、その下に獣医があります。それが4千年前周の時代の医者のランク付けなんです。
 紀元前ソクラテス・聖医と言われた人は「食で治せない病気は医もこれを治せない」とハッキリと言っています。西洋医学もソクラテスの流れを汲んだ医学ですから。西洋医学には5つの流れがあったんです。18世紀後半までは平行して5つの流派が続いていたのです。1つはホメオパシー。病気の原因になる様な物質を思い切り薄めて、それを少量づつ与える事によって抵抗性を付けて行く。ホメオパシーです。それから今日ハーブのお茶をご馳走になりましたけど、ナチュレオパシーとかあります。そういうハーブとかアロマテラピー・芳香療法です。ナチュレオパシー。心の面が非常に大事なんですから心の面から対応して行くサイコセラピー・心理療法。今の整体とはちょっと違うのですが、背筋を伸ばして。ありがとうおじさんもお祈りしてる時は凄く姿勢が良いです。正しい生活をしてるお坊さんは非常に長命・健康である理由の1つは、それこそ猿と同じじゃないですか。外と中の温度差がないです。冬の最中でも吹きさらしです。姿勢を正しくしています。読経はまさに長息なんです。読経をしてる時は1分間で2呼吸か3呼吸です。だから長命なんです。それと同じ様に背筋を含めた骨を正しく保つ。オステオパシー・整骨療法。もう1つアロパシーがあります。アロパシーは薬を使って治す医療。その5つが全く同格でソクラテスの時から2千年近く続いてた訳です。18世紀に入ってヨーロッパも堕落してくる訳です。国家的な規模でアロパシー以外の4つの療法を医学として認めなくしたのです。理由は簡単です。お金が儲かる医学はアロパシーだけなんです。残りの4つが切り捨てられて明治維新と共にアロパシーだけが西洋医学と誤解されて日本に伝わって仕舞ったのです。伝わった時にアロパシーがどういうふうに訳されたかご存知でしょうか?逆症療法という訳で伝わりました。
 病気を治そうとして熱を出してるのに下げちゃう訳です。病気を治そうとして下痢してるのに止めちゃう訳です。皆さん方は鼻も上手にかめる。痰(たん)も上手に出せる。何時でもここがスッキリしています。小学校に入るまでは子供は出来ません。ここに色んな分泌物が絡んで来たら咳をするしかないです。少しでも楽にしようと思って咳をする訳です。気管支が収縮してくるとぜーぜーぜーと苦しくなります。喘息はその典型です。それを楽にする為に自分でぜーぜーして深呼吸して気管を広げ様としてる訳です。そういう子供が体を楽にしようとしているのに薬を使って止め様としているのです。まさに逆症療法です。逆症療法という言葉が定着していれば薬は普及しようがないのです。何所でどうなったかは知りませんが、恐らく薬業か医療か政府か分からないけど逆症療法として伝わって来たアロパシーが何時の間にか対処療法という言葉に摩り替わったのです。それから薬が乱用される様になったのです。逆症療法という言葉がそのまま伝わったらそんなに薬を使う風習は出来て来なかった。これもやっぱり経済優先の影響です。元々西洋医学は間違っていなかったのです。
 根本的にいうと要するに自然なナチュレオパシーとかアロマテラピーとかサイコセラピーとかサイコセラピーは医者に頼らなくてもお父さんお母さんでも出来る訳ですから、オステオパシーだって家で出来る訳です。昔姿勢が悪いと物差しを入れられた訳です。医者に頼らずにお父さんお母さんが出来る事です。そういう事をやることが先なんです。そういう範囲を越えた場合・命が危険な場合に初めて医者に相談するべきだと思います。今掛かり付け医が問題になっていますが、とりあえず身近に対話が出来る医者を作っておいて、でも対話が出来る医者も限度がありますから、その場合は病院と関係のあるホームドクターを作っておいてその先生に相談する。(途中不明)人間関係も出来てない様な病院に行っても駄目です。色んな週刊誌なんかにも色々出てます。日本の名医とか出てますが安易に飛び付かない事です。それ以前にホームドクターを持つ事です。昔は私がそんな事を言わなくても家の中で本なんかも読まないで大勢のお子さんを体験を通じて立派に育てたおじいちゃんおばあちゃんが同居していらっしゃいました。近くに地域に知恵を持ったお年寄りが相談相手が居た訳です。今核家族化と共にその相談相手が居なくなって仕舞ったのです。マスコミなんかに乗せられるんじゃなくて相談出来る様なホームドクターを置いた方が良いのです。
 そして根本的に病というのは本来ない言葉によって、或いは心によってマイナスイメージが作り出しています。心の陰が体に現れたものなんです。もし現れた場合はプラスイメージで元気元気というイメージを送って行くのです。例えば昨日Nさんの手当ての話しをしました。同じ事でベポラックという薬があります。あれは熱を出したり咳が出た時にお父さんが塗ってあげるお母さんが塗ってあげると熱が下がります。咳も止まります。但しそれはベポラックのせいじゃないのです。お母さんが手を当ててあげるから治まるのです。ベポラックがないとお金が入って来ないのです。だから幾らでも医者が今やってる事をお母さんが家で出来る事が沢山ある訳ですから、それをやって自分の守備範囲を越えた時に初めて医者に行くようにして頂きたいのです。ありがとうおじさんが言うように求めないで欲しいのです。お金だけじゃない。病気を治そうとか治ろうとか、そういう事を求めないでいれば自然に治る。治そう治そうと思っている間は心のマイナスイメージですから何時まで経っても治らないです。病気はないんだと自然界に病気はないんです。少しでも自然界に近い欲のない相手を求めない自分を変えるイメージで対応して行って頂ければ良いと思います。ちょっと長くなってごめんなさい。

ありがとうございます:
 「ありがとうございます」

 ばい菌
昇先生:
 今のO-157について質問があります。O-157を防ぐ食べ方はありますか?随分古い話なんですが、昭和21年に上海に日本人収容所が戦争に日本が負けて出来ました。(途中不明)そこの収容所はテントを張って、トイレは穴を掘ってるだけ、揚子江の泥水飲んでノミ・シラミが物凄い状態でした。伝染病が流行ったら何時でも全滅するような状態でした。春から夏にかけて必ず毎年コレラが流行るのを知らなかった。そこで所員を集めてどうやったら今年のコレラを防げるか、何にもない訳です。医薬品も何も。そこで今でも元気で88で診療をしていらっしゃるI先生がいらっしゃいます。伊豆の大仁という所で会議をした。日本総合医学界という明治の石塚さりょうとかああいう流れでズーっとこの食養を今でも説いていらっしゃる内科のおじさんです。この方がこうおっしゃってた。「人間の体の中には、ばい菌のいない場所が1箇所ある。そこの力に頼るしかありません。ph1.5から2.5という強力な胃酸があります。どういう細菌も死にます。」この力に頼るとはどういう事か?軍の命令でこういう食べ方をしたのです。「食事の前後20分間は水分を控える。よく噛め。」これだけです。よく噛む事によって食べ物の中まで胃液が入る。それから水分を取らない事によって胃液が薄まらない。1人もコレラが出ない。半年出ない。みんな「帰りたい」と言います。その結果昭和21年150万人の兵隊、50万の民家人、全部で200万人ただ1人もコレラが発生する事なく無事に帰って来れた実績があります。
 5年前に岡山でOー157に子供達が感染しました。他の同じ給食を食べたクラスの3割は全く無症状。6割はちょっと下痢をしただけです。みんながみんななる訳ではありません。腸内細菌とばい菌の毒力の関係です。漬物とかああいう物をよく食べて腸内細菌・乳酸菌が溜まってた人は非常に良かったというデーターも出ています。今の子供の食べ方はどうですか?流し食いです。噛まないです。起こるべくして起こっていると思います。それを一切言わないで「手洗いだ。調理だ。全部消毒だ。」ちょっと違うんじゃないでしょうか。正しい食の指導の仕方は、それは本来ズーっと親が子供に伝えて来た事です。200万人の実績がある。I先生は5年前に厚生省に電話をしました。「時代が違う」と言われて一蹴りです。ですからもっとそういうおばあちゃんの知恵・そういう生活の知恵・真弓先生が伝えて行っている事をみんな1人1人が知るべきなんです。それを伝えなくてはいけない。

真弓先生:
 私は本当に博士号なんて要らないと思うのです。医者になってから殆どは役に立ちません。一応博士号を取った、そのテーマが「乳幼児の腸内細菌(途中不明)」でした。母乳乳幼児と人工乳乳幼児の腸内細菌の比較したんです。そういうデータは沢山あります。そういう色んなデータに則って新しい知見をやったのが私の卒業論文です。博士論文なんです。その中で赤ちゃんの人工乳乳幼児・混合乳乳幼児・母乳乳幼児とそれぞれ別けて、3つの便を調べて腸内細菌数を比較したんです。主としてビフィズス菌と大腸菌を含めた菌の比較なんです。問題はビフィズス菌なんです。人間にとって非常に有効な大きな味方です。人工乳乳幼児と母乳乳幼児では2桁違うのです。お腹の中の便の中の腸内細菌の成分だけを考えても人工乳乳幼児と母乳乳幼児では2桁の差が出てくるのです。そこでしっかり母乳で育てておいて、それを過ぎたら今度は色んな発酵食品を、発酵食品と言ってもチーズとかそういう物じゃなくて日本が伝統的に使っていた発酵食品を取り入れる様にして行くと良いと思います。発酵食品は大事です。ばい菌が大事なんです。ばい菌が子供を強くするのです。その逆さまの事をしてないかどうか。使うべき時に抗生物質を使わなくっちゃならない時もあると思います。乱用していないかどうか。防菌防かびグッズとか薬用石鹸なんかによって我々の味方のばい菌を皮膚から殺ぎ落としてないかどうか。そしたらアトピーになるのは当たり前です。

昇先生:
 日本人にとっての発酵はヨーグルトではない訳ですか?

真弓先生:
 違います。コーカサスとかムフンザ地方の彼らにとってヨーグルトは長寿の食品です。でもそれには2千年3千年の歴史がいる訳です。それくらいかけて腸内細菌をヨーグルトを食べても平気な体にしたのです。日本人には立派に納豆が受け入れられる体になってる訳です。味噌が合うような体になってる訳です。それぞれの住んでいる緯度に合った食べ物を食べるという事です。反対の人はそれだけ苦労したんでしょう。反対の人達は非常な苦労をして今の栄養学の基本になるような牛乳とかヨーグルトとかパンとかパスタとか取るようになったのです。それをそのまま鵜呑みにして全然緯度が違う日本に持って来てお金儲けの為に保健所を中心にしてやったからガタガタになって仕舞ったのです。特に心が。そう思っております。

 死後の世界
質問者:
言葉通りになると仰います。私の母は「死んだ世界はない」と言います。死後の世界があると信じて欲しいのですが、中々頑固で死後の世界を全然信じようとしません。どう接して行けば良いのでしょうか?

ありがとうございます:
 でも1回そういう世界に行くと直ぐに懲ります。次からそういう言葉を絶対に使わなくなります。プラス思考に変身します。

 体に悪い食事
質問者:
 神様の光がスっと入ってると健康で居られると仰います。私の娘が病気になった時、あの子の1番大好きな物がフライもんだったんです。パン粉を付けて揚げるフライ物が兎に角大好きでした。病気が分かった時点で玄米食にしたいとか自然食にしたいとか思ったんでが、好きな物を「駄目」と言って「玄米を食べなさい」と言うのは違うと思ったんです。それを強いる事は出来ないし、やっぱり嬉しそうな顔で「美味しい」と言って食べる方が今は必要かなと思ってフライもんばっかし食べさせてました。病気がその悪い物を食べさせてると感じた時期がありました。その病気はやっぱりとても助からない物なんで、仕方ないと思いながらズーっと闘病生活を続けました。
 亡くなる1ヶ月ほど前から記憶が飛ぶようになりましたが、その頃からどうも魂が表に出て来てた感じで喋る内容がどんどん変わって来ました。ちょっと布団をかけただけで「ありがとう」。ちょっと摩っただけでも「ありがとう」と言うようになって、「ありがとう」という言葉が凄く増えて来ました。本当に驚いた事がありました。動けなくなるんです。手が動かない。足が動かない。動かなくなって行く中で「動けない中に楽しさがあるのよ」と言ったんです。「動けない中に楽しさがある」そういう発想に私は本当にビックリして仕舞いました。「ゴンと音がしたら静かな空気が明るくなるよ」とか、何かどんどんどんどん魂が澄み通って来る言葉に変わって来たんです。病気が分かった当初は油物を気にするレベルだったのが亡くなる前は、あの子自身の本当に清らかなものが上がって来て、凄い状況の中にありながら、重病人を見ているのに全然重病人と居る感覚がなかったのです。一緒に居た長女も重病人の家族が居る感覚がなかったと思います。自然な暖かい空気の中であの子の部屋だけ何か時間がなくなったんかなというぐらいに暖かいものが流れてて穏やかに点滴もしてバルーンも導尿もしてるのに本当に暖かい空気が流れてて最後に自分が産まれた時刻に本当に綺麗な顔で亡くなって行きました。その死と病気も神様の光が足りなくなったから死とか、足りなくなったから病気というんじゃなくて、段々段々次元が変わって来てまさにあの子が教えてくれる。私達家族や周りの人に色んな事を教えてくれる。その為の病気にあの子がなってくれたんかなぁ〜と感じています。こういう感じ方も良いのでしょうか?

ありがとうございます:
 子供さんでも幼くして亡くなる子供さんが居ます。大抵は高級な魂の持ち主で、そして自分の縁ある大勢の人の分のマイナスを背負って産まれて来て、それを浄化して消してあの世に戻るのです。大きい人助けして魂の位をどんどん上げて行くのです。大勢を幸せにした働きになります。そういう働きの1つです。素晴らしいです。だから病気になっても良いのです。大きい人助けです。それを通してみんなを幸せにして行くのです。また病気になる様な食べ物をもし食べたとしても食べるのがお清めになります。心に先に原因があります。心に大きいマイナスがあったら病気にもなるし悪い行いもするし悪い物も食べます。それを形に押し出す事によって大きいお清めで消して貰っています。全てがほんとはプラスにプラスに変化する働きになっています。例えばタバコでもやっぱり吸わない方が良いと普通言います。あれも心のイライラを消す1番の特効薬です。心がスッキリし易いのです。だから止めても止まらんのです。また極端に言うと肉食でも本当は殺生の罪を犯すからしたら駄目という考えもあります。
ところが人殺しする様な因縁を心に一杯貯めた人は肉食した方が良いのです。人殺ししなくなります。振り替えです。動物の肉食べる事によって殺人をする様な因縁を消して貰えます。マイナスを消して貰うのです。だから無理に止めると菜食しなさいと押し付けて心のマイナスが消えなかったら、菜食で幸せになるどころか人殺しをしたりします。ヒットラーみたいになるかも知れません。色々原因があります。それをみんなプラスにプラスに見て行けると正しい受け方になると思います。絶対にマイナスに見ない方が良いです。プラスにプラスに受けた方が正しく受けて行けます。

 石ころ1個
ありがとうございます:
 もう1つちょっとお話しておきたいのは、根本は全てに神様が働いています。宇宙の全ては神様の愛の現れです。その神様を忘れると唯物的な考えで何か低級なもんからどんどん人間が進化した姿を取ってる様に錯覚します。本当はそうじゃないです。宇宙の全て神様の現れです。神様の知恵が全部に輝いています。何からでも神様の知恵を学び取れます。石ころ1個大きい神様の知恵が輝いています。普通石ころは動かずにズーっと静止しています。静止してる中に輝きがあります。人間だと動かないと病気か何かと錯覚します。そうじゃないです。石ころを真似しなさいてな感じです。凄いです。何年間かジーっとしてみて下さい。凄い神様の働きになります。石ころだから鉱物だから低級なんじゃないです。植物だから動物より低いか、そうじゃないです。これは人間が勝手に決め付けただけです。みんな神様にとっては尊いです。そこに神様の知恵が輝いています。だから全てから人間の生き方を正しくする為の知恵を学べます。大事なのは神様の知恵を受ける事です。全て正しくしてくれます。幸せになる様なる様に導いて貰えます。その知恵は宇宙一杯に満ち渡っています。何所からでも響いて来てます。その知恵を学ぶ事が大事です。知識じゃないです。知恵を学んだら幸せにして貰えます。それが大事だと思います。「ありがとうございます」。

質問者:
 先ほど先生が石ころから学ぶと仰いました。それと同じ様な私自身、1つの経験があります。人間は土から出来ている。だから土の中に何百回も入っています。その時、最初に入った時ちょうど川原で入って土を体全部に一杯かけて首だけ出すんです。その時にホーっと何となく温く感じて、そして何億年生きた人の横に居ると思ったんです。私自身は100年ぐらいの命。隣りには何億年生きた人が居る。そしたらもう体が温くなってスーっとやすんで行ったんです。本当に気持ちが良く。丁度温泉に入った様な気持ちでファーっと最高の気持ちになったんです。夜行って一晩中入って、そして朝起きた時に周りにカラスが一杯来て真っ黒になる程でした。物凄い毒素が出て、その毒素にカラスが寄って来てるんです。その時に1回入って、2回目3回目、3回目までカラスが一杯来ました。4回目くらいからカラスがあんまり来なくなりました。毒素が一杯抜けたのでしょう。先生が仰った様に小石も人間は語れない心境になったんです。そしたら小石でも何か凄くいとおしくなって来ました。そんな体験がありました。

ありがとうございます:
 素晴らしい体験です。1人1人の体験はみんな尊い体験ばっかしです。こうしてお話して貰うとまたみんなの体験になります。

質問者:
 神戸の震災(?)で素晴らしい人が亡くなったんです。8時間生き埋めになってて必ず助かると自分は信じてて恐怖心が全然なくて助かられて、それから随分生きられたんですけど、風邪こじらせて亡くなられたんです。超人的な方で物凄く尊敬してました。その人に正法眼蔵の意味を聞いたんです。「ちょっと難しいけど物凄く縮めてわかり易く言えば、石ころ1つでも父や母と同じ様に思って道を歩いたら良い。アスファルトの道の上を歩いても下に虫が居て踏み潰して殺してるかも知れない。ありがとう言うて道を歩いたら良い。」それを聞いて凄いなあと思いました。

 みんな神様仏様
質問者:
 先ほど脳腫瘍で亡くなった12歳の女の子の話しを聞かせて頂きましたけど、亡くなる前にその子が発した言葉に非常に感動しました。これは神様が言わせてるのでしょうか?

ありがとうございます:
 みんな本当は元は同じ、みんなそれだけ清らかな素晴らしいものが自然に出る様になってるんだけど、後で人間が思いを貯め過ぎたのです。つまらないマイナスの言葉を使い過ぎてマイナスの思いを貯め過ぎたのです。丁度太陽の光を遮る空に浮かぶ雲の様なものです。思いの雲を貯め過ぎてストップかけただけ知恵が湧き難くなってるのです。その自然な元へ戻れば良いのです。病気でもそうです。病気する事によって心に貯めた思いを消して貰っているのです。空の雲が晴れる様に晴れて仕舞うのです。そうすると太陽の光が通る様に本心の神様の心がスーっと通って来るのです。知恵が湧いて来る。何でも分かる様な心に変わります。元々はみんな同じ神様なんです。みんな仏様です。

質問者:
 その女の子の様に心が澄み切ると素晴らしい言葉が出て来るのでしょうか?

ありがとうございます
 そうです。みんな同じです。みんな出て来ます。今も出ています。ちゃんと素晴らしい光が出ています。

質問者:
 私はあんまりにも雲っているから‥‥。

ありがとうございます:
 いえいえ。そんなん雲ってない雲ってない。1人1人ぜんぶ表現が違うだけです。輝いた言葉いっぱい出てます。

質問者:
 自分は駄目だとか自分は立派だとか、そういう自分を全部引っ込めたら神様が出て来る。その娘さんも自分が無くなったからそういう言葉が出て来たと思います。

ありがとうございます:
 本当にそうです。自分を表に自慢して出すのも良くないけど駄目だ駄目だと引っ込める様な姿も自分を出しています。余計なものを出さなかったら自然に本当の素晴らしいものが出て来ます。自然に輝く様になっています。人間だけが思いを貯めます。他の大自然の全ては余り思いを貯めません。自然に輝いています。人間がもっと思いを捨てて感謝に生きたら全部大きく輝きます。でも思いを出す一時期も必要です。本当の感謝の素晴らしさを深く味わう意味で1回思いの中にはまり込んでもう1回戻るのです。それで幸せを大きく深く味わうのです。そういうふうに仕組まれているから大丈夫です。

質問者:
 マイナスの感情を出しても良いのですか?

ありがとうございます:
 1回一杯出して一杯貯め込んで無限に貯めた方が良いのです。そしたらそれ直ぐに卒業です。感謝したら一辺に消して貰えるから。中途半端だとまだ未練を残しています。もう1回そこに戻って行きます。だから何にも怖くないです。

 幸福の法則
質問者:
 真弓先生に質問があります。先生のお話だと実際の病院経営は難しいと思うのですが、その辺はどうしているのですか?

真弓先生:
 それは結果として付いて来るものです。実際こういうふうに行動出来てる訳だし、私の4人の子供達も立派に成人してる訳だし、医療以外に好きな歌も歌えるんだし、自分の環境にいかに満足するかどうかという事になる思います。幸福の法則は簡単明瞭な法則なんです。幸福と不幸を分子と分母に別けてあるんです。分子の方に満足度があります。分母に欲望があります。幸せな人の条件として満足度はそこそこで欲望が少ない人。欲望はそこそこで満足度の高い人。1番幸せな人は欲望が少なくて満足度が高い人です。逆に不幸な人の条件はそこそこの満足度なんだけど欲望が強い人。欲望はそこそこなんだけどそれに対して今現在の満足度が低い人。最も不幸な人は欲望が高くて満足度が低い人。満足度は今現在与えられている環境に、どんな環境があるにせよ、私は父を知らない母も知らないけど産んでくれた父にも母にも会った事ないけど感謝してる訳です。両親はいないけど、偶々引き取ってくれた人が良かったから子供なりに満足度を感じていた訳です。満足度があると自然と感謝の気持ちが生まれます。自分が現在与えられている環境にいかに満足度を見出すかという事だと思います。
 宝島という雑誌を編集しているKさんがいます。この人が「自然のレッスン」という本を書きました。その中に共鳴出来た事があります。「正しい事をしていればお金は必ず入る」と。職を持ってらっしゃらない22・3歳の方でもボランティア活動でお金かお金でなくても何か満足出来るものが必ず入る訳です。心の満足度も入る。その後が大事なんです。「正しい事をしていれば、それは全て失われる」という事なんです。「正しい事をしていればお金は貯まらない」という事を言っているんです。無が1番大事なんですが、ただ何もしなくて無じゃなくて、入れて出して入れて出して入れて出して、振幅が大きければ大きい程。大事なのはお金が沢山あるからじゃなくて、振幅度が大きくて人に迷惑をかけないで上手くゼロに持って行く。しかも死んで行く時は何も残さずに子孫に美田を残さずに生を終える。そういう意味で私は非常に幸せで何もない。本当に何もないのです。預金はない。定期預金もない。株はない。ゴルフの会員券もない。何にもない。だけど4人の子供がいる。5人の孫がいる。こうして縁が出来た人達がいる。今ここというのを一瞬一瞬と言われる。一瞬一瞬を大事にして行けば、それが明るい未来に繋がって行く。

 人間の役目
質問者:
 地球上で最頂点にいるのが人間だと思います。人間が地球上の全ての生き物に対してしなければならない事は何ですか?

ありがとうございます:
 人間が万物の霊長というふうに、おごり高ぶると1番マイナスを撒き散らすんです。人間が1番底辺に立つのが良いです。全て神様と拝み上げると最高の働きになります。

質問者:
 人間はものが言えて考えられて作れます。でもライオンにはそれは出来ません。人間にしか出来ない伝え方がないのでしょうか?ものが書けて歌えて奉仕が出来て、その素晴らしい感性があったら何か人間しか出来ないかとがあるのではないのですか?

ありがとうございます:
 でも、これは逆なんです。神様の創造する姿・芸術は人間の比じゃないです。ライオンが何もしないかというとそうじゃないです。ライオンが神様の最高の芸術作品です。人間では、あの姿を作れません。人間の方はまず模倣・真似です。先ず人間が謙虚に全てを神様の現れ全てを神様の最高傑作と感謝出来た時に人間の中に神様の本当の最高の姿が現れるのです。だから最後の画竜点睛です。人間が最後の締めくくりになるのです。人間が謙虚に感謝する事です。神様がそのままスっと降りた時が全てが本当の命が輝いて躍動する姿を取るんです。

 高い神様ほど、ささやく声
質問者:
 何か伝え様とする気持ちではなくて、そのままを受け入れるという事ですか?

ありがとうございます:
 そうです。

真弓先生:
 伝え様という気持ちを持っていなければ自然に伝わって行くし、伝え様と思っていれば伝わりません。だからコツコツ積み重ねるしかないと思います。何かを目的としてやってると伝わって行き難いと思います。回り道になるから。或いは一旦それが伝わっても継続して行く事がないと思います。自然に無欲になって伝わったものが何時までも続くと思います。先ず伝え様とする意思を捨てて。私共はこんな話しをしてますけども、大事な事ほど小さな声で言わなければならない。小さな声で伝わったものがズーっと継続して行きます。恫喝して伝えた場合は一時的に伝わるかも知れませんが持続性がないです。本当の政治家は声が小さいです。そんな政治家から受けたものは何時までも心に残ります。政治家だけでなく文学者にしても画家にしても音楽家にしても。拡声器か何かで怒鳴ったものは伝わりません。

ありがとうございます:
 本当は神様の声は高い神様ほど、ささやく声になります。低い段階の神様ほど矯正的に大声で出て来るのです。これ神様の段階をサニワする方法なんです。高い神様は絶対に押し付けて来ないです。声もかすかに聞こえるか聞こえないぐらいに声を小さくして来ます。

真弓先生:
 落語でもそうです。始めは聞こえるか聞こえないくらいの声で段々段々引き付けておいて、そうするとそこに溶け込みます。始めから大きい声で伝え様としたら聞いてくれません。子供達を塾に行かせるなら寄席に行けと言います。寄席に行くと学校で学べないものが一杯学べます。TVの寄席では駄目です。実際に行かないと。私の本を読んで下さるよりも一緒に話した方が印象が強く残ります。人に接して人間関係を作り上げて行く事が大事だと思います。対話それが医療において非常に欠けているのです。医者と患者さんの間に、医者の方に大きな責任があると思います。

 歌
質問者:
 歌を歌う時もささやく声の方が良いのですか?

真弓先生:
 実際の声の音量の大小ではなく。心の持ち方です。自分が謙虚になって小さな声で歌う事なんです。歌うと直ぐに分かるのですが、1番難しいのがピアニッシモ(出来るだけ弱く)です。小さな声で伝えるのは難しい。難しいけれどピアニッシモが伝われば相手に感動が伝わって行きます。力と音量は違うのです。ピアニッシモが1番力を入れないとお腹に力を込めてないとピアニッシモが出ないのです。フォルテッシモ(出来るだけ強く)こんなに楽なものはないのです。極端な事を言えば怒鳴れば良いのです。そこをしっかりやっとくとフォルトなんか物凄く楽なんです。普段からピアニッシモの練習をしておけば歌が楽に歌えます。上手い下手は抜きにして、上手なのはプロに任せておけば良いのです。我々は心を込めて歌うのが大事なんです。上手く歌おうと思ったら絶対に上手く歌えません。欲を出して上手く歌おうと思うと絶対に人には伝わりません。人と比較しない事です。
 徒競走で子供が6人で走って6等になった。お母さんが凄く喜んだそうです。びりなんです。びりだけどこの前走った時よりも記録が上がっている。それが大事です。その子が前より成長している事が大事です。この前も6等今度も6等駄目と言ったら駄目なんです。そういう意味で良さを認めてあげると子供はどんどん成長して行きます。
 よく歌えないと仰る方がいます。歌う方が話す方よりズっと楽な筈なんです。歴史が全然違うんです。言葉の歴史はまだこんなもんです。歌とか太鼓とかそういうものは何万年の歴史があります。縄文太鼓は素晴らしいです。私も山形で縄文太鼓を全部自分で作りました。素晴らしかったです。だから皆さん歌ってください。誰でも歌えます。喋れる人は全員歌えます。歌える人で喋れない人はあるかも知れないけど、喋れて歌えない人は1人もいないです。音痴は素晴らしい音感があります。音が狂っている事が分かんない。本当の音痴は音痴と思ってないです。音痴と分かってないから変な音を出す訳です。音痴はちゃんとした音で歌います。痴という言葉は余り良くないです。優れているのです音痴は。ちゃんと音が分かる人が音痴なんです。

質問者:
 普通の会話で2時間喋るとかなり疲れます。でも複式呼吸で3時間半歌を練習してもこの頃は声がかれないし体も殆ど疲れないのです。

真弓先生:
 歌っている人間の息が話している人間の息よりも長いからです。だからライオンなんかが素晴らしいというのはそこです。何にでも吠えているんです。動物に学ばなくちゃ。そういう事を土台に捉えたうえで今度は人間の知識を広げて行けば良いのです。知識だけを広げ様として元を忘れています。謙虚さが失われています。だから伝わらなくなります。

 ありがとう村にくる意味
質問者:
 最近Mさん達の努力によりまして、テープとかテープ起こしした物も容易に手に入る様になりました。インターネットでも「ありがとう広場」なんかで話しを簡単に多量に入手する事が出来るようになって非常に有り難いです。それとは別にここに来る意味があると思うのです。それについて教えて下さい。

ありがとうございます:
 こんな所に何で来るのですか?不思議です。
みんな答え自分の中に持っています。確認に来るのです。正しい生き方って全部分かっているのです。その分かっている確認だけです。だからここに来た人みんな「ありがとうございます」ちゃんと出来るんです。本当のお祈りが。本当の神様とみんな既に対面しているのです。その対面している確認です。神様と既に一体なんだという確認なんです。これから一体化するのではないです。既に神様と一体なんだという確認の為にちょっとここへ来るのです。

質問者:
 1年に1回ここに来るだけでも意義があると思えば意義があるのですか?

ありがとうございます:
 必要に応じてです。本人の確認もあるけど代わりの人の確認に来る時もあります。身代りに来る時もあります。この世の人の分とあの世の人の分も含めて代表で確認に来てみんなに確認を伝える意味もあります。色んな意味合いがあります。必要に応じてで良いです。

質問者:
 来たいと思う心が出来た時に来れば良いのですか?

ありがとうございます:
 これは来たいだけでは来れないのです。神様が必要と認めて来させて頂いているのです。全て神様のお陰です。だから来たいだけで来て必要なかった時は何にも得るもんがないです。確認も何もなしで帰られます。交通費が無駄です。

質問者:
 私はただ単純に誘って頂いてちょっと行ってみようかなぁ〜と思って。自分も尋ねたい事があるし、確認もしたいし‥‥。

ありがとうございます:
 そんな表面の色んな理由はあんまり理由にならないです。奥の神様の必要性です。本当に必要だったら訳も分からずに来るのです。皆さんどんな所かも何も知らずに大抵来ています。

質問者:
 惟喬親王さんの御陵なんかに行くと古神道の神々様が色々応援して下さったり気付きを下さったり「ありがとうございます」を何万回・何十万回言ったくらいの気付きを行っただけで得られる場合もあります。ここの事をお話になりませんが御陵を例えにして言っているのではないでしょうか?

ありがとうございます:
 ここは隠す所です。ありがとうございます。

 宇宙の大神様と一体化
質問者:
 今朝3時にお祈りに来た人達始めの30分ぐらいは体の中も真っ白になって柱全体も真っ白な感じでした。白竜さんがお見えになってました。

ありがとうございます:
 別に白竜さんだけじゃないです。宇宙の大神様がいつも光をバーっと送ってくれます。純白の光を一杯降り注いで下さってくれてます。必要に応じて色んな感じ方さして下さります。純白になったんですか。凄いです。本当に宇宙の大神様と一体化してます
。感じない人も良いのです。感じなくても一体化してます。

質問者:
 その時は腰が痛くて辛かったです。

ありがとうございます:
 大きいお清めの働きもかねて人助けを大きくしてくれたのです。

質問者:
 お祈りとか瞑想はより神様との繋がりを深める為のものですか?

ありがとうございます
 神様と対面するのです。神様と対面する為のお祈りです。本当は「ありがとうございます」と受けるだけです。




ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます

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35.36.37.38.39.40.41.42.43.44.45.46.47.48.49.50.
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.52.53.54.55.56.57.58.59.60.61.62.63.64.65.66.

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