0.1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.32.33.34.35.36.37.38.3940.41.42.43.44.45.
46.47.48.49.50.51.52.53.54.55.56.57.58.59.60.61.62.63.64.65.66.67.68.69.70.71.72.73.74.75.76.77.78.7980.81.82.83.84.85.86.
87.88.89.90.91.92.93.94.95.96.97.98.99.100.101.102.103.104.105.106.107.108.109.110.112.113.114.115.116.117.118.119.110.
111.112.113.114.115.116.117.118.119.120.121.122.123.124.125.126.127.128.129.130.131.132.133.134.135.136.137.138.139.
140.141142.143.144.145.146147.148.149.150.151.152.153.154.155.156.157.158.159.160.161.162.163.164.165.166.
ar79本物を受け入れるには何が必要か2001.7.20
「ありがとうございます」のおはなし 2001年7月20日 No.1
本物を受け入れるには
*与え尽くしてから受ける、そしてまた与え尽くす*
ありがとうございます:
新しい世紀に入って本物を求める時代になったと言われています。本物の時代というのは、神様の御心、最高のものが降りてくる時代ということね。神様の御心というのは、無限の無限のプラスそのものです。この世にあるようなものじゃないの。最高理想の姿がこの世に現実化してきたら「神様の御心のままに」といえるけど、まだまだ今までの時代の姿では程遠いですね。
これからは本物の時代に入ってくると、そのために何が必要かというと、本物の神様がみんなの中に、一人一人の中に入ってこないといけないですね。それが、どこから入ってくるのかというと、外からじゃないの、中から湧き上がってくるのね。本当の神様の助けは、棚から牡丹餅がポンと落ちるような、外から与えてもらう助けは偽物なの。本当の神様の助けというのは、中から湧き上がってくる力です。
どんな難問題でも右、左に解決できる方なのね。それが最高理想を現実化する本物の力です。その本当の力がみんなの中から湧き上がってくるようになるには、その為に必要なことは、先ず「ありがとうございます」と神様を呼ばないといけないよね。「ありがとうございます」は、究極の神名で「神様の名前」であり、本当の神様の最後に呼ぶ名前なのね。「ありがとうございます」と唱えたら、本物の神様がスッと助けに入ってくるの。逆に言うと、助けに入ってもらった結果が「ありがとうございます」というふうに出てくるのです。
そして、「本物の助けを受け入れよう」という気持ちがあったら、もう間髪を入れずサッと助けが来るのです。そういう人は「ありがとうございます」って、心に唱えられるように変わってくるのね。ここに居る人はみんな「ありがとうございます」を言える人だから、神様の本当の助けを受け入れようと、心に定めた人なのね。そういう人には、神様はスッと助けに入って、大きく助け続けてきてくれているのです。
必ず、本物の神様が中から湧き上がってきて、本当の自分が輝いてくるのです。それには、外に頼るといけないですね。学校の勉強でもそうでしょう。試験問題がある毎に、人に解決してもらっても意味がないでしょう。自分の実力でせんぶ百点満点になっていかないといけないよね。
また、問題を人に預けるといけないね。自分に与えられた問題は、自分の能力を、力を引き出すための課題なのだから、それに一生懸命取り組まないと損をします。どんな問題でも自分の問題として解決していくのがいいのね。そうすると、中から本物の力「神様の力」が湧き出てきます。 人の問題でも、「自分の問題」として取り込むぐらいがいいのだけど、勝手に人の問題を自分が解決してしまって、人の勉強の邪魔をするのはいけないですね。そうでしょう。人の問題を取ってしまうといけない。そう言う意味では勝手なことはできないけど、みんなの勉強を、自分の勉強として勉強するのは構わないからね。
だから、自分にとって、全てが自分に与えられた勉強というふうに受けるのがいいよね。そして、どんな問題でも即座に解決できるぐらいの力を中からもらわないとね。自分の中に本当の神様がいるのだから、その神様を引っ張り出すのです。それは、もう「ありがとうございます」と心に唱え続けながら、「与えて与えて与え尽す」というように、自分の力を出し尽くさないといけない。その時、中から湧きあがるように出てくるの。
丁度、井戸と同じなのね。井戸の水は外へ出せば出すほど、中から新しいきれいな水が湧きあがってくるでしょう。井戸の中へ、外の水を放り込んだら濁ってしまうわね。汚れが溜まっていくわね。だから、自分の中のものをぜんぶ与え尽くしていくと、どんな力でも、能力でも、何でも「全てを与えて与えて与え尽くして」早く循環させる方がいいんです。そうすると本物の神様の力がいくらでも中から湧きあがってくるの。本当の自分を引き出す、それが一番の最短コースになります。
だから、「ありがとうございます」と唱えながら全力を尽くすというのが大事なんです。それも「与えて与えて与え尽きない」ぐらい、お返しを求めずに与えないと損します。逆にお返しは、拒絶するぐらいの方がいいのね。貰ったら損するぐらいの方が…。それでも受ける必要のある時は、受けてあげるのも大事なんですけど。ただ、「外から受けた分は損する」のを、覚悟しとかないとね。「自分の中から与えたものだけが、本当の神様の力を引っ張り出す」これからは、そういう時代になってきているのね。
神様が中から湧き出て、輝き出て、本当の自分に変えてくれる時代なのです。本当の最高表現の極楽世界というのが、そういう与え尽くし合いの世界なのです。先ず、自分が神様の為に「全てを与えて与えて与え尽くす」。そしたら、神様が宇宙全体が自分に与え尽くしてくる姿をとるのね。求める心の一切ない世界が、神様の最高表現の世界です。それが本当の理想の世界やね。
今までは、求める心というのを持っていたと思うから、いろいろ苦しんだのです。求めるから苦しむの。今度は、それを積極的に「与える心」で生きるのね。そうすると求める心が消えてしまう。求める心を消したら、与える心が生きるじゃない。与える心が生きたら、求める心が消えていくの。だから、前向きに与えることだけを心がけるのね、そうしたら、求める心なんか相手にしなくって済むのです。そして、どんどんどんどん神様の助けを受けて与えるほど、喜びが、幸せが湧き出てくるようになる。それがこれからのいきかたなのです。
ボランティアというのは、報いを求めんと与える心なのね。お返しを求めたらボランティアとは言えないの、だから、報いを求めずに与えるところに、本当のものが出てくるという時代なのです。それが幸せへの最短コースだから、ボランティアが、本当の奉仕者が、これからどんどん増えてくると思うのね。
特に、過去世で心にいっぱいマイナスを積み重ねている人が多いです。心のマイナスを消す最短コースというのが、この自分を神様に捧げ尽くし、自分のマイナスを神様に引き受けてもらう。そうすると早く消えるのね。ところが自分の中に溜めておいて、自分の力で消そう思ってもなかなか消えないのです。特に、マイナスというのは利息の高い借金みたいなもんです。いつの間にか膨らんでしまうから、それはもう神様にサッと預けるのが一番いいよね。神様に預けていけば、もう簡単にスースーツと消えていくの。本当の意味でボランティアがいいね。
本当の意味のボランティアは、人ヘのボランディアじゃなしに、「神様への奉仕」が、幸せへの最短コースになるのね。人に、物や親切を与えても、自分の持ってるマイナスは消してくれへんの。逆に、人にマイナスをかぶせるだけやね。人に与えた分は、跳ね返ってくる。親切ごかしになんぼボランティアをしても、逆に反発を喰らうのがオチなんよね。
それは、マイナスを消す力のない人に与えても消してもらえないの。やっぱリ神様に向けないといけないね。神様へ奉仕するというのは、大きく全体へ奉仕することなのね。個人に向けるんじゃなく、全体へ与え尽くすという気持ちですると、神様が引き受けてくれるのね。そしてマイナスを消してプラスに変えて、与え返してくれるから、どんどん楽にしてもらえるのです。
親王祭
今日の、親王祭というのも、惟喬親王さんというのは、昔は「皇大明神」ともいわれたのね。皇室に生まれたからじゃなく、宇宙絶対神の御心をしっかり把握した人だったの。「皇」というのは、「すめたかあまはらみこと」という略なんです。「すめたかあまはらみこと」というのは、宇宙の絶対神のことなのね。宇宙絶対神の心を体現してる、身に現してる人を「すめらみこと」というのね。だから、天皇陛下のことも「すめらみこと」ともいうのです。真理を悟った人も「すめらみこと」ともいうのね。お釈迦さんや、キリストのこともそうよ。
だから、みんなもそうなんよね、感謝行をして奉仕してるうちに、本物の自分に置き換わってくる、言うたら、宇宙絶対神の御心を体現するのよ。そしたらみんな「すめらみこと」よね。「すめら」というのは、言霊的に見ても素晴らしい言葉なんよね。
今日の御陵というのは「皇の聖地の中心地」なのね。全体に光の大きい柱の立っている場所なの。光は、細い光じゃないから、絶対光だから、包み込まれてしまうから、見えないよ。光の柱の中へ入ったら見えないの。ただ、もの凄い光の柱は立ってるね。
神様の光というのは、必要なだけの助けを受ける自由自在な光なの。だから、やわらかい光の必要な人にはやわらかく感じるし、厳しい光強い光が欲しい人には強い光を感じる場所なのね。だから、あの山一帯がスッと心が澄み切る場所になってるのね。あまり汚れのないところなの。特に、お金儲けとか、欲を出す人は、はじき出される場所なのね。あそこは、お金儲けは出来ない場所なのです。
前向きにあそこを活用して、これからみんなで大きい働きをさせて頂こうということで、一応意見がまとまったし、これからあそこを活用させてもらうようになっていくと思うね。
いろんな問題はあっても、他に頼ってたら前に進まないから、自分の中の力を振り絞って、本当の神様の助けを受けたら、どんどんどんどん道が開けるし、最高理想を現実化して行けるってね。逆に言うたら、問題を与えてもらう方が幸せなのね。その問題と取り組んで本物を引っ張り出してもらうのです。
ここへ今日来られたんも偶然でもなんでもないのね、みんなそういう使命を持って来られているの。どの場所に居ても、神様の光のネットワークで、みんなの心はつながっているから、自分一人のいきかたが、全体に大きい力を与えるのね。そういう意味で大事なのです。たまに、集まるというのもいいのですね。
惟喬親王さんの「親王祭」というのをこれから行うように、毎年、七月の二十日海の日を予定をしています。まあ最低、年一回は集まって欲しいと思うのね。それ以外にも、これから大きい運動を、本物を発信する人と、いろんな分野で本物を発信する人が大勢集まって、みんなで協力し合って、世界を最高理想の姿に変えて行きたいんです。みんなとして行こうと思うので、よろしくお願いします。ありがとうございます。
-ありがとうございます-
この間、あるヒーラーの方とお目にかかったら、二〇〇一年七月は特別な月だといろんな方が予言されていると聞いたんですけど。そうなんですか?七月というのは何か時代が変わるとか。-
ありがとうございます:
それは、いろんな考え方があってもいいんです。無限に違う考え方があってもいいのだけど、ただ、どれを受け入れるかでしょう。いいものをどんどん受け入れたらいいだけよね。本当は、もう一瞬一瞬いいものを受け入れていくのが一番理想なの。最高のものを受け入れていけばいいだけで、固定するそういう縛りの予言なんてあんまり大したことないもんね。「日々これ好日」というのがいいのでしょう。常に、良くなるだけ。
それもひとつの考えとしては、別に間違っているとは言えないし、良いかも知れない。でも、もっともっといい生き方がたくさんあったら、そっちの方へ心を向けるのも大事よね。みんなプラスに受けたら「七月もいいことが起こる、八月ももっといいことが起こる、九月はもっともっといいことが起こるかも知れない」というのがいいじゃない。
神様への奉仕とは
*全体への奉仕*
-ありがとうございます-
先程、神様に対してのご奉仕が一番大切だというようなことをおっしゃったんですけども、神様へのご奉仕の具体的な事例を、ちょっと幾つか示していただきたいのですが。-
ありがとうございます:
神様ってどこにいるかというと、別に宗教団体にいるんじゃないです。だから、宗教団体に奉仕じゃないのね、神様に奉仕というのはね、神様という全体なんです。全体への奉仕。だから、世界の平和とか、全人類の幸せとか、全体の幸せのために何かさせてもらうことが神への奉仕に当たるのね。
-ありがとうございます-
それは「人に対してだけのご奉仕ではない」と言うことですか?-
ありがとうございます:
だから、全てを神様の現れと見て奉仕させてもらうのね。
-ありがとうございます-
ということは、自分の心の内側から神様に対して感謝する。-
ありがとうございます:
だから、先ず、神様に感謝がいるよね。全てが神様の現れと受けること。みんなへの奉仕というのは、その神様の現れへのご奉仕です。そうすると、神様との心の交流が起こって、自分のマイナスはプラスに置き換えてもらえて、どんどん幸せを大きくしてもらえるね。
でも、神様を無視すると、神様と交流が起こらないから、現実を見ても、神様の現れとは見えないのね。「何か、マイナスの多い人」と見えてしまうのね。その姿で交流したら、相手のマイナスを貰うばかりで、また、自分のマイナスも相手にかぶせるだけで終わってしまうのね。だから、先ず、神様と交流するというのが大事なの。そういう意味で、神様への奉仕ね。感謝しながらみんなに尽くしていくというのがいいよね。
拝み出す教育
-ありがとうございます-
子供を育てる上で大切なことがありましたら。-
ありがとうございます:
一番いいのはね、外から自由を奪って型にはめるんじゃなくて、本当の教育というのは、良いものを引っ張り出すことなの。「拝むこと」が一番の教育の根本だと思う。「みんな神様の現れ」、「無限に無限に素晴らしいんだ」というふうに自分が拝み出していくのが、本当の意味の教育です。
だから、「感謝する」というのがいいね。感謝しているうちに、みんないい姿を自分に対して見せてくださるというようにね。子供を下に見てどうこうするんじゃないの。逆に、「神様が子供の姿を取って、自分を幸せにしに来てくださっている」というぐらいに拝んでいると、もう、いい姿ばかり見せてくれて幸せを大きくしてくれるのです。
そしたら、もう「教育する」というよりも、逆に「教育されている」感じになるかも知れない。子供によって自分を大きく磨いてもらって、幸せを見させてもらって、という感じよね。逆みたいだけど、子供を「先生」と思った方がいいかも知れないね。
ビジネスの適正価格・利潤
*何を与えたか、どれだけ幸せを与えたのか*
-ありがとうございます-
さっき「出し尽くして、返してもらわない方がいい」とおっしゃいましたよね。そうすると、私もビジネスとしてやっているんですけれど、我々の常識では、適正価格というのが一番正しいというんです。適正価格も、もらわない方がいいんでしょうか-
ありがとうございます:
例えば、場所を借りたりするでしょう。自分が借りてするんだったらお金が要るでしょう。それを「参加する人に借りてもらっている」という感じだったら、その人がお金を出して借りてくれているというのだったら、別にいいでしょう。必要な経費は報酬とは違うわね「させてくださっている」というのだったら、「もう、自分と関係ない」というふうに見たほうがいいでしょう。そういう部分の必要経費は、「みんながそれを負担してくださってありがとうございます」というような気持ちでね。
ただ、自分としたら与え尽くすだけで、もし自分に必要なものだったら、「神様からその人を通してプレゼント」というくらいに受けてもいいね。「部屋を借りて、みんなのお手伝いをさせてもらって、私が代わりにお金を預かってお支払いするんだ」というぐらいだったらいいんじゃない。
-ありがとうございます-
その中に、人件費とかそういうことも含めて?-
ありがとうございます:
あくまでも、自分は無報酬で働いて、神様から必要なプレゼントを受けているというね。そしたら、気持ちがすっきりするでしょう。
-ありがとうございます-
物を売っている方だったら、その物に対してプラスアルファ利潤、というのをのせて適正価格にするんですけど。私は、物を売るのじゃなく、例えば、ノウハウ料というんでしょうか、それには利潤の部分はのせない方がよく、最低必要な経費だけのほうが良いのでしょうか?
ありがとうございます:
プラスアルファを付ければ良いのだけど、プラスアルファはお金じゃなく「感謝の気持ちだけ」というようにしておけばいいね。人には「与えたい」という気持ちがあるでしょう。自分も人に与えたい気持ちで「与え尽くそう」とするわけでしょう。
参加した人も、幸せを感じて感謝の心で何かお礼をして「与え尽くしたい」と思ったら、その気持ちは光だから、受けてあげないと光の交流にならないよね。光はたくさんもらうほうがいいんでしょう。決めておいて、無理やり取るのは、光がなくても受け取ってしまうもんね。そういうのはもう必要ないです。光と光のやり取りだったら、お互いの光が交流するほど両方が良くなるのね。
これは極端な理想論だけど、プラスアルファは「感謝の心だけ、気持ちだけでいい」というぐらいでもいいのよ。それで循環すると、光の循環が大きくなっていくと思うね。そこまで無理に一足飛びにしなくても、あまりボロ儲けはいらないもんね。また、人に応じて自由に自分が払ってあげてもいいし、お金がたくさんある人からもらってあげてもいいし、無い人には無償にしてあげてもいいしね。
本当の貸し借りは長い目で見ないとわからないでしょう。今、お金をもらったけど、何時の貸しを返してもらっているのか、わからないじゃない。それがまた借りかも知れないしね。過去にたくさん貸してあったのを、今返してもらっているんだったら、もらっていいかもしれないし、逆にまだ(自分が)返している途中なのかもしれない。だから、表面の姿では、なかなかわからないよね。プラスアルファは「あなた任せ」というのが一番理想なんよね。一番理想なんだけど、その辺はもうほどほどでいいしね。
-ありがとうございます-
今までは、私一人で十五年間やってきたことなんです。料金の決め方は、カルチャ教室でやっているので、カルチャ教室がちゃんと適正価格を決めてくれて、私はそれを受けていたらよかったんです。今十五年もやってきたことをもっとたくさんの人に聞いてもらうために、全国展開というような動きが出てきて、ビジネスの得意な女性が「面白いからやらせて、やりたい」と言って来てくださって、お任せしているのです。
私はお金の計算とかビジネスが出来ないほうなんで、非常にいいカップルなんですが、彼女の方は、きちきちと利益ものせて、経費を考えてくれて価格を出してくれていますから、私が適正価格に戻そうとしてしまうと「それでは、大きくなっていかないし、人も雇えない、スタッフのお給料とかボーナスが出せないでしょう」と、いつも彼女から怒られてるんです。それはそれで「凄くありがたいんかなあ」と思いつつ、目の前に来たお話は、「お金がない」ないけど私の話を広めたいから呼んでくださるというケースも出てくるわけですよね。それをどう噛み合せていくのかが私はわからなくって…。-
ありがとうございます:
時間が空いてるんだったら、自分の空いた時間を活かすのがいいことよね。中から神さんの助けを大きく頂くチャンスだし、ただ、相手の人も活かしてあげないとあかんでしょう。
-ありがとうございます-
システムとして、定価を破ってしまうという例外を作ってしまいます。
ありがとうございます:
それも活かしてあげないとね。それも別に否定する必要もないし、否定するといけないよね。その人のいきかたを否定するのは間違いよね。その人はその人でいろんな勉強をしてるんだし、そういういきかたで何か学ぶとこが多いと思うし、また、幸せの道に乗っているとも言えるしね。だから、大事なんは全部が活きる道よね。
-ありがとうございます-
彼女にシステムは作ってもらう事にして・…-
ありがとうございます:
それはそれでそのまま任せて、自分は自分でその中にはまり込まんでいいでしょう。その中に、はまる時もあってもいいけどね。ただ、他の自由ないきかたもプラスして何倍も生きた方がいいね。
-ありがとうございます-
私共は、ちょっと高額な商品を扱う会社を経営しておりまして、さっきの女性の方もおっしゃっていました、利益の捉え方に悩みがあるんです。頂けるものを素直にスッと頂くという形では、従業員も抱えています。簡単に言えばお金の問題なのですが、ある種お客様の夢を実現させて頂いて、それを結果として、頂いたという形で事業展開できれば、それはそれで凄く気分的に楽なんですね、その辺の悩みがあるんです。
やはり会社の経費をのせた形で何千万という費用があるんです。それだけ高くなってしまいます。そのお客様は現金で出来るものではないので、お金を借りて頂いてという、ひとつの苦しみみたいなものがあった上で僕らの商売がなってるんです。その辺がこの四五年凄く悩みなんですね。また自分自身も事業を進めていく上に、資金繰りが非常に辛いなあと思う気持ちが、この頃あるんですね。その辺の利益的な捉え方、利潤という考え方を少し教えていただけませんか?
ありがとうございます:
いろんな形で、そういう問題を与えられてみんな勉強してるんですけどね。それは、もうすっきりした時は卒業なんです。ただ、お金と、実際に人に与えたものが与え返されるというのは、本当の因果の理法とはちょっと違うんです。
因果の理法は厳然と働くんですよね、誰に対してでも、与えた物は与え返されるってね。それはもう厳然としていますね。だから、何を与えたかという、どれだけ人を幸せにしたかという、こっちが大事なのね。そしたらもうお金は関係なしに、与えたものは必ず与え返されてくるんです。タダで与えたらタダで返ってくるし、お金をもらったらそのお金で同じものを買い戻すわけよね。これはもう厳然としているわね。
バブルの崩壊というのは、例えば、安い土地を高く売って、お金をようけ儲けたでしょう。本当に価値あるものを与えて返してもらったんじゃないよね。逆に、それは安い土地を高く売った分は、みんな高利の借金を背負ったことになっているね。借金してまで賛沢したら、あと大変なのはわかっていますよね。それを自分の利益だ、儲かったんだと思って安易に使ってしまうと、後でその付けが回ってきてる人が多いよね。
高利の借金をしてでも正しい良い使い道があるんだったら、それは間違いじゃないですね。もっと人を幸せに活かせる道があるんだったら、別に借金を絶対したらいけないということはないと思うんです。やっぱり、その辺のことがわからずに手に入ったお金は、あぶく銭になって無駄に使ってしまうことが多いですね。お金の金額じゃないんです。
会社を経営して、社員、従業員のためにお給料を払うんでも、働きが少ないのに高いお給料をもらったとこは、必ず問題が起こるんです。幸せを掴めないんですね、やっぱり与えただけの幸せしか掴めないのね。だから、お金の額じゃないんです。高給取りは必ずしも大きい幸せを掴めるんじゃないのね。逆の場合が多いよね。
一生懸命働いているのにお給料が安い、その方が幸せが大きいんです。無駄な使い方はしないし、必要なだけに使うでしょう、徳も失わないね。それでいて必ず必要なものは与え返されるのね。ところが働きが少ないのにお給料だけが高いというと、もうそこはやっぱり問題が起こります。その働いた分が少ないのに、たくさん与え返されることは絶対ないんです。高いお給料をもらうと、やっぱり安易に贅沢に使ってしまいますね、必要なことに使わんと、欲しいものを無駄なものを使ってしまうわね。そうするとそれが、借金を積み重ねた姿をとって、あとで大変しんどい目するのね。
世の中にいろんな人がいても、本当に気付くまではどうしようもないよね。ただ、その気付きを早くするのは、また神様の助けを大きく受けるのは「ありがとうございます」って感謝して、神様を受け入れたらいいのね。マイナスの循環があっても「ありがとうございます」をそこに加えたら、プラスの循環に変化するのね。
同じ額のお給料をもらっても「ありがとうございます」と神様を通して受けた分は、必ずどんなマイナスでもプラスに変化するの。プラスに変化した分は何倍もプラスになった、得したお金なんです。だから、循環する姿はそのままでいいじゃないですかね、後プラスを神様に加えてもらえばいいね。そしたら、循環する過程で光がどんどんみんなに振り撒かれる分だけ、自分も人もみんな幸せにしてもらえるんです。
-ありがとうございます-
仕事の中へ感謝の心をひとつ加えて…。-
ありがとうございます:
うん、うん、そうよね、それで自然にみんなが幸せになっていくと、段々と本当のいきかたへ戻りますよ。
幸せになる一番の近道
-ありがとうございます-
頂いたテープを聞きました。先生は十六年生まれとか、私は十八年で、もうそろそろ定年です。私は輪廻転生を考えていまして、お聞きしたテープには輪廻転生はないと言われているのですが、どういうプログラムできたのかいうことが私にはわかりません。今日のお話ですと、すべて与え尽くせば、また何かが出てきて、そこから何かが出てくると、それが一番近道だということなんですが、私自身としては、そろそろ五十九ですから、この世を終わるについて、何かをしたいと思っています。今日のお話のように「与え尽すことが全てだと。そして、心から湧き出てくるのが一番近道だ」という事なんですか?
ありがとうございます:
太陽を神様に例えた時に、太陽にまともに向いている時、太陽を中心に見ている時は、本当の最高表現を感じ取れるときなのね。ところが、視点を太陽からズーッとずらしていくでしょう。横を向いているところが「この世」みたいなもんよね。光源を見てないから、段々と下へ行くと、地獄の方へ向くわけ、光の末端ですよね。だから「ありがとうございます」というときは、まともに太陽を見るような感じで、神様を見つめようという時なのね。
その時は、一番上の最高の表現を受けやすい状態になるんです。だからいろんな無限の無限のチャンネルの番組があっても、最高番組に心が向いていくのです。そこにはもう輪廻転生も何もないです。一瞬一瞬、最高の姿が現れるばっかり、それを受け直すばっかり。逆にいうと、小さい自分が消えて宇宙が自分になっていくのね。新しい宇宙が自分、受けたものが自分になっていくの。そうすると、大きい自由自在な自分に、大きい自分に、幸せを掴んだ自分になるんです。
-ありがとうございます-
それは「ありがとうございます」を言っているうちに、どんどんあがっていくんですね。-
ありがとうございます:
だから、与える心が最高番組の波なんですよね。本当に与え尽すという心が、最高番組にピタッと波長が合うんです。また、感謝の心も最高番組にピタッと波長が合うんです。両方の心でしっかり生きようとするだけで、番組がどんどん上へ上がって光源をまともに見るようになるのです。
-ありがとうございます-
「必要必然」とは、例えば、今日先生がおっしゃった、偶然じゃなくて必然だとかいわれます。何かその辺がわからないです。プログラムされてると、聞いたり読んだりしますが、よくわからないんです。
ありがとうございます:
一応、決まっているというのはね。神様の創った無限の無限のチャンネルというストーリーは、これぜんぶ決まるんです。これは誰も変えられないですね。チャンネルを自分が選んで自由に味わえるというところに、人の自由があるのです。
どんな運命でもチャンネル選びは自由に選べるわけね。その必然性というのは、その人が心で本当に願ったら、必ずその必要なものを神様は的確に与えるの。高い番組へ戻りたいという願いが出たら、間髪を入れず、神様の助けがスッと入っていくんです。必要な助けは、神様は常に与えようと、し続けてくださっているのね。これは必然なのね。もう、絶対見逃すことなしに助けてくれます。
ただ、自分が「自由勝手にしたい」という時は、その人の自由を尊重するしかないんで、神様は干渉できないのね。「低い番組が見たいなら、どうぞ」と言うしかなく、地獄まで行って「地獄の番組を味わいたい」と言うんだったら、もう地獄まででも落とすのね。これはもう強制も何も出来ない。その人の自由意志に任せるしかないの。
その人が低い番組から抜け出したいとか、高い番組を見たいというのだったら、神様の御心と波長が合ってくる。その時は、もう必ず間髪を入れずに助けてくださるの、必要な助けを的確に与えてくださる。「必要な助け」というのは、その時に合わせての必要な助けね。強い光に慣れてない時には、やわらかい光で順番に助け続けて、段々と強い光に慣らしてから強い光を与えてくるね。それも必然的に的確にね。
ここへ来るという前に、みんなは必ず「ありがとうございます」をかなり唱えてきて、慣れてきているはずよね。それで「ありがとうございます」の本当の意味を確認できる自分になって、ここへ来ているの。だから、ちゃんと必然的に神様が助け続けて、自然に導いてここへ来させている。神様が必然的に助け続けている姿をとっているのね。偶然じゃないの、神様の計画が大きくて、至れり尽くせりで、ズーッと護り続けている結果なの。だから、最短コースを歩んでいる、歩ませてもらっているはずです。
ありがとうございます-
守護霊さん、守護神さんが?-
ありがとうございます:
だけじゃないね、本物の神様やね、全ての全てなる神様は、守護霊さんも守護神さんも自由自在に使いこなせるでしょう。本物の神様は、守護霊さんを使う時は、守護霊さんの助けだけが必要なとき。守護神さんを使う時は、もっと大きい力で光が必要なとき、自由自在にどういう姿でも使って、宇宙の全部を使いこなせるのです。それで必要な助けを与えていくのね。
-ありがとうございます-
低い番組を見てるときには低い番組を応援してる神様も。
ありがとうございます:
低い番組を通して、何かプラスの助けを与えてくるのね。
-ありがとうございます-
よく、憑依霊とかいいますが。-
ありがとうございます:
マイナスは違うよ。神様の助けじゃないね。例えば、やくざの世界に入ったとするでしょう。やくざの世界で一番力のあるのが親分じゃない。その時は、親分を通して神様が働くのね、いつも悪い親分でも、神様が使ったら良い親分になっていろいろ助けをしてくれる。どの番組のどんな姿をも神様は使いこなせるの。それはもう自由自在に使えるから、場合によったら動物を使うかも知れない。
例えば、雪の降っているところで遭難して「ああ、もう駄目だ」という時は、犬が神様に使われて救いに立つかも知れない。それはもう自由自在に神様は全てを使いこなせるから、そういう意味で助けてくれるわね、必要な助けを与えてくれる。ただ、それも神様の助けを必要としないといけないよ。神様の助けを拒絶している時はいろんなことが起こるのね、それは仕方ないのです。
-ありがとうございます-
得をしたいと思うことがありますね。それもその人が段階を追うというので、それは一番いいことなんですか?-
ありがとうございます:
神様の方が的確に見抜いて必要な助けを与えようと、ジッと待っているから、時期が来たらサッと助けに入るんです。人のほうは逆に言うたら、お節介をして時期をずらす場合があるわね。教える場合でも、お節介よりも逆に隠すぐらいがいいよね。「これは大事だから、まだ駄目よ」ってね、そのくらいの気持ちで居ても、本当に必要な人にはスッと出てくるね。
-ありがとうございます-
じゃあ、癌をなくそうと抗がん剤を作ったり、思ったり、いろんな療法を行動して行ったり、それはどういうことになるんですか。
ありがとうございます:
みんな、人一人自由よね。だから、お医者さんになったり、薬剤師になったり、薬を発明、発見したりする人も、その人の自由意志で生きているから、その邪魔をしてはいけないね。また、「薬を使いたい」という患者さんも、その人の自由意志で選ばないとね。自分にはそれはもうぜんぶ必要なく、神様だけにすがればぜんぶ解決してもらえるのも、それもやっぱり一人一人の自由なの。
「こうしたらいいよ」と言うよりも、自分は自分のいいいきかたをしっかり選んでいるうちに、周りの人はみんなそれを見ているのね。自分にとって必要なものを、そのつど選んで行くから、より良いものを選ぶようになっています。自分の生き様だけを、自分が納得するいきかたをとっていたら、周りの人はその影響でどんどん良くなるの。どんな良いことでも、まだ時期が来てない人に「これいいよ」と言っても無理よね。逆にそれが負担になったり、マイナスに働いたりするときもあるのね。
本当に必要な時は、自然に神様が先に手を差し伸べるんです。その神様の助けを受けて、自分もそういう御用に使ってもらうんだったら、これも必然的に助ける働きをして行くよね。そしたら、もうお節介な気持ちがなくても、自然にスッと話も聞いてくれたり、いろいろ自然ないい話がスッと口をついて出てきたりね。「ありがとうございます」をすすめるんでも、自然にスッと出てこないとすすめにくいでしょう。無理やり「話してあげんならん」と思っても、出てこないときは、出てこないよね。だから、出てこない時は言ってはいけないとき。本当に必要な時は、自然にスッと出てくるの。神様が自分の口を使って話してくれるということが多いよね。だから、自然体でいいと思うよ。その方が楽よね。
-ありがとうございます-
そういうオールマイティな神様に「全託することが出来ない一番の妨げとなっているもの」といったら何なんでしょうか?-
ありがとうございます:
それは、まだ自分がしたいことをいっぱい持っている時よね。最初に神様から送り出されてきたときは、「自由に好きな番組を楽しみなさい」って送り出してもらうわね。ある程度楽しまないと、最初からサッと神様のもとへ戻れないの。
やっぱり自分の好き勝手なことをしてしまうという時期が必要なのね。それをある程度時期が過ぎると、今度神様が恋しくなってプラスの最高番組を見たくなって、神様のほうへ心を振り向けてくる。ちょっとした時間の差なんよ。必ず、そういう時期が来てスッと神様のもとへ引き戻してもらえるよね。それが人によって、ちょっと時間にズレがあるというぐらいね。
不思議のおもしろさ
-ありがとうございます-
今日は神事があって、「ありがとう村に企画運営してください」といわれる中で、いい意味の信じられないことがあって…それは、どういうことなんだろうと、ちょっと考えてみても解らなくて、不思議な気がするんです。-
ありがとうございます:
「ありがとうございます」と唱えているだけで、摩詞不思議なことが連続して起こるんです。必要なものも、必要なだけじゃなく、もう豊かに豊かに、必要なものを与え続けてもらうでしょう。不思議不思議の連続。これがまた不思議でたまらんのです。
神の計らいと、人間の願いや計らいとはぜんぜん違うね。神様のほうは、無限に無限に大きく多いし、人はチョッチョツとよね。だから、不思議でたまらんのがいいじゃない。わかってしまったら大したことがなく、「わからないところが素晴らしい」といえるもんね。
段々と、気付きが大きく深くなっていくと思うんだけど。ひとつのいいことがポツッと起こるだけでも、ちょっとひとつ起こったというだけじゃないの。大きいマイナスをぜんぶ消して、ゼロにするだけでも大変な大きい力や助けを受けないといけないでしょう。その上にプラスして「いいものがポット出た」というくらいの受け方がいいのね。
常に「大難を幸せな姿に変えてもらっている」と、思うだけで大きい無限の助けをいつも受け続けているわね。だから、ちょっとやそっとの助けやないのね。見えないところの働きの方が、本当は無限に無限に大きい働きをしてくださっているんです。助けて、助けて、まだその上に助けて…という感じね。それで現実のいろんな姿がプラスに置き換わって出てくるのね。
-ありがとうございます-
瞑想のときの「パンパン」の響きは、鼓動のような、どういうのでしょうか?-
ありがとうございます:
あれは柏手の音よね、それと口笛とね。柏手って、陰陽を合わせて光がポーンと出るの。それで、心境のいい時は心境のいい光が強くポッと出るのね。だから「ありがとうございます」を唱えて柏手打った人は、光がパーツと出るね。
その本物の光は、一人一人に合わせていろんな色合いの光がサーッと出てくるから、強かったら強いだけがバツと出るんじゃないの。大勢こうしていると、強い光が必要な人には強い光が行くし、小さいやわらかい光でそれだけでいいという人は、それだけの光になってその人に届くのね。不思議な響きなんよ。
だから、一人一人ぜんぶ感じ方が違うし、同じように聞いても感じ方が違うのね。ある人はね、鳥の鳴き声そのものに感じたり、念仏に聞こえたりする人もあるのね。やっぱりその人にそれが必要だから、念仏に変化するの。感想を聞くとみんな違うのよ、不思議だけど、それが面白いとこよ。
-ありがとうございます-
柏手を聞いていてお祈りをしていたら、嫌な思いがバッバッバッといっぱい出てきて、それが出てきたとき、凄く感謝というか、感じられたんですよ。-
ありがとうございます:
心の奥深く溜まって、もうドロドロになってコールタールみたいにベターッとひっついている場合があるのね、それが神様の強い光でパッと浮かび上がらせると、嫌な思いがいっぱい表面に浮かび出て、中からと外からと両方でパッと消してもらうのね。そうすると、もう感謝の心が中から湧きあがるのが感謝の心よね。
心の底の大掃除してもらうとスッとありがたい感じが出てくるでしょう。これが本当の一番いい神様の助けの受け方なの。大きく助けてもらった姿の現れね。表面だけがよくなっても、心の中にマイナスがいっぱい溜まっていたら、なかなか感謝の心は湧いてこないでしょう。「ちょっと良かったなあ」というぐらいしか思わないね。でも、マイナスがバット出てきても「ありがたいな」という気持ちが起きたら、それはもの凄い大きい助けを受けた後の結果なの。幸せなことよね。
その時にその人に一番必要な助け方があるの。一人一人に合わせてその人の最短コースの助け方を、全部してくださるんで、いろんな助け方が神様にはあるんで、人真似はしなくていいよ。こういう助け方もありがたいなというぐらいでいいよね。
この柏手と口笛は、「世界人類が平和でありますように」て、世界平和を提唱された、もう祈りだけを続けられた五井昌久先生。世界平和の祈りというのも素晴らしいでしょう。先ず「世界人類が平和でありますように」ってね、この言葉が心をグッと広げてくださるでしょう。「世界に、人類に」って、心を広げる意味で大事なのね。だから「ありがとうございます」もいいんですけど、先に心を広げると「ありがとうございます」も大きく広がるでしょう。
「日本が平和でありますように」というのでも、本当は島国日本じゃないく、大きい意味の、世界と同じ意味の日本なんです。ただ、人によったら「自分の国が」という捉え方もあるから、そういう意味だったら必要な人には必要なのね、そういう小さい意味も含めて、「日本が平和でありますように」でもあるし、「私たちの天命がまっとうされますように」というのも同じよね。「私たち」というのも「全体」なの。自分だけ小さく「私たちだけ」じゃないのね。これもやっぱり「全体」というふうに大きく見てるんです。
先ず最初に、「守護霊さん」が出てくるでしょう、一番身近な護り手よね。そしたら守護霊さんの助けを受けやすい状態、その次に守護神さんというと、もうひとつ大きい護りを受けやすいのね。次に、五井先生と出てくるね。これは肉体の五井先生じゃなしに、五井の大神という、宇宙の五つの直霊の働きを束ねる大きい働きの神様。五井昌久って、仮に肉体人間に生まれたんですけども奥の本体の働きを、五井先生というふうに呼んでいるのね。
最後に「ありがとうございます」て、これは宇宙の大神様の全体像を指す言葉なんです。本物の宇宙の大神様の全ての全てなる働きを指しているわけ。最後はやっぱり「ありがとうございます」が大事なの。最後の締めくくるというのが、全体に大きく力を添える働きをする神様というのが大事なのね。だから、心の広げ方とか、拝み方はいろいろあるんで、いろんな角度から深くなって大きくなるのです。
ありがとうございます。
ありがとうございます:
新しい世紀に入って本物を求める時代になったと言われています。本物の時代というのは、神様の御心、最高のものが降りてくる時代ということね。神様の御心というのは、無限の無限のプラスそのものです。この世にあるようなものじゃないの。最局理想の姿がこの世に現実化してきたら「神様の御心のままに」といえるけど、まだまだ今までの時代の姿では程遠いですね。
これからは本物の時代に入ってくると、そのために何が必要かというと、本物の神様がみんなの中に、一人一人の中に入ってこないといけないですね。それが、どこから入ってくるのかというと、外からじゃないの、中から湧き上がってくるのね。本当の神様の助けは、棚から牡丹餅がポンと落ちるような、外から与えてもらう助けは偽物なの。本当の神様の助けというのは、中から湧き上がってくる力です。どんな難問題でも右、左に解決できる方なのね。それが最局理想を現実化する本物の力です。その本当の力がみんなの中から湧き上がってくるようになるには、その為に必要なことは、先ず「ありがとうございます」と神様を呼ばないといけないよね。「ありがとうございます」は、究極の神名で「神様の名前」であり、本当の神様の最後に呼ぶ名前なのね。「ありがとうございます」と唱えたら、本物の神様がスッと助けに入ってくるの。逆に言うと、助けに入ってもらった結果が「ありがとうございます」というふうに出てくるのです。
そして、「本物の助けを受け入れよう」という気持ちがあったら、もう間髪を入れずサッと助けが来るのです。そういう人は「ありがとうございます」って、心に唱えられるように変わってくるのね。ここに居る人はみんな「ありがとうございます」を言える人だから、神様の本当の助けを受け入れようと、心に定めた人なのね。そういう人には、神様はスッと助けに入って、大きく助け続けてきてくれているのです。必ず、本物の神様が中から湧き上がってきて、本当の自分が輝いてくるのです。それには、外に頼るといけないですね。学校の勉強でもそうでしょう。試験問題がある毎に、人に解決してもらっても意味がないでしょう。自分の実力でせんぶ百点満点になっていかないといけないよね。
また、問題を人に預けるといけないね。自分に与えられた問題は、自分の能力を、力を引き出すための課題なのだから、それに一生懸命取り組まないと損をします。どんな問題でも自分の問題として解決していくのがいいのね。そうすると、中から本物の力「神様の力」が湧き出てきます。人の問題でも、「自分の問題」として取り込むぐらいがいいのだけど、勝手に人の問題を自分が解決してしまって、人の勉強の邪魔をするのはいけないですね。そうでしょう。人の問題を取ってしまうといけない。そう言う意味では勝手なことはできないけど、みんなの勉強を、自分の勉強として勉強するのは構わないからね。
だから、自分にとって、全てが自分に与えられた勉強というふうに受けるのがいいよね。そして、どんな問題でも即座に解決できるぐらいの力を中からもらわないとね。自分の中に本当の神様がいるのから、その神様を引っ張り出すのです。それは、もう「ありがとうございます」と心に唱え続けながら、「与えて与えて与え尽す」というように、自分の力を出し尽くさないといけない。その時、中から湧きあがるように出てくるの。丁度、井戸と同じなのね。井戸の水は外へ出せば出すほど、中から新しいきれいな水が湧きあがってくるでしょう。井戸の中へ、外の水を放り込んだら濁ってしまうわね。汚れが溜まっていくわね。だから、自分の中のものをぜんぶ与え尽くしていくと、どんな力でも、能力でも、何でも「全てを与えて与えて与え尽くして」早く循環させる方がいいです。そうすると本物の神様の力がいくらでも中から湧きあがってくるの。本当の自分を引き出すそれが一番の最短コースになります。
だから、「ありがとうございます」と唱えながら全力を尽くすというのが大事なんです。それも「与えて与えて与え尽きない」ぐらい、お返しを求めずに与えないと損します。逆にお返しは、拒絶するぐらいの方がいいのね。貰ったら損するぐらいの方が…。それでも受ける必要のある時は、受けてあげるのも大事なんですけど。ただ、「外から受けた分は損する」のを、覚悟しとかないとね。「自分の中から与えたものだけが、本当の神様の力を引っ張り出す」これからは、そういう時代になってきているのね。神様が中から湧き出て、輝き出て、本当の自分に変えてくれる時代なのです。本当の最高表現の極楽世界というのが、そういう与え尽くし合いの世界なのです。先ず、自分が神様の為に「全てを与えて与えて与え尽くす」。そしたら、神様が宇宙全体が自分に与え尽くしてくる姿をとるのね。求める心の一切ない世界が、神様の最高表現の世界です。それが本当の理想の世界やね。
今までは、求める心というのを持っていたと思うから、いろいろ苦しんだのです。求めるから苦しむの。今度は、それを積極的に「与える心」で生きるのね。そうすると求める心が消えてしまう。求める心を消したら、与える心が生きるじゃない。与える心が生きたら、求める心が消えていくの。だから、前向きに与えることだけを心がけるのね、そうしたら、求める心なんか相手にしなくって済むのです。そして、どんどんどんどん神様の助けを受けて与えるほど、喜びが、幸せが湧き出てくるようになる。それがこれからの生き方なのです。
ボランティアの時代
ボランティアというのは、報いを求めんと与える心なのね。お返しを求めたらボランティアとは言えないの、だから、報いを求めずに与えるところに、本当のものが出てくるという時代なのです。それが幸せへの最短コースだから、ボランティアが、本当の奉仕者が、これからどんどん増えてくると思うのね。特に、過去世で心にいっぱいマイナスを積み重ねている人が多いです。心のマイナスを消す最短コースというのが、この自分を神様に捧げ尽くし、自分のマイナスを神様に引き受けてもらう。そうすると早く消えるのね。ところが自分の中に溜めて置いて、自分の力で消そう思ってもなかなか消えないのです。特に、マイナスというのは利息の高い借金みたいなもんです。いつの間にか膨らんでしまうから、それはもう神様にサッと預けるのが一番いいよね。神様に預けていけば、もう簡単にスースーツと消えていくの。本当の意味でボランティアがいいね。本当の意味のボランティアは、人ヘのボランディアじゃなしに、「神様への奉仕」が、幸せへの最短コースになるのね。人に、物や親切を与えても、自分の持ってるマイナスは消してくれへんの。逆に、人にマイナスをかぶせるだけやね。人に与えた分は、跳ね返ってくる。親切ごかしになんぼボランティアをしても、逆に反発食らうのがオチなんよね。それは、マイナスを消す力のない人に与えても消してもらえないの。やっぱリ神様に向けないといけないね。神様へ奉仕するというのは、大きく全体へ奉仕することなのね。個人に向けるんじゃなく、全体へ与え尽くすという気持ちですると、神様が引き受けてくれるのね。そしてマイナスを消してプラスに変えて、与え返してくれるから、どんどん楽にしてもらえるのです。
7月の月に「親王祭」を行うわけ
今日の、親王祭というのも、惟喬(これたか)親王さんというのは、昔は「皇(すめら)大明神」ともいわれたのね。皇室に生まれたからじゃなく、宇宙絶対神の御心をしっかり把握した人だったの。「皇(すめら)」というのは、「すめたかあまはらみこと」という略なんです。「すめたかあまはらみこと」というのは、宇宙の絶対神のことなのね。宇宙絶対神の心を体現してる、身に現してる人を「すめらみこと」というのね。だから、天皇陛下のことも「すめらみこと」ともいうのです。真理を悟った人も「すめらみこと」ともいうのね。お釈迦さんや、キリストのこともそうよ。
だから、みんなもそうなんよね、感謝行をして奉仕してるうちに、本物の自分に置き換わってくる、言うたら、宇宙絶対神の御心を体現するのよ。そしたらみんな「すめらみこと」よね。「すめら」というのは、言霊的に見ても素晴らしい言葉なんよね。
今日の御陵というのは「皇(すめら)の聖地の中心地」なのね。全体に光の大きい柱の立っている場所なの。光は、細い光じゃないから、絶対光だから、包み込まれてしまうから、見えないよ。光の柱の中へ入ったら見えないの。ただ、もの凄い光の柱は立ってるね。神様の光というのは、必要なだけの助けを受ける自由自在な光なの。だから、やわらかい光の必要な人にはやわらかく感じるし、厳しい光強い光が欲しい人には強い光を感じる場所なのね。だから、あの山一帯がスッと心が澄み切る場所になってるのね。あまり汚れのないところなの。特に、お金儲けとか、欲を出す人は、はじき出される場所なのね。あそこは、お金儲けは出来ない場所なのです。
前向きにあそこを活用して、これからみんなで大きい働きをさせて頂こうということで、一応意見がまとまったし、これからあそこを活用させてもらうようになっていくと思うね。いろんな問題はあっても、他に頼ってたら前に進まないから、自分の中の力を振り絞って、本当の神様の助けを受けたら、どんどんどんどん道が開けるし、最高理想を現実化して行けるってね。逆に言うたら、問題を与えてもらう方が幸せなのね。その問題と取り組んで本物を引っ張り出してもらうのです。
ここへ今日来られたんも偶然でもなんでもないのね、みんなそういう使命を持って来られているの。どの場所に居ても、神様の光のネットワークで、みんなの心はつながっているから、自分一人の生き方が、全体に大きい力を与えるのね。そういう意味で大事なのです。たまに、集まるというのもいいのですね。惟喬親王さんの「親王祭」というのをこれから行うように、毎年、七月の二十日海の日を予定をしています。まあ最低、年一回は集まって欲しいと思うのね。それ以外にも、これから大きい運動を、本物を発信する人と、いろんな分野で本物を発信する人が大勢集まって、みんなで協力し合って、世界を最高理想の姿に変えて行きたいんです。みんなとして行こうと思うので、よろしくお願いします。ありがとうございます。
【この間、あるヒーラーの方とお目にかかったら、2001年7月は特別な月だといろんな方が予言されていると聞いたんですけど。そうなんですか?7月というのは何か時代が変わるとか。】
ありがとうございます:
それは、いろんな考え方があってもいいんです。無限に違う考え方があってもいいのだけど、ただ、どれを受け入れるかでしょう。いいものをどんどん受け入れたらいいだけよね。本当は、もう一瞬一瞬いいものを受け入れていくのが一番理想なの。最高のものを受け入れていけばいいだけで、固定するそういう縛りの予言なんてあんまり大したことないもんね。「日々これ好日」というのがいいのでしょう。常に、良くなるだけ。それも一つの考えとしては、別に間違っているとは言えないし、良いかも知れない。でも、もっともっといい生き方がたくさんあったら、そっちの方へ心を向けるのも大事よね。みんなプラスに受けたら「7月もいいことが起こる、8月ももっといいことが起こる、9月はもっともっといいことが起こるかも知れない」というのがいいじゃない。
神様への奉仕とは
【先程、神様に対してのご奉仕が一番大切だというようなことをおっしゃったんですけども、神様へのご奉仕の具体的な事例を、ちょっと幾つか示していただきたいのですが。】
ありがとうございます:
神様ってどこにいるかというと、別に宗教団体にいるんじゃないです。だから、宗教団体に奉仕じゃないのね、神様に奉仕というのはね、神様という全体なんです。全体への奉仕。だから、世界の平和とか、全人類の幸せとか、全体の幸せのために何かさせてもらうことが神への奉仕に当たるのね。
【それは「人に対してだけのご奉仕ではない」と言うことですか?】
ありがとうございます:
だから、全てを神様の現れと見て奉仕させてもらうのね。
【ということは、自分の心の内側から神様に対して感謝する。】
ありがとうございます:
だから、先ず、神様に感謝がいるよね。全てが神様の現れと受けること。みんなへの奉仕というのは、その神様の現れへのご奉仕です。そうすると、神様との心の交流が起こって、自分のマイナスはプラスに置き換えてもらえて、どんどん幸せを大きくしてもらえるね。でも、神様を無視すると、神様と交流が起こらないから、現実を見ても、神様の現れとは見えないのね。「何か、マイナスの多い人」と見えてしまうのね。その姿で交流したら、相手のマイナスを貰うばかりで、また、自分のマイナスも相手にかぶせるだけで終わってしまうのね。だから、先ず、神様と交流するというのが大事なの。そういう意味で、神様への奉仕ね。感謝しながらみんなに尽くしていくというのがいいよね。
子育てで、大切な事
【子供を育てる上で大切なことがありましたら。】
ありがとうございます:
一番いいのはね、外から自由を奪って型にはめるんじゃなくて、本当の教育というのは、良いものを引っ張り出すことなの。「拝むこと」が一番の教育の根本だと思う。「みんな神様の現れ」、「無限に無限に素晴らしいんだ」というふうに自分が拝み出していくのが、本当の意味の教育です。だから、「感謝する」というのがいいね。感謝しているうちに、みんないい姿を自分に対して見せてくださるというようにね。子供を下に見てどうこうするんじゃないの。逆に、「神様が子供の姿を取って、自分幸せにしに来てくださっている」というぐらいに拝んでいると、もう、いい姿ばかり見せてくれて幸せを大きくしてくれるのです。そしたら、もう「教育する」というよりも、逆に「教育されている」感じになるかも知れない。子供によって自分を大きく磨いてもらって、幸せを見させてもらって、という感じよね。逆みたいだけど、子供を「先生」と思った方がいいかも知れないね。
ビジネスの適正価格・利潤
【さっき「出し尽くして、返してもらわない方がいい」とおっしゃいましたよね。そうすると、私もビジネスとしてやっているんですけれど、我々の常識では、適正価格というのが一番正しいというんです。適正価格も、もらわない方がいいんでしょうか】
ありがとうございます:
例えば、場所を借りたりするでしょう。自分が借りてするんだったらお金が要るでしょう。それを「参加する人に借りてもらっている」という感じだったら、その人がお金を出して借りてくれているというのだったら、別にいいでしょう。必要な経費は報酬とは違うわね「させてくださっている」というのだったら、「もう、自分と関係ない」というふうに見たほうがいいでしょう。そういう部分の必要経費は、「みんながそれを負担してくださってありがとうございます」というような気持ちでね。ただ、自分としたら与え尽くすだけで、もし自分に必要なものだったら、「神様からその人を通してプレゼント」というくらいに受けてもいいね。「部屋を借りて、みんなのお手伝いをさせてもらって、私が代わりにお金を預かってお支払いするんだ」というぐらいだったらいいんじゃない。
【その中に、人件費とかそういうことも含めて…。】
ありがとうございます:
あくまでも、自分は無報酬で働いて、神様から必要なプレゼントを受けているというね。そしたら、気持ちがすっきりする…
【物を売っている方だったら、その物に対してプラスアルファ利潤、というのをのせて適正価格にするんですけど。私は、物を売るのじゃなく、例えば、ノウハウ料というんでしょうか、それには利潤の部分はのせない方がよく、最低必要な経費だけのほうが良いのでしょうか?】
ありがとうございます:
プラスアルファを付ければ良いのだけど、プラスアルファはお金じゃなく「感謝の気持ちだけ」というようにしておけばいいね。人には「与えたい」という気持ちがあるでしょう。自分も人に与えたい気持ちで「与え尽くそう」とするわけでしょう。参加した人も、幸せ感じて感謝の心で何かお礼をして「与え尽くしたい」と思ったら、その気持ちは光だから、受けてあげないと光の交流にならないよね。光はたくさんもらうほうがいいんでしょう。決めておいて、無理やり取るのは、光がなくても受け取ってしまうもんね。そういうのはもう必要ないです。光と光のやり取りだったら、お互いの光が交流するほど両方が良くなるのね。
これは極端な理想論だけど、プラスアルファは「感謝の心だけ、気持ちだけでいい」というぐらいでもいいのよ。それで循環すると、光の循環が大きくなっていくと思うね。そこまで無理に一足飛びにしなくても、あまりボロ儲けはいらないもんね。また、人に応じて自由に自分が払ってあげてもいいし、お金がたくさんある人からもらってあげてもいいし、無い人には無償にしてあげてもいいしね。本当の貸し借りは長い目で見ないとわからないでしょう。今、お金をもらったけど、何時の貸しを返してもらっているのか、わからないじゃない。それがまた借りかも知れないしね。過去にたくさん貸してあったのを、今返してもらっているんだったら、もらっていいかもしれないし、逆にまだ返している途中なのかもしれない。だから、表面の姿では、なかなかわからないよね。プラスアルファは「あなた任せ」というのが一番理想なんよね。一番理想なんだけど、その辺はもうほどほどでいいし…。
【今までは、私一人で十五年間やってきたことなんです。料金の決め方は、カルチャ教室でやっているので、カルチャ教室がちゃんと適正価格を決めてくれて、私はそれを受けていたらよかったんです。今十五年もやってきたことをもっとたくさんの人に聞いてもらうために、全国展開というような動きが出てきて、ビジネスの得意な女性が「面白いからやらせて、やりたい」と言って来てくださって、お任せしているのです。私はお金の計算とかビジネスが出来ないほうなんで、非常にいいカップルなんですが、彼女の方は、きちきちと利益ものせて、経費を考えてくれて価格を出してくれていますから、私が適正価格に戻そうとしてしまうと「それでは、大きくなっていかないし、人も雇えない、スタッフのお給料とかボーナスが出せないでしょう」と、いつも彼女から怒られてるんです。それはそれで「凄くありがたいんかなあ」と思いつつ、目の前に来たお話は、「お金がない」ないけど私の話を広めたいから呼んでくださるというケースも出てくるわけですよね。それをどう噛み合せていくのかが私はわからなくって…。】
ありがとうございます:
時間が空いてるんだったら、自分の空いた時間を活かすのがいいことよね。中から神さんの助けを大きく頂くチャンスだし、ただ、相手の人も活かしてあげないとあかんでしょう。
【システムとして、定価を破ってしまうという例外を作ってしまいます。】
ありがとうございます:
それも活かしてあげないとね。それも別に否定する必要もないし、否定するといけないよね。その人の生き方を否定するのは間違いよね。その人はその人でいろんな勉強をしてるんだし、そういう生き方で何か学ぶとこが多いと思うし、また、幸せの道に乗っているとも言えるしね。だから、大事なんは全部が生きる道よね。
【彼女にシステムは作ってもらう事にして・…】
ありがとうございます:
それはそれでそのまま任せて、自分は自分でその中にはまり込まんでいいでしょう。その中に、はまる時もあってもいいけどね。ただ、他の自由な生き方もプラスして何倍も生きた方がいいね。
【私共は、ちょっと高額な商品を扱う会社を経営しておりまして、さっきの女性の方もおっしゃっていました、利益の捉え方に悩みがあるんです。頂けるものを素直にスッと頂くという形では、従業員も抱えています。簡単に言えばお金の問題なのですが、ある種お客様の夢を実現させて頂いて、それを結果として、頂いたという形で事業展開できれば、それはそれで凄く気分的に楽なんですね、その辺の悩みがあるんです。やはり会社の経費をのせた形で何千万という費用があるんです。それだけ高くなってしまいます。そのお客様は現金で出来るものではないので、お金を借りて頂いてという、一つの苦しみみたいなものがあった上で僕らの商売がなってるんです。その辺がこの四五年凄く悩みなんですね。また自分自身も事業を進めていく上に、資金繰りが非常に辛いなあと思う気持ちが、この頃あるんですね。その辺の利益的な捉え方、利潤という考え方を少し教えていただけませんか?】
ありがとうございます:
いろんな形で、そういう問題を与えられてみんな勉強してるんですけどね。それは、もうすっきりした時は卒業なんです。ただ、お金と、実際に人に与えたものが与え返されるというのは、本当の因果の理法とはちょっと違うんです。因果の理法は厳然と働くんですよね、誰に対してでも、与えた物は与え返されるってね。それはもう厳然としていますね。だから、何を与えたかという、どれだけ人を幸せにしたかという、こっちが大事なのね。そしたらもうお金は関係なしに、与えたものは必ず与え返されてくるんです。タダで与えたらタダで返ってくるし、お金をもらったらそのお金で同じものを買い戻すわけよね。これはもう厳然としているわね。バブルの崩壊というのは、例えば、安い土地を高く売って、お金をようけ儲けたでしょう。本当に価値あるものを与えて返してもらったんじゃないよね。逆に、それは安い土地を高く売った分は、みんな高利の借金を背負ったことになっているね。借金してまで賛沢したら、あと大変なのはわかっていますよね。それを自分の利益だ、儲かったんだと思って安易に使ってしまうと、後でその付けが回ってきてる人が多いよね。高利の借金をしてでも正しい良い使い道があるんだったら、それは間違いじゃないですね。もっと人を幸せに活かせる道があるんだったら、別に借金を絶対したらいけないということはないと思うんです。やっぱり、その辺のことがわからずに手に入ったお金は、あぶく銭になって無駄に使ってしまうことが多いですね。お金の金額じゃないです。会社を経営して、社員、従業員のためにお給料を払うんでも、働きが少ないのに高いお給料をもらったとこは、必ず問題が起こるんです。幸せを掴めないんですね、やっぱり与えただけの幸せしか掴めないのね。だから、お金の額じゃないんです。高給取りは必ずしも大きい幸せを掴めるんじゃないのね。逆の場合が多いよね。
一生懸命働いているのにお給料が安い、その方が幸せが大きいんです。無駄な使い方はしないし、必要なだけに使うでしょう、徳も失わないね。それでいて必ず必要なものは与え返されるのね。ところが働きが少ないのにお給料だけが高いというと、もうそこはやっぱり問題が起こります。その働いた分が少ないのに、たくさん与え返されることは絶対ないです。高いお給料をもらうと、やっぱり安易に贅沢に使ってしまいますね、必要なことに使わんと、欲しいものを無駄なものを使ってしまうわね。そうするとそれが、借金を積み重ねた姿をとって、あと大変しんどい目するのね。世の中にいろんな人がいても、本当に気付くまではどうしようもないよね。ただ、その気付きを早くするのは、また神様の助けを大きく受けるのは「ありがとうございます」って感謝して、神様を受け入れたらいいのね。マイナスの循環があっても「ありがとうございます」をそこに加えたら、プラスの循環に変化するのね。同じ額のお給料をもらっても「ありがとうございます」と神様を通して受けた分は、必ずどんなマイナスでもプラスに変化するの。プラスに変化した分は何倍もプラスになった、得したお金なんです。だから、循環する姿はそのままでいいじゃないですかね、後プラスを神様に加えてもらえばいいね。そしたら、循環する過程で光がどんどんみんなに振り撒かれる分だけ、自分も人もみんな幸せにしてもらえるんです。
【仕事の中へ感謝の心を一つ加えて…。】
ありがとうございます:
うん、うん、そうよね、それで自然にみんなが幸せになっていくと、段々と本当の生き方へ戻りますよ。
幸せになる一番近道
【Yさんから頂いたテープを聞きました。先生は十六年生まれとか、私は十八年で、もうそろそろ定年です。私は輪廻転生を考えていまして、お聞きしたテープには輪廻転生はないと言われているのですが、どういうプログラムできたのかいうことが私にはわかりません。今日のお話ですと、すべて与え尽くせば、また何かが出てきて、そこから何かが出てくると、それが一番近道だということなんですが、私自身としては、そろそろ五十九ですから、この世を終わるに付いて、何かをしたいと思っています。今日のお話のように「与え尽すことが全てだと。そして、心から湧き出てくるのが一番近道だ」という事なんですか?】
ありがとうございます:
太陽を神様に例えた時に、太陽にまともに向いている時、太陽を中心に見ている時は、本当の最高表現を感じ取れるときなのね。ところが、視点を太陽からズーッとずらしていくでしょう。横を向いているところが「この世」みたいなもんよね。光源を見てないから、段々と下へ行くと、地獄の方へ向くわけ、光の末端ですよね。だから「ありがとうございます」というときは、まともに太陽を見るような感じで、神様を見つめようという時なのね。その時は、一番上の最高の表現を受けやすい状態になるんです。だからいろんな無限の無限のチャンネルの番組があっても、最高番組に心が向いていくのです。そこにはもう輪廻転生も何もないです。一瞬一瞬、最高の姿が現れるばっかり、それを受け直すばっかり。逆にいうと、小さい自分が消えて宇宙が自分になっていくのね。新しい宇宙が自分、受けたものが自分になっていくの。そうすると、大きい自由自在な自分に、大きい自分に、幸せを掴んだ自分になるんです。
【それは「ありがとうございます」を言っているうちに、どんどんあがっていくんですね。】
ありがとうございます:
だから、与える心が最高番組の波なんですよね。本当に与え尽すという心が、最高番組にピタッと波長が合うんです。また、感謝の心も最高番組にピタッと波長が合うんです。両方の心でしっかり生きようとするだけで、番組がどんどん上へ上がって光源をまともに見るようになるのです。
【「必要必然」とは、例えば、今日先生がおっしゃった、偶然じゃなくて必然だとかいわれます。何かその辺がわからないです。プログラムされてると、聞いたり読んだりしますが、よくわからないんです。】
ありがとうございます
一応、決まっているというのはね。神様の創った無限の無限のチャンネルというストーリーは、これぜんぶ決まるんです。これは誰も変えられないですね。チャンネルを自分が選んで自由に味わえるというところに、人の自由があるのです。どんな運命でもチャンネル選びは自由に選べるわけね。その必然性というのは、その人が心で本当に願ったら、必ずその必要なものを神様は的確に与えるの。高い番組へ戻りたいという願いが出たら、間髪を入れず、神様の助けがスッと入っていくんです。必要な助けは、神様は常に与えようと、し続けてくださっているのね。これは必然なのね。もう、絶対見逃すことなしに助けてくれる。
ただ、自分が「自由勝手にしたい」言う時は、その人の自由を尊重するしかないんで、神様は干渉できないのね。「低い番組が見たいなら、どうぞ」と言うしかなく、地獄まで行って「地獄の番組を味わいたい」と言うんだったら、もう地獄まででも落とすのね。これはもう強制も何も出来ない。その人の自由意志に任せるしかないの。その人が低い番組から抜け出したいとか、高い番組を見たいというのだったら、神様の御心と波長が合ってくる。その時は、もう必ず間髪を入れずに助けてくださるの、必要な助けを的確に与えてくださる。「必要な助け」というのは、その時に合わせての必要な助けね。強い光に慣れてない時には、やわらかい光で順番に助け続けて、段々と強い光に慣らしてから強い光を与えてくるね。それも必然的に的確にね。ここへ来るという前に、みんなは必ず「ありがとうございます」をかなり唱えてきて、慣れてきているはずよね。それで「ありがとうございます」の本当の意味を確認できる自分になって、ここへ来ているの。だから、ちゃんと必然的に神様が助け続けて、自然に導いてここへ来させている。神様が必然的に助け続けている姿をとっているのね。偶然じゃないの、神様の計画が大きくて、至れり尽くせりで、ズーッと護り続けている結果なの。だから、最短コースを歩んでいる、歩ませてもらっているはずです。
【守護霊さん、守護神さんが?】
ありがとうございます:
だけじゃないね、本物の神様やね、全ての全でなる神様は、守護霊さんも守護神さんも自由自在に使いこなせるでしょう。本物の神様は、守護霊さんを使う時は、守護霊さんの助けだけが必要なとき。守護神さんを使う時は、もっと大きい力で光が必要なとき、自由自在にどういう姿でも使って、宇宙のぜんぶを使いこなせるのです。それで必要な助けを与えていくのね。
【低い番組を見てるときには低い番組を応援してる神様も…。】
ありがとうございます:
低い番組を通して、何かプラスの助けを与えてくるのね。
【よく、憑依霊とかいいますが。】
ありがとうございます:
マイナスは違うよ。神様の助けじゃないね。例えば、やくざの世界に入ったとするでしょう。やくざの世界で一番力のあるのが親分じゃない。その時は、親分を通して神様が働くのね、いつも悪い親分でも、神様が使ったら良い親分になっていろいろ助けをしてくれる。どの番組のどんな姿をも神様は使いこなせるの。それはもう自由自在に使えるから、場合によったら動物を使うかも知れない。例えば、雪の降っているところで遭難して「ああ、もう駄目だ」という時は、犬が神様に使われて救いに立つかも知れない。それはもう自由自在に神様は全てを使いこなせるから、そういう意味で助けてくれるわね、必要な助けを与えてくれる。ただ、それも神様の助けを必要としないといけないよ。神様の助けを拒絶している時はいろんなことが起こるのね、それは仕方ないのです。
【得をしたいと思うことがありますね。それもその人が段階を追うというので、それは一番いいことなんですか?】
ありがとうございます:
神様の方が的確に見抜いて必要な助けを与えようと、ジッと待っているから、時期が来たらサッと助けに入るんです。人のほうは逆に言うたら、お節介をして時期をずらす場合があるわね。教える場合でも、お節介よりも逆に隠すぐらいがいいよね。「これは大事だから、まだ駄目よ」ってね、そのくらいの気持ちで居ても、本当に必要な人にはスッと出てくるね。
【じゃあ、癌をなくそうと抗がん剤を作ったり、思ったり、いろんな療法を行動して行ったり、それはどういうことになるんですか。】
ありがとうございます:
みんな、人一人自由よね。だから、お医者さんになったり、薬剤師になったり、薬を発明、発見したりする人も、その人の自由意志で生きているから、その邪魔をしてはいけないね。また、「薬を使いたい」という患者さんも、その人の自由意志で選ばないとね。自分にはそれはもうぜんぶ必要なく、神様だけにすがればぜんぶ解決してもらえるのも、それもやっぱり一人一人の自由なの。「こうしたらいいよ」と言うよりも、自分は自分のいい生き方をしっかり選んでいるうちに、周りの人はみんなそれを見ているのね。自分にとって必要なものを、そのつど選んで行くから、より良いものを選ぶようになっている。自分の生き様だけを、自分が納得する生き方をとっていたら、周りの人はその影響でどんどん良くなるの。どんな良いことでも、まだ時期が来てない人に「これいいよ」と言っても無理よね。逆にそれが負担になったり、マイナスに働いたりするときもあるのね。
本当に必要な時は、自然に神様が先に手を差し伸べるんです。その神様の助けを受けて、自分もそういう御用に使ってもらうんだったら、これも必然的に助ける働きをして行くよね。そしたら、もうお節介な気持ちがなくても、自然にスッと話も聞いてくれたり、いろいろ自然ないい話がスッと口をついて出てきたりね。「ありがとうございます」をすすめるんでも、自然にスッと出てこないとすすめにくいでしょう。無理やり「話してあげんならん」と思っても、出てこないときは、出てこないよね。だから、出てこない時は言ってはいけないとき。本当に必要な時は、自然にスッと出てくるの。神様が自分の口を使って話してくれるということが多いよね。だから、自然体でいいと思うよ。その方が楽よね。
幸せの妨げとなっているもの
【そういうオールマイティな神様に「全託することが出来ない一番の妨げとなっているもの」といったら何なんでしょうか?】
ありがとうございます:
それは、まだ自分がしたいことをいっぱい持っている時よね。最初に神様から送り出されてきたときは、「自由に好きな番組を楽しみなさい」って送り出してもらうわね。ある程度楽しまないと、最初からサッと神様のもとへ戻れないの。やっぱり自分の好き勝手なことをしてしまうという時期が必要なのね。それをある程度時期が過ぎると、今度神様が恋しくなってプラスの最高番組を見たくなって、神様のほうへ心を振り向けてくる。ちょっとした時間の差なんよ。必ず、そういう時期が来てスッと神様のもとへ引き戻してもらえるよね。それが人によって、ちょっと時間にズレがあるというぐらいね。
不思議のおもしろさ
【今日は神事があって、「ありがとう村に企画運営してください」といわれる中で、いい意味の信じられないことがあって…それは、どういうことなんだろうと、ちょっと考えてみても解らなくて、不思議な気がするんです。】
ありがとうございます:
「ありがとうございます」と唱えているだけで、摩詞不思議なことが連続して起こるんです。必要なものも、必要なだけじゃなく、もう豊かに豊かに、必要なものを与え続けてもらうでしょう。不思議不思議の連続。これがまた不思議でたまらんのです。神の計らいと、人間の願いや計らいとはぜんぜん違うね。神様のほうは、無限に無限に大きく多いし、人はチョッチョツとよね。だから、不思議でたまらんのがいいじゃない。わかってしまったら大したことがなく、「わからないところが素晴らしい」といえるもんね。段々と、気付きが大きく深くなっていくと思うんだけど。一つのいいことがポツッと起こるだけでも、ちょっと一つ起こったというだけじゃないの。大きいマイナスをぜんぶ消して、ゼロにするだけでも大変な大きい力や助けを受けないといけないでしょう。その上にプラスして「いいものがポット出た」というくらいの受け方がいいのね。常に「大難を幸せな姿に変えてもらっている」と、思うだけで大きい無限の助けをいつも受け続けているわね。だから、ちょっとやそっとの助けやないのね。見えないところの働きの方が、本当は無限に無限に大きい働きをしてくださっているんです。助けて、助けて、まだその上に助けて…という感じね。それで現実のいろんな姿がプラスに置き換わって出てくるのね。
【瞑想のときの「パンパン」の響きは、鼓動のような、どういうのでしょうか?】
ありがとうございます:
あれは柏手(かしわで)の音よね、それと口笛とね。柏手って、陰陽を合わせて光がポーンと出るの。それで、心境のいい時は心境のいい光が強くポッと出るのね。だから「ありがとうございます」を唱えて柏手打った人は、光がパーツと出るね。その本物の光は、一人一人に合わせていろんな色合いの光がサーッと出てくるから、強かったら強いだけがバツと出るんじゃないの。大勢こうしていると、強い光が必要な人には強い光が行くし、小さいやわらかい光でそれだけでいいという人は、それだけの光になってその人に届くのね。不思議な響きなんよ。だから、一人一人ぜんぶ感じ方が違うし、同じように聞いても感じ方が違うのね。ある人はね、鳥の鳴き声そのものに感じたり、念仏に聞こえたりする人もあるのね。やっぱりその人にそれが必要だから、念仏に変化するの。感想を聞くとみんな違うのよ、不思議だけど、それが面白いとこよ。
柏手と口笛の中でのお祈り
【柏手を聞いていてお祈りをしていたら、嫌な思いがバッバッバッといっぱい出てきて、それが出てきたとき、凄く感謝というか、感じられたんですよ。】
ありがとうございます:
心の奥深く溜まって、もうドロドロになってコールタールみたいにベターッとひっついている場合があるのね、それが神様の強い光でパッと浮かび上がらせると、嫌な思いがいっぱい表面に浮かび出て、中からと外からと両方でパッと消してもらうのね。そうすると、もう感謝の心が中から湧きあがるのが感謝の心よね。心の底の大掃除してもらうとスッとありがたい感じが出てくるでしょう。これが本当の一番いい神様の助けの受け方なの。大きく助けてもらった姿の現れね。表面だけがよくなっても、心の中にマイナスがいっぱい溜まっていたら、なかなか感謝の心は湧いてこないでしょう。「ちょっと良かったなあ」というぐらいしか思わないね。でも、マイナスがバット出てきても「ありがたいな」という気持ちが起きたら、それはもの凄い大きい助けを受けた後の結果なの。幸せなことよね。その時にその人に一番必要な助け方があるの。一人一人に合わせてその人の最短コースの助け方を、全部してくださるんで、いろんな助け方が神様にはあるんで、人真似はしなくていいよ。こういう助け方もありがたいなというぐらいでいいよね。
この柏手と口笛は、「世界人類が平和でありますように」て、世界平和を提唱された、もう祈りだけを続けられた五井昌久先生。世界平和の祈りというのも素晴らしいでしょう。先ず「世界人類が平和でありますように」ってね、この言葉が心をグッと広げてくださるでしょう。「世界に、人類に」って、心を広げる意味で大事なのね。だから「ありがとうございます」もいいんですけど、先に心を広げると「ありがとうございます」も大きく広がるでしょう。「日本が平和でありますように」というのでも、本当は島国日本じゃないく、大きい意味の、世界と同じ意味の日本なんです。ただ、人によったら「自分の国が」という捉え方もあるから、そういう意味だったら必要な人には必要なのね、そういう小さい意味も含めて、「日本が平和でありますように」でもあるし、「私たちの天命がまっとうされますように」というのも同じよね。「私たち」というのも「全体」なの。自分だけ小さく「私たちだけ」じゃないのね。これもやっぱり「全体」というふうに大きく見てるんです。
先ず最初に、「守護霊さん」が出てくるでしょう、一番身近な護り手よね。そしたら守護霊さんの助けを受けやすい状態、その次に守護神さんというと、もう一つ大きい護りを受けやすいのね。次に、五井先生と出てくるね。これは肉体の五井先生じゃなしに、五井の大神という、宇宙の五つの直霊の働きを束ねる大きい働きの神様。五井昌久って、仮に肉体人間に生まれたんですけども奥の本体の働きを、五井先生というふうに呼んでいるのね。
最後に「ありがとうございます」て、これは宇宙の大神様の全体像を指す言葉なんです。本物の宇宙の大神様の全ての全でなる働きを指しているわけ。最後はやっぱり「ありがとうございます」が大事なの。最後の締めくくるというのが、全体に大きく力を添える働きをする神様というのが大事なのね。だから、心の広げ方とか、拝み方はいろいろあるんで、いろんな角度から深くなって大きくなるのです。
ありがとうございます。
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