ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます

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以下(いか)のコラムは宗教(しゅうきょう)サイトではありません。古神道(こしんとう)研究(けんきゅう)ノ−トです。またその内容(ないよう)に責任(せきにん)を保持(ほじ)していません。さらに著作権(ちょさくけん)も行使(こうし)しません。どうぞ自由(じゆう)に使(つか)いまわしてください。できればちょっとアレンジしていい感(かん)じになったよというのをどんどん、是非(ぜひ)メールでお知(し)らせください。

ar46愛の演技2001.09.30

質問者:
 心の持ち方で、表情とか姿に全部表れるものなのでしょうか?

ありがとうございます:
 そのまま自然に現れる場合もあるでしょうし、上手に演技して心と違うように出来る人もあるでしょう。神様は本当の愛の心なんですが、不動明王のような怖い顔して演技する場合もあります。閻魔大王さんも同じです、深い愛の心を持っているのに怖い顔をしています、演技力です。 世の中の全てが神様の深い愛の演技の姿と見えたら、マイナスには引っかからないです。


 書く効果

質問者:
 字を書く時の心境で、字が変わりますか?

ありがとうございます:
 「ありがとうございます」と書くのならどういう書き方でもいいんです。
心境に応じて助けが入ってきます書くというのはそこに意識が集中します、心で唱えるよりは時間がかかりますが効果はあります。心を込めて心で唱えるのと同じ効果があります


 愛の結晶

質問者:
 神様が人間をおつくりになった理由はなんですか?

ありがとうございます:
 神様はかなりの芸術家でしょう!想像を絶するいろんな作品を生み出しますね。この世に生きている私たちが見せてもらう作品はそのほんの一部なんです。ほかにいろんな表現がたくさんあります、無限の中の一つぐらいに見ていくほうが良いんだと思います。創造もつかない、予想もつかないいろんな表現がたくさんあります。

・・・地球以外にも生命は存在しますか?

 みんな生きているんです、石ころ一個までみんな生きています、生命ばかりなんです。その生命の表現が変化しているんです。だから、単なる物体というのはないんです、みんな生きているんです。命の・愛の結晶のような感じで、ダイアモンド以上に素晴らしいい結晶なんです。


 魂(表現体)

質問者:
 魂が付いたり離れたり、合体したり分離したり。そのへんをもう少しお話ください。

ありがとうございます:
 思いが重なると大きくなります、それも重い暗い塊になったら大変でしょう。そういうのが働くと大悪魔のような働きをしてしまいます。そういう場合は細かく分割するほうが良いんです、暗さか軽くなって取れます。
 働きの大きい魂にしても、一人の人がいろんな才能をもっていっぱいできるかというとそうじゃないですね。一人の人は同時には出来ません、そういう場合は分割していろんな人に分担したほうが、いろんな能力を発揮しやすい。
 いろんな意味あいから、たくさん集まって一つになったり、集まってもまた分かれたりするんです。生まれ変わりの過程でも、同じものが同じ状態では生まれ変わりません。その一部が生まれ変わってきたりいろいろします。魂も、男性的になったり女性的になったり、両性持っているような姿をとったり、自由自在に変化します。

・・・それは魂の意思なんですか?

 いやいや、魂はあくまでも作られた表現体です。変化するほうは作られたものの方です、変化させている変わらない自分があります、それは神様と一体の自分です。その自分が動かして変化させます。


 言霊の響き

質問者:
 「ありがとうございます」はなぜ漢字で書かないんですか?

ありがとうございます:
 漢字だとその漢字の意味に縛られてしまいます。神仏の働きがなかったら何事も何者も存在できない・・・有り難しという意味もあるんですが、意味の捉え方としては小さいです。
ひらがなのほうが言霊の響きを捉えやすいというのがあります


 無限の無限の大成功

質問者:
 この世での成功が次の世の成功とは限らないと聞きましたが、どうなんでしょうか?
 
ありがとうございます:
 この世的な成功と、本当の無限の無限の大成功とは違います。神様の中にある無限の無限の大成功というのを引っ張り出すのであれば、他のものも引っ張り出せます。神様の方から引っ張り出すものは同時に全部引っ張りさせます。成功というのは表面の中心に立っているというくらいの姿で、後の神様の特性は全部付随してついてきます。
 だから、「ありがとうございます」から全体を引き出す行きかたも良いし、何か一つの特性から付随した姿で引き出すのも良いんです。一つ良いものを引っ張り出せば、ほかも引っ張り出しやすいんです。幸せなら幸せだけを言葉にして唱え続けて、無限の無限の幸せがいっぱいと言い続けたら、成功も全部付随してきます。


 仮城(けじょう)

質問者:
 毎週遠い所から皆さんがここへいらっしゃるんですが、なぜでしょう?

ありがとうございます:
 本当はどこへ行っても、神様と出会おうと思えば出会えるんですけど、ここは神様と出会え易い場所でしょうか?いつも神様が傍にいるというのを確認する意味で「ありがとうございます」の意味も教えてもらって、身近に感じるようになっているんでしょうね。神様をしっかり確認するためでしょうか?
 お釈迦様の話に、悟りへの道案内をする時に、本物の悟りの世界というのはチョッと遠いんです、あまり遠いとみんな疲れ果てるので、途中で偽のお城(仮城)を見せるらしいんです、ここが悟りのお城ですというふうに。そこまではみんな一生懸命に行きます、そこに辿り着いた時にはかなり元気になっています。
 ここはそういう仮城かも知れないです、本当の悟りの世界は自分の中です。どこにいても自分の中に見出せるようになるんだと思います。これから「ありがとうございます」の中に溶け入って本物になるんです。


 ガン

質問者:
 「ガンさん、ありがとうございます」で良くなった人がありますが?

ありがとうございます:
 病気のガンにしても、悪く見ると悪く出てきます。感謝するということはプラスに見ることです。ガンになるのはその原因があって、ガンが悪いのではなくて自分の心の間違いを、細胞が身代わりに引き受けてガンの姿を現します。大変なのに身代わりにガンになって背負ってくれています、ガンという症状を現した姿に「細胞さん、ありがとうございます」になります。それが「ガンさん、ありがとうございます」です。
 感謝されたら細胞も一生懸命に働きます、背負ったものを消そうと一生懸命に働いて消してくれます。せっかく重荷を背負ってあげているのに「この、馬鹿野郎、私をこんなに不幸にしやがって」と言うと、細胞さんはシューンとなります。
 
「ガンさん、ありがとうございます」より「細胞さん、ありがとうございます」の方がマイナスをイメージしなくて済むので良いでしょうね

・・・それは細胞の遺伝子レベルから働きかけるんですか?

 
一番奥からです、神様の方から働きが来ます。古いものを消して新しいものに置き換えてきます。


 つわり

質問者:
 つわりとはなんですか?

ありがとうございます:
 子供と母親の波が合わない時です、波の合わない分がつわりになって消えていきます、波を合わせる働きです。波が似通っている時はつわりは起きません。


 進化

質問者:
 人間の進化は、業想念をなくすことでしょうか?

ありがとうございます:
 進化というのが、下から上へ上がるんだったらドンドン番組が上がってきます。思いの心で波長を合わせたら低い番組です、感謝の心で合わせたら高い番組です。想念でもその上に業が付くともう一つ低い番組です。順番に低いものを取り去って高い番組に合わせていくという意味だったら、業が消えて想念が消えて光の感謝の心に成るのがいいんです。
 光が想念になって重苦しい業になるんです。高い光は絶対からの最も新しい光です、それが時間がたって古くなるほど想念になり業になります。古いものほど低いものに変わってしまいます。過去をドンドン捨てたら良いんです、新しいものを・今の一瞬一瞬を短い時間ですけど受けたら、光がより新しい光になって輝いています。

・・・過去を手放すという事は、記憶も要らないという事ですか? 

 要らないです。過去の記憶があるとその残像に邪魔されて、今現れているのが見えなくなります。だから過去の記憶を消していくのが大事です。そうしたら神様の方から無限の知恵が湧き出て、与えられたものを的確に正しく知る事が出来ます。


 天命

質問者:
 事故などで奇跡的に助かった人の人生は、どんなふうに考えたら良いんですか?
 
ありがとうございます:
 そういう形で守護霊さんなんかが守っているよというのを見せるんです、もっと感謝を深めなさいよと。それが、大難が無難になって事故も起こらなかったら、忘れてしまいます。車は大破して自分は大丈夫だったりすると、びっくりして反省するでしょう。こんなにも守られているのかと気付いたら、生き方がプラスに向きやすいんです。

・・・まだやらなければならない天命が残っているからかと思うんですが?

 本当の目的・天命というのは、感謝を深める事です。もっともっと深めたほうが得しますよという感じかも知れないです
 
・・・天災で亡くなる人なんかは?

 みんなそれぞれの運命をたどってそういうのに遭うんですけど、それもプラスに見ていくほうが良いんです。寿命が来て死ぬ時期がきたら、身代わりに天災に遭う事によってみんなを助けながら、あの世の自分にふさわしい勉強材料として移っていくんだと。マイナスに負けてというより、大きいマイナスを消す働きをさせていただいて、もっとふさわしい勉強の場へ行かせてもらったというのがいいんです。徳を積んでますます素晴らしく輝いているというように見てあげるほうが、自分はそういう世界を見ますね。
 
可愛そうに、あの人は業が深いから災難にあってしまったというと、自分が低い番組にあわせて自分が苦しみます。

  優先

質問者:
 「ありがとうございます」を唱えていても家庭内の一般的な、整理整頓できないとかには援助していただけないんでしょうか?

ありがとうございます:
 
「ありがとうございます」で光り輝いた教えを受けたら、小さな部分ぐらい構いません。何が一番大事かです、一番大事なことに時間をかけてすればいいんです。他のつまらない事はどうでも良いというくらいで良いんです、大事な事から優先したら良いですね。


 共に高めあう

質問者:
 道元禅師の座禅をしていました、頭を空(から)にして「ありがとうございます」を加えていました、日常生活活動の中にも「ありがとうございます」を加えるのは「動禅」だと思うんですが?

ありがとうございます: 
 皆さんはこの世だけでいろんな修行を済ませたんじゃないんです、過去世でいろんなことをしてきているんです。この世で座禅を組んでいなくても過去世で組んでいます、全ての型を超えて自由自在になって感謝に入って本物になります。感謝にたどり着いた人は全て締めくくりの段階です、だから、心がかなり自由になっているんです。だから、一宗一派的なことには囚われません。
 道元さんの指導する座禅でも本当は奥深いんです、初歩と奥とでは全然違います。本当の指導というのは中から来ます、外からの指導は初歩なんです。一緒に座禅を組ませてもらうと、中から働きかけてきます、気付きをドンドン増やしてくださいます。最初の段階は浅いから無念無想です、無念無想になろうとしたら助けてもらって消してもらえます。その段階でも「ありがとうございます」を唱えると余計に早く消えます、その上に中から順番に気付きを与え続けてもらえるんです。上から与え続けてもらって奥へ奥へ導いてもらいます。
 導いてもらう人というのは大事なんです、ここへ来てお祈りするのでも、それぞれに神様の方から、神様を使ってお互いを高めあう働きをします。もし低い人があったら、高い所からは直接は行かないんです。一番合いやすい所を使って段階を追って助けるんです。
 お釈迦さんの弟子の話で、いろんな段階のいろんな弟子がいるんです。10大弟子というような人が、低い方の弟子に対して座禅を組んで瞑想して目を覚まさせるんですが、高い人がしても目が醒めません、低い弟子の人がしたらすぐに目が醒めるんです。
 波の違いがあるんです。「ありがとうございます」は全ての波に通じるんです、それも全ての段階を追って神様があわせてくださいます。神様の方からあわせてくださって、必要なところも使って自由自在に助け続けてくださいます。
 一人でする時と大勢でする時と全然違うというのも、一番高い所にあわせて順番に全部を高め上げてくださいます。自分の心境上がったり下がったりしていても、一つのグループの中でその日は高い心境・・・以下不明

 一点集中(最優先)

質問者: 
 質問内容不明

ありがとうございます:

 それぞれの分野の神様が守ってくださいます。道元さんの指導がそうでしたけど、この世の時間は限られています、何が一番大事か・一番大事なことに時間を割かないと損します。どうでもいいつまらない事に時間を割いたら大事な事に時間を取れません。道元さんの指導の仕方は、一番大事なことに一点集中・大事な事だけに時間を割きます
。いろんなことをしていたら全部やめなさいといいます、本当も必要なこと以外はしたらだめです。お祈りが一番大事だというんだったら「ありがとうございます」だけになりなさいというのが本当の、道元さんの指導だと思います。そうでないと時間を限られたこの世での効果が少なくなります。
 
「ありがとうございます」を唱えながらその中から出てくる、絵を書くのでも「ありがとうございます」の絵になります。自然に流れ出る絵は良いです、絵に心を向けているのじゃなく、それは「ありがとうございます」の中から生まれ出てくるものです、それだったらなにをしても良いんです。絵でも良いですし、日常の家事でも良いんです。
 仕事をしながらお祈りをするということはできません、仕事に心が向いてしまいます。「ありがとうございます」を優先しておいて、そこから仕事をさせていただくと神計らいの仕事ですから能率が上がります
。何が何でも「ありがとうございます」を最優先するという気持ちで、日常生活を送ると良いと思います。 


 与える神・受ける人

質問者:
 自分の本体と守護神の関係を教えてください

ありがとうございます:
 本体があって、分霊(ぶんれい)・魂魄(こんぱく)というふうに自分が出てきます。守護神さん守護霊さんは分霊の脇役として、本体から守護神さん守護霊さんと外から見守るんです。本体の中に分霊、魂魄も、守護神さん、守護霊さんも中に入っています。本当の自分の中に守護神さん守護霊さんはいます。
 本体の自分は、宇宙の大神様から全てを受け直した自分です、神様なる自分です。神様は与える側です、人は受ける側です。どれだけ受け直しても与える側の神様ではありません、受ける側の神様です。神様と人は雲泥の差があります、どこまで行っても与える側の神様にはなれません。でも一瞬一瞬神様を受け直すことは出来ます。

・・・本体と天照大御神様との関係は?

 与える側の天照大御神様と、それを受けた天照大御神様とがあります、自分は受けた側の天照大御神様になります。感謝を無限に無限に深めて「ありがとうございます」と受けたら、一瞬だけ天照大御神様になっています。一瞬一瞬受け直してこそ天照大御神様であり続けられます。
 与える側は連続しているんです、受ける側は一瞬受け損なったら天照大御神様でいられなくなります。だから謙虚に受け直さなければいけない、だから、本体の自分は無限に無限に謙虚になります、一瞬でも受け損なったら落ちてしまいます。


 知恵の残骸・新しい知恵

質問者:
 人間の知恵は神様から来たものですか?

ありがとうございます:
 神様の知恵が出てくるのが本来の姿なんですけど、途中で思いで邪魔するんです。思いでさえぎったり、思いが知恵のように錯覚して受け取るんです。

・・・現代社会の知恵は神様の知恵の数パーセントにも満たない?

 知恵があまり通ってないです、知識がいっぱいです。知識で邪魔されています、古い古い知恵の残骸です。知恵というのはその時に一番必要なものとして降りてきます、時間がたつと知恵は合わなくなります。踏み切りでも神様の方から「今、渡りなさい」といって来たら危なくないですね、それを十分後に当てはめると、列車が来ていて当たります。 過去の知恵を知識として蓄積しても、知恵の残骸です。
 宗教の教えにしてもそうです、昔の過去の時代に必要な知恵として降りた教えが、今の時代には合わないです、常に新しい知恵が必要です。新しい知恵は「ありがとうございます」で中から教えてもらうのがベストです。


 奥を見る

質問者:
 曼荼羅を対象物にして「ありがとうございます」を唱えてもいいですか?

ありがとうございます:
 良いですよ。例えば、「地球さん、ありがとうございます」と直接地球さんに言っても良いですし、地球儀を前にしてそれを通して「地球さん、ありがとうございます」と言うとイメージがはっきりする場合があります。宇宙の神様の最高表現の姿を曼荼羅として現すんですけど、その模型を通して、「宇宙が無限に無限に輝いて、ありがとうございます」と唱えるのはいいです。
 
・・・意識を宇宙に向けて「ありがとうございます」と言うのと、自分の本体に向けて言うのとは違いますか?

 自分を通して奥を見るのも、現実の宇宙を通して奥を見るのも同じです。物体だけ見るのと、現実の宇宙を見るのは同じレベルですが、肉体の奥を見るのと宇宙の奥を見るのもまた一つになります。大きく広げて奥を見るのも大事です。



 生活の知恵

質問者:
 意図的に知恵が出てくるような生活の仕方はありますか?

ありがとうございます:
 「ありがとうございます」と唱えていれば知恵が出てきます。平々凡々と何もないのも良いんです、これは知恵の導きです。緊急事態に対処するのも知恵の一つですけど、無難な中で本当の知恵が働いています。いつも神様の知恵に導かれています、だから感謝だけで良いんです。


 神様へ向く

質問者:
 「ありがとうございました」と過去形ではいけませんか?

ありがとうございます:
 人に対しては小さく「ありがとうございました」でも良いんです。でも、「ありがとうございます」と言うと神様へのお礼・感謝になります。小さい子が手伝ってくれたら小さく「ありがとう」でも良いんです。可愛い子への感謝です、その時は神様へは向いていません、可愛い子へ向いています。でも、「ありがとうございます」と言うと本当の神様へ向きます。それは自由自在で良いんです。
 

 まず与える

質問者:
 宝くじに当たった人は不幸になるんですか?

ありがとうございます:
 自分が与えた以上に与え返されたものは借金になります。宝くじは自分は働いていないのに与えられているから借金になります。その借金も人の思いに応じて利息が高い低いが決まります。宝くじを買う人の思いを見ていると、当たりたい当たりたい、求める心が大きいです。そうすると高利の借金です。
 奉仕の心で、ただでいいからみんな与えましょうと、宝くじを買う人ばっかりだったら、利息なしの借金です。株も同じです。会社を盛り立てるために買ったんだったら、不労所得とはいえません。自分が盛り立てていなかったら、会社はつぶれてないかもしれません。大きい働きをしたことになります。でも、株の安い時に買って売ってというのであれば自分は何もしていません。そういう儲けかたでは不労所得に近いものになってしまうかもしれません。そういう時は借金です。

・・・特許は?

 アイデアは全部神様から与えてもらうものですね、それを自分のものにして人のために与えなかったら、次に神様の方から降りにくくなります。神様から与えてもらうものを受けにくくなってきます。発明発見をいっぱいする人は、無償で与え尽くします。特許を握る人は発明発見が続きません。
 貯金は何もしなくても利息が付きます、借金も利息が付きます。幸せになる生き方で一番大事なのは、与える事をまずする事です。歯を食いしばって頑張って、先に与え尽くしておくほうが楽です。借金をチョッとでもすると、利息の分だけ損をします。先に与えておいたら、利息の分だけ貯金が増えます。永い目で見たら楽に幸せになります。苦労して幸せになりたい人は、先に借金をします。


 神様のバックアップ

質問者:
 この世的に不可能と思えることを可能にする秘訣を教えてください

ありがとうございます:
 必要なことと、したい事とは少し違います。必要なことには神様のバックアップが大きくなります、絶対にできるとプラスの言葉を使って、必要なことに取り組めば、神様の大きい助けを受けて必ず実現します。でも、したい事は、神様がして欲しい事ではありません。全体にとってそれほど必要がありません、自分勝手にしているという感じになるんです。そういうときには神様は力を添えません。 プラスの言葉を使って実現しようとしても、実現しない場合が多いですね。本当に必要なことからさせてもらうのが良いです。

・・・うまくいく場合は、神様のバックアップがあるということですか?

 神様が必要とする事だったら、神様がバックアップしています。でも、小さいことはそれほどではないものもあります。
 うまくいく場合も二通りあります。自分の徳(貯金)が引き出されてうまくいく場合と、サラ金から借りて表面上うまく贅沢に生きるという場合があります。だから、借りてうまくいく場合もあります。その区別はつけにくいです。うまくいって有頂天になったら、借りてうまくいている場合もあるので、その場合は、うまくいったものを人のために役立てて貯金をしなおさないといけません。
 うまくいく場合も「ありがとうございます」と光を受けて感謝した時は、神様がバックアップしてくれて、
もし、借金だったら神様を通すと借金が打ち消されます。常に神様を通してみるというのが大事です。うまくいけばいくほど「ありがとうございます」をたくさん言うほうが良いんです。


 祈りと瞑想

質問者:
 お祈りと瞑想は違いますか?

ありがとうございます:
 同じです言葉が違うだけです。同じと言えば同じです、違うと言えば違うようにも見ることが出来ます。


 進化

質問者:
 鯨やイルカも人間のような魂を持っていますか?
 
ありがとうございます:
 人間は万物の霊長という言葉があるように、進化の段階が上のほうです。神様の愛を捉えるにも、たくさん大きく捉えやすいのです。それに必要なだけの能力が備わっています、言葉を使いこなせるというのもそうです。鯨やイルカでもそれなりの言葉は使っているんですけど、心を広げる範囲が海の中だけに限定されて狭いのです。
人はどこにでも宇宙にでも心を広げて外にいけます。心が広がるほうが進化の段階が高くなるんでしょうね。


 無と空

質問者:
 無と空の違いを教えてください

ありがとうございます:
 無心というのは思いのない心になりやすいんです、マイナスを捨てる意味で思いを捨てると心が軽くすっきりなります。空のほうは神様の絶対を指しています、無限の無限のプラスがいっぱいというのがそうです。「ありがとうございます」と唱えるのが空のあり方です、そこに無限の無限の輝きがいっぱいになってきます。だから、空と無とは全然違うんです。無は何もない状態です、空はプラスがあります、無限に無限にいっぱいという状態です。「ありがとうございます」が空にいたる道です。


 道具としての知識

質問者:
 知識を残骸と見ても、何かを知りたい時には本などにより知識を得るのは良いですか?

ありがとうございます:
 いろんな能力を発揮する場合でも、直接神様から知恵を頂いて、何も知らない所から全部こなしていくのも、本当の知恵を頂いたら出来るんですけど。そこまで神様が全部面倒を見ないでも
、参考になる過去の知恵の産物というものがあって、一応一通り道具として用意してその上に知恵を加えるほうが、神様としても楽なんです。
 そういう意味では、正しい知識を一通り学んでおいて、その知恵を受けて使いこなせるほうがいいのです。その意味で、本を読んで道具として取り込んでそこに知恵を加えてもらい、人の出来ることは出来るだけしておいてそこに加えてもらうほうが、神様も使いやすいのです。




ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます

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