0カウンター.1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.32.33.34.35.36.37.38.3940.41.42.43.44.45.
46.47.48.49.50.51.52.53.54.55.56.57.58.59.60.61.62.63.64.65.66.67.68.69.70.71.72.73.74.75.76.77.78.7980.81.82.83.84.85.86.
87.88.89.90.91.92.93.94.95.96.97.98.99.100.101.102.103.104.105.106.107.108.109.110.112.113.114.115.116.117.118.119.110.
111
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140.141142.143.144.145.146147.148.149.150.151.152.153.154.155.156.157.158.159.160.161.162.163.164.165.166.

ar71人の意見と自分の意見 2002.07.19
質問者:
 子供が3人います。長男と1番下の子は自分の意思で物事を決めて行動出来るんですが、でも真ん中の子は人の意見に左右され易いんです。今、高校3年生で就職と決めてたのですが、担任の先生が息子の状態を見て「今、社会に出るよりも、もうちょっと考えるゆとりを持った方が良いから」と言って進学する方を強く勧めて下さったので、親もそうかなぁと思いだしたら、息子の方もそうなって来ました。果してそれで良いのでしょうか?

ありがとうございます:
 色んな生き方があって良いんですけど、それも同じ生き方をズーっと取る訳ではないです。色んな生き方を勉強して最後に1番理想的な生き方を選べるようになります。自分の意見をしっかり言える時も良いんですけど、逆に自分の考え方・意見を全部殺して、思いやりの心で人に合わせて行くのも必要です。だから如何いう生き方を取ってるか兄弟でもみんな違います。色々違うのがあって初めてみんなお互いに、それを参考にし合って自分にとって如何いう生き方が1番良いか勉強させて頂くのです。だから真ん中の子はそれで良いのです。だけど、どんな場合も最後にはやっぱり本人が選んでるのです。人の意見を聞くというのも自分が選んで聞いてるだけです。本当は納得してる訳です。本当は人の自由は絶対に縛れないです。人の言いなりになってる様でも本人が、その言いなりになる事を選んでしてるのです。だから、そう気にしなくても良いのです。それは必ず役に立つ勉強です。プラスにプラスに変わって行きます。大丈夫です。

 元気になるには?
質問者:
 私は5年ほど前から目が空き難くなって来ました。元々から元気だったので、体は大丈夫と過信して来たところがあって、生活が不規則で睡眠不足な生活を続けていました。ボランティア活動もしてて、喜びとしてたのですが、過度にして体調を崩す原因になってたと思います。それで色々生活を見直して、ここに来れるぐらいまで元気になって来たのですが、中々治りきらないので仕事にも中々復帰出来ません。病院に通っていましたが、心の問題で病院では治らないと思い通院は止めました。その状況から脱出したいのですが今は手探り状態で同じところをグルグル回ってる感じがします。アドバイスを頂けませんか?

ありがとうございます:
 
どんな楽しい仕事をするんでも過去を掴んで長い時間続けると疲れます。だから今の一瞬だけを楽しむような感覚で過去を忘れる方が良いです。そうすると神様の助けが大きく降ります。何でも喜んでするのは良い事です。そして自分がこれ必要・楽しいという事はどんどんされたら良いんですけど、ただ過去を出来るだけ離す方が良いです。徹夜で24時間頑張ったというより今1分間楽しませて貰ったというぐらいの気持ちで、時の経つのを忘れる方が元気が一杯湧いて来ます。普通働けば疲れるというのは過去を掴むから疲れるのです。過去を蓄積するから疲れるのです。でも今の一瞬一瞬を喜んで楽しんで何でもする時は逆に元気になります。働くほど神様の助けを一杯受けます。そして元気になって益々、力が湧いて来るのが本当です。だから過去を忘れるのが良いです。過去を余り数えない方が、そしたらもっともっと元気になります。

質問者:
 忘れようとするのですが、それが中々出来ないです。それが出来たら悩まないです。

ありがとうございます:
 そうね。だから1番大事なのは「ありがとうございます」って祈り言葉を唱えながら新たに新たに受け直す練習をちょっとされたら過去を離せるようになります。だから大丈夫です。

 無限健康
質問者:
 15年くらいかけて、ここまで元気になったのですが、やりたい仕事があるので、もっと元気になりたいのです。最高に幸せになりたいので本当に健康になりたいと思っています。病気も選んで来てると思うのですが、病気も意味があるのでしょうか?

ありがとうございます:
 神様は何時も無限健康を与え続けてくれています。ところが、それを受け忘れるのです。それで肉体の自分だけを掴んで仕舞います。掴めば掴むほど、疲れるとかマイナス的な思いを起こしがちです。本当は神様から命を与えて貰って全ての力を神様から一瞬一瞬新たに与え続けて貰っています。本当は病気には絶対になれない筈なんだけど病気になって仕舞う時は必ず神様への感謝を忘れて神様からのプレゼントを受け損なっているのです。「ありがとうございます」と感謝をし始めると神様の助けがどんどん中から湧き上がるように出て来るから、どんな病気でも本当は治してくれます。それで大きい健康を与えて中から色んな力も能力も与えて楽しく仕事が出来るようにしてくれます。だから過去の事は、もう心配しなくて良いです。これも過去を離した方が良いです。過去を引きずると、その言葉の思いの縛りでズーっと続くような感覚になります。でも過去を全部神様にお任せして渡して仕舞えば消してくれるから過去の惰性に引きずられなくなります。仮に100年病気を、し続けても全部神様に預けて消して貰ったら今新たに生まれて来るのは無限健康の自分です。今から健康で生きられる感覚です。だから過去は関係ないぐらい全部、過去を神様へ預けて仕舞えば良いです。そしたら楽しく・したい事なんでもさして貰えます。だから心配しなくて良いです。

 ありがとうございます報告(ありがとうございますシール)
質問者:
 ちょっと孫の事で不思議だなぁ〜って思う事があります。先日、孫の所に行きましたら娘が「お母さん、ありがとうございますシールが一杯貼ってあるよ」って言うんです。それで部屋に入りましたら、TVの画面の両側・自分の机・ふすまを開いた縁・テーブルの脚・腰掛の脚っていうように貼ってあるんです。「何も言われなかった?」「誰が貼ったの?」って聞いたら「子供が貼った」「お父さんが許してくれた」って言って、「ああ〜良かった」と思いました。でも「何でシールがあるんかなぁ」と思ったんです。去年こちらから頂いて帰った時に持って行って孫の見える所にペタペタ貼れませんから・自分の家ではないですから、机の引出しの奥の方とか、子供のカバンの名前の裏とか、「筆箱の裏にも貼って」と言うから貼って、それしか持って行ってないんです。それで「可笑しいなぁ〜何でシールがあったんかなぁ〜」と思って「何所にシールがあったの?」って聞いたら「玄関にあったよ〜お母さんが置いたんでしょ」って言うんですけど、私は置いてないんです。そしたら「『あったよ〜』言って持って来てペタペタ貼ったんだ」と言うんです。「私あんな所に持って行ってないのになぁ〜何であんな所にあったんかなぁ〜」って凄く不思議でした。夜おじさんのテープを聞いてたら「神様は瞬時に物質化される」ような事を仰っていました。孫がお父さんお母さんに「ありがとうございます」と繋がって欲しいと思っているから物質化して貰ったのですか?

ありがとうございます:
 そういう事もあるでしょうし、また誰かが神様の使いとして、さっと置いて帰ってくれたかも知れないです。両方あるでしょう。

質問者:
 孫は「ありがとうございます」を理解してると思うんです。絵を書いたりしてて「何書いてるの?」って言ったら、絵に「ありがとうございます」って書くんです。この間、「僕を守ってね」と言うから「うん。守ってあげるよ〜」「でもね〜誰にでも守ってくれてる神様が居るんだから、僕の神様に『僕を守って下さって、ありがとうございます』ってお祈りしたら、良いんよ」って言ったら「僕の魂に?」って言うから「そうよ」って言いました。そういう風な事を孫は言うんです。それがとっても嬉しかったです。「ありがとうございます」

ありがとうございます:
 本当に護られているんです。物質化現象って本当に不思議な事が一杯起こるのです。四葉のクローバーってあるでしょ。普通探しても余り見つからないです。私も何年か前にここで四葉のクローバーを探してありがとうシールを貼ったら、その時に私が庭に出て行くと毎日のように沢山出て来るのです。他の人が探し回っても見つからないのに私が1回スっと庭を歩くと何10って採れるのです。それで1週間くらいで300くらい見付けました。でもその後はもうないのです。その時に幸せの輪を作ったんです。多分必要だから、その時は湧いて来るように物質化されているのです。

質問者:
 私も畑に行きましたら4つ葉のかぶがありました。私もありがとうございますシールを貼っています。

ありがとうございます:
 神様は何でも出来るみたいです。喜ばしてくれます。

 世界共通語
質問者:
 知人から質問を預かって来ました。「ありがとうございます」の言葉はアメリカ人の方だったら「Thank you」で、ドイツ人の方だったら「Danke」です。そういう言葉でも良いのですか?そしてその意味を教えて下さい。

ありがとうございます:
 詳しい意味は本にちょっと書いてるしパンフレットにも書いてあるので、それを持って帰ってあげてくれたら良いです。ただ「ありがとうございます」は神様の働きの全体を現すので英語の「Thank you」じゃちょっと軽過ぎます。そういう簡単な感謝っていうような浅い意味じゃないのです。神様の働きの全てを指し示す言葉なんです。だから「ありがとうございます」一言の中に沢山の意味が一杯あるのです。

質問者:
 外国の方でも「ありがとうございます」を使った方が良いのですか?

ありがとうございます:
 日本語というよりも世界共通語というぐらいの気持ちで自由に使って貰うのが良いです。この場合は日本語のひらがなで書かなくても良いです。ローマ字でも何でも良いけど、言霊の響きとしての「ありがとうございます」は素晴らしい最高のものなんです。「これを世界共通語として使って下さい」という風にみんなに利用して貰えば良いです。

 良いように良いように変化します
質問者:
 私はちょっと神経質で何でもキチンとしなければと思ってるところがあります。例えば戸締りでも何回も確認して仕舞う事があります。2回目までは、まだ良いのですが、3回目以上になると嫌な感じになって、元の落ち付いた精神状態に戻すのに今までは時間がかかっていました。そういう時に「ありがとうございます」を唱えるようにしたら随分、早く落ち付けるようになりました。でもまだまだ神経質になってるところがあります。如何したら良いですか?

ありがとうございます:
 もう必要なかったら全部、神様に消して貰らうのが良いです。「ありがとうございます」と唱えてたら自分に必要ないものは全部消してくれます。そして良い姿にどんどん置き換えてくれます。今まで心配するのも必要だったのかも知れないです。それも色んな意味の勉強があるから、そのうちに必要なくなって消えて、また別の良い生き方に変化します。自然に変わるから別に無理して変えようなんて思わなくて良いです。良いように良いように変化します。

 ありがとうございます報告2
質問者:
 「ありがとうございます」を唱え始めて本当に自分が感謝の生活をしてない事に気付いた時に、急に金縛りにあった様に汗が出て涙が出て来て、眠くなってちょっと眠って仕舞いました。そうすると夢でおじさんが白くなって出て来て「小さい時に苦しい事があったけど、それは神様の愛だよ」って言ってくれました。それでまた涙が出て来て「本当にこれから感謝して生きて行かないかんなぁ〜」って思えたんです。それからマイナスの思いが余り湧かなくなりました。私も色んな病気をして来たんですけど、本当に今日は何を神様が見せてくれるかな、何を通して神様に出会えるかなというような気持ちで朝を迎える事が出来るようになりました。毎日が嬉しくなり、マイナス的な事を聞いても、そう引っ掛からなくなり、「生きてる事ってこんなに楽しい事なんだぁ〜」って思えて、神様に感謝する事が神様に触れてるような感覚になって毎日がガラっと変わったんです。色んな問題が起こっても「ありがとうございます」と自然に唱えてただけなんですが、何となく嬉しい自分に変われて悩んでいた事も気にならなくなりました。初めてありがとう村に来た時は主人と別れようと思っていました。でも、仲良くなって引っ掛からなくなりました。勝手な人だと思っていたのですが、本当は自分が勝手だった事に気付けました。主人を通して凄く感じる事が出来て、私の事をお手伝いしてくれるようになり、私も何をしたら喜ぶかなと思えるようになりました。一言一言の中に傷つける事もあるんだけど、どう表現したら良いのか分からないけど「ありがとう」しか出て来なくなって、嬉しい自分が日々ある感じで感謝しています。

ありがとうございます:
 幸せね。感謝って神様からのプレゼントをしっかり受け取る事です。いつも無限の宅急便が毎日、届いているでしょ。普通受け忘れるのです。それで問題を掴んで、それを解決しようと思って「ありがとうございます」を唱えるんだけど、神様は問題持って助けてと言っても普通助けてくれないです。それよりも問題を心から離して宅急便を贈り物を受け取る方が良いのです。神様は人の思い・願いを自由にさせて下さるだけなんです。だから色んな問題抱えても抱えたままが、その人の自由なんで、だから自由のままに全てを神様はさせて下さるんです。本当の幸せを掴みたいなら贈り物を受けたら良いだけです。古いものを掴んで腐ったから、それを如何しようなんて考えんで良いのです。新しいものが一杯来てるから、スっと新しいものを受けさえしたら古いものを離せます。おもちゃでも壊れたから直そうとせんで良いのです。無限のおもちゃがどんどん届いています。だから古いのはどんどん離して新しいのを受けて行けば良いおもちゃが一杯あるのです。神様のプレゼントを受けるのが本当の感謝です。条件を付けて「ありがとうございます」を言っても余り得はしないです。願い事は前面に出さなくて良いのです。病気でも治してと頼まんでも良いのです。無限健康がいつも降り注いでいるのです。だから過去の病気は、もう離して仕舞えば良いです。そして新しい健康を受けたら、いつも無限健康で一杯という風になります。それは感謝の真髄みたいなもんです。

質問者:
 困っている時はそこをジーっと見ていました。(そうでしょ。)見ていたら解決して乗り越えられると思っていました。そこから目を離していつも上を見て「ありがとう」を言ってたら「ありがとう」が返って来ると思えたんです。(そうね。)聞いて下さって「ありがとうございます」。

他の質問者:
 先生は、行かれたのですか?

ありがとうございます:
 私は何所へでも化けて出ます。感じ方はみんな違うと思います。

 掴みを離す
質問者:
 一瞬一瞬新たにという事は逆に一瞬一瞬消えてるという事ですか?(そうです。)本当は消えてるけど、また過去を自分で掴んでいるだけですか?

ありがとうございます:
 掴んだら神様は消せないのです。消すと可愛そうだからって掴んでる間だけは残るのです。掴みを離したら古いものは消して下さります。そして新しいものと置き換えて下さります。でも掴んで居たら古いままなんです。古くなればなるほど、美味しい食べ物でも腐って行きます。

質問者:
 「ありがとうございます」と唱える事で掴みが離れて行くのですか?

ありがとうございます:
 そう。「ありがとうございます」で新しいものを受け様とすれば良いのです。新しいプレゼントを受け取ろうとすれば古いものは要らないから自然に離せます。

質問者:
 離したいけど、そこに焦点を合わせてしまうから離せないのであって、「ありがとうございます」を唱えてたら、それが消えて行くという事ですか?

ありがとうございます:
 そうです。「ありがとうございます」でプラスへ心を向けるから、神様の方へ向いたら古いのはもう相手にしなくなります。心の向きを変える訳です。心の向きを現実の問題から神様の方へ向き変える訳です。そうすると神様のプレゼントが一杯という風に受け取れるから自然に離せるようになります。

 欲
質問者:
 欲について教えて下さい。

ありがとうございます:
 「よく」の漢字は「谷」に「欠ける」「心」と昔の時代は書いていました。谷は谷神という宇宙の絶対神を現してて神様の御心のない状態・欠けてる状態が欲なんです。神様の御心は無限の無限の輝きが一杯というプラスのプレゼントが一杯の心です。だから神様のプレゼントを受け損なったら何もない状態になって、あれ欲しい・これ欲しいという風になるのです。感謝を忘れたら欲になるのです。感謝して幸せ一杯受け取ったら、もう欲は要らないです。もう大満足の心だから、求める心が一切起こらなくなります。幸せ一杯で人にあげたいばっかしになって仕舞います。

質問者:
 悪口を言われたりする事は徳積みなんだと考えると心が軽くなると感じました。

ありがとうございます:
 何でもプラスにプラスに受けとめるのが正しいです。良い事して・人に親切にして・良いもの与えて、更に誘惑される・意見をされるというと、貯金を一杯してる事になります。

質問者:
 家相・地相・運命学・自分の周りの意地悪な人はどう受けとめたら良いですか?

ありがとうございます:
 家相・地相・運命学って、みんな縛られ易いです。そういう時に、それが全てになると雁字搦めに縛られて抜けられないです。でも家相も地相も運命学も要らないです。幸せな世界・番組一杯あります。それが無限にあるから、そこに心向けたら、そういうのは無視して良いのです。

 与える心
質問者:
 与える心について教えて下さい。

ありがとうございます:
 与える心の強い人は果物でも野菜でも花でも何でも植えたらよく実ったり、良い花が咲くのです。

 ありがとうございますから帰ったら‥‥
質問者:
 前回ありがとうございます村に来て、家に帰ったら、主人のお兄さんが亡くなられていました。土日に来てたので土曜にお通夜もお葬式も終わっていたんです。みんな探してくれたそうで「あ!こういう時に『ありがとうございます』や」と思って、親戚縁者、全部にお葬式の話を聞いて「ありがとうございます」って電話したんです。

ありがとうございます:
 ここへ来てなかったら新しい生まれ変わった自分にはなれないです。また世間並の、そういう番組にはまり込んで行きます。「死んだら可愛そう」とか色々思います。でも本当はプラスにプラスに見て行けた方が良いです。みんなを神様の現れって拝めて感謝出来るのは最高の幸せです。

質問者:
 みんなは許してくれたんですが、両親だけは言い訳を聞いてくれませんでした。

ありがとうございます:
 言い訳は要らないです。「ありがとうございます」で良いです。

質問者:
 「幼稚園の時から全然変わってない」と言われました。でも良かったです。「ありがとうございます」。

ありがとうございます:
 本当に必要だから、ここに来させて貰っていたのです。もし必要なら向こうに残っていました。だから、ちゃんと必要なものを与え続けてくれています。大丈夫です。

 ありがとうございます報告3
質問者A:
 私の周りの環境は何一つ変わってないのですが、心の方はズっとズっと軽くなっています。そういう毎日を送らせて貰っています。今日は、ありがとうございますにお礼が言いたくて来ました。「ありがとうございます」。

ありがとうございます:
 「ありがとうございます」。環境よりも心の変化の方が幸せなんです。本当の感謝は心でするもんだし、形が良くなっても感謝の心がなかったら・形は極楽でも心が地獄では何の価値もないです。だから形が地獄でも心が極楽だったら地獄も感謝の対象になります。有り難いばっかしになるんです。だから心が深く感謝出来るようになるのが1番幸せです。その心が本当の意味の神様を感じ取るのです。それで幸せを大きくして貰えます。深い感謝になってます。

質問者B:
 テープも本も何も全然分からないまま、ありがとうございますに会いたくて初めて来ました。ここに来るまで、本当に胸がドキドキして、本当に「ありがとうございます」の言葉しかありません。今まで色んな所に教えを伺いに行ったりして、その時は凄く感謝するべきだと思って「お父さん、ありがとうございます」とか「孫にありがとうございます」とか言ってましたけど、こんなに胸が張り裂けるぐらいに喜びで一杯なのは初めてです。(不思議ね。)私は娘を早くに亡くしたのですが、今は4歳と小学校5年生の孫がいます。今日は丁度、終業式で明日から夏休みなんですが、主人が見てくれるというので、ありがとうございます村に来る事が出来ました。本当に来たいと思っていたら短い時間で来れました。「ありがとうございます」。

ありがとうございます:
 「ありがとうございます」。

質問者C:
 私は今まで少しは感謝をしてたつもりだったのですが、何日か前から、ありがとうございますのテープを聞いたり本を読んだりして「ありがとうございます」は本当に心から湧き出るようにならないと本物じゃないのかなと思いました。今日はご縁を頂いてありがとうございますにお会い出来て本当に嬉しいです。本当に心から「ありがとうございます」が湧き出るような気分になりたいので、今日ここに来ました。「ありがとうございます」。

ありがとうございます:
 「ありがとうございます」。ちゃんと湧き出ます。

 病気
質問者:
 私のいとこが危篤状態に陥っています。リュウマチを発症させ(途中不明)今その状態になっています。心の問題だと思うのですが、如何いう方が、如何いう言葉をかければ、快方に向かうのですか?

ありがとうございます:
 病気して悪いんじゃないのです。1人1人みんな幸せへの道(歩み)が違うのです。だから病気をする事によって、また謙虚になって健康への感謝が深くなる人もあります。みんな、それぞれ必要な勉強材料を与え続けて貰って幸せを大きくしている過程なんです。だから周りの人が病気をしている人を見て「ああ〜可愛そうに、治った方が良いのに」というのは余計なお節介です。神様がその人に1番必要な勉強材料を与えて幸せを大きくしようとして一生懸命になっています。もし、その病気が必要なかったら神様は瞬間に消して仕舞います。また別な勉強材料を代りに与えて来ます。だから余計なお節介は余り良い事ないです。「神様がその人に必要なものを与え続けて下さってありがとうございます」って感謝して眺めてるのが良いです。そうすると早くその人が大きい幸せを掴んで行けます。だから病気で苦しむのでもないのです。勉強です。病気で死ぬのでもないです。寿命がある限りは、どんな病気をしても死ねないです。必要な勉強与え続けて幸せを大きくして下さるだけだから「ありがとうございます」で喜んでいるのが良いです。

質問者:
 目が極度に弱い人や見えない人がいます。それも同じように解釈して良いのですか?

ありがとうございます:
 目がよく見えて人の欠点しっかり見つめたら苦しみが大きくなります。そういう時はちょっとぼんやりと見えるようにしてくれます。また良いものを一杯見てプラスに見るんだったら、またその時は心の目でプラスが一杯見えるようにしてくれます。本当は心で見ているのです。肉眼で見るのは対した事ないです。心の目でしっかりと神様からのプレゼント(プラス)を一杯発見するのが良いです。肉体はちょっと表面に付いてるような小さいものです。だから心で発見する・心の目をしっかり開くのが大事だから、必要なだけそういう風になるのです。

質問者:
 友達から質問を預かって来ました。友達の友達が血を吐いて凄いショックを受けたそうです。どうアドバイスしたら良いでしょうか?

ありがとうございます:
 普通思いの心でマイナスに見て心配するのです。それで心を痛めます。どんな場合も先ず感謝の心ありがとうございますを起こすのが良いです。そうするとプラスに見る見方が一杯湧いて来ます。それが全て感謝の対象に変わって幸せを大きくしてくれます。だから友達って大事だけど、その友達が自分の本当の親友として自分の幸せを願ってくれてるとするでしょ。そしたら1つの見方として自分がもし殺されて死ぬところを友達が身代りに助けてくれたと思ったら、友達への感謝が無限に大きく湧き出て来ます。また自分1人だけじゃなしに大勢の人が殺されるところを友達がみんなの身代りになって大きくマイナスを消してくれたと思ったら、またその幸せ感が大きくなります。だから色んなプラスの見方が沢山出て来るのが感謝の心なんです。枝葉の問題を捕えてあれこれ理屈で説明するよりも感謝を先ず実行するとプラスの気付きを一杯与えて貰えるんで、そしたら自分が本当に納得出来て、それはみんな幸せだったと感じられます。ちょっと「ありがとうございます」を練習すると良いかも知れないです。

 ありがとうございます報告4
質問者:
 通りかかった人が見てくれたら嬉しいので家の前のプランターにありがとうございますシールを貼っています。知り合いの方から何の事?って聞かれて、こういう方がいて「ありがとうございます」と言ってたら良い事があるよと説明してあげてます。でもこの前は「私はそんな良い事を聞いても仏教徒だから出来ん」って言われたんです。仏教徒でも何教徒でも言えるのになぁ〜とその時は思ったんです。それと全然知らない人とお隣どうしに座って、何がきっかけか分からないんだけど、その「ありがとうございます」の話をしてる事があります。その方が「それで?それで?」と聞いて下さるから、色々お話をさせて頂くと、「今日は良いお話を聞かせて貰って良かった」「あなたに会えて良かった」って言って下さるから「ありがとうございます」って返すんです。あら私何でこんな知らない人にこんな話をしたんだろうと思う事がよくあるんです。

ありがとうございます:
 それみんな両方、神様が自分の幸せを大きくする為に両方の姿をとって現れるのです。もし「ありがとうございます」って言葉に対してマイナスの姿でそういう業を落としてくれる人もある訳です。その時は自分が「ありがとうございます」を言えて、どんだけ幸せかその方と比較したら物凄く幸せと思えます。それもマイナスじゃないです。またプラスの反応を示してくれる人もまた自分の幸せを大きくして下さります。だから自分の幸せを大きくする為の神様からの色んなメッセージと思えば良いです。本当は知らない人じゃないです。神様はみんな知っています。神様が色んな姿をとって現れて自分の幸せを大きくして下さるだけです。

 漢字
質問者:
 漢字は日本が発祥の地と言う方が居ます。それについてありがとうございますはどう思いますか?

ありがとうございます:
 良いものは全部神様の中から生まれて来るのです。神様の中が1番の根源です。そこから素晴らしいものが一杯生まれ出て来ます。その生まれ出て来る途中の過程が何所を通るかです。日本は世界の縮図みたいな中心です。だから世界へ良いものを広げる時は日本から生まれて自然です。良いものが日本から出て来て世界へ広がるのは自然な姿です。また別な現れ方もあるかも知れないけど、日本が素晴らしいからじゃなしに、全て神様から出て来てみんなに良いものを振り撒いて下さるのです。ただその時に日本の国がそのお手伝いの形・振り撒くお手伝い・パイプ役になってるかも知れないです。上下じゃないです。日本から出て世界へ広がったというのも、日本が上だからという意味じゃなしに神様のお役をさせて貰った・パイプ役というぐらいだったら、本当は世界は平等です。

 温故知新
質問者:
 今よく縄文という言葉が出て来ます。それに何か意味があるのでしょうか?

ありがとうございます:
 別にそれだけじゃなしに、過去の素晴らしいもん、伝統を守ろうとする気持ちは誰でもあると思います。本当の伝統を守る意味が如何いう意味かが大事です。昔の古い時代の良い物という意味を伝統という形で捉えて守るというのでは、本当はちょっと意味合いがズレてます。
本当の伝統というのは神様から系統だって伝わって来たものという意味で、神様の御心を現す過程の姿です。だから過去の伝統を守る為には神様の御心の中へ深く入らないといけません。遠い過去に遡るのではなく根源の神様の中へ戻るのが大事です。そこから新たに新たに更に良いものを受けて、それを現実化して現して行く事が伝統を守る事になります。1回過去に現れた姿をズーっと守り続けるのは不可能です。現れたら消えて行くんだから本当は守りようがないのです。また過去の一時期の姿だけを守ったって今の時代に合う訳がないです。本当の伝統を守る守り方は神様の絶対の中へ心を戻して、そこから受け直して時代に応じて新たに新たに自由自在に素晴らしい良い表現を取れば良いだけです。だから縄文時代に戻ると言っても、その縄文時代の姿に良いもんがあったら、その根源は何所かと言うと神様の中です。その根源を探りあてて、そこに戻ってもう1回縄文時代の素晴らしさ以上の物を今の時代にここに現さないといけません。そういう意味でみんな探し求めていると思います。ただ神様の中に戻るのを忘れています。そういう意味かも知れません。

 周りがマイナスの姿をとる場合
質問者:
 息子が高校を辞めたいとか言って、ちょっと色々悩んでいます。ある日、私に「今自分が上手く話せない状況を変えたいから一晩くらい話合ってくれ」と言われたんです。でも一晩話しても解決出来ないし、私はその時ちょっと疲れて、子供もそんな感じだったので、「寝ないで話しても解決出来るもんじゃないから、今は兎に角寝よう」と話したら、息子は裏切られたと感じたようです。それで時々「俺の気持ちを分かってない」と私に言うんです。私と性格が似てまして、1つの事を考え過ぎるところがあります。何とかしてあげたいのですが、焦ってもいけないので「焦らないで、自分のペースでやって行けば良いじゃない」と言っています。親ほど悩んでいる様子ではないのですが、時々私に当って来ます。如何したら良いのでしょう。

ありがとうございます:
 それは息子さんの勉強の意味もあるけど、1番大事な問題は自分自身の勉強です。自分自身の勉強として捉えた時に、もし自分が神様に本当にすがって神様から必要な全てを受け直してたら・そういう心になっていたら、周りの姿全部そういう良い姿を取ってくれます。まだ人に頼る気持ちがあって神様に頼っていない一面があったら周りの人も人には頼るけど神様へは頼らずに問題を解決出来ない状態を見せてくれます。神様に頼って神様から必要なものを受けたら問題は全部消えて行きます。

質問者:
 目の前にある事は何でも「ありがとうございます」で受け入れて前向きに考えて行けば良いのですか?

ありがとうございます:
 神様への感謝は現実の姿を受けるだけでは足りないです。現実を掴んでる場合はマイナスをプラスに思い返したり、そのプラスを発見してしっかり捉えるのも大事だけど、本当の神様への感謝というのは無限の無限のプラスが一杯神様から与えられている、そこへ心向けて良いもんだけ受け取るのが良いです。そうすると現実のマイナスは消えて、つまらんプラスも消えて大きいプラスに置き換わります。

質問者:
 良いものは、どこで判断するのですか?

ありがとうございます:
 現実にはないです。まだ現れてないです。だから無限の無限のプラスが一杯という風に感謝するのです。そうすると心に受けたものが形に現実化して引き出されて出て来るから、祈った後にプラスが一杯という姿で感じるのです。だから、もう現実は相手にせずに「ありがとうございます」って、純粋な「ありがとうございます」になっていると神様からのプレゼントを受けて現実もプラスに置き換わります。

 大好きな人の死
質問者:
 去年の七夕の日に母方のおじいちゃんとおばあちゃんが一緒に亡くなりました。おじいちゃんがおばあちゃんを死ぬのを助けて、その後自分で死にました。その時におばあちゃんの方に私が高校受験の時によく使っていた毛布を掛けられてました。大好きなおじいちゃんとおばあちゃんだったので何であんな死に方をしたんだろうとズっと思っていました。ここで、こんな話しをするつもりじゃなかったけど、おじさんは過去を掴むなと仰います。生前のおじいちゃんとおばあちゃんには凄く感謝してるのですが、反対に自殺した、おじいちゃんとおばあちゃんを責めている自分がいます。大好きなおじいちゃんとおばあちゃんだっただけに余計に苦しいです。如何したら良いでしょうか?

ありがとうございます:
 色んな問題があって感謝出来ないという時は、問題は関係なしに「ありがとうございます」って唱えていると、その問題のプラスに気付いて感謝出来るように必ず神様は心を変えて来ます。それが1番早い解決方法です。本当はみんなどんな姿も大きいプラスの意味があります。人って死んだら悲しいと思うけど、本当は神様から見るとこの世の勉強が終わって新しい所に入学するのです。相応しい場に入学して行くのです。だから喜びごとでないと嘘です。卒業して新しい相応しい場へ入学さしてくれるんだから、本当は卒業と同時に入学の両方の喜びごとなんです。それを悲しみに見て仕舞ってマイナスに見て仕舞うのです。それはやっぱり感謝の心がないと、思いの心だと過去の1つのものに執着して、それを掴んだままで縛られているから本当の意味のプラスの気付きが少なくなって仕舞います。

質問者:
 自分で命を絶っても、それでも喜ぶんですか?

ありがとうございます:
 そうです。命って寿命が来なかったら自分では断てないのです。自殺でもそうです。自殺って自分がしてるようだけど、出来ないのです。何回自殺を試みても死ねない時は絶対に死ねないです。必ず誰か止めに入ったり、もう死ぬと言われても生き返るのです。だから寿命が来て死ぬのです。あの世の良い所へ移してくれます。ただ死ぬ時の死に方です。色んな人の運命があります。もしマイナスを一杯貯めてたら、そのマイナスを清算して消して行った方が良いです。その消し方が色んなマイナスの姿に見えるかも知れないです。だから死ぬ時のマイナスの姿はあの世へ持ち越さない為のマイナスの清算なんです。軽く消して貰っているのです。逆にマイナスが大きい程、喜んであげないといけません。例えばガンになった人が苦しんで死ぬとします。その苦しみを取ってあげたら幸せかなと周りの人は思うんです。そうじゃないです。この世で一杯苦しんでおく方が・痛みで大変という方があの世へマイナスを持ち越さずに済みます。この世で痛みを味わうのと、あの世で痛みを味わうのでは全然違います。あの世の方が何万倍と大きくなります。この世は万分の1で済むのです。だから軽くすまして消してくれてるから苦しんだ分、物凄く得した事になってるのです。亡くなった人にとっては、それは大きいプラスに変化してるから、それは不幸じゃないのです。その辺の事を気付いてあげないと・自分が感謝の心を起こさないと気付かせて貰えないです。「ありがとうございます」を唱えてると神様が助けに入って気付く心に変えてくれるから全部プラスに分かるようになります。だから「ありがとうございます」と唱えてごらん全部プラスに感じて涙流すぐらいに喜べます。「ありがとうございます」。

 惟喬親王
質問者:
 今日惟喬親王さんの御陵に行きました。惟喬親王さんについて教えて下さい。

ありがとうございます:
 歴史上の惟喬親王さんと今御陵に現れて大きい働きをする惟喬親王さんでは全然違うのです。スケールも働きも大きく変化しています。だから過去の残された素晴らしいものを継承する意味でも、古い昔に帰るんじゃなしに神様から新たに新たに受け直す形で今その大きい働きを受け直して行かないといけないのです。そういう意味で今の惟喬親王さんの働きの方が遥かに遥かに大きいです。
惟喬という名前も「これ新たか」って「これ新た」って維新という意味です。

 今あそこは惟喬親王さんだけが光の柱のなって降りてるんじゃないです。あそこで写真撮られた方大勢いらっしゃいます。光の玉が一杯写ります。それなりに色んな神様が護っているのをちょっと写真に見せてくれる訳です。特にあそこは古神道系の神様が一杯いらっしゃいます。古神道系の神様は自分を一切出さないのです。
何故かと言うと自分を掴んでこれが自分と掴む暇がないぐらいに神様は新たに新たに受け直しているのです。だから自分がないのです。もう神様だけがここに現れていらっしゃるという感じで受け直しています。だから高級神霊というよりも、もっともっと上の最も高級な・最高級神霊の神々様が古神道系の神々様です。そういう神様が一杯あそこに降りたって、みんなを助け様として待機してるのです。特にこの地球全体を平和にする為には先ず日本から大きい働きが始まるのが当然なんです。日本の中でも何所から始まるのでしょう?これ本当の神様の働きが具体化して降りないと無理です。本当の神様の働きというのは無限に無限に謙虚になった時に初めて降りて来てくれます。丁度、天岩戸開きと同じなんです。天岩戸開きは幾通りも沢山の意味があって、その1つとして最高番組を現実化するというのも1つの意味なんです。あの場を中心にして神様の最高番組をこの世に現実化して本当に世界を平和にする、その為には新たに新たに受け直す感謝の本当の在り方が必要になって来ます。だから名前を出さない神々様が一杯という意味は、歴史上の名前ではとても計り知れないものがあります。

 歴史上の惟喬親王さんも立派でしたけど、それはこの世の人から見たら立派だった程度です。でも
本当の神様から見て立派というのは自分を一切掴まない自分を一切出さないという、そこまで行かないと認めてくれないです。だから絶対自分を名乗らない・自分が一切ないというのが本物なんです。そこまで謙虚に謙虚になると宇宙絶対神がその場へスっと降りて来てくれます。これからの時代は特に本物の時代という本物が現れる時代というのは、宇宙絶対神が直接降り立つ時代です。宇宙絶対神が降りてくれる場というのが、本当に謙虚な感謝の出来る場です。皆さんもそういう受け場として選ばれてる筈です。何でこんな所までやって来るのでしょう。遠い所から何も意味も分からず来てるかも知れないですけど。これは肉体の自分が来てるのじゃないです。守護霊さん守護神さん含めて本体の自分がこの肉体の自分を受け場として運んでいるのです。本体の自分の方は無限に無限に謙虚な本当に輝いた自分です。その自分が守護霊さん守護神さんを中に働きとして持ちながら、この肉体の自分を大きく使おうとして、こんな辺ぴな所へ・得体のしれない所へ引っ張って来たのです。だから惟喬親王さんというのは「これ新た」という意味で響きがちょっと似通っているし、1つの名称がないと何も分からないので、そういう意味だったら惟喬親王さんという名前があっても良いんじゃないかと思います。

 本当の感謝
ありがとうございます:
 本当の感謝というのは、一切の願い事を持たずに神様の前へ立って「ありがとうございます」って神様のプレゼントを受けるのが本筋です。普通病気になったら病気を治して欲しいって願い事を持って「ありがとうございます」って感謝し始めるんですけど、これはまだ本当の感謝行の入り口にも入っていないです。門の外で入ろうか入るまいかって思案してる段階です。だから思いの世界から本当に感謝の世界へ抜け出るというのが本当の感謝行に入った事になります。思いの世界では色々、自我の心があって「こうしたい・ああしたい」って色々思い通りしたい・願い通りにしたいというのがあるんです。これは自分勝手な願いです。神様から見ると本当につまらない願いなんです。神様の方は無限の無限の素晴らしいプレゼントを一杯与え続けているのに、何故それに気付いてくれないのかと思っています。それさえ気付いてくれたら何にも願いは出なくなる筈です。願いを持ってするなんて本当の神様の前に立つ時は考え方によったら万死に値する無礼千万な態度です。本当に失礼に当る訳です。無限の無限のプレゼントを一杯与えてくれた人に対して自分勝手なつまらん願いを出して「あれ欲しい・これ欲しい」というのは考えても可笑しいです。神様はそこまで人の幸せを願って、いつもいつも無限の無限の幸せを与え続けようとして一生懸命になっているのに今更つまらん願いを出す必要はないです。

 その感謝というのは一切の願いを相手にしないで神様のプレゼントを即サっと受けたら良いのです。そうすると神様のプレゼントを受けたら全部問題解決します。どんな願いも神様から来る無限の無限のプレゼント1つ受けるだけで良いのです。1つで良いのです。無限のプレゼント受けるまで行かなくても1つ受けるだけでこの世のどんな願いも全部適えて貰えます。そのぐらい素晴らしいプレゼントを与えて続けて貰っています。だから感謝行っていうのは神様を目の前にした時は謙虚に謙虚にただ受けるだけが良いです。その受け方の上手な人が最高級神霊という訳です。

 もう無限の無限の素晴らしいプレゼントを受けた途端に、もう有り難くって如何しようもないぐらいになります。そうしたら恩返しの心を自然に湧き上がる様に起こさして貰うのです。何所までも恩返ししたいと願ったらやっぱり1番下まで降りるのです。自分の持ってるもん全部投げ出すだけで済まないです。自分を抵当に入れて借金してでも、それを全部お返ししようというぐらいの感じです。そういう感覚で地獄のどん底まででも、マイナス無限大のマイナスの極地まで降りられるのです。そうすると自分が本当の意味の空っぽになります。そしたら神様はほっとけないです。そこまでするんだったら、もっともっと大きいプレゼントを一杯注ぎ込んで来ます。そうすると今受けたものの、また無限倍がスっと入って来ます。その連続・繰り返しなんです。だからもう自分が一切消えてなくなるのです。

 もちろん自分のもんなんて持つ必要もないし、ただ神様だけが神様のプレゼントだけが目の前を流れるようにズーっと連続して現れるのです。本当の神様の光のプレゼントが無限のスピードでズーっと降り注ぐような感覚です。だから過去の自分を一切掴まないのです。これが自分というのも掴まないです。それは古神道系の最高級神霊の神々様と同じ状態です。そういう自分が本当の自分に近いです。そういう自分になりたい人が、御陵へ行くのです。だから小さい願い事で行ってもつまらんです。本当に無限に無限に謙虚な神様の最高のプレゼントを一瞬一瞬受け直せるような自分です。そういう自分になる為にあの場を活用させて貰うのです。

 皇(すめら)の聖地
ありがとうございます
 あの場は特に皇(すめら)の聖地と言います。「皇」という意味は「皇高天原命・すめたかあまはらみこと」という宇宙絶対神の働きが花開き実を結んだ、そういう場という意味です。普通宇宙絶対神は1番奥のカクリミ・隠身の姿で存在する時は「天之御中主神・あめのみなかぬしのかみ」という名前で呼びます。それは1番奥の絶対の、この世から見たらとてもとても想像も出来ない隠れた姿です。でも「神様」という名前と「命・尊・みこと」という風に出て来た名前ではちょっと違います。

 例えば「伊邪那岐神様・いざなぎの神様」ってあります。「伊邪那岐命」とも言います。神様の時は働きとしての神様の名前だから、それで良いんですけど、「命」になると今度は働きが具体化して、言葉・言霊を使って創造の働きが出て来ている時に「命」と言います。その「命」というのが具体化して創造されて花開き実を結ぶ姿で結果として出るのです。それが尊厳極まりない「尊い」という意味の姿も「命」と言います。それと同時に見事な素晴らしい結果を出して来ます。それが「命」という姿で出るのです。だから「皇高天原命・すめたかあまはらみこと」になると絶対の1番奥の働きがズーっと具体化して現実にまで、この世にまで本当に花開き実を結ぶ姿を持って完璧な姿をとってくるのです。それが「皇高天原命・すめたかあまはらみこと」、宇宙絶対神の全体像を指し示しているのです。丁度「ありがとうございます」と同じような意味になって来ます。

 その「皇」の聖地というのは、「ありがとうございます」の本当の意味をこの世へ具体的に顕現する為に用意されてる場所という感じで、「皇」の聖地と名前が付けられているのです。だから誰彼なしに、あそこへ来れないみたいです。普通素晴らしい所だったらみんなワーッと押し寄せるかも知れないけど、やっぱり無理みたいです。選ばれた人しか分からないみたいです。だからどんな遠い所からでも縁あって必要あって神様から導いて貰える人はスっと来れるのです。そうでなかったら、ああいう所へ寄り付かないです。何もないような所へ寄り付かないです。楽しくないですから。

 自然に感謝が深くなる
ありがとうございます:
 今年はあそこで地元の人が細々とですけどお祭りし始めてから9回目になります。やっぱり昔の惟喬親王さんの色んな素晴らしさを伝えて、ああいう場を皆さんに提供して活用して貰いたいという願いで始まったのです。今はまだ本当の意味の具体化はないのですが段々と神様の計画の基に具体化して来てるのです。やっぱり今年は参加させて貰う人が1番多くなると思います。今で350名超えると思います。最初は2・30人だったけど段々と増え始めて150から200ぐらいまで増えたのです。今年は1番多いけど、これからもっともっと増えて来ると思います。

 丁度あの前に拝殿を今年は作りました。あれ最初に計画したのが、この6月20日です。6月20日に地元の区長さんとちょっと話しをして、普通雨の日でも出来る様にしようと思ったらテントを張ったり色々しなければいけないです。それで色んな舞を舞って貰ったり奉納して貰う時でも舞台が要るのです。石畳の上では、ちょっと大変だし、そういうのもあって拝殿を作ろうかという話がちょっと決まったのです。そしたらトントン拍子に必要な材料が全部集まって来ます。あの拝殿の床下は300年経った檜の木で作りました。300年って凄いです。杉も300年経ったのをちょっと使ってます。それが決めたその日に話が具体化して出て来ます。それが貰えるようにちゃんとなって行くのです。その途中の経過は不思議なくらい神計らいで全部運ばれて、その300年の杉の木とか檜の木を切る仕事を与えて貰って、それを全部貰ったのです。それで、その作業が早いです。基礎コンクリを包んで全体をちゃんとコンクリを打って綺麗に整地しています。木を集めて製材して木どりして組み立てます。実際にしてる期間は短いです。6月の20日からだから明日で丁度1ヶ月になります。それでも実際は他の仕事も一杯しながらなんですが、それでも必要な資材と必要な人材全部神計らいで集められて、やっぱり間に合うようになってます。不思議で堪らないです。みんな神計らいで神様が必要だったらちゃんと準備して下さる感じです。その車の駐車場でも同じです。大勢来られるようになったら、やっぱり駐車場が段々必要になって来るけど、それもちゃんと用意されて行きます。道路に止めなくても済むようにちゃんと自然に用意された場所が出て来てるから心配ないのです。

 だから神様のされる事っていうのは凄い働きです。ただ人の方はちょっとしたお手伝いです。肉体の自分はちょっとしたお手伝いです。本当は本体の自分が宇宙の大神様の本当のお手伝いをさして貰います。守護霊さん守護神さんを含めて肉体の自分の方はほんのちょっとのお手伝いをさして貰います。だから、これからの本当の世界平和の為の世界維新の為の働きというのは本体の自分が大きく働くのです。肉体の自分の方は「ありがとうございます」って、それを受けるだけです。謙虚な心で受けてたら良いだけです。そうすると本体の自分が大きく働くから必要な事を何でもしてくれます。ただ我を出すと邪魔するだけなんです。ちょっと邪魔するのです。それでも本体の方が力があるから少々の邪魔でも邪魔出来ないようにして来ます。幾ら我の心で思い一杯出して頑張ろうと思っても思いを消されて仕舞ったら感謝せずには居られなくなります。だから、ここに集まって来られる人はみんな自然に感謝が深くなるように仕組まれて仕舞ってるから本当の神様のお手伝いに生きるようになって来ます。それが本当は1番の幸せなんです。神様といつも一緒に大きい目的を持って生きるというのが本当の幸せな生き方なんです。

質問者:
 山奥でありながら道幅が広いし、凄く整備されています。(そうね。これも凄く不思議です。)都会のように道幅も広いし、やっぱり計らいですか?

ありがとうございます:
 今から30年くらい前に原田観峰(はらだかんぽう)宗師(そうし)という方(ヒフミ神事の原文を解釈してみんなに伝えた方だから霊感も鋭いし本物をはっきり分かってる方です。)のところへ惟喬親王さんが「ここを聖地として開いて心の修養道場を創りなさい」というような感じでお告げを下したのです。それで、ちょっと向こうの「皇(すめら)学園」を創られたのです。その時は車が通れる道じゃなかったのです。それで、その時に道を作ってくれたのです。その時は自衛隊が動いて道を一杯作ってくれたみたいです。色んな神計らいで良い道が出来たのです。それもちゃんと準備されてるのです。

質問者:
 先ほど神様の時代と仰いましたけど、具体的に教えて下さい。

ありがとうございます:
 肉体の自分としては「ありがとうございます」を先ず唱える事です。そうすると守護霊さんも守護神さんも本体の自分も大きく働けます。先ず本体の自分が宇宙絶対神のお手伝いに入るのです。そういう意味で肉体の自分は、その邪魔をしないようにというだけで良いのです。そういう意味では「ありがとうございます」と祈り言葉をしっかりと唱える事です。後は本体の自分が守護霊さん守護神さんが肉体を自由自在に使いこなしてくれます。必要な能力を降ろして来て必要な力を湧き上がらせて、神様の方が何でもしてくれるのです。だから肉体の自分が力んで「何かしなければ」じゃないのです。「ありがとうございます」で受けるだけで良いです。全ての働きは本体の自分から現れて出て来るから何の心配もないです。

他の人:
 白峰先生という方がいらっしゃいます。白峰先生は惟喬親王さんのことで「皆の衆、今日も惟喬、明日も惟喬」という詩を作っています。本当は真面目にされているんですけど、半分冗談に聞こえて仕舞います。今日の日付で送って来てくださっているのがありますので読ませて頂きます。
「ありがたや、岩戸開きて惟喬や、ありがたや、岩戸開きで惟喬や」7月20日海の日、惟喬親王祭、という事で頂きました。それともう1つ、7月16日に送って下さったのがあります。今の世の中は「不思議な金」で、お金の方の金の世の中だったのが、20日からは本当の鐘の方になると書いていらっしゃいます。7月20日の海の記念日には三つ意味があって、

1つは、産み出す
2つは、宇宙を見るというので「宇見」
もう一つが、腐る膿があって、それを出す意味もあります。

日本の雛形日本人の雛形、皇尊の仲間という事で、一二三神事で123人ぐらい集まれば意思が通るという事です。それと3月3日にKさんという神舞を舞う方がおられて、君が代の歌に合わされて踊りを奉納されました。本当に楽しい方で丸秘の言葉を使ってちょっと変えられてました。20日の日はご自身は来れないけども、鳳凰の姿で見てますという事です。何所まで本当かわからないけど神武天皇から124代、天皇124人に参加して頂きますので晴天になると思います。

 ありがとうございます報告5
質問者:
 先日「無門関」のテープ(2002年6月8日)を聞かせて頂きましたら、7つのお祈りの話が出て来ました。マイナスの部分とプラスの部分と感謝の部分は良いんですけども、私のような者が最高の表現を感受するというような、そんな言葉を使って良いのでしょうか?

ありがとうございます:
 肉体の自分がするんだったら、とてもとても出来ないです。本体の自分です。無限に無限に謙虚な本体の自分が、それをするのです。後は肉体の自分はそれにスっと素直に従うだけです。本体の自分がそういう風に祈って助けて下さっています。だから「ありがとうございます」と受ける為の確認です。何を与えて貰っているのか確認するだけです。

質問者:
 そのお陰だと思うのですが昨日の朝、神棚に手を合わせてましたら、突然「ああ!そうか!私はこれをしたかったんやからやろう」という風に思ったんです。「生き直しをする」と言ったらオーバーですけども今の生活を変えて、住まいを変えて、お金をいくらにしようとか思って、そこで迷っていたから、執着をなくして御心のままにどうぞというような感じで行こうと思ったんです。とても私ごときが出来るかどうか分からないけども、一回思い切ってやってみようかなと、昨日、偶々そういうふうに思いました。ちょっと不安ですが、如何にかして下さるかなと、そんな思いが湧き上がって来ました。それは自然に湧き上がってきた自分の内なる思いなのでしょうか?

ありがとうございます:
 そうです。本体の自分がそういう風に動かして来るから、本体の自分が責任を持ってするから別に心配も何も要らないです。

 桜
ありがとうございます:
 惟喬親王さんは桜の花が大好きだったという話があります。その近くに千年杉があります。千年以上経ってるんだけど、そこに桜が生えてます。杉の木の中に桜が生えてるのです。御陵の所からちょっと向こうに行って、右手に山の神様をお祭りしてる所があって、そこの所に千年杉が生えてて1回見られると良いけど。そんなに背丈は高くないし太いと言っても、そんなに滅茶苦茶、太いような感じじゃないけど、桜が生えてるところが面白いです。桜は日本の国の花です。何故、日本の国の花になるのでしょう。桜の花びらの散り方って潔いです。何の未練もなしに美しく散って行きます。それでいて「儚い・虚しい」はないのです。
花が咲くと同時にまた新たに咲くという感覚が中にあるのです。桜という言葉は「さく」と「ら」になります。「ら」というのは、無限に無限に伸展して行くような感じの「ら」です。「ら」行の「ら」です。無限に花開いて、無限に大きくなって、無限に増えてというような感じの響きがあるから桜の花が咲けば次の年はもっと沢山咲いて、その翌年は更にもっと沢山咲いてってな感じで無限に無限に栄える意味があります。だから桜の花びらが幾ら散っても「儚い・虚しい」というそういうもんはないのです。常に明るいのです。日本の心は、そういう意味でバックに宇宙の大神様の働きをしっかり捉えているのです。大光源をしっかり捉えているから絶対に光が消える事はないのです。闇に落ちる事は絶対ないのです。いつも新しい無限の大光体をしっかり受け直せるのです。それが桜の花で象徴される日本の心になっています。木でも桜の木は神格が高いです。木でも格があるのです。神格が高いから余り個人の家の庭には植えないです。普通公共の場に植えます。みんなに見て貰う。みんなの木なんだという感じです。

 御陵の石
質問者:
 御陵の中に大きな石が1つありました。その石に意味があるのでしょうか?

ありがとうございます
 あれにも意味があります。「冠(かんむり)岩」とか言われてます。まあ大した事ないけど、それでも昔からそういう風に呼ばれて、そこで竜神さんとか何か護ってるもんがあるのです。霊能的な人は、その岩を見てやっぱり竜神さんが居てると分かるみたいです。だから、そう大した意味はないです。

 お祭り
質問者:
 6月上旬頃だったか、TVで惟喬親王さんの事をやってたのでビデオを撮って送らせて頂きました。宮中で、桜の花を愛(め)でながら一杯飲みながら歌を詠んだという事で、惟喬親王さんの人となりが出ていました。伊勢物語、八十二談書かせて、後出家したことがあったとかで、楽しく見させて貰いました。

ありがとうございます:
 お祭りには色んな意味があって、深い意味もあります。単なるどんちゃん騒ぎじゃないのです。「ま」と「つり合う」という意味もあります。「ま」は全きもの、完璧な完全なものという意味です。宇宙の大神様の事を指してます。だから神様の御心と1つにつり合う・波長が合う・一体化するという意味です。それがお祭りの行事の姿です。政治の政(まつりごと)も、そうだけど、神様の心と一致したら政治が政になるのです。そうすると本当の平和な幸せな世界を創り出せるのです。だから神様の御心を現す・神様の御心を降ろす意味です。また「つり上げる」意味だったら神様の方から見るとみんなの真の心を引き上げてくれる意味になります。真の心は最高の感謝の心です。感謝の心を起こせば1番上へ「つり上げて」下さる意味もあります。だからお祭りの時は色んな最高級神霊はじめ色んな段階の神様が一杯集まって、この世の人も色んな心境の人が集まってお互いの心が自由自在に交流されるのです。本当に1つに融(と)け合うと色んな段階・次元を超えて本当に1つにスーっと融け合うのです。そうすると低い人も高い人も本当に一体化してみんなが共に光の柱の一部を構成するような感じになります。本当に神様の大きい働きに一体化して行きます。それがお祭りの1番大きな意味になって来ると思います。

 丁度、天岩戸開きの古事記の話の中にも「天鈿女命(あめのうずめのみこと)」の裸踊りがあります。この世的な思いの心で見る裸踊りじゃないのです。感謝の本心の心で見る見方は逆に、その余計な思いを取り除いた心の状態です。服を何も着てないのではないです。天衣無縫というか、本当はちゃんと天女が着るような羽衣を着てます。ストリップ劇場の踊りじゃないです。逆にそういう事をすると、その心でなくなっているから神様の目から見ると反対なんです。天鈿女命も言霊的に解釈すると色んな解釈が出て来ます。「うずめ」というのは渦巻きの「渦」です。渦には左に回る右に回る両方の渦があります。丁度、台風も1つの渦巻きの姿をとります。宇宙創造の働きは螺旋の渦巻きの働きで全て産み出されます。その中心の目というような感じで「うずめ」とも言えます。だから1つの小さい働きの女神様という感覚じゃないです。あれは大きい宇宙的な神様の働きの1つの姿を人格的に例えとして、そういう女神様の姿をとってるだけです。解釈は幾通りも沢山あるから、小さく見たら小さくなるし大きく見たら大きくなります。「天鈿女命」という命というのも、さっきの命の意味もあります。本当にこの世に現実化・具体化して現す力の意味で命になっているのです。

 「天鈿女命」は中空っぽの桶を逆さまにして、この桶の姿は無限に無限に謙虚という意味です。普通は高慢な心になり易いです。自分が一杯になっても上に立ちたいというのは高慢なんです。特に絶対神・宇宙の大神様から見ると本当はちょっとでも自分を出すと「つまらん」と言います。「高慢ちきな」というような感じで低く見られます。だから本当に謙虚に謙虚になって初めて認めて貰えます。空っぽの桶の上に立ってるという事は無限に無限に謙虚な立場に立っている意味です。そしてその上で力一杯、足を上げて踏むのです。本当に全力を出し尽くしてる感じです。そして自然な状態になって本当の神懸りの状態で踊るのです。神懸りにも色んな段階の神懸りがあります。本当の神懸りは宇宙絶対神・天照大御神様が直々に降り立ってそのまま自然に動き出す事です。本当の感謝の極地にあるのです。そこに初めて神様が自然にスっと現れて本物の神懸りになります。低い神懸りでは役に立たないけど本物の神懸りはそうです。感謝の1番深い境地になった時に初めて神様がスっと降りて神懸りの正しい状態になります。その時に1番自然な姿で1番大きく輝くのです。その輝いた時に初めて八百万(やおよろず)の神様・宇宙の全てを感動させるのです。そして八百万の神様が心から笑うのです。笑うというのは可笑しいから笑うのではないです。本当の天照大御神様が輝き出る意味です。全ての神様の中に天照大御神様が輝き出て宇宙の全てが最高の輝きを放つ意味です。その時に初めて天照大御神様が天岩戸を開いて出て来た状態なんです。

 だから
お祭りの時の気持ちは「天鈿女命」の気持ちになる事です。謙虚な謙虚な心で喜びを一杯表現する・本当に「嬉しい・楽しい・有り難い」感じで、それを無限に表現すると天照大御神様がみんなにスっと降りるのです。誰かがそれを先ずするのです。1人で良いです。そうするとみんなが同じように伝染病みたいに感染して行くのです。それで喜びの渦巻きが一杯起こるのです。そこに天照大御神様が現れて天岩戸開きが行われます。ある意味そうです。だからお祭りの行事も大事です。過去の伝統を継承して毎年してるから、それを義務的にするのではないです。本当のお祭りは新たに新たに神様から受け直して最高の輝きを現してる事です。みんなが本当の幸せを実感して行く為に必要なんです。その本物のお祭りをまたあそこからまた、本当のお祭りの在り方というのが、みんなに知って貰う意味で全国に広がって行くかも知れないです。今年も色々、みんなにやって貰えると思うけど毎年、形はどんどん変化して良いと思います。自由自在に変化しながらみんなが楽しく幸せ一杯になれるようにどんどん変えて行けたらなと思います。

質問者:
 渦巻きの右回りと左回りには意味がありますか?

ありがとうございます:
 あります。やっぱり両方の働きがないと組み合わせが上手く行かないです。同じ方向に渦巻きがあっても交わりが上手く出来ないです。だから左回り右回りがあって上手く交差する(交わる)ところが出来て来ます。宇宙創造の働きは必ず左回り・右回りの螺旋状の渦巻状の働きで全部生まれて来るから、やっぱり大事なのです。

 悲しい(涙)
質問者:
 ここに来て最初は凄く気持ち良くって、皆さんもニコニコしてる感じなんですが、突然自分でも訳が分からないのですが凄く悲しくて涙が沢山出て来ました。皆さんとのギャップを感じて戸惑っています。何故なんでしょうか?

ありがとうございます:
 悲しい思いは誰でもみんな心の底に溜めて持ってるかも知れないです。思いの心を生きてる時は一杯悲しみを溜め込んでいます。そういう思いを消して貰う時に、こういう場だと悲しみが出た時に瞬間にサっと消えるのです。だから沢山浮かび出た方が沢山消して貰えて得するのです。それもプラスです。その涙は悲しいから出るのではなく、悲しみを消して貰った時に清めて貰った時に後で涙が出て来るのです。涙は清めて貰った結果です。だから涙を流した後は悲しみが消えてる筈です。悲しみが和らいでいると思います。悲しみを消して貰って初めて涙が流れて来るのです。だから得しています。マイナスはここで消して貰う方が良いです。家に持って帰って消すとちょっとしんどいです。

 誠実真行(せいじつしんこう)
質問者:
 宇宙は無限の入れ子構造になってると仰います。そうすると地球があって太陽系があって銀河系宇宙があって銀河団があってという風に捉えます。それはある意味小さい宇宙の1つで(そうです。)無限の入れ子構造は全く違うのですか?(そうです。)そこでは、今我々が予測している宇宙とは、違うシステムで動いているかも分からない。(はい。)そこのシステムの中でも「ありがとうございます」というエネルギーは生きていますか?

ありがとうございます:
 はい。もう全てに貫いて通っています。だから「ありがとうございます」が本当に分かり出したら入れ子構造の仕組みがよく分かって来ます。実感させて貰えます。感じさせて貰うから、この世のどんな小さいものにも石ころにも原子1個にももっと小さい素粒子にも全大宇宙がある感覚になります。その入れ子構造の仕組みは物凄く複雑です。物凄いもんです。神様の宇宙創造の働きは薄っぺらなもんじゃないです。そこまで凄い宇宙をいつも与え続けて貰っているから本当に凄いのです。この世で見ているこの宇宙も入れ子構造だし、あの世の無限の無限の次元ぜんぶ入れ子構造の宇宙を持っています。頭で考えても全然想像出来ないです。本当に感謝の心を中から湧き上がらせて貰って本当に感謝の直感でスっと分からして貰うしかないのです。

 
昔、五井先生が修行中に「ふうち」と言ってちょっと神様(守護神様)からのアドバイスが来たのです。「百知(ひゃくち)は 一 真(しん)実行に及ばず、誠実真行(しんこう) 万里を識(し)るに勝(まさ)る」という言葉が降りて来たというのです。これ物凄く素晴らしい言葉です。「百知」って百の知識・百の色んな事を知るという事と1つの実行とどっちが素晴らしいでしょう。1つの真の実行の方が本当は素晴らしいです。「誠実真行」本当の真心を込めた行いは「万里を識るに勝る」というのです。万の真理を勉強するというのは本当は凄い事なんです。それ以上に「誠実真行」って言うのです。これ真の感謝行だと思います。本当に真心込めた感謝の祈りで宇宙の万里を勉強するよりも遥かに価値があるのです。色々理屈こねて勉強するのも必要な時は必要だけど、でも「ありがとうございます」って1回心に唱える方が100の知識を勉強して知るよりも価値があります。素晴らしいのです。それで宇宙の真理を万の真理を勉強して知るよりも本当の真心込めた深い感謝の祈りを捧げる方が遥かに価値があります。だからここへ皆さん色んな勉強に来られると言っても色々言葉で教えて貰うこんな勉強はとるに足らないです。つまらんもんばっかしです。でも本当に価値のあるのは直々に神様が皆さんの中へ伝えてくれるもんなんです。それは受ける心がないと伝えて貰っても受けられないです。それで「ありがとうございます」という本当の感謝の祈りが必要になります。だから直々に与えて貰って受けるというのが大事です。そしたら知識で勉強する事なんかつまらんです。色んな真理・原理・法則を色々学んだって枝葉の問題になって来ます。本当の神様を直接、感じる方が本物なんです。だから本当はここへ来る目的は勉強の為ではないのです。「お祈りだけをしたら良い」という確認です。「おじさんに出会って」と言うて、こんなつまらんおじさんに出会ったらあかんのです。神様と直接対面する為に本当に何が必要かしっかり確認するのです。「ありがとうございます」と本当の感謝のお祈りをしっかりする事を確認するのです。本当の神様と出会うのが大事なのです。

 昔、お釈迦さんが亡くなる時に弟子が嘆き悲しむから「自分の亡くなった後は自分の教えた法を大事にせよ」と法を中心にして頑張りなさいみたいな励ましをしてるけど、法って教えってつまらんです。ある意味では人の生き方を縛って仕舞います。雁字搦めに縛って仕舞います。マイナス面が沢山あります。でも神様は絶対に人の自由を縛らないです。どんだけ最高の素晴らしい教えだと言っても神様から見ると、そんなんは掃いて捨てる程あります。無限に無限に、それ以上のもんが一杯あるのです。だから教えなんかで絶対に神様は縛って来ないのです。教え法を中心にするなんてつまらんです。またこの世に生まれて来た色んな人をどんだけ素晴らしいと言っても肉体人間なんて本体の自分から見たら爪の先のあかぐらいなものです。本体の自分ですら神様の前に立ったら無限に謙虚になってへりくだるのです。そしたら肉体人間がどんなに素晴らしい姿をとっても、こんなんはとるに足らないです。みんなゼロ以下なんです。だから人を中心にしたら駄目です。教えも人もつまらんから、そんなんは相手にしないで、ただ祈り言葉をしっかり唱えて本物の神様をしっかり掴む練習・感じ取る練習が必要なんです。それを1人すれば、みんながそれに同調して後、続き易いです。そういう人がどんどん増えればみんなが感謝を深めて神様を感じ取れるように早くなれます。それみんな助け合いになります。1人でも早く深く祈る練習をして貰うと良いです。そうするとみんなが深く入れます。そういう人がこれからどんどん増えて行くと思います。それで神様を直接感じた人は本物になって行きます。神様がそこに降り立って輝いてくれます。これからはそういう本物の時代だからみんな神様って拝み合う時代です。感謝だけが良いのです。だから余り質問しない方が良いです。でも、ちょっとは良いです。

 お祭り2
質問者:
 私の町内では「一日祭り」と言って、1が付く日に割り当て当番でお神酒と五穀をお供えしています。伊勢神宮から分けて貰って山の上に祭っているんです。止める訳にはいかないので、どういう思いでお祭りを続けて行ったら良いでしょうか?

ありがとうございます:
 どんな神社にお祭りされてる神様・祭神も本当は宇宙絶対神の天照大御神様の分身としてお祭りされてます。その本体は天照大御神様と見る方が良いです。宇宙絶対神の最高の御姿という風に見るのです。その神様は余りにも偉大すぎます。それでちょっと段階を下げて「はしご役・つなぎ役」になって、色んな神様の名前が出て来るのです。でも
本体をしっかり捉えて行くのが大事だから感謝を捧げて絶対神をしっかり認めるというのが良いです。その形は心を整える為の1つの手段・方便です。お塩を撒くのも何か色々するのも、そうです。だだ自分の心が感謝になればお祭りなのです。

 地球全体の将来
質問者:
 日本の将来について話して下さい。素晴らしい国であると思うのですが、中々リーダシップがとれないように思います。どうすれば世界をリード出来るようになるでしょうか?

ありがとうございます:
 日本の姿・運命も無限の無限のチャンネル全部を取り揃えられてるから、良い運命も悪い運命も全部そろっています。その中から、どの運命を引き出すかによって日本の将来はどちらにもなって行きます。感謝を忘れた人ばっかしだとマイナスの番組を選んで行きます。日本を含めて地球が破滅への道を歩む姿を現実化して行くのです。ところが今、感謝を始める人が増えて来ています。それは最高番組を引っ張り出して現実化する働きの大きい姿になっています。そしたら破滅じゃないです。本当の完全平和が現実化します。
地球全体が本当の大調和の姿をとるようになって行きます。これは感謝に比例して番組が現実化・具体化されて来ます。これは急速に変化して行くと思います。今、感謝する人がどんどん増え始めています。それも深くなって行ってるから、日本の将来・地球全体の将来はどんどん良くなると思います。

質問者:
 1人1人の自覚が大切で、他からして貰うのではなく、1人1人自分の中から変えて行く事が大事だと、何かの本に書いてあったと思います。

ありがとうございます:
 本当にそうです。肉体の自分として自分が色々勉強して立派になって感謝出来るようになったんかというと違うでしょう。みんな何もしてないです。今までズーっと神様の邪魔ばっかしして来ている筈です。それでいて、色々気付かせて貰って感謝出来るように変えて貰っているのです。それは何所から力が来ているでしょう。
これは本体の自分から来ているのです。本体の自分が働き始めているから肉体の自分がどんだけ邪魔しても何しても関係なしにどんどん変えてくれます。良いように良いようにね。だから何も心配ないです。

ありがとうございます