0カウンター.1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.32.33.34.35.36.37.38.3940.41.42.43.44.45.
46.47.48.49.50.51.52.53.54.55.56.57.58.59.60.61.62.63.64.65.66.67.68.69.70.71.72.73.74.75.76.77.78.7980.81.82.83.84.85.86.
87.88.89.90.91.92.93.94.95.96.97.98.99.100.101.102.103.104.105.106.107.108.109.110.112.113.114.115.116.117.118.119.110.
111
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140.141142.143.144.145.146147.148.149.150.151.152.153.154.155.156.157.158.159.160.161.162.163.164.165.166.

ar81パニック症候群と感謝 2001.8.25

☆私、気功師をしていますが、私の患者の内パニック症候群、不安症の女性がいて、ふいに恐怖感に借られ電話が入ってくるんですが、以前からその人にありがとうございますとか、私は大丈夫、私は元気です、私は光です、と日常からプラスにする様にしているのですが、恐怖感が起こればありがとうございますと唱えても恐怖が去らない。改善されないのですが。
−ありがとうございます−
ありがとうございますと唱えて、すぐ良い結果が出る人とでない人があるんです。みな原因はちゃんとあるのです。本当の感謝というのは謙虚な感謝のあり方が大事なんです。だから、過去世にマイナスの言葉を一杯使って心のため続けてきたとしますと、過去というと無限に永い、何億年以上かもしれません、その間にマイナスの言葉を使い続けていると利息がつくんです。そのマイナスの言葉が心に一杯溜まってしまうんです。無限に近いものが心に溜まると、本当だったら地獄のドン底の最低の番組に波長を合わせて、無限の苦痛を味わい続けるのが永遠に続くかも知れません。本当の感謝というのは、そうした無限の苦しみをいつもいつも免除し続けて下さっているという、軽く済まして下さっているという感謝と、また無限にプラスのものを一杯与え続けて下さっているというプラスへの感謝と、両方が大事なのです。その上に感謝させていただけるという、本当は感謝など絶対にできない自分なのに、1回でも感謝の心を起こさせてもらっているということへの感謝。だから三つの感謝、マイナスを軽くしてもらったという事への感謝と、無限のプラスを大きく貰った感謝と、また、感謝の心を起こさせてもらっているという事への感謝と、徹底して起こさないと効果は少ないです。だから、普通は求める心でありがとうございますと唱えると、求める心はマイナスの心なんです。番組をどんどん下げていく事になるのです。病気一つでも、治したい、治したいと言うとマイナスの心なんです。病気なんだ、病気なんだとしっかり主張しているんです。そのマイナスの言葉を一杯使い続けていることになるんです、病気を治そうというと。その合間にありがとうございますと唱えると、ちょっとは軽くなるんですけれど、まずマイナスを握り締めていることになるんです。それよりも万病を抱えて苦しまんところを軽くしてもらえとか、又、過去世に積んだマイナスの言葉が心の奥底に一杯たまっているのを消すために浮かび上がらせてもらったとかそういう風に正しくプラスに見なければいけない。神さまはありがとうございますと唱えたときは必ず救いに入っている。その救いかたが神さまと人の考えとはちょっと違うんです。神さまは必要なことを的確にしてくださるんです。心にたまったものを消そうとすると、浮かび上がらせてくるんです。いくらありがとうございますと唱えても、心にたまったものをどんどん浮かび上がらせて消そうとするんです。浮かび上がったときに色んなマイナスの姿をとるときがあるんです。体だけではなく心の状態も、それをも神さまが浮かび上がらせて消してくださっているという。それも万分の1以下の軽さに減らして消してくださっていると、いうというふうに喜んで感謝をしているともひとつ効果が出るんです。ありがとうございますと唱えているのに結果が出ない、ますます悪くなったというのは、見方が部分に捉われたり中途半端なんです。もう感謝というのは徹底してプラスにプラスにみて、神さまの愛を受け入れることなんです。感謝が無限に深まるという意味では低い番組から順番に歩むのもあるんで、それも感謝の勉強です。でも絶対に悪くならないです。表面がよくなっても奥が良くなっていないというより、奥から良くなって表面は雨が降ったり嵐が吹いたりしてもかまわないんじゃない。必ず、奥からのほうが良くなるという意味で、喜んでいくほうがいいんです。そしたら必ずいい結果が早く出てくるんです。でも悪くなっていないです、それは。

☆不安感もいつも持っているんではなく、突然浮かんでくるんですが、その時ありがとうございますというのは感謝の心で言えばいいのは分かるんですが、恐怖の心が出たときはそれに捉われてしまうんで、それを指導できればさしていただきたいと思うんですが。
−ありがとうございます−
心の状態が、青空に太陽が輝くように感謝が湧き上がるのが一番幸せな状態です。でもマイナスを一杯取り込んだら思いの黒雲って一杯あるんです。本当だったら台風のような土砂降りが降って当たり前なんです。でも、そういう状態ではないです。軽い軽い状態です。ちょっと霧雨が降ったくらいです。本当だったら地獄のどん底の苦しみを、心の状態として味わわなければいけないんでしょ。七難八苦の状態で一杯になってしまいます。それをちょっとマイナスの恐怖心が起こってくる程度なんです。だから恐怖心でもピンからキリまであるでしょ。マイナスの言葉を一杯貯め続けたら、恐怖心って底知れないものが出てくる。天が降ってくるとか、周りの人はみんな鬼のように自分を殺しに来るとか、どんな食べ物を前にしても毒が入っているのではないかと、みんなマイナスで心は目茶苦茶になるくらいに圧迫されるんです。だからそういう状態ではないです。物凄い状態ではないです。物凄く軽い状態です。ちょっと恐怖心が出るくらいだったら、そういう恐怖心は過去に貯めた無限の恐怖心のほんの一部です。万分の1部が出て消されている状態です。それを本当は喜んだほうが良いです。軽く済ましてもらって、消してもらって状態です。本当は喜んだほうが良いです。軽く済ましてもらって、消してもらってありがとうございますってね。そうすると感謝が深くなるんです。その現実の表面の形が良くなるのを喜ぶのは、まだまだ浅い感謝です。大難を小難無難に済ましてもらっているのを気づいて、感謝できるのがもっとしあわせなんです。だから目に見えないところへの感謝が出来るように、表面ちょっとそういう姿を出して消してくださっていると思えば、それがあったほうが良いです。やっぱり幸せへの最短距離を歩んでいるのです、その人は。


  病気の人の見方

☆痴呆の方が亡くなる時は、やさしく行ける(あの世へ)とか言いますが、痴呆になるのは今までの形の結果がそういう様になっていると思うんですが、それを気づかせる事は出来るんでしょうか。
−ありがとうございます−
自分のほかに、周りの人が別個に存在しているという見方は、捉われた小さい見方です。本当の見方は自分の見ている世界全部が自分の心を映し出す鏡なんだという位に見ると大丈夫なんです。本当は神さまから与えてもらった無限の無限のチャンネルの中から、最高番組を選んで見ている人だったらマイナスは一切無いのです。みんな無限の無限のプラスばっかりの、素晴らしい悟った人ばかり見えてくる。ところが無限の無限のチャンネルの中からどれか選ぶんです、一人一人が。その選んだチャンネルにマイナスやプラスが在るとしたら、まだマイナスやプラスのある番組を自分が選んだことになるんです。その原因は自分が過去にマイナスの言葉を使っているはずなんです。それで波長合わせをして番組を選んでいるのです。マイナスの番組の中でプラスやマイナスが有って、そのマイナスを変えようとするよりは番組を変えようとするほうが良いんです、全体を。だからマイナスの姿を掴んで、変えようというより、プラスの言葉だけを使って違う番組に自分の自分の心を向けたほうが良いんです。番組さえ変わったらプラスの人に見えてくるんです、必ずね。
普通は番組にはまり込むと、番組を変えると言うことよりも、番組の中を変えようとするんです、普通は。するとなかなか変わりにくいんです。チャンネルを変えず同じ番組の中で、番組を変えようとしてもストーリーは決まっているんです。なかなか変わりにくいんです。又、相手が自由意志を持って生きているとしたら、相手の自由意志は縛れないんです。必ず自分のしたいようにするはずなんです。おせっかいでいくら相手が幸せになるように助けて上げようと思っても相手の自由は縛れないんです。相手の変わるのを待つとしたら永遠に変わらないかもしれないんです。それだったらいつまでも自分がマイナスを見ていなければいけないことになるんで、自分の責任で全部変えていけるほうが良いんです。自分が番組を変えていけば良いんです。自分が見る番組を高い番組と置き変えていけば良いんです。それはプラスをプラスをと、プラスの言葉を使いプラスの方に心を向けてプラスだけをしっかり心に取り入れたら良いんです。すると必ず置き換わってくる、プラスに。
そしたらマイナスを見ずにプラスの姿を見れるようになるんです。そういう生き方の方が自分の努力が実を結ぶんです。

☆そういう事は、身内等を介護する時、そういうふうにとらえ方を変えて見てあげた方が良いですか。
−ありがとうございます−
そうです。今見ている番組を、余り掴みすぎない方が良いんです。その一つ番組の中で色んな幸せも掴めるし、勉強もできるんですけど。

☆という事は、父や母を介護しているものを見て、兄弟がとやかく言う事では駄目ですよね。
−ありがとうございます−
マイナスとして掴んで責めるような生き方では損です。例えば、仮に親が痴呆症で寝てマイナスの姿を見せてくれるという時でも、自分のために色んな勉強をさせる意味で演技をして下さっているという見方が良いんです。痴呆症の病気の姿を取って、自分を幸せに導いて下さっている、それによって自分が愛する努力を積み重ねるでしょう。愛の心が引き出されてくる。又、優しく看病する事によって、思いやりの心がどんどん大きく深くなってきます。又、自分が病気の時でも、いろいろ助けてもらったという過去への感謝が沸き上がります。マイナスの姿と見えるものから、色んな勉強をさせてもらい、又、色んな幸せを味わわせてもらうんだったら、本当は大きく見るとマイナスではなくプラスなんです。そういう見方だったら、べつにマイナスを消さなければアカンという事ではないです。そのまま感謝して受けて喜べば良いんです。そういう生き方を取っていれば、自然に必要無くなったら、マイナスの姿がプラスに置き換わってきます。それも自然に変わるのを待った方が良いです。


 感謝は言葉に出す方がいいの?

☆感謝する事は言葉に出すほうが良いですか。ありがとうございますと言うように。
−ありがとうございます−
言葉は心の中心核になるので、言葉を心で使う事も必要です。又、心で感じる事も感謝です。例えば太陽を眺めてありがたいなーという感じがあればこれも感謝です。別にありがとうございますって言葉で唱えなくっても沸き上がる、ありがたいという心があればそれは感謝です。又、美しいものを見て、美しいと感じるのも感謝です。感謝って本当は直感で感じる事なんです。その直感力を引張り出すのにありがとうございますという言葉の力が必要なんです。心に唱えるのが良いんです。必要だったら口に出しても良いです。

☆今思うと子供の頃、楽しかったなー思うんですけど、それは特に感謝の心とか無かった様に思うんです。大人になると感謝の心を起こさなければいけない等と思っちゃうんですけど、それは自然に沸き上がってくるものなんでしょうか。
−ありがとうございます−
心にマイナスの言葉とか溜まっていなかったら本当にうれしいな、楽しいな、ありがたいなって自然に沸き上がってくるんです。特に小さい時は、この世で色んな勉強して、マイナスの体験などをして心を曇らせる事が少ないです。子供の時の方が自然なんです。過去世のものは持っているんですけど。でも、この世のマイナスを心にため込んでいないと言う意味では、大人より心は晴れているんです。だからうれしい、楽しい、ありがたいという気持ちが自然に沸き上がるんです。でも、大人になると色んな体験を通じて心にマイナスをため込みすぎる時があるんです。心は曇ってくるんです。その心を晴らす意味でありがとうございますって唱えてかみさまの助けを受け入れる事が大事なんです。ありがとうございますというのはかみさまを呼ぶ事になっているんです。かみさまの助けを受け入れますという意思表明なの。するとかみさまが助けには行って心の曇りを取って下さる、消して下さるの。そうすると、又、自然にありがたいなーって気持ちが沸き上がってくるんです。何しても楽しいなーって具合に、自然に変化していくんです。そう意味だったらありがとうございますって心で唱える行も大事です。


 ありがとうございますの意味
☆ありがとうございますの言葉の意味は
−ありがとうございます−
かみさまの働きの全てを表わす言葉なんです。究極のかみさまの名前なんです。一字一字簡単に説明すると、まず「あ」は絶対、命の本源とか光の源とか、光。「り」は、ら行音で、宇宙の創造は全ての要素が螺旋状に放射されて組み合わさるという、直線の交わりは一点ですが螺旋状の交わりは無限の交わりができて、全てが相似形の形を取って、入れ子構造の姿を取るのです。宇宙の構造はそういう入れ子構造の仕組みなのです。だから大宇宙があったら地球は縮図的な小宇宙であり、人体もまた地球の小さい縮図を取り、原子もまた同じ構造を取っている。みな相似形の姿で、小さいものから大きいものまで無限に広がる感じ。それが、ら行音の「り」を使って宇宙創造の姿を表わす。「が」はかをダブらせて輝きに輝くという。だからかみさまの創造された全大宇宙、全ての宇宙は無限に無限に輝いているという、かみさまの働き、特性の全てが無限に輝いている姿を取っているんだというのが、この「が」なんです。
「とう」というのは数字の十。又、「ありがたし」というと、た行とさ行に分かれると、た行音が縦の線で、さ行音が横の線で、相対に分かれる全ての要素を縦横に十字に組み合わせて大調和しているという意味です。だからありがとうございますというと、絶対から創造されて、無限に無限に輝いていたかみさまの最高表現の宇宙が、大調和姿を取ってそこに存在しているという意味です。だから最高表現を指すんです。ありがとうと言うと。次の「ご」は、こをダブらせて凝り固まって凝り固まって、物質化して物質化して、又、高い次元を順番に順番に低く下げてという意味ね。最高表現の宇宙が無限の無限の次元に無限の無限の番組に現われるというのがこの「ご」の働きよね。次の「ざ」というのは、さをダブらせてさらさら流れるという意味。宇宙の全てが移り変わる、変化するという意味。素晴らしいものが、美しいものが、輝いて躍動してさらさら流れるという、何でも止まると、静止すると死んでいるんです。変化が早くなるほど命が輝くんです。無限に無限に変化しているという意味があるんです、さというのは。
「い」というのは命のいで、石ころ一個、原子一個本当に生きているという、かみさまの命を生きて無限に輝いているという意味です。物質と言うと何か死んでいるように思うんですけど、全部命を生きているんだ、輝かしているんだ、跳躍しているんだという意味です。「ま」は完たき、完璧な,完全なという意味で、かみさまの最高表現の頂点の無限の無限のチャンネルの番組が生み出されて、全体像が完璧極まりない、そういう姿が「ま」という。
「す」は絶対という、一番元の奥のという意味です。今、現れたものが、又、絶対に戻る。又、絶対から新たに生まれてくる、その循環を表すんです。
「ます」はいや増しに増すという意味で、今現れたものは次に現れるとき、又より素晴らしくより増えてという意味で、「ます」という言葉なんです。ありがとうございますというのは、本当のかみさまの働きの全てを言霊的にあらわした言葉です。だからかみさまの全体像を指し示しているんです。ありがとうございますと唱えることによって、かみさまの全体像を感じ取れるようにしてもらえるんです。だから今、自分がどのチャンネルの番組を見ていても、ありがとうございますと唱えたら、必ずかみさまの助けがどこえも行くのです。オールマイテーです。全てに力が及ぶんです。かみさまはこの世にもいるしあの世にもいます。全てにいます。だからありがとうございますと唱えることによって、かみさまを感じ取ることが出来るんです。だから、太陽さんありがとうございますと唱えたら、太陽にかみさまを感じ取ることが出来るんです。かみさまの愛を大きく感じられるんです。だから石ころ一個に対しても同じです。石ころさんありがとうございますといえば、石ころさんがかみさまの愛を最高に表した姿で感じられるんです。本当はそうなんです。石ころさんも本当は宇宙を自由に飛び回りたいんです。ところが自分の自由を限定して、皆のために石ころになってじっと静止しているんです。頭を踏まれても痛いといわず、ありがとうございますと言ってくれている。この世の物質と見えるものは、全部かみさまの愛が形に表れたもので、物凄い愛の結晶と見たほうがいいんです。だからこの世にもありがとうございますと唱えればかみさまの愛をしっかり感じと取れるんです。あの世の姿も同じです。ご先祖様ありがとうございますと言えば、ご先祖様がいるとして、あの世から色んなご先祖様の愛を感じ取れるんです。だから遠い星からも、かみさまの愛の光が届いているんです。全大宇宙の全ての全てから、かみさまの愛を感じさせてもらうんです。ありがとうございますは本当にオールマイテーな働きなんです。不思議な力があるんです。特定のかみさまから助けを受けるには、名前を呼ばなければいけない。何々のかみさまって無限のかみさまがいれば、無限のかみさまは呼びきれない。十体や二十体のかみさまを呼んだって小さい。ほかのかみさまは私を無視したって守ってくれなかったら困る。でもありがとうございますは全てに通用するんです。必要だったら全てから光、助けが来る。そういう意味だったら、ありがとうございますが、一番不思議な力のある言葉になるんです。


 有り難うございます

☆ありがとうございますに「何が無くてもありがとう」「難があってもありがとう」って付け加えていたのですが、付け加えないほうがいいですか。
−ありがとうございます−
別にいいです。その時その時で必要な言葉が、又、変化する事がいろいろ出てくると思うんです。どういう状態でどういう風に唱えても、ありがとうございますが加われば、その場を全部生かしてくださるんです。「何が無くてもありがとう」「難があってもありがとう」って言ってもいいんです。

☆ 有り難うございますって、難が有ると書くので、難がある時ほどありがとうって具合にみんなに広めていたのですが、そうしてやっぱり難が。
−おじさん−
出てきますね。やっぱり難がある番組に波長が合うんです。その言葉によって。でもその番組の中でありがとうございますって唱える事によって、その番組の中で、かみさまの愛を感じ取れるんです。難があっても本当にかみさまの愛を感じ取れたら、それも大きい意味の幸せなんです。ただ、形の上で難が出てきます。

☆ありがとうございますを会社とか人の名前に使いたいのですが、良いでしょうか。
−ありがとうございます−
いいでしょう。これは専売特許の言葉ではないので、誰が使ってもいいです。そこにかみさまを呼び出す働きなんです。みんな名前がありがとうございますになればいいんです。

 ありがとうございますは誰が作ったの

☆ ありがとうございますは誰が作ったのですか。
−ありがとうございます−
これは誰が作ったか分からないでしょ。いつ出来て来たかも分からないでしょう。これは元からかみさまが用意して下さっている言葉です。天から自然発生的に現われている。もう全ての次元、全ての番組に適用できる番組ってこんな素晴らしい言葉なんです。誰が言い出したかも無いの、又、誰が作ったんでも無いし、最初から用意されてて、最後まで力を発揮する言葉として、かみさまが与えて下さっているんです。普通、色んな唱えごとでも誰かが発明して、発見して唱え始める事が多いんですけど、それは小さいです。全ての人には通用しないか分かりません。本当の、最高の全ての力を発揮できるかは疑問です。誰が作ったか分からん言葉がいいです。特許権を侵害したって、お金を取に来ませんから。


 外国の人の感謝は

☆ありがとうございますは日本の言葉ですが、他の国ではそれぞれに感謝の言葉があります。外国の人は、それぞれの国の言葉で感謝したらいいのでしょうか。
−ありがとうございます−
かみさまの創造に働きは、言霊の方、人の使うのは言葉、枝葉です。人の使う言葉は、かみさまの言霊の働きに波長を合わす意味で、言葉があるんです。大事なのは言霊の方です。かみさまの働き、言霊の方が大事なのです。英語のサンキュウサンキュウではかみさまの働きの全てを現す言霊の響きが無いんです。だから人への感謝ぐらいで終わってしまう。小さい感謝なんです。でもありがとうございますは、かみさま全体への無限の無限の深い感謝なんです。そうすると沢山の助けを受けられる。又、かみさまと一体化できる、本当の意味で。サンキュウと唱えてもかみさまと一体化できないです。そういう意味では、日本は「言霊の幸あう国」と言われるだけあって、言霊と言葉が一致する言葉がたくさんあるんです。外国にもそういう言葉がちょっとは有るかも知れないですが、日本の方が多いんです。いづれは地球が同じ家族になるんだったら、良い言葉だけを世界共通語にすれば良いんです。日本でもそうです。地域地域に方言が有って、言葉が違っても一つの国になれば、標準語が生まれ共通語になってきます。世界の共通語として、言霊の良い響きの有る言葉を残せば良いんです。そうしたら世界中、心が通じ合うでしょう。そういう意味で、一つの言葉としてありがとうございますって、世界共通語になるための最高の要素を持っています。良い言葉を日本の私物化するものではないです。どうぞ皆さんお使い下さいって、世界各国に提供すれば良いじゃないですか。皆さん仲良く使いましょうって、自由にお使い下さいって言うのがいいです。まず日本人がありがとうございますって唱えて最高の幸せを掴めば良いでしょう。
そしたら外国の人も、この言葉を使ったら、幸せになると分かったら喜んで使って下さるんで。そうしたら皆仲良くなれます。

 神社の存在意義

☆1135年位に歴史上に変化があり、神社がそれまで場所的に意味があり配置されていたのが、権力的な争いで神社が作られるようになったという事を聞いたのですが。
−ありがとうございます−
元々は神社なんて要らないんです。直接かみさまと心が交流できていたら、いつもかみさまを感じ取れていて、幸せ一杯にしてもら得るんです。だから、この全大宇宙が全てかみさまの体であり、かみさまそのものなんです。そこに大きいかみさまがあり、小さいかみさまもあり、みんなかみさまの宮になんです。原子一個もそうなんです。わざわざ人間が神社という模型を人工的に作らなくても、元々、神社が無限に無限に一杯あるんです。大きいものも小さいものも。そういう意味だったら模型は必要なかったんです。でも本当の感謝が忘れられていくと、かみさまと交流する意味で何か模型を必要としたんです。神社が出来てくると、ここへ心を向ける事によってかみさまと交流しやすい場を生み出そうとするんです。それも人間の側からと、かみさまの側からと両方出てくるんです。だからかみさまの側からも、本当の宇宙の大かみさまと人との心の交流ができる様、間に立って色んな神々様、いわゆる八百万の神が働くんです。かみさまと人とをつなぐ役として、その神社にかみさまの働きが降りてくるんです。そういう意味で作られた人とかみさまとの懸かり橋になる場です。そこに行けばかみさまの心が感じ取り易くなるんです。又、心を通わせ易くなる。必要な場、模型といえば模型ですが、必要になってくるんです。でも、人が恨んで亡くなって、その恨みを取るために神社を作ってお祭りをするとか、人間が権力を取って、そこに権力を満足させる場、又、お金もうけの場にしようと思って人間が勝手に作った神社だったら、本当の意味で人と神を結ぶ救いのかみさまは降りてこないんです。人の欲の思いが一杯溜まった場になってしまう。そこに行けば行くほどしんどくなってしまう。マイナスを一杯背負ってしまって出てくる。本当の意味で心を清めてもらって、かみさまと一体化するような場にはならないです。二通りの意味の神社の救われ方があるんです。時代時代で、必要だったらいい意味の神社が生まれるし、又、時代がおかしくなると悪い神社が生まれてくるんです。そういう意味で両方が混じりあって存在しているんです。

☆それを見分ける方法はありますか。
−ありがとうございます−
ありがとうございますと唱えたとき、気持ちが澄んでくるようだったら、いい神社です。でも、そこにお参りして重たくなるようだったら、ありがとうございますと唱えてもマイナスの思いを背負うんです。清めの意味で。お参りして、心が暗く重たくなるようだったら偽者です。

 ありがとうございますがこの道に入った動機

☆先生をこの道に入らせた動機、きっかけはありますか。それと、俗世間の楽しみは全然興味ありませんか。
−ありがとうございます−
みんな平等なんですけど、私の方が先に俗世間の楽しみを先にし過ぎたんです、過去世に。この世では俗世間に求める興味ってあまり無いんですけど、先にマイナスを一杯体験しすぎて、もう未練が無くなった、それで感謝の行き方だけを選べたんだと思います。

☆ありがとうございますと唱え、素晴らしいと思って祈り続けたきっかけは何だったんでしょう。
−ありがとうございます−
もう三歳ころからです。
 ―三歳というのは過去世からの― 
やっぱりあるんです。繋がっているんです。 
―ありがとうございますって、宇宙の神と繋がっている意味が知識で知らなかっても、感覚で分かるんですか―
そうです。過去世プラスこの世の生き方です。過去世でも唱えさせてもらっていたかも知れません、練習を。増すますかみさまを感じ取りやすくしてもらって、生まれてきているんでしょう。それで自然に三歳頃から、人に言われんと神棚の前に座って、ありがとうございますとお祈りしているもんね。
 ―今のが分かったのがいつ頃ですか、知識的に―
二十歳過ぎです。そういう意味で分かってきたのは、それで増す増す深くなっていくんですけど。今も深まりつつありますけど。ありがとうございますと唱えると、かみさまの無限の無限の輝きがより強く感じられてくるんです。

 輪廻転生

☆輪廻の完結する回数とかあるんでしょうか
−ありがとうございます−
別に無いです。チャンネル毎に色んなストーリーが有るんです。輪廻転生がある番組は低い番組です。高くなればなるほど、輪廻転生ではなく、いつも絶対から新たに生まれてくる状態を取って、永遠に輝く姿を取るんです。絶対から、一瞬一瞬新たに生まれてくる感じです。かみさまから無限に素晴らしいものを受け取って、それが即自分になるという感じで、連続するんです。かみさまからどれだけたくさん、素晴らしいものを受け取っているかという、一瞬一瞬。たくさん受ける程、高い番組にどんどん変わっていく。だから過去を掴ないです、全然。だから過去の積み重ねではないです。過去を絶対掴なくなる。高い番組ほど。でも輪廻転生というのは古い遠い過去まで掴むでしょう。それはかなり低い番組になってしまう。過去を掴めば掴むほど低くなっていく。今の一瞬を絞り込めば絞り込むほど、高い番組になって行く。1秒でも一瞬です。万分の一秒でも一瞬。億分の1秒でも一瞬です。それを無限億万分の1まで絞り込んでいくんです。だから次官を短縮すればするほど、時間が、空間が大きく広がっていくんです。だから、時間を一点に絞り込むのが良いんです。今の一瞬だけを生きると。すると空間も素晴らしさもどんどん大きく広がるんです。それが一瞬への感謝という、
 ―という事は、過去の追求、研究はせず前へ前へと向いていく、積極的なものですか― 
過去の追求、研究をしたい人はそれも良いんですけど、番組を落としていきます。でも番組を上げたい人は、今をしっかり生きるのが良いんです、それもかみさまを相手に。今何を受けるかと、そういう生き方が良いです。

未来は決まっている?

☆ ある著名な方の本、話でもう未来は総て決まってしまっている。1年後、3年後、20年後、具現化、実現化する事も決まってしまっていると、言われていますが、先生を聞いていますと、瞬時にして総て、変えていけると感じるんですが、総ての出来事は決まっているのではなく瞬間瞬間に変えていけるのでしょうか。
−ありがとうございます−
もう決まっているという意味は、かみさまが創った無限の無限のチャンネルのストーリー、番組は決まるんです。これは神業です。全てを尽くした番組は決まるんです。ありとあらゆる番組をそろえて、かみさまは創り上げて下さるんです。人間の力では出来ない神業なんで。これは完璧に決まったストーリー生まれるんです。同じ番組が一つとないという。人がどんな言葉を使っても、その言葉に合う番組を全部取り揃えてある。そういう意味では無限の無限のチャンネルの番組は、かみさまが決めて創ってあるんです。これは絶対に変えようが無いです。ただ人は、無限の無限のチャンネルの番組の中から一つ選べるんです。自分の言葉を波長合わせの言葉にして、言葉通りに番組が選べるんです。そこの人の自由がある、選択の自由が。だから、どんな番組をも選んでいけると、いうところが運命をどうでも出来る、そこに自由があるんです。

  喧嘩相手と仲良く

☆喧嘩をした相手に早くありがとうございますと言える方法は。
−ありがとうございます−
誰も同じなんですが、かみさまが創った無限の無限のCの中で、自分が配役として演技している姿があるんです。高いBは+の中で演技しているんです。低いBは喧嘩の様な姿で演技しているんです。今、自分が見ているBで喧嘩の姿があったら、喧嘩相手として演技していてくれている、と見なければいけないんです。そうしたら、相手が悪いというより、自分のために、喧嘩の相手をしてくれている、ありがとうございますという位の気持ちになった方が良いです。もう一つは喧嘩がいやだったら、もっと高いBでは優しい、自分を助ける姿で、そんな良い姿を取って演技してくれているBがあるんだと思うんです。そうすると自分にとっては喧嘩相手ではなく、本当の親友としての演技の姿のBなんだと思えば、その人に対して親友なんだからありがとうございますと思えるんです。色んなBが取り揃えられていると見た方が良いです。その一番奥にかみさまと一体の完全なその人がいて、その人がいつも自分のために色んな演技を見せてくれているんだという。だから本当の感謝は、一番奥の完全なかみさまとしての、その人に対する感謝がいいです。


 ありがとうございますの唱え方

☆ある宗教者が、ありがとうございますという言葉は軽々しく言える言葉ではないといっていますが、本当の感謝の心が無く、習慣的にありがとうございますと言ってしまう時があるんですが。
−ありがとうございます−
それはそれで良いんです。だから一人一人全部感謝の仕方が違うんです。又、自分一人にとっても時間が経つ毎に変化します。又、かみさまは(?)何が必要か、その必要性が違ってきます。ありがとうございますと唱えてはかみさまから、今必要なものを必要なだけ、的確に与えてもらう為の言葉なの。だから唱えたら、必要なものを必要なだけ与えてもらえるんです。それが小さいものでも大きいものでも。例えば地獄で苦しみを取って欲しいと思う人は、ありがとうございますと唱えて苦しみを和らげてもらえるんです。また、悟りを開きたいと思っている人は、ありがとうございますと唱えることによって、悟りを開く力を与えてもらうんです。もうピンからキリまでどんな助けでも、必要に応じて必要なだけ助けてもらうんです。それがありがとうございますという言葉なんで、全ての次元に通用するんです。どんな唱え方をしてもいいんです。怒鳴るようにありがとうございますって言ってもいいんです。バカヤローってな感じで、ありがとうって怒鳴ってもいいんです。それでも助けが入ってくるんです。空念仏みたいにうわの空でありがとうございますって唱えてもいいんです。どういう状態に置かれていても、その中でありがとうございますって唱えることによって、必要な助けを的確に与えてもらうんです。それだけの不思議な力があるんです。どんな唱え方でもいいんです。

 難が有りありがたし

☆ 「有り難うございます」って漢字についてあまり意味は無いのですか。難が有り、とかありますが。

−ありがとうございます−
それは感謝のほんの一部でしかないです。難が有り、ありがたしって、これも感謝の一部です。又、神仏の働きがなかったら何事の存在できないんだ、という意味でのありがたしでも、かみさまの働きのほんの一部を現しているんです。本当の意味は言霊的に解釈して受けるほうがいいです。かみさまの働きの全てを受けるような捕らえ方がいいです。


 児童虐待

☆今、世間では母親が子供を死に至らせる事件が起こっていますが、感情的に見ると母親が悪くて、母親が加害者、子供が被害者のように思いますが、そういうのが増えているのは。
−ありがとうございます−
まず大きく見ると、自分の見る世界は自分の心の投影、心を写し出していると見た方が良いです。自分一人の心の姿を鏡に映していると見た方が一番良いです。そうすると過去世に自分も、同じ姿を取った時代があったんだと。だから今の自分と比べたら、それも大きなマイナスと見えます。そういうマイナスの時でも、自分かかみさまに守られ守られて、今日までに立派に幸せに変えてもらえたんだという、過去の一時期の心の状態を、鏡に写し出す事によって、今の自分の幸せを大きく変化して見えてくるでしょ、感謝が深くなってくる。それも一つの見方なんです、受け方ね。又、一つのBの中で、いろんな因縁関係、貸し借りの関係があるんです。親子関係でも、この世だけの関係ではない、過去世からの繋がりがある。だから前の世で、逆の立場に立っていた事があるんです。だから前の世で、親になる人が子になる人に、逆の立場で育ててもらっているんです。育ててもらった恩返しで、子供に色々尽くさせてもらっているんです。だから親は子供に恩返しの意味で、借金返ししているんです。ところが前の世で、逆の場合があるんです。親が子を虐げて、どこかに売り飛ばしたり、虐待したりしたら、今度は逆の姿で出てくるんです。今度生まれ変わった時、同じように虐待されて殺されたりするんです。それも因縁因果で勉強なんです、何を選ぶか、どういう生き方を選ぶかという。いろんな体験をつまないと、本当の正しい良い生き方は選べないの。最高に良い生き方だけを最初に与えてもらったら、他にたくさん生き方があるのに、ちょっと未練が残るでしょ。だからある程度、ちょちょちょと齧ってこなければいけない。そういう意味ではマイナスの体験も、ちょっとは必要です。
 −それで帳消しになるんですか−
お互いに正反対の生き方を取るの。因縁因果はそれによってマイナスを消してもらうという意味もある。又、大きい学びにもなっています。
 ―今までの過去のマイナスが、こういう状態で出てきているんですが、これからも―
いやー、出た時に何を選ぶかでしょ。マイナスが嫌だったらプラスを選んでいく。マイナスが浮かび出て消される時は、もうかみさまが消しても良いかと確認の意味で浮かび上がらせるんです。本当に必要なかったら、それを軽く済まして消して下さる。もし軽く消されて気がつかなかったら、勉強にならないでしょう。そういう意味だったらちょっと大きく出てくる、心の勉強をさせながら本当の意味で消して欲しいのか、確認を取ってくる。やっぱりプラスを選ぶ心の姿勢って大事です。プラスをプラスを選んで行くと、早くマイナスを消してもらえるという一面があるんです。でもそれ以上に感謝を深めるという意味では、マイナスに関する感謝が出来るのも大事なんです。だから地獄のドン底の最低の姿に対しても、感謝が沸き上がってくるという。この感謝の出来る自分になる方がもっと大事です。そういう意味だったら、大きい試練を受けて試してもらっていると観るんです。どんな状態でも感謝できるという自分、全て鍛え上げてもらっているんだ、その試しが色々な姿で出てくるんです。全てに感謝できたら最高の自分です。そういう意味ではマイナスを残してくださる時もある、早く消されたら損をする。最高な幸せを掴む最短コースを歩ませてもらうのがいいです。

 ありがとうございますと南無阿弥陀仏

☆:ありがとうございますのかみさまは最高の力を持ち,しかも1番謙虚なかみさまとテープで聞きましたが,最高のところまで行こうと思えば,例えば南無阿弥陀仏を唱えるよりもありがとうございます1本で行ったほうがいいのでしょうか。
−ありがとうございます−:いいんです。阿弥陀様に縁が深かったら阿弥陀様にありがとうございますと言えばいいんです。阿弥陀様の背後にありがとうございますの宇宙絶対神がついて大きく働きます。
☆背後にいつも付いておられるんでしょうか。
−ありがとうございます−:そうです,だからどんなかみさまでも仏様の名前でもいいんですけど,最後にありがとうございますを付けるのが1番効果が大きいんです。ただ,色んな,自分に縁のあるかみさまの名を唱えるも良いんですが,ほんとうは総てのかみさま仏様から守られているんです。多いか少ないかの違いがあっても,本当はエコ引きはしないほうがいいんです。1人の名前だけで他かの人の名前を呼ばなかったら不平等にみえますよね。そういう意味では総ての名前を越えてありがとうございますに絞り込めば総てに通じ,総てを片付けてもらえるという意味でその方がいいかもしれません。平等で。


 太陽の奥に無限の太陽

☆太陽の奥にところてん式に本当の太陽が無限に詰まっているという意味は?
−ありがとうございます:かみさまを小さな模型として例えれば,この世の太陽をモデルにすれば良いんです。本当のかみさまは太陽の無限億万倍以上の大光体を放つものなんですけど,地球に住む人にとって太陽はかみさまの模型として捉え易いんです。実際,肉眼で見る太陽とは地球の大気圏で乱反射を起こして1つの光体を作ったものを見ているんです。実物の太陽から宇宙空間を通して地球に到達する間の太陽はまだ見えていないんです。
☆それは宇宙船に乗っていても見えないのでしょうか。
−ありがとうございます−:そうね,それは本当の太陽と虚像として乱反射で起こったの太陽では違うんです。
無限に無限に輝いた姿を取っていても,なお且つ奥に実物の太陽との間に詰まりに詰まった光があるんです。その一番奥に本体の太陽があるといった感じで,かみさまのほうも同じなんです。無限に無限に輝いた姿を見せていてもなおかつ奥にところてん式に無限に無限に詰まってて,その奥に絶対の本体があるんです。それ位凄いんです。そういう意味の小さい模型として太陽を使えるんです。


 地球環境

☆地球環境は年々悪くなっているがありがとうございますで改善の方向にいくのでしょうか。
−ありがとうございます−:いい方にどんどん変化していくでしょう。ありがとうございますを唱える人が増えたら,その人の回りはどんどんプラスに変じます。水だけではなく空気も総てプラスに変じます。土地の清めでもそうです。ありがとうございますでどんどん清められてきます。人も同じです。感謝されたらどんな国の人も悟りを開いた善人に変わるのです。感謝された人は悪くなれないです 。

 遺伝子組み替え食品もありがとうございますで影響を受けないで済むのでしょうか
☆:なるでしょう。マイナスも思いもありがとうございますでプラスに変えてもらえばいいのです。毒でも薬に変えるくらいの大きな力がありがとうございますにはあるのです。

 ありがとうございますと病気・断食

☆ありがとうございます自身は今まで大きな病気をしたことは無いのでしょうか。
−ありがとうございます−:そんな事はないです。今まで何回も死んでいます。一瞬一瞬,私は死にきることを事を目指しています。死んで地獄に落ちないと謙虚になれないでしょう。まあ,そう意味ではないんですが病気もしていますし大病もしています。何回も死ぬとこまで行っています。その度に謙虚になれます。人を助ける為に人の心をプラスにする為,振り替えの技ってするんです。その大勢の人のマイナスを背負うと同じ状態になります。一時的には同じような病気の姿,同じ様な症状を取ります。その時でもありがとうございますと唱え続けていれば早く消してもらえます。速いです変わるのが。小さい物でしたら1瞬で変化します。それは人助けの意味もあるし,謙虚になる勉強でもあるし,恩返しでもあるんです。
 過去に大勢の人に助けてもらっているはずなんです。その恩返しの意味でもみんなを助ける役目をさせていただくのが幸せなんで,だから,地獄の姿を見ても皆な私のマイナスを背負って,変わりに地獄の苦しみ味わってくれているんだと思っただけで,皆にありがとうございます。といえるでしょう。
それだったら,この世の人の皆のマイナスを背負っても何とも無いと思うじゃない。
だから,皆が感謝のできる軽い心になれるようちょっとでもお手伝いできるんだったら,少々のマイナスを背負っても逆に喜びに変わってくるという,少々病気の姿を取っても痛みが身体を走っても大丈夫なんです,そういう意味だったらしょっちゅうです。でも
瞬間瞬間変わりますから,持続はしないです。

☆ありがとうございますが最高120日間も断食した様子,意味,きっかけ。
―ありがとうございます―
二十歳ぐらいからは月のうち3週間位はずーと断食していましたから,それもけっこういそがしかったんです。まあ寝食忘れてという言葉がありますけど,まず眠る時間が少なかったです。忙しくて,朝昼晩も働きお祈りもし,いろんな人の相談も乗ってというと眠る時間がなくなるのです。当然,食べる時間も少なくなってきます。食べずに済むんだったら,1年間位,丸薬1個で済めばいいなーと。そういう意味で自然に食べる量が少なくなってきたんです。お祈りしていたらどれだけかみさまが守ってくれるかと試す意味もあったかも知れないです。でも,ちゃんと守ってもらえたのです。120日したのも,どれだけ限界を破れるかと ゆう 意味もあって,それもじっとしているだけではないんです。人の3倍働いているんです,朝昼晩。それで重たいもんを持ったりしですから。
100キロ位の荷物を持って階段を上り下りしてた位ですから,その中で断食をしていたんです。でもやっぱりありがとうございますを唱えていたら力をもらうんです。
だから,何を食べて栄養がいくらあってカロリーがどれ位あるかって通用しないです。やっぱり信念というか言葉の力は凄いです。だからありがとうございますを唱えてかみさまの助けを受けるんだったら,不思議な奇跡的なことが起こるんです。それも自然にしてしまったという,あまり人には進めたくない,褒められたことではない。

 環境問題と天岩戸開き

☆人が環境問題に積極的でないので天照大かみさまが天岩戸に隠れられたと聞いたが?
―ありがとうございます―
神が与えてくる無限の無限の番組の中で既に天岩戸開きができた最高番組もあるんです。
最高番組はいつも天照大かみさまが最高に輝き出ているんです。もう既にあるんです。人が
どの番組を選んでみるかなんです。低い番組を見ているんだったらまだ出てこないんで
す。高い番組に合わせるともう既にあるんです。

☆結構,天照大かみさまを・・・・・・(不明)
―ありがとうございます―
ありがとうございますと唱える事は最高の天岩戸開きの出来た状態を受け入れた事になる
んです。
☆私は・・・・・・
―ありがとうございます―
そうね,出たりは入ったりは忙しいわねー

☆環境問題のことを考えたときありがとうございますと家にいて唱えるだけでいいのか
―ありがとうございます―
ありがとうございますと祈っていると自然に最高表現を現実化する働きが自然に降ってく
るのです。そういう自然な働きで動かされていることはそれで良いんです。砂漠に色んな
樹木を植えるんも自然でいいんです。ただマイナスを掴み過ぎるとマイナスとの格闘にな
るんです。プラスを降ろすんでなくマイナスに巻き込まれてマイナスに負けてしまうんで
す。まず,プラスを降ろすといった感じだったら,前向きにプラスの事をどんどんやった
らいいんです。だからマイナスは相手にしないほうがいいです。ただプラスの種だけを蒔
き続けたら。

☆環境ホルモンやダイオキシンを今悪く見ていますがプラスに見たら良いのでしょうか。
―ありがとうございます―
それをプラスに見なくて良いんです。プラスの世界を見て感謝しているとそんなマイナス
の物を分解していく微生物が出てきたり色んな働きがあって,自然に消えます。   
ありがとうございますと唱える事が良いんです。それはかみさまの最高表現を受け入れる生
き方の姿なので,この世を相手にして いないです。そうすると調和した姿が自然に出てきて置き換わるんです。

 ガンが治った

☆ガンになった娘さんがありがとうございますで直ったらしんですが
―ありがとうございます―
癌になると死病の様にいって心配するんですが,病気で死ぬ事はないんで寿命が来て死ぬんです。だから癌を抱えながらも寿命が来るまでは長生きするんです。寿命が決まって死ぬとしたらこの世で色んな働きをしといたほうがいいんです。心を清めるんだったらあの世まで持ち越さずこの世で清めたほうが楽なんです。それが病気の姿を取って、癌だったら癌の姿をとって、癌の痛みに耐えて大きくマイナスの思いを消し去ってもらうんです。
そうすると、あの世ではいい番組に上がっていけるんです。プラスプラスに心を向けるためにかみさまが色んな形で働いて助けてくれているんです。本当は病気になっても構わんです。病気から色んなことを学んで自分をどんどん立派に変えていけばいいんです。その過程で直った方が良ければすっと直ってしまうんです。消えてしまうんです。病気で勉強する事が必要だったら病気が持続するんです。又、色んな反省を与える意味で気づくまで病気が続くかもしれないです。色々原因が有ると思うんですが、反省してプラスに生きるようになればマイナスの姿は必要なくなるんです。すっと消えてしまう。かみさまだったら番組を置き換えるくらい何でもない。

 祈りの回数

☆:お祈りの回数は?
−ありがとうございます−
回数が少なくてもパット変わる人もあるし、たくさん唱えても勉強材料が残る人もあるし、
それが悪いんではなく必要なだけ残して下さるんです。すぐパット直っていい場合も有る
んです。でも、長引いた方がしっかり心が変わる場合も有るんです。熱い物に触れてパッ
ト放して火傷が軽くて良かったと思っても、又触る可能性が有るんです。1回大火傷し懲
りたら絶対熱い物を2度と触らないでしょ。同じマイナスの体験でも色んな意味が有るん
です。どっちが良いかはかみさまがご存知なんで病気でも大病を永年続ける人も有るし、ちょ
っと病気してすぐ治してもらって楽に行く人も有るし、それは一人一人違うんで、だから
直っても良いし、直らなくっても良いし、お任せする方が良い結果が出ます。


 言葉使い

☆:安全に関する標語で「事故はゼロ」とか書いてあるが、事故を意識しているからであってかえって無事故にはならないのでは。無意識の内に逆転換しているように思うが、どんな観点から言葉使いをしたら良いんでしょう。
−ありがとうございます−:マイナスを否定するよりプラスをそのまま肯定した方が良いです。事故が無いというより安全運転という方が良いです。プラスの言葉を選んで使い続ける事が大事です。病気は無いというより無限健康という方が良いです。

☆:病気をしてもしなくても良いという事は、病気を抱えている人に対して、同情する事は良い事では無いのでしょうか。
−ありがとうございます−:同情も思いやりも必要だったら勉強の材料として使わなければいけない。冷たいよりは思いやりや同情が出来る方が良い。ただ、可哀相にと思って同情してマイナスを掴むんだったら、ある意味ではマイナスの勉強になってしまいます。同情するのが必要な時も有るが、必要で無い時も出てくるんです。マイナスを掴むよりはプラスを掴む練習の方が良いんです。でも、思いやりの心を持つのも大事です。その時その時で、色んな意味で自由自在に使い分けて勉強するのがいいんです。

☆:私の85歳のおやじが入院しているが、ある時「なになにか?」より「なになにねー」と言った方が良い顔をする事が分かった。質問されて考えるより、判断しなくても良いからだと思うが、やはり回りの言葉使いによって大分違うようです。
−ありがとうございます−:そうですねー。

 生きる意味

☆:人間は何のために生きているのでしょうか。
−ありがとうございます−:人生の目的は大事なんです。この人生の目的もピンからキリまであります。一人一人全部違うんです、人生の目的をどう捉えるかは。ただ、かみさまが人に対して、これが人生最高の目的というのは有ります。どういう事かというと元々本当の人間はかみさまと一体なんです。かみさまのすべてを受け直す自分、かみさまと一体の自分が有って、本当に自由な心でかみさまが与えてくる無限の無限のチャンネルの番組を自由に楽しむ事なんです。
最初は低い番組も味わって、その違いが分からないと駄目なんです。低い番組と高い番組の区別がついて、なおかつ謙虚な心で、1番下から最高の番組を眺めて味わえる自分が良いんです。そうすると、その差が大きいほど喜びが大きくなるんです。
1番謙虚な心で最高番組を味わえる自分になって、本当の無限の無限の幸せを味わう事なんです。
それがかみさまの1番の願いです。人の大きい喜びが同時にかみさまの幸せに結びつくんです。本当の人生の目的って大きい幸せを感じる事です。


 あの世でのあり様

☆:生きている間は低い番組、高い番組を見て自分を変えていく事が出来るが、死後の世界では自分と波長の合った1つの番組の中でしか行きられないのでしょうか。
−ありがとうございます−:あの世の世界では自分に波長の合う者ばっかりが出会うんです。人も自分とそっくりさんのような人ばかりなんです。お金が1番大事だという守銭奴の様な人の回りにはお金を数える人ばっかりなんです。
美しい服を着てファションショーのように着飾るのが幸せという人は、そんなファシュンショーのように着飾っている人ばかりがいる世界へ行くんよ。そしたらね誰も見てくれへん。見て欲しい人ばっかりが集まる。ほんとに見事に自分と同じ様な人ばかりが集まるんね。それが自分を変える1番の方法かもしれない。飽きてきたらさあーと変わるかもしれないけど、色んな姿を見て比べてみる事ができない。やはり色んなものが合って何が好きかを選べる方がいいです。そういう意味だったらこの世が選ぶ勉強には最適です。この世は寿命が定められて1定の期間しか勉強する時間がないんで、あの世は同じ世界にずーとですから。自分が変わらない限りぜんぜん変わらないんです。

☆:あの世では向上することは難しいのですか。
−ありがとうございます−
変化は遅いです。少しずつ上がりますが。低いとこはどんどん落ちていきます。落ち
易いです。良い世界だと上がり易いです。そういう意味で、この世に勉強の場を作っ
てもらっています。

 南無妙法蓮華経

☆「南無妙法蓮華経」を唱えて、祈りもかなってこんなに幸せになったと言う人がいるんですが。
−ありがとうございます−
幸せと言ってもどんな幸せか、幸せと言ってもピンからキリまで有るんで、どんな幸
ですかと、お尋ねした方が良いんでしょう。

☆「南無妙法蓮華経」って意味がないのですか。
−ありがとうございます−
そうですね、言葉どおりの力も有るし、それなりの番組として運命も受けるのですから、全て言葉どおりの力が発揮されるんです。「南無妙法蓮華経」と唱えたら言葉どうりの力が発揮されます。「南無」は帰命するという、命をささげて一体化するという意味です。「妙法蓮華経」法華経に説かれている真理を指すんです。本当に深い意味では宇宙の大かみさまの全体像を指さなければ嘘なんです。それを小さく捉えてしまうと小さくしか受けられないんです。しっかり捉えなければいけないんです。蓮華経に説かれている真理はどういう真理かと、色んな真理が説かれている。その中には人間は最初から悟っている真理、仏だと説かれている部分が有るんです。これから悟るんではないと。又、観音様のように三十三身に身を変じ自ら人を救ってくれると言う意味で。だから一宗一派的にならず総てを抱擁する生き方を取る様にと説かれているんです。色んな意味で本当の法華経の真理が体得でき、分かるんだったら大きい意味を捉え易いです。そういう真理と、かみさまの働きを一体化する意味で「南無妙法蓮華経」と唱えるんだったら大きい力を助けを受けるんです。それは悟った人が唱える生き方でないとちょっと違うかも知れないんです。響きが高らかなんです。救ってやるぞという響きがあるんです。本当に真理とかみさまと一体になって悟った自分だったら、みんなを幸せにする働きが出来るんです。その力も無しに唱えていると響きは救ってやると強く出ているので、救って欲しい人が一杯集まってくるんです。救い切れんかったらマイナスを全部自分で背負わなければいけない。そういう意味ではマイナスを背負って四苦八苦する人が一杯いるんです。また、この世的なご利益信仰的に小さい、お金持ちになったら幸せが思いどおりになったらという感じだったら、全然次元が違うんです。法華経で説かれているのは悟りを開くための方法が説かれているのです。この世的な幸せなんか説かれていないんです。かみさまと一体化するための、悟りを開くための色んな意味の方法を説かれているんです。そういう大きい願いを持って説かれるんだったら良いと思うんです。ただ、ありがとうございますは誰が唱え始めたんでもないし、発明した物でもないんです。かみさまの働きを表わす元からある言葉なんです。でも、「妙法蓮華経」は日蓮聖人さまが唱え始めたんでしょう。唱え始めた人がいるんでしょう。やはり小さいです。

 病気直し、結果オーライ

☆ メイヒーリングをやっていますが、病気を治して良い人と治してはいけない人が居るといわれていますが判断が難しい。かみさまに委ねようと思いますが、かみさまから何らかの
指導が来るのでしょうか。
−ありがとうございます−
直ったら直ったで良いんです。直らなかったら直らなかったで良いんです、結果を相手にせずありがとうございますと唱えて皆の幸せだけ祈れば結果はお任せで良いんです。全て結果オーライで行きましょう。


 日本は世界のリーダー
☆いま、多くの人が日本が世界のリーダーになると言っていますが。
−ありがとうございます−
ただ、リーダー的にというと天狗になりかねません。ありがとうございますと唱える人は、
ますます謙虚になっていくのがいいのです。全てかみさまの力でおかげでという、謙虚になっていく生き方です。謙虚になるからこそかみさまの働きが大きく降りてくるんです。良いものとどんどん置き換えてくれるとゆうね。
上に立つんではなく下に降りるんです。みんな下に降りて感謝を深めることによって良いものを大きくいただけるというか、世の中を下から大きく支えて変えていくんです。かみさまの働きを一番下から受ける立場なんです。お祈りをするという事は、上に立って何かするのではないんです。かみさまに力を振るってもらって良いものを一杯与えてもらうという、それ受けるのがお祈りをする人の役目なんで、リーダーにならなくても良いんです。下へ下へ降りて自分を隠してしまえばいいんです。そういう所にかみさまが本当の力を振るって大きく働いてくれるんです。

☆知り合いの人の言葉で、神は一人一人それぞれの体に宿っているんです。それに早く気がつけば良いですねー、と言われていますが、それに似たような言葉を頂きました。

 過去世

☆この世のことについては了解できるが、過去世と言われると思考が止まってしまう。過去世について分かりやすく言葉を埋めるなり、なぜ過去世が分かるのか手の内を明かして欲しい。
−ありがとうございます−
この世に生まれてくる目的は、たくさんの中から良いものを選ぶ場として生まれて来るんです。だから何回もこの世に生まれて勉強したいという魂の人はあの世に一杯いるんです。だからこの世に生まれて来るのは競争率が高いんです。東大に入るより難しい。かなりの競争率をクリアーして生まれてくるというね。だからこの世だけでお終いというのはおかしいです。だから、永遠に生きている自分でないと、本当はみんな納得できないでしょう。

☆永遠の自分と言われても我々には検証のしようが無い。先生は自信を持って言われるのでそうかなと思うが、何か我々には無いが虎の巻が有ってと、つい思ってしまうんですが。
−ありがとうございます−
本当の永遠生きているというのはかみさまと一体化するという、かみさまの心を掴まえないといけないのです。かみさまは永遠に生きているのです。

☆それは疑いもなく感じておられる世界をおっしゃっているのでしょうか。まだ感じていない私がとやかく言う事ではないんですが、間を何か言葉で埋めてもらえば助かるのですが。
−ありがとうございます−
そうね、ありがとうございますと唱えている内にかみさまと一体化して、永遠の命の自分って、まず気がつくんですけど。それは別にしてこの世に生まれてくる魂の生まれ変わりという意味で過去世は有るんです。何回も生まれ変わってくる。生まれてきても過去の事は憶えていないんです。憶えていない理由はというと、過去を引き摺ると過去の惰性に負けてしまうんです。この世に生まれてきた時は過去を一応棚上げしてもらわないと新しい生き方が取れないんです。過去の事を思い出せないようにかみさまが預かるんです。白紙の状態でこの世で勉強して何を選ぶかを決めて、プラスを選ぶんだったらプラスをしっかり身に付けていく。普通は過去にマイナスを一杯積み重ねているとして、マイナスの傾向があると絶対プラスを選べなくなるんです。無限の借金を抱えた人は、この世に生まれてきて、なんぼ働いたとしても利息すら払えないんです。それではなんぼ働いても意味が無くなるんです。それだったらかみさまが一時棚上げにして、預かってくれてゼロから働くか借金するか、どっちを選ぶかというふうに置いてもらったら、働いてちょっとでも貯金を増やそうという生き方が取れるんです。そういう生き方が取れたらかみさまの方はどんな大きな借金でもさあーと消せるんです。本当にプラスに歩むんだったら、これからどんどん貯金をしなさいって感じで助け続けてくれるんです。


 あの世

☆あの世に行くと同じ傾向のものが固まっているとして、次の世に行く時は抽選かなんかで行くのでしょうか。
−ありがとうございます−
いやいや、抽選も何も無いんです。心の波に合う世界へ順番に行くんです。

☆死んであの世の階層にとどまっている人が、この世に戻ってくるには何か法則の様なものが有るんでしょうか。
−ありがとうございます−
例えば、地獄とか餓鬼道に落ちてしまうと永遠に救われない位永くとどまるんです。よっぽど縁有る人が助けの手を差し伸べてくれない限り無理なんです。だから縁者がありがとうございますとお祈りしてくれて引き上げてくれるとか、あの世でも色んなかみさまがその人の心の動きを見て引き上げてくれるとか、救いの手が差し伸べられない限り、一回低いところに落ちると惰性で絶対上には上がれないんです。厳しいです。

☆○○○研究所の所長さんが幽体離脱をされて死産の自分の息子さんと出会ったそうですが幽体離脱をしたら過去世とかそんな形のものが有るんでしょうか。
−ありがとうございます−
それはそれなりの番組の中で有るんです。でも全ての番組には通用しないんです。言う事が一人一人違うと思います。だから同じ幽体離脱をさせて色んな世界を見てきたといっても、その波の合う世界を見るんです。だからみんな言う事が違うはずなんです。同じ一つの事を指し示してもぜんぶ中身が違うんです。

☆死産の子だったから、顔がずんべらぼうだったとかで、そんなのかなーと思って。
−ありがとうございます−
そういう見方をする人もいます。そういう番組に入ったらそうです。でも死産で死んでも無限に輝いた最高に素晴らしいみんな美男美女ばっかりと言う人もあるんです。番組が違えばみんな違うんです。

 言葉と番組

☆私たちは神の分霊(わけみたま)という事なんですが、この世に生まれてくるのは海みたいなもので、海の波がポンと飛び上がってくる一滴が分霊やと思っているんですが、又、死ねば大海に戻っていけば個というものはなくなり神になってしまうと思うんですが。
−ありがとうございます−
全部言葉どおりの世界があるんです。神の分霊といっても分霊の中身が全部違うんです。高い番組みの神の分霊というのはかみさまの全てを一瞬一瞬受け直し最高に無限に輝いた姿を取るんです。低い番組だと、神の分霊は一筋の光みたいなものなんです。太陽から来る一筋の光を受けて、そこで魂と肉体を纏うようなものなんです。全部違うんです。同じような言葉を使っても。だから、みなその言葉どおりに受けるんです言葉どおりの番組が揃うんです。

☆番組という言葉はすごく耳新しい新鮮に感じるんですけど、なにか妄想と近いんですか、見る側は何見ても有るよと言われれば。
−ありがとうございます−
波長の合ったものは丁度、テレビを見るようにパット出てくるんです。

☆お前それ見てろ、お前見てるんだからそうだよと、言われると説明は良いけれど、何を見たって自由だと言われると、妄想でもむちゃくちゃでもお前見えてるから、お前の番組だと言われると。
−ありがとうございます−
ほんとにそうなの、全部言葉とうり番組が用意されているんです。だから化け物や妖怪を見たかったら、そればっかり研究したらいいんです。そういう世界を感じ取れるようになるんです。妖怪の数でも無限にいるんです。化け物も無限にいるんです。この世で色んなアニメに出ているようなそんなチャチな物ではないんです。もう底が知れんほどなんです。

☆きのう、たまたまクリスチャンの方と話で、霊界が有ると言ったら○○さんがおっしゃったように、聖書には霊界や地獄は無い、死んだら神にエネルギーに戻るだけと書いてあると言っていましたが。
−ありがとうございます−
それも言葉とうりの世界があるんです。この肉体が無くなってもあの世は無いと言う人があるんです。そういう人はあの世に行ったら、何もない無の空間に魂がいくんです。無くなったらかみさまの世界に、丁度海に溶け込むように個性が無くなっていくんだと言うと、そういう世界へ行ってしまうんです。でも本当は、かみさまと一体の自分であっても個性が最高に輝いた世界に戻らなければいけない。本当の自分に戻るというのは、個性があるんです。

 生まれ変わり

☆地獄とかにいる人が生まれ変わってくる場合、レベルとかがあるんですか。
−ありがとうございます−
本人の自由意志です。

☆分かり難いんですが、何千年も地獄にいる人が生まれ変わるには、一度どこかの世界へ行って生まれ変わるとか、又は天国に行って生まれ変わるのかどっちでしょうか。境目とかあるのでしょうか。
−ありがとうございます−
まず、次元が変わると時間の感覚が変わるんです。例えば、極楽の一秒が、地獄の何億年以上なのです。極楽で一秒楽しんでいると、その間地獄では何億年苦しんでいるという。

☆では、極楽から生まれ変わるんですか。
−ありがとうございます−
そんな事無いです。元々はかみさまと一体の自分しか無いの、本当は。その自分が自由に選ぶだけ、番組を。そのどの番組にも入り込めるの。特に低い番組に入るほど捉われて自由が無くなっているだけ。

☆その○○?でも、生まれ変わってくるんですか。
−ありがとうございます−
生まれ変わるというんでも、自分が肉体に魂を持って、魂が肉体に出入りして生まれ変わるというんでも、又、その世界を変えてしまうという意味でも、本当の自分の自由意志で選んで楽しんでいると言った方が良い。本当の自分が、自分の自由意志でプラスに向けない限りは低い番組から抜ける事はないの。例え地獄で何億年苦しんで、それを味わっている姿を取っていても本当の自分は全然傷ついていない、痛んでいないの。テレビを見ている感じ、地獄番組のテレビを見ているだけなの。本当の自分は椅子に座ってお茶を飲みながら見ている。かみさまの世界にいて、無限に無限に幸せな自分があって、その自分が番組を選んで見てるだけなの。だから地獄には本当の自分は落ちないの。ただ、自分はその仲にしっかりはまり込んで一体化して見ているというような感じなの。ほっと我に返ったら、あれはテレビだったという様な感じね。

 観ている自分

☆瞑想で見ている者、観察者、気づいている者って言いますが、その気づいている者が本体ですか。
−ありがとうございます−
そうです。その気付き方もいろいろです。

☆。番組とうり演じているのではなく、ただ見ているだけなんでしょうか。私は主役として役者として演じているような要素もある様に思うけど。
−ありがとうございます−
はまり込んでしまうと演じているように思うんです。離れて見ていると眺めているだけなんです。

☆最近気がついたんですが、霊的、精神的探求をしているとエゴの自分、神なる自分がやっているとか、実況生中継自分があるんです。その観察者の自分が本当の自分ですか。
−ありがとうございます−
本当の自分は自由自在で、冷静に全てを眺めるじぶんよね。ちゃんとした意識があって、その意識がはっきりしている。そして、善悪が区別でき、高い番組低い番組が区別できるんです。それで自由に選べる自分で、その自分がかみさまの全てを受け直せる自分で、感謝のできる自分よね。本当は感謝の心が本当の自分なの。ありがとうございますと言うだけではない・かみさまの働きを受けられるという自分よね。そういう感謝のできるのが本当の自分です。

 懺悔

☆仏道を求める人はまず懺悔をして真言を唱える。また、キリスト教では懺悔をしてから神に祈るとなっているが、ありがとうございますの場合は、自分を反省してからありがとうございますと祈る必要はないのですか。
−ありがとうございます−
必要ないです。ありがとうございますの中に、謙虚な心も既に備わっているんです。ありがとうございますと唱えている内に無限に謙虚になるんです。そして最高の姿を素直に受けられるんです。だからマイナスを掴んでどうのこうのはもう無いんです。
はい。ありがとうございます。(終り)