ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます

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以下(いか)のコラムは宗教(しゅうきょう)サイトではありません。古神道(こしんとう)研究(けんきゅう)ノ−トです。またその内容(ないよう)に責任(せきにん)を保持(ほじ)していません。さらに著作権(ちょさくけん)も行使(こうし)しません。どうぞ自由(じゆう)に使(つか)いまわしてください。できればちょっとアレンジしていい感(かん)じになったよというのをどんどん、是非(ぜひ)メールでお知(し)らせください。

ar65お祈り2001.12.02

質問者:
 「ありがとうございます」と唱えるのは、声を出しても出さなくても同じでしょうか?

ありがとうございます:
 本当のお祈りは、一番奥の本体の自分がしているんです、深く大きいお祈りをしています。心の奥深くで心を静めて祈ると、肉体の自分の祈りよりも何億倍以上になります、大きいお祈りになってきます。だから、肉体がなくなっても、魂がなくなっても、本体のお祈りは無限に無限に大きいお祈りをしています。そういう意味で、心の奥深くで祈るのが一番最高のお祈りになります。そのお祈りが魂にも肉体にも流れてきます。
 肉体の自分だけを捕らえるんだったら、声を出してもいいのです。でも声を出せないときがあります、そういう時は声を出さないで心の中だけで十分です。声を出すとそれが倍になって帰ってくるというのも良いです。また、人のために祈れば人の祈りも自分の方に戻ってきます。小さいお祈りではなく大きいお祈りをさせていただくことは、自分のお祈りを大きく積み重ねることになります。

 愛と許しの生き方

質問者:
 意識を広げてすべてを受け入れていくことと、自分を大事にすることに矛盾を感じます。

ありがとうございます:
 自分の捉え方が大事なんです、どの自分を捉えるかです。肉体の自分か魂の自分か、奥の神なる自分か。本当の自分は一番奥の大きい自分がいいのです、大きい自分の立場から見て、自分にとって一番大事なものは何かと考えると、自由にみんなが幸せになるほうが良いんです。でも、小さい自分の立場だけだと、先ず自分を幸せにしてみたいと思います。そうして、周りの人よりも先ず自分というようになってしまうと、大きい自分から見る見方とずれてきます。その分が引っかかり(矛盾)です。
 許しという言葉は、赦免の「赦」というのが本当の字なんです。これは、新たに新たに受け直すという働きです、過去を掴まないで、神様から与えてもらう無限の無限のプラスだけを一瞬一瞬受け直すことです。過去を掴まないから囚われません、それでいて、一番良いものを神様からプレゼントしてもらい続けます。いいものを受け続けていたら過去は無関係になります、過去のどんな人の姿も、新しいものを受けた自分には必要なくなってきます。だから、自然に赦せるんです、過去を放せるんです。幸せな自分は人をうらやむこともありません、与えたいばっかりになります。だから、過去にどういう姿があっても、その人がマイナスの姿をとった時は、いいものを与えてあげようという気持ちになります。
 そのためには、神様から新たに新たに受け直すのが必要です。それが本当の意味での許しです。そうしたら自然に自分の心が納得した状態で、愛と許しの生き方ができます。
 自分の運命を縛るのは自分なんです、自分の言葉で自分をがんじがらめに縛っていきます。ほかの人が自分を縛るんじゃないんです、自分の言葉で自分の運命・生き方を縛ってしまっています。だから、どういう言葉を使うかによって、これからの運命はどうにでもなります。過去のどれだけ大きなマイナスを積み重ねても、自分の言葉が「過去の一切は消えてもうない」といえば消えてなくなります。でも、過去のマイナスが続くんだと思えば、そういう言葉を使えば続きます。
 自分の使う言葉通りの番組がいつでも引っ張り出せます。だから、「過去の一切は消えてもうない」と言えばいいんです、そして「新しい、無限の無限のプラスがいっぱい」と言えばいいんです。そうすれば最高番組を引っ張り出せるから、いつも幸せな運命を現実化できます。だから、言葉選びは大事です。

 マイナスを消す言葉

質問者:
 マイナスの言葉を使ってしまったその後は、どうしてそれを消したらいいんですか?日本人は謙譲の美徳で「私は、だめな者です」と言ってしまいます。

ありがとうございます:
 それは謙虚ではありません、卑下慢(ひげまん)自分を下に落とす卑下する言葉です。そういうマイナスの言葉を仮に使ってしまったら、「神様、ごめんなさい」でいいのです「ありがとうございます」で消してもらいます。それと正反対の、本当の自分は無限に無限に素晴らしいものを与えてもらっているんだというふうに、感謝していたらそれで十分です。


 大悪人と大聖者

質問者:
 悪の限りを尽くした人でも、言葉一つでころっと変わることができますか?

ありがとうございます:
 はい、なるんです。

・・・本人が、何が正しいか気付いたら・・ですか?

 そうです、本人が何を神様から受け取るかなんです。マイナスの姿をとり続けたのは、神様からいいものを受け損なった結果なんです。マイナスの番組に波を合わせて、それを引っ張り出してきただけなんです、悪い役の自分を引っ張り出していたんです。それはもう過去の話です、過去の惰性を断ち切って、今、神様の方へ心を向けて、神様の最高番組を・その姿を引き出せば、大悪人が大聖者の姿をとります。瞬間に、過去は無関係です。
 たとえば、悪いことをし続けて死刑の判決を受けたとします。でも、その人が過去の姿を放して、神様からいい番組・最高番組を受け取ったとしたら、死刑は免除されます。運命ががらっと変わってしまいます、別人のようになってしまいます。死刑判決で牢屋に閉じ込められて、ところが無限に輝いた姿になって「あなたは、誰ですか」と言われます、「何でこんなところに入っているんですか?出て行きなさい」と追い出されます。別人になってしまいます、周りから同じ人に見えなくなります。それだけ中から変えられてしまいます。


 チャンネルは現実・事実・本物

質問者:
 チャンネルを変えるというのは、感じ方・受け取り方が変わるということですか?それとも、現実が変わるということですか?

ありがとうございます:
 そうです、(現実が)変わらないと力がありません。現実・事実を変えるための行き方なんです、現実・事実が変わらないと本物じゃないんです。

・・・ビルが倒れたという事実が、倒れなかったという事実もあるということですか?

 そうです。事故に出くわした人はごくわずかな人です、そういう人たちはそういう番組を引っ張り出したんです。でも、日本の人たちは無関係です、日本の人たちは、そういう現実を引っ張り出してはいません、ニュースとしては見ているという程度です。

・・・事故にあった人は、自分でその現実を引っ張り出したんですか?

 そうです、自分がそういう運命を引っ張り出します。

・・・加害者、被害者の関係があやふやになってきますね?

 どちらも、加害者であり被害者です。交通事故でもそうです、一方的に加害者を責めることはできません。加害者にしてしまった被害者にも責任があります。

・・・しつこいですが、チャンネルを変えるというのは、受け取り方が変わるのじゃなくて、外界の流れが変わることですか?

 そうです、全部変えないといけないんです、全員がいい番組に波を合わせてそれを引っ張り出したら、地球全体が良くなった姿だけをとります。ただ、みんな自由なので、マイナスの姿も引っ張り出せる自由があるので、一人でもマイナスの番組に波を合わせたら、それを引っ張り出して見せてくれるんです。

・・・いつまでも被害者だと思って恨んでいたら、いつまでも変わらないんですか?

 あの世へ行っても、そういう心の持ち方の世界に波長が合って、そういう番組へはまり込んでいきます。同じ被害者になって死んでも行く所が全部違います。


 実行

質問者:
 18の息子に、プラスに考える大切さを教えたいんですが、どんなふうにすれば良いでしょうか?

ありがとうございます:
 教えとして、「マイナスの言葉は使わない方が良いよ」というのがあります。でも、実行は、プラスの言葉を使ってこそ力が出ます。だから、「マイナスの言葉は使わない方が良いよ」というのは、まだプラスの言葉を実行していません。必要だったら教えとして、方便の教えがいろいろ出てきます、特にマイナスを掴んだ人には、マイナスの言葉もからめて教えを説いてきます。それが必要なかったらプラスの教えだけで良いんです。ただ、実行というとプラスの言葉だけを使う方が良いんです。それも、口に出す言葉じゃなく心で「あなたは、無限に無限に素晴らしい」とか、そういう言葉を心の中で繰り返せばいいんです。


 エネルギースポット

質問者:
 日本にもエネルギースポットといわれる所がありますが、本当にあるんですか?そこへ行けば癒されたりエネルギーをもらえますか?

ありがとうございます:
 そういう言葉で、そういう場所だと決めると、そういう番組を引っ張り出して、それに波の合う人はそういう影響を受けます。でも、人によったらそれを全部無視する人もいます、無視すると何も受け取れません。また、日本全土が光り輝いていると見れば、どこもかしこも光り輝いてエネルギーいっぱいです。
 どういう受け取り方が自分に必要で良いかと言うと、みんな違います。そういうところを回りたい人は回った方が良いんです。でも、お金がかかります、ただでエネルギーいっぱいにするには、全部光り輝いていると見て「ありがとうございます」が良いんです。みんな言葉通りです。


 言葉

質問者:
 マイナスの言葉・プラスの言葉は、使い方でそうなるのか?それとも、もともとマイナスなのかプラスなのか?どちらでしょうか?

ありがとうございます:
 言葉自体に力があると言えばあります、言ってみれば神様の言霊を波長を合わせて動かすんです、引っ張り出すんです。だから、どんな言葉も力があります。ただ、表面の言葉だけではなく、同じ言葉を使っても、その人の心の持ち方は違います、心の状態も違います。心の状態は過去の言葉の蓄積です、それが総合して働く場合があります。

・・・言葉になって現れた瞬間には、それが形となって表れたものだと思いますが、それがマイナスをもたらしたり、プラスをもたらしたりするんですか?

 言葉で番組合わせをして何でも引っ張り出すんです。「お前は、馬鹿だな」と頭を押さえて言うときでも「お前は、もっと素晴らしいんだから、もっと良いことができるんじゃないのか」という気持ちで言っているときは、そういう言葉が心の奥で響いています。そういう言葉は心の奥の響きが強かったら「この子は素晴らしいんだ」という響きを引っ張り出します。表面で「馬鹿だな」と言われても、いい姿を見せてくれます。でも、心の中に何にもなくて「この馬鹿」という意味だったら、悪い番組を引っ張り出します。その子は反感を持って、もっと悪い姿をとるかもしれません。 心の中の言葉というのは、表面の言葉とは違っていろんな意味があります。


 「ありがとうございます」の意味

質問者:
 「ありがとうございます」という言葉を、神様の働きとして教えてください。

ありがとうございます:

 「あ」 
絶対を現します、すべての始りです。あいうえおもそうですが、アルファー ベーター ガンマーもそうです、阿吽の呼吸の「あ」も「あ」が最初です。最初の始まり「絶対」です。命の源とか、光の源とか、光という感じです。

 「り」
ら行音は螺旋状という意味があります。絶対が相対の双極に分かれる、相対の両極に分かれるものはたくさんあります、光と闇・生と死・善と悪・時間と空間とか、あらゆる要素は両極に振り分けられて、それが螺旋状に放射されて組み合わさっていきます。単純に見えても複雑です、直線の交わりは一点だけですが、螺旋状は無限に交わります。それが相似形の姿をとります、だから、入れ子構造の宇宙が生み出されるという意味で、ら行音の「り」があります。

 「が」
「が」は「か」をダブらせています、輝きに輝くという意味です、無限に無限に輝いているという意味です。絶対から相対の両極に分かれて、螺旋状に放射されて組み合わされて、入れ子構造の宇宙が生み出され、それが、無限に無限に輝いた姿をとっているという意味です。

 「とう」
数字の十、十字交差という意味で、相対の両極に振り分けられたものが十字に組み合わされて、大調和しているという意味です。その十字が回転し出して「卍」(まんじ)になって、卍がさらに回転して「○」(えん)に成ります。その中心が神様です、不動の中心は神様です、円の中心です。そこから同心円が無限に無限に広がります。 円というのはもともと、円満完全・角がない・大調和しているという姿をとっています。

「ありがとう」で、絶対から創造されて、無限に無限に輝いた大調和した姿をとっているという意味です。これは、天照大御神様という意味です。天照大御神様という言葉は、「天照」と「大御神」との二つに分けた方が良いんです。「天照」の方が「あちがとう」です、「大御神」の方が「ございます」です。

 「ご」
「ご」は「こ」をダブらせます。「こりかたまって」・「こりかたまって」というふうに、「物質化して」・「物質化して」というふうに、高い次元のものが「低くなって」・「低くなって」という意味です。そして、無限の無限の放送番組とし生まれてくるという意味です。

 「ざ」
「ざ」は「さ」をダブらせています、「さらさら」と。移り変わるというのが一番大事です、一瞬一瞬すべてが変化しています。その移り変わりが、清らかな美しいものが「さらさら」と流れるという感じで、ちょうど桜の花が散るような感じという意味もありますし、花が咲くように開くように、中から置き換わってくるという意味もあります。
 変化無常というのは素晴らしいんです、ただ、バックがあるとないのとでは違います。バックに何もないと『変化無常』は儚く虚しいです、逆に闇になってしまいます。でも、神様がバックにつくと、無常ほど素晴らしいものはありません、変化が、無限に無限に素晴らしい変化を遂げてきます。だから、『無常』というのは二通りの意味があります。バックに神様を持ってくれば良いだけです、それで一番素晴らしい状態になります。だから、同じ物を二つと作らない・同じことを二度と繰り返さないという『変化無常』は最高の表現になります。そういう意味での「ざ」です。

 「い」
「い」は命の「い」。すべてが命を輝かせ躍動して生きているという意味です。普通は、石ころは死んでいると考えますが、石ころ一個でも命を輝かせて躍動させて生きています。原子の動きがそうです、躍動して動いています。それが動いていないように見えるのは、五感六感の錯角みたいなものです。本当に神様の命を生きているのだというのが真実です。

 「ま」
「ま」は全きもの・完全な完璧なもの。無限の無限のチャンネルが生み出されて、それが一瞬一瞬に最高の移り変わり・変化をとげて、本当の命を躍動させて輝いている全体像が、完璧極まりないという意味です。そして、一瞬一瞬現れた全体像が「す」へ戻ります。

 「す」
「す」は絶対の一番奥になります。「あ」も絶対なんですが「す」はもう一つ奥にあります。「す」と言うと全部が消えてしまいます。鳥の巣・住まいの「す」もそうですが、一番根源の一番奥の働きを「す」と言います。「す」からすべてが生まれてきて「す」へ戻ります。だから、今現れたものも「す」へ戻っていきます。
 無限の無限のチャンネルが生まれて、最高の番組を一番の頂点にして、ちょうど光源から光が流れるように、末端に行ったら一番低い番組になって消えていきます。現れては消え・現れては消え順番に一瞬のうちに繰り返しています。だから、いつまでも残っていたら新しいものが生まれてきても邪魔になります。古いのが消えないといけません、消えるというのは絶対に戻るという意味で「す」となるのです。 「ます」というのは、今現れたものは次に現れるときには増えてくるという意味です。さらに良くなって素晴らしくなってという意味です。

この「ありがとうございます」で神様の働きの全体を指し示す言葉になります。先の「天照大御神様」というのも同じです。


 「あまてらすおおみかみさま」の意味

 「あま」
「あま」というのは「ありがとうございます」の「あ」と同じで、光り輝く姿をとっているという意味です。「ま」は全きもの、「あま」で完璧な宇宙という意味です。

 「て」
「て」は照り輝く・光り輝くという意味です、天照大御神様は自ら光り輝くと同時に照らす働きもします。照る・照らす両方の働きを中に持った働きとして、「あまて」と出ます。「あまてらす」の「す」も同じです。無限の無限の輝きがいっぱいと出てきて、すぐに「す」と絶対に戻っています。その繰り返しをいつもしているのが「あまてらす」です。

「おおみかみ」というのは、「大御」と「御」という字を使いますが「身」の方が良いんです、無限に無限に大きい体をもっています。無限の無限のチャンネルを中に持った「天照大身神様」というのが良いんです、そうすると、「ありがとうございます」と「天照大御神様」とがピタリと合います。だから、「ありがとうございます」は「天照大御神様を、今ここにしっかり捉える言葉」なんだといえます。

 番組

質問者:
 「ありがとうございます」「天照大御神様」という言葉が出来た時代の人は、現代の人よりもおおらかだったんでしょうか?

ありがとうございます:
 もともとはみんな、全部わかっているんです。神様と一体の本体の自分・神様から一瞬一瞬すべてを受け直している自分は、全部わかっていて、なお且つ、無限の無限のチャンネルを自由に選んで楽しんでいます。ただ、番組ごとに感じ方・受け方が違います。高い番組を味わっている時の自分は、全部わかって最高の生かし方をします。でも、低い番組に波長を合わせた自分は、何もわからないような姿をとりながら、言葉の遣い方もマイナスに使ったりしながら試行錯誤を繰り返します。番組によって違うだけです。

質問者:
 低い番組に合わせようとするのは、知識とか欲が出てきたからですか?

ありがとうございます:
 神様から新しいものを一瞬一瞬受け直すのをやめて、古いものを追いかけたからです。ある意味では感謝を忘れて、一つのものを掴んで古いものを追いかけている段階です。

質問者:
 それは、人間の自惚れですか?

ありがとうございます:
 自惚れではなくて、低い番組も見てみようかということです。いいものだけだと感動が浅くなってきます、毎日太陽を見続けていると‘たいしたことないなー’となってきます。それが、夜が来ると闇に飲み込まれていきます、星明りもない暗闇だと太陽が恋しくなります。夜が明けて太陽が出てくると‘あーなんと素晴らしい’感激が新たになって感動が深くなります。そういう意味で、低い番組も眺めてみたいなというところがあるんです。

質問者:
 自分が必要として、低い番組をわざわざ見たんですか?もっと高いものを気付くために?

ありがとうございます:
 そうです、その価値を増すために!本体の自分が低い番組をチョッと覗いてこようかというような感じです。


唱え方

質問者:
 唱え方は「天照大御神様、ありがとうございます」でいいんでしょうか?

ありがとうございます:
 一人一人、自分にとってどれが一番ふさわしい言葉かは違います。天照大御神という言葉に親近感を抱いている人はそれでいいんです。仏教徒なら大日如来でもいいんです、「ありがとうございます、大日如来と一体なんだ」というふうに。中身を深く大きくしていく意味で、プラスになるものはなんでも活用すればいいんです。

質問者:
 人それぞれに、大日如来とか観音様とかいらっしゃるんですか?

ありがとうございます:
 そういうように見るのも言葉の囚われになっていくんです。本当は全体から守られているんです、必要だったらどんな姿ででも現れてきます。ただいろんな信仰する過程で、仏教を学ぶ時期・キリスト教を学ぶ時期・神道を学ぶ時期とみんな違うんです。同時に全部はしていません、一つ一つ順番にしています。キリスト教の勉強をしているときは、キリスト教系のいろんな神様の姿をとって、守護神さん・守護霊さんも変身して守りにつきます。仏教の勉強を始めたら、仏教系の仏・菩薩になって変身して出てきます。自分に必要な姿をいつも与え続けてくれます、でも、本体は一つの姿をとっています、変身自在に必要な助けを与えるという意味で、その変化が自由自在です。

質問者:
 観音様には、その真言を唱えたほうがいいんですか?

ありがとうございます:
 仏教の勉強をして、観音様にすがるような時期はそれでもいいんです。「ありがとうございます」は全部を含むので、全部に通用します。だから、枝葉を放して本筋へ入るときは「ありがとうございます」の一言で、必要な時はどのような助けも受けられます。


拍手

質問者:
 拍手にはどんな意味がありますか?

ありがとうございます:
 左がプラス・陽で、右がマイナス・陰です、陰陽を合わせて打ったら火花が飛ぶような感じで、その人の心境に応じた強い響きが出ます。神社は一番奥に「ありがとうございますの神様」が控えています、その下にいろんな段階の神様がいらっしゃいます。神社にお参りすると拍手を打ちます、その時に自分と波長の合う神様に先ず届きます。その神様が一番上につなぐ役目をします。そういう意味で、強い響きを出さないと通じないんです、それで拍手を打ちます。
 雑念が出るときに拍手でパンパンと祓ってもらうほうが、お祈りしやすいという一面があります。自分の中から強い光を引っ張り出してもらうときに、強い光を出してもらう働きがあります。


一瞬に悟る

質問者:
 先生のような境地になるには、3ヶ月あればいい、というお話を以前なさいましたが、そこをもう少し詳しく聞かせてください。

ありがとうございます:
 方便的にいいましたが、一日ででもなるんです。本当は一瞬なんです。
お釈迦様の話で、龍女という竜神さんの娘さんがいて、御釈迦さんに出会って一瞬に悟ってしまうんです。それで、十大弟子といわれるような高弟たちは‘おかしい’と言います。‘普通は、竜神から人間に生まれ変わって、修行して悟るのだ’と言うのです。‘龍女の身で悟れる筈がない’という訳です。
 ところが一瞬にして悟っているんです。悟りというのは、元から悟った自分があるんです、だから悟った姿を引っ張り出せたら一瞬に悟っているんです。これから修行して悟らなければと思ったら時間がかかります。すでに悟った自分があるというふうに、それを「ありがとうございます」と受けるほうが「一瞬の悟り」になって行きます。
 それには練習が必要です、今までマイナスに言葉を使ってきたその惰性があります。その惰性を打ち破る意味で「ありがとうございます」を一心不乱に繰り返す時間があれば、惰性を打ち消して引き出せるという意味で3ヶ月頑張れば大丈夫です。


与え尽くし合う練習

質問者:
 結婚や家族生活に神様はどんな意味を与えているんでしょうか?

ありがとうございます:
 この世の結婚の形式は悪いことではないんです、プラスにプラスに受けたらプラスになります。こういう姿をとらない番組も上にはたくさんあります、結婚なんかしなくてもいい番組があります。人が生まれるのも、物質化現象で空中から生まれてくる番組もあります。
 この世の結婚の形式をとるのは、与え尽くし合う練習の姿で出てくるんです。神様と命の交流を図るのが理想なんです、永遠の恋人にするのは神様が一番いいんです。神様に自分の命も捧げ尽くして・神様のために全部投げ出して、神様から受け直すと大きい意味での自分になります・神様と一体の・宇宙が自分という大きい意味での自分に早くなれます。
 それが最高の幸せになるんですけど、そこに行くまでの練習台みたいなもので、一人選んでその人のために与え尽くす練習をさせてもらうという意味です。これが男同士だとややこしくなります、違う要素を持ってるほうが与え尽くしやすいです。男同士だったら、自分の持っているものを人に与えても、自分が持っているものを与えてもらっても嬉しくないんです、お互いないもの同士が与え合うのがいいんです。
 そういう意味で男女があったほうがいいんです、それで、自分の持っているものを相手に与え尽くす・足りないものを補うという意味で、それも報いを求めずに与え尽くし合う練習がいいんです。そうすると今度、神様を永遠の恋人にしたときに、自分の全てを与えつくす練習がしやすくなっている状態です。神様を愛するということによって、神様の全部を受け直せる大きい自分に変わるんです、それいろんな人を相手に取り替えて・男になったり女になったりしながら、役割を演じているんです。根本は与え尽くす練習です。

質問者:
 その練習のために結婚されたんですか?

ありがとうございます:
 そうかも知れないし、そうじゃないかも知れません。私は先ず、神様と与え尽くし合う練習をしたんです。先ず、神様に命をささげつくす練習をして、神様との交流を図って、それで囚われがなくなってしまいました。若いときは独身主義だったんです、その囚われが取れてしまって・自然がいいという感じです、もう逆らわなくなりました。それで、結婚するのが自然だったら、そうしたほうがいいんだろうなという感じです。
 ただ、求める心は全然ないんです、与え尽くす心だけで、本当の幸せになってほしいという気持ちで生きているんです。お祈りが深くなって神様との一体感が・悟りが深くなるようにお手伝いが出来たらというのが中心になります。

質問者:
 奥様も同じような心境でいらっしゃたのですか?

ありがとうございます:
 ぜんぜん違うでしょう。結婚したときはいつも不思議がっていました、狐につままれたように。
私が結婚した時はある人から紹介されたんです、候補者を何名か名前を書いてくれたんです‘どの人にするか’その中の一人を名前で選んだんです。‘この人にします’とすぐに決めました、そして連絡してもらってデートしました。その時に‘私はもう決めています’と言ったんです、相手は出会ったこともないのにそんなこと言われても困ります、それでも反発もせずに応じてくれます。あの時は大阪城へいきました、そして‘私は、清貧に甘んじますから、付いて来て下さい’と言いました。
 その時はお金をぜんぜん持っていませんでした。一円も持っていないんです、それで結婚の申し込みなんて考えられません、普通は。お金を持ってないのにあつかましく、それでも誰も反対しませんでした。家内の両親にも‘あの人は目がきれい’と気に入ってもらいました。結婚式も費用がかかるのに、私はお金がないから一円も出していません、みんなが出してくれたんです、こういうこともあるんです。

ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます

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