ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます

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以下(いか)のコラムは宗教(しゅうきょう)サイトではありません。古神道(こしんとう)研究(けんきゅう)ノ−トです。
またその内容(ないよう)に責任(せきにん)を保持(ほじ)していません。さらに著作権(ちょさくけん)も行使(こうし)しません。
どうぞ自由(じゆう)に使(つか)いまわしてください。できればちょっとアレンジしていい感(かん)じになったよというのをどんどん、是非(ぜひ)メールでお知(し)らせください。

ar49体に悪いと言われる食べ物2001.10.08


質問者  不明(たぶん食べ物についてだと思います) (女性)

 人の使う言葉通りになるというのが本当です。だから「すでにすべて神様にいただいている」というふうに使うと皆健康になって幸せ一杯になります。ただ、言葉はマイナスに使いやすいですね。「狂牛病」という言葉を使うと、自分がそれを取り込んで受けてしまいます。玄米食でも「玄米食でなければならない」というふうな言葉を使うと、それに縛られて他のものが食べられなくなってしまいます。だからすべて言葉通りになっていくのですね。
キリストさんでも「何を食らい何を飲まんと、思い煩うこと無かれ」と言っています。何を食べても何を飲んでも大丈夫なんて言ったら、たとえば栄養学なんかに縛られている人からみたらとんでもないことでしょうけど。
 
キリストさんの言っていることのほうが本当ですね。神様からいただいたものを感謝の心を深めて受けたら、みんな光り輝いて命そのものですから、絶対病気になったりしないですね。だからどれだけ感謝して神様から命を頂くかということが一番大事です。毒と言われているものでも感謝して受けている人にとっては毒にならずに薬になります。だから余り栄養学などには囚われないほうがいいです。あれやこれやと考え出すと縛られて不自由になるでしょ。
 どんな食べ物でも神様からの一瞬一瞬の置き換えで与えてもらうものだから過去は無関係です。過去の姿はマイナスが大きくても、今、新らたに受けるものは無限のプラスそのものですね。だから一番大事なのは神様から新たに受けなおすことです。そしたら絶対いいことばっかし。
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質問 人は生まれてくるときに自分の人生のシナリオを描いて生まれてくると言われていますが、そのように自分の人生はすでに決まっているのでしょうか?(女性)

 神様の創った無限の無限の番組どおりにすべてシナリオとストーリーは決まっています。だから、そのうちの一つの番組にはまり込んでしまったらその人はそのシナリオ通りの運命をたどります。でもどの番組を選ぶかは自由です。チャンネルも自由に変えられますから、チャンネルを変えると全く違う運命に代わってきます。あらかじめ選んで来たっていうのは狭い範囲の選び方です。もっと大きな立場に立ったら、もっと自由自在に選べてどんな運命でも受けられますね。
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         恐怖心

質問 恐怖心を克服する方法を教えてください。(女性)

 神様の絶対の愛、無限の無限の愛にいつも抱かれていますという感謝があったら大丈夫です。宇宙全体が神様の絶対の愛が光り輝いた姿をとっているでしょ。そこには神様の愛しかない。そしたら恐怖心なんて思いは瞬間にして消えてしまいますね。これもありがとうございますと感謝することで神様の愛に包みこまれる生き方ですね。ありがとうございますという言葉を使ったら恐怖心は一切消えて無くなります。
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       離婚
 
質問 結婚生活が破局に向かっている場合、離婚まで行かずに済む方法があるか。離婚はしないほうが良いのか,しても良いのか。(男性)

 
パートナーとの関係において過去のマイナスを掴んでそれを積み重ねると苦しくなってそこから逃げ出したくなります。それが離婚にまで発展する理由の一つですね。そんな場合は相手の方を一瞬一瞬新たに現れた結婚相手として捉えて、いつも新婚気分でいられたら離婚しなくて済みます。一瞬一瞬、離婚して、結婚して、離婚して、結婚して…。
 この宇宙が一瞬一瞬の置き換えなのですから、一瞬一瞬相手の方も変身しつづけています。同じ人のように見えて同じ人ではないです。それが本当の観方です。そのようにみたら過去のマイナスを掴んで積み重ねることはなくなるでしょう。そしてお互いを助け合い、生かしあい、高めあって行ければいいです。元々はそのように仕組まれています。
 また、神様の愛が自分に向けられてこの世での結婚相手が一人に決まっているような場合は、その関係の中からプラスのものを吸収して行かないと損ですね。プラスのものだけを拾い上げてそれを受けて幸せを大きくして行けばいいです。そうやって成長して、そこから得られるものがなくなったら、また必ず新しい別のものがそこから与えられるようになっています。相手の方はまたもっと大きいプラスのものを持った姿に変身してくださいます。

 どのような場合も、相手の方をいつも一瞬一瞬変身して現れてくださる神様の愛の姿として見たほうがいいですね。神様は必要なものを適確に与えつづけてくださっています。いろんな姿に化けてね。

 そして心はもっと自由になったほうがいいですね。この世での離婚についても「離婚したらダメ」というふうに決め付けると、
それだけで離婚した人を責めなくてはならなくなるでしょう。そしたら今度は自分が責められる姿をとって余計苦しくなる。だからそういう枠は外したほうがいいです離婚も悪いことはないです。結婚というものはお互いプラスになるためにするのであって、マイナスを増幅したり足を引っ張り合ったりするのだったら放れたほうがいい。全然波があわなかったら助け合い、育てあうっていうのは出来ないでしょう。ある程度似通ってて両方のいいところをプラスして交流しあえるほうがいいです
 離婚を否定してマイナスを積み重ねるより、また他に別のいい人が現れたらその人と助け合ったらいいのです。別れるときは別れて、両方が早く幸せを大きくするような生き方をとるほうがいいですね。だから遠慮無く離婚してもいいし別の人と結婚してもいい。自由自在にしたらいいんです。そして無限の番組のチャンネルを変えられるようにパートナーも自由自在に何回でも変えられる。(笑)宇宙には無限の人がいてるから、その中から自分にピッタリの人を選ぶっていうのは大変だけど、神様のほうが付き合いやすい人を直においてくれます。本来は自分の高まりに応じて、自由自在に離婚と結婚を繰り返しつづけてもいいはずなのですね。男女がお互いに助け合い、高めあい、プラスの交流ができるのであるなら一夫一妻に拘る必要もないです。本当は複数の人と交流しあえるほうが成長が早くなります。結婚というのは思いこみが結婚という形に表れているだけです。その形に拘る必要もないし、本当のところは結婚というものは形があるようで無いでしょう。ただ、どんな関係を持つにしても、求める心で交流するのではなしに、与えつくす心で交流することが大事ですね。求める心はマイナスを増幅し合いますから必ず与える心で交流するのが理想ですね。

質問 (続き)相手のプラスを引き出そうとして、相手のいいところを拾い上げようとしているとその中からマイナスのところが感じられてしまうことがあります。

 それはすでに求める心のほうに自分を置いてしまっていますね。与える側に立ったらいいです。相手が何を必要としているか、相手にとって何がプラスなのかを感じとって相手に合わせて与えるだけがいいです。そうすると相手も同じようにこちら側のプラスを感じ取ってくれて必要なものを与え尽くしてくれます。だから与え尽くす側に徹底して立つことですね。自分は何も求めないほうがいいです。いかに自分の持っている良いものを相手に与え尽くすか、相手の求めるものを適確に与え尽くすかということが大事です。そしたら周りがすべて同じ姿で自分に対して現れてくれます。

質問 (続き)自分が我慢してでも相手に与えつづけたほうがいいですか?

 我慢している姿は、相手にとってものすごく苦痛でしょう。我慢している姿を相手に与えることはないですね。喜んで喜んで相手の必要としているものを与えていたら、相手にも大きい喜びを与えることになりますね。我慢は余りいいことないですね。我慢するというのは自分の側に立ってしまっていますね。

質問 (続き)与える時に苦しみが湧いて出てきたら?

 それは早く消してもらったほうがいいですね。そうやって心に貯めたいろんな思いが表に現れてきますからそれを神様に早く消してもらってから相手と交流して行けばいいですね。それを消してもらう方法が「ありがとうございます」です。まず神様に消してもらってプラスだけの自分に早くなったほうがいいですね。

質問 (続き)それはストレスをためることにはならないですか?

 
感謝したらストレスは全部神様に消してもらえるから消えてなくなります。気持ちが楽になってきます。そしていいものがたくさん増えてきます。そうなったら無理に相手に与えようとしなくても相手はいいものを感じてくださいます。早くそうなったほうがいいですね。はたにいてるだけで幸せを感じてもらえる存在になるのがいいです。形でものを与えたり行動で親切にしたりというのは枝葉のことです。それよりもあたたかい心を与えて行くという事です。そのためにはまず自分の心に溜まったマイナスの思いを全部消してもらうほうが先です。「ありがとうございます」を繰り返して神様にマイナスを全部消してもらったら、傍にいるだけで幸せ感じてもらえるような生き方ができます。

質問(続き) そのようにしたらお互いにマイナスがでなくなるのですか?

 心にあるマイナスが形に出ます。言葉にも態度にも心のマイナスが姿形となって出てくるのです。心のマイナスが消えてなくなっていたら形としても絶対出てこれなくなります。だから先に神様に心を向けて神様と交流を図るのがいいです。それが感謝行ですね。神様から無限のプラスをもらってプラスだけの自分に変えてもらうのが先です。そしたら人との交流がプラスだけの交流になっていきます。自分の心を早く幸せな状態にしてもらうほうがいいですね。幸せになるのは感謝行で出来ます。幸せになったら自然に与えることが出来ます。状況に応じていいものが自然に出てきます。だから先にありがとうございますが大事ですね。
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       男女の役割

質問  女の役割、男の役割はどのように捉えたらいいですか。(女性)

 もともと本体の自分は陰陽両方兼ね備えた絶対の働きをする自由自在だから女性も男性も両方の役割をその時々に応じて自由自在にこなせます。ただ、この世で陰陽二つに分かれて助け合う時は、女性は女性らしく男性は男性らしく役割を演じている。ただこれも自由自在だから例えば女の人がいつも食事当番で食事を作りつづけるのがいいことではないです。たまには男の人がおいしいご馳走を作ってあげるのも大事だし、また女の人が外に出て働くのもいいです。あまりこだわらず、お互いに助け合ってお互いのよさを発揮しあうのが大事ですね。
 相手が傍にいないときは自分一人で両方の働きをしなければならないですね。逆に必要があって相手がそばにいてくれて助けてくれている時はでしゃばらなくていいです。相手が男性だったら自分が女性の役目を果たせばいい。異性が傍にいてくださるのは両方がプラスの交流をできるようにと神様が必要に応じてその時々に仕組んでくださっているだけです。だから役割を限定せずに自由自在に生きることが大事ですね。

質問 (続き)男性が傍にいてくれる時に、女性の役割としてどんなことがありますか?

 「受ける」ということでしょうね。女性の場合は受け方を上手にやって行くのが役割として一番大事ですね。女性の場合、上手に受けているとそれは自然に与える生き方になっていますね。
 男性の場合は上手に与える事が大事ですね。男性の場合は中に本質の霊があります。中の霊を引っ張り出せば本当のよさと働きを出せます。だから与え尽くして与え尽くして中から井戸の水が湧き上がるように引っ張り出すことが大事です。そういう構造になってます。だから男性は与え尽くす生き方をすると中からいいものがドンドン湧き出してきます。
 女性はちょうど逆になります。環境のほうが霊になる。周りから上手に受けたものが自分の身になって行くという一面があります。周りからドンドンいいものを吸収していくと、霊なるものが肉体に輝き出てくる。周りからいろいろな教えを聴いて自分に取り込んで自分のものにしていくようなところがあります。だからいろんな宗教に走る人はだいたい女性が多いですね。(笑)
 男性の場合は自分を掘り下げないと出てこない。深い悟りのような教えを説くのは男性に多いです。お釈迦様も自分を深く深く掘り下げて中のいいものを引っ張り出して皆に与えています。ただそれはこの世に肉体を受けている期間の一時期的な働きです。肉体をもらっている期間はその与えられた性に応じたように生きたら、いい働きを出しやすいケースが多いというだけです。今度生まれ変わる時は今と違う性に生まれ変わるかもしれない。その辺は自由自在だから、その時その時の自由な生き方でいいですね。
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         農薬

質問 (不明)男性

 
食べる前に一回感謝したらいいです。ありがとうございますを唱えると農薬が消えます。神様から受けなおしたものは輝いたものになります。会社から給料をもらって帰ってきたら一旦神棚にお備えして「ありがとうございます」というのと同じですね。もらったお金にいろんなマイナスの思いがついていたら、そのお金は悪いことにしか使えなくなります。無駄づかいしてしまいます。神様に一旦お預けしたら、プラスに変えて下さいますから自分を幸せにするために使えるようになります。神様に一旦あけわたすのは大事ですね。




         借金

質問(不明)男性 

 よくないですね。やっぱり何も与えずに得たものは借金ですね。借金もその内容によって利息が変わるのですけど、人から奪い取ったようなものは高利の利息がついて、またたくまに膨らんで行きます。逆に人が喜んで与えてくれるようなものは、それも借金には違いないのですけれども無利子もしくは小さい利息なんですね。同じ借りるんだったら小さい利息か無利子が良いですね。(笑)あとで返しやすくなりますから。




       マイナスの仕事

質問 今携わっている仕事は世の中にマイナスを与える仕事なので、できればやめたいのですけれども生活があるのでやめれません。どうしたらいいですか。

 やめたくてもやめられないという人は多いですね。そういうのは人の力ではどうしようもない。神様の助けを受けないと出来ません。
 そして、社会に対してマイナスを与えているような仕事でも「ありがとうございます」と感謝して神様の助けを受けたらマイナスを軽く済ませてもらえます。
 
例えば戦争の兵器を造るような仕事でもありがとうございますと感謝したら,その兵器に神様が憑いて行って人を殺すのに使えなくなる。殺し合いの兵器にならず守るための兵器に変わる。他の人がその仕事についたら大きなマイナスばかり撒き散らすのに、感謝させてもらっている自分がその仕事をするとなれば、そこには大きな差が出ます。
 そしたらどんな仕事についていてもプラスになって行きますね。そういうマイナスを負うような仕事は他にもいろいろあって、たとえばお肉屋さんなんかもそうです。殺生に荷担しているという気持ちが絶えず付きまとう。そういう時にも「ありがとうございます」とか「南無阿弥陀仏」と唱えてマイナスを消してもらった人はマイナスを背負わないです。いつも輝いた状態にしてもらえて幸せいっぱいに守ってもらえます。そして殺された動物にも光が行って食べる人にも光が行く。だからどんな仕事も一旦神様を通すというのが大事ですね。「ありがとうございます」で神様に一回預けて、神様からもう一回いただきなおしてプラスに変えてもらうと良いです。どんな仕事も必要だからそのような形あるわけで、その仕事が本当に世の中から必要無くなったら、必要の無くなったものから順番に消えて行きます。必要のあるうちは形として出てきますから、神様にプラスに変えてもらって、形を活かして行けば良いですね。「ありがとうございます」と受けて行ったらどんどんよくなって行きます。そしたらそのうち形まで変わるかもしれないですね。それもごく自然な経過を経て変わるようになります。

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        男に生きたい

質問 私は女性ですが、常々男性のように生きたいと願っています。

 肉体に魂が宿ってこの世で生活をさせてもらっています。魂に男性的な要素が多いとどうしても男っぽい生き方になりやすいです。性転換してでも男性として生きたいとなる時もあります。男性も肉体を改造してでも女性として生きたいということもあります。これは魂の段階ではどうしてもそのように願ってしまうのです。
ただ魂をこえた本体の自分は、魂に男性的な要素が増えてきたら、今回で女性的な要素を身に付けさせたいと願い、女性の肉体に生まれさせるのです。だから肉体が女性だったら女性らしくなる練習をしたほうが良いですね。それが本体のほうの願いです。魂の願いとはちょうど正反対になります
 魂は楽だったらいいから、男性の要素を多く持つ魂を持つ人は男性っぽく生きたほうが楽に生きられます。でも本体のほうの自分は正反対の生き方をしてでも新しいものを伝えたいのです。
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          苦しい時

質問 苦しい時には「助けてほしい」という思いをもったり、「助けてください」とお願いするのもよくないですか?

 助けてくださいって言わなくても、「ありがとうございます」で助けてくれます。いろんな願いを出す必要はないです。「ありがとうございます」は神様の助けをすでに受け入れた状態です。「ありがとうございます」って言ったら神様の助けがスッと入ってすぐにプラスに変えてくれます。「助けてください」という前に神様はその人が助けて欲しいということぐらい分かってますから、既に助けてくれているんです。助けてもらえない時というのは相当頑固に神様の助けを拒絶している時です。その時はその人のことを尊重して、神様は無理やりには助けないですから。ところが、頑固な拒絶の姿が少しでもやわらいだらすぐに隙間を縫って入ってくる。神様はいつも助けたくて堪らないのですね。だから心配いりません。




      最高番組

質問(不明)

 これも番組によって違います。一番上の極楽番組だったら神様の愛の姿ばっかり見えます。地獄番組だったら神様の愛の助けを拒絶しつづけて我を貫き通している姿をとります。この世は中間で両方あります。神様を受け入れた姿と拒絶した姿とプラス・マイナス両方混じっています。マイナスを見る人は神様はいないって言うし、プラスを見る人は神様の愛ばかりということがわかります。でも本質は神様の絶対の愛そのもので、神様は絶対の愛を受け入れてくれることを忍耐で待ちつづけているんです。これは理屈じゃなくて最高番組にチャンネルを合わせたら愛そのものしかないと分かります。「ありがとうございます」ですぐに最高番組(笑)

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      般若心経

質問 般若心経と「ありがとうございます」の繋がりは?
 
 般若心経は「ありがとうございます」という感謝のお祈りのことを説いています。つまり般若心経は感謝についての説明。その実行が「ありがとうございます」を唱えることです。最後の羯諦羯諦というのは祈り言葉です。羯諦というのは「無限無限に輝いている、ありがとうございます」って言ってるんです。
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       お墓

質問 お墓の供養のし方について。(女性)

 
お墓というのもかなり囚われが多いですね。亡くなった人はそういうところに入らないです。もし亡くなってからお墓の中に入るって思ったら大変です。石牢に閉じ込められて地獄番組にはまり込んでしいます。死んだらお墓に入るのだと思って逝ったら実際にお墓の中にはまり込んでしまう。
 お墓はなくしたら良いのです。お墓というものをなくしてあげたら、死んだ人は「お墓よりもっといいとこ行こう」ってなります。お墓があったら、せっかく神様が美しい花園の世界へ導いてあげようとしているのにそこへ行こうとしなくなるでしょう。

    



      御骨

質問 お墓への御骨(おこつ)の納め方
 
 
御骨というのも肉体というのも死んでからは要らない物です。あくまで脱ぎ古した上着みたいなもんですからゴミ捨て場に捨ててくれたら良いんです。(笑) 「もう要らない」って放してしまったほうがさっぱり綺麗な自分になって良い世界に上がれます。お墓や脱ぎ古した上着などに囚われないで自由なほうが良いですね。「お墓は要らない」って言うぐらいの信念があったらその中にはまり込まないで済みます。お墓はなくしてあげたほうが良い世界に行けるから死んだ人にとってもいいことなんですけれども、どちらを選ぶかは本人の自由ですから。




    迷っているご先祖様

質問 迷っているご先祖様はどのように供養させてもらったら良いですか。

 さて、もし自分がいろんな番組に出演していたとして…。
高い番組は良い役割で演じている、光り輝いて大きい働きをして皆を幸せにしている役。
地獄番組は皆に迷惑かけて皆を不幸にして最悪の悪役。
自分の知ってる人に見て欲しいって言う時、どの番組をみて欲しい?もちろん良い番組ですね。

 ご先祖さんも同じです。低い悪い番組、迷っている番組を見て欲しくない。「無限無限に光り輝いて大勢の皆を幸せにしている」という姿にみて欲しい。だから本当の供養とは無限無限に輝いているご先祖様を拝むことです。感謝を深めることです。迷っていると見たらどのような供養をしても絶対に救われません。迷っているなんて言ったら叱られますよ。「無礼千万、ワシをなんと心得る!」なんてね。(笑) 絶対マイナスとみたらダメですよね。ご先祖さまを迷っているとみるというのは、自分が迷っているだけです。ご先祖様を迷っているとみたら、お花あげても般若心経唱えても救われません。
逆ですね。自分のほうが助けてもらう側です。でもこんな話はここにいてる人だけ(笑)
「お墓大事、仏壇大事」と思っている人にはこんなこと言うと腹立てるから。
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         光源

質問 (不明)

 光源に近いほうが、光が強いです。光源から離れるにしたがって光が弱くなっていって最後はゼロになります。光源に近いほうが高い番組。光源に近いところで体験した人はもう既に全部体験している。高い番組を見た人が低い番組に行った時には、大昔に体験した残像をチラッと見た感覚です。いつもお祈りをしている人はいつも高い番組にチャンネルを合わしているからそこで体験したことが後から現実化してくる。お祈りの中で先に良いものいっぱい体験してしまう。現実はその体験したことを一部チラッと感じるくらいのものです。お祈りの中で体験する時間の感覚というのは、この世でいう時計で計る時間とはずいぶんかけ離れています。そう見たらこの世への執着が離れていきます。お祈りの中で何億年分もいっぱい良いものを体験させてもらって、その残像がこの世に少しだけ現れている。この世はお祈りの中で先に体験したものがあとから現実化して勝手に流れているだけです。
 この世を見る感覚というのは、そんな感覚ですね。だからこの世で低い番組に執着するのはバカよね。(笑)お、お、大バカ。(大笑い)無限無限のバカ。(場内大爆笑)

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 マイナスを相手にしないためには


質問 マイナスを相手にしないようにするにはどうしたらいいですか?

 「マイナスを相手にしないように」とするよりも「神様を相手にしよう」とするほうが良いですね。「ありがとうございます」と唱えることを最優先するのが良いです。忘れたら忘れたでかまいません。また思い出して「ありがとうございます」と感謝できればいいです。それが本当にマイナスを相手にしていない姿です。

質問 (不明)

 それはマイナスに反応してしまっています。その時は積極的にプラスに心を向けたらいいです。プラスのほうを忘れているとどうしてもマイナスのほうが顔を出してくる。「ありがとうございます」と唱えたら闇の方は近寄れなくなります。ありがとうございますと光を灯すのを忘れた途端に、闇の方が大きく忍び寄ってくるから、マイナスを掴んで反応してしまうのですね。だから一瞬一瞬ありがとうございますと神様に心を向けて光を感じ取ったらいいですね。

質問 ときどきそのことを忘れてしまうのですが、どうしたらいいですか?

 そうそう。そうやって忘れて損しますね。(笑)
そういう時はまた「ありがとうございます」に戻ればいいだけです。ありがとうございます。
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      デジャヴー

質問 来た事のない場所なのに以前来た事があるような気がするとか、初めて会った人なのに前に会ったような気がするとか感じる事があるのですけれどもそれは間違いですか?

 皆過去にいろんな体験を積んでいて、その過去の体験が呼び覚まされているのです。以前に会ったことがあるように感じるのは、実際にそれまでに会っています。来たことのない場所でも前に行っています。だからそれは間違いではなくて正しいことです。

質問 なんとなく誰かに呼びかけられているような気がしたら?

 呼んでる。(笑)

質問 その呼びかけに素直に従った方が良いですか?

 別に素直に従わなくてもいいです。自分が選べばいいです。自分にとって何が必要かを自分で考えて自分が幸せになる方を選んでいけばいいです。そりゃ呼んでくれる人いっぱいおるかもしれない。(笑) 過去の友達いっぱいいたら皆懐かしいから呼んでくれるよね。でも自分は過去を降りきって、もっと幸せになる新しい道を選んでいるのであれば、呼ばれても「バイバイ」って言ったらいいです。反対に、呼びかけに従って自分がそれで幸せになるのであればちょっと答えてあげたらいいです。

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     ハッピーエンド

質問 小説のストーリーには「苦労に苦労を重ねて、最後の土壇場で苦労が実を結んで幸せになる」というものが多いですが、人生も同じようなものですか?

 最初から最後まで幸せがいいですね。「途中は苦しんでも最後がハッピーエンドであればそれでいい」というのであればそれでいいです。そういう小説を読んだ人が全部をスーと心に採り入れたら、その人の運命がそのような形をとります。その本を書いた人は皆に与えているわけですから人生全部幸せでありたいと願っても途中苦労してしまいます。
やっぱりプラスの言葉だけをズラーッと並べつづけた方がいいですね。その方が理想です。

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      聖地

質問 聖地と言われているような所で戦いが起こるのはどうしてですか?

 
過去に聖地であった所もお祈りをする人がいなくなれば聖地ではなくなります。だから過去が聖地であっても戦いの場になります。そこを聖地に戻したかったらお祈りすればいいです。場所はどこでもいいです。お祈りすればそこが聖地になります。この世の人だけでなくあの世の人もたくさん集まってお祈りしている所が大きな聖地です。お祈りする人が増えたらどこでも聖地になります。だから地球上の人が全部お祈りしだしたら地球全体が大聖地になります。




     祈りの内容

質問 今もその聖地で祈り続けている人はたくさんいると思いますけれども…。

 聖地になるかどうかは祈りの内容によって変わります。祈りにはピンからキリまであって、マイナスの祈りとプラスの祈りがあります。本当の聖地にするなら無限の無限のプラスのお祈りをすればいいのです。でも大抵はマイナスの祈りが多いですね。例えば「平和にしてください、健康にしてください。」などというのはマイナスの祈りです。平和でないからという前提に立っています。その人の信念は戦争状態を掴んでいます。戦争を祈りだしています。戦争番組にチャンネルを合わせているから、神様の光が輝かない。マイナスの祈りをする所は「思い」の溜まり場になって、聖地どころではありません。逆に光が消されて行く。「無限無限の輝きがいっぱい。ありがとうございます。」という本当のお祈りにならないと聖地にはなっていかないのです。
 どんなところでも「ありがとうございます」と唱える人が行った所は、そこが聖地になる。日本にそのような人が増えたとしたら日本全体が聖地になる。その人たちが世界に散らばったら世界が聖地になります。

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     守護霊の役割

質問 守護霊というのはどのような存在、役割なのですか?

 人は自由に番組を選んで生きているのだけれども、あるとき番組にはまり込んでしまう時があって、その時はそこから抜け出せなくなる。そうするとその番組のマイナスを掴んでしまって、ドンドン番組を下げて落ち込んで行きます。本体の自分はあらかじめそれを見越しているから、そのときに外から助けを派遣します。それが守護霊・守護神です。法則通りにいけば地獄のどん底まで落ち込んで行きます。必ず転がり落ちて行く。それを途中で適当に方向転換させて救い上げなければならない。本体の方がその事を計画していますから、その計画が外からの助け、守護霊守護神の働きです。そうやって外からいろいろな気づきを与えて行く。アドバイスしたり、助けたり、頭打たしたり、いろいろします。方向転換をさせると共に、中からもプラスに向く心を起こさせる。
全部本体の自分がやらせています。そうやってプラスに向けて感謝できるように成長させて行く。だから守護霊守護神というのは自分と一体です。全部本体の自分の中にあります。

質問 「自分の守護霊はある時から大日如来に代わった」という人がいるのですが?

 んー、その人の好き勝手ないい加減な言い方ですね。大日如来というのは天照大神と同じような働きをする大きな神様でしょう。その神様が一人の個人の守護霊になって、他の人を守らないって言ったら、それだけで嘘が見え見え。(笑) また守護霊さんがコロコロ入れ替わるのであれば、その人を責任もって守れない。
世の中にはいろんな説があるから惑わされてしまいますね。

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     業の影響

質問 自分は現世は過去の業(ごう)やカルマに強く影響されているように思うのですが…。

 業は英語でGO!(笑) 業もカルマも過去のものです。「ありがとうございます」で過去のものを捨てて新しいプラスのものを受けとれます。過去を掴まずに「ありがとうございます」と唱えれば放っておいても業もカルマもさっと消してくれます。消えるのを待たずに無理やりにでもサーッと消してくれますから心配いりません。簡単にスーッと消してくれて業からもカルマからも影響を受けなくなる。大丈夫。

質問 自分の周りにも業やカルマに強く影響されていると思える人がいるのですが…。

 
騙してでも「ありがとうございます」を唱えさせてあげればいいですね。唱えたら必ず変わって来ます。上手に方便を使って唱えさせてあげるとすぐに効果がでてきます。といっても大人はちょっと騙しにくい一面あるのですけど。(笑) 子供だったらご褒美を目の前にぶら下げて「これ上げるから千回唱えて」といえば素直に唱えてくれるんですけど…。(笑) 子供のころからそうやって唱える練習をつけさせると大人になってから楽ですね。
大人になっても「ありがとうございます」が出やすくなります。子供のころからそうやって上手に育ててあげるのがいいですね。
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     その他の真言

質問 アーメンなどのマントラやその他の真言を唱える事は、どの程度効果がありますか?「ありがとうございます」の代用になり得ますか?

 代用になるほどの中身はないですね。全てをひっくるめたのが「ありがとうございます」です。「ありがとうございます」で1つであらゆる真言を全部束ねてしまいます。この世に出ているいろいろな真言がありますけれども、この世に全部は出ていないです。あの世この世の真言を全部ひっくるめて「ありがとうございます」になります。だから他のを唱えなくてもいいですね。「ありがとうございます」だけで全てになります。
………………・・




     お金の価値

質問 (不明)

 お金は約束事や信用度合いを現しています。だからお金自体には絶対価値はありません。
お釈迦様の話に「貧者の一灯と、長者の万灯」というものがあります。小金持ちの人はたくさんのお金を寄進して万の燈篭をたてる、一方でいくら働いても少ない収入でギリギリの生活をしている貧者が一生懸命汗水流して働いて得た一番大切な収入を出して「一灯」を捧げる。最後まで消えずに残っているのが「貧者の一灯」といいます。ずっと輝きつづけている。それくらいの違いがあるというたとえ話ですけれども、お金も同じですね。

 汗水流して世の中のために一生懸命働いて、そしてちょっとだけもらったお金。これは貧者の一灯と同じで輝いたお金です。ところが宝くじ当たって得たお金や、人を騙して得たお金、安いものを高く売って大きな利潤を得たお金などはぜんぶあぶく銭です。だからそれらのお金には価値はありません。一生懸命働いて得た一万円と、あぶく銭の一億円では、一万円の方に価値があります。一万円が人を幸せにする。一億円は人を不幸にするぐらいです。お金に絶対価値があるのではなくて、お金にどう言うものがくっ憑いているかが重要です。汗水たらして働いて得たお金には光がついています。あぶく銭には人の思いや業が憑いています。だからあぶく銭を手に入れた人は損をします。銀行を通して回っているお金には両方あります。
 感謝している人は光のついたお金を自然に集めます。感謝を忘れた人は働いてお金を得たとしても業のついたお金を自然に集めます。現在流れているお金にいいのは少ないからちょっと汚いのも混じってきます。(笑)

 
だから一回神様のほうに預けるのです。もらったお給料に「ありがとうございます」と一万回ぐらい唱えたら光り輝いたお金になりますよ。だからあぶく銭一億円もらおうなんて思わないでいいですね。一万円で十分。ありがとうございます。

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     受けて循環

質問 お礼やお返しの金品は貰わないほうがいいのですか?

 貰わない方がいいです。自分が貰わないという気持ちで相手の幸せのために尽くせばいいです。
ただ相手からどうしてもこれを受けとってほしいといわれたら受けなくてはなりません。無理に断ることは相手の気持ちを殺してしまいます。相手も与えて幸せを感じますから。そういうときは与えてもらう事がそのまま相手に幸せを与える事にもなります。相手から貰ったものを感謝していただいて、貰ったものを世の中のためにまた活かして使ってあげたら、与えた人も徳を積めます。相手を幸せにするためにも受けて大きく活かしてプラスに使ってあげる事で、大きなプラスの循環ができます。受ける事は愛の交流として大事です。相手に求める心さえ起こさなければそれでいいです。

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     成功

質問 目標を達成したい。

 いい結果を先にしっかり心に受け入れて感謝するのが大事ですね。ゴールを先に掴んでしまう。そうすると途中はゴールに合わせて自然に整います。ゴールは感謝を深めたら見えてきます。感謝の奥に無限の無限の大成功という姿がちゃんとあります。ゴールに到達した姿を受け取ったら途中はどんな経路を通ってでも必ずゴールに到達します。放っておいてもゴールに到達しますから、あとは自然に任せて自由自在にいいことをどんどんすればいいだけです。
ゴールを先に掴まなければ途中でいろいろな「思いの霧」がたちこめます。ゴールに向かっているようで、実は迷ってチグハグに行くことになる。思いの霧の中でぐるぐるおんなじところを回ったりしてしまう。感謝するということは「思いの霧」をスッと晴らしてしまう事です。するとゴールが見えてきます。見えたら後は一直線。障害なしに全部整ってきます。そういう生き方は楽ですね。

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     感情の動物

質問 人は「感情の動物」と言われています。感情のままに素直に生きる方が、本来の自分らしく生きられるような氣がします。ただ、現実をそのように生きると他人との間に摩擦が生じることが多々あります。

 言葉通りになって行きますから「感情の動物」と言うと、感情の動物らしくなっていきます。それはまだマイナスの言葉です。「人は神様であり、愛深い存在である」というようにプラスの言葉を使うと、調和の姿がすっと出てきます。人は「感情の動物」でも「考える葦」でも「思う存在」でもなく、感謝する神様です。ありがとうございますと唱える事が神様になる事です。人は神様だから神様らしい姿をとって、この世に大調和を現します。

質問 なるほど、「ありがとうございます」と言えば摩擦も生じないし、反感を持つ人も和らぎますね。

 もし、反感をもつ人が出てきても「すばらしい演技をされている神様」とプラスに捉えると、こちらは傷つかないです。(笑) 私はそのような人でもただ感謝して喜ぶだけですね。

質問 ありがとうございますはとことん脳天気ですね。

あははは、ありがとうございます。(笑)

質問 ありがとうございますのようになりたいです。

 
3ヶ月あればなれます。ただちょっと条件があって、みんなのために神様のために自分はお祈りさせてもらっているという気持ちを持ってもらうことです。そうすると、みんなのお祈りも神様のお祈りも自分の中に全部合計されます。自分だけのためにお祈りすると小さくなりますから。みんなのために一心に「ありがとうございます」を唱えつづけると3ヶ月で私以上になります。




     テロ

質問 9月11日に起こったテロに対しても「ありがとうございます」と思った方がいいですか? 

 そうですね。自分の大きいマイナスを身代わりになって消してくださっていると見た方がいいですね。自分は無限の無限のマイナスを過去に起こしてしまったと見た方がいいですね。自分は過去にマイナスの言葉を撒き散らしています。マイナスの言葉を発したら、その言葉はすぐに消さない限り宇宙を駆け巡ります。利息がいっぱいついて、一言のマイナスの言葉が瞬く間に膨らんで無限のマイナスに変化します。
 誰しも「無限の無限のマイナスを自分は積みかねてしまっている」と謙虚になれた方が神様に感謝が深くなります。「いつもいつも無限のマイナスを免除しつづけてくださってありがとうございます」という姿になれます。免除ばかりだと気付かないから、ちょっとマイナスの勉強材料を残してくださっていると見た方がいいです。そうするとテロの姿に対してもマイナスにならないですね。「無限の無限のマイナスをこんなに軽くしていただいてありがとうございます」と感謝に代わります。自分がテロを実行する立場や受ける立場に立ったら苦しいでしょう。身代わりになってもらった方が楽ですね。テロに対しても、それで亡くなった人に対しても感謝の心を持つ方がこの世を早くプラスに代えて行けるはずです。
 感謝の祈りをまだしていない人や出来ていない人は、それはそれでかまいません。でも、感謝に入った人はテロに対してもそのように拝めたら、神様から大きい力をもらえますから、世の中を良くするお手伝いできますよね。
 いろんな事件が起こるたびに、さらに感謝を深くすることができます。喜び事になります。マイナスに見える事件は、みんなが感謝を深められるための勉強材料にできます。感謝を出来ることが本当の幸せです。地球上全部の人が感謝を深められる方がいいでしょう。神様は感謝を深められるようにいろいろな勉強材料だけを残してくださっています。だから自分がそれらのことを感謝して見ていたら、どんどんプラスの働きになって世の中を変えていきます。




     ピースポール

質問 「世界人類が平和になりますように」というピースポールの言葉は、平和でないと言う前提に立っていますから、別の言葉に代えたほうがいいですか?

 ピースポールは「平和になりますように」ではなくて「平和でありますように」と書かれています。「平和であります」というのは、「最高表現の世界が平和であります」ということです。その最高番組がこの現実に現れますようにと、途中に救済の神様を置いて、伝えていただくためのお祈りです。最初から「ありがとうございます」で完成の世界へ入れたら一番いいのですけれども、みんながみんないきなりにできないかもしれませんから、これも最高表現へ向かう入り口の1つとして見たらいいです。「平和であります」というのが断定で、あとは救済の神様に助けてもらう。ピースポールもプラスのお祈りですね。
 ただ、世の中には神様を信じている人と信じていない人がいますね。
神様を信じていない人がこの「世界人類が平和でありますように」と唱えてもあまり力がありません。伝えてもらう神様を無視するからです。言葉だけではちょっと弱いです。ですから神様の働きをしっかりと認めている人が唱えたほうが効果が大きいです。
 
「ありがとうございます」も同じです。何か物をもらって「ありがとう」というのは神様を無視しています。神様をしっかり捉えて唱える人の「ありがとうございます」は一回でも大きい力があります。そのような違いがあります。
 違いはあるけれども「ありがとうございます」を唱えつづけていると、自然に深まります。無神論者でも「ありがとうございます」を唱えている内に、最初は小さい助けでも順番に大きくなって本物になっていく。ですから神様を捉えていなくてもそれなりに効果はあるのですが、最初から大きい光をすぐに受けられるか、小さい光でないと受けられないかの違いがあります。「ありがとうございます」は適確に相手に合わせて光を与えて下さる言葉です。
ありがとうございます。






ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます

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19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.32.33.34.
35.36.37.38.39.40.41.42.43.44.45.46.47.48.49.50.
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.52.53.54.55.56.57.58.59.60.61.62.63.64.65.66.

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