ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます

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以下(いか)のコラムは宗教(しゅうきょう)サイトではありません。古神道(こしんとう)研究(けんきゅう)ノ−トです。またその内容(ないよう)に責任(せきにん)を保持(ほじ)していません。さらに著作権(ちょさくけん)も行使(こうし)しません。どうぞ自由(じゆう)に使(つか)いまわしてください。できればちょっとアレンジしていい感(かん)じになったよというのをどんどん、是非(ぜひ)メールでお知(し)らせください。

ar55霊動2001.10.21

☆昨日ここに来てから意識とは関わりなく、ずーっと身体に振動を感じるのですが・・・


ーありがとうございますー

 お祈りとか瞑想とかすると霊動というのが起こる人があります。いろんな霊動の種類がありますが、自然な目立たない霊動は体の調子を自然に正しく元に戻してくれたり、神憑り的になって飛び跳ねたりすると少しおかしいんですけど、神様にマッサージをしてもらっているようなものです。

☆頚椎に異常があって右腕が痺れているんですが、ありがとうございますのお話を聞いているとその症状が強く感じられますが・・・

ーありがとうございますー

 消してもらう働きでそういうものが浮かび出てきます。
みんなそうですがマイナスが出る時というのは必ずそれが浮かび出て、それの何十倍も何百倍も大きく消してもらう時です。心の中にはその表面に出ているものと似たようなものがいっぱい貯まっています。何万倍か何億倍か貯まっていてもそれに気付かないだけで、消す時は必ず神様のほうはその確認を取りに来ます。心に貯めたマイナスというのはこの世だけじゃないです。過去世が無限に長いからその分も考えると表面にマイナスが出た時ほど本当は喜べばいいんです。この何万倍か何億倍か消してもらったというふうに、そういうプラス思考だと心はすぐにスッと晴れてきます。そういう虚のプラスを数えるような勉強も大事です。
 動きというのはたくさんあって神がかりになって神様が自動的に動かして字を書かせたりする自動書記とかいろんな働きがありますが、普通の霊動は元に自然に戻す為の働きです。神様のマッサージと思ってそういう時はお任せしていたらいいです。




新たな縁

☆娘が誘いを受けてもこういうところへ来ることが出来ない、大事なことを外してしまっているように思えますが・・・


ーありがとうございますー

 どういう状態もマイナスにみなくていいんです。プラスにプラスに見て感謝していけたら、必要ならちゃんとなるんです。本当に必要なら必ず来ることが出来ます。ここへ来るにも時期は大事です。来るのが早すぎるとそのときの自分に吸収できるものが少なかったら、こんなものか・・で終わってしまいます。ちょっと時期が早すぎるだけでそうなってしまうんです。本当に大事なものが吸収できる時期が大事なんです。そのへんは神様がちゃんと加減していいようにしてくれています。

☆ここへ来れる人は昔からの何かの縁とか因縁とかがあるということですか?

ーありがとうございますー

 ここに来る人は神様からの新しい縁で来るんです。過去の縁ではないです。過去のくされ縁だとお互いに足を引っ張り合ったりしてマイナスへ向かって下へ下へと落ちていきます。神様の方から助けが来て新しい縁をどんどん結んでくれてプラスへと向きを変えてくれるんです。           
 因縁という言葉には過去を掴んでの闇の因縁というのもあります。神様のほうから結んでくれる新しい因縁は光の因縁です。新しい縁です。

☆ここへ来ることは生まれる前から計画として決まっていたことなのか、一瞬一瞬新たにということで今世で発生したことなのか教えてください。

ーありがとうございますー
 本当に自分が決めてきたんなら自分で全部判る筈です。でも新たに新たに自分の選ぶものは変ってきますから、こうするんだと過去に決めてきても気持がころころ変るに連れて方針が変るかもしれません。常に今の一瞬、新たに新たに選び続けて今の状態においてもらうんです。決めたからとそれに縛られているなら奴隷と同じです。一瞬一瞬の自由な選択が一番大事で、だからいくらでもいいものをどんどん選んでいけるんです。過去に選んだままに進むなら神様からのいくらいいプレゼントの変換が出来てもそれを捨ててしまうんです。常に自分が新たにいいものを選び続けているという方がいいです。
普通マイナスへの傾向をずーっとたどる人は、他からいっぱいプラスへのキッカケになる縁を与えてもらっても全部拒絶し続けます。でもそれならその人に本当の自由はないです。プラスへ向くときは必ず自分が新しい縁を選んでいるんです。それをいつ自分が選ぶかだけでそのチャンスはいつでも周りにいっぱいあります。



悟りの深み

☆人間界にいた人が神様になることもありますか?

ーありがとうございますー

 みんな元は神様なんです。一番奥の本体の自分は宇宙の親と一体の自分で、無限に無限に輝いた素晴らしい自分です。その自分がいろんなチャンネルへ降りてきてその中の配役として自分を使うんです。この世ならこの世に肉体を持って生まれてきて、その順番にまた高い番組へと昇って神なる本体の自分へと戻っていくんです。奥にいるだけのそのままの自分がいいか、また低い番組まで降りてきてもう一回戻った自分がいいかというと、一回この世に生まれて来て悟りを開いて戻った方が深みがあるんです。この世に出て来ていないで奥で悟っている神様よりはるかに深みのある格の高い自分になれます。お釈迦様などはこの世に生まれてきて悟りを開いて元に戻ったというかたちをとって、そうすると同じむこうの世界でも尊敬されます。



般若心経

☆般若心経が素晴らしいと聞いたことがありますが、ありがとうございますと較べるとどうなのですか?

ーありがとうございますー

 般若心経の説いている真髄はありがとうございますなんです。一行目に観自在菩薩。行深般若波羅密多時。照件見五蘊皆空。度一切苦厄。がありますが般若波羅密多は祈り言葉で、意味としては新たな全徳の無限の無限の輝きがいっぱいというような祈り言葉になっています。これはありがとうございますなんです。ありがとうございますを深く祈ると五蘊皆空=すべてのものが空に見えてきます。空というのは絶対とか光源を表します。光源と現れがひとつになるというのは、光源をまともに見ると光源と放射された光とが一体化して見えます。そこにはもう一切の闇はないです。無限に無限に輝いた姿だけをとります。そうすると一切の苦厄が消えてなくなります。ありがとうございますは神様にまともに向く言い方です。そして無限に無限に輝いた姿を一瞬一瞬受け直しています。ありがとうございますが般若心経の本当の真髄を表すんです。一番最後の羯諦羯諦波羅羯諦は祈り言葉でこれを日本語に直すとありがとうございますなんです。羯諦は輝いているで、波羅は無限にですから、輝いている輝いている無限に輝いているということです。ありがとうございますは無限に無限に輝いているという意味ですから日本人はありがとうございますでいいんです。般若心経全部読まなくてもいいです。般若心経は説明文です。ありがとうございますという祈り言葉を唱えたらそれで充分です。



「ありがとうございます」の意味

☆ありがとうと、ありがとうございますの差をもう少し教えてください。

ーありがとうございますー

 言霊的に解釈して区別すればいいんですけど、ありがとうは「あ」が絶対とか光の源、命の源で「り」はラ行音で螺旋状に全てが放射されて組み合わさるという、総体におかれた全部、これも組み合わせは無限に複雑なんですけど、螺旋状に組み合わせると相似形の姿で無限に交わりが出来ます。入れ子構造の宇宙が生まれるという意味で「ラ行」の「り」を使います。「が」が輝いて輝いているという「か」をダブらせています。無限に無限に輝いているという意味です。「とう」は十字、自由という意味で全ての総体の両極を自由に組み合わせて大調和させるという意味で、だからありがとうで神様の無限に無限に輝いた宇宙という最高表現を指しています。それが「ご」で凝り固まって凝り固まっていって時限を順番に下げるという意味で最高表現を頂点にして無限の無限のチャンネルを生み出している働きです。「ざ」は「さ」をダブらせてさらさら流れ移り変わるという一瞬一瞬中から花が開くように咲くように置き換えが自然に行われている姿です。今あるものが変化しているのじゃなしに一瞬一瞬の置き換えでさらさら流れているんです。その変化、無常というのがバックに神様があって本当に素晴らしい置き換えなんです。「い」は命の「い」で全てが生きている、石ころ一個も原子一個もどんな小さい素粒子でもみんな神様の命を生きているという命を輝かせて躍動しているんだという意味です。「ま」は全きもの完全なもの完璧なもの、全てが完璧極まりないということで「す」でまた絶対を表して今現れたもの全てが絶対へ戻っていく循環する姿で、「ます」でどんどん増えて良くなるような姿をとっているんです。
 
 
ありがとうだけでは神様の最高表現を指すんですけど全部ではない、この世まで降りてきている姿まではないです。神様の最高表現を頂点にさらにこの世の物質化された姿、全ての無限の無限のチャンネルまで心を向けないといけないんです。それも一瞬一瞬の置き換えで常に循環しているんですから「ございます」をつけるのとつけないのとでは全然意味が違ってくるんです。ありがとうございますは神様の働きの全てを表す全体像を指し示す言葉になります。普通ありがとうを使う時はちょっとした感謝、お礼のような感じですが、本当の神様の名前というふうにとらえる時は、ありがとうございますになってしまいます。これがありがとうございましたになると、過去の一瞬に対するお礼のようになりもうひとつまた小さくなります。だから神様の名前を呼ぶという意味のありがとうございますは、無限の過去から永遠の未来までの全部に対しての深い感謝になります。一回きり護ってもらうんでなくて、ありがとうございますで無限に護ってもらう方がいいです。

☆先に「どうも」をつけるのは意味がありますか?

ーありがとうございますー
 どうもとか本当にとかは、人間の側が勝手に付けている言葉です。本当の神様の名前を呼ぶ時は、純粋なありがとうございますのひと言でいいです。別に付けてもいいんですけど、そういうときはあまり神様に心が向いていない時です。宇宙の大神様に本当の神様の全体像への心の向け方だったら、ありがとうございますの一言になるんで余計なものを付けたら邪魔になります。

☆「あ」と「す」は絶対ということで意味としては同じものを指すんですか?

ーありがとうございますー
鳥の「す」とか 住まいの「す」とか一番奥という意味はあります。そこから全てが生み出され出発するという意味では「す」の方がもうひとつ奥かも知れないです。「あ」のほうはそこから光とか命とか無限に無限に輝いた姿をとって出て来ていますから「あ」のもうひとつ奥が「す」かもしれないです。まだ何の働きも表に出そうとしていない本当に澄み切って奥にじっと動かないでいる状態みたいです。絶対というと単純にひとつのように思うんですけど、本当はそうじゃなくて絶対ほど無限に躍動している世界はないです。古事記に天之御中主神という絶対を表す神様の名前が最初に出て来て、その後ずーっといろんな神様の名前がいっぱい出てきますが、それはみんな絶対の中の細かく分けた働きの違いです。伊邪那岐、伊邪那美の神が出てくる前の神様はみんな絶対の神様です。中身はすごく複雑です。その一番奥が「す」かもしれないです。



宇宙人

☆ありがとうございますがあることは日本人の特権のようなものですか?

ーありがとうございますー

 日本人というより日本に生まれた人は過去にいろんな国に生まれていろんな人種に生まれ変わっていろんな体験をたくさん積んで、部分的ないろんな勉強を済ませてきて全体を一つにまとめる役割として日本に生まれてきています。
そういう意味では、日本人というより日本に生まれた人は、その役割としていいものをいっぱいもらって世界へそれを与える役目です。日本人がずっと日本人という訳じゃないですから、いろんな国に生まれているし外国の人も日本に生まれるし、そういう意味では区別できないです。地球人といった方がいいかも知れないですし地球人といってもまた他の星や天体に生まれ変わるのでそうなると宇宙人です。

☆それだと過去世というのも地球での過去世だけではないということですか?

ーありがとうございますー

 そうです。過去を掴むのでも番組ごとに全部過去があって、過去現在未来と全部がひとつの番組に揃っています。どの番組の過去世を読むかも全部番組ごとに違います。

☆宇宙人にもプラスとマイナスがあって、地球とコンタクトしているような話を聞きますが・・・?

ーありがとうございますー
 
 宇宙人というのも本当の意味は意識が宇宙大に大きくなった人が宇宙人なんでしょうけど気持が小さいとその星の人という感じなのでしょう。地球が自分の家というふうに小さくなったら地球人です。そのレベルだったら他の星の人は火星人とか異星人といった方がいいかも知れないです。
 宇宙人もプラスの人マイナスの人ありとあらゆる人がいますし、地球で波の合うもの同士とのコンタクトは起こっています。だからUFOも宇宙人も本物と偽物がいっぱいあって、この世に出てくるとしたら本物は少ないです。まだ今のレベルでは肉体を持って本物のUFOには乗れないです。本物とは波の違いがあるので魂の方が波動をあわせてちょっと乗せてもらうという感じです。UFOを操れる宇宙人は心境が高いです。だから地球を攻撃したりは絶対しません。攻撃に来るとか侵略というようなものは偽物です。



光の受け方

☆光の受け取り方について教えてください。たとえば太陽とか星空からの光をメッセージとして受け取ればいいのか、それともただ見せてもらっていると受け取ればいいのか・・・?

ーありがとうございますー

 この世の光も電磁波的ないろんな種類の光がいっぱいあってその光の綾模様がいろいろ見えるんですが、これも一瞬一瞬見て楽しむだけなんです。本当はこの世以外の光の姿もチャンネルごとに全部違う光があるんですが、それも一瞬一瞬受けて楽しむだけでいいんです。ただまだボーっと見えてます。他のチャンネルだとボーっと見えるんです。同じ光でも物質界を照らすような電磁波的な光じゃなしに、たとえば知恵の光とか愛の光とかいうと、どういう光かちょっと判らなくなるんでしょうけど、全部光という言葉を使うんですがこの電磁波的な光だけが光ではないんです。命の光なんですが命の光が見えるかというとちょっと見えないです。ありとあらゆる光が神様の特性ごとに違う光があるんで
それが無限に複雑に組み合わさって光の綾模様が生まれているんです。だんだんといろんな光の感じ方が変ってくると思います。あまりそれに囚われなくていいです。いろんな光の変化を楽しんで受けたらいいです。





☆空の雲が人の気持を反映することはありますか?

ーありがとうございますー

 人の心は天象に現れます。ひとつの見方として人の心が雲に現れることもあります。人の心が暗く沈むと雨雲的な雲が漂うし、前の湾岸戦争の時なんかは雲が赤黒く変化しました。今まさに戦争状態という姿をとって的確に人の心を表してくれます。白雲が悠々と漂うなら人間の心がそういう状態かもしれないです。それもひとつの見方なんです。原子や分子も神様の命を個性豊かに生きているから、そういう意味ならみんな生きている意思があるといえます。そういうふうに雲を作り上げるのも雲自身の表現かもしれないですし、見ている側との両方のものがあります。



悟りの道

☆小冊子に悟りの道は上に行くほど厳しいとありますが、それはこの世的な三次元のことですか、それとも無限の無限の上のほうを指しているんですか?

ーありがとうございますー

 両方です。この世でもそうですし上へ行くほどそうです。言葉の使い方ひとつにしても最初はマイナスの言葉を少々使ってもいいですが、だんだんとひと言でもダメというふうになってきます。よほど気をつけておかないとと厳しさが増した感じがします。それでないと力がつかないです。山登りもそうですが、下のほうは緩やかで広い道で登りやすいです。だんだんと険しくなって細くなってそれだけ注意力も必要でそれで力がつくんです。

☆いったん登ってまた落ちてしまうこともありますか?

ーありがとうございますー

 もうひとつ力をつけに行くんでしょう。一回山へ登って力がついて、素晴らしいなと思って今度は下から登ってくる人の応援に行くんです。また一緒に登って一段と力がつくんです。落ちてしまうというよりも助けに降りてもう一度力をつけに行くんです。どんどん強くなります。最初は一回登るのにかなり時間がかかりますが、次は楽に短い時間で登れます。それがどんどん時間が短縮されていくと凄い力になってます。登るコースも変えるかもしれないですし無駄なことはないんです。

☆もう一度登ろうという不屈のエネルギーの根源は一体なんなのですか?

ーありがとうございますー

 困難に戯れて楽しんでいるんです。自分の本当の素晴らしさを困難な問題と戯れて力を発揮して、本当の意味の素晴らしさを確認しているんです。いくら無限の力を持っていてもじっとしていたらあるかないか判らないです。地球を持ち上げる力があるといっても箸を握っているだけでは判りません。自分の力を試したいところがあるので困難に挑戦していくんです。そして無限の力を発揮して自分の素晴らしさを確認して喜ぶんです。



神様の助けは中から

☆お金も必要な分は神様が下さるのですか?

ありがとうございます

 お金でもなんでもそうですが正しい使い方が判ったら、必要なだけちゃんと与えてもらうんです。正しい使い方が判らないと持ったら傷つくんです。使い方が間違っていたら人を傷つけ自分も傷つけます。お金も正しい使い方がわかったら必要に応じて必要なだけ与えてくれるのが神様の助けです。余分にあったら困ります。少なくても困るんですけどそれは神様のほうがちゃんと見てます。使い方が判らない人がお金を持つと世の中に害毒を流します。使い方が少し判っていて入りすぎると洪水のようになります。それで流されてしまうというマイナスが起きます。余分に入りすぎるより少し少ないくらいがいいです。お金に頼るより神様に頼った方がいいんです。
 本当に必要なものを手に入れるときは神様の助けは中から働く力になって出てきます。
棚から牡丹餅式に外から与えてもらうのは神様の助けじゃないです。本当の神様の助けは中から働く力で出て、何倍でも働けてそれで必要なものを手に入れるようになります。外から助けてもらうのは借金のようなもの借りなんです。返さないといけないんです。でも中から湧き出る神様の力で働いたものは借りじゃないです。働けば働くほど貯金を増やしています。
 本当の極楽世界というのは、無限の能力を発揮して働く働き者ばっかりの世界です。じっとしていてご馳走がいっぱいというのとは違います。逆です。この世だと何もしないで怠けてたくさんものを与えてもらうのが幸せで極楽と思うかもしれないですが逆なんです。極楽世界の人は働き者ばっかりで皆に尽くすばっかりで、そういう人が集まると、自分も周りから与えられて尽くされて困ることは絶対にないです。怠け者が極楽なら困ります。誰も働かなかったら食べるものもなくなって餓鬼道のような状態になってしまいます。



パートナー

☆男女の縁も神様の助けがないと成就しないのですか?

ありがとうございます

 それは好きな人を選ぶだけですが、与える生き方を練習する意味なら低い方を選んで与える量が多いほうがいいです。低い方を選べばいっぱい与えられます。相手が無限のすばらしいものをいっぱい持っていたら、与えるものがなくなります。最低の人を選ぶのがいいんです。そうしたら自分が一番早く立派になれます。与える対象がひとりの人だったら最低の人を選べばいいんですけど、与える対象を世界というふうに広げて世界をよくする為だったらいいパートナーがいいです。自分を助けてくれる人がいいです。それも選択肢の一つです。



神と教え

☆アフガニスタンなど宗教による戦争が激しい状態は収まらないんでしょうか?

ありがとうございます

 今回は大したことはないんでしょうけど、いろんな宗教が教えがあって、みんな教えに縛られ過ぎています。教えは本当の神様を指し示す言葉です。本当の神様をしっかり掴めばいいんですけど、教えを掴んでしまっているんです。教え自体は大したことじゃないのに、それをけなされたら腹を立てるんです。つまらない教えを最高と思い込むからダメなんです。本当の神様は教えなんていうものじゃない、教えなど取るに足らないものです。本当の神様は無限に無限に素晴らしい愛の塊のようなものですから、人を殺しては絶対にいけないです。皆を幸せにするばっかりなんです。だから教えに縛られなくなったらいいんです。
偽物模型を本物と思い違えているところが多分にあります。イスラム教でもアラーの神が唯一絶対の神というのですが、それなら本物の神様をしっかりとらえたらいいので、それだと宇宙の全てを包容し尽くして皆を幸せにする働きをするんです。喧嘩する人は教えだけの神様です。自分の信じている神様を最高でと自慢する必要は全然ないんです。みんな同じでみんなが本当の神様を信じていっぱい幸せにしてもらっているんだから、自分だけが一人本物の神様信じていても何もないです。みんな仲良く助け合って喜び合って感謝し合っていけばいいだけなんです。
 最初はみんな偽物に模型にだまされるんです。大仏さまといっても本当の大仏様は宇宙大の大きい神通自在の神様を指しているんで、奈良の大仏様も鎌倉の大仏様も、模型の模型もう一つ小さい模型なんです。お土産などにもっと小さい大仏様がありますがこの大仏様は本物だと力があると錯覚するんです。宇宙大の大仏様が本当の大仏様なので、自分は宇宙大の大仏様の愛に包み込まれているのですから、小さいお守りの大仏様はいらないです。そういうものに頼るのは偶像崇拝信仰です。幼稚な間違った信仰に陥ってしまうんです。
ありがとうございますは、本物の神様をとらえて宇宙全体から護ってもらう生き方です。小さい枝葉の神様仏様は要らなくなります。この神様に護ってもらわないと決めたら、他も神様が護ってもらえない可能性があります。神様はは謙虚なので、あの神様が護っているんなら私は引っ込もうかと、お互いに譲り合ったら、護って欲しい神様も護ってくれなくなるかもしれないです。ありがとうございますは、全部から護ってもらえますからいいのです。



神様を実感する

☆この世で言ったありがとうございますは肉体を失くした後どうなりますか?

ありがとうございます

 ありがとうございますは肉体を失くしても、ますます奥へ入っていく神様を感じ取れる本物になっていきます。肉体がある間の方が、まだ漠然として感じ取りにくくなっています。奥へ入れば入るほど身近に感じ取り易くなります。肉体がない状態の方が唱えている人は感じやすいです。ただあの世でいろんな次元で唱えられたらの話で、唱えられなかったら低いところへ行ってしまいます。この世に生まれる目的は、この世でありがとうございますを唱える練習をして、唱え易い自分に変えるためなんです。その習慣性を身につけておくことです。そうするとあの世へ行っても、唱え易くなって感じやすくなり、神様を本当に身近に実感するようになります。

☆生まれ変わりの時に前世の記憶がなくなると聞きますが、ありがとうございますをこの世で言っていても、あの世へ行ったら忘れてしまうことはありませんか?

ありがとうございます

 そんなことはないです。生まれ変わりの時に記憶を少しなくするのは、大抵マイナスを抑えられてしまうからなんです。前の世で悪い事をしてきたら、今度生まれ変わっても顔を上げて歩けないです。それだと新しいいい体験を作れなくなります。それで過去のマイナスの記憶を押さえ込んでおいて、明るく新しい生き方を取れるようにしていっぱいしてから、もう一回振り返る時が来たら過去もプラスに思い返せるんです。
過去のマイナスに引っ掛からない自分になったら過去世が見えてくるんです。借金が無限にあるのに、今働きなさいと言われても働けないです。利息が増えてどんどん膨らむのに、いくら働いても返しようがないとなると働く意欲がなくなります。そういうのとよく似ています。働く力をつけさせる意味で借金を一時棚上げにします。それは守護霊さん守護神さんが背負って肩代わりするんです。力がついたらまた恩返しという働きで、人の借金でも背負って助けてあげようかというふうになっていくんです。

☆唱える回数は関係ないということですが、ありがとうございますの初心者にとっては、深いところにより近づく意味で何回唱えたかは大事なことなので、例えば24時間とにかくぶっ通しで唱えるとかするのがいいのでしょうか?

ありがとうございます

 そういう言い方もあるし、何回唱えたらご褒美としてこういう奇跡が起こりますと見せてくれるのもいいし、唱え方も無限にやり方が変っていいんです。
どんなやり方でも練習したことはしたことになります。練習したことが大きくなり深くなりという力になります。



先祖と供養

☆先祖供養ということでお墓を大事にするというのをよく聞きますが、死んだら本当にあの中に入るのですか?

ありがとうございます

 低い番組だと本当に入ろうと思ったら入リ込むんです。それで石牢に閉じ込められてそこに水が貯まると溺れます。あれは苦しいでしょうと思います。そういうマイナスの思い方はあまりいい事はないです。低い番組へはまり込んでいくので、だからこの世を去ったら自分は光輝いた自由自在な世界へ昇るんだというのがいい、だからお墓なんかには入らない、入ったら駄目です。
そういう言葉の使い方思い方がマイナスなんです。無限に輝いて助けに助けてくれている先祖に対して、迷っているなどと決め付けるのはものすごく大きい失礼です。祟るなどと言ったら無礼千万です。それはススキの穂を見て幽霊と思うようなものです。自分が勝手に低く思い込んで低い番組にはまり込んでそういう体験をしているんです。ご先祖様にとったら迷惑です。本当は肉体の親子関係というのは違うんです。肉体の親から子供は生まれていないです。一瞬にして置き換えるという意味で高い世界からの物質が原子なんです。ただ肉体の親から出たという錯覚をするだけで本当の親は神様です。仮にそう見えたというだけで、そう思うのも別に悪いことではないです。
 親から生まれたと感謝することは悪くはないですが、過去を掴むという意味ではマイナスになるかもしれないです。一瞬一瞬の新たな受け直しがそれで出来なくなります。過去に引きずられていって長い過去を掴めば掴むほど低い番組に落ち込んでいきます。今一瞬神様が親の姿をとって、または今一瞬子供の姿をとって現れているというのであれば過去を掴まないで済むんです。自分の親だ子供だと掴んで言わなくても、みんな神様の愛の変身の姿だと受けられるほうがいいです。いろんな見方捉え方が出来ますしそれも自分が選んでいくんです。どういう受け方をして幸せになろうかと選ぶんです。それもチャンネル毎に違うし、先祖のエネルギーの影響を受けるチャンネルも今はまだ多くありますから、過去を掴む言葉が多すぎます。だからありがとうございますで、一瞬一瞬神様からいいものをいっぱい受けなおす生き方になったら、もう過去を掴まなくなるから番組がどんどん上るんです。全然違う番組に変化するんです。

☆そうしたら墓参りはしないほうがいいんですか?

ありがとうございます

 本当はお墓に行っても(ご先祖様は)居ないですし仏壇も要らないんです。
本当の仏壇はこの肉体が最高の仏壇です。神様が作った肉体という最高の仏壇でありがとうございますと祈ったら全ての次元に通じます。全ての次元のご先祖様が中に入れる大きい仏壇です。肉体は宇宙大に拡がる仏壇です。わざわざ人工的に作った木の仏壇は大したことないもうひとつ小さい模型です。ありがとうございますを唱えることでいろんなしがらみや縛りを全部順番に消してもらったらいいです。唱えなかったらやはりいろんな縛りにあったまま続きます。



全体と部分

☆ありがとうございますを唱えることで、宗教宗派に関係なくそのとき一番いい神様が助けてくださるということですか?

ありがとうございます

 必要だったら全体からも部分からも自由自在に必要なだけの助けを必ず与えてもらうんです。

☆働きとしてはいろいろあるけれど、総体として根源の神様のエネルギーはひとつということですか?

ありがとうございます

 そうです。全部を一つにしてみる見方がありがとうございますです。バラバラにしてみると比較してみたりいろいろおかしいことになります。



思いが欲に変わる

☆肉体にとっての睡眠時間の必要性も縛りの世界ですか?

ありがとうございます

 高い番組だと全然寝ないです。寝ている時間がもったいないので、24時間プラスアルファー起きています。五欲の心に睡眠欲というのがありますが思いが欲に変るんです。思いというのはやはり縛り、自己限定です。縛られるとだんだんと動けなくなります。そして
楽に怠けてというそれも睡眠欲と一緒です。疲労が回復しないというのは弁解の言葉です。

☆五欲について、今の自分では全く食べないと死んでしまうと思うのですが、ここから先は欲になるという基準を教えてください。

ありがとうございます

 神様は必要なものを的確に与えるので 必要なだけが神様から与えられたもので、必要でないものは欲の方です。食欲でも健康維持するだけに必要なものを感謝で受けていただくなら欲ではないです。それ以上に無茶食いしたり好き勝手に食べるのも欲のほうです。睡眠もそうです。エネルギーを補給してもらうのに必要なだけの睡眠時間はいいんです。それ以上に寝すぎたら欲に化けています。必要ないのに寝ている怠けているということになります。必要なだけは大丈夫です。何となく眠くても一回起きたら気分も晴れて爽やかになるから、また眠くなったら寝たらいいんです。一歩前にふっと踏み出せばいいんです。そうしたらすっとふっ切れます。

☆欲について中道を歩みなさいと仏教で言われているのは、神様の意思とは違うのですか?

ありがとうございます

 これも解釈はいろいろあります。両極に振り回されるのはあまりよくないという意味もありますが、絶対神の中心から出てくる生き方をするという意味なら最高なんだと思いますが、本当は左右に振れてもいいんです。両極を体験する方が変化に富んで面白いかもしれないです。常春というより四季の変化がある方が左右に振れます。プラスにもマイナスにも深くも浅くもありますから、中道を歩めと言う言葉もありますけど宇宙の大道は自由自在ですから、ここが真ん中というのはないです。自分が歩くところが真ん中かもしれないです。みんな勝手な思いで道をつけてしまうところがあるんでしょうけど、神様の宇宙の大道は全体が道なんです。自由自在に歩んでいいんでしょう。



思いやり

☆周りの人にプラスをお返しする時に思いやりが必要と言われますが、相手の状況を推し量るのは実際には相手のマイナスを体験していない自分の未熟な経験からで、そうなると本当の思いやりを持つことができるのか疑問です。

ありがとうございます

 ありがとうございますと神様を呼んだら、間違いは全部神様が消して正しく変えてくださるんです。思いやりと言うのは、神様の知恵が備わらないと相手に何が必要か的確に見抜けないです。神様に導かれて初めて思いやりが出てくるんです。ありがとうございますの中に本当の謙虚さがあり、神様に素直な態度がとれて神様の知恵に導かれて、自然に神様がいろんなことに使ってくださるんです。そうしたら思いやりの生き方をとっていると、傍から見てそう見えてきます。自分がするのでなく全部神様にしていただくんです。ありがとうございますと神様の働きを受け入れるだけなんです。



真祈り
 
☆ありがとうございますを、普通に言うのとお祈りの違いはどんなことですか?

ありがとうございます

 感謝も浅い状態はお祈りになっていないです。感謝の真祈りというんですけど深いお祈りのことで、自分の為のお祈りなどは小さすぎて本物じゃないです。宇宙全体へのお祈りで皆を幸せにするためのお祈りです。自分だけの為のお祈りではない本当の感謝の真祈り、皆の為のお祈りというのは、みんなのお祈りもまた自分に与え返されます。だから一回祈ると無限の回数をプラスしてもらいます。一回一回が無限の無限のありがとうございますになるのが本当のお祈りです。無限の無限のありがとうございますという言葉を使うんですが、自分のありがとうございますという一回のお祈りが全体の為のお祈りになるので、全体から無限の無限のありがとうございますを与え返されるんです。同時にありがとうございますが無限の無限のありがとうございますに変身しているんです。
 神様のお祈りはそういうお祈りです。自分がするのじゃなしに神様にさせていただいているお祈り、神様が自分を使ってしてくださっているお祈りです。絶対力のお祈りですからこの一回のお祈りは回数とか浅さ深さは関係なくて、神様のお祈りだから無限の無限のありがとうございますになります。最高の力が備わっています。それで宇宙の全てに必要な助けを的確に与え続ける働きをします。自力のお祈りでなく他力のお祈りでもない絶対力のお祈りです。一番シンプルなお祈りです。最初はみんな難しく考えすぎるんですけど、余計なものが取れてしまうと一番シンプルな、神様が自分の中で祈っているお祈りになります。一番シンプルなお祈りが中で響いているんです。



「感謝」と「思い」

☆自由な思い・・思いということについてもう少し教えてください。

ありがとうございます

 
神様から光がスーッと出て来てその光が新しい間は感謝なんです。だんだんと末端に行って古くなるほど思いに変化します。最初は明るい思いで、どんどん末端へ行って古くなるほど暗い思いマイナスの思いに変化します。光原に近いところで新しい光を受けるほど全てが輝くんです。一瞬一瞬新たな受け直しをずっと続けている限りは全部輝いて受けていけるんです。心は無限に無限に輝いた状態をとるんです。ところがその一瞬一瞬の受け直しを忘れるんです。そうすると古いものを掴んでしまいます。そうやって感謝を忘れているうちにだんだんと思いが出てくるようになってきます。最初は明るくプラスに思うんですがそれも古い過去を掴みだしたマイナスになっていきます。思いというのはひとつのことを思うことで執着になって囚われになって過去を掴んでしまう状態になっていきます。思いが心に貯まると記憶として残るんです。消えないんです。消えないとどんどん過去を掴むようになってマイナスが増えてきてそして番組をどんどん下げていくんです。
 思いで描いて作り上げると思いの形はできる、思い通りになることはなるんですがそれは小さい思いの通りに形を整えたというだけで、これは大したことないです。宇宙全体の光り輝いた素晴らしいプレゼントを受けるのとは、正反対の小さいところに閉じこもってしまう生き方です。だから思い通りにしたと言っても大したことじゃないです。思いで作り上げたものは思いを消されたら全部消えてしまうんです。でも神様の与えてくるものは消えないです。新しいものがどんどん生み出されて永遠不滅にいいものがズーッと続くんです。感謝を忘れたら必ず思いになるんです
。だから先ず感謝を優先的にしていかないといけないです。そうしたら過去の思いも消されるし思いが出なくなるんです。無念無想になるというのは本当は難しいです。思いはどんどん湧き出てきますから、それを消せない限りは限界が来ます。無念無想になって思いを抑え込んでも抑えきれないです。奥の方は消えていないから、いつか必ず顔を出して思いが出てきます。無念無想になるよりも感謝が大事ですいろんなお祈り瞑想でも感謝を加えないと効果がないんです。感謝を加えたら思いがどんどん消されて青空のような心になるんです。そのときに光のいろんな姿が神様が感じ取れてくるんです。感謝を加えるかどうかで効果が決まります。古いものが消えないと新しいものは受けられないです。一瞬一瞬新しいものを感じるほうがいいです。



一体化する悟り

☆過去に日本でも悟った人はいたと思いますが、その人達はありがとうございますに気がつかなかったのですか?

ありがとうございます

 浅い悟りでも深い悟りでも悟った人はみんな、ありがとうございますを唱えて、ありがとうございますで悟りをもらったんです。でもそれをずーっと唱え続けたらもっと悟りが深くなります。深いところが感じられて来ます。気付かなかったのは唱え方が少なかったかもしれないです。これで悟ったと思って、ありがとうございますを唱えるのを忘れたり、怠ったりするところもあるんでしょう。
本当の神様を呼んで助けてもらうのが一番いいですから、一番阿呆になってありがとうございますしか唱えられない自分になった方がいいです。賢いと他のことを思ってしまったり考えたりしますから、単純馬鹿というくらいがいいです。法然さんがあれだけの修行をして、知識量としても日本一の博学で最高の人なんですけど、その人が全部捨てて南無阿弥陀仏ひとつに絞り込んで一日五、六万回それを唱え続けて、どんな質問をされても全部忘れて「わかりません」と言うんです。仏教の質問なら全部答えられるんです。でもどんな質問をされても忘れて「わかりません」と言い切れるのは凄いことです。南無阿弥陀仏ひとつに絞り込んだんです。それが法然さんにとったら一番大きい悟りへの力になったんです。南無阿弥陀仏ひとつで悟ったんです。
 ありがとうございますの方がもっと大きな悟りになります。ひとつに絞り込まないと損です。南無阿弥陀仏 南無妙法蓮華経 アーメンといっぱい唱えるよりも、ありがとうございますに絞り込んだ方がいいです。法然さんは仏教の智識に囚われすぎた、それは阿弥陀様の世界の悟りで他の世界の悟りと対立します。全部を包容しきれないで他の宗教宗派と他の悟りの世界と対立してしまいます。阿弥陀様の悟りだと他と対立して一体化していないです。差があるんです。
ありがとうございますは全体と一体化します。全体と差が取れて(差が取れる=悟り)一体化するからそこが違うんです。同じ悟りでも部分的な一体化と全体との一体化と違うので、だから大きい悟り小さい悟りがあるんです。

☆一般的には単純に何か自分の得意なことに絞って、ひとつのことを最後までずーッと一生懸命することが必要というようなことですか?

ありがとうございます

 ありがとうございますは神様の全てを受け直します。無限の能力をいただいて何でもできる自分になります。何でも出来る自分になって尚且つそのときに必要な働きをさせてもらうんです。たとえば世界にとって今一番何が必要かというときに、その必要なことをする人のなかでもスッとそれを自分が先にしてしまうんです。必要なことが自由自在に出来ます。今、火事だと言われたら他の仕事を全部放って火を消すほうに回ります。自由自在に出来る方がいいです。私はこれしか出来ませんというなら他の必要なことが何も出来ないです。ありがとうございますは先ず無限の能力をいつでも発揮できる状態においてくれます。そして必要なものは必要に応じて力が湧き出るようになってくるんです。一つの仕事に囚われて縛られてこれしか出来ないというのはよくないです。一つのことをしてこれしか出来ないというと限定してしまって縛りになっていくんです。
 
本当は何でもできると自由な気持になっていて、今これが必要だからこれをさせていただくというのがいいです。自由自在に変ったほうがいいです。必要なものを与えていく生き方です。全体にとって何が一番必要か必要性がランク付けができるから一番必要なものを与えるのがいいんです。たとえば異常気象で食べ物が作物が全然実らなかったとしたら、そういう時は食べ物を作る方へ力を割かないとみんな飢え死にしますから、その時は他の仕事をやめて皆でどんなところでも開墾をして、いろんなものを植えて食料を増やす方が大事です。それを自由に出来ないとダメです。



印(いん)

☆ありがとうございますを唱える時の手印はありますか?

ありがとうございます

 印のかたちは働きに応じて決まります。ありがとうございますは全体像を捉えますから、一番自然な全体像を捉える生き方の印だと合掌かと思います。自由自在ですからかたちに囚われなくてもどんな印でもいいです。ありがとうございますの中に全ての印があります。



祈り

ありがとうございますのお祈りは地球レベルではなくて、無限の無限の世界へ飛んでいるのですか?

ありがとうございます

 神様がそうだから、神様のお祈りをいただくという意味でどこまでも拡がります。ありがとうございますは新たな全徳の無限の無限の輝きが無限に無限にいっぱいと大きくも小さくもなります。宇宙大の変化に富んだ打ち上げ花火のような感じです。



方便

☆右回りだとイエスという感じの「フーチ」というのがありますが、それも神様の意思なのですか?

ありがとうございます

 いろんな神様の段階があって、どの段階からの神様の働きかけかは判らないです。その人の段階に応じてその人に必要なものが降りてきます。そういうものでも最初はその段階の必要な正しいものを伝えてくるんですが、そういうものに頼ってはダメという時は全部外れるように降りてきます。試されます。全部外れてしまってもう頼れなくなります。それで生き方がガラッと変ったりします。霊媒に降りていろいろ指導してくれる場合も同じです。
最初は丁寧に細かいところまで教えてくれてその通りになるんですが、それに頼りだすと教えてくれることが全部外れるようになります。ウソばっかりつかれるんですが、それでいいんです。頼ったらダメということなんです。中から必要なものを汲み取る自由自在な生き方が大事です。その生き方がダメだったら必要なら、ウソをついてでもその生き方をやめるようにと神様が止めてきます。その人を幸せに導くの為につく方便のウソです。



神通自在

☆神様がウソをつくということについては、道元さんの言う「仏が現れたら心の槍でその仏を突き殺せ。それは本当の仏ではない。」というのと同じようなことですか?

ありがとうございます

 仏が現れたら仏を切り殺すという言葉の意味は、順番に番組があがって行くと番組がほんのちょっと上にあがっただけでも心に感じる世界が変って、そこには自分より上のランクのいろんな神様や仏様の姿をとった導き人が出てきますしその姿が見えてきますが、それはあくまでもちょっと上のランクの番組にしか過ぎないんです。それに囚われてしまったらそこから上に上れなくなります。どこまでも番組をあげていって、番組から抜け出た自分に戻らないとダメなんです。そういう意味では番組に現れる姿は全部切り捨てないといけないです。順番に高いものが出てきますがその度にまだそれでは本物ではないと、番組の外に抜け出た神なる自分へ戻った時が本当の神通自在な自由自在な悟った自分なんです。
五感六感で感じているのはみんな番組の中の世界を感じているんです。だからそれに頼りすぎるのは間違いですから切り捨てるということなんです。



貧乏神

☆貧乏神は本当にいますか?

ありがとうございます

 その神様は愛深い神様です。みんなの借金を肩代わりしてくれてるんです。みんなの身代わりに無限の借金を背負っていたら表面は貧乏神に見えます。

☆低級霊が本当に人に憑いたりしますか?

ありがとうございます

 波が合うと全部影響し合います。低級霊を感じる時は自分の波が合っている時です。心境が高ければ低級霊も感じません。低級霊を感じたら自分の心境の低さを暴露しているようなものです。

☆ありがとうございますを言うことで、そういうものからも護られるようになりますか?

ありがとうございます

 思いの世界の霊魂が低級霊になっていきます。ありがとうございますを唱えることで思いの世界の影響を受けなくなります。



「お任せ」とは

☆お任せして全て受け入れているのと、本当はまだすべきことがあるのにしていないのとが表面的には似通った状態の時、その差を教えてください。

ありがとうございます

 本当のお任せは神様の御心のままにというのは、最高番組を受け入れた時がそうなんです。低い番組を神様の御心のままにと受け入れるのは間違いです。常にいつも大難を無難に変えていただいているという気持は大事です。無限の無限のマイナスをいつも免除していただいているという、この気持を持たないといろんな姿を正しく見れないです。大難を無難にしてもらいマイナスを免除してもらってとプラスに受けないといけないです。そうやって現実を受けると全部プラスに見えてきます。プラスに受けるのが神様の心のままなんです。その上にさらにプラスして無限の無限のプラスがいっぱいと受けないといけないです。一瞬一瞬大きいプラスを受け入れて初めて神様の御心のままになっているんです。  
マイナスとして掴んだ時は、自分が我を出して勝手に掴んで神様の心と反対の方へ行っていることです。みんな病気になったら神様に心を向けてと思っていますがこれは間違いです。無限の無限の健康がいっぱいというのが神様に心を向けていることです。プラスをしっかり受け入れてはじめて神様を悪者にせずに済むんです。神様の最高の弁護人にならないといけないです。周りからどんなに悪く言われてもそれを弁護して神様は正しいんだと言えないといけないです。無限の無限のプラスがいっぱいという姿じゃないと神様の弁護は出来ないです。




ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます

0.1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.
19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.32.33.34.
35.36.37.38.39.40.41.42.43.44.45.46.47.48.49.50.
51
.52.53.54.55.56.57.58.59.60.61.62.63.64.65.66.

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