ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます

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以下(いか)のコラムは宗教(しゅうきょう)サイトではありません。古神道(こしんとう)研究(けんきゅう)ノ−トです。またその内容(ないよう)に責任(せきにん)を保持(ほじ)していません。さらに著作権(ちょさくけん)も行使(こうし)しません。どうぞ自由(じゆう)に使(つか)いまわしてください。できればちょっとアレンジしていい感(かん)じになったよというのをどんどん、是非(ぜひ)メールでお知(し)らせください。

ar56交流2001.10.7

質問 「人の人たる所以は人と人との交流にあり」と教えてもらったことがあります。

 皆さん、どう思われますか。 私は人との交流の前に、人と神との交流が必要だと思います。人と人との交流と言っても今の地球上の人はまだレベルが低いです。マイナスを持ったものとマイナスを持ったものとの交流というのはマイナスを増幅させる可能性があります。与え尽くす心を持ってならプラスの交流が起こるのですけれども、お互いに求める心を起こすと必ずマイナスが増幅される。だからまず神様と自分との交流を図るのが大事です。プラスの人間になって初めて人との交流が生きてきます。イエスキリストさんが弟子に対する戒めとして「汝、心を尽くし、思いを尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、主なる汝らの神を愛せよ。」とあります。それが第1番目。第2番目に「汝らの隣人を愛せよ」があります。全てを尽くして神様を愛する、神様と交流して一体化することのほうが先です。まず神様と交流をしっかりはかって、神様の無限のプラスを受けてから、神様の分身である隣人と交流すればプラスの交流になっていきます。そうしたらお互いを高めあってどんどん幸せを大きくして行けるようになります。


 直視

質問 神様というものがイマイチピンとこないのですが。

 神様を直観的に感じるためには神様をまともに見ることが必要です。神様に背を向けると神様の全体は見えてきません。
 太陽を例にあげていうと、太陽に心をまともに向けたときには太陽の全体像が分かります。光源と光が一体化して見える。その時は無限無限に輝いているとしか見えない。逆に太陽に背を向けたときには、放射された光の後を追いかける方向ですから、小さい光程度しか感じられなくなります。
 だから自分がどちらを向いているかが一番大事です。光源に背を向けたときには必ず全てがマイナスに見えだします。光源を向いていたらそれが一番下の段階にあっても上の段階にあっても全てをプラスに観ていけます。だから「この世が無限の無限のプラス」に見えたら正しい観方。神様を受け入れている状態です。
 では、どうしたらそのように神様のほうに心を向けられるかということですが、それは言葉の力を使うことです。言葉が心の方向付けをしてくれます。神様の徳性を現す言葉「輝き」とか「幸せ」などに神様の大きさ「無限の無限の〜」をつけて言うと光源へ心を向けて行けます。すると、どんどん心が明るくなって、幸せいっぱいになって行く。全てをプラスプラスに受けて行ける自分に変化します。積極的に「無限の無限の〜」と使いつづけていくと神様のほうへ向くことができる。
 プラスの言葉を使わなかったら光源に背を向けてしまう心の隙が生れます。その時にチラッとマイナスに見える。だから祈りつづけるというのは大事ですね。「ありがとうございます」と唱えつづけて一瞬の隙も無いようにしたら、いつも全てが無限に輝いて見えてきます。現実の世界もすべて光り輝いて見えてこなければ嘘ですね。単なるモノとかヒトというふうに見えたらダメですね。本当に全てが光り輝いていると言うように感じられてはじめて神様のほうに心を向けているかなという感じですね。


 光と闇の助け合い

質問 (不明)

 戦いというのはマイナスの言葉ですね。神様のプラスの番組には戦いはありません。仮にプラスとマイナス、光と闇とあっても、戦いではなく、助け合いですね。プラスを浮き上がらせるための働きがマイナスの姿です。光と闇が有ったとして、闇が無かったら大きい光でとどまります。闇の働きが光の段階を無限に膨れ上げてくれます。闇は小さい光から大きい光までの無限の無限の光の表現を生み出してくれる働きをしてくれます。だから敵対するものではなくお互いに助け合う姿を取ります。それがプラスの観方です。戦いに聖なるという言葉をつけても聖なるものにはなりません。光が闇を包む時、当然、光の前に闇は自然に消えて行きます。光が常に主役で闇が脇役・助け役です。だから戦いではないというのが本当の観方です。
 聖戦というのは勝手な屁理屈です。アラーの神様が唯一無二の絶対の神様であるならば、宇宙全部を抱擁しないと嘘になります。他宗教全部自分の中に包み込んで生かしきらないと本当の一神教とは言えません。また全ての民族も他の国の人々も大きい愛の心で包みこまないと本当ではない。戦ってやっつけるというのであればアラーの神様の心から大きく外れています。
 ですからやはり人の使う言葉が大事です。つまらないマイナスの言葉を使うから、その言葉に負けて行きます。言葉に縛られて行きます。戦いという言葉も聖戦という言葉もいりません。みんなを神様の表れと感謝して、そして恩返しの心でみんなの幸せのために一生懸命尽くさせてもらうという生き方であれば、争いはありません。聖戦というのは言葉の間違いですね。


 龍神

質問 ある宗教の教祖(女性)に黄金の龍が見えるという人がいます。そんなことが有るのでしょうか?

 黄金の龍は実際にいます。龍神さんというのは自然現象を上から大きく司る働きをします。風を起こすのも台風を起こすのも龍神さんの働きです。風は清めの働きをします。風の強い所ほど文化が栄えるといわれています。清められていいものが生まれてきます。雨も川の流れも全ての自然現象は龍神さんが司ります。
 龍神さんも段階が無限に分かれます。純白の龍神さんが一番上です。その次が黄金の龍神さん。それから青くなったり、赤みを帯びて来たり、黒くなったら一番下にいらっしゃる黒龍さん。下にいらっしゃるから悪いということではありません。例えば空中から金粉がパラパラ舞い降りる物質化現象などは一番下の黒龍さんの働きです。白龍さんは波が違いすぎるからそれができない。いろんな龍神さんが必要に応じて神様に使われて働きます。大きさも全部違います。大きい銀河系宇宙を司る龍神さんはそれに応じてものすごく大きい。地球の清めを司るのも、かなり大きい白龍さんがいっぱいいます。地球自体の霊も大龍神さんです。地球は龍神さんの体です。あまり汚いものを垂れ流して傷つけると龍神さんが痛いとか痒いとか感じて、ちょっと体を動かして地震になります。ただ、龍神さんはこの世の姿で現れてないです。向こうの奥の世界にいます。

…そしたら向こうの世界にいる龍神さんを見ることのできるその人は、
やはりすごい人なんでしょうか。

 いえ別に見えたからといって大したことではないです。必要があれば誰でも見せてもらえます。見えたからといって立派でもなんでもない。姿が見えたのは、その人にとって必要な気付きを与えるために、向こうのほうから波を合わせてくれたというだけです。龍神さんはどこにでも働いていますから、一体だけではなしに、もっともっと無限の龍さんが見えてもいいはずです。直接見えなくても大いなる自然現象に気付ける人、見えなくてもすべて神様の無限無限の愛の働きと感謝できる人ならばわざわざ姿を見せてもらう必要はない。

 金粉が降ってくるなどという特定の物質化現象も、それがないと神様の無限の働きに気付けない人のために、向こうから波を合わせてくださって、神様の無限の働きに感謝できるようになるための入り口として示してくださっているだけです。だから物質化現象を司る黒龍さんはわざわざ一番下にいるのです。だから特定の物質化現象に囚われてしまうと、黒龍さんのせっかくの導きと愛を殺してしまいます。黄金の龍神さんが見えたというのも、その現象に囚われてしまうと、そこに留まってしまうことになってしまい、神様の無限無限の輝きを受け損なうことになります。だから、ある人が黒龍さんのお手伝いとして、特定の物質化現象を現して、みんなを神様のもとへ導くお手伝いをされていても、そこに集まる人が、その現象やその人に囚われてしまう人ばかりになると、それは方向が違ってきますから、ストップが掛かってその現象は起こらなくなります。
 この宇宙の全ての物質は神様の無限の無限の愛の働きによって生み出されたものです。生み出しただけではなくて完璧に適材適所に配置され、大調和のもとに循環しつづけています。金粉パラパラなどはそれに比べたら無限に小さい。ただ、小さくてもそれを入り口として捉えて、皆が大きな感謝に結びつけることができれば、黒龍さんも黒龍さんのお手伝いをされている方も、皆を無限の幸せへ導く神様のお手伝いをしたことになるので、その働きが無限に大きく光輝きます。
 
 集まってくる方々が金粉パラパラを入り口として捉えてその場を順次卒業できて、また次に来られた方々を導くためにそれが必要ならば、金粉パラパラは続けてもかまわないでしょうけれど、今の地球にはそこに留まって囚われる人があまりにも多いから、そのような現象も必要な時に必要なだけを現してくれます。無限の無限の段階の導きのうちの無限に小さな一筋です。
 
 自分はもっと大きな無限の働きを「ありがとうございます」で実感させてもらっているのだから、そんなものはとるに足らないと切り捨てるくらいがいいです。
 
 直接見えてしまうとか、特定の物質化現象を見せてもらえる場を与えられるいうのは、自慢できることではなく、逆に、それがなくては気付けていくきっかけさえも持てないほど小さな自分のところまで降りてきて、わざわざ波を合わせてもらったというふうに感謝するのが正しい受け取り方です。龍神さんが一体だけ見えたり、金粉が降って来るなどというのはとるに足らない無限に無限に小さいことですね。

質問 UFOや宇宙人は実在しますか?

 UFOも本物とニセモノがあります。本物は高い波動を持っています。そのようなUFOは操縦している人の心と一体化して、自分の体を動かすような感覚で操縦されます。心で支配して自由自在に瞬間移動します。でも写真に撮られているUFOはほとんどニセモノです。そのようなニセモノは低い世界から物質化現象で姿形を現せて見せます。95%がニセモノです。そのほかにこの世の人がトリックで写真を取る場合があります。本物は本当に必要な時にちょっとだけ現れて、大きな清めの光を放って去ります。人間の心の新化を促進するためと、自立を促す意味で助けに来てくれています。ただ、外から勝手に助けて甘やかせるということはしません。一人一人が神なる自分に戻ること、つまり自立を促すために助けに来ています。UFOも守護霊守護神と同じです。
 地球人も宇宙人ですから、他の星に住む人たちは異星人と呼んだほうがいいですね。宇宙人という言葉を使う場合は、宇宙が自分であるという大きな自覚に入った人をそう呼べばいいですね。


 守護霊守護神の力

質問 (不明)

 以前は伊勢神宮にかなりお参りしたことがあります。橿原神宮にも毎朝お参りしていたことも有ります。近くの神社にもあちこちお参りしていました。それらは自分を磨き上げるためにそうしていました。ただ、自分の場合は背後の守護霊守護神さんが神社にお参りする時でも「何の為に行くのだ」と問いかけるわけですね。(笑)そしたらこちらは「さて何のためかな?」と考えるわけですね。「もし神社の神様の助けを受けるためというなら、それはちょっとお門違いじゃないのか」ということですね。本当に守っているのは守護霊守護神だけだということです。神社の神様ではないということです。いくら神社の神様でも、守護霊守護神を無視しては絶対に助けにはこないということです。また守護霊さん守護神さんは他の神様に頼らなくてもいいくらいの大きい無限の力を持っているといいます。自分の程度が高くなったらそれに合わせていくらでも大きい力を添えてやるといいます。そしたら何の為に行くのかなと思ってしまいますね。神社の神様に助けてもらうためではないです。
 また伊勢神宮にお参りするにしても、本当の天照大神様はそんな小さい人間の作った箱のような物の中には入っていませんね。宇宙の大神様の最高表現としての本体の天照大神様は無限無限に輝いて無限無限に大きい宇宙全体を一つに統括する神様だから、宇宙全体の姿です。ですから、模型のような神社の中に絶対に入りません。ただそこへお参りするのは、そこを通して本当の天照大神様へ心を向けやすくなるから行くわけです。
 そういう神社というのは神様のお使いとしてのいろいろな神々様がこの世と本体の神様とを繋ぐ梯子の役目として、心を清めたり神様と交流できるように間に立って助けてくれたりと、いろいろな働きをしてくれています。だから本体の神様がそこにいるわけではなしに神様のお使いとしていらっしゃいます。いろいろな段階を取り揃えて守っています。だからもし今の自分の心境が低かったら、自分に合わせた神様が一番最初にすっと出てきて、上へ上へと繋いでくれます。心境が高くなったらどんどん上の神様と交流できるように本体が繋いでくれます。神社にお参りするのは心境を高める上では助けを受けやすい。でもそういう場合も自分の守護霊守護神さんを通さないと受け取れません。どこへお参りするにしてもまず自分の守護霊守護神さんが直接働いてくれます。そして他の神様との交流も図ってくださいます。神様との縁も人との縁も、自分の守護霊守護神さんが全て司ります。だから自分の守護霊守護かみさんを無視して他と交流しようなんてことは絶対できません。それは不遜ですね。

… 守護霊さんと、守護神さんはまた別の存在ですか?

 一番上から一番下までだと波の違いが大きすぎて合わしにくいのです。段階を追って伝えてくれます。守護霊さんは肉体界の近くに自分の座を置いてくれているので、こちらから波をあわせやすくしてもらっています。守護霊さんは自分の立場、身の置き場を自分から定めてきてくれています。守護神さんはもっと上のほうに自分のいる位置を定めています。守護霊さんを守る役目として守護神さんが働いています。段階を経ることでそれぞれ働きやすくなります。お互いが守りやすいように助けやすいように段階を決めて働いてくれています。

… 人間には守護霊さんは必ずついていらっしゃいますか?

 どんな人にも必ずついていらっしゃいます。

… 守護霊さんが交代することはありますか?

 守護霊さんは交代しません。そして守護霊さんに力の差はあるかというとありません。誰についている守護霊さんも本当の意味で悟りを開いて大きい力を持っています。ただ、必要があって姿をあらわすときは、その人の心境に応じて自由自在にいろいろ形を変えます。いろんな姿をとって助けてくれます。
 例えばキリスト教に心を囚われてガチガチに凝り固まっている時に、仏教の神様の姿をとることはありません。相手にしてもらえませんから。そういう時はキリスト教に関係の有る神様の名前や姿を取って、変身して出てきます。仏教の勉強が出来るようになったら、仏教系統の神様や仏様の姿を取って出てきます。だから化けるのは上手です。守護霊さんは一定の姿はないです。過去にどのような立派な姿を現したことがあっても、守護霊さんにとってはその人を導く方便の一つに過ぎない過去の小さなものですから、そんなことを掴んで欲しくないです。それくらい自由自在です。だからあの人には何々の守護例さんが付いているというのは、見る人が勝手にそう見ただけです。その人にとって、その時、そう見えただけ。次に見たときにはまた別の姿を現します。もっと光り輝いた大きい姿も現します。

… 松下幸之助さんには200人くらいの守護霊さんが付いていたと聞いたことがあるのですが…?

 それも、見た人がそう見ただけです。ただ、働きが大きくなると守護霊さんの周りに副守護霊さんとしていろんな方が応援にくることはあります。働きが大きいということは大勢の守護霊さんがついてその人を使ってくれているということです。でももっと大きい働き、例えば大勢の人の心の救済などの役割を演じるようになると、守護神さんが何百体も付いてくれるようになるかもしれません。ただ、それも一つの観方に過ぎません。本当に必要だったら宇宙全体から無限の真実が助けに降りてきます。


 心を見通す

質問 人の心が全てお見通しなのですか?

 神様は大きいものから小さいものまで全部見通しています。ただ私の立場で全てを見通せてしまうと、これは困ります。地球上の全部の人の心を読むだけでも私の立場には必要のないことです。いつも人の心がいつもわかってしまったら困りますね。また、相手の心の無限の段階の全てわかることは意味のないことですね。必要な時に必要なところだけスッとわかりればいいのです。人の寿命が全てわかっても困ります。必要だったら分かります。本当の神通力と言うのは、必要な時必要なだけスッと出てきます。


 ひらがな

質問 ありがとうございますのシールには漢字を使わないのですか?

 漢字だと意味が限定されています。「有難うございます」というのは、神仏の働きがなかったら何ものも存在し難いという意味です。また難有りすなわち有難しなどと限定された小さい意味が現れてきます。もちろんそれらの意味も「ありがとうございます」のなかにふくまれるのですが、神様全体を示す「ありがとうございます」とは意味がかけ離れて程遠い意味になってきます。だから、仮名の方がいいですね。でも書体や形は自由自在でかまいません。それぞれが自由に作ってくれたらいいと思います。


 波と相性

質問 相手の人と波が合うというのは、相性が合うということですか?

 相性が合うというのと波が合うのというのはちょっと意味が違うかもしれませんね。相性が合うというのは、ただ単に「自分にとって都合がいい」という意味でしょうね。波が合うというのは自分に必要な勉強材料が自然に出てくる状態をいいます。必要な勉強材料はマイナスの姿を取っている場合もあります。意地悪でどうしようもない人が目の前に現れることも必要なのです。自分の過去の汚れを浄化してくれる意味もあるだろうし、意地悪な姿を反面教師にして自分が愛深くなれることも出来ます。全ては学びであり、いろんな幸せを生み出す働きであり、どんどん大きな幸せを生み出して行くための、その過程です。
 自分にとって都合の良い人を相性が合うとかフィーリングが合うというのは、自分勝手な願いですから「感謝」ではなく「思い」の方です。感謝に生きるのであれば全てを「ありがとうございます」と受けるのがいいですね。そうすれば必ず大きなプラスの働きをしてくれています。


 症状

質問 頭痛や胃痛などの肉体に現れる「症状」は、自分自身の心のマイナスや人から受けたマイナスを表しているのですか?

 症状の症は病ダレに正しいと書きます。闇を消して正しくするために現れる姿が症状です。症状は心の闇を体に映し出して、消してくれている働きです。例えば胃が痛いという人は必ず心を痛めたことがあるはずです。心配事などを溜めて心を重くしています。その心を軽く綺麗にするために胃が痛いという症状を表します。そして心がスッキリします。
 だから大病をすればするほど別人のように心が澄み切ります。症状が出たときが神様の大きな清めが働いている時です。症状を「ありがとうございます」と感謝して受けたら症状も心の闇も両方とも早くスッキリします。
 人から受けたかどうかは関係なく、どちらにしろ要は自分自身が自分の自由意思で自分の心に取りこんだマイナスです。神様にそれを消してもらっている働きです。
「ありがとうございます」と受けたら全てプラスプラスに変化します。


 日本の役割

質問 日本は何か特別な役割があるのでしょうか。

 あるでしょうね。日本は日ノ本という響きからも見て取れるように、光源・音源という大きな働きがあるとおもいます。形でいうと日本列島は世界の大陸の縮図ですね。これほどピッタリ合うのは不思議です。日本の列島が大きく世界に広がっています。だから日本は世界の中心といえます。日本列島とピッタリの星座もあるらしいです。宇宙全部がそういう入れ子構造になっています。
 だからといって日本が他の国に比べてすばらしいかというとそうではありません。どっちが親か子かと言われたら普通に考えたら大きい方が親でしょう。世界という大きい親の中に生れたのが日本という小さい子なのかもしれません。また逆に日本から拡大されて世界が生れたという見方もあります。鶏が先か卵が先か…(笑)。どちらにしろ自慢し合うものではないです。両方がお互いを差さえあって感謝しあって喜ぶのがいいです。世界のお蔭で日本があって、世界から幸せにしてもらってと見たらいいです。世界も日本のお蔭でといえればいいです。世界と日本がお互いに喜び合って感謝し合えればいいです。


 お祈りの目的

質問 お祈りする時はどのような気持ちでされているのですか? 

 私のお祈りはどんどん変わってきています。目的もどんどん変化しています。最初はこの世の形をプラスに変えたいという意味が強かったですね。病気の人だったら病気を治してあげたいとか、不幸な人は癒してあげたいとか、個人的な小さな目的ですね。今度は目的が大きくなってきて地球全体の平和とかが目的になってきました。それも最終は形を変えたいという感じが強かったですね。今もどんどん変化しつづけています。最も大切なのは形ではなく、心で何を感じ取れるかということですから、一人一人の感じ方が高くなれるような助け方をしたいと思っています。高いものを感じられるようになった方がいいですから。感謝が深まる方がいいですね。思いで生きている人が感謝に切り替えられるようになったら、その人自身で幸せを掴んで行けるようになりますから。その感じ方も早く最高表現を感じ取れるようになればいいですね。全ての人が神様の最高表現を感じ取れるようになるまでこの世で助け続けられたらいいですね。
 人の大きいマイナスの思いをどれだけ背負えるかも大事です。そのためには重荷を背負う力をつけないとダメですね。神様の大きい助けを与えるためにも自分が深く祈って神様の大きい光を受け取らないと自分を通して振りまいてもらうことは出来ないから、もっともっとお祈りを深めないといけないですね。


 君が代

質問 (不明)

君が代は千代に八千代に細石の巌となりて苔の生すまで

 「君が代」の「君」の、本当の意味は宇宙絶対神です。天皇陛下というのは小さい浅い意味です。「代」は世の中の「世」ではなくて「代わる」の代です。宇宙創造の神様の働きは一瞬一瞬の置き換えであるということを詠っています。「千代に八千代に」はこの一瞬一瞬の置き換えが無限無限に移り変わるという意味です。千変万化どころではなく、計り知れない無限無限に変化をしている。
 細石というのは砂みたいなものですね。それが集まって巌となる。巌が砕けて砂になるというのは考えられますが、砂が集まり固まって巌となるというのは常識で考えたら不可能ですね。だからそういう意味ではありません。
 細石というのは個人個人、部分部分を指します。それが神様と直結して、神様のほうから一つにしてくれる。
 この世を見ていると、まだ神様と直結しているといえませんから、バラバラです。みんなが神様と一体化して悟ったら、神様の御心のままに個性を発揮して最高の働きが出来ます。一人一人がそうなったら、全体が調和のもとに完璧な働きをして最高理想の姿をこの世に現します。これが細石の巌となった姿です。
 苔というのは、どんな寒い所でも痩せた土地でも生える生命力の強いものです。「苔の生すまで」というのは、神様の命が輝きわたっている状態を指します。
「君が代」は宇宙創造の神様の最高表現のすばらしさを褒め称える歌です。
褒め称えるというのは「ありがとうございます」です。「君が代」は神様の最高表現の最高理想を現実化するための大きな祈り言葉になっています。この「君が代」の歌詞を唱えていると荘厳な厳粛な気持ちにスッとなりますね。だからこの「君が代」は小さな島国日本が一国で私有すべき歌ではありません。世界中の人々に「どうぞ、ご自由にお使いください」と提供したほうがいいですね。それだけすばらしい歌です。


 睡眠

質問 人はなぜ眠るのですか?

 魂が高い次元に上がってエネルギーを補給してもらうためです。そこでたくさんのエネルギーを補給してもらって、この世に戻ってきて、そのエネルギーを使って表現させてもらうのです。その眠っている間に守護霊さんが働いてくれて、夢の姿をとって清めてくれます。

… 眠れないことがあります。

眠れなかったら疲れてきますね。浄化とエネルギー補給を受けそこないます。その時は疲れやすいでしょう。

…でも元気なんです。
 
そしたら眠らなくてもいいですね。(笑)私と同じかもしれません。小さい時から2〜3時間、最近は一睡も出来ないことが多いです。どうしましょう。(笑)
でも起きていられればお祈りできますから。眠れなくてもその分、お祈りの時間があると思えば感謝できますね。お祈りでエネルギーを補給すれば、エネルギー補給のための眠りは要らないです。


 アトピー

質問 アトピーはどのような所からきていますか?

 アトピーなどの皮膚に出る症状は対人関係からきています。人との関係においての複雑なマイナスの経緯(いきさつ)が心に溜まっています。それはこの世だけでなく過去世の思いも心に入り込んでいることもあります。また他の人の思いも引きうけて症状に現されていることもあります。他の人の思いを引きうけて、自分の体を使って神様の大きい清めの働きをさせてもらっていることになります。「ありがとうございます」と感謝することでその清めの働きが活動的に大きくなります。引きうけたものが全部消えてしまったら症状は消えます。

…薬は使わない方がいいですか?

 薬に頼ったときは神様に頼っていませんから、本当のお清めの働きをさせてもらえません。感謝一筋になるほうが神様の本当のお清めの働きに使ってもらえますから、大きい助けを受けやすくなります。ただ
、薬を使ってはダメということではありません。症状を軽くする意味でいろんな薬を使うのはかまいません。でもそこには頼らない方がいいです。薬は使っても薬には頼らない事が大事です。使っても使わなくてもどちらでもよくて、薬は自分とは無関係と考える位がいいです。
 薬を作ってくれる人や、使いなさいと言ってくれる人や、たくさんの人の愛念がありますからそれは否定しなくていいですね。自分はそこには頼らないと決めて、神様だけに頼っているのがいいですね。

… 病気になったらお医者さんにかかってもいいですか。

 本当は神様だけに頼るのが理想ですね。
 私の小さい頃、母は大病生活を負い、お金も一銭もない状態にずっと置かれていました。食べ物もままならない状態で、自分は食べずに子供に振り分けます。そうしたら自分は栄養失調になります。母は元々丈夫な体を持っていましたけれども、栄養失調が原因でいろんな病気に罹りました。それでも薬には頼りません。お金がないから医者にもかかれません。どんな病気になっても神様にすがるしかないですね。
 医者に頼って治してもらうと後遺症に残る場合がありますが、母の場合は神様に全く後遺症もなしにピタリと治してもらっていました。
 
お祈りというのは本来ものすごく厳しいもので、お祈りで人を助けるという場合、まず人のマイナスを一旦自分が引き受けなくてはなりません。そして自分の命と引き換えにその人のマイナスを取ってくださいと神様にお願いして消していただくのです。わたしも一瞬一瞬死ぬ気でやります。命を捧げる気持ちでお祈りに入ります。引きうけたものがたくさん溜まってくると消しきれない部分が出てきます。背負ったマイナスがいろんな症状として出てきます。消えるまで重病人の姿を取ることもあります。ひどい時は何ヶ月もひどい状態が続きます。ある時3ヶ月間ぐらいせきこんで咳き込んでそれがとまらないことがありました。食べ物も食べれませんでした。眠ろうとしても呼吸が止まりそうになって眠れませんでした。かなり体力も落ちるし、気持ちの上でも「もうダメかな」というくらいに追いつめられました。悲観的な言い方はしないほうなんですけれども、そこまで追いつめられるとちょっとね。お医者さんにでも行って点滴でも打ってもらおうかなと…。(笑) それで本当にお医者さんに行きました。そしたら、診てもらう前に咳が止まってしまった。待合室で待っていても咳が出ないです。診てもらったら結果は「命が危ない状態だから絶対安静で即入院」というものでした。でも忙しいから入院なんかしてられない。(笑) 「忙しいから帰ります」と言ったら、そのお医者さんがものすごく怒って引きとめるんです。絶対死ぬことが分かっていて入院させずに帰してしまったら責任問題だと言うんです。帰るなら「私の制止を振り切って帰った」とちゃんと紙に書いて帰りなさいって…。(笑)
そのようにして無理やり帰ってきました。そのあと…なんともなかった。神様がちょっとかわいそうに思ったのでしょうね。3ヶ月続いた咳がそのあとピタッと消えました。そんな体験が種類をかえていっぱいあるんです。だから薬に頼らなくてもお医者さんに頼らなくても神様に頼っていたらちゃんとしてくれます。


…(不明)

 その人は、いろんな苦しみを味わうことで大きな勉強をさせてもらっているかもしれないでしょう。思いを出して生きているときはマイナスへ行くべき時です。その時にそれをこちらの勝手で止めてしまったら、また将来同じことを繰り返します。一回マイナスを体験するのであればとことん体験させて、早く済ませてあげるほうがいいです。そして切り替わって感謝の方へ行く時にスッと助けてあげればいいです。それが最短コースです。その時期は神様がちゃんと見計らって導いてくれます。だから人のことを心配するよりも、まず自分が感謝を深めた方がいいですね。
 時期が来たらこちら側も感謝のお祈りをさせてもらって、相手のマイナスを消させてもらえるようになるかもしれません。周りに対して自分が必要だったら神様が使ってくださいます。光が縁のある方へ届くようになります。その時期が来た時に自分が神様に使ってもらいやすいように、今は感謝を深めておくのがいいですね。


 水晶

質問 水晶は何か働きをしてくれていますか?

 水晶だけではなくて石ころ1個も大きな働きがあります。みんな神様の愛の結晶です。無限の無限の輝いた姿を取っていますから、その辺に転がっている石ころも大きな働きがあります。ただ、「水晶には力がある」と思えば、思った分だけの力を発揮してくれます。どんな石ころも無限の働きがあると思えば、石ころから無限の働きを感じ取れます。
 水晶には力があると巷で宣伝されていますから、水晶を身につけている人がかなりいますが、もし水晶を落としたり無くしたりしたらどうなるのでしょう。落としたり無くしたりしたら頼るところが無くなってしまいますね。
 
本当に頼るところは神様というふうに定めたら、言葉によって神様の助けを自由自在に受けられます。石ころ1個持っていても、そこから無限の助けを受けられると思えば、石ころ1個が無限の光を放って、無限の助けを受けられます。宇宙全体が無限の光を放って自分を包みこんで助けてくれていると思えば、宇宙全体からいつも光を受けられます。
 
だから、絶対無くならないものに頼ったほうがいいです。それはなにかというと言葉です。言葉をしっかり正しく使うことを身に付けたら、神様の大きな働きを受けられます。


 





ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます

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