ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます

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以下(いか)のコラムは宗教(しゅうきょう)サイトではありません。古神道(こしんとう)研究(けんきゅう)ノ−トです。またその内容(ないよう)に責任(せきにん)を保持(ほじ)していません。さらに著作権(ちょさくけん)も行使(こうし)しません。どうぞ自由(じゆう)に使(つか)いまわしてください。できればちょっとアレンジしていい感(かん)じになったよというのをどんどん、是非(ぜひ)メールでお知(し)らせください。

ar54体験し神様を感じる2001.10.20.02


☆今年の初め頃に、自分はものごとを最後までやり切れていないということに気付き、それをキッカケに不幸だった生い立ちや、自分が子供を虐待したせいで子供が心を閉じてしまったことなど、自分に対する否定的な思いが次々にたくさん出て来て、自責の気持と不安と恐怖でいっぱいになって、すっかり心のバランスを失って解決の糸口も見つけられず、ありがとうございますをいっても喜べない、どうしたらいいのか判らなくなっています


ありがとうございます
 
本当の自分は神様と一体で無限に無限に輝いているんです。これは絶対に否定しようがないです。無限に無限に輝いている幸せ一杯の自分を本当に自覚する意味で一回は自分を泥んこにするんです。泥んこにした自分と本当の自分とを比較すると、本当の自分が際立って素晴らしく見えてくるんです。最初から輝いた自分だけだとその価値が見出せないです。光の世界だけに生きてる人は光になれたら当たり前なんです。
一回は闇へ降りてこないと、闇へ降りて闇の存在をしっかりと認識すると、今度もう一回光の世界へ戻った時に光の世界の素晴らしさが際立って判るんです。だから一回そういう思いの泥にまみれてくるんです。いろんなマイナスの思いやマイナスの言葉を出してその泥んこの中に一回はまり込むといいんです。
 ある意味でそれは子供の泥んこ遊びと同じなんです。一回泥んこ遊びをしてそこから抜け出るんです。誰でも同じで一回泥んこ遊びをしておかないと損します。泥んこ遊びは必ず飽きてきますから、そのときに神様がサッと手を差し伸べてきれいに洗い清めて 光り輝いた自分に戻してくれるようになっているんです。ただ泥んこ遊びを楽しんでいる時は途中では止めてくれないです。思いの泥を被っている姿はなんでもマイナスに見ます。充分に遊んだ後で、そのマイナスに見る思いの泥さえ消してもらったら、スカッとしてきれいな自分・きれいなみんなが見えて来ます。神様が引き戻してくれて光のシャワーできれいに洗い流してくれますから大丈夫です。あとはありがとうございますがだんだんと心に湧き出るようになってきて、それは神様が助けに入っている証拠みたいなもので、自然にありがとうございますが続いて思いが消されて輝いた自分に気付いていきます。
 
 誰でも一回、思いの泥んこ遊びをしてこないと駄目なんです。輝いた自分をいったん離れてもう一回戻らないと本当の幸せは味わえないです。泥んこ遊びは例えで、思いの霧が立ち込めたと見てもいいのですが、霧が立ち込めたら本当の光も本当に存在するものも見えなくなります。でもそれも永遠の自分から見たらほんの一時的なもので必ず神様なる太陽をとらえて霧は晴れてしまうんです。スーッと霧が消えたら全てがはっきり見え出して、みんなが輝いた素晴らしい調和した姿をとっていることに、悪いものはどこにもなかったことに気づくんです。神様の方から手を差し伸べているから、後は神様まかせでどんどんよくなります。どんなに逆らっても神様の力には勝てないんです。  
 
 
神様は最初からマイナスをいっぱい積み重ねて、マイナスに落ち込むのを予定の行動として見ています。どれだけ無限のマイナスを積み重ねても神様が前に立ったら一瞬で消えるんです。どれだけの深い闇でも神様が前に立って光が差し込んだら瞬間に闇はなくなり光り輝く世界になるんです。ただ自分が闇が深いと思うんですが神様にとって闇はないので、神様がそこに出てきたらもう闇はないんです。もう神様の助けが入っているから闇は消えるだけです。
 
「いったんは体験をしないといけない」ということで神様が時期を選んでいるだけで、ある程度済ませば後はすぐ光の世界へ戻してくれるんです。ありがとうございますという言葉を勉強しここへ来させてもらったりなんかで、その時期が来たことを確認させてもらっているんです。あとは神様の働きを感じるだけです。






大きすぎて気づかない


☆ありがとうございますを唱えていても何も起こらなくて、回数が足りないかと不平不満を言わない為に土日に人と会うことも止めて努力しても、涙がどっと出ることもなく神様を感じること・神様に気付くことが出来ません・・・


ありがとうございます

 いろんなところから感じられるようになってきます。本当は大きい気付きに出会っているんです。表面だけ見るのと奥から見るのといろんな見方があります。ありがとうございますをズーっと沢山の回数を唱えているんですが、このありがとうございますを唱えさせていただくことがすごい大奇跡なんです。
 普通はマイナスの思いがいっぱいだと一回も唱えられないです。唱えたくても唱えられないんです。それを百回千回と唱えられるのは、ものすごく大きい神様の力が自分の中に入って、 そういう言葉が出てくるんです。それは光をいっぱいに受けている状態なんです。その神様の働きが奥から働く時と表面からの時と両方あります。奥から働いている時は奥のマイナスの思いをどんどん奥の方から消してきます。霧を晴らす時に神様の近くの方から消すのと、表面的なところから消そうと思ったらその人の周りから消すんですけど、奥から消してもらう方が早く消えるんです。ただ表面には強い光が奥から入ってくると浮かびでてくる、押し出されてくるんです。思いの方は消されたら困るから表面の方へと逃げてくるんです。表面に浮かび出て、また思いが出てくる感じなんですが、心の全体から見ると思いがどんどん消されて絶対量が減ってきます。
 
 
ありがとうございますを唱えているのは自分が唱えているんじゃなくて淨めの神様が中に入って唱え続けてくれているんです。ものすごい助けをずっと受け続けている状態です。光の自分に戻らない限り、自分の力でありがとうございますを唱えることは絶対出来ないです。思いの自分でいる限りは絶対に無理なんです。でもそれが出来ているということはすごい助けを受け続けてるんです。本当だったら、大きい無限のマイナスを持っていたら七難八苦とか地獄絵図を体験していて当たり前です。それが何もなくて大難が無難に済んでいるので、涙が出るどころじゃないです。もっとすごい大奇跡を起こして助け続けてもらっているんです。大難を無難に済ませてもらっているから気付きにくいんです。小難なら気付くかもしれないですけど無難だと気付きにくいです。
 それでいて無限のプラスが目の前にたくさんあります。太陽も空気も水もあって素晴らしい人たちが周りにいっぱいいてくれます。必要なものは毎日豊かに与えてもらって身体も健康そのものです、 目も見えるし耳も聞こえるし心臓も肺も動いている、不思議なことばかりです。涙が出ないととかそういう小さいものではないんです。それ以上のものすごい大きい助け奇跡を起こしてもらっているんです。
 ありがとうございますで何も起こらなかったのでなく、大きすぎて気付かなかったんです。何回唱えるとか、マイナスの言葉は使わないとかいうのも、励ましの意味や唱える練習には違いないです。ただ神様の方から働き始めた時、奥から消すときは必ず思いはかなり浮かび出てきます。かなり出ますがそれも出てきたら喜べばいいんです。奥から大きく消してもらっているんだなと、氷山の一角くらいが浮かび出ているだけで、それでスーッと消えていきますから、沢山消してあげましたよという確認を取ってくれていると思えばいいです。この何万倍か何億倍かの思いを消してくれていると思えばそれも喜びの材料になります。虚のプラス、実のプラスで言うと、マイナスを消し続けてくれた虚のほうの大きいプラスを受け続けたんです。







自由自在にありがとうございます

☆ありがとうございますを言うのに何か決まりはありますか?


ありがとうございます

 自由でいいです。神様の方はいつでも自由自在に働き続けています。神様が自由自在に護り続けている姿がありがとうございますになって出て来ているんです。それを確認する意味の言葉で受けているというだけのありがとうございますです。だから自由自在でいつどこででもいいんです。





マイナスを認める勉強

☆ありがとうございますだけで世の中のどんな問題も全て解決してしまうとは思えないのですが・・?


ありがとうございます

 全部ありがとうございますで解決してしまいます。
神様は絶対に人の自由を縛らないです。なぜかというと「神様と一体の人間」というこれが「神様そのもの」で、神様はもともと自由自在の本体です。神様は何をするにも自由自在です。人もその同じ特質を与えてもらっているので、本当に自由自在です。だから神様は絶対に人の自由を縛らないです。そして神様は自分の全てを人に与え尽くしてきます。それを一瞬一瞬受け直している本体の自分は神様そのものです。
 ただ一つ神様との違いは神様は与える方で、人はそれを受けて神様になる側で、与える側と受ける側というのは全然違います。与える側はまだ奥に無限に無限にいっぱい持っています。人は神様の全てを受けて無限に無限に輝いたといっても受けたときだけ輝いているんです。受けなくなったら何もないんです。だから謙虚にずっと本当の自分を受け直すんです。無限に輝いた本当の自分が神様から見たら楽しい無限の無限のチャンネルのテレビ番組を与えてもらうんです。その中には全てを尽くしてあるからいいのも悪いのも全てとり揃えてあるんです。人がどういう言葉で表現してもそれにぴったり合う番組が全部揃っていて、ない番組はないです。
 
 皆、最初は最高番組からは見ないです。最高番組は自分に近いから後回しになります。もっと自分から離れた遠いとこが見たい、興味があるんです。一番遠い離れた知らないところを先に探検してみたいんです。だからマイナスのほうへどんどん降りて低い番組を見るんで、これが一番自然な姿なんです。神様のほうもそれを狙っていて、
先ず低い番組を体験してから、あとで最高番組をいい番組を見てほしいという願いがあるから、人もそれに応えてそれぞれが適当に低い番組を体験します。ただ他の人と全く同じものは見ないです。
 低い番組というのはそこに 心を向けてのめり込んでいくとしっかりとマイナスを捉えていくんです。マイナスに見えるのはなぜかというと、高い自分から見ると低いものは全部マイナスなんです。本体の自分からみたら最高番組以外は全部マイナスに見えます。最初はそれをマイナスと捉えていいんです。上から見て・・ああ、マイナスばっかりだ・・と思い、下へ行ったらまだまだマイナスがある、そのマイナスを認めるというのが大きい勉強なんです。そのマイナスをしっかり捉えて今度プラスの方へ向き変わっていくんです。低い段階から上へ戻っていくので、低い段階と比較したら上は全部プラスに見えてくるんです。 上へ行くほどプラスが多くなって、そして最高番組まで戻った時に最初に最高番組を目の前にしたときと全然違った感覚になるんです。

 マイナスを知っている自分が最高番組を見るのとマイナスを知らない自分が見るのと全然違うのがそのときに判ります。マイナスを見てきてよかったとその時に思うんです。最高番組は何て素晴らしいんだろうと無限に無限に価値あるものとして見出せるんです。そのあとは無限の無限の幸せがズーッと永遠に続くんです。
 現実はプラスマイナスいろいろ混じっていて大体ゼロに近いんですけど、ゼロを起点としてその両方に皆いるんです。人によっては過去にマイナスを体験してこれから昇っていく過程の人もあるし、これからマイナスに向かって降りていく過程の人もあります。








本当の親は神様 

☆その、上に昇っていける人というのは親子の関係・・親に愛されたとかが、きちんとなかったら昇れないと思うんですが・・


ありがとうございます
 
 そんなことはないです。心配ないし別に関係ないことで、本当の親は神様です。守護神さんであり守護霊さんです。肉体の親は仮の親なんです。守護霊さんの方が子供を育てるんです。親はそれをちょっとお手伝いするかどうかで、だから親がなくても子供は育つんです。それは守護霊さんが育てるからです。守護霊さんが必要な勉強をずっと与えながら育て上げていきます。特にマイナスへ落ちて本体の自分にまた戻る時は守護霊さん守護神さんの助けがなかったら絶対できないです。落ちるのも見護っているし昇る時もまたもうひとつ導き護ってちゃんとしてくれるんです。
 肉体の親子関係は自分が親だったり子供だったり、いろんな役割の変化があるんです。お互いにそういういろんな演技をしながら、両方が勉強しあって助け合ってという姿をとるだけで本当の親は神様のほうで、神様は永遠の親なんです。
 神様の愛を本体の自分はしっかり捉えているから、神様の愛を感じられなくなった時は寂しくなって必ず神様の愛を求めるようになるんです。神様の愛から遠ざかった時はかならず神様・・と呼ぶんです。ありがとうございますが出てくるようになるんです。その時神様はもう、身近にいるんです。

 人が気付かないだけで、神様はいつも身近にいてそばで見守っていてくださるんです。それをいろんな形で気付かせてくれるんです。本当に神様のすることは間違いがないし、神様の愛を感じさせる為に必要だったら、どんな方法をとってでも気付かせてくれるんです。
 でも最初はみんな神様の愛を必要としなかったんです。自分勝手に泥んこ遊びをしたいわけです。その間は神様は傍で見護ってくれているんです、見てない訳ではないんです。

 本当に地獄に落ちたら、誰一人自分を助けには来てくれないです。誰も自分を守ってくれるなんていうことは無いです。すぐさま全員が殺しにかかってきます。殺されてまた甦ってその繰り返し、死んでる暇もないくらい殺され続けて、死に続けてその連続。無間地獄なんかはそうなんですけど、そういうのと比較したらこの世のどんな七難八苦の苦しみといっても億分の一くらいの軽さなんです。
 自分が一番下のマイナスまで落ちたと思ったら、あとは上しかないです。もしまだ下にマイナスがあると言うなら、自分はまだ上のほうに立っているんです。この世でいろんな姿を学ばせてもらうのは大事です。世界中のマイナスの姿・プラスの姿をいっぱい学ばせてもらって、自分の体験として受け入れないと。
 最初からすぐに親が死んで親が無い状態と、厳しい親があるのとどっちが幸せかと言ったら、厳しい親がある方がはるかに幸せなんです。ぽっと生まれて親も無い兄弟も無いという、味方が何もない状態の子供が世界にたくさんいます。場合によっては狼に育てられたりもありますから、人の親がいて人が周りにいるというだけで、どんなに幸せか判らないです。いろんな姿と比較してみてこんな立場だったらどうだろうかという、いろんな学びをしていった方がいいです。それが謙虚になる勉強でもあるし幸せをプラスを発見する勉強でもあるんです。






私の身代わりに、ありがとうございます

☆ありがとうございますを言っていますが、30歳になる娘が両親を嫌って特に父親を嫌って、足音が聞こえると食事を途中でやめてどこかへスッと逃げる状態が続いています。どうしてだろうかと・・・


ありがとうございます

 自分が親の立場に立っていて、子供がいろんなマイナスの姿を見せてくれるという場合には、自分が子供だった時に親に対してどんな姿をとったかというのが大事なんです。同じような傾向のことを自分がして来てるはずです。
 もうひとつ根本は神様が本当の親なんですが、神様に対して自分がどういう姿をとっているかと、神様を困らせていないかということを反省しないと、自分の生き方が本当に神様が喜んでくださる生き方をとっているかどうかです。神様が心を痛めているかもしれないです。
神様が一番喜んでくださるというのは、無限の無限のプラスへ心を向けて最高に幸せいっぱいに生きていってほしいという、それを外したら神様を悲しませているんです。まだ低いマイナスの言葉を使いマイナスを思い出して低い番組を掴んでいる状態は神様を悲しませています。マイナスの姿をいっぱい見せていることになるんです。
 根本は神様をどれだけ喜ばせているか悲しませているかなんです。それに気付かない場合に現実の親子関係でそういう姿を見せます。まだ気付かなかったらもっと身近なところへ勉強材料を持ってくるんです。過去世での親子関係の勉強もあるし現実での親子関係の勉強もあるし、全部その人を幸せにしたいばっかりの、神様の愛による導きなんで、全部が勉強材量なんです。要は自分が早く幸せを掴まないといけないんです。
 どうしたら解決するかといったら解決はひとつなんです。
ありがとうございますと神様を受け入れたらマイナスを全部消してくれるから、その後はマイナスが全部消えてなくなってしまいます。神様を受け入れることは神様を喜ばせることで幸せになることです。そうすればあとの枝葉の問題は全部サーッと消えてしまうんです。最後の仕上げをするために大きい課題を与えてもらっているんです。  
 表面だけ変えても意味が無いんで、神様との関係が本当の意味で修復されないと、神様とピタッとひとつにならないといけないので、その最後の仕上げに今来ているんです。ありがとうございますで神様と一体化していってそれで卒業です。いろんな枝葉の方の厳しい問題があってよかったんです。最後の仕上げが最短コースに早く進めてもらったんです。幸せを掴むのは早い方がいいです。平々凡々に来たらあまりいろんなことを勉強しないです。それだけで満足してしまって一生を無駄に過ごしてしまいます。波乱万丈くらいがいいんです、この一生を本当の意味で大事な時間を生かしきれます。
 いろんな勉強が出来て気付くことが出来て神様の元に戻れたらこれ以上の幸せはないです。でもみんなが自分から波乱万丈の人生を送らなくても、周りの人の波乱万丈の人生から勉強したらいいんです。私の代わりにありがとうございますと、貴重な体験を身代わりにしてくれて神様のもとへ早く戻れるようにと素晴らしい勉強材料を与えてくれるんです。





守護神・守護霊さん

☆神様のもとへ戻る、そういう過程を守護霊さんとかが助けてくれるんですか?
守護霊さんというのは、自分と何らかの関係のある人ですか?


ありがとうございます

 助けてくれます。本体の大神様から、全て必要な助けが守護霊さん守護神さんを通してきます。本体の自分から見たら、守護霊さん守護神さんは、本体の自分の中にある姿です。区別して言えば、中から働く力と外から助太刀として現れる力と両方あります。本体の自分はこの肉体の自分を常に中からと外からとしっかり護りに護ってくれているんです。だから心配ないんです。



卒業

☆神様が卒業証書を下さる卒業式のようなものはありますか?
あるとしたら、それを生きている間に体験できますか?


ありがとうございます

 段階があるんですけど、小学校、中学校のような感じで順番になります。
歓びの日が卒業式になるといっていいと思います。気付きが多くなって大きく歓べる時が卒業式と思えばいいです。これからどんどん出てきます。毎日が卒業式かもしれないです。無限の無限のチャンネルが全部学校かもしれないです。チャンネルひとつずつ上るごとに卒業式を済ませて入学してますし、人によっては小学校から一足飛びに大学へという人もあるかもしれないです。

☆卒業があると落第もありますか?

ありがとうございます

落第はないです。下へ降りるときは、後輩の指導とか先生になってというお手伝いです。





不動明王と観音様

ありがとうございますは顔が笑っている時も目が恐い感じがしますが、神様というのはそういう恐い部分があるんですか?


ありがとうございます

 目も、恐く見えるときと優しく見えるときの両方があってどっちも必要なんです。恐く見えるときは不動明王さんのような厳しい姿をとります。そういう時は大きいマイナスを引き受けて一生懸命に消してくださっているときです。優しく見えるときというのは本当の自分に気付いて優しさだけを受けられる自分になった時に、観音様のような優しい目でスッと現れるんです。両方あっていいんです。






拍手と口笛

☆ここで使っているBGMについて教えてください。


ありがとうございます

 拍手と口笛が入っているテープです。どちらも光が流れています。神様は光が流れるんですけど拍手もプラスとマイナスを合わすと光がポーンとほとばしり出るんです。拍手は強い光で口笛は柔らかい光が流れます。リズミカルに光の流れが続くように作られたものです。自然の響きというのは光がよく流れています。どんどん高め上げてくれるような感じの響きです。テープが流れている間、光が流れ続けます。





霧と太陽

☆神様についてその知識は、努力して持つことが出来たと思いますが、感覚として神様との一体感を深めるということが実感出来ないでいます・・・


ありがとうございます

 最初はみんな思いを出し続けるんです。思いは一つのものを掴んでしまって、掴むとそれに囚われてどんどん視野が狭くなっていきます。思いがどんどん出たら出ただけ、思いの霧が立ち込めて小さいものを掴んでしまうんです。ますます小さく狭く入っていって、それは神様からどんどん遠ざかっているんです。
でも時期が来ると、思いを捨てて感謝の方に切り替えてくるんです。感謝に切り替えると思いの霧がどんどん晴れていって、神様の姿がどんどん見えてくる、気付いていくんです。ただ神様の全体像を知るまでには順番に昇っていかないといけないです。
 
 神様の部分的なものがどんどん輝いて見え出して、それがだんだん大きく拡がって全体像になって神様が全てという、神様のほかに何もないという所まで入っていきます。無限の無限に輝いた中にその中心に自分が置かれて神様と自分しか存在しないんだという感覚に入っていきます。それでいて自分が消えていって、もう神様が全てとなって本当に神様と一体化するんです。感謝がズーッと続くと勝手にそうなってしまうんです。あとは神様と一体化する実感が深まるばかりになるんです。それはもう思いの世界から感謝の世界に入っているんです。あとは一直線に神様との一体化がどんどん深まっていくんです。焦らなくてもいいんです。一回神様の中へ入ったら今度は抜けられないですから、しばらくは思いの霧を楽しんで、霧の晴れるのを眺めながら霧にお別れを言っていたらいいです。
 これからも感謝がどんどん湧き出てきます。もう、霧の晴れる時期にはいってますから、太陽が昇ってますからあとはスーッと晴れます。霧の暗い面に入り込んだら、周りが見えなくなると時間がもの凄く長く感じられます。でもちょっと霧が晴れて見え出したら時間がすごく短くなって、こんなに早くよくしてもらってというふうに感覚がどんどん変化します。

☆その時期というのは私たち個人だけでなく地球レベルも含めてのことですか?

ありがとうございます

 そうです。全部時期が来たら感謝に切り替わっていきます。どんどん神様のほうへ向いていきます。神様の方が全部見通してよく知っているんで、一人ひとりに合わせて的確な助けを与えてくるんです。そうしたらもう感謝するしかなくなります。思いを出して生きられなくなるんです。






勉強の場

☆人が亡くなってあの世へ行くことについて、例えば、思いが残っていないとスッといけるのか、というようなことについて聞かせてください。


ありがとうございます

 勉強の場が変るくらいに見たらいいです。教室が変って必要な勉強の場へ移っていくだけです。いろんな種類の勉強をしてどんどん自分の幸せを大きくしていくので、執着があってこの世に戻りたいと言うならこの世に近いところに移ります。それも勉強の場が変るんで、この世じゃなしにこの世に近いところです。その人に一番ふさわしい勉強の場に移していただくので、必ずそれが一番いいようになっていくんです。





本物になる時期

ありがとうございますシールがあまりに効果があるので、ただ「ありがとうございます」と書かれただけなのに不思議で・・・
(水がおいしい・車の燃費が上った・部屋の空気がきれいになった等々)


ありがとうございます

 今の時期は本物を顕す時期なんで、本当の神様が本物を顕す為に応援に降り立っています。ありがとうございますと祈れば、ありがとうございますの言葉が出たら必ず本当の神様が顔を出してきます。本当の神様は無限に無限に輝いた姿をとっているので、いっさいのマイナスをすっと消してくるんです。シールが小さくても大きくても、どこにでもスッと現れたら、そこはもう調和した姿をとるようになっているんです。そういう時代・時期になったんです。
 神様のほうは人の生き様を全部ずっと見守り続けてきて、本物になる時期を待ってたんです。今までは人の好き勝手にさせて人の自由に任せてきたんですけど、いつまでも本当の幸せを掴めないから、早く幸せな状態に引き戻す意味で時期を選んでいて、やっと皆をそういう本物の世界へ導き入れる時期が来たと見てくれています。それで大きい力を添えに来ているんです。だから、ありがとうございますという言葉が今、急に湧き出るように出てきたんです。

☆シールの効果が人によって差があるようで、素直で単純に受け入れる人の方が大きい効果を得られていて、信じきれない人は効果が小さいように感じますが・・

ありがとうございます

 そうです。信じ切れない人は拒絶しているんです。もうひとつもっと効果を大きくするには、シールをもらって歓ぶだけならそれは小さい喜びなんです。それなりに神様の光は受けるんですけど、
神様のお手伝いをするというとその何倍、何十倍、何百倍と助けを受けるんです。神様のお手伝いというのも大事なんです。そうするとその人を完璧に護りに護ってくれるんです。神様の手足になっているから大きい力を添えてくるんです。そうすると神様が自分の中に入ってくるんです。いっぺんに自分が変ってしまいます。
 病気の人は病気を治してもらったら、何かお手伝いできるかと思うんだけど、そうじゃない逆なんです。病気を持ったままでいいんです、神様のお手伝いをさせて欲しいと思うと神様がスッと入ってくるんです。どんな難病奇病でも瞬間に病気は消えます。
 
 これからは神様をお手伝いする人に生まれ変わる時期なんです。本当の悟りを開く神人になる時なんです。神様の側に立ってみんなを幸せにしてあげる側に・与える側に立って神様の手足になって御用を務めるようになれば、神様は放っとかないです。断っても護りに来ます。何十倍何百倍という大きい力で護ってもらえますからプラスへの循環がものすごく早くなります。シール配りもどんどんされたらそれはお手伝いです。もらったままで歓んでいたら、小さい喜びで終るから損します






神様への奉仕

☆この世的に物心両面で人を幸せにとか、助けてあげたいとか思う時に、神様のお手伝いをというとこですか?


ありがとうございます

 本当は奥から神様の助けを受けないといけないです。神様の助けをズーッとこの世まで下ろしてくればいいんです。表面だけの助けは本当の助けじゃないです。心の奥から湧き上がるものがどんどん出てこないといけない。井戸で例えると判り易いですが、井戸を掘って水が湧くようになっても外からの助けを入れると、どんどん湧く量が少なくなってきて、逆に外からのゴミがたくさん貯まっていくんです。水が湧かなくなって神様から遠ざかるんです。でも奥からだと泉のようにどんどん湧き出て来て、出して出して出し尽くしたら今までよりもっと湧き上がります。
 本当の助けは奥から出てこないといけないです。神様は無限の無限の大きいものを持っているので、いくら使っても使い切れないほどどんどん湧き出してきます。奥からきれいになっていくのが一番理想の姿をとるんです。
 だから物心両面というよりも先に心のほうをきれいにして、それからこの世も最高の幸せな状態になってくるのがいいんです。みんな逆に考えるんです。この世を先によくしてもらって、あとで心を磨いて悟りを開いていこうかと考えるんですが逆なんです。神様に心を向けること・神様の助けを受け入れることです。それがありがとうございますです。

 最初は何か物をもらってありがとうという感じですが、それは本当の意味ではないんです。本当のありがとうございますは、神様に自分の命も全てを捧げ尽くして、新しい神様のプレゼントを受け直すことなんです。 だから、逆にお返しして、受けてるという姿を取らないと、本当のありがとうございますにはなっていないともいえるんです。そういう意味で助けを求めるいき方じゃなしに、
神様への奉仕、神様のお手伝いをしようという祈り方がいいです。これはみんなに光を振りまく為のお手伝いのお祈りだと、一回一回ありがとうございますを唱えるのはお手伝いをしていると、そういうお祈りになると 大きい光を浴びるんです。でも自分が何か問題を抱えていてそれを助けて欲しい為のお祈りだと小さくなっていきます。ひとつの小さい問題を解決する為の助けだけでいいという自己限定になってそうなると直り方が遅いんです。


☆自分の心も全部開いてしまって、どうぞご自由にとおまかせするのが一番手っ取り早いということですか?

ありがとうございます

 そうです。それが最高です。






悟らせる助け

☆ある会社にシールをあげたら一度営業成績が下がってそこでお客様に対する姿勢を改めて考えさせられて、もっと低姿勢でと気付きそこから成績が上がったという話を聞きました。一度下げるような働きもありますか?


ありがとうございます

 営業成績が上がるだけがいいのでなく、それは表面から見た小さいものです。それより謙虚になれたということがものすごい助けです。心が先に立派になれたんです。気付きが出来て謙虚になれたという事の方が大きな助けです。営業成績のことはそのあとの小さいもので、すごい助けを受けていることです。
 神様の本当の助けというのは悟りを開かせる大きい手助けの助けです。表面的なご利益的な助けではないです。早く悟りを開けるほうがいいので、最高の幸せを早くつかめる最短コースを歩ませてもらう方のが一番大事です。場合によったら財産があればそれを全部取ってもらって、七難八苦を与えてもらって、いっさいのマイナスの業想念を全部消しきってもらって、それでスッと悟りを開くのが一番幸せです。そういう意味では、一時的にマイナスがいっぱい起こっても構わないです。大病をして心をスカッときれいにしてもらい、倒産して財産が全部なくなっても、いっさいの借金を返してもらって、あとは神様から無限の無限のいいものをいっぱいもらえばいいんです。古いものを全部お返しして新しいものを受け直せばいいだけなんです。あとは永遠に幸せいっぱいです。
 そういう助け方がしてもらえたら一番の最短コースを歩んでいるんです。ただ一人ひとり全部違うので、ちょっと表面的にいいものを見せてもらわないと、ついて行けない場合もあります。そういう場合はちょっと飴をなめさせてもらったりがあるんですけど、そこに止まることはなくて、後ズーッと護り続けてもらって心も立派にしてもらい悟りへの道を歩ませてもらうんです。






唱えさせていただいている

☆感謝法を続けていますが、他人を批判する気持に囚われて自分でも嫌なのですが、そういう心の癖がついてしまっている気がします・・


ありがとうございます

 最初は感謝しなさいと言われて、自分が感謝するという感覚だと思いますが、これが自力の感謝でなく本当の神様の絶対力の感謝に置き換わってくるんです。
 神様の助けが、感謝になって出て来ていると気付いてきます。「神様に感謝させていただいている」、それは即神様の大きい助けを受けているという感謝なんです。そうすると神様の光はいろんなマイナスの思いを全部消し切ってくるので、マイナスの思いは全てなくなってプラスだけの自分に変化します。
 
最初は努力してしている自力の感謝ですが、それが神様にさせていただいているという謙虚な感謝に必ずなってきます。そうなったら絶対に全てに於いてよくなります。最初のうちの自力の感謝でも本当は自力の感謝はないのでそう見えているだけ・そう思えているだけなんです。
 本当は神様の助けは入り続けているんで、それでありがとうございますと唱え続けさせてもらっているんですけど、最初のうちは自分がしていると錯覚するんです。しばらく続くとだんだん謙虚になれて、神様にさせていただいていると変ってくるから、そうなると歓びは大きくなります。感謝もぐんぐん深まりますから、そのまま続けたらいいんです。






神様は時期を待っています

☆この時期この時代が神様の助けを強力に必要としているのですか?


ありがとうございます

 人の方がそういう時期を作るわけです。我が消えて謙虚になり始めたということ、大抵は行き詰まった時に謙虚になって行くんです。今、世界全体が行き詰まって来ています。自分の力ではどうしようもない、解決できないというふうになってきたら、神様のほうへ心が向くように決まっています。その時期を神様は待っていたんです。我を出せば行き詰まるようになっています。行き詰まったら神様のほうへ心を向けて助けを呼ぶんです。そのときに神様の助けが大きく降りるんです。






本物が本物を引き出す

☆いろんな宗教にはまり込んでいる人たちに手を差し伸べようとしても頑として受け付けない感じですが・・・


ありがとうございます

 いろんな教えに入って、その教えに縛られて模型に囚われて、けれど本物から離れている限り心のやすらぎはないんです。でも必ず心の安らぎを本当の意味で求める時が来ます。それは本物に触れた時にスッと気づくんです。ただ本物に触れるチャンスがなかっただけ時期が来ていないだけです。時期が来なかったら神様が出て来てくれないから本物に触れることはないんです。その時期が来たら、どこからでも縁のあるところから本物を見せて正しい方向へ導いてくれます、本物が本物を引き出してくれます。これからどんどん変化します






全体を総括する時期

☆もう他に何も余計なことをせずに、ありがとうございますだけを言っていたらいいということですか?


ありがとうございます

 もう今までにたくさんいろんな事をしてきています。この世だけじゃなしに過去世でも部分的な勉強は皆それぞれに済ませてきています。後はもう全体を大きく総括して捉える時期です。全体像をしっかり捉えて、それがありがとうございますという生き方です。今まで部分的な完成ばかりを目指していたんですがそれはもう卒業したと思って、後はしっかりと全体を把握する時期で全体を捉えたら、部分を全部を生かした完成された姿をとるんです。ただ、おさらいは少ししないといけなかったんです。過去の復習です。それでいろんな事をするのですが、この後はありがとうございますだけで大丈夫です。






謙虚に、神様のおかげ

☆この時代に日本人に生まれたことは、魂のレベルとしてかなり修行を積してきたと思っていいのですか?


ありがとうございます

 生まれ変わりの場所も順番に魂のレベルに応じて、ふさわしいところに生まれてきますが、別に自分が日本人に生まれたから偉いと自慢するものでもなく、神様の前に立ったらみんなが命の兄弟です。姉や兄のような感じで弟や妹を大事に見守ればいいんです。
 神様のお手伝いをしてみんなを幸せにする働きをするのが一番いいです。ありがとうございますを唱えるのは最高の大きいお手伝いです。神様がその祈り言葉を通して大きい光を振りまいてくれるから自分のからだ全体・心全体が光の灯台になります。光を放射し続けてくれるからそれが世の中を明るくして、いろんなマイナスの暗い思いを消し切っていきます。いいものがどんどん見えてくるようになります。謙虚に神様のおかげというのが大事です。
神様の手柄を自分の手柄にするのはいけないです。あくまでも自分が謙虚になっている方が神様の助けを大きく受けられます。






与えつくし湧き上がる

☆人にいろいろしてもらって楽に生きる幸せという、今までの常識が全く違うというとことですか?


ありがとうございます

 そうです。逆です。人に助けてもらうのは小さい幸せなんです。本当は人を幸せにする大きい働きをして、本当の幸せが湧き上がるんです。今までは反対の行き方を取ってきたんですけど、これからは本物の正しい行き方になります。
 みんな幸せを外からかき集めようとしていたんですが逆なんです。幸せを外に与え尽くしたら本当の幸せが中から湧き上がってくるんです。中から湧き上がってくる本当のものに気付いたらどんどん湧き上がってきます。外から付けたものは全然役に立たないです。中から湧き上がる神様の知恵の方が最高です。智識や体験は大したことないです。
 何も持たないほうがいいです。何も持たなければ宇宙全体が自分のものです。小さくこれだけが自分のものと思うから、他に自分ものがなくなるので、小さく持たなかったらいいんです。何も持たない人は宇宙が自分のものです。






ありがとうございますシール

ありがとうございますシールは見ることで効果があるんですか?


ありがとうございます

ありがとうございますシール自体から光が出ているんです。周りの場も変えます。光を放射しています。見ることによってその人も光を感じてありがとうございますという心を引き出してもらえます。
隠して貼っておいてもその場が明るく光輝きます。

ありがとうございますシールをお酒に貼って飲んだら味は変らないけど周りの人が皆いとおしく感じられて今まで好きじゃなかった人もそれぞれに自分に必要な人だったと感謝の気持が湧いてきました。お酒の味が変らないのも酸味苦味甘さとか全てが必要なので同じことだと納得しました。

ありがとうございます

 そのままの個性でみんな最高に生かされるんです。すごいんです。






調和させる働き

☆ありがとうございますは先祖供養とかにもなりますか?


ありがとうございます

 全てが整理整頓されて、あるべきものがあるべきところに座る、調和するんです。そしてお互いの交流が起こって、本当の生かし合い助け合いになるんです。
 レベルが全部違っていいんです。小学生も中学生も高校生もあって、それぞれがその場で最高の持ち味を生かせばいいんです。そして全体が助け合いの調和した姿をとればいいんです。小学生が大学へ行ったりとごっちゃにするとダメです。ありがとうございますはそういう意味で調和させる働きです。






守護霊・守護神

☆守護霊様は自分のご先祖様の霊の中で格が高い人がなっているのですか?
守護神様はグループのようになって守護霊様の上にあるんですか?


ありがとうございます

 守護霊様は悟りを開いた人というのが根本になって、自分と一番縁の深いご先祖様というふうにとらえます。一人ひとり違っています。
守護神様は大勢の守護霊様の上に立って力を添えてくるとみたらいいです。だから同じ守護神様ということはあります。

☆守護神様の名前は無数にあるということですか?

ありがとうございます

 名前というのは働きそのものです。だから高い神様ほど一瞬一瞬大きい働きを自由自在にこなして変化するんです。だから名前がつけられない、一定の名前をつけると次に大きい働きが出来ないです。一瞬一瞬名前も姿形も変えてきます自由自在の働きになっています。低いほど過去を掴んで過去はこうだったと、過去に縛られるから一定の名前が持続するんです。

☆動物にも個別に守護霊様のようなものがついていますか?

ーありがとうございますー

 動物には個別にそういうものはつかないです。全体を護るものとして大きい神様があります。






「ありがとうございます」は絶対力

☆外国人にありがとうございますを伝えても、自力の感謝と絶対力の感謝というのは、外国の人には理解できないと思いますが・・・


ーありがとうございますー

 唱えているうちに、自力の感謝から絶対力の感謝へと、必ず神様の力で変えてもらえます。必ず謙虚に謙虚になっていきます。ありがとうございますとサンキューは全然意味が違いますから、例えば、サンキューにありがとうございますをローマ字で添えるといいです。
本当はありがとうございますと唱えた方が言霊の響きで神様の助けを受けやすいですから、響きを伝える為にも世界共通語になるのがいいと思います。寿司とか柔道とかのように、世界中みんなが使える言葉になればいいと思います。

☆ありがとうございますは在り難いものをいただいた感謝が蓄積して今のような力を持つ言葉になったんですか?

ーありがとうございますー

 逆です。ありがとうございますの根本のルーツは、一番奥は神様の中なんです。この世の人はこの世的にいろんなルーツを探すんです。いろんな時代にその痕跡が残っているのでそれを拾い集めて仮説を立てているんですが、根本は神様の言霊から来て、この世にありがとうございますの言葉があるんで天から降ってきているものです。だから力があるんです。
誰が作ったものでも見つけたものでもない元から神様から降り注いでいるものです。そこに大きい力があり皆のものということになるんです。ありがとうございますという全てに深い意味があります。






人のために唱えるのが一番

☆子供がのんびりした性格で、受験だというのにちっとも準備が出来ていないので、ありがとうございますをとにかく言うようにと勧めています・・


ーありがとうございますー

 学校へ行って、つまらない知識をいっぱい詰め込んだら心が濁ってきます。それよりも心の濁りをありがとうございますと消してもらうほうがいいです。そうしたら今度は神様の知恵が湧き出ます。知識はつまらないですが、智恵はどんな問題に突き当たっても解決する大きい力になります。だから智恵の湧き出る子が一番幸せになります。極端に言えば学校は行かなくてもいいんです。行ってもいいですけど別に行かなくてもいいんだと開き直って、それよりも神様に護られている限りは幸せいっぱいなんだと、ありがとうございますを唱えさせてあげるのが最高の行き方です。
 子供が充分に出来なければ、その代わりに親が唱えてあげたら子供のプラスになります。ありがとうございますは人の為に唱えるのが一番いいんです。自分の為だけだと小さくなります。でも人の為にというのだと、神様のお手伝いということで大きい力がもらえます。人の為に祈っても自分の為に一番役に立つんです。人の為に祈っても自分が一番たくさんおかげをもらうんです。自分の為に祈っても自分の為だけにしかこないんです。






殴られて強くなる

☆小さい時自分はよく親に殴られましたが、ありがとうございますは子供を殴ったことがありますか?


ーありがとうございますー

 殴ったことはないです。でも殴られると強くなりますからよかったんです。

(☆そうです。鍛えられて世の中に出てから役に立ちました。物忘れも少ししますが)
ーありがとうございますー
過去を忘れるというのはすごくいいです。神様は的確に与えてくださるんです。






百人に一人

☆日本の中でどれくらいの人が、ありがとうございますを実行したら大きな変化が起きますか?


ーありがとうございますー

 百人に一人が実行できたらそれでガラッと大きく変ります。今はまだ万人に一人です。これが百人に一人なら世界は完全平和になります。
 今、万人に一人の割合ですがその人たちで本当のお祈りのネットワークを作ったらその網にかかる人はぐっと増えて百人に一人くらいになります。そうしたら全体がいっぺんに救いとられます。その意味でもありがとうございますシール配りはいいです。






ありがとうございますシール

☆ありがとうございますシールは家に貼ると厄除けにもなりますか?


ーありがとうございますー

 厄除けなどに使う御札の最高の力があるものと思っていいです。なんでもしてくれます。それだけの力があります。神様が現れたら悪いことはいっさい消えてしまうんです。いっさいのマイナスがスッと消えるから最高のものになるんです。






不思議なムカデ

☆ありがとうございますを続けていますが、その間にムカデに3回噛まれました。これも何か意味があることですか?


ーありがとうございますー

 意味があります。それはマイナスではないです。
ムカデに噛まれて毒で少し痛いですが場合によっては体の悪いところを治してくれる働きがあるんです。みんな気付かないでいるんですが他の病気がそれで治っている時があるんです。不思議ですけど必要なければそういう事は起こらないです。






小さな宇宙・無限の無限の宇宙

☆宇宙と一体化して悟りを開く、その悟りを深めていくというのは具体的にどういうことですか?宇宙との一体化は悟りの入り口ですか?


ーありがとうございますー

 宇宙は小さいんです。もうひとつ大きい宇宙の中の小さい原子くらいの感じになるんです。更にもう一つ大きくなって、またその中に前の小さい宇宙があるという入れ子構造の姿がズーッと続いています。それが感じられてこないといけないんです。肉体の殻から抜けて魂の殻から抜けて少し意識が広がって自由になったといってもそれはちっぽけな悟りです。中身がぐんぐん大きく深くなって細かいところまではっきり区別がついて見通せないといけないです。神様の全体像をしっかり把握していくような過程をどんどん昇るんです。
 小さい宇宙との一体化があったといってもそれは思いの殻から抜けたというだけです。少し大きくなって自由になったという程度です。無限の無限の深い悟りの中では入り口の門の外かもしれないです。行き止まりがあったら困るんです。人間は永遠に生き続けるんですか、らどんどん深まっていかないと楽しみがないです。こんな短い期間のこの世だけで悟ってしまえるなら大したことないんです。永遠に生き続けてもまだ奥があってという大きい楽しみを神様は用意してくださっています。






祈りの変化

☆ありがとうございますもある時期までは病人を治したいという思いがあったと聞きましたが・・・


ーありがとうございますー

 人が病気で苦しんでいたら、病気を治して欲しいという願いが来るんです。その願いを叶えてあげて満足させてあげて、幸せにしたいということは相手次第で自然に出てきます。ただそのレベルではまだ小さい願いを満足させるだけに終わります。でもその人の本当の幸せを思うともっともっと深いところから幸せにしてあげないとダメです。そういう意味でどんどんお祈りの仕方が変化します。表面だけ満足させるような変え方じゃなしに、心自体をどんどんプラスに変えていってあげるほうがいいですし、最後は感謝が出来るようにしてあげるのが一番いいんです。






違いではなく包容

☆いろんな宗教でその神様に全托する時、その対象によって違いはありますか?


ーありがとうございますー

 ありますがみんな他力なんです。救われたい自分が、救ってくれる阿弥陀様などに他力的に自分を任せていくのが全托です。ありがとうございますという全てを包み込む絶対力は、阿弥陀様の上にあるんです。阿弥陀様は無限の中のひとつくらいになってしまうんです。観音様も無限の中のひとつの働きになります。
 ありがとうございますが全部に大きい力を添える働きなので、ありがとうございますまで辿り着かないと、途中の段階にとどまっているとみられます。阿弥陀様のところまで行ってもまだ小さいです。もうひとつ奥へ奥へというのがあるんです。今起こっている宗教戦争も、自分のところだけが最高と争っているだけの小さいものです。もうひとつ奥の束ねるところへ入ればいいんですけど、今掴んでいる思いを消してもらわないと、奥へは入れないんです。それを消す力が必要で、それがありがとうございますという言葉になるんです。
 
ありがとうございますを唱えることによって消してもらえて、スッと奥へ引き入れてもらったら小さいことは言わなくなるんです。ありがとうございますで宗教だけじゃなしに、全ての分野全部を包容してしまいます。これから必要な言葉なんです。
 ありますがみんな他力なんです。救われたい自分が、救ってくれる阿弥陀様などに他力的に自分を任せていくのが全托です。ありがとうございますという全てを包み込む絶対力は、阿弥陀様の上にあるんです。阿弥陀様は無限の中のひとつくらいになってしまうんです。観音様も無限の中のひとつの働きになります。
 ありがとうございますが全部に大きい力を添える働きなので、ありがとうございますまで辿り着かないと、途中の段階にとどまっているとみられます。阿弥陀様のところまで行ってもまだ小さいです。もうひとつ奥へ奥へというのがあるんです。今起こっている宗教戦争も、自分のところだけが最高と争っているだけの小さいものです。もうひとつ奥の束ねるところへ入ればいいんですけど、今掴んでいる思いを消してもらわないと、奥へは入れないんです。それを消す力が必要で、それがありがとうございますという言葉になるんです。
 
ありがとうございますを唱えることによって消してもらえて、スッと奥へ引き入れてもらったら小さいことは言わなくなるんです。ありがとうございますで宗教だけじゃなしに、全ての分野全部を包容してしまいます。これから必要な言葉なんです。





ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます

0.1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.
19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.32.33.34.
35.36.37.38.39.40.41.42.43.44.45.46.47.48.49.50.
51
.52.53.54.55.56.57.58.59.60.61.62.63.64.65.66.

以下(いか)のコラムは宗教(しゅうきょう)サイトではありません。古神道(こしんとう)研究(けんきゅう)ノ−トです。またその内容(ないよう)に責任(せきにん)を保持(ほじ)していません。さらに著作権(ちょさくけん)も行使(こうし)しません。どうぞ自由(じゆう)に使(つか)いまわしてください。できればちょっとアレンジしていい感(かん)じになったよというのをどんどん、是非(ぜひ)メールでお知(し)らせください。