ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます

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以下(いか)のコラムは宗教(しゅうきょう)サイトではありません。古神道(こしんとう)研究(けんきゅう)ノ−トです。またその内容(ないよう)に責任(せきにん)を保持(ほじ)していません。さらに著作権(ちょさくけん)も行使(こうし)しません。どうぞ自由(じゆう)に使(つか)いまわしてください。できればちょっとアレンジしていい感(かん)じになったよというのをどんどん、是非(ぜひ)メールでお知(し)らせください。


AR99 2001.5.2
P1 ★「ありがとうございます」の言霊の意味。
P2 ★「ありがとうございます」を唱え出したきっかけ。
P3 ★何が起ころうが平気になった。
P4 ★悪因縁の家庭に生まれた私。
P5 ★人のマイナスを受けて消す時に咳・痰が続き病院へ。
P6 ★おじさんの「天照大御神様」の定義。
P7 ★神様は言霊で字宙を生み出している。
 
   …ありがとうございますの小さい時からの物語…
P8 ☆父親の放蕩から本当の修行。
P9 ☆「これから耐乏生活をさせます」。
P10☆神様にすがって病気が治り「ありがとうございます」を言うきっかけになる。
P11☆耐乏生活をさせて、一番楽な行を教えてくれた神様。
P12☆沢山の神様を祭ってた父親。
P13☆最初は「天之御中主神」で「天照大御神様」ではなかった。
P14☆皆さんに伝えるための一つの体験例を神様が作ろうと思った。
P15☆二十歳で大きく広がった「悟り」。
P16☆二十歳で本当のお祈りに入り、
平和運動のために働いたお金をぜんぶつぎ込んだ。
P17☆五井先生との出会い。P12
P18☆組織を作ったり、名前を出したら駄目、対立するから。
P19☆みんなが持ち寄って出来た「ありがとう村」。
P20★糧依について。
P21★無理に助けなくてもお祈りをしていたら必要な人しか来ない。
P22★あの世とこの世、進歩はこの世が早い。
P23★糧依霊と波が合うということ。
P24★思いが実現する仕組みは、言霊。
★人生の目的を「感謝を深くする」ことを最終目標にする。
P25★らせん状という行き止まりのない無限の世界。
P26★マイナスの極にも一瞬に行ける。
P27★人間が考えて想像できるものはぜんぶ用意されている。
P28★「無限の無限の…」は、底知れぬものをいい、
それを感じ取れたらもう一つ無限がつく。

 
 
P1  ★「ありがとうござます」の言霊の意味
 
質問者:
先生のお話を聞いて「ありがとうございます」を根底にして共感を覚えまして、今日 来させていただいたのです。「ありがとうございます」は、悟る為とか、点数を上げる為というのじゃなくて、もう既にいっぱい無限のものが与えられているというか。感謝の「ありがとうございます」だということを話の中で聞きまして、病気の人とか、ご恩や阿弥陀様からいろんな事を一杯頂いて、感謝の阿弥陀仏という感じで、すごくそういう事と共通していると思います。どうして先生がそういうふうな「与えられてるんだ」という感謝の「ありがとうございます」になったのか、ちょっとお聞きしたいのですが。
 
ありがとうございます:
小さい時からいろいろ苦労させてもらったから。苦労をさせてもらったお蔭かも知れないですけど。自然に「ありがたい」という気持ちが起こるんですね。それで「ありがとうございます」を祈り言葉として、今までにも大体何億回か繰り返ししてきてるんですね。その繰り返しが多くなるにつれて、段々と深い意味が解らせてもらえたというんですか。 それが最近では、「ありがとうございます」は、もう言葉で表現できないぐらい、もの凄いものを与えてもらっているのね。本当の意味を現す言葉は日本にしかないみたいですね。英語のサンキューでは全然意味が違うんですしね。この日本の言葉というのは、「言霊の幸はえる国」と言われるだけあって、言霊に裏づけされた言葉ですよね。この「ありがとうございます」を一字ずつ解釈しても、もの凄い深い意味があるんですね。日本の神様の「神」というのもそうですけどね、英語だったらゴットですよね、やっぱり一部しか表現できてないですね。でも、神という言葉はいろんな深い意味があるんですね。これを最初にちょっとだけ解説してみようと思うんです。
 
神という語源は五つの意味があるんですね。「絶対」の「隠身・かくりみ」をつづめて「神」ですね。「創造」の「仮凝身・かごりみ」をつづめて「神」ですね。創造する働きを「かごる」と言うんですね。「統一」の働きを「耀身・かがりみ」をつづめて「神」なんですね。神通自在の八百万の神様の働きなんかを「駈身・かけりみ」というのね、それが「神」になっている。その自由自在の神様が愛の心で、例えば、石ころになって静止するとか、「限定」して現す体というのが「限身・かぎりみ」というのね、それでその「神」ね。
 
この五つの意味をぜんぶ総称して「神」というのね。そうすると「絶対」からこの世の物質に現れた全部が神様を現しているわけよね。普通、私たちは神様がどこにいるのか探し回るんですけど、でも、本当は全体が神様なのね。だから、一つの唯一絶対神の神様の体がこの宇宙の全部なんですよね。だからどこもかしこも神様ばっかしというね、この浅いこの世もそうだしね、奥深い世界も、もっともっと奥も、全部神様なんだというね。その「神」という言葉にそれだけの深い意味があるのね。それと同じで「ありがとうございます」は同じ意味があるんです。
 
 「あ」というのが「光・光源・命の本源・絶対」という意味なのね。そこから、「絶対」から全てのものが相対の両極に振り分けられて、それが組み合わさって宇宙が生まれるんです。
 
 それが、らせん状に組み合わさるのね。直線だと交差するのは一点なんですね。らせん状だと交わりが無限にできるんですね。それが小さいものから大きいものまで、相似形に無限に組み合わさっていくというね。そういう仕組みで宇宙が作られているというのが「り」のら行音に現すわけね。
 
 それが無限に無限に「耀く」というのがダブって「が」なのね。だから「無限に無限に耀く」という意味になっているのね「が」がね。
 
「とう」って「十」ですけどね、十字交差というよね、ありがたしの「たし」だと、た行音とさ行音になるんです。それも相対の両方を指すわけね、縦と横とね。それが十字に組み合わさって全てが調和した姿をとっている。だから、一点に統一されて調和しているという姿をとるのね。「ありがとう」で絶対神が、創造の働きを起こして宇宙を生み出して、それが無限に無限に輝いた姿をとって、全てが大調和の姿をとっているのが「ありがとう」なのね。
 
これを別な言葉でいうと「天照大御神様」と表現できるんですね。宇宙絶対統一神という意味でね。これは、伊勢の神宮にお祭りされている天照大御神様という、そういう小さい意味じゃなしに、宇宙全体を無限に無限に輝かせた姿で現れている神様の名前という意味の天照大御神様ね。「ありがとう」が「天照大御神様」なのね。
 
「ございます」の「ご」というのが、「擬り固まって、凝り固まって」という、「物質化されて、物質化されて」という、そういう意味をダブらせているのね。神通自在な、自由自在な神様が物質化して魂的な要素で出てきて、また更に物質化すると、この世の物体となって出てくるのね。
 
「さ」というのは「サラサラ流れる」という意味で、「清々しい・爽やかな・素晴らしい・素敵な」とかいろんな意味ね。桜でもそうですけど、清らかなすがすがしい良い意味の響きがあるんですよね。宇宙の全部がサラサラと流れているという、一瞬一瞬ね、命の流れになって、光の流れになって流れてるんだというのが「さ」をダブって「ざ」なのね。
 
普通この世の物体というのは、静止したものを見ると死んでいるように見えるんですけど。この命の「い」というのを現して、全て生きてるんだ、石ころ一個生きてるんだ、原子も生きてるんだ、全部生きてるんだという意味で、命の「い」を現しているのね。全部命の躍動を現しているというのね。
 
次の「ま」というのは「完全な・まったき・完壁な」という意味ね。それで全てを現すという意味ね。
 
「す」が「絶対」の「す」で、全部をひとつに統一して澄み清まって大調和する姿をとっている。また「ます」で二文字を現すと「どんどん増える」という意味で、今の状態がどんどん「いやましにます」という。だから、今よりもどんどん良くなっていくという、大きくなっていく、広がっていくというのね。
 
最初のありがとうございますの「あ」から「す」までが、神様の働きの全部をやっぱり現しているわけよね。「神」という言葉の意味と同じで、「絶対」から「この世」まで全部を一つに統一して現しているね。
だから、この「ありがとうございます」というのは、ある意味では究極の神名という「神様の名前」なのね。その中には、全てを中に持っていて、全てを大包容して、全てを活かしきってと、そこには全部あるという意味ね。
 
かけりみの神様というのは、普通、神様を信仰する時は、何々の神様の名前を使うんですよね。ところがいろんな神様が出てくると、どうしても対立というのが生まれますよね。この神様が上だとか下だとかね。でも、この「ありがとうございます」を唱えると全部一つにつながってしまうのね。全部中に納めてしまっているという感じね。全ての神仏の背後で大きい力を添えている根源の神様になるのね。それでいてこの世の生まれ、体を現しているという。だから、悟りを開くために「自力」とか「他力」とかいろいろな種類があるんですけど。
 
この「ありがとうございます」を唱える生き方も「絶対力」なのね。最初から対立がないんですよね。この世のものも、肉体を持った私達も、究極の絶対神と一体でしょう、この世にまで神様の体が現れてるんですもんね。一体だから離れてないの。神様と最初から一体という立場で、「ありがとうございます」って神様を呼べば、必要なものを的確に与え続けてくださるのね。
今更、悟るとか、救われるとかは無いのね。唱えた時に神様と一体のその自覚を呼び起こして、必要な助けを先に与えて受けさせて、それで一体化してくれている。そしたら何も要らないですね。必要なものは全部備わってのね。それだけの凄い言葉が、「ありがとうございます」なのね。
 
 
P2 ★「ありがとうございます」を唱え出したきっかけ
 
私も、最初は小さい時は、物をもらって「ありがとう」とか、そんな感じに思ってたんです、最初はね。それでもいろんな苦労をしていると、湧き上がる感謝ってあるんですよね。「ありがたいなあ」ってね。それでやっぱり、自然に「ありがとうございます」に変化してきて、それを祈り言葉に代えて一生懸命唱えていると、もう何が起こってもどんなマイナス、大きいマイナスがあっても「ありがたい」「ありがとうございます」が消えないんですね。病気して大病して、どんなに苦労しても、そんなのなんでもない、ヘッチャラになってしまったの。「ああ、凄いなあ」という「ありがとうございます」と唱えただけで、心がいつも幸せ一杯にしてもらえる。それを益々繰り返して唱えていると、今度は神様の本当の実体と言うんですか、「これが神様なんだ」というのが、ちょっと感じられてくるんですよね。
 
最初は小さい光りかも知れないですけどね。それがどんどんどんどん光が大きくなってきたのね。丁度、実物の太陽があって、私たちはこの地上で太陽の光体を乱反射した姿を見てるんですよね。その地球に現れた光体でも凄いですよね。その神様、例えると、それが無限に無限に耀いた姿で、感謝をすると受けられる。空に少々雲がかかってようが、上ではいつも耀いてくださっているというような感じなんですね。それを感謝することによって「ありがとうございます」で、その大光体を感じるわけね。その大光体の奥に、実物の太陽までの間にも、ところてん式に大きい光体がズーッとつながっているような感じですね。天照大御神様という大光体が、無限に無限に連なって、奥にところてん式につまっていて、更に奥に絶対の大きい光の源があるんだってね。その「ありがとうございます」を唱えているうちに、どんどんどんどん神様の実態が大きくなってきたの。だから、もう言葉では表現できないくらい「凄いんだなあ」と思うの。それが実感なんです、今のね。だから、唱えた回数を積み重ねただけ、中身もどんどん変えてもらえると、そういうふうに思うんです。
 
 
P3  ★何が起ころうとが平気になった。
 
最初は病気を治してもらったとか、必要なものを与えてもらったとか、奇跡的なことがいっぱい起こったんですけど。それもありがたかったんですけど。それよりも、「何が起こっても平気」という幸せが絶対崩れない、心の幸せね、絶対崩れ無いというのがもっと上なんですね。今仮に地獄に下りて、「ちょっと苦しんでおいで」と言われても平気なの、苦痛に思わないのね。大きい幸せを与えてもらっているからね。丁度、夏の暑い日に、氷をちょっと触るぐらい平気でしょう。そんな感じで、苦しみとかマイナスを受けられるようになってしまったのね。だから、幸せな心は何があっても幸せになってしまうのね。その源が神様なのね。皆さんもここへ来られて、何の為に来たのかと思うでしょう。「だまされて来たかも知れない…。」でも本当は神様に導かれて、本当の自分を確認するために来られてるんだと思うのね。今までにいろんな苦労を一杯されて、いろんな修行も一杯されて、最後にたどり着くところが、この「ありがとうございます」という絶対の神様なのね、それが本当の自分だと思うんです。最後に本当の自分にたどり着いたというのを、多分ここで確認されたと思う。だから、そういう確認をする時期に来た人だけがここへ来られているみたいですね。私は、何の力もないんですよね、ぜんぜん何の力もないのね、ゼロ以下。ただ、感謝して神様の助けをたくさん受けられるように訓練してもらっただけなのね。
 
 
P4 ★悪因縁の家庭に生まれた私
 
私の両親は、親も兄弟も早死にさせて家系が絶えるような家系だったのね。それで両親とも苦労をしてるんですけどね。そういう家系というのはあんまりいい家系じゃないのよ。たくさんのマイナスを一杯積み重ねて、家系が絶えるかも知れないという状態でしょう。そうとう悪い事を一杯してきたかも知れないね。そういう家系に生まれて、なおかつこんなに幸せな心に、状態にしてもらえたというのは、神様の力だけですよね。だから、ありがたくってたまらなくなって、万分の一、億分の一の恩返しでもできたら…、と思うんですけど。返すものが何も無い、貰うばっかしで返すものが何ひとつ無いでしょう。(一笑顔が素晴らしい…)この笑顔ももらっているのよ、神様からね。ちょっとは地獄へ落ちて苦しい顔をしたいと思う、逆に…、出来なくなってしまった。はははは。五井先生もそうでしたけどね、人類の業・マイナスの想念感情を背負って、全部浄める働きでしょう。私もそういう役目を、やっぱり幸せだから、ちょっと恩返しをさせて頂いているんですけど。
 
P5 ★人のマイナスを受けて消す時に咳・痰が続き病院へ
 
突然、体中に痛みが走ったり、突然、咳き込んで痰が出たりするんです。まあ、今の日本もいろんな意味で、マイナスの責め裁く心が多いですから。今、小泉さんが総理大臣になって前向きに改革するって叫んでくださってるんで、ちょっと人気が出ないとね。今までが責め合いで、足の引っ張り合いなんでね。そういう責め裁く思いを、やっぱりちょっとは受けて消す働きをさせてもらわんならんと思うんで。最近、ちょっと夜中ズーッと咳き込むんです、それで痰が一分刻みに出るんですね。昔はもっとすごかった時もあるんですね。何ヶ月も連続したこともあったんですけど。今は一週間ほどで、楽なんですけどね。それでも一分刻みで出るとねえ、寝られないですね。こうして話をする時は、ほとんど止まるんですけどね。何も無い時には出っぱなしなのね。咳き込み続けて痰が一分刻みで出るのね。だから、ティッシュペーパーを夜中じゅうに三箱ぐらい使ってしまう。それは別に苦しいと思わない、平気になるね。
 
大分前には、三ヶ月ぐらい連続して続いたことがあったんですね。その時はやっぱり、さすがに弱音が出てくる。「これだけ続くんだったら大変だなあ」思って「ちょっとお医者さんに行って薬でももらおうか・点滴でも受けようか」とそういうことがあったの一度ね。病院へ行ったら「即、入院」と言われたのね。レントゲンを撮っても「これは、絶対帰ったら死ぬ」と言われたのね。それで検査してもらって出してくれんのね。それでも無理やり帰ったね。そうしたらお医者さんが、「言うこと聞かんで帰ったから、死んでも保障しない」というのね。「誓約書を書け」っていう。本当そうよ。お医者さんは責任があるらしいのね。ところが検査だけを受けて、それだけの事を言われて帰ったら、その日にピタッと治っているの。「それだったら、可哀相だ」と思ったんでしょうね。「お医者さんや薬に頼るんだったら、ちょっと治してあげようか」という感じで、それでも不思議なことにピタッと止まるんね。神様の働きって凄いなと思うんです。最近は、少々でもへこたれないんです。もう体に痛みが走っても平気なんですね。それだけ喜びが大きいです。大きい喜び・幸せを与えてもらっているから、ちょっと地獄に足を突っ込んでも平気、そんな感じになるのね、うん。それもみんな「ありがとうございます」ってね、この祈り言葉のお蔭だったと思うのね。一番得しているでしょう。あっはははは。だから、この祈り言葉に絞り込めた人が、一番早く幸せを掴んで安らげると思うのね。皆さんもいろんなことをしてきたでしょう、ぼちぼちと最後の究極の祈り言葉に絞り込む時期になってるんでしょうね。
 
 
P6 ★ありがとうございますの「天照大御神様」の定義
 
質問者:
今のお話の中で、ちょっと最初の方だったんですが、「ありがとうございます」と「天照大御神」と一緒という事が解らなかったんです。そこをもう一度ご説明願います。
 
ありがとうございます:
「ありがとう」が天照大御神ね。「ございます」がつくと「天照大御神様、今ここにいらっしゃいます、まします」という意味ね。「この世にまで姿を物質化して現してくださっている」という意味ね「ございます」でね。「今ここにいらっしゃる、まします」という意味ね。本当の天照大御神様は奥に、心の奥に耀いているの、(自分の)一番奥にね。その天照大御神様が物質化して物質化して、この世の全大宇宙に現れるわけね。だから「天照大御神今ここにまします」というのが「ありがとうございます」ですね。
 
質問者:
私は今まで、こういうのに縁がなかったので、天照大御神をここでお聞きして「ああそうかな」というレベルの認識なんですけど。自分の奥底にあるのが「天照大御神」というのは、それはどういう事なんですか?
 
ありがとうございます:
神様の言葉の定義は、いろんな解釈があって先ず定義をしっかりしないと間違うんです。人によったら、肉体を持って現れた女神様のようにいう人もあるし、太陽が天照大御神様という人もあるね。また、伊勢の神宮にお祭りされている天照大御神様で、皇室の先祖だという人もあるね。でも、私のはそういうものではなしに、宇宙のすべてを生み出している一番奥の無限に無限に耀いたその神様の働きを天照大御神というのね。その神様の表現・装い、それがこの全大宇宙なんだというような意味なんですけど。
 
質問者:
その人によって解釈とか理解の仕方があるんだけれど、おじさんがおっしゃっているのは「私はこういうふうに思います」そういう…。
 
ありがとうございます:
そうです。そうです。そういう意味の天照大御神様を捉えて「ありがとう」と同じてね。だから、人の作った神様・仏様の信仰というのは、ちょっと偏るんですよね。よっぽど言葉の定義をしっかりしないとお互いの説明が噛み合わないところがあるんです。
 
 
P7 ★神様は言霊で宇宙を生み出している
 
質問者:
「神」というのを人間がどう表現していいかわからない。片一方は、エネルギーという、それを呼ぶ時に天照大御神と名前で呼んだのかなあと思ったんですか。そういう理解はどうでしょうか。
 
ありがとうございます:
「あまてらす」という言葉も、言霊で解釈するとよくわかるんですけどね。「あ」が「光・光源・命の本源」ね。「ま」で宇宙全体が「完全な・まったき」姿をとってるというね。「てらす」で「て」が、手が伸びるように無限に広がるという意味ですよね。無限に無限に広がっていく…。それでらせん状に、それで全体が「す」で大調和で統一されてるとう。だから「あまてらす」で、それだけの宇宙の根源の姿を表現してくださっているのね。これが、例えばマホメット教のアラーの神だと「あ」と「ら」の意味はわかるんですけど、「てらす」がないでしょう。「ま」もないしね、ちょっと意味が少ないですよね。だから「あまてらす」で全体を大きく表現してくださっていて解り易いですね。
 
質問者:
それは言霊という、わたくしたち いやまとのたみ が持ってる表現でそういう・・・。
 
ありがとうございます:
あるんですね。はい。だから神様は言霊で宇宙を生み出しているのね。だから言霊に即した言葉があると、良く理解でき解り易いね。だから日本人って幸せなんですよね。私達が使う言葉で、神様の言霊を、いうたら掴みやすいですね。繰り返し易い。
 
質問者:
それは天照大御神だけではなく、他の神様のいろんな名前がありますよね、それもぜんぶ言霊で・・・・。
 
ありがとうございます:
それも言霊で解釈するんですよね。(ほお〜)。神様のいろんな名前は、本当の神様、唯一絶対神の働きを指すんですね「神名」ですよね。神様の本当の働きは無限にあるんですね。だから、無限の神様の名前が生まれてきても、別に不思議ではないんですけれど。「ただひとつの神様の無限の働き」と捉えたら間違わないですよね。神様は、唯一無二絶対なんですね、ただひとつだけ。(いろんな働きによって…)。神様の名前が一杯生まれてくるのね。
 
質問者:
その唯一絶対神というのが「あまてらす」という。
 
ありがとうございます:
だから、その無限に無限に耀いた表現を中心に持ってきた時に、奥の創造も絶対の働きも、中に隠して持っているわけですね、それで、分身としての無限の無限の働きを表面に持って、それで全体を宇宙という姿に物質化して現れているのね。だから、わかりやすい言葉ですよね、「あまてらす」というのはね、はい。
 
質問者:
今、言霊の話ですけど。先程からずっとお聞きしていましたら、あ行、か行、さ行によって働きが違うようにお聞きしたんですけど。あ行から・・・・。
 
ありがとうございます:
一字一字違うんですよね。
 
質問者:
一字一字は違うでしょうけども、行ごとに大きな働きがあるように感じ取れたんですけど。時間が掛かりますんで、50音まで行かんでもいいんですけども。あ行は光、ら行はらせんという事で今伺ったんですが・・・。
 
ありがとうございます:
それも言霊の一部なんですけどね。もっと詳しくというと、やっぱり表面にひとつの顔が出ても、奥にいろんな働きを同時に持ってるんです。だから、次から次へいろんな顔が表に出てくるんです。例えば、同じ「あ」でも、いろんな角度からの説明が全部加わってこないと「あ」ひとつの言霊も解釈できないんですけれど。それを今すると時間がぜんぜん足りませんのでね。それはまた他の人の研究に任せておいて、言霊を研究されている方は、日本でもかなりいらっしゃるんですけれど。まあ、みんな説が違うんですけどね。でも、良いとこ取りでぜんぶ勉強されたら、ある意味ではかなり詳しくわかると思うんですけど。
 
質問者:
感謝しますという言葉がありますねえ、こういう言葉というのはなんか中国からよく謝々とか、感謝という感じそのものも「感謝します」と言っても、頭がちょっと下げにくいというのは失礼かもしれないけれど。「ありがとうございます」って自然に頭が下がって、本当にありがたいという気持ちになる感じですよね。やっぱり日本人というのは、意識の中に既にあるというか、説明されましたように、体が反応するというか、自然にというのがありますよね。(要約)
 
ありがとうございます:
漢字の文字も素晴らしいんですけど、感謝も言霊の言葉の放射を感じるという意味で、ちょっと解り易いという意味もあるんですけどね。でも、「ありがとうございます」と唱えたら、即、神様がそのまま目の前にあるわけでしょう。全部を与えてくださるのね。与えるだけじゃなくて消してくださるのね、必要の無いものをね。だから、結果がそのまま出てくるの、そしたら自然に頭が下がります。「感謝します」じゃあ、本当にそうですよね。頭が下がりませんよね。結果まですぐ出ないですよね。だから、やっぱりすごいですね。「ありがとうございます」はね。
 
・・ありがとうございますの小さい時からの体験・・
 
P8 ☆父親の放蕩から本当の修行
 
質問者:
小さい時からお祈りをされていて、どういうふうにお祈りをするようなことに…。
 
ありがとうございます:
私は、小学校へ上がった頃から、父が財産家に生まれて両親と分かれて、一人で財産を食いつぶしたのね。放蕩で体をボロボロにしたみたいですね。それで、もう絶対死ぬというところを、やっぱり神懸かりで助けてもらったのね。命を救ってもらったのね。その後いろんな滝に打たれたり、いろんな断食したり、いろんな行をして、神様のお手伝いをするという意味で奉仕活動していたのね。仕事は時計屋をしながら、そういう神様事で人助けをしてたんです。ある時、私が小学校へ上がった頃から、「こんなのは、修行でもなんでもない」というふうに降りてきた神様が指導してくれたのね。「これから本当の修行をさせてあげる」って、どういう修行かというとね、それまではやっぱり商売繁盛してるんですね。通勤客の為に朝の6時には店を開けて時計の修理を持ってこられるようにしていたから、ものすごく繁盛して借家まで持っていたのね。ところが、そういうお告げが出た途端にお客さんはピタッと止まるのね。それで「仕事を辞めなさい」というわけでしょう。それでもう時計屋ができなくなったのね。誰一人修理に持ってこないし、買いにも来てくれないね。そのうちに借家も売ってしまう、家財道具も質に流してしまう、全部消えてしまったんです。すっからかんにね。最後まで残ったのは、時計よね。腕巻きなんかが残るんだけど、それもねえ、鉄と真鍮に分けて全部売ってしまうのやっぱし。だから、全部無くなるんですね。そこからやね、「これから耐乏生活をさせます」というのね。
 
 
P9 ☆「これから耐乏生活をさせます」。
 
 それで、人から物置を借りて、トタン張り物置なんです。六人家族がそこで生活することになるのね。雪が舞い込むような穴だらけのトタンでね、そのくらいのとこだったんです。そこで藁布団を敷くんじゃなくて、かぶってよ。重たい藁布団をかぶって、その時は着替える服シャツ一枚もなかったのね。それで食べ物もないのよ。何もかもなくした状態で生活が始まるのね。それで、繕い糸も無かった。本当に無いというたらすっからかん、何もないのね。本当にね。見事に全部取られてしまう。はははは。それから、最初仕事をさしてくれないの。そしたら何を食べたら良いんか、野菜屑を近くの畑に放してあるのを拾い集めて、良いとこだけとって水炊きで食べていたのね。お醤油なんか絶対買えないもんね。焚くものといっても、ここは山だから木が一杯あるけど、町の中だもんね。だから木もないしその辺に落ちている下駄とか、ねえ、木屑を拾い集めて焚きものをするのね。集め回るのも大変だったのね。
 
それでしばらくしてからよ、「内職だけはしても良い」という。ところが内職というのもね、皆さん、されたら解るけど安いでしょう。内職によったらすればするほど損するのもあるの。昔チューインガムみたいな笛みたいなのがあったのね。それを紙で巻くんだけど、最初に測ってくる時は、ちょっと湿気ているからか、それで巻いて持って行くと減っているの、はははは。そしたらね、逆に内職代を余計に取られるね。そういう内職もあるのね。家族で、私と私の姉と妹二人とみんなでやるけど、ほとんど一食分の小麦粉を買うお金もできない。朝から晩まで一生懸命やっても。そういう内職を、次から次に内職の種類を変えては一杯させてもらったの。
 
そうするとね、病気にかかっても薬が買えない、お金は無いし、それでも風邪を引いたら、アスピリンを、昔はアスピリンを欲しいからと思うのね。それで、薬局ヘアスピリンちょうだいといって一回は貰えるの。「ちょっと貸しといてね」ってパッと帰るの。でもそれは二回三回になってくると、やっぱり薬局によったらもう通用しなくなってくるね。かなり遠いところまで薬局を探しにいく、あっははは。それでもやっぱり最後は、もうダメよね。「前のを持っておいで」と言われたらもうね。手に入らんのアスピリンもね。だから、薬にも頼れない、お医者さんにも掛かれないとなったら、ちょっと病気したり怪我したりするとやっぱり神様にすがるようになってくるのね。
 
 
P10 ☆神様にすがって病気が治り、
味をしめて「ありがとうございます」を言うきっかけになる
 
ところが、神様は不思議な力を持っているのね。うん。神様に「ありがとうございます」と言っていると治してくれるの。同じ病気をしている人は、お医者さんに掛かって悪くなるのに、「ありがとうございます」と言うたらパッと治してくれたの。ねえ、それでまた味を占めてね、一生懸命「ありがとうございます」を言えるようになったのね。
学校の教科書でも、お金がないから買えないね。今はタダでもらうけど、その時は買わないと教科書が無くて勉強できなかったんだけど。もうぎりぎりの最後の日に「教科書代、これだけ」というのは不思議と入ってくるのよ。もう学校へいく寸前に入ってくる。一時間前だったら多分ダメなの。食べ物に変わってしまうの。あっははは。もう、ぎりぎりのとこでお金がサッと入ってきて、それがきっちり教科書代なの。そうすると親も食べ物に代えられんと思うじゃない。それでスーッと持って行って、それで教科書は与えてもらうのね。そんな感じでねえ、必要なものは与えてもらったのね。
 
ところが給食代なんかは払えない。PTAのお金も払えないね。だから、給食の時はみんなが教室で食べていても、一人だけ校庭に出て冬の寒い時でも、校庭でジッと立って「ありがとうございます」を唱えたのね。でも、それが苦痛でなくなるのね。「ありがとうございます」を唱えていると温かくなってくる。はははは。寒いときでも温かくなるのね。だから、その時は手袋や靴下は無いのよ。そんなん絶対買ってもらえへんしね。靴も破れた靴をそのまま履いているから、殆ど裸足状態ね。お風呂にも入れへんね。石鹸も無かったし、お風呂なんか無いからね。手がどうなんかいうたら、松の木の肌みたい、本当にそうなの、うん。見事よこれ。こんなきれいな手と違うの。小学生の可愛い手が、本当に松の木の肌みたいになってた。すごいでしょう。
 
 
P11 ☆耐乏生活をさせて、一番楽な行を教えてくれた神様。
 
でも、それでもねえ、平気なの。強いなあと思うね。しもやけにもならん。それに寒さに対しても平気なの。やっぱりこれは「ありがとうございます」の力よね。神様がやっぱり何か光のバリアみたいなので包んでくれているのね。それで痛みや苦しみがないようにちゃんと護ってくれたんだと思うけど。そういう感じで順番に感謝させてもらったのね。「その感謝が、やっぱり、本当の行」だったみたいね、神様からのね。だから、一番楽な行を、神様が教えてくれて、神様が実行させてくれて、それで、早く幸せにしてもらったんだと思うね。
 
先ず、神様と自分との間には何もないでしょう。お金もないし、物もないし、貯金も何も無いわけでしょう。クッションはおいてないもんね。そのまま必要なものは、サッとはいってくるじゃない。それがその神様の愛の護りがヒシヒシと感じるの。余裕があったら感じないでしょう、間にクッション置くからね。だから、その食べ物でも、神様からサッと出してきたら、ありがたいじゃない。どんなまずいものでも「ああ、美味しい」となるじゃない。そういう体験をいっぱいさせてもらったのね。だから、ありがたくてたまらなかったの。
 
ご飯のお米のご飯なんか食べたことなかったのね、一番のご馳走が小麦粉のおだんごやね。それを野菜を取ってきたりして、一緒に煮込むわけだけど。それでお塩で味付けしてね、それが一番のご馳走だったのね。たまに麦でも丸麦をもらうのね。それはそのままでは食べないよね。押しつぶすと食べやすいけど、それでも炊いたのでも美味しかった。玄米をそのまま炊いたのより、もうひとつツルツルする。ツルツル過ぎるね、硬いからね。でも、それでもねえ、食べたら美味しいのね。あの当時は、戦後の食べ物の無い時だったから、外国からトウモロコシの粉が入ってきていたのね。晋通はケーキを焼いたりして食べるんですけど。それでもそのまま食べても美味しい。凄いなあと思うのね、神様から直接もらったものは、味が付いて、はははは。
 
質問者:
アスピリンを買いにいく時は「ありがとうございます」は言わなかったんですか?
 
ありがとうございます
いやっ。それでも先に頼るじゃない、そっちへね。身近なものにどうしても頼ってしまうね。だから、神様以外に頼るところを全部断ち切ってくれたのね。そこへ頼り切ったら治してあげるという感じね。本当は神様だけに頼ったら一番いいんだと思うのね。神様が全部面倒を見てくれているのよ、本当はね。でも、みんなそれを忘れて、お金に頼ったり、ものに頼ったり、人に頼ったりしがちなんで。だから、一番の幸せは、本当の神様に頼ればいいんだというのを、そういう意味で教えてくれたのね。それで早く神様を身近に感じられて。この幸せはぜったい崩れないのね、神様が消えない限り、神様は永遠に消えないもんね。
 
 
P12 ☆たくさんの神様を祭っていた父親
 
質問者:
お父さんが神さんに繋がられた時に唱えられていたのは、なんとかの神さんだったと思うんですね。それが、今先生がおっしゃいますようように「ありがとうございます」イコール神様につながるというのはどういうふうな・・・・・。
 
ありがとうございます:
私の父は、いろんな神様、神様を広くとって、いろんな神様を祭っていましたね。たくさん祭ったら、たくさん護ってもらえると思ってね。それでお祭りも小さい時は、「おきゅじ」というのか、お米を一杯お供えしたり、お水を替えたり、お花・榊をいろいろしたり、それをズーッとしていたの、小さい時からね。でもある時、一人の神様が出てきて、「たくさん祭っているけどなあ」言うて、はははは、「お稲荷さんに心を向けてたら、お稲荷さんは力があるからなあ、護ってくれるから、他の神様は全部お稲荷さんに任しておいたら大丈夫だから、みんな手を引くよ」って、はははは。そしたら、お稲荷さんはお稲荷さんでね、「お不動さんを祭っているから、お不動さんは力があるからね、大丈夫やからお稲荷さんは手を引くよ」と言うてね。神様ってだいたい謙虚だから。そんなんもうたくさん祭って在るのよ、いろんな神さん一杯ね。そしたら「一体だれが護ってくれるの」。ねえ、そうやってたずねてくるの。だから「たくさん祭らんで良いんだよ」と言うて来るのね。ただね、ひとつの神様・根本の神様に、「それをやっぱりしっかりと心に捉えないと」と教えてくれたのね。それが宇宙の絶対神の意味なのね。
 
 
P13 ☆最初は「天之御中主命」で「天照大御神様」では無かった
 
その時はね、「ありがとうございます」という言葉ではなかったの。「天之御中主命・あめのみなかぬしのみこと」という名前で教えてくれたのね。宇宙の絶対神の名前をこういうふうに唱えなさいとね。最初は「天之御中主命」と言うてたの。それが段々とまた変化してくるのね。この名前を唱えてみんなに通用するんだったらいいんですけどね。自分には通用しているけど、誰でも受け入れる言葉じゃないですね。それでもその言葉の上にやっぱり「ありがとうございます」を付けていたわね。やっぱり神様に対しては「感謝しないと…」と思うわね。「ありがとうございます」がもうひとつ上の神様だとは思わなかったのよまだ。ありがたいことがあればあるほど、やっぱり神様の上に「ありがとうございます」を付けたのね。「天之御中主命」と唱える回数よりもね、「ありがとうございます」を唱える方が増えてきたのね、段々とね。それで自然に「ありがとうございます」の方がピッタリくるようになってきたのね。だから、その途中のいろんな神様や仏様の名前が出てきても、それは別にどんなんでも良いと思うようになったのね。やっぱり最後は「ありがとうございます」の本当の神様の名前に到達するんじゃないかと思うね。
 
 
P14 ☆皆さんに伝える為の一つの体験例を神様が作ろうと思った
 
それも最初は解らなかったのよ。それでも唱える回数が増えてきたら「ありがとうございます」の方が、段々と「あっ、これが本物」という実感がね、それでもだいぶん後なのね。唱えさせてもらって、それがあって実感させてもらったんだと思うね。私は自分から唱えたとは思えないのね。やっぱり「唱えさせてもらった」というのが本当よね。それも唱えやすいように環境まで整えてよね、ありがたいように変えておいて、それで唱えさせてもらって、それで段々とその深い意味に気付かせてもらえたんですね。「ありがとうございます」の本当の意味も、皆さんにわかってもらうひとつの体験例を、神様が作ろうとされたのかもしれないね。そんな感じですね。
 
質問者:
それで宇宙で奇跡的な出来事などはありますか。
 
ありがとうございます:
ありますよね、表面的なことは一杯ありますね。不思議な事が一杯ね。奇跡といわれるような事ね。(それは今も)。一杯あるんですよね。もう、全部奇跡みたいなものですね。
 
 
P15 ☆二十歳で大きく広がった「悟り」。
    「人生の目的を追求する事を人生の目的にしなさい」
 
内面的には、丁度、二十歳の時に、自分の意識が大きく広がったんです。今までは、「肉体が自分、魂が自分」という感覚が強かったんですけど、その「人生の目的」についても、かなり悩んでいたのね。(それはお祈りの時)。そうですね。お祈り中ですね。丁度、太陽の方へ心を向けて目を閉じて、それで瞑想をしていたのね。そうすると肉体も魂も消えたような感覚、気持ちがスーッと大きくなってしまったのね。その時に、中学生の時から「人生の目的」を相当悩んだんですけど、もう自殺寸前まで行ったぐらいね。でも、自殺を止めてくれたのが、神様からの声なき声みたいなもので、「人生の目的を追求することを、人生の目的にしなさい」と言われた。いやっはははは。こんなん言うたらあかんねんけどね。それで死ねなかった。それからズーッと、やっぱり「人生の目的を知りたい」というのが強くて、それでズーッときて、二十歳の時よね。自分の意識が大きくなった時に、はじめてスッと了解して答えが出てきたのね。
 
「肉体が自分」と思っている時は解らないよね。どんな目的を掲げても、それは空しくなってしまって、やっぱり答えじゃなかったのね。だから、「肉体や魂」だと、やっぱり限界があるのね。だから、「死なない自分に気付かないと本当の目的はない」のね。だから、神様の無限に無限に輝いた姿を感じる事が人生の目的なんですね。その自分を実感するというのがね。やっぱり耀いた自分になるのが本当の目的なんでしょうけど。本当の自分、神様を感じなかったら答えではなかったのね。ちょっとだけその時に感じさせてもらったのね。それから本当のお祈りの行にまともに入れたの。
 
 
P16 ☆二十歳で本当のお祈りに入り、
             平和運動の為に働いたお金を全部つぎ込んだ。
 
二十歳の時からお祈りの行に入ったの。もう「命を神様に捧げます」と言って、「お祈りさせていただきます」ということでね。それでお祈りしながらいろんな仕事をしていたのね。朝・昼・晩、資金集めをしていたのね。やっぱりいろんな平和運動でお金がいるから、そのお金集めにね。だから、仕事はいっぱいしているの、いろんな仕事ね、お金儲かる仕事はなんでも。はははは。どんな人の嫌がる仕事でも一杯やってきたのね。「ちょっとでもお金をようけ貰えたから」という感じでね。でも自分の生活費に使ってないの、全然ね。結婚してからもそうだけど、家内は仕事をしていて、貯金してあったから、それを私が上手に使ってあげて(ははは)。それで私はもう入ってくるお金は全部平和運動につぎ込んだから、生活費は入れてない全然ね。子供が二人いてね、何も買ってあげてない。放ったらかしでしょう。それでも必要な物はちゃんと与えてもらってますよね。私からじゃないよ。他の人から。やっぱり「命を捧げます」と言った限りは、もう自分は何も出来ないのよね。だから、お祈りだけをズッとさせてもらって、必要だったらもう何でも命がけで、という気持ちで働いてきたんですけどね。
 
 
P17 ☆五井先生との出会い
 
質問者:
もう一つ良いですか。最初のお話だったんですけど。五井先生なんですけれども、五井先生のお祈りの話を聞いていて、その延長線上でMさんから、ここまでたどり着いた感じなんですけれども。自分の中でちょっと知織的に知っておきたいなと思うことが、五井先生とはどういう縁で会われて、五井先生とはどんなふうにされてと。この間チラッと聞いた時には「五井先生ところのピースポールの穴で、ステッカー式のは自分たちのグループで考えたんだよ」という事をチラッと聞きましたんで。そこのところを少し教えていただけたら。
 
ありがとうございます:
やっぱりお祈りを使命として与えられてるんでしょう私もね。その二十歳ぐらいには五井先生のことを知っているの。もう四十年ぐらい前よ。その時はまだ白光真宏会という組織はなかったよ。それもちょっとした機関紙は出ていたのね。そういうのを読んでいるのね、不思議とね。ところがまだ組織も何もないし、行ってないのね。行ったのはもうちょっと後やね、十数年あとよね。行った時に、最初は五井先生に庭で出会っているのね。初めて行って庭で出会った時に、びっくりしたんが、私がこうやって頭を下げたのね。お祈りのご本尊の神様の五井先生がね、私の何倍も頭を下げてくれる…。なんて、頭の低い謙虚な人かなあと思ったのね、びっくりしてしもうた。それがもう一番の第一印象だった。お祈りをして帰る時に、また庭で会ったのね。そうしたらまた遠く姿が見えなくなるまで手を振ってくれた。それはもう忘れられへんね。それはもうお祈りの神様というのをよくわかっているからね。もう底知れんもんが感じられるんですけど、表面的にもそうだったのね。
 
 
P18 ☆組織を作ったり、名前を出したら駄目、対立するから
 
私はもうそういう宗派を越えた平和運動とかお祈りがしたかったんで、別に自分を中心にしてとか、どうこうっていうのはないの、組織なんか絶対作りとうないんでね。もう既にあるものに「出来たら協力させてほしい」と言って一緒に活動させてもらった。でも、また自然に離れてしまった。だからちょっと役目がね、またちょっと違う役目かなと思うの。私はもう「ありがとうございます」という神様を表面に、中心に称える役目かなと思っているのね。私はもう、自分の名前は絶対出しとうないし、ボランティアグループの名前も、名も無きボランティアグループという形でズーッとしてきたのね。だから、これから自分を出したらダメなんじゃないかなと思うのね。そうすると、出すと対立するんでね。だから、最後は「ありがとうございます」ってね、究極の神様の名前を褒め称えて、ぜんぶが神様の下へ仲良く助け合うのがいいんかなと思うのね。
 
質問者:
すごいと感じたのが、最初は創始者は崇高な目的でやるんだけども、全部維持して行くために教団という形が出来る。皆そこでいろんな予期せぬ結果、争いとか、いろんな事が起こる。元々はそうじゃなかったんだけども、伝えていく人達の間で誤りがでてくるようです。それが今お話を伺ったように「ありがとうございます」を、今まで私は神様のレベルなのに、当たり前の言葉として使っていました。ここへ来て、初めてそういう気になって唱えていると、正にそうなんだろうなと自分の中で納得できるんです。そうしたら、それは全く当たり前の言葉として、この世に行き渡ってるんだから、何にも言わない方が本当に理想が出来るんだろうなという・・・・・。
 
ありがとうございます:
本当そうなのね。もう何も要らないでしょう。組織も何も要らないよね。
 
質問者:
一番それが理想なんじゃないかと・・・・・。
 
ありがとうございます:
皆、最初から知っている言葉だしね、自由に使える言葉だしね。
 
質問者:
それにちょっと意味づけを与えると、要するにとり方が変わってくるだけで、凄い大きなパワーになる。
 
ありがとうございます:
だから、その本当の意味を確認するために、ここへね、こういうところがあってもいいんかなと思えるんで、こういう場が出来たんだと思うんです。本当は、こういう場はない方が良いのよね。(究極はですね)。無い方が良いんですけどね。
 
 
P19 ☆皆が持ち寄って出来た「ありがとう村」
 
質問者:
途中のステップの過程として、やっぱり理解していく為には、ある程度のものは必要。それも最小限で本当はやっぱりない方がいいんだろうと。
 
ありがとうございます:
だから、ここも出来たのがタダで出来ているもんね。私は大体お金儲けはしてないから、無収入でしょう。無収入の人にこういうのをタダで与えてもらってるんだから、みんなボランティアの人がそれぞれいろいろ持ち寄ってこういうのを作ってくれたんです。だから、これをタダで全部提供できるでしょう。維持するのもお金は掛からないもんね、不思議よね。だから、何も要らないというのが良いのよね。無理せんで済むしね。こういう形までわざわざ何も無くても良いようにしてくれたから。これだけの建物と土地だったら税金が掛かるでしょう。小さい土地でも掛かるもんね。当ててごらん、大体当ててごらん。年に固定資産税はいくらかかる。千八百坪あるのよ。家がこんだけでしょう、棟がようけ建っているでしょう。(二三百万かかっても少ないんじゃないですかね)。晋通だったらね、一年の固定資産税はそうですねえ。桁も大違いよ四万五千円よ。お金が掛からんようにしてくれているのね。それも廃材を集めて造っているという形で、認めてもらっているからね。本当に資産価値がないようなね。(はははは)。でも、考えられへんの、こんなんね、ありがたいね。本当に四万五千円なんよ、嘘じゃないよ。(年間ですよね)。年間四万五千円ね。だから何も要らないよ、不思議でたまらんけど。はははは。
 
 
P20 ★憑依について
 
質問者:
想依の質問。
 
ありがとうございます:
やっぱり、一面から執われた見方なんですけど、根本はやっぱり本人が何を選ぶかというね。憑依されるとしても、この肉体を神様からもし預かったとして、これを自分が使いこなさないといけないね。明け渡したらダメなのね。この世の人の思いに振り回されても、あの世の人に振り回されても、自分の責任を放棄していますよね。正しい目的を持って、自分が正しく使いこなさないと、やっぱりその人の責任ですよね。そういう意味で肉体を放棄している人が多いですね。正しい目的で使ってない。そうしたら、使いやすいあの世の人もこの世の人も、操るかも知れないですね。それはもう仕方がないですね。特に、あの世からも肉体を持って生まれたいという人がいたら、それを利用してちょっとでもこの世を体験したいと思ったら、利用しますよね。そういう意味だったらそういう一面もないとは言えないですね。一部には存在する姿としてはあるんですよね。ただ、それを憑依霊のせいにして逃げているようなら、問題は解決しないですし、本人が「全責任がある」というふうにしないと何時までたってもどんな問題も解決しないですね。
 
質問者:
そういうふうにされる人は、そういう光を見れないんですよね、見るだけのエネルギーがないというか、そこへ逃げ込んでいるわけですから、そういう人に対してはどういうふうにサポートしたら良いのか。
 
ありがとうございます:
でも、長い目で見ましたら、やっぱり全部本人の責任なんです、感謝するのもね。感謝する生き方を選んでいたら前向きにプラスヘプラスヘいきますよね。だから、絶対そういうのは起こらんのですけどね。感謝を「強制的にせよ」とは言ってこないので、感謝を忘れた生き方も、ある意味では体験が必要なんですね。その期間が人によってどのぐらいの長さがあるかわからないですけど、ある程度そういう期間を通過した後、また、感謝に戻ってきたらいい。その時に、その苦労がみんな生きてくると思うね。感謝の素晴らしさ、価値を見出して、より深く感謝に入っていくんですよね。
 
質問者:
そういう人達に何かをさしていただける方法はないんでしょうか。もう、見守るだけですか。
 
ありがとうございます:
そうね。神様の方が、その人の自由意志を尊重して自由にさせてるんですよね。もし必要だったら、必ず神様は与えようと思って待ってるんですね。だから、神様が待っているのを周りの人がお節介は出来ないですね。
 
 
P21 ★無理に助けなくてもお祈りをしていたら必要な人しか来ない
 
質問者:
祈ることは出来ますか。
 
ありがとうございます:
うん。祈ることは出来るのね。それは自分が神様の助けを受けるためですよね。もし必要だったら、その時に神様は自分を使って必要な人に助けを与えやすいんですね。
 
質問者:
先生は、そういう人も相談にみえるじゃないですか。そういう時はどうされるんですか。
 
ありがとうございます:
誰彼無しに助けを与えるわけにいかないの。また、自分がいつも「人助けがしたい」と思っていたら、その為にお使い下さいと祈っていたら、そういう人だけが来ますよね。助けの必要でない人が来ると時間のロスですよね、無駄ですね。だから「本当に必要な人だけを寄こして下さい」というような感じで待っていたら良いんだと思うんですよ。
 
 
P22 ★あの世とこの世、進歩はこの世が早い
 
質問者:
そうしたら、この世の人の思いはわかるんですが、あの世の霊はあると思うから出来るんじゃないのかなという気がするんですね。どうなんですかね。
 
ありがとうございます:
でも、あの世が無限の段階の波の変化の違いであって、ある意味ではこの世は特別な世界ですよね。だから縮図的なんです。この世は、一番下から一番上まで縮図として持っている世界なんですね。この世へ生まれてくると同じ進歩でも、短期聞で進歩するチャンスがあるんですね。そういう意味でこの世へ生まれたがってくる霊魂が一杯いてるんですよ、あの世にいる人が。だから、何百倍の競争率を通過して生まれてくる。そのチャンスを失った人は、ちょっとでもチャンスがあれば縁のある人をたどって、ちょっとだけこの肉体を借りたいというのがあるのね。そういう意味だったら、別に憑依現象というのもマイナスばっかりじゃないですね。いい意味ではチャンスを与えるいい意味になるんですけど。だから、それをプラスにプラスに見ていけたら、全部プラスになるんですけど。それを他のせいにしたり、マイナスに見ると、両方にマイナスですよね、そういうふうになってしまうんでね。
 
 
P23 ★憑依霊と波が合うという事
 
質問者:
今のプラスマイナスがあるんですけど、私の知ってる僧侶が、昔の落ち武者とかにやられたり、娘が妙齢の娘さんがそういうふうな喋り方をして出てくる。そういうふうなことが現にあると。
 
ありがとうございます:
起こりますね、それはね。
 
質問者:
そんなんで憑いとるんですか?
 
ありがとうございます:
波が、波長があったときにフッと現れるんですね。
 
質問者:
始終、憑いとるわけではないですね。
 
ありがとうございます:
この世とあの世と、波は普段は違いますからね。心の波が何かで合った時、スッと全部が現れるんじゃなしに、一部、影響を与える程度の現れ方ができるんですね。
 
質問者:
そういう霊がおるのか、それとも自分の心が潜在意識といいますか、深層意識といいますか、それがつり出すわけではないんですか?
 
ありがとうございます:
本人に同じ要素があるんです。合って増幅されるのね。外の波と合ったときに増幅されるんです。
 
質問者:
想像力が増幅されるんじゃなしに、そういうエネルギーもあるんですか。
 
ありがとうございます:
感謝すると神様のエネルギーをもらってプラスが増えて増幅するんですけど。霊魂の助けも同じなんですね。霊魂と波長が合えばそれが増幅されるんです。またマイナスも増幅されるんですね。
 
質問者:
先程のYさんのお話ですが、光体がありまして、そのフィルムがどこにあるか私はまだわからんのですが。そこに思いを作りますとそれがネガとなって光がこの現実世界に、現実になるということでしたよね。そうですか。
 
ありがとうございます:
それもひとつの説明の仕方なんです。多分に大まかな表面的な仕方なんです。それで説明できないこともまだ一杯出てきますんで。まあ、解り易い説明ではあるんですけど。
 
質問者:
自分が今までに得た情報がありますね、本当か映画とかいろいろなことで想像力が伝わって思いが出来ますよね。その思いが、そういうふうな事を作ってるんじゃなしに、その波動がそういうふうなエネルギーを呼んでいる。
 
ありがとうございます:
そうです。そうでないと大きい力は出てこないんです。だから、人間の思いだけで作れるもんなんてほんの僅か限られてるんですね。人は神様から何を受けるかなんです。受ける方法として波の合わせ方があるんですね。その波を合わすというのは、心で合わすんです。心にどういう思い、また感謝を積み重ねたかによって、心の状態が変わるんですね。その心の波長に合ったものを、大まかにいうと、全体の心で大きく合わせて、またその時に浮かび出る一つの小さい心に、もう一つ細かいところへ波長を合わすんですね。その時に合ったものを引き出して体験するのね。だから、かなり複雑なんですね。
 
だから、無限の無限のチャンネルに合ったものを引き出して感じるような感じですね。それを周りの人がいろいろ見て、奇病したり、いろいろ言うのも、その人なりの見方なんです、本当はね。他の人が見たらまた別な見方をするんですね。同じいつもの姿を相手にしながらね。だから、結局はみんな自分の責任なんですね。自分が選んでみているだけの世界という感じになってしまうんです。もし憑依現象を自分が見ているとしたら、それを見てる自分がそれに波長を合わせてしまっているという。その憑依現象なんかは全然ない、もっともっと素晴らしい世界ばっかしを見る世界の人にとったら、それは「ない」と言うね。だから、
本人の全責任で自由に選んでいるという見方が正しいと思うんです。そうしたら全部に説明がつくんです。詳しくはまた、お祈りを始めます。
 
 
 …お祈りタイム…・「世界人類が平和でありますように」
 
 
P24 ★思いが実現する仕組みは、言霊
    ★人生の目的を「感謝を深くする」事を最終目的にする
 
質問者:
先程思いが現実化するシステム、仕組みは一通りじゃないというお話がありましたが。思いが現実化するという仕組みをお聞きしたいのと、それと全託するということとの違い、関わり、そこら辺をちょっと。
 
ありがとうございます:
言霊の力なんですよね。神様が相対の両極を組み合わせて宇宙の全部を創るんです。すべてを尽くした表現になっているのね。だから、マイナス無限大からプラスの無限大まで、ぜんぶ揃っているという、そういう表現が含まれてるんですね。だから、無限の無限の段階が全部取り揃えられているという。ただ、神様の願いはその中の最高表現を受けて味わって欲しい。一番上の最高の表現を味わって欲しいんですね。だから、人生の目的というのも、感謝を深く深く極めて、最高表現を受けて、それを味わって幸せいっぱいに生きる、それを人生の最終目標にするんですね。神様が与えてくる最高のものを受け取るというのが一番大事なことだと思うんです。
 
人の思いというのは何かをあやつれる力があるのかというと、無いんですよ。人の言葉や思いでは、石ころ一個作れないのね。ただ波長を合わす、番組に波長を合わす力はあるんですよね。だから、マイナスの思いを出せば、マイナスの言葉を使えば、マイナスの番組に波長を合せられる。そしてその番組を具体化して運命として味わえる。
だから人間の言葉で、思いで何かを作れるんだったら何でも作れるはずなんです。出来ない事が一杯ありますよね。言葉通りになるんだったら、思い通りになるんだったら、太陽を夜にも輝くようにもう一つ作って、でも、出来てこないですね。地球上の全部が思っても無理ですね。これね、やっぱり人の言葉や思いでは、そこまでの力はないんですね。言霊と言葉の違いだと思うんですけど。
言葉は単に番組に波長を合わす為にあるんですね。そういうふうに見ると、人の運命というのは、一人一人の言葉の使い方、思い方によって自由に上にも上がるし、下にも下がるし、自由にどの番組でも選んで受け取れるという。ただ、一番下の番組を一旦味わうと、今度は最高の番組は更に素晴らしく感じられる。そういう意味では、一番下の番組もチラッとは見てきたほうが良い。そういうふうに仕組まれてるんじゃないかと思うんです。
 
 
P25 ★「らせん」という行き止まりの無い無限の世界
 
質問者:
絶対から相対で無限大でなってきますね。一直線じゃなしに昼間おっしゃっていた「らせん」というのは、このプラスマイナスの一からマイナスニマイナス三、と同時にあるような気がするんですけど。ですから、無限のマイナスから無限のプラスヘ行くのは同時だと思うんですが。
 
ありがとうございます:
神様のすべてを生み出す創造の働きを問うのに、もう時間はないんですね。時間が無く全部同時なんですね。だから「時間」というふうに出てくると、もう相対の一つの要素になるね。丁度、時間と空間が相対の両極になるんで。
 
質問者:
「らせん」というのも、そういう表現をされるだけで、「らせん」に時間はないんですね。
 
ありがとうございます:
「らせん」に時間はないんですね。「らせん」というのは、すべてを相似形に生み出していくという、入れ子構造の字宙を創り出すという意味なのね。だから、大きい大宇宙、今現実に見ている世界がここにあったとしても、その大宇宙を原子の一個ぐらいに小さく収める大きい宇宙があるかも知れないね。更にその大きい宇宙を原子一個ぐらいに見て、それを大きい宇宙が更に外に広がる。また、小さく見たら逆にそれは無限に小さくもなっていく。際限なくそれは無限に続いているんですね。そういう意味だと、スケールが全然想像を絶するぐらいの大きさがある。だから、絶対限界がないんですよ。行き止まりが無いですね。これで把握できたかというと、もう一つ、一回り大きいものがまた出てくるという。それがまた凄いのね、ありがたいことだと思うんですけど。だから、今自分の見ている世界を「掴んだ」と思っても、まだまだ先の楽しみがいっぱい残されているという。
 
質問者:
「らせん」はあるけれども、それは絶対の「らせん」という意味ですね。
 
ありがとうございます:
「らせん」が角度から方向からぜんぶ違うんですよね。だから、単純に簡単な線で現して理解の助けにはなるけど、これがすべてを尽くした無限の「らせん」構造が起こるのよね。すべての要素をぜんぶ複雑に組み合わせているでしょう。一つの要素だけでも大変なんですけど。そこが、もう言葉を越えて想像を絶して計り知れないね。だからありとあらゆるものをぜんぶ尽くして生み出されているのね。だから、人間が想像して考えられる事は、全部神様の方は用意してしまっているという。それ以上に計り知れないものが一杯あるんですよね。
 
 
P26 ★マイナスの極みも一瞬で行ける
 
質問者:
マイナスの極も時間的には段階を踏まなくても一瞬で行けるんですよね。
 
ありがとうございます:
そうです。その時間空間を越えてしまえばね。越えてしまえば一瞬なんですね。どの階にも、どの世界にも一瞬に入ってしまうのね。
 
質問者:
でも、無理ですか。
 
ありがとうございます:
その執着の心、掴む心がなかったら、いうたら感謝の心になりきれば自由なんですね。その感謝の心が何故本当の自分か、「ありがとうございます」という神様が何故本当の自分になるかという、そこなんですけど。すべてを捉える自由自在な心に戻るんですね。それが本当の自分で、一番心の納得する、安らぐところなんですね。感謝に戻るまでは、やっぱり小さい部分だけを掴んで、その中にはまり込んで自由を失ってるんで、どうしても自由が無いとか、まだまだこれじゃあ心が安らがない、本物じゃないというところがあるんですよね。それで感謝に戻って、やっと心が落ち着く。
 
 
P27 ★人間が考えて想像できるものは全部用意されている
 
質問者:
今のお話の確認なんですけども、私の理解した程度なんですけど。神の存在で、全てが準備出来ているという、全てが神という存在で出来ている。
 
ありがとうございます:
だから、全てのすべて、それを神というふうに呼び…
 
質問者:
全くあり得ないものというのは最初から無い。全部それで、全てが既に用意されていて、だから、ありがとうだと。思いのチャンネル、波動というチャンネルが合ったときに番組を選んで見れるんだという。ということは、自分が何かを作ったり体験したように思ってるんだけども、実は、元々は自分の思いが偶々合致したから、その場面が出てきて自分が体験してる。(そうですね)。そういう理解で良いんですか。(はい)。そうすると、森羅万象がある中のどのレベルに合わせるかというのは自分次第。(はい)。それは、自分で無限の、マイナスとプラスの中で受けられるということですか。
 
ありがとうございます:
はい、ただ、「思い」というとちょっと限定されるんですけどね。「感謝も含めた言葉・思い」という意味だったら、それはぜんぶに通用するんですね。感謝の世界は、もっとプラスのものばっかしを感じる、無限に広がった世界の番組を見るんですよね。思いというのは、一つのことをしっかり掴むような感じで、ちょうど執われたような感じの番組を見るんですよね。その両方を含めた「思いとか、感謝」と言うんだったらよくわかるんですけど。
 
質問者:
今おっしゃっているのは、無数の多次元世界ということですか。
 
ありがとうございます:
そういう考え方も含まれるんです。無数のという、無限の多次元世界ですね。
 
質問者:
無限の多次元世界にこれから益々入っていく。
 
ありがとうございます
入っていくというより、もう既にあるのを、体験をどんどんしていくというような感じですね。
 
 
P28 ★「無限の無限の・・・」は底知れぬものを言い、
               それを感じ取れたらもう一つ無限がつく。
 
質問者:
今まで聞いていて「無限の無限の」って何を無限の無限のかっていうのがよくわからないんですが。自分がここだと思ったらもうそれっきりなわけですね。(はい、はい)。そういう意昧の否定をするために「無限の無限の」なんですね。
 
ありがとうございます:
否定するんじゃない。もう底知れぬという、無限の無限のだけじゃなしに、更にその上に無限が付いてくる、それを把握したらもう一つ無限が付いてくるんです。
 
質問者:
あ〜…。
 
ありがとうございます:
だから、この世に生きている限りは、無限でも凄いんです。その無限の何々と捉えても、ちょっと奥へ入るともう更に無限が一つずつ加わってくるんですね。それはもう感謝の広がる凄さなんですけど。
 
質問者:
やっぱり自分で感じ取るしかないですね。
 
ありがとうございます:
そうです。
 
質問者:
人と比較してとかそういうのじゃなしに、(はい。)自分がどこまでそれを感じられるかという。
 
ありがとうございます:
神様の表現を、神様をどれだけ自分が感じ取るかなんですよね。だから、感じ取る量が多くなればなるほど、無限の無限の上に更に無限が付いて更に無限が付いて…、となってくるはずなんですけど。
 
質問者
「ありがとうございます」の、感謝という捉え方をちょっと、どういう感謝、受ける感謝もあればいろいろあると思うんです。
 
ありがとうございます:
「ありがとうございます」の中にすべての感謝の姿が全部あるんですよね。細かい小さなものへの感謝、プラスを認める感謝、マイナスをプラスに思い返すような感謝とか。ありとあらゆる感謝の方法も、中身もその違いもぜんぶ含まれてるんですね。だから、本当の感謝は「無限の無限の感謝と表現した方が、感謝一つに顔が全部違うというのがね、そのくらいの大きい感謝があるんですよね。
 
質問者:
感謝という言葉を世の中に広げますと、自分が何かを受けることに対する、与えることに対する感謝、そのぐらいしか感謝が考えられんのですが。無限の無限のというのをもう少し、広げて教えていただけたら。
 
ありがとうございます:
例えば一つの幸せという。感謝の中の一つの要素を捉えて、無限の無限の幸せってどういうものかをちょっと考えてみたいと思うんですけどね。まず、自分というのは、過去・現在・未来のすべての時間に自分がいるとしたら、今の自分が「無限の感謝、無限の幸せ」を捉えた時に、すべての時間に存在する自分の幸せを全部ひっくるめたら「無限の無限の…」となりますよね。まず、これが時間的な要素ね。次に無限の次元に自分がいるとするんですね。実際いるんですね。この一つの次元にもいて、他の次元にも全部一応揃ってるんですね。今の次元の自分が、無限の感謝…だったら、他の次元の自分も無限の感謝をぜんぶ揃えられるのね。それで
「いやひろどの」って入れ子構造と宇宙を考えたときに、今のこの全大宇宙の中の自分が「無限の感謝・無限の幸せ」と捉えたとしても、入れ子構造の宇宙が、また無限に無限に小さいのから大きいものまで含まれるんで、それを全部ひっくるめると、また無限の無限の幸せとなるのね。それで、自分が肉体人間として今生まれて幸せを感じるわけですけど。人間が宇宙に無限にいますよね、だから他の人の幸せも全部自分が取り込んだ時、そしたら、無限の無限の…となりますよね。
 
そして、人間だけじゃなしに、他の動物も植物も鉱物も、それぞれにやっぱり神様の意識を与えてもらっている限りは、無限の幸せを感じることが出来るはずなんですね。他のものも全部自分の幸せの中に取り込めば、更に、これも無限の無限の幸せですよね。それで、その幸せ一個一個顔が違うんですやっぱりね。顔が違うというのは、一つの顔を表に出していて、そのバックが全部組み合わせが違うんですよね。だから、必ずその一個の幸せに個性があるのね。そういう意味で一つの幸せの中に無限の幸せがあれば、無限の幸せが無限にあるんですね。その幸せというのが必ず変化するのね。同じ状態を持続してないの、必ず大きくなるし、深くなるし、質が高くなるしってね。それも無限に変化しますから、無限の無限の…が付いてくるのね。絶対から必ずこの相対の表現に出てくる時は、必ず奥から無限のものがどんどん押し出されるのね、ところてん式にね。だから、今現れたものを「無限の…」と捉えた時に、必ず奥に「無限の無限の…」というふうに押し出すものが必ず出てくるのね。
 
ありがとうございます

 

ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます

0.1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.
19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.32.33.34.
35.36.37.38.39.40.41.42.43.44.45.46.47.48.49.50.
51
.52.53.54.55.56.57.58.59.60.61.62.63.64.65.66.

67.68.69.70.71.72.73.74.75.76.77.78.79.80.81.82.
83
.84.85.86.87.88.89.90.91.92.93.94.95.96.97.98.99.

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