ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます

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以下(いか)のコラムは宗教(しゅうきょう)サイトではありません。古神道(こしんとう)研究(けんきゅう)ノ−トです。
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ar18表面に現れる姿2002.3.23.04

☆知り合いに憑依現象に悩まされている人がいて、「ありがとうございます」という言葉を唱え始めたら、現象としては身体の痛みが増して硬直して、時には気を失ったような状態で、それでもうわ言のように「ありがとうございます」と唱えているようで、本人としては前よりも随分キツイ体験だと・・。お母さんも心配していて、その言葉自体に囚われているのではないか、前より酷くなったという捉え方をしています。今どういうことが起こっているのか、安心させてあげるためにどういうことをお伝えしたらいいかと・・・。

ー「ありがとうございます」ー
 表面に現れる姿というのは心の中のものを形に現して下さるわけです。心にマイナスがあるときはマイナスを消してくださる働きもあるんです。だから病気をしても熱が強く出る方が早く治ります。そういう意味でマイナスを消すんだったら、更に悪くなる姿をとる時もあるんです。
 ただ、ありがとうございますと唱えられるときは、唱えること自体がもう大きな神様の助けなんです。神さまが中に入って光を添えている結果として「ありがとう、ありがとうございます」として出て来ているんです。だからそれは大きい助けを受け続けている状態なんです。そのうちスッとマイナスが消えてプラスだけに置き換わってきます。

☆その方は自動的に一日何時間か言い始めるようで・・それに対しては、ただ見守るような形でいたらいいですか?

ー「ありがとうございます」ー
 そうですね。心配要らないです。

 殺されても「ありがとうございます」

☆例えば自分の家族が誰かに殺害された場合に、その犯人に対しても「ありがとうございます」なのか、その辺をとても疑問に思います。

ー「ありがとうございます」ー
 根本は、神さまから無限の無限のチャンネルの番組を与えられて、「自由に選んでそれを楽しみなさい」というふうに神さまから送り出されているわけです。それでマイナスの番組というのは、かなり低い番組ですけどそれもある程度体験した方がたくさんの中からいろいろ体験を積んで最後に最高のいい番組を味わう方が幸せが大きくなるんです。
 だからマイナスの体験も必要な時は必要なんです。家族が誰かに殺されたとなると、かなり低いマイナスの番組ですけど、それを体験したあと、幸せいっぱいの家族の姿を見せてもらうと「ああ、今はなんて幸せなんだろう」というふうに幸せを強く感じます。だから感謝するということは番組を受けて味わっているということなんです。神さまから与えられた番組を今、勉強だったら勉強という形で味あわせてもらっている・・だから別にマイナスに受ける必要は本当はないんです。どういう状態のときも神さまからのプレゼントを今受けているというのが感謝、ありがとうございますの感謝なんです。その中にはマイナスの番組もあるしプラスの番組もあるし、大きい幸せも小さい幸せもいっぱいあるんです。その時その時必要なものを与えられて受け取って、そして幸せをどんどん大きくしていってる過程なんです。
 だから殺されてもありがとうございますと言えたら大したものなんです、必ず大きくプラスに変化する時があります。でも普通はちょっと言いにくい、それでもいいんです。言いにくい時でもそれがまたいい体験になって必ず感謝が深くなるように仕組んでくださっているんです。また時間がたったらありがとうございますと過去の姿にも感謝できる自分にもなっていると思います。必要があったら必ずよくなるようにしてくださるんでどちらでもいいんです、感謝してもしなくっても、出来ても出来なくってもいいんです。

☆自分が、ありがとうございますを言う間もなく殺されてしまった場合はどうしたらいいのか、どこへ行くのか・・・教えてください。

ー「ありがとうございます」ー
 殺されて、瞬間にあの世へ行ってしまったら・・・。あの世から「ありがとうございます」の感謝が出来るんです。いろんな大きいマイナスをこの世で消す働きをさせてもらったという、その自分のマイナスを大きく軽く消してもらって、またあの世では幸せな番組へ送り込まれるわけです。また、縁者のマイナスを大きく消す働きもさせてもらったら、周りの縁者をも幸せに導いているんです。だからこの世で気付かなくてもあの世で気付くんです。それで感激して涙を流しながらありがとうございますといえるんです。

 口だけの「ありがとうございます」の感謝も必要

☆本当に心からありがとうございますという体験をしたいんですけど、なかなか出来ない、口だけのありがとうございますで終わっている自分を見ています・・・。

ー「ありがとうございます」ー
 最初はそれでいいんだと思います。だんだんと必要に応じて必要な気付きを与え、感動を与え、湧き上がる感謝に変えて幸せを大きくしてくださるんです。でもこれを最初から湧き上がる感謝が出て来て、感動しっぱなしというのだとそれに慣れてしまったときに喜びが浅くなります。だからある時期は感謝しているのにあまり感動も何もない喜べないという状態がある程度あったほうがいいかも知れないです。
 口だけの感謝も必要なんです。いろんな段階の感謝を体験して、そして一番上の感謝をありがとうございますを味わう方がいいです。神さまのほうはそれを全部見通して仕組んでいるんです。だから今の感謝はそれでいいんだと思います。だんだんとまた大きくプラスに変えて、一通り全ての感謝が味わえた方が本当の感謝になります。一番上から下へ降りるのも大変です、下から上がる方が楽なんです。

 奉仕

☆仕事の他に、9年ほど自分も楽しみながらボランティアをしていますが、本当の奉仕というのはどういうものか・・教えてください。

ー「ありがとうございます」ー
 奉仕という言葉は「仕え奉る」という字を使います。かなり謙虚にさせていただくという意味です。これはもう、神さまに対しての恩返しという意味だと思うんです。神さまから無限の素晴らしいものをいつもプレゼントしていただいてます。その万分の一、億分の一の恩返しも出来ないと思うんですけど、少しでも恩返しが出来たらという気持ちで「神さまのお手伝い」を、そのために仕え奉るという気持ちでさせていただくんです。
 恩返しの気持ちというのが本当のボランティアだと思います。自分に余裕があって、人の為に何か与えているという気持ちがあるとちょっと高慢になりがちです。そうすると「これだけ与えているのに何も返してくれない、いい反応を示してくれない」となると、ちょっと引っ掛かったりします。でも、神さまへ恩返しという気持ちだと相手がどういうふうに反応を示してくれても、神さまのお手伝いだから、神さまが自分を使って人を幸せにする働きを一生懸命させてくださるんです。
 あとはお任せです、神さまは必要あって使った下さる、必ず相手を幸せにするためにしてくださっているんです。すぐに結果が出なくても神さまは先をズーッと見通して働いてくださるんで、だから引っ掛からなくなります。それだとボランティアが永続すると思うんです。神さまへのお手伝いというのがいいです。


 神様というは全て

☆神様という言葉は人によってとても解釈が分かれていると思いますが、「ありがとうございます」にとっての神様は・・・?

ー「ありがとうございます」ー
 私の場合は神さまというは、全てです。・・全ての全て・・神さましかいないというところまで行くんです。だから、この世も神さまの心の愛の表現です。神さまそのものという愛の塊に思うんです。すべてが神さまという、そういう神さまです。

☆例えば、感謝できなくてムカッとしているそういう思いの心も、奥の奥は神様なんですか?

ー「ありがとうございます」ー
 そうです。すべて神さまの中に包み込まれて、神さまの表現の中の一部として存在しているんです。神さまがすべてとしたら、この爪の先の小さいホコリまでも神さまは必要としているんです。マイナスはないんです。必要があって存在するという意味だったら全部役わりがあって価値があるんです。
 神さまの表現自体が例えば、光と闇があったら光を浮かび上がらせるという意味で闇を使うわけです。光だけだったら大きい光の塊で終わりますが、闇があるからその光を和らげて小さい光も、また虚の光というようなものも作り上げられるんです。そして光の表現が無限の無限の段階の表現に現れるわけです。そうしたら大きい光の塊だけよりもいろんな光の表限がある方が全体を見ると素晴らしいんです。
 ただ、バックには大きい光が必ず存在しているんです。それを闇の働きによって和らげていろんな光の表現をとっていて、それで全体像が凄い素晴らしいものに変るんです。だから闇だけを見る必要はないです。光の表現として全体の一部として捉えたら、みんな輝いてます。蛍の光も小さい星明りも素晴らしいんです。


 好きになる

☆よく自分を愛するとか自分を好きになるとか聞きますけれど、そういうのはどう思ったらいいんでしょうか?

ー「ありがとうございます」ー
 自分のいろんな段階があります。この肉体の自分、魂の自分、神さまと一体の自分とかいろんな自分があって、それを全部好きになった方がいいんです。
 好きになる、愛する、というのはそれをプラスに見ることです。本当の価値を見出せたら大好きになります。肉体の自分ひとつ見ても、この全身の細胞が無限に輝いていると思うと、無限に輝いた体です。一個一個の細胞が本当にダイヤモンド以上に輝くんです。なんて素晴らしいんだ、と思うでしょう。これは神さまからの預かりもので、まあ、借りものなんですけど一瞬一瞬新しいものに置き換えて新陳代謝させて与え続けてくださるという、こんな素晴らしいプレゼントをいただいているんです。それだけでも大好きになります。そういうふうに自分の全てを価値あるものとして気付いていくというのがいいです。そうすると、みんな好きという本当に自分を愛するという状態になります。

 前向き

☆現在の職業が嫌でたまらなくなって来ているんですが、辞めてもいいものなんでしょうか?

ー「ありがとうございます」ー
 他に必要なしたいことがあれば、辞めるというんじゃなしにスッと移ればいい、変化すればいいです。辞めるだけだと逃げている感じかあるかもしれないです。
 だから次にするものがあれば前向きです。そうでなければ、それが今必要なんでしょう。だから「嫌だから」という状態でも如何にそれを楽しんで価値あるものとして取り組めるかという勉強です。前向きになったときは楽しめるでしょうね、それで何か勉強させてもらって卒業すればいいです。そうしたら次に新しいものが、必要なものとして前に出てきます。その時に次にスッと移ればいい、常に前向きというのがいいです。


 二十四時間本心で生きる

☆「ありがとうございます」が仰るように本心で生きたいと思うのですが、時々本心でないものも出てくるんです。毎日二十四時間本心で生きるコツを教えてください。

ー「ありがとうございます」ー
 ありがとうございますでいいんです。神さまが全部ご存知なんで、必要なものをズーッと与え続けてくださるでしょう。今の自分にとって必要なものしか受け取れないんです。あまりに与えられすぎたら、それが負担に重荷になって幸せが崩れてしまうんです。いま水を飲みたいと思って、コップ一杯でいいのに洪水のように押し寄せてきたら、流されてしまいます。だから必要なだけが一番幸せになるんです。
 本当の感謝も、湧きあがる感謝が欲しいと思うでしょうけど最初にそれを一回体験したら今度は小さい感謝を味わうことが出来なくなるんです。一番下から順番に上がるのがいいんです、本当に。順番に上がって感謝を深めていく方が、途中の景色をズーッと楽しみながらというのがいいです。山へ登るんでも最後には頂上へ昇りますから、その時に全体をしっかり眺めて幸せを味わう、それがいいんです。

☆毎日生活していると、嫌なことが浮かんできたりしますが「ありがとうございます」で、パッと消えるものでしょうか?

ー「ありがとうございます」ー
 そうです。ありがとうございますを先に使えば神さまがサッと入ってきてくれます。そうしたら必要なものだけを残して必要ないものを消して下さる、ただその時に、神さまの必要なものと自分のして欲しいものとちょっと違うんです。
 感謝の心が深くなったらそれが一致するんですけど・・。最初はちょっと「思い」が残ります。思いの自分はちょっと逆に考えるんです。だから、ちょっと嫌でもしんどくても「必要なんだな」とちょっと価値を見出すと、ありがとうございますという気持に切り換えていけます。そうしたらもっと楽に受けていけます。でも必ずマイナスはどんどん消されますから、大丈夫です。


 悔しかったら、降りておいで

☆何かする時に神様から「こうしなさい」と言われたような気がして、けど自分の中ではそれが納得できない時に、出来ないとか嫌ですとか神様に文句を言ったらダメなんでしょうか?

ー「ありがとうございます」ー
 いいです。神さまに力があるんですから、文句を言わさないように力を添えてくれます。それは神さまが慌てん坊なんです。ねー、・・先に力を添えておいて「これをしたらいいですよ」と言えば喜んでしますね。神さまの方が修行が足りないです。神さまに「悔しかったら、降りておいで」と。

 お金にならなくても仕事

☆2年程前から仕事が全然ダメで、能力的に出来なくなり、もともとそんなにやりたくない仕事でもあったのですが、どうしたものかと・・・?

ー「ありがとうございます」ー
 仕事は何でもいいんです。自分の出来ること、人の幸せに繋がることだったら、必要なことを何でもさせてもらったらいいんです。ただ、みんなお金にならないと仕事とは思わないんです。道路のゴミ拾いでもいいし何でもいいんです必ず人の幸せに繋がります。それが必ず自分の幸せになって帰ってくるんです。
 だからお金に換えなくっても仕事なんです。そういう仕事を、できることを順番に増やしていけば、大きい幸せに繋がっていきます。だから何でも楽しんでされた方がいい、いやなことはもうしないでいいです。楽しんで出来ること、喜べることをどんどんしたいことから始めたら、ボランティアの本当の幸せを掴む仕事です。


 神様の名前なんだと気付く

☆ありがとうございますという言葉だけが、どうしてそんなに凄いのか?
「ありがとうございます」がそれを発見した経緯を教えてください。

ー「ありがとうございます」ー
 ありがとうございますだけが素晴らしいんじゃなくて、他にも沢山いい言葉があると思いますが、その代表としてありがとうございますという言葉に深い意味があるんです。これは唱えてみると、実行してみるとよくわかるんです。実行した程度に応じて,その言葉の深さが感じられてくるんです。
 私は三歳ぐらいから、ありがとうございますをズーッと唱え続けているんですが、もう何があってもありがとうございます、です。だから苦に思ったことは何もないです。小さい時にいろいろ苦労をさせてもらっても、苦労が楽しいんです。だからどれだけマイナスに見えることがあっても苦にはならなかったです。
 でもそれも回数の少ない時は浅い段階です。それがだんだんと何億回と唱え続けてくるにつれて、神さまを直接感じるような感じです。みんな神様なんだという、無限に無限に輝いた姿ばっかりなんだというふうに必ず感じられてくるんです。
 だから、これは神さまの名前なんだというふうに気付いたんです。それで神さまの名前というのでも、いろんな神さまの名前がありますけどすべてのすべてなる神さまの名前、全体を指し示す言葉なんだということを判らせてもらえたんです。
 この言葉さえ唱えたら本当の神さまが現れて助け続けてくださると。いろんな神さまの名前がいっぱいあると対立して争います。でもこの神さまに限っては争いがない、ありがとうございますは争いが一切ないでしょう。またどんな信仰をしている人もありがとうございますと唱えます。どんな神さまの名前の後にもありがとうございますと付けます。だからすべてを中に一大包容した働きをするんです。回数多く唱えれば唱えるほど必ず気付きが増えます。ありがとうございますの意味も・・。


 回数の話

☆私は身障者でニ、三百歩歩くと左足が出なくなるのが、歩くたびにありがとうございますを唱えると歩けるもので、それを励みにずっとやっています。回数の話で一日に何千回か唱えたのが通算されて累積されるものなのか、それともその日一日の回数で多いほどいいのかというところに今ちょっと引っ掛かっています。

ー「ありがとうございます」ー
 いろんな数え方があっていいんです。中身もどんどん変化しますから。深い一回のありがとうございますにも、無限の回数のありがとうございますを中に持っているありがとうございますにも変化するんです。数も大事だし中身も大事なんです。両方いろんな角度から楽しみながら感謝は深めさせてもらっている筈なんです。


 みんなの感謝が自分の代わりの感謝

☆「ありがとうございます」は三歳からで、私は今六十三歳で六十歳くらいから始めたから、その六十年間は埋まらないと思いましたが、感謝の内容で埋まっていくのですか?

ー「ありがとうございます」ー
 そうです。みんなの感謝が自分の為の代わりの感謝なんだと思うと、みんなのしてきた感謝を全部いただけるんです。そしたら、得します。(☆先生の分もいただけるんですか?)はい、そうです。 出遅れたんじゃなしに、先に皆に代わりにしてもらっていたんです。皆まとめてありがとうございますと、それで無限の人がいたら無限のありがとうございますを全部もらえばいい、だからみんな大丈夫です。

 必要な物は必ず与えてもらえる

☆ゴミを拾って、ありがとうございますと言っててそのまま行き倒れになっても幸せかもしれないですけど、家族がいて、その父親がそうやって死んだら何だかこの世の楽しみもなくて、生きてる以上食べないとならないし、その辺の兼ね合いをどういうふうに考えたら・・・?

ー「ありがとうございます」ー
 この世に生を受けると、この世で必要なものをちゃんと用意して徳分として与えてくださるんです。その徳分を使い果たしたらちょっと苦労するんですけど。だから贅沢さえしなかったらこの一生寿命のある間はちゃんと必要なものを与えてもらえるんです。食べ物も着る物も住むところも・・だから絶対大丈夫なんです。ただその徳分を先に贅沢して使い尽くしても、また人の為にと尽くし始めると補充がくるんです。
 だから感謝しながら人の幸せの為にと働いている時は絶対必要な物は必ず与えてもらえるんです。ゴミ掃除だけでもいいんです、ご馳走が落ちてるかもしれない・・そこまで行かなくても誰かから「これをどうぞ」といただける筈です。これは人がするんじゃなしに自分の背後で護る守護霊さん守護神さんなんかが、必要なものを必ず集めてくれるんですけど。それが人を通して食べ物が必要だったら食べ物が入ってくるんです。
 だから皆から必要なものを受ける気持で、ありがとうございますと言っていたら必ずどこかから入ってきます。これは絶対間違いないんです。だから大丈夫、心配いりません。


原爆・環境破壊

☆原爆とか環境破壊とかに反対をしていても凄く空しくなって、暗いものを見ないいでいいものをと思うのですが・・・神様がぜんぶ仕組まれているんでしょうか?

ー「ありがとうございます」ー
 神さまは番組として、無限の無限のチャンネルとして用意して自由にそれを受けて味わいなさい、現実化しなさいと言っているんです。人は、自由意志があるんです。一人ひとりに自由意志があって、自分の好きなものを選ぶんです。その選び方は言葉で選んでいるんです。言葉通りに選んでいくのでマイナスの言葉を使うとマイナスの番組を選んで引き出すんです。感謝の心というのはプラスを感じてプラスを選ぶんです。だから必ずどんな状態でもプラスにプラスに変化して良くなるんです。
 普通は求める心を持ちます。「今、足りないからこうしたい」という求める心、これはマイナスの心なんです。だからいいものを降ろしてきてもマイナスへ傾くんです。
 戦争を起こすのでもそうです、いろんな原子爆弾を作るのも、先ず「今、平和でない」と掴んでいる、「攻められるかもしれない」と疑心暗の心でマイナスに思ってますね、必ずそういう状態の心の時に言葉を使うとマイナスの番組を引っ張り出します。だから折角いいと思って作り上げたものがぜんぶマイナスの働きに変化するんです。
 これは人の自由なんでどうしようもないです。ただそれをカバーするんだったら、プラスに生きる人が増えてそのマイナスを帳消しにすればいいんです。プラスの方がマイナスを消す力が大きいんです。光り輝いたものほど暗闇を消せます。光がないから闇がはびこるんです。光を輝かせる明るい生き方の人をとる人が増えれば増えるほどいいんです。そうしたら小さいマイナスはみんな消えるんです。だから原爆があっても別に感謝する人が増えたら「ああ、必要ないから放そうか」となります。先ず心がプラスに変化してくる方が大事です。みんな仲良しだったら武器は要らないし、心が安心立命だったら人を責めることもないし疑うこともないし、みんなお任せだったら命もいらないと言うぐらいに思えたら、絶対に戦争なんて願わないです。
 そういう形のマイナスの消し方の方がいいです。心配していろんなマイナスを掴んで対処している人に対して、無理矢理「それをするな」と言っても無理で、それはそれで仕方ないんです。それをカバーして助けてあげたらいいだけなんです。その助け方が、心をプラスにする働きが一番いいんです。感謝して神さまの光をいっぱい浴びたら、自分の心が先ず明るくなって、その明るい心を振りまけばもう自然にみんな明るくなります。そうしたら、心配する心さえ消えたらマイナスが少なくなるはずなんです。だから大丈夫なんです。
 そのうちに原爆もアンパンに変える技術が出気てくるかもしれない。新しいいいものを作るときは、必ず古いものは不要になるんです。置き換えが必要ですから。
 だから、マイナスに見える壊れていく姿も、新しいいいものを持ってくるために必要という場合も多いですから、マイナスのことを心配するよりプラスを負けないくらいに沢山加えた方がいいと思うんです。死んでいく人が多かったら、うまれてくる人を増やせばいい・・神さまの働きは大体そうなんです。どんどんプラスをたくさん加えたらいいというだけなんです。それをどうやって増やすか・・感謝して神さまからいいものをいっぱい受ければいい、絶対良くなるんです。


 一番下からプラス一元に

☆三次元はプラスとマイナス、損と得、社会もすべて二極で成り立っていると思うんですが、二十一世紀からは二極が一極の方向へ、中立や中庸の方向へ行く気がします。だから今、中立、中和、淨化、癒し意味での「ありがとうございます」じゃないかと捉えているんですが・・?

ー「ありがとうございます」ー
 そうです。感謝は神さまの表現のすべてをプラスに受ける生き方です。だから無限の無限のチャンネルも一番下からプラス一元に、光一元に仰ぎ見て、ぜんぶ価値ある番組として受けていく心を養うんです。だから本当は一元的に見る見方が感謝なんです。だから、それは正しいです。感謝がそれで本物になっていく、深く深くなる働きです。

 思いと感謝

☆例えば自分が大金持ちになりたいと本当に思う、反面「そんなこと自分には出来ない」と必ず二極で持ちます。プラスを考えれば考えるほどマイナスを引き寄せる自分がいて、そのマイナスを実現していってる感じを受けますが、感謝でそういうマイナスというのを消していけるかどうか、その辺りを・・・?

ー「ありがとうございます」ー
 思いの働きと感謝の働きとは、ぜんぜん正反対なんです。思うというのは求める心になるんです。いまお金がないから大金持ちになりたいと思う、願うんです。でも根本は「無い」という状態を先に掴んでしまっているんです。思いの方は、それで大金持になりたいと願うんです。だからそれは思い通りになっているんです。思いというのは大体そういう働きをするんです。みんな思い通りになるんです。
 感謝は神さまから与えられた無限の無限のプラスを頂点にしたプラスばっかりのものを受け入れていく働きです。だから今小さいものを受ける状態だったら、今は小さいものでいいんですけど、順番に気付いて受け取っていけるんです。
だから、いくらでも大きくなるんです。どれだけでも受けられるように必ずなって行くんです。無限の大金持にもなれるんです、感謝を続けていけば宇宙銀行総裁にまでいくんです。これは思いで作るのじゃなしに、既にあるものを受け取るだけなんです。感謝の方は、だから一番楽な方法で受け取れるんです。

 苦

☆ 苦しいことにも、敢えてチャレンジしていかなければいけないものでしょうか? なるべくそういうのはしたくないと思うのですが・・・?

ー「ありがとうございます」ー
 自分を鍛え上げたい強くしたい時は、自分の方から求めるんです。どういう苦しみにでも耐え抜く力があるというと凄いでしょう。どっちを今選んでいるか、どういう生き方を自分が今選んでいるかでしょう。強くなりたいという時は「七難八苦を与えたまえ」と・・それによって鍛えられて強くなりますし、それによってまた全てを大きい感謝で受けられるようになるんです。それをしたくないと思うときは、先ずプラスをしっかり掴む練習の時です。その時はプラスをプラスをと掴むように心をプラスに向けるのがいいです。そしてある程度プラスを受けて強くなれば、プラスになった自分の心がまたマイナスへ降りて鍛えたいと思うんです。両方の働きを交互に繰り返すというのがいいです。
 ちょうど草花の種をまくと先ず根が出ます。根はマイナスのほうへ向いています、苦労しているんです。それで地上部がすっと伸びてきます。伸びたらまた根がグッと張って、また地上部が成長して大きくなる・・根と両方の働きで花が開き実を結ぶんです。だから必ずマイナスへの挑戦は必要です。自分を強くする意味でも幸せを大きくする意味でも。それが交互にきてもいいです。だからいまはそれでいいです、マイナスから逃げたい時は、その時はプラスに向く時、光の方へ向く時で地上部の働きを大きくする時だから光をいっぱい浴びればいいです。でも必ずまた根も必要ですから強くしようと思うときは、またグッとマイナスへ向くんです。


 プラス・マイナス両方に感謝

☆お話を聞いていて、自分の思っているプラスマイナスと「ありがとうございます」の言うプラスマイナスとが微妙に違うという感じがしたんですけど、他の言葉に置き換えたらどういう感じに・・?

ー「ありがとうございます」ー
 本当のプラスマイナスは、神様の一番奥の絶対にあるものが相対の両極に分かれます。そして両方のプラスとマイナスに分かれるんです。例えば、光と闇・生と死・善と悪とか、みんな相対に分かれます。だからプラスの方が本当なので、光の表現としては光だけがプラスなんです。闇はあくまでも支える側、浮かび上がらせる働きなんでマイナスなんです。だからその両方の働きをしっかり感謝して受けるのが必要なんです。

☆マイナスの働きも感謝して・・・?

ー「ありがとうございます」ー
 そうです。光の表現を生み出す蔭の役わりをするんです。それがなかったら絶対出来ないんです。本当は蔭の働きほど素晴らしいんです。表に出ない分だけ損しているんですから、逆にいうともうひとつ感謝して「ご苦労さん、ありがとうございます」といわないと・・だから、両方に感謝出来て本当の神様の表現をしっかりとプラスに捉えるんです。


 一人でも大丈夫

☆この頃やっと、ありがとうございますを世界に広げるのが自分の使命と思えてきたんですが、心からありがとうございますという人がどれくらい増えたら地球がレベルアップしますか?

ー「ありがとうございます」ー
 人の使う言葉通りの番組を引っ張り出してきます。でも神様の方はいい番組を受けて欲しいと、どんどんいい番組を宣伝してくるんです。早く受けて欲しいと・・それで、ありがとうございますと言うのでも本当の意味を判らせて感謝をさせて最高の番組を味合わせようと一生懸命助けてくるんです。
 神様のすることは一番力があります。人はお手伝いをちょっとさせて頂くくらいで、人の力でどうこうしていないんです。バックは神様です。無限の無限の力でいっぱいという神様なので、何でも出来るんです。本当は一人でも出来るんです、ひとりの人でも感謝を深めたら地球が平和になってしまうんです。でもひとりの人が本当の幸せを味わうだけではちょっと寂しいです。だから出来るだけ大勢の人が神様のお手伝いをして、深い深い幸せを味わった方がいいんです。
 幸せというのは棚からぼた餅じゃないですけど、作った物を受けるのは小さい幸せなんです。自分がぼた餅を作っていただくほうがいいんです。苦労して苦労してぼた餅を作っていただく方が味わいが深いし美味しいんです。そういう意味で平和も同じです。苦労して神様のお手伝いをさせてもらって、それで平和を築くという方が幸せがおおきいです。だからそういう深い大きい幸せを味わえる人が増えたほうがいいんで、そういう意味では人数は多い方がいいです。でも一人でも大丈夫なんです。


 報いを求めず与え尽くす

☆友達の幸せを思って行動したことに対して嫌味を言われました。相手からの感謝の気持ちを求めてはいけないんですか?

ー「ありがとうございます」ー
 はい、そうです。神様の人を幸せにする働きというのは、報いを求めず与え尽くすだけなんです。神様の働きは必ずみんな時期がきたら必ず受け入れてくれるんで、今タネをまいてすぐ生えなくてもいいんです。必ず時期がくれば芽が出て実を結ぶようになるんで、長い目で眺めていると必ずそれは全部あとで「良かった」と思えるようになるんです。先に結果が欲しいのでしょうけど、後からの方が大きくなって返ってくる、大きい幸せを与えてもらうので、結果をさきへ伸ばす方がいいです。


 翻訳の名人

☆嫌だなぁ、困ったことを言うなぁ、という人が目の前にいるとき、どう対処したらいいのでしょうか?

ー「ありがとうございます」ー
 そのときの受ける心なんです。受ける心が、思いの心だったら嫌だなとかマイナスに見えたりするんです。先ず感謝の心になっておくといいです。だから、ありがとうございますを唱えている心だと別に引っ掛からないんです。ありがとうございますの心は、マイナスを言われても翻訳するんです。”馬鹿”と言われたら・・”賢い”・・と瞬時にプラスに翻訳してしまうんです。瞬間にプラスに翻訳してしまうんです。翻訳の名人なんです。

☆注意された時にも、やはり ありがとうございますと・・・?

ー「ありがとうございます」ー
 いいですね。ありがとうございますだとプラスに気付きます。何かプラスを与えてくれるという気付きが増えるので、助かります。とにかく、ありがとうございますを唱えるか言ってみるといいです。


 教えに縛られる

☆「ありがとうございます」のお話にある神様は理解できるんですが、一般には神の名を語ったら宗教団体で、人の心を捉えて縛ってしまっているのが目に付きますが、そういう人たちが解放されるにはどうしていったら・・・?

ー「ありがとうございます」ー
 みんな宗教団体の教えに縛られるというのは本当の神様にまだ心が向いていないからです。本当の神様に心を向けたら自由になります。全ての縛りを消してくださる、自由になってそれで最高のものを受けるので自由自在になります。何か選ぶのでも無限のものがあったら、そこからひとつ選ぶのでも自由を与えてもらったという感覚が湧いてきます。でもひとつだけ与えられて、それひとつ選んでも縛られてる感じです。だから無限にいいものをいっぱい与えてもらった状態でないと、本当の自由というのは感じにくいです。
 本当の神様をしっかり捉えていかないと、この世に出てくる宗教団体の教え程度では小さい部分的な縛りの教えなんです。全体を指し示す言葉の教えじゃないです。
 だから無限の無限のチャンネルの番組が揃っていて何でもあるという方がいいです。この世はその中から一部選んでいるんです。その一部の中のもうひとつ小さいのがこの世の宗教団体の教えですから、その選択範囲が狭すぎます。それで縛られた感覚で縛られてしまう、もっと無限に無限にいっぱい教えがあっていいんです。その中からひとつ自分が勉強の為に選んでると言うのだったら縛りにはなりません。
 これだけが最高でこれしかないというと縛られてしまいます。神様の教えは宇宙に無限に無限にいっぱいあって、今ひとつ勉強する為に選んでいると言えばいいです。そうしたらどの教えも勉強して縛られずに済みます。そこから何か勉強したらすぐ別な方へ心は向きますしそれを価値あるものとして受けるだけでいいんです。

☆そういう宗教団体の人が勧誘にくるのは、断っていいんですか?

ー「ありがとうございます」ー
 私はもう卒業しましたと、もっといろいろ教えてあげましょうかと・・・。
遠い過去に勉強していてそれはよく知っています。もっといいものを沢山知ってますと言えば、けなさずに済みますし、二度と来てくれないです。


 全体を捉える

☆自分が進化向上することをズッと考えてきてそのための道を求めてきて、何もないなぁと・・。ありがとうございますだけかなぁと思っているんですが、一切横を見ないで、ただありがとうございます。これでいいんでしょうか?

ー「ありがとうございます」ー
 そうです。今迄、普通は下からの積み上げで上がろう、立派になろうとしたんです。でもみんな限界が来て崩れるんです。でも、ありがとうございますは一番上から必要に応じて降りてくる働きなんです。天から舞い降りてくる方が楽なんです。必要に応じてどこへでも降りられますから、天から神様から一瞬一瞬新たに出てくるんです。一回一回好きなところへ降りられるんです。
 先ず元を掴むのが、ありがとうございますなんです。そこへ絞り込めたら本当の悟りなんです。神様と一体化するんです。最高の仕上げです。みんな同じなんです。いろんな苦労をしてここへ絞り込んでいるんです。他に何かしたいことがありますか?もう、みんな無いですね。
 一本の木を見ても、枝葉に分かれていると迷います、どれが良いか悪いか・・これも良い、あれも良いと言っていたら大変ですけど、一番中心の幹までさがってくればひとつになっています。だから、ありがとうございますは中心の幹と根を捉える生き方なんです。全部がそこから出てきます。だから、全体を捉えるのはありがとうございますになるんです。何も要らなくなるんです、ありがとうございますに絞り込めば全部自分の中に納まっていきます。


 お蔭様

☆身近なものがいつも黙って物を買ってきて冷蔵庫に入れてくれたり、お小遣いを寝ている間に置いてくれたりするんですが。見えるところでしてくれたら、その人にも物にもありがとうございますと言えるからその方がいいな・・と思うけれどその人は出来ないんです・・・。

ー「ありがとうございます」ー
 凄い幸せですね。徳が多いんですね。
ただ、それだと心でズーッとありがたいと思っているでしょう、一回ありがとうございますを言われて終わるのより、そのあとズーッと心で思い続けてもらう方が得なんです。誰がこれを置いてくれたのか・・と思うだけでも、ありがとうございますと忘れないで思い続けますから、沢山ありがとうございますをもらおうと思ってる人かもしれない・・。それは別として、本当は神様が本当の助けを見せてくれているんです。 蔭で働くのが本当の神様、お蔭様なんです。宇宙の大神様がお蔭様です。だから、それを通して本当の深い感謝になるように教えてくださっていると思えば、ズーッと感謝をし続けるというのがいいじゃないですか。





ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます

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