ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます 電脳紙芝居のページ0.1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.32.33.34.35.36.37.38.39.
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 ありがとうございます。もう皆さんご存知でしょう。

 「感謝の心」と「思いの心」この違いは、いろんな立場から違いがわかると思うんですけど。

 先ず、どこを中心に置くかというので、神様を中心に置くと感謝になるのね、自分を中心に置くと思いになるんですね。そして、神様は常に「全体を調和させる働き」ですよね。

 でも「自分」というのを中心に置くと「我が侭」になる、全体のことはそっちのけですもんね。

 「感謝の心」というのは、常に神様から与えられた心ですね、新しい心。

 「思いの心」は、感謝の心が時間が経って古くなった心ね。

 神様から新たに新たに受け直さないと、感謝の心がなくなって、思いの心に変化してしまう。

 新しい方がいいでしょう、なんでもね。古くなると、やっぱりプラスが消えてマイナスになるんですよね、なんでもね。神様の与えてくる無限の無限のチャンネルの番組も上ほど新しい、古くなるほど番組が下へ下へ下がってくる。極楽が一番新しい番組なんですね、地獄が一番古い番組にあたるの。

 だから「感謝」というのは、自分がいつも努力しないと、というのは、新たに新たに受け直そうとしないと感謝ってできないですね。

 丁度、川の流れがありますよね、上流から川が流れてきますよね。上流へ遡ろうとしないと押し流されるんですよね。丁度、魚が川を上るように一所懸命上らないと、じっとしてたら流れに押し流されて下へ下へ落ちて行くんですね。感謝というのは前向きに努力しないとできないものですよね。

 「新たに新たに受け直そう」という気持ちで前に進まないといけないですね。でも、それを忘れてしまうと惰性に流されて、もう自然に思いの心に変化する。

 「感謝」というのを漢字で書くと感じる、謝というのは「ゴンベンに射る」って書くんですよね。

 「ゴンベンに射る」というのは、言霊の放射というふうにとらえると、神様は言霊によって宇宙の創造をされてますよね。一瞬一瞬新たな言霊の働きによって宇宙を創造されてるね。

 その言霊の放射は、丁度、光の放射のように常に新たに新たに宇宙に照り輝いてるわけですね。その光の放射を感じる取るという、これが「感謝」よね。

 だから「感謝」というのは、いつも心が明るくなるね。

 「思い」の方は、空に浮かぶ雲のような働きの姿ですよね。地上に執着する、過去に執着してそこから湧きあがるような働きで出てくるのが、空に浮かぶ雲のような働きなんですね。

 雲にも大きく分けて二つの種類があるのね「白い雲と黒い雲」「薄雲と厚い雲」というような感じですけどね。思いがたくさん出てくるほど黒雲に変化するんですよね。ちょっとだけの思いのある間はまだいいんです、白雲というのは、そこに光がちょっと射し込んでるわけですね。だからプラスの状態があるんですけど、でも光と比べたら、いくら白雲といっても大したことないですね、光のほうがはるかに上なんですね。

 「光の世界」というのは透明感があるわけでしょう、どこまでも遠くが見えますよね、奥深く見えるんですね、無限に視野が広がるんですけど。「思い」というのは雲のような状態で視野が狭くなりますね。

 感謝の心を起こしているときは、いつも大きく全体を見通せるような感じになるのね、そしてまた奥深く深い深いところまで心が届くんですよね。

 でも、思いの心は、やっぱり目の前しか見えない、それも浅くなってしまう。

 だから、感謝の心で掴める幸せと、思いの心で掴む幸せというのは、もう本当に天地ほどの開きがある。無限かゼロかというぐらいね。やはり、幸せになるためには、感謝の心をしっかりと起こし続けないといけないですね。

 神様って本当に至れり尽くせりで人の幸せを願い続けて、それを与え続けてきてるんですけど。まあ、どんな幸せも与えられるだけでは本当は駄目なんですね、自分が苦労して手に入れないとね。

 山へ登るのでもヘリコプターに載せてもらってパッと頂上へ到着したというのは、これは早くていいんですけど、あまり楽しくないですね。麓から一歩一歩登るほうがいいんですね。その時に頂上に登ったときの喜びって大きいですよね。

 だから、神様から与えてもらった無限の無限の幸せというのは、丁度、宝探しのように自分が探し当てないといけないですね。その時に本当の幸せって感じるんですね。

 だから、神様は先ず隠してるんでしょうね、無限の無限の幸せは見えないようにしてる。

 幕があるんですね道中に、無限の幕が張られてて、幕を開かないといけない。そういう悪戯、意地悪はしないですね、神様はね。いつも目の前にあるんですけど、無限の無限の幸せっていつも目の前にあるんですけども、気づかないですね。「気づかない」というのも、これも神計いかもしれないですけど。

 順番に気づいていくというふうにしていただく方が、本当は幸せがどんどん大きく深くなるものなんでね。

 皆さん、目の前に無限の無限の幸せ、あるでしょう。あるんですよね、あるんですけどね、これに気づくには数えあげないと駄目なんですね。自分の一つの肉体という体を与えてもらったというのもそうですよね。

 目がある、耳がある、口がある、鼻があるって数えたときに気づくんですね。プラスがいっぱいあるのに数えないと気づかない、わからないですね。中にはマイナスばっかし数えている人があるんですけど。

 でも、マイナスはちょっとしか無いんですよ、ほんのちょっと有限なものなんです、ちょっとだけあるんですね。でも、プラスは無限に無限にあるんですね。どちらを数えるかなんですよね、感謝の心はプラスを数える。忙しいんですよだから、感謝の心というのは。

 空間的に、広がりって無限に無限に大きいでしょう。これも入れ子構造の宇宙というと、もう一つ大きくなるのね。時間的にもそうですよね、無限に無限に時間が広がるんですね。過去もあり、現在もあり、未来もありって、これも無限に時間が広がりますよね。

 だから、空間的にも時間的にも、神様の与えてくる全てを数えあげていかないといけないですね。

 それも「全く何もない」という状態から数えるのがいいんですね。

 例えば、地球上に人類が大勢いますけど、最初、自分独りポツンと居てたら‥‥と思うんですね、寂しいでしょう。友達が一人出てきただけで嬉しいですよね。

 そうしたら地球上にたくさんの友達がいますね。これも同じ人だったら要らないですけどね、みんな違うんですよね、不思議にね。これはみんな自分一人のために神様が与えてくるプレゼントの姿なんですね。

 ところが数えあげて感謝しないと有り難味がないんですね、本当にね。意地悪な人もいいんですよ、喧嘩友達も大事なんです。

 本当にねえ、喧嘩友達も必要なんですよね、自分を鍛え上げてくれるでしょう、本当に自分を立派に変えてくれるんでね。いろんな意味でプラスが一杯なんですけどね。でも「もしその人がいなかったら」と思うと、大きい損をすることになるんですね。でも、その一人の喧嘩友達でも、その人の持ってる素晴らしさを数えあげないと価値がないです、気づかないですね。だからどんな人も自分にとって「無限の絶対価値」というのがあるんですけどね。それを数えあげる練習って大事ですね、絶対数えあげないと駄目なんですね。

 一人の人の存在を観るのでも、思いの心は、今の現実の表面の姿、浅い姿だけしか観ないんですけど。感謝の心はまた観方が大きく深くなるのね。

 例えばAという人が居てたら、その人の先祖がずーっと無限に続くんですよ。そしてAという人の子孫もずーっと無限に続くでしょう。先祖と子孫の無限の人に包まれて中心に立ってるのがAという人ね。

 感謝の心はそこまで観るんですね、主観的にも大きく観るんですよね。それでAという人が今浮かび上がって中心に置いて'輝いてる'と観るんですね。ポツンと今Aという人が現われたという観方じゃないんですね。

 一輪の花が今ここにパッと花を開いたとするでしょう。この花を観るのでもそうですね。花の先祖があるのね。また花が実を結んで種になって子孫がいっぱい生れるわけでしょう。だから、たくさんの花の中に一つの花が開いてるというふうにみると、そこにやっぱり無限の大きい価値がまた加わるんですね。

 だから、感謝の心はどこまでも無限に大きく広がるし、無限に深く入っていくしね、本当にすごい働きになるんですね。だからバックを大きくするほどいいですね、一つのものを観るのでもね。

 だから、入れ子構造の宇宙、この見方というのが一番いいんです。丁度、この人体、肉体の中に大宇宙と同じ姿があるとみるのがいいんですね。一個の細胞の中に大宇宙があるという、一個の原子の中にも大宇宙がある。もっともっと小さい素粒子、その中にも大宇宙があるんだという。本当はそういう仕組みになってるんですね。

 だから、その一つの単なる肉体というのでも、無限の絶対価値がもともと備わってるんですね。これを浅く観ると肉体を分解すればいいんでしょう。水分がどれだけ、鉄分がどれだけとかね、いろいろ計算してお金に換算すると幾らになります? あまり価値はないですね、数十円かもしれない。目玉一個というふうに考えるとちょっとは価値が出ますかね、腎臓一個とか、それでも大したことないですね。

 本当の価値はお金では換算できないですね、無限の価値がありますからね。

 だから、感謝は、すればするほど大きい価値を見出していく、気づきを増やしていただけるのね。どこまでもどこまでも幸せが大きくなるのね。これもやっぱり練習ですよ、数えあげる練習ね。

 四季の変化でもそうでしょう。春が来たら春が「ああ、素晴らしい、ありがとうございます」って受けるのね。夏は夏で「ああ、素晴らしいな、ありがたいな」って受けるでしょう。全ての季節を褒め称えて感謝して喜べばいいのね。そうすると四季の変化ってもの凄いありがたいことなんですけどね。

 でも思いの心は違うでしょう、「私は夏がいい」というと冬が嫌なのね。「夏はいいんだけど冬は寒い」とかね、いろいろ理屈こねるんですよね。「天気はいいけど、雨は嫌だ」とかね。

 でもそうじゃないですね、雨が降れば雨がありがたいですね。天気だったら天気がありがたいね、もう常に全てがありがたいのがいいんですね。それが感謝の心になるんですよね。

 だから、一回でも心に「ありがとうございます」を唱えたら、それだけ気づきが増えるんですね。他の言葉は要らないみたいですよ、もうね。「ありがとうございます」の一言だけで神様からのプレゼントを受け取って感じ取らせていただくのでね。みんな他のことは忘れてもいいですよ。

 「思いの心」の方はね、いろんな勉強をして知識をいっぱいつけてと思うんでしょう。でも「思い」というのは心を曇らせるんです。知識をいっぱい詰めるほど心が曇るんですよね。

 だから、勉強しすぎるでしょう、特に詰め込み勉強をしすぎるとノイローゼになるんです。そうでしょう、心が曇るんですね、思いが溜まってね。

 でも「感謝の心」は、もう全部消しきって、神様の知恵だけを必要に応じて受けるのね。「知恵」というのがやっぱりすごいんですね、知識とは全然違うんですね。

 神様の知恵は、今一番必要なことをスッと教えてくださるから、知識では今のいろんな問題を対処しても合わないんですけどね。

 よくこういう例え話をいわれますよね――

 東大を出て成績のよかった立派な人が会社へ入った。ところが知識をいっぱい溜めてると知恵が湧かないんですよね。「植木に先ず水をやりなさい」と言われるでしょう、その通りにするのよ、雨降っても水をかけるの。本当に知識を溜めすぎて思いの心になるとそうなるのね。雨降ったら水をかけなくていいでしょう、本当はね、小学生でもわかるわね。「ああ、助かった」と思えばいい。

 知恵と知識の違いがそこなんですよね。知恵の湧く子は無駄なことしないよね、必要なことをスッとさせていただくね。だから、感謝すればするほど思いが消されて、それで知恵が湧くように神様がしてくださるからね。

 例えば、「どこかが火事だ」というでしょう「火事だ」と気づかなくていいのよ、その場へサッと行ってるよ、神様に導かれるからね。そして小火(ぼや)のうちにサッと消せるのね。「火事だ」と言われて行くんじゃないね、火事になるのはわかってる、神様はね。ちょっと小火になりかけたところでそこへ行ってるのね、それで消してるというような状態ね。これが神様の知恵の導きよね。

 車に乗ってどこかへ行くのでも、途中で事故に遭いそうな場所に来たら、やっぱり巻き込まれるでしょう。そういう時は気持ちを変えてくるね、神様の方はね。ちょっと寄り道をさせたりするよ、そしたら事故に巻き込まれないでしょう。でも「人と約束したから、そこにその時間までに行かなきゃならない」って知識で縛られた人は、必ずそこへ行こうとするでしょう。そしたら途中で巻き込まれるのね、事故にね。それで、もう大きい損ですよね。だから、いつも神様の知恵に導かれると、全てが調和するようにうまく行くんですけどね。

 だから、感謝する人としない人の違いは大きいですね。感謝する人はもう神様がバックについて応援してくださるから、もう全てとんとん拍子にうまくいくんです。もう何も心配しなくていいですね。うまく行かないときはそれがいいんですよ、はははは。うまく行かないのがいいのね、その時はね。

 「うまく行かない」というのは思いで考えるんですね。感謝してる時は全部いいんです「全て善し!」というふうに感じられるのが感謝なんですね。

 だから、病気になっても構わんですね、病気になるのが必要で、それが幸せな時は病気になるのね。それを感謝の心で受けると、病気がありがたいのね。いろんな意味でありがたいのね。

 だから、思いの心を生きるのは、もうつまらんですね。思い通りになっても全然幸せじゃないですね。

 だから、「お祈り」と「念力」の違いもそうですね。

 「お祈り」は感謝なんですね、神様の与えてくださるものをスッと素直に受けるだけね。だから一番幸せになるものを受け取れる。

 でも「念力」というのは、自分の思い通りにしたいのね、神様の与えてくるものじゃないし、自分の思い通りに全てを変えたいわけよね。そういう生き方はたくさんありますよね。

 イメージトレーニングなんてそうよね。「自分がこうありたい」と先ず願うわけでしょう、そうありたいと願うから自分の思い通りにしようとするでしょう。確かにそういうのを波長を合わせて引き寄せますよね、それが実現するんですけど。それ一つが実現するだけでしょう。ちっぽけな幸せを掴んだだけね、他の無限の幸せに気づかない。だから、イメージトレーニングは馬鹿よね。

 何か目標を掲げて努力するのもいいですけどね。そうでしょう、プロのスポーツ選手だったら、やっぱり一流になろうとするでしょう。それも素晴らしく思えるんですけど。それもイメージトレーニングでそうなったとしてもつまらんですね。

 それよりも感謝を深めて宇宙の無限に素晴らしい姿を一瞬一瞬受ける、感じ取るというほうが幸せは、はるかにはるかに、無限に無限に大きいでしょう。

 だから「念力」なんて大したことないですね。「念力」もやっぱりそれなりの力はあるんですね。思い通りにはなるんです、必ず思い通りになるんですよね。どんなことも思い通りになるんですけども、思い通りになったのではつまらんのね、小さすぎてね。

 お金を儲けたいという人も念力よね。「宝くじが当たりたい」ってね、宝くじが当たってもいいんですけど、それで幸せになった人は一人もないというからね。「宝くじが当たりたい」というのは思いの心ね。

 思いの心は、本当のいい意味というのが何もわからないでしょう。宝くじは当たったら大きな高利の借金をしたのと同じなのね。こんなことにも気づかないですよね、思いの心はね。だから後で利息をつけて全部返さなならんのに、後で気づくのね。

 でも、感謝の心はそんなことは最初からわかってるから、宝くじが当たるほど損「どうか外れますように」って、はははは。宝くじは買ってもいいよね、でも「外れますように」それだったら施しになるから、みんなのために施してるんだから、プラスの働き。

 病気になっても念力で治そうとする人があるんですよ。感謝して神様から無限健康を受け直して自然に治るのが本当の治し方ね。

 でも、感謝せずに治す治し方は念力的な治し方なのね。これは自分の念力、人の念力、あの世のいろんな世界からの念力で助けてもらうわけでしょう。だから念力では本当の意味で病気の根というのか、病根を消すわけにはいかないね、ちょっと横に避(よ)けるぐらいね。

 思いの心で思いは消せないですね。だから、病気になった人の思いをちょっと横に押し退(の)けるのね。

 また、自分の思いも、別な思いを持ってきて、その病気の思いを押し退けるわけね。一時的には病気は消えた姿をとるでしょう。でも消えたんじゃないよ、残ってるのね。思いでは思いを押し退けるだけで消すことはできないから、次にまた出てくるね。

 だから、人に頼って助けてもらうにしても、この念力で治してもらったと思っても、喜んだら駄目よ、また戻ってくる。

 また、いろんな宗教団体に入って、あの世のいろんな「神様」と普通は言うかもしれないけど、神様じゃないよね。低い世界のいろんな霊魂の干渉がくるわけよね。一時的にはパッと押し退けて病気を消してくれるでしょう「ああ、助けてもらった」と喜ぶのね、違うのよ。消してもらったんじゃないからまた戻ってくる、自分にね。

 本当にその思いを消してもらわないと病気の根は消えないのね。この思いを消してもらう方法は感謝だけなのね。感謝することによって思いを消してもらうね。そうすると二度とそれは出てこないね。

 誰にもそんなん頼らなくてもいいでしょう、感謝するだけでいいんだからね。神様から光をスッと受け取るだけでしょう。一番楽な方法なのにね。

 でも、難しい方法をとろうとする。思いの心ってわからないからそうよね。

 感謝の心だったら神様にすがればいいだけなのにね。

 本当にね、もう感謝のお祈りさえすれば、全ての問題はもう瞬間にスッと消えて無いのね。「問題を解決しよう」なんて、そんな時間も無いのよね、問題も無いの最初からね。サッと消えるのよね、感謝のお祈りをすればね。どんな難問題も瞬間に消えて無いのね。

 でも、思いの心では難問題に取り組むんでしょう、ねえ「なかなか解決しない」って四苦八苦するんだけど。思いの心じゃ解決しないよね、何をしてもね。それで最後には諦めるんですよね「ああ、どうにもならない」ってね。でも、感謝に切り替えないと解決しないですね、どんな問題でもね。感謝さえすれば先に答えがスッと出てくるね。


ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます 電脳紙芝居のページ0.1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.32.33.34.35.36.37.38.39.
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