ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます
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ar00 2003.6.8
河上彰延 :ありがとうございます (先生)のお話をこのように毎月第1日曜朝8時からしていただいております。
いつや知らぬまに、宗教団体のように誤解するかたも出てきているので、ここで、確認しておきたいとおもいます。
まず、ここで、録音を勝手にされて、そのテープを配布もしくは勝手に販売される方もいらっしゃいますが、すべての責任は、配布もしくは販売された方に帰属します。テープの内容についてもです。先生がおっしゃっているように聞こえますが、編集次第でどのようにも変わるからです。
つぎに、ここで発言された内容のすべての責任は主催者である、この河上が取ります。不適切な発言内容は河上が修正します。
最後に、誰を連れてこられても自由ですが、つれてくる方にその責任のすべてがあります。その覚悟で、いろんな縁有る方をお連れ下さい。
ありがとうございます:
神さまは一切の自由を縛らないから、どうこうというガイドライン的なものは言えないのです。すべては受け取る側の責任です。本物を掴むと言う覚悟があれば責任有る行動がとれるはずです。
河上彰延 :山岸先生が一般書店からありがとうおじさんの名で本を販売されるそうですが、いくらでされるのですか?
ありがとうございます
1200円です。
河上彰延 :およそ印刷と紙代だけで160円くらいしかかからないと思うのですが、粗利1000円の内いくらか先生の手元入るのですか?そしてありがとうおじさんというのは誰ですか?
ありがとうございます:
ぼくの手元には一切お金は入りません。版権著作権等の主張はしない放棄することを条件で許可しました。それから、ありがとうおじさんて誰ですか。僕は誰のことか知りません。
河上彰延 :老子道徳経第一章に道の道とすべきは常の道に非ず。名の名とすべきは常の名に非ず。無名は天地の始めなり。有名は万物の母なり。とありますが、およそ名を付けてしまえば、その範囲が限定されて受け止められるものまで受け損なってしまうと思います。ありがとうおじさんと命名されたかたが、すべての責任を取られるのでしょうか?先生は一切の自由を縛られないが故にその命名を拒否されなかったのですか?
ありがとうございます:
すべては、受け取る側の責任です。許可したおぼえもありません。ありがとうおじさんて誰のこと?
河上彰延 :宗教団体で無いが故にみんな自由。一切の行動の自由は縛れない。すべての、責任は受け取る側にあるということで、ここは、宗教団体でないという結論でよろしいでしょうか?
ありがとうございます:
はい、そのとうりです。
河上彰延 追記
その後ありがとうおじさんという命名について、いろんな方からメール等をいただきました。追記補足説明をいたします。
今の一瞬を感謝で受止めそこなうと(現実をつかむ。番組に入り込む。)と先生の肉体を掴んでしまって、いろんな疑問が起ります。
しかし、今の一瞬一瞬の奥に奥に感謝で受け止めていくと、先生の響きの本体がありがとうございますの奥の奥にあることが感じられるはずです。それ故、ありがとうございます。と命名?しております。モット良い呼び方があれば、また、お知らせください。2003.11.20メール⇒ありがとうございます
其の後、ありがとうございますのお住まいになる通称ありがとうボランテアグループ及びありがとうおじさんと山岸先生との関わりについて明記して欲しいとの要望が先生よりあり(山岸先生が全国各地でありがとうおじさんの要望でしていると称して寄付等の集金講演活動を行っていることについて)ここに記載いたします。
山岸先生がありがとうございますのところにおいでになり、インタビューや講演を希望されたので自由が基本なるが故お受けしたが、ありがとうございますの名前を使って全国各地で集金活動をお願いした事は無く(宗教団体で無い故に)山岸先生がご自分の生活のためにされている事であって(集金活動は)ありがとうボランチアグループと山岸先生が名づけられた通称ありがとうおじさんは一切その山岸先生のされる講演集金活動とはかかわりがありません。山岸先生からは一円の金額も受け取っておりませんので、関係各位におかれましては誤解の無きようお願いいたします。(なお、ビデオテープ等も勝手に撮影されているのであって許可したことは無くありがとうおじさん本人が写っているとは保障できないそうです。)よって誤解を防ぐ為今後山岸先生から希望があってもインタビュー等は一切受け付けないそうです。以上2004.3.14の勉強会に於いて。
お祈り(精神統一)のしかたについて最近質問が殺到しておりますので、ありがとうございます先生よりお聞きした方法をここに再録しておきます。
真実の祈りを体感体得しましょう。!
正しい方法で
1.姿勢を正して上体の力を抜き、自然体になる。
2.丹田呼吸を行う。
3.丹田に意識を鎮めて、そこから祈り言葉が湧き出て来るようにして唱える。
4.祈り言葉の本義をしっかりと学んで掴む。
真剣に
1、絶体絶命の立場を思い返す。
2.今の一瞬にすべてを懸ける。
継続して
1.どんな時にも、どんな状態であっても、必ず半歩でも前進する。
2、同じ時間をかけるならまとめて1回の祈り時間よりも分散させて10回真剣に祈る。
丹田呼吸とはどのようにしたらいいのでしょう?
細く長く息を吐くだけでいいのです。そのうちに漏れるだけになり、それも、ほとんどなくなり 少し吸い足しし また 長く漏れるように吐く となります。
吸う時間吐く時間や量に気を病むことは無いのです。人それぞれ個性に応じた呼吸があり、伝授するとか教えるとかの問題ではありません。
Iさまの守護霊様が自然に感受できるように伝えて教えてくれます。
Iさまにとって下腹部があつくなって手にじんじんと来たのは氣(神さまの光)がIさまの本心にまで通ったことを守護霊様が身体の感覚を通じて教えてくださったのであります。(直感的にそう思いませんか?)おめでとうございます。
あとは、ひたすら、感謝だけで進まれれば良いのです。お祈りしにくい時はメモ護摩木等を利用してご自分なりに工夫して頑張るのでは無く楽しんでください。感謝の言霊を出すお祈りほど楽しいものはないのですから・・・・。
みんなはわざわざ苦しいことや何か断食等の苦しい事をしないと悟れない神さまを感じれないと自分の言葉で自分を縛っているのですから・・、Iさまの体験はその縛りが取れた証拠証左であります。
神さまをご自分に入れるのではなくIさまそのものが神さまの響き生命そのものだったんだと分かる時が来たのであります。
みんな難しく遠くに置いてしまっている神さまの存在⇒実はすぐそこ今ここにあるのですが、今のIさまなら理屈ぬきにその今ここが実感できるはずであります。
むつかしい できない と 縛らずに素直に受け取って感じてください。
神さまはいつもおっしゃいます。”喜んで 感謝して 待っていてくれたらいい”・・・・と、
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<1>
「ありがとうございます」というのは、宇宙の大神さまの究極の神名である。
「ありがとうございます」の神さまは、宇宙の大神さまである。すべてのすべてなる神さまである。本物の神さまである。唯一無二絶対の神さまである。最高の神さまなのである。これ以上の神さまは、古今東西どこにも存在しないのである。
「ありがとうございます」と心に唱えるのは、この神さまと一対一の関係で向き合い、この神さまを感受し、一体化する為である。否、既に一体であることを確認する為である。
「ありがとうございます」の一言の中に、すべてのすべては存在しているのである。「ありがとうございます」は、すべてのすべてである。「ありがとうございます」をお礼の言葉だというのは、一知半解なとらえ方である。お礼の意味も無限の中の一つとして存在しているというだけである。
「ありがとうございます」の神さまの働きのすべてを把握する為の言葉は、この「ありがとうございます」一言である。この言葉以外、何も必要としないのである。
「ありがとうございます」の一言に絞り込んで、ただひたすらに「ありがとうございます」と唱え続けているだけで、心の奥から真の絶対神が現れてくるのである。最高の幸せが心の奥からしののめてくる。浮かび上がってくる。湧き上がってくるのである。この幸せは絶対に崩壊することの無い、永遠の本物の幸せである。
今、神さまは何を願い、何を必要としているか?
今、神さまが本当に必要としているのは、今、神さまが一番必要としているのは、ただひたすらに「ありがとうございます」と唱え続けてくれる人である。ただひたすらに「ありがとうございます」と祈り続けて、神さまを受け入れてくれる人である。
地球人類は今日まで、自分勝手な思いを出し続けて、神さまを受け入れることを拒絶し続けてきたのである。
神さまを受け入れて、神我一体とならなければ、いかなる調和も生み出すことができないのに、神さまを無視し、拒絶し続けてきたのである。
地球滅亡を前にして、まだ悪あがきし続けるのか、神さまに任せて救ってもらうのか、二者択一を迫られているのである。
<2>
「ありがとうございます」と唱え続けさえすれば、必ず救われるのである。「ありがとうございます」と唱え続けるだけで、本当の幸せを体得した人が、どんどん殖えているのである。
心の奥底から最高の幸せ、最高の喜び、最高の安らぎが湧き上がって、これ以上の幸せは無いという人が、どんどん殖えているのである。本当に本当に、必要な大事な大切なことは、「ありがとうございます」と心に唱え続けることだけである。ほかのことはすべて、救われを邪魔しているだけである。
ありがとうおじさんの本を読んでも、テープを聞いても、本当に救われるのでは無いのである。そんなことで喜んでいるのは、思いの世界の話である。そんな人が1億人できても、神さまは少しも喜ばない。神さまの何のお役にも立てないからである。「ありがとうございます」と祈りを実行してくれる人だけが、神さまのお役に立てるのである。祈りを実行してくれる人の誕生を、神さまは切に切に願い続けているのである。
本を読んで喜ぶ人は、本を読んで喜ぶ人をふやすだけである。テープを聞いて喜ぶ人は、テープを聞いて喜ぶ人をふやすだけである。本当に「ありがとうございます」と祈りを実行する人をふやす為には、自分自身が祈りを実行する以外、方法は無いのである。自分自身が祈りに祈って、祈り続けることだけが、本当の神さまのお手伝いになるのである。
ありがとうおじさんも、名無しの権兵衛も、つまらない教えを立てて、しゃしゃり出てはいけないのである。出しゃばってはいけなかったのである。「ありがとうございます」の神さま以外、前面に出てきてはいけないのである。「ありがとうございます」の神さまと人の間に、いかなる者も物も立ちはだかってはならないのである。間に立ちはだかることは、神さまの救いの働きを大きく邪魔することになるのである。
「本物」と一対一の関係で、常に常に向き合わなければ、決して「本物」にはなれないのである。
「本物」は「ありがとうございます」の神さまだけである。
にせものである人の教えにだまされてはならない。
にせものである人の言葉に縛られてはならない。
すべてのにせものを自分の中から葬り去ってこそ、本物になれるのである。
<3>
地球人類は長い歳月の間、思いの世界に生きて来たのである。自分の思い通りになれば幸せなのだという、間違った錯覚の世界に自分を置いていたのである。自分の思い通りに生きようとすることは、他人を不幸にし、自らも不幸になることに、ちょっと気付きはじめたのである。
自分の思い通りに生きようとすれば、他人の自由を縛り、七難八苦に見舞われ、地獄に落ちてゆくのである。
この厳然たる事実に目をそらしていては、永遠に救われないのである。謙虚に反省して、神さまの導きに耳を傾けなければ、幸せな自分には戻れないのである。
思いの世界に生きるのと、感謝の世界に生きるのとは、全く正反対の生き方なのである。思いの世界は、七難八苦が影のようにつきまとう世界である。
感謝の世界は、七福八楽が光となって降り注ぐ世界である。思いの世界、闇の世界、しゃば世界に生きるのか、感謝の世界、光の世界、神様の世界に生きるのか、地球人類は今、二者択一を迫られているのである。
思いの世界に生きたい人は、「ありがとうございます」を唱えなければよいのである。感謝の世界に生きたい人は、「ありがとうございます」を唱え続けさえすればよいのである。そうすればすべての思いを消し去ってもらえて、感謝の心を生きることができるのである。
「ありがとうございます」の神さまは、無限に無限に謙虚なのである。人の自由を決して決して縛ることはないのである。だからこそ、感謝に生きたい人、感謝に生きようとする人は、「ありがとうございます」の一言に絞り込んで、心に唱え続け、神さまを受け入れる必要があるのである。
ほかにちょっとでも心を向けたら、そちらを優先しなさいと、「ありがとうございます」の神さまは引っ込んでしまうからである。最後の最後に絞り込み、到達する唯一無二の心の故郷・いのちの源・最高の幸せの本源である。
思いの心は、必要でないものまで欲しがって、重荷を一杯背負い込むのである。
感謝の心は、本当に必要なものだけに絞り込んで、いつも自由で軽やかである。
「ありがとうございます」と唱え続けているだけで、本当に必要なものは、神さまから必ず的確に与え続けてもらえるのである。本当に必要なものを与えられたときに、人は最高の幸せを感じ味わうことができるのである。
だから、「ありがとうございます」と唱え続けている人は、必ず、最高の幸せを味わい続けることができるようになっているのである。
<4> 光源と光線の違いを、絶対神と救済の神々の違いを、はっきりと理解しておく必要があるのである。本当の救い主は、宇宙の大神さまだけである。
どんな救いに立つ神仏も人も、あくまでも使いであり、パイプ役でしかない。謙虚に謙虚に、自我を滅却して、すべての栄光を宇宙の大神さまに帰し、本当の救い主は宇宙の大神さまであることを、はっきりと示さなければならない。途中で、その栄光を横取りしてはならないのである。救われる側の人に対して、本当の感謝は、宇宙の大神さまへ捧げるべきであることを、くどいくらいに教えなければならないのである。使いとしての神仏や人に感謝する、その何万倍、何億倍以上の感謝を、宇宙の大神さまには捧げなければならないのである。 自分が自分がと我を出せば出すほど、パイプは我の心で詰まってしまい、宇宙の大神さまの救いの光は流れなくなるのである。宇宙の大神さまの救いの光が無ければ、過去をつかむ人の思いは消えないので、決して人は救われることは無いのである。救う側も、救われる側も、宇宙の大神さまに感謝してこそ、どちらも本当の意味で救われてゆくのである。 これまで救う側に立つ神仏や人が、あまりにも自我を出し過ぎたのである。いろいろな神仏が、教祖が、教えが、わがもの顔で出しゃばり過ぎたのである。自我を滅却し、謙虚にしりぞいて、宇宙の大神さまのみを、前面に押し出さなければならなかったのである。それを逆にして、自分を出した為に、枝葉にとらわれさせ、対立を生じさせたのである。 世界の戦争の根本原因は、この枝葉にとらわれた対立の思いにあるのである。特に宗教宗派の思いの対立は深刻である。枝葉の神仏が自分を主張すれば、対立が生ずるのは当然である。すべての神仏を束ねる宇宙の大神さまが、前面に出て来なければ、収拾がつかなくなっているのである。だから、「ありがとうございます」の宇宙の大神さまが、出現することになったのである。 「ありがとうございます」と、宇宙の大神さまを呼び続ければ、宇宙の大神さまが現われて、すべての対立の思いを消し去って下さるのである。「ありがとうございます」は、世界平和の為の最後の切り札である。
<5> 無限の価値ある貴重な時間を割いて、「ありがとうございます」の祈りの神さまは、数年にわたって、みんなの質疑応答につきあって下さったのである。それに対してどれほどの恩返しの心を起こせたか?十分に反省すべきである。自分に合わせて助けてもらう段階は、ご利益信仰である。恩返しの心をしっかりと起こして、自分を神さまに合わせてゆくのが、本心開発・悟りへの道なのである。 本当に自分自身の思いの心を消し去ろうとしているか?感謝を深めて神さまを感じ取ろうとしているか?どれほど真剣に取り組んできたか、反省しなければならない。 いつまでも自分に合わせて、助けてもらえると思っているのは、親が子供である自分の面倒を一生、見てくれるものだと思い違えて、親不孝をし続けているのと同じである。幼少の頃から親のお手伝いをしっかりとして、自分の能力を高め上げ、一日も早く独立して、親孝行できるようにならなければならないのである。本心の自分は、一日も早く神さまの大きなお手伝いに生きるようにならなければならないのである。
質疑応答では、「ありがとうございます」の祈りの実行の大切さを説き続けたにも拘わらず、未だ祈りの実行に絞り込んでいる人は、ごくごくわずかなのである。 1日24時間の中、どれほどの時間を祈りの実行に使っているか?少しでも恩返しの心があるのならば、この祈りの実行の時間を増やしてゆかなければならないのである。 神さまへの本当の恩返しとは何か?真心込めた「ありがとうございます」の祈りの実行である。神さまへの本当のお手伝いとは何か?神様に一点集中した、深い深い祈りの実行である。 思いに生きるのと感謝に生きるのとは、どこが違うのか?本当に感謝に生きるようになって、始めてその区別がつくのである。
未だ感謝の心に成り切っていない者には、この答えは出せないのである。先ず徹底して思いを消し去る生き方を実行しなければならないのである。すべてにおいて、必要最低限のギリギリの生き方を実行することである。 少しでもぜいたくになった分は、大きく思いを背負うものなのである。思いの奴隷になり続けてきた自分が、思いの縛りから抜け出る方法は、安易な道ではないのである。他人からの援助を受けて喜んでいる自分は、思いの自分である。他を援助するくらいの生き方に変化しなければ、思いの自分から脱却することは不可能なのである。
どんな不労所得にも、大きく思いがくっついてくるものである。神さまへの献金には、無限の思いがくっついてくるものである。それを私的に流用すれば、心が狂ってしまい、末路は悲惨である。 方便の教えを聞いて喜んでいるのは、思いの心である。次から次へと、新しい話を追い求めて聞いているのは、これまた思いの心である。 感謝に生きる心は、一を聞いて十を悟り、即実行するものなのである。感謝に生きる人を育てる為には、沢山の教えは必要ないのである。逆に一つに絞り込まないと、邪魔になるものである。 もし、神さまのお手伝いとして、教えを新しい人に伝えたいのであれば、これまでの教えを万分の一に絞り込んで、それを小冊子にして、無料で贈呈してゆけばよいのである。自分の働いて得たお金で、無理の無い範囲で、神さまのへの恩返しを実行し続ければよいのである。 感謝の真祈りへの「心の指針」としてのパンフレットは、一冊でよいのである。後にも前にも、祈りの実行あるのみである。自ら率先垂範して、祈りを実行することが、即祈りを伝えることなのである。 感謝の真祈りの本当の価値を見出せたならば、自らが即実行すればよいのである。真剣にどこまでも真剣に、自分の生命と引き換えに、感謝の真祈りを受け取ればよいのである。 思いの心、計らい心というものは、本当に必要のない、詰まらないことをし過ぎるのである。 自分の内なる絶対神へ一点集中して、心を向け続けることのみが大事なのに、その自分と神さまの一対一の関係をこわしてゆくのである。 会や組織を作ったり、本やテープ等が沢山あればいいと思ったり、沢山の情報を与えるのが正しいかのように、人の貴重な時間を奪い取ってゆくのである。 枝葉に心を奪われたら、思いの心に陥いるのである。感謝の心に戻る為には、神さまへのみ心を向け続けなければならないのである。どんな理由があっても、神さまへ心を向けるチャンスを奪ったら、大きな間違いなのである。 本を読むよりも、祈る方が大事なのである。テープを聞くよりも、祈る方が大事なのである。 内なる神さまとの一対一の関係を、絶対に壊してはならないのである。本当の祈りは、内なる神さまと自分との交流である。本当の感謝は、内なる絶対神への感謝である。 外界に心を奪われたときに、真の祈りは崩壊するのである。無限の無限の情報が氾濫する中で、本当に必要な情報を手中にすることは、難事中の難事なのである。自分にとって本当に必要なものだけを受け入れないと、身も心も生命も滅ぼしかねないのである。 「ありがとうございます」の感謝の祈りに、本当に絞り込んで実行できていたら、必要なものは神さまから的確に与え続けてもらえるのである。祈りを忘れて情報に呑み込まれてしまったら、迷いに迷って、地獄に転落してゆくだけである。
新しい情報を求めることは必要ないのである。祈りに祈っていれば、必要な情報は必ず神さまから的確に与えられるものである。
ただひたすらに「ありがとうございます」を唱え続けているだけで、誰でもみんな、幸せで幸せで、どうしようも無いくらい幸せで、無茶苦茶に幸せで、何が何でも幸せで、こんなに幸せでいいのかしらという状態に必ず成るのである。すべての思いを消し去ってもらい、幸せな心を引き出してもらった人が、本当に感謝に生きている人なのである。 「ありがとうございます」の神さまは、一切の縛りを嫌うのである。 「ありがとうございます」の一言を唱えること以外、何も必要ないという。
余計なことをすればするほど、神様の救いの邪魔をしていることになるのである。
@ いつもいつも大難を無難にし、無限の無限のマイナスを免除して下さって、ありがとうございます。 A
いつもいつも無限の無限のプラスを、新たなる全徳の無限の無限の輝きを与え続けて下さって、ありがとうございます。 B いつもいつも無限の無限の感謝の心を湧き上がらせて下さって、ありがとうございます。 C いつもいつも無限の無限のプラスを、神様の最高表現を感受させて下さって、ありがとうございます。 D いつもいつも無限の無限の感謝の真祈りを祈らせて下さって、ありがとうございます。 E いつもいつも無限の無限の神様の最高のお手伝いをさせて下さって、ありがとうございます。 F いつもいつも無限の無限の神様との一体感を実感させて下さって、ありがとうございます。
神さまはいつもいつもこれ以上のプレゼントを与え続けて下さっているのである。これから与えてもらうのではなく、既に既に与えられ済みなのである。この事実に気付かないのは、恩返しの心を、お礼の心を起こさないからである。逆に不平不満・不足の心を起こして、神様を無視し否定し、恩を仇で返すような無礼千万な態度を取り続けているからである。神さまはこのような人々に対しても、大犠牲精神の愛の心で、マイナスの思いを振替えて消し去り、感謝の心の出てくるように、二重三重の護りのすがたを、これでもかこれでもかというくらいに目の当たりに見せて下さっているのである。 「ありがとうございます」の感謝の真祈りに出会えるのは、何億年に一回、何億人に一人の貴重なチャンスである。この出会いには、無限の無限の価値があるのである。他のいかなるものとも、比較できるようなものではないのである。 「ありがとうございます」のお礼くらいは言い続けないと、新たな気付きを与えてもらう資格は無いのである。恩返しの心を起こして、神さまのお手伝いに生きようとしてこそ、本当の神様の大きな助けを受け取ることができるのである。神さまに対して、自我の思いや願いを、つきつけるような無礼千万な態度を、決して取ってはならないのである。
地球人類の積み重ねて来た無限の無限の思いは、地球を破壊し続けているのである。その一方で救済の神々は、地球の滅亡を防ぐために、涙ぐましいまでの努力をし続けて来ているのである。今も地球人類の99.9%以上は、破壊の思いを出し続けているのである。神さまは人類に対して、破壊の思いを出さないようにしてほしいと、ひたすら願っているのである。
「ありがとうございます」の一言を心に唱え続けてくれたら、破壊の思いを出さずに済むからと。それ以上に他の人の破壊の思いを消し去る、神様のお手伝いもできるのだと。 自分の救われを願う心では、神さまの助けに波長が合わないのである。神さまのお手伝いに生きようとする心こそが、神さまの助けに波長が合って、願わずとも、無限に無限に大きな幸せを与え続けてもらえるのである。 これからは、ありがとう村に来られる方は、神さまへの恩返しの心で、神様のお手伝いの為に、『地球救済のひな形作り』の為に、お祈りと奉仕の為に、お越し下さい。 「ありがとうございます」のひたすらなる祈り、無心無我無欲の祈り、呼吸のように自然な祈り、神さまと出会う喜びの祈り、千変万化する自由自在な祈りの真髄に触れる為に、いつでも自由にお越し下さい。お待ちしています。
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2003.7.13
【これからの時代、宗教というのは必要なんでしょうか?】
ありがとうございます:
どうでしょうか。宗教という言葉は、逆に見ると「教えの元」というんですね、教えの元というのは神さまですよ。そういう意味だったら本物の神さまが必要です。絶対必要なんですよね。ただ、教えというのは、直接神さまから来ているというわけじゃなく、ピンからキリまであるの、いろんな教えがあるんです。
本物の神さまの教えと、本物から外れた教えと、いろいろあります。本物の時代になると、本物の神さまの教えは必要なんです。それは教えというよりは、元の神さまの働きなんです。教えを越えて、みんなを本当に幸せにしてくださる。本当の神さまの働きが必要になってくるわけね。だから、今までのような人を縛る教えは、どんどん必要がなくなって消えていくと思うんです。そして、中から湧き上がるような本当の神さまの助けが、これから必要になってくる。教えじゃなしに、神さまの本当の働きというのが、これからの宗教の姿になって出てくると思うね。
それともう一つは、今までは、模型的に神社とか仏閣、仏像なんかもそうですけど、本物の模型として、今現れでる姿がいっぱいあるんです。その模型を本物と見間違うと、間違った偶像崇拝になるんですね。本当の神さまはどこにいるかというと、宇宙全体にどこにでも満ち渡ってるわけだから、小さく模型を作っても、その模型は本物の神さまじゃないのね。模型はあくまでも模型です。ただ、その模型を必要とする時は、例えば、地球の勉強をするのに地球儀があるように、「地球儀があった方が勉強しやすい」という人には、模型も必要なの。本物を見るようになった人は、もう模型は要らないです。そういう意味だったら模型的なものは、どんどん必要なくなって消えて行く。本当に必要なものだけが、本当の神さまだけがさん然と輝いてみんなの前に出てくるとのです。
これからそういうふうになって行くと思うね。だから、一切の縛りのない本物を輝かせた姿で神さまがみんなの前に出てくる、そういう宗教は必要ですよね。だから、もう「宗教」という言葉は、今までの概念だとちょっとマイナス的なエネルギーもあるんで、縛る教えじゃなしに、本当に「自由に開放するような神さまの働き」というふうに捉えたら宗教の中身が変わってくるかも知れないですね。
ありがとうございますおはなし集で使ったHTML等は菊地さんのサイトで勉強しました。菊地さんありがとうございます
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