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「如此(かく)依(よさ)し奉(まつり)し国内(くにうち)に、荒振神等(あらふる

かみたち)をば、神問(かみとはし)に問(とは)し賜(たまひ)、神掃(かみはら)

ひに掃(はら)ひ賜(たまひて)」



 神(かみ)さまの与(あた)えて下(くだ)さる無限(むげん)の無限(むげん)の

チャンネルの番組(ばんぐみ)は、新(あたら)しいものほど、絶対(ぜったい)に

近(ちか)い高(たか)い番組(ばんぐみ)です。古(ふる)いものほど、絶対(ぜっ

たい)から遠(とお)い低(ひく)い番組(ばんぐみ)です。新(あたら)しいものほど

、高周波(こうしゅうは)の千速振(ちはやぶ)る波(なみ)です。古(ふる)いもの

ほど、低周波(ていしゅうは)の荒振(あらぶ)る波(なみ)です。感謝(かんしゃ)を

忘(わす)れ、新(あら)たなる受(う)け直(なお)しを怠(おこた)れば、必然的(ひつ

ぜんてき)に低(ひく)い番組(ばんぐみ)を現実化(げんじつか)して、荒振神(あら

ぶるかみ)の姿(すがた)と成(な)るのです。常(つね)に最高理想(さいこうりそう)

の世界(せかい)を現実化(げんじつか)せよと、委任(いにん)された自分(じぶん)の

世界(せかい)に、荒振神(あらぶるかみ)の姿(すがた)が現(あらわ)れたら、それ

を千速振神(ちはやぶるかみ)の姿(すがた)に置(お)き換(か)えてゆくのは、

自分(じぶん)に与(あた)えられた大(だい)なる責務(せきむ)です。そこで何故

(なぜ)感謝(かんしゃ)を忘(わす)れ・怠(おこた)っているのかを詰問(きつもん)

し、感謝(かんしゃ)を勧(すす)める必要(ひつよう)があるのです。そして業想念

(ごうそうねん)を祓(はら)い清(きよ)めて、感謝(かんしゃ)のできるように助(たす)

けてゆく必要(ひつよう)があるのです。



「言問(ことどい)し磐根(いわね)樹立(きねたち)、草(くさ)の垣葉(かきは)をも

語止(ことやめ)て」

 磐根(いわね)とは、程度(ていど)の低(ひく)い主義(しゅぎ)主張(しゅちょう)

 を頑強(がんきょう)に繰(く)り拡(ひろ)げる組織団体(そしきだんたい)のこと。

 樹立(きねたち)とは、程度(ていど)の低(ひく)い主義(しゅぎ)主張(しゅちょう)

 を画策(かくさく)する個々人(ここじん)。

 草(くさ)の垣葉(かきは)とは、程度(ていど)の低(ひく)い世間話(せけんばなし)

 に興(こう)ずる個々人(ここじん)。

 最高(さいこう)番組(ばんぐみ)を現実化(げんじつか)する為(ため)には、

 最高(さいこう)の言葉(ことば)を駆使(くし)することが必要(ひつよう)なので

 す。だから程度(ていど)低(ひく)い詰(つ)まらない言葉(ことば)は、絶対(ぜっ

 たい)に使(つか)ってはならないのです。使(つか)わせてはならないのです。

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