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自分自身が実行しただけのものが・・。
2006年08月20日(日) 19時45分

 感謝を忘れ、恩返しを忘れた時から、古い心すなわち過去をつかむ思いの心が
積み重ねられてゆくのです。
 過去に積み重ねた思いは、無限に大きいものです。
 思いは惰性・業力となり、五欲の心となり、煩悩の心となり、七難八苦の心と
なるのです。
 感謝を忘れたら、新生してくる神さまのプレゼントを受けそこなうのです。
 恩返しを忘れたら、古い心・過去をつかむ思いの心を消し去ってもらえないの
です。
 古いものと新しいものとの交換ができないから、必要なものが手に入らないの
です。
 それで求める心を起こすようになるのです。
 古い心・思いの心は求める心となって、思い通りにならない苦しみを、七難八
苦を味わうことになるのです。
 七難八苦から解放される為には、心に蓄積したすべての思いを消し去らなけれ
ばならないのです。
 一瞬一瞬、新たに新たに、新生してくる天照大御神としての自分を受け直し続
けている限りは、心にいかなる思いも蓄積されないのです。
 七福八楽が光となって降り注ぐだけです。

 どんなに困っても他の助けを受けなければ、借りを殖やさないで済むのです。
 しかし知らず知らずの内に他からの助けを受けて、借りを殖やし続けているこ
とが多いのです。
 どんな借りもすべて、思いとなって心に蓄積されてゆくのです。
 過去に蓄積した思い(借り)は無限に大きいのです。
 無限の借金と同じです。
 早く返済しなければ、毎日毎日利息がプラスされて、借金はふくらんでゆくの
です。
 心に思いがどんどん蓄積されて、光の通らない厚い黒雲のような心になるので
す。
 それが七難八苦の心です。
 この無限の借金を返済する為に、死にもの狂いで働き続けても、利息すら返せ
ないのです。
 自分一人の力ではどうにもならないのです。
 どうすれば救われるのか?
 借金返しの低い番組を恩返しの高い番組に変えてゆくことです。
 恩返しに生きようとすれば、神さまの護りの大きい高い番組へと入ってゆける
のです。 同じ働きでも、借金返しの為に働くのと、恩返しの為に働くのとで
は、雲泥の差があるのです。
 恩返しの為に働き続ければ、思い(借り)はどんどん消し去ってもらえるので
す。

 更には思いの無い、借金の無い自分になる為の一番の方法は、神さまのお手伝
いに生きることです。
 この生命を神さまの御用にお使い下さいと投げ出すことです。
 神さまの御用に使ってもらえたら、徳を積むことができるのです。
 徳は即ち光の貯金です。
 思い(借り)を大きく消し去る力があるのです。
 神さまの願いを生きることです。
 神さまの手足となって、粉骨砕身して働くことです。
 全体を支える為の大きな働きをしてゆくことです。
 3K(危険な・きつい・汚い)の仕事を喜び勇んでするようでなければ、神さ
まの御用には使ってもらえないのです。
 常に全体を支える為の獅子奮迅の働きをしてゆくことが、真の絶対感謝です。
 その時に感謝の心が無限に無限に湧き上がって来るのです。
 湧き上がってくる感謝が真の感謝です。
 求める心で祈る感謝は、真の感謝では無いのです。
 与え尽くす心で祈る感謝が、真の湧き上がる感謝なのです。
 肉体を魂を自分とつかんでいる間は、まだ無限の思い(借り)があるのです。
 謙虚にならなければ、思いは殖え続けるだけです。
 自分自身が実行しただけが、自分のものになるのです。
 自分のしたいことをしているのは、神さまのお手伝いでは無いのです。
 本当に必要なことを、優先順位の一番のことをするのが、本当のお手伝いにな
るのです。
 神さまの御心を正しくとらえないと、間違いだらけです。  


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10人前の働きをすれば・・。 2006年08月20日(日) 19時51分

 思いの世界から感謝の世界へ抜け出る唯一無二の方法とは、神さまへの恩返
しの絶対奉仕に生きること、唯これだけです。
 
 思いの黒雲に覆われてしまったら、何が正しいのか気付かなくなってしまうの
です。
 ますます思いの泥沼の深みに沈んでゆくのです。
 思いとは過去・過去世における借りです。
 求める心で手に入れたものはすべて大きな借り(借金)なのです。
 それは利息がついてどんどんふくらんでゆくのです。
 どんなに身を粉にして死にもの狂いで働いても、その利息の一部すら返せない
のです。それでは永遠に思いの世界から抜け出せないのです。
 思い(借り)を減らす、消し去ってもらう唯一の方法は、恩返しに生きること
です。
 恩返しに生きれば、古いものと新しいものを交換してもらえるのです。
 過去の借りを新しい光のプレゼントと置き換えてもらえるのです。
 すなわち思いを消して、光の感謝の心に置き換えてもらえるのです。

 恩返しの生き方を徹底すれば、神さまへの恩返しの絶対奉仕となるのです。
 一瞬一瞬古い自分を捧げ尽くして、新しい自分に置き換えてもらう生き方で
す。

 神さまの絶対の愛は、宇宙の法則となって現れているのです。
 法則は永遠に不変です。
 神さまの自由自在な心が、その自由を完全に放棄して、捧げ尽くして、絶対奉
仕に生きている姿です。
 大自然のすべては神さまの絶対の愛を表現しているのです。
 石ころ一個も宇宙を自由自在に飛び回りたいのです。
 その自由を完全に捧げ尽して絶対奉仕に生きているのです。
 だから人は大地の上を歩けるのです。
 石ころが自分の自由を主張したら、無限の石つぶてが飛びかうことになるので
す。
 それでは人は瞬時も生きてはゆけないのです。
 宇宙のすべてが、絶対奉仕に生きているのです。
 自分勝手な自由を完全に捨て切っているのです。
 それなのに人だけが自分勝手な自由を主張しているのは、恥ずかしい限りで
す。
 太陽も法則通りに規則正しく運行してくれるから、人はその愛を受け取るころ
が出来るのです。
 太陽でも自分勝手な働きをしたら、誰もその愛を受け取れないのです。
 人も約束をして、その約束を守らなければ、どんな小さな愛の行為も受け取っ
て貰えなくなるのです。


 真の自由は、恩返しの絶対奉仕の中にあるのです。
 自分自身が自分の自由を完全に全体へ捧げ尽くすから、他のすべてから、同じ
ようにその自由を捧げ尽くしてもらえるのです。
 だからこそ恩返しの絶対奉仕に生きるしか、道は無いのです。
 自分勝手な自由を主張することなど、微塵も無いのが正しい生き方なのです。


 神さまは真の自由の本源・本体です。
 その神さまが、自分の自由を完全に捧げ尽くして、絶対奉仕の姿をとっている
のです。ここにしか真の自由は無いのだと、そのお手本を示して下さっているの
です。
 その神さまが、人の自由を縛ってくることは、絶対に有り得ないのです。
 人が自分の自由意志で、喜び勇んで、恩返しの絶対奉仕に生きてくれること
を、無限の年月を忍耐強く待ち続けてくれているだけです。
 神さまが自分の自由意志を少しでも主張したら、人は神さまの奴隷・操り人形
になってしまうからです。

 
 人が他からの縛りを感じるのは、自分の働きが余りにも小さいからなのです。
 神さまのように無限の働きを与え尽くしていたら、誰からも強制されないので
す。
 すべては自分の自由意志で与え尽くしているだけです。
 人も少なくとも3人前の働きをするようになれば、誰からも強制されて自由を
縛られることは無いのです。
 更には10人前以上の働きをするようになれば、神さまのように自分の自由意
志を先行させることができるのです。
 そこに真の自由があるのです。
 真に真に神さまへの恩返しの絶対奉仕に生きる以外に、真の自由を体得する方
法は無いのです。
 自分勝手な自由を生きるのは、癌細胞のような生き方です。
 全体から切り捨てられるか、全体を滅ばして自分も滅ぶしか無いのです。