25責任ある生き方

 

 一切の責任は自分自身に在るのだ、ということを明確にすればするほど、本心は輝くのです。その責任から逃避したり、他に責任を転嫁していては、本心の自分を見失ってしまうのです。神さまと一体の、神さまの分霊である本心の自分は、常に一切の責任は自分自身にあるのだという立場から出発するのです。例えば世界に一人でも苦しむ人が居たら、それは自分の責任なのだと、本心の自分は無理なく思えるのです。そして謙虚な謙虚な心で、一心に神さまに祈って、その問題を解決しようと努力するのです。

 

 自腹を切る覚悟が無ければ、本当の責任ある生き方はできないのです。自分のすべてを捧げ尽くす覚悟が無ければ、どんな責任も果たすことはできないのです。自分のすべてを捧げ尽くして、一切の責任を取ろうとするところに、真の神の助けが降りて来るのです。我欲を捨てて、自我を死に切って、無欲・無我・無心・の心に成った時に、真の神が現れるのです。一切の責任を自己に帰す心は、真の神の御心と一致するのです。一切の責任を取ろうとする大犠牲精神の持ち主は、真の神の座にまで引き上げられて、中心に立つ者となるのです。即ち本心の自分に戻ることができるのです。

 

 地球の滅亡を防ぐ為に、命を捧げて、全力を尽くして、その全責任を負います、という覚悟ができたら、直ぐに本心の座に引き上げてもらえるのです。そして真の神が応援に付いて、無限の能力を授け、必要な働きをさせてくださるのです。誰かがしてくれるだろうと、他に責任を転嫁していては、本心の自分に戻ることは永遠に不可能です。責任の重い立場に自分を置かない限りは、本心の自分を引き出すことはできないのです。いつまでも先送りしていたら、本心の自分に戻るチャンスまで失ってしまうのです。

 

 大自然の悠久の神秘に触れ、大自然の無償の恵みに感謝し、大自然の『声なき声』に耳を傾け、一日も早く、『万物の霊長』として、報恩に生きなければならないのです。人には地球の調和を守る、使命と責任が有るのです。それを逆にして、地球の調和を乱しに乱しているようでは、人の存在価値が問われることになるのです。物質文明を謳歌する贅沢三昧な生き方は、地球の調和を乱し、霊的精神的な幸せをも奪って来たのです。今一度、真の幸せとは何かを、しっかりと見極めなければならないのです。欲しいものと必要なものとの区別を付けて、本当に必要なものだけで満足できる自分にならなければ、人類と大自然との調和は保てないのです。自分一人の『勇気と責任』の有る生き方が、地球人類の生き方を決定するのです。

 

ありがとうございます