13本心の自分を知る

『受けの達人』が本当の自分です。『神さまのすべてを受ける』のが受けの達人です。神さまの絶対・創造・統一・自在・限定の五つの働きの全てを受けるのが、神さまのすべてを受けることです。神さまは唯一無二の実在です。神さまの他には、何ものも存在しないのです。神独在です。神は絶対です。神さまの絶対の働きは、無限に無限に凄いものです。筆舌を遥かに遥かに超えたものです。無限の無限の直観力・洞察力・推理力・達観力を駆使しても、絶対の働きの凄さに気付くだけです。絶対は海全体に喩えることができます。相対は海の表面の波の変化です。絶対は海(生み)です。絶対から生み出されるのが、海の表面の波の変化、創造・統一・自在・限定の働きです。絶対から相対が生まれ、表現が生まれるのです。絶対の中に全徳(すべての働き)が在るのです。神さまの全徳が、相対の両極に振り分けられ、それらを円融無碍自在に組み合わせる働きが、創造の働きです。神さまは絶対者であると同時に、創造主なのです。相対に分かれたすべての要素を、左旋回・右旋回の螺旋状の動きとして、無限に進展させて、すべてを尽くした組み合わせを、一瞬一瞬新たにするのが、創造の働きです。全大宇宙のすべてのすべてを、すべての時間・すべての空間を生み出す働きが、創造の働きです。同じものは何一つとして無く、同じことは二度と繰り返さない、完璧な表現が、神さまの創造です。神さまの創造は、無限の限の創造です。永遠無窮に続く不断の創造です。すべてのすべてを尽くした神さまの創造は、それらを光一元に(他の要素も一元に)、大調和に配列して、一大統一してこそ、その全体像は最高に輝くのです。創造されたすべてのすべてを、最高の完璧な状態に配列・配置して、その全体像を最高に輝かせる働きが、統一の働きです。神さまは絶対者・創造主であると同時に、統一者なのです。全体像を構成する各部分の表現は、神通自在・神変自在な働きの精華です。また書く部分は自らの自由意志で、喜んで統一の働きに参画して、全体像を最高の完璧なものにしているのです。そこには自由自在ないのちの躍動・無限の無限の輝きがあるのです。神さまはすべてのすべてを現れて、各部分に自由自在に働いているのです。各部分の自由自在な働きは、神さまの自在の働きなのです。最終的なすべての表現は自分のすべてをささげ尽くして奉仕する、最高の愛の結晶です。自らの自由自在な働きを完全に縛って、無限の無限の縛りの中に入って静止するのは、愛の心による自由の限定の働きです。すべての表現は、神さまの愛の心の結晶、自由の限定の結果です。『ありがとうございます』(宇宙絶対統一神・天照大御神 今 ここに 存します。新たなる全徳の無限の無限の輝きが一杯!)感謝するのは、神さまの五つの働きのすべてを、しっかりと受ける為です。受けの達人・本当の自分に戻る為です。

 

 道具を自在に使いこなせてこそ、本当の仕事が出来るのです。本心の自分が、自己表現の道具である、肉体と魂を自在に使いこなせてこそ、神さまの御心をこの世に現すという、本来の使命を全うすることができるのです。肉体を自分であると思えば、肉体の欲望に負けるのは当然です。何よりも先ず、本心の自分の自覚を深めてゆくことが重要です。本心の自分としての自覚の欠乏が、道具(肉体や魂)の奴隷状態に陥る根本原因です。本心の自分の自覚を深めてゆく為の一番の方法は、常に常に、本当の自分・本心の自分は、神さまの全徳の無限の無限の輝きで一杯なのだと祈り続け、大肯定してゆくことです。

 どのような表現をする場合でも、心の中に無いものを表現することは不可能です。神さまの御心・全徳の無限の無限の輝きを、この世に表現する為には、先ず自分の心に神さまの御心を受け入れる必要があるのです。そして肉体と魂を道具として使いこなし、神さまの御心をこの世へ実現してゆくのです。本心の自分の立場に立つということは、一瞬一瞬新たに、どこまでも謙虚な・素直な・明るい・おおらかな・喜び勇む心になって、神さまの全徳の無限の無限の輝きを、具体的にしっかりと感受してゆくことです。

 

 本心とは、太陽のように明るく朗らかで、平等にすべてを愛し、夢と希望と幸せを与える心です。本心とは、水のように自らを相手に合わせて自由自在に変化させて、すべてに生命と潤いを与える心です。本心とは、空気のように自らの存在を主張することなく、謙虚にすべてを生かす心です。本心とは、大地のように踏まれても踏まれても謙虚に下座につき、すべてを支えて奉仕する心です。本心とは、海のように清濁併せ呑み、すべてを浄化するおおらかな心です。

 

 本心とは、常に直感的に今の一瞬に、のすべて存在に 愛を 美を 善を 光を 知恵を 生命を 素晴らしさを一元的に感じ取る感謝一筋の心です。本心の心は 常に常に 五感六感を超えて 神の愛を直感するのです。五感六感で感じとれる現象界の移り変わるいかなる姿にも 決してとらわれることなく、いついかなる立場に立っても、常に今・ここに 神の愛を感受するのです。たとえ地獄絵図が眼前に現れても、そのすべてを神の無限に無限に深い愛の現われであると ただただ感謝一筋に受け入れるのことのできる心なのです。

 本心の心は いついかなるときも すべての責任は自分にあると知る心です。過去の長年月の間に、本心を忘れ、本心を輝かすことを怠ってきたその付けが無限の業を積み重ねる結果となったのだとまず認識するのです。そしてその業を一心に背負うことは不可能であるから、愛の天使たちが分担して振り替えて背負ってくれている姿が地獄絵図と現れているのです。「ああ!私の積み重ねた無限の業苦の重荷を少しでも軽くしてあげようと、みんなが分担して背負ってくださっている!なんと有り難いことだろう!」と苦労を共にしてあげようという神の愛の働きの姿に、喜びの涙を流して感謝し続けることのできるのが本心の自分です。 本心を自覚すれば 無限の幸せは 既に与えられ済みであることにきづくのです。

 

 本当の自分の心は、本心の心・感謝の心なのです。自我の思い・考え・願いは、業想念の心です。五欲(在欲・名誉欲・食欲・色欲・睡眠欲)の心は、業想念のこころです。七難八苦の心は業想念の心です。煩悩の心は、業想念の心です。業想念の心は、本当の自分の心では無いのです。光を灯せば、闇は消えるのです。本心を輝かせば、業想念は消えるのです。『ありがとうございます』と唱えれば、本心が輝き出てくるのです。『ありがとうございます』と唱えれば、業想念は消えるのです。心の中の業想念が消え去れば、青空に太陽の輝くように、本心の自分(湧き上がる感謝の心)が大きく輝き出てくるのです。

 

 『天は(守護の神霊)は自ら助くる者を助く』というのは、自分自身が真剣に努力し続けてこそ、その願いが天に通じて、守護の神霊の御心を動かし、大きく助けていただけるようになるということです。自分の力だけでは、マイナスの全てを消し去ることは、不可能です。守護の神霊の助けを大きく受ける以外に救われる道は無いのです。

 

 本心開発をねがう者は、決して惰性に流されてはいけないのです。惰性とは、過去に積み重ねた業想念の、習慣性・傾向・習性・癖・業力です。一瞬一瞬本心の自分をしっかりと生きようとしなければ、一寸の油断で、直ぐに惰性に流され、業想念の奴隷に陥るものです。惰性に流され、業想念の奴隷に陥れば、自分の心は必ずマイナス(七難八苦)の状態になってゆくのです。七難八苦というのは、本心の自分を生きるのを忘れたときに、闇のように忍び寄って来るのです。マイナス(七難八苦)の状態は、本心の自分をしっかりと生きなさい、という警鐘です。

 

 本心の心は、愛の心・感謝の心・一体感の心です。本心の心は常に、本源(神)から新生してくる心です。だから『すべては神さま』『すべては神さまの現われ』『すべては神さまと一体』ということをよく知っているのです。本心の心の立場に立てば、『みんな天照大御神!みんな新たなる全徳の無限の無限の輝きで一杯!』と拝めるのです。神さまを一本の大樹に例えると、このことが良く判るのです。根幹から全体を眺めると、すべてはひとつに繋がっていると見えるのです。末端枝葉だけを眺めると、すべてはバラバラに離れているように見えるのです。表面の姿だけを眺めていては、すべてが繋がりの無い別個のものに見えるのは当然です。この世は表面の枝葉に相当する世界です。この世だけを見ていると、誰でも間違った一面間に陥るものです。

 

 本心の心は、全体を達観する心です。全体を知る心は、全体と一体の心です。本心の心は、全体の心です。本心の心は、『すべては自分』『自分はすべて』と無理なく自然に思えるのです。表面の小さな部分だけを掴んでいるから、小さな自分になるのです。大きく全体を掴めば、大きな自分になるのです。本当の自分は、神さまです。本当の自分は、宇宙全体です。本当の自分は、すべてのすべてです。みんな自分なのです。

 

 本心の自分を自覚し、その自覚を深める為には、正しい祈りを、祈りに祈らなければならないのです。一瞬一瞬の真剣な祈りを忘れた時に、惰性の祈りに陥り、本心の自分の自覚が失われてゆくのです。本心の自覚を保持する為の祈りは、常に一瞬一瞬の、真剣な祈りなのです。

 

 本心の心は、祈り心です、本心の心は常に常に、祈っているのです。本心の心は、新たに新たに、祈り続けているのです。本心の心は、祈ることによって、神さまの全徳の無限の無限の輝きを表現してゆくのです。祈りによって、神さまの御心を顕現するのです。祈りこそが、神さまの御心をこの世へ現す、絶大なる力なのです。本心の自分は、祈りに始まって祈りに終わるのです。ただただ祈るだけなのです。祈りによって心を調律し、その心を投影して、現実世界に神さまの御心を現すのです。現実世界は、心の通りに・運命のままに、自然に移り変わるのみです。

ありがとうございます