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無限の無限のありがとうございます。文責河上彰延
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五井先生の消えてゆく姿・・・・。 by 河上あきのぶ [Mail] [URL] 2008年07月01日(火) 10時35分
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 五井先生の消えてゆく姿で世界平和の祈りについてのご質問ですが、この消えてゆく姿というのは、肉体の自分が唱えると思うとなにも判らなくなるのです。
 消えてゆく姿で世界平和の祈りとは、五井先生と神界との約束事で、この祈りを唱えるところに神界の浄め救いの光を降ろさん!という決まり事なのです。
 ここで、消えてゆく姿とは、肉体人間に勿論そんな力はありませんので、消えていくと宣言し世界人類が平和でありますように!と祈りところに光が満ち満ち、一切の闇(マイナス)は消え去って光明燦然とした無限の無限のプラスで一杯に為す!ということなのです。
 消えてゆく姿を宣言するのは肉体人間のようでありますが、真実、消えてゆく姿といえるのは、皆さま方の本心だけなのです。
 又、世界平和の祈り言葉を唱えることが出来るのは皆さま方おひとりおひとりの本心だけなんです。
 ここを勘違いすると判らなくなるのです。
 五井先生は肉体人間側の感覚にそって説明され、昌美先生は本心の側に立って説明されていうだけなのですが、聞く側は、肉体人間がすると勘違いしているので今の混乱となっているんです。
 でも、あまり、理屈で考えずにああ、こんな辛いことがあっても、きっと神さまが良いようにされて消えてゆくんだ、ありがとうございます。世界人類が平和でありますように!と素直に五井先生を信じて祈れる者は幸せであります。

 無限の無限のありがとうございます


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憑依といえばすべて憑依といえます・・・・。 by 河上あきのぶ [Mail] [URL] 2008年06月30日(月) 22時49分
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 急にからだが重くなった急に眠くなった急にやる気が失せて無気力になった等々の症状は憑依現象であるといえばそうなのです。
 しかし、人間の体はすべて、神霊のよりしろでありますから、常に自分のだすひびき(唱える言葉等)にあった神霊の合体を受けているわけです。
 我良しの心であれば、そういう霊魂の合体を受けるわけですし、自分のことはさておいて世界の平和を願う心になれば、やはり高い神霊の合体を受けるわけです。
 しかし、現実問題として急にしんどくなった急に無気力になった等々の症状は現実生活における切実な問題ですので、先ず、このことをお話ししましょう。
 こういう症状がでたときは、先ず、ありがとうございますととなえることです。 
 それから、少しずつゆっくりでいいから、一歩でいいから動き出すことです。
 筆者の場合もいろんな症状がでるときがありますが、そんなときはわざと、暑い苦しいしんどい仕事を汗をかきながらします。
 そうすると、合体しようとねらっていた霊魂もこんなしんどいことをする依り代はかなわんと離れていきます。
 そのときにすかさずありがとうございますと唱えていると、唱える時期に来ている魂は一緒に唱えて神界に昇ります。
 そういう仕組みなのです。
 しんどいときだるいときつらいときねむいとき無気力になったときは、多くの魂の空く我(すくわれ)のチャンスなのですから、神さまのお仕事のお手伝いとしてがんばってありがとうございますと唱え、少しずつでいいから動いて祈り続けましょう。(動くことは光が通ることですので祈りに通じるのです)
 この状態が進むと五井先生のように、満員電車の中で、おできのできた右足を踏まれて実に痛い思いをしても、とっさに出てきた言葉がありがとうございます出会ったというような心境になるのです。
 とっさの言葉が世界平和の祈りよりもありがとうございますであったということも、いろんな深い意味のあることであったのだと思います。
 無限の無限のありがとうございます


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無限の無限の幸せは既に与えられている・・・・。 by 河上あきのぶ [Mail] [URL] 2008年06月30日(月) 21時05分
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 無限の無限の幸せは既に与えられているにもかかわらず、だれもそれに気付こうとはしないのです。
 すべてに無限の無限の幸せを見つけ出してこそ、本当の意味の感謝が出来たということになるのです。
 一切の現実を無視し、ひたすら本源の世界の響きであるありがとうございますを唱え続けて真の幸せを再発見してゆきましょう。
 無限の無限のありがとうございます


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利潤追求と悟り・・・・。 by 河上あきのぶ [Mail] [URL] 2008年06月30日(月) 09時46分
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 商い(利潤追求)の場を本心開発の修行の場に変えてこそ、すべての人を幸せにすることのできる商いの道→商道となるのです。
 本心(悟りの心)を開発するという根本の目的を忘れていては、どんなに忙しく働いていても幸せの花を開かせることは出来ないのです。
 本心を輝かせて、業想念(五欲・煩悩→思いめぐらせ不平不満不安に思う心)を消し去らない限りは、七難八苦の苦しみは決して無くなることはないのです。
 業想念の心でお金儲けがしたい、故郷に錦を飾って一財産築きたい、学友を世間を見返してやりたい、大勢の人をこき使って利益をあげたい、世間から大金持ちとしてうらやましがられ誉められたい、等々の不純な心から出発しては、同じ商い(利潤追求)をさせてもらって、たとえその目標が叶えられても、業想念を大きく積み重ねるだけで、決して真実の幸せを手中に収めることは出来ないのです。
 それどころが却って益々苦しみを大きくするだけで終わるものなのです。
 それにもまして周囲の人々まで巻き込んで、その人達をも不幸のどん底に突き落とすことになりかねないんです。

 お客さまは神さまです。従業員も神さまです。商品も神さまです。みんな神さまです。このお店も神さまのお店です。無限の無限の輝きで一杯!無限の無限の喜びで一杯!無限の無限の幸せで一杯!無限の無限の楽しさで一杯!無限の無限の和顔・愛語・賛嘆で一杯!
 上記のように自分の心に思い浮かべながら、お釈迦様の悟りである”みんな神さま!ありがとうございます、ありがとうございます、ありがとうございます。と一心に心の中で唱えて感謝行を実践してゆくことが、商いを商いの道として商道に高めてゆくことなのです。
 
 本来宇宙のすべては神さまの現われなのです。
 感謝さえ忘れなければすべての場において神さまが降りたって働いて下さるのです。
 明るい心で・喜びの心で・奉仕の心で・、みんな仲良く助け合えるようになるのです。
 全ての人が幸せであるのが、本来の大宇宙の自然な姿なんです。
 この自然な姿を破壊してゆくのが、感謝を忘れた業想念の心(五欲・煩悩・思い巡らし不満に思う心)なんです。
 業想念の心が大きく強くなればなるほど、みんなの幸せを大きく破壊してゆくのです。
 それは人殺しにも匹敵する大罪なのです。
 ありがとうございますと唱え続ける感謝行こそは、この業想念を消し去り、みんなを幸せにしてゆく唯一絶対の最高の方法なのです。
 無限の無限のありがとうございます


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おしゃかさまのさとりは・・・・。 by 河上あきのぶ [Mail] [URL] 2008年06月30日(月) 06時41分
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 お釈迦様が悟りを開かれたとき、簡単に現代語に訳せば、”みんな既に悟っている”ということを悟りの心(本心)で直感されたのです。
 このみんな既に悟っているということがこの宇宙の根本真理でなのであり、お釈迦様が解かれた教えの神髄なのです。
 この真理を信じることが、そして素直に心に受け入れることが、法華経(宇宙の大法)(あまてらすおおみかみのひびき)を受持することなのです。
 本来、菩薩心(本心)には、ごく自然に無限の無限の喜びをもって、受け入れることができる響きなのです。
 だからこそ、ごく自然に無限の無限の喜びの心(歓喜の心→本心のこと)で、この大宇宙のすべてを、完全円満な神・仏であると拝む”礼拝行”が始まるのです。
 完全円満なる神・仏と認めるとありがたくてごく自然に”ありがとうございます”と礼拝し拝むことになるのです。
 この礼拝行を実践するものを、真実の法華経の行者というのであり、その人は必ず真実の悟りを開き、無限の無限の幸せを手中にすることができるのです。
 無限の無限のありがとうございます


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過去世の借金とは・・・・。 by 河上あきのぶ [Mail] [URL] 2008年06月29日(日) 14時13分
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 過去世の借金とは、今の自分の運命であり、思い巡らす心、五欲、煩悩、七難八苦の心として現れてくるのです。
 自我の我良しの心思い通りにしようとする心、願いの強い心人は、過去世の借り、高利の借金の多い人なのです。
 ましてや、さらにこの世において自分の思い通り願い通りに生きようとするのは、さらに自分の心に高利の借金を積み重ねている生き方なのです。
 どういう状況に置かれても、どんな借金をしてもいけないのです。
 借金はしないほうがよいのです。ましてや贅沢な生活のための借金はおおきな間違いなのです。
 何時の世にも置いても無責任な・狡い・怠けた生き方は、借りを増やして、心に業想念を蓄積するだけです。
 他からの借りは、本心(太陽、あまてらすおおみかみ)を覆う業想念(黒雲)になるのです。本心が隠されたら、神さまとの一体感も幸せも安らぎも、消えてしまうのです。
 そして七難八苦や地獄の苦痛となって現れてくるのです。
 高利の借金は一日も早く返した方が良いのです。
 なにもしないでほったらかしにしておいたら、どんどん雪だるま式に増えて返す充てが無くなる位くるしくなってゆくのです。
 借金返しもしないでこの世での幸せを求めても幸せに成れる道理はないのです。
 思い巡らす求める心を生きるのは、借りを増やすだけなんです。
 感謝報恩のありがとうございますと恩返しに生きること、報い求めず与え尽くす心を生きることが徳のプラスの貯金を殖やすのです。
 徳を積まなければ、幸せには成れないのです。
 徳を積んで借りを返すのが、本当の借金返しです。
 七難八苦や地獄の苦痛を味わって借金を免除してもらっても、本当の借金返しではないのです。
 借金が一時的に減っただけで、相も変わらず報い求める心を生きていれば、永遠に苦痛を味わうことになるんです。
 たとえ過去世に無限の借金を(業想念)を積んでいても、神さまのお手伝いに生きることによって、肩代わりして消してもらえるのです。
 神さまへの感謝に生きる・恩返しに生きる・お手伝いに生きることが、一番楽な借金返しの方法です。
 ただし、たとえどんな時であっても懸命な真剣さは必要なのです。
 甘い生き方では、神さまの助けを受けることができないのです。
 なぜなら、神さまはいつも全力投球であり命がけの真剣さで働いておられるからです。
 そういう意味においても人間の側も命がけで全力を出し尽くして行かなければ神さまの心を動かすことはできないのです。
 そうすれば、こちらから頼まなくても、神さまの方から助けに来て下さるのです。
 神さまのお仕事のお手伝いに全力を尽くしましょう。
 具体的には日々のお仕事を通して、ひたすらありがとうございますと祈り続けることです。
 掃除洗濯をしながら、お料理をしながら、事務や運転をしながら、いろんなおしごとをしながら、ひたすらありがとうございますと心の中で祈りつづけましょう。
 無限の無限のありがとうございます


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どのような自分に成るかがこの世の勉強・・。 by 河上あきのぶ [Mail] [URL] 2008年06月29日(日) 13時49分
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 自分さえ良ければいいのだ、自分一人で生きていけるのだという我良しの心の人は、集団の中で息巻いていないで一度無人島で生活してみれば良いのです。
 たとえそうしても、神さまへの感謝が無ければ大自然の恵みを無断で盗み取った盗っ人ということになるのです。
 この世のすべてのものは神さまの恵みであり、大自然の(神さまの)恩恵なのです。
 このように何時いかなる場合においても、神さまへの感謝と他人への恩返しが出来ることが幸せに成るための絶対条件なのです。
 この世でもあの世でも、報い求めず与え尽くす心を生きる働き者が、幸せになれるのです。
 極楽の世界とは働き者ばかりが住む世界です。
 報い求める心ばかりを生きる怠け者の住む世界は、地獄や餓鬼道になるのです。
 どのような自分に成るかがこの世の勉強です。
 あの世に移行すれば、自分と同じような生き方の”そっくりさん”ばかりの世界になるのです。
 みんなが怠けて働かなければ、必要なものは何一つとして手に入らないものばかりなのです。
 何時いかなるときといえども、どのような自分に成るかは、自分自身が自分自身の責任に於いて選んで決めているのです。
 無限の無限のありがとうございます


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真実に人を愛する・・・・。 by 河上彰延 [Mail] [URL] 2008年06月28日(土) 09時52分
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 およそ、人は、大好き!愛している!といって、その内実はただただ相手を縛り自分の自由にしようとしているだけである場合が多いのです。
 もし、真実に人を愛しているというのなら、それは、すべての人の本体である本心と一体化して、本心の在住する本源の世界から、新たなる全徳の無限の無限の輝きで一杯!とすべての人の本心の姿をしっかりと実感として認めている状態なのです。
 それは、好きだよ!とか、良く気が合う!とか、好きで好きで堪らない、いつもそばに居たい!とかの感情とは、別個のものなのです。
 本来「好き」という感情は、報い求める業想念の思いの心なのです。
 逆に「愛する」というのは、なにがあっても与え尽さずには居られない本心の心なのです。
 思い巡らす思いの心は、遠い遠い過去である現実を掴み、現実の姿に一喜一憂し、本来の本心である相手の真実の姿を見失っているのです。
 この世の姿の対応だけを見て掴み自分の報い求める心をどんなことでもいいからなにか満足させてくれる人は”良い人”であって”大好きな人”であるのです。
 だから、一寸虚栄心をくすぐられて、頼りにしていますなどと自尊心をぐっと持ち上げられたら、豚もおだてりゃ木に登るの喩えのごとくホイホイとなんでもしてあげたり、どこえでもついていってあげるのです。
 甘い言葉、甘い誘惑の背後には、どんでん返しの落とし穴が今か今かと待ち受けているのに、ついつい乗ってしまうのです。
 業想念の思い巡らす報い求める心はマイナスの心なので、同じもの同士がさながら磁石に引きつけられるように、必ずいろんなマイナスと合流合体して一つになろうとするものなのです。
 では、真実に人を愛する為には何に注意すればよいのでしょうか?
 それは、自分の背負っている思い巡らす報い求める心をすべて消し去ってしまうことなのです。
 その為には唯一真実の光である神さまを愛する練習を積み重ねることです。
 神さまを愛することによって始めて自分の背負っているマイナスを消し去ってもらうことができるのです。
 神さまは本心の無限の無限の輝きを引き出し、無限に無限に輝かせてくださるのです。
 神さまを愛するということは、神さまを常に思い続けるということです。
 それは、いつも申しますように、ありがとうございます、天照大御神今ここに在します。あたらなる全徳の無限の無限の輝きで一杯!と祈り続けることなのです。
 いつもいつも神さまに心を向け続けることによってのみ、自分のもっているマイナスを消し去ってもらうことができるのです。
 だから、人を愛する!ということも、その人を最高に思い続けることなのです。
 ぎゃくにいえば、マイナスで一杯で苦しんでいる人をかわいそうに思って、幾ら愛しようと努力しても、真実に愛することにはならないのです。
 そんなことをしたら、自分のもっているマイナスと相手のマイナスが交流しあって、ぎゃくによりおおきなマイナスを生み出し与え合うだけなのです。
 それは、お互いに結局憎み合い苦しみ合うだけで終わるのです。
 無限のマイナスである思い巡らす報い求める業想念の心を背負った自分が人に何を与えても、その与えたものに大きな業想念がついているので、結局は利息がついてより大きなマイナスとなって、世の中を巡ることになるのです。
 だから、かわいそうと思って施しをしても少しもプラスを与えたことにはならないのです。
 もし、すこしでも他の人を幸せにしたい(夫を)幸せにしたいと真実に願うのであれば、先ず自分自身が無限の無限のプラスの心である本心に戻らなければならないのです。
 常に常に神さまを愛する練習を続け、ありがとうございますを積み重ね、真実に神さまを愛することができるようになった時に始めて、人を夫を神さま(最高のもの)として真実に愛することができるようになるんです。
 「真実の愛」とは、すべてを神さまとして感謝し、実感として受け止めることなのです。
 「真実の愛」は神さまの最高表現だけを感謝し、実感として受け止めることなのです。
 「人を真実に愛する」とは結局人に神さまの最高表現を見出すことなのです。
 人を通して神さまの最高表現だけを与えられた状態が、本当の意味で自分が人を真実に愛している状態なのです。
 本来「愛する」と「愛される」とは一つのものだったのです。
 無限の無限のありがとうございます


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座禅でなかなかさとれないのは・・。 by 河上あきのぶ [Mail] [URL] 2008年06月28日(土) 00時50分
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 座禅でなかなか悟れないのは、中心が定まらないからです。
 無念無想、止観、とないないづくしになって、太陽を、あまれてらすおおみかみさまを忘れているからです。
 私たちは太陽の恩恵の中で生きているのです。
 霊的にはあまてらすおおみかみさまの生命を、産土の神さま(鎮守の神さま)をとおしてわけ頂いていきているのです。
 淨円月観ではなくて大日如来観がいるのです。
 しかし、座禅には具体的にたとえば太陽をイメージする作法がないので、どこに意識を統一すればよいか判らずに苦労するのです。
 ありがとうございますの中にはこのすべてが含まれているのです。
 素直にありがとうございますと唱え続けて神さまの御心に、天照大御神さまに統一しましょう。
 無限の無限のありがとうございます


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神さまが良いようにされる・・・。 by 河上あきのぶ [Mail] [URL] 2008年06月24日(火) 23時20分
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 神さまが良いようにされるのだから、という言葉を逆手にとって、現実になにもせずにじっとしているという人があるのですが、これは、神さまにすべて任せているように見えて実は、怠けているだけ何です。
 なぜなら、神さまは一瞬新たに一瞬一瞬変化向上される存在だからです。
 現状に目をつぶり何もしないというのは神さまの変化進化向上する御心とは相容れないものだからです。
 なにかあったときに、困らないように対策をとっておくのは、日照りにそなえてダムに水をためておくようなもので、大切なことなのです。
 この世の動きはゆっくりときますので、神さまの御心にそっていろんな対策をとっておくのは決して、神さまに対する信がないということではありません。
 むしろその逆であるといえるでしょう。
 万が一の事態に備えて対応し、なおかつ、そういうことが起こらないように真祈りに邁進するのが常道というものです。
 この世は、時間のすすみかたがゆっくりですから、目の前にある問題を解決するかしないかの内に新しい問題が出てきて、いつまでたってもすべて解決するとは限りません。
 むしろ、積み残した未解決の事案が山積みであるというのが本当のところでしょう。
 それでよいのです。今与えれられている立場に全力をつくすということが大事であって、決して結果が伴わなくても良いのです。
 無限の無限のありがとうございます


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この世の生命の源は・・・・。 by 河上あきのぶ [Mail] [URL] 2008年06月24日(火) 12時40分
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 この世の生命の源はすべて天皇陛下を元締めとして陛下を通じて展開しているのです。
 いうなれば、おそれおおきたとえですが、水道の水源地の水門なのです。
 陛下を通さないとすべては動かないのです。
 それが、判ればエネルギー問題は簡単に解決できるのですが・・・・。
 無限の無限のありがとうございます


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あまてらすおおみかみさまは一瞬一瞬・・・・。 by 河上あきのぶ [Mail] [URL] 2008年06月22日(日) 23時00分
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 神さまというと固定して考えがちですが、神さまは一瞬新たに一瞬新たにあらわれられるのです。
 常に常に変化創造の姿を執られるのです。
 だから、このお姿というのはごく一面であって真実ではありません。
 これほどに神さまとは一瞬一瞬ダイナミックな存在であり、生命の躍動そのものなんです。
 それが判れば神さまの世界といえども一瞬一瞬新たにダイナミックに受け直さないと理解できなくなるのです。
 あまり言い譬えではありませんが、常に変化変動しつづける海底火山の溶岩の噴出口のように同じ姿をとることはないんです。
 無限の無限のありがとうございます


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光が益々強くなる地球・・・・。  by 河上あきのぶ [Mail] [URL] 2008年06月22日(日) 09時14分
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 天地を貫く光の柱は益々太く強くなり、この地上においての光はますます強くなって来ているのです。
 光の強い場所では、ありがとうございますと祈る感謝の心の自分は瞬時にして上へ上へと上がってゆくのです。
 その反対に、報い求める心であるギブアンドテイクの心ひとである思いのじぶんは、強い光にあうと消されてしまうので、下へ下へのまぶしい光を避ける為に下がって言ってしまうのです。
 今の一瞬に感謝に生きれば、感謝の深い自分になってゆくのです。
 思いに生きれば、思いの厚い(業想念のコールタールのような固まりの厚い)自分に成ってゆくのです。
 まさに今の一瞬一瞬どちらを選ぶかによって、それは決まってゆくのです。
 選ぶのは自分の自由意志であり自分の責任であり自分自身なのです。
 真剣になって徹底して感謝すれば、ありがとうございますの響きである、本心の自分を生きることができるのです。
 感謝の心である本心の自分は必ず、恩返しの心・報い求めず与え尽くすこころを生きるのです。
 感謝の心ありがとうございますと与える心とは不離一体のものです。
 感謝の祈りありがとうございますを唱える自分は決して求める心を起こさないのです。いや求める心はおこりようが無いのです。
 もし、もしですよ、チョットでも報い求める心が顔を出したら、感謝を忘れ、思いの自分を無意識の内に生きてしまっているのです。
 思いの心と求める心(なにかを要求する心)とは一体の心です。
 本当の意味での救い、本当の意味での神さまの助けとは、自分の思い通りになることでは無いのです。
 かえって、思い通りにならないのが願い通りにならないのが本当の神さまの助けであり救いであるのです。
 真の神さまの助け救いとは、思いの自分から感謝の自分へと、求める心の自分から与え尽くす心の自分へと、自然に変化させて下さるのが、本当の神さまの救いであり助けであるのです。
 無限の無限のありがとうございます


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もっとも忌むべきは逃げ出す心・・。 by 河上あきのぶ [Mail] [URL] 2008年06月21日(土) 23時01分
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 最も忌むべきは、イヤだと逃げ出す心です。
 どんな姿と言えども自分が選んで展開している姿ですから、ありがとうございますと素直に積極的に受け流していかないと、イヤだと逃げ出せば何時までも、自分の運命として追いかけてきます。
 人は必ず死にます。死ねば、その人の直霊(なおい)と魂と魄は分離し、直霊(なおい)は天照大御神さまの御元に魂は産土の神さまの御元にそして魄(性欲食欲名誉欲金銭欲等のこの世での行動力の源)は、この世での所行を調べる神さまの御元にいき、この世での行動のすべてを審査されます。
 そして、自分本位の我良しの生き方をしてきた人は、自他を隔てた分だけの汚れを落とす為に、必要なだけ禊ぎ払いを受けるのです。
 早い人で3年、普通20年から30年、おそくとも50年ぐらいかかって汚れを冷たい河でゴシゴシと洗い続けるのです。
 イヤだと逃げ出しても、必ず、やってくることなのです。
 天網恢々にして疎にして漏らさずなのです。
 神さまはすべてお見通しで誰にも公平にやってくるのです。
 この世での名誉も権力もお金もそのときは役立たないのです。
 ただただ、愛の心、すべてに与え尽くす感謝の心全体奉仕の心のみがそのときに役立つのです。
 死んだ方がマシだとなんて現世から逃げ出す心は、もっとも忌むべき行為です。
 そんな心では死んでからのほうがもっと大変なのです。
 今からでも遅くはありません。死にたいなんて思わずに一言でもよいからありがとうございますと唱えましょう。
 ありがとうございますと書き続けましょう。
 今の一瞬を感謝一筋に生ききるとき、その人は永遠生命を生きていることになるのです。
 無限の無限のありがとうございます


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天地を貫く光の柱の立つとき・・・・。 by 河上あきのぶ [Mail] [URL] 2008年06月21日(土) 22時30分
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 今、地球に天地を貫く光の柱が立つときがやってきたのです。
 地獄から天上の世界まで一つの光の柱で貫かれた時代がやってきたのです。
 光の柱が立つとは、神さまの助けが瞬時にすべての番組すべての次元の世界に降りることのできる、働けることのできる状態になったと言うことです。
 すべての次元に縛られたモノといえども、感謝一筋に生きておれば、瞬時にして必要な助けを受けることができる時代となったのです。
 さらには絶対奉仕の心になって、感謝の心・与える心を生きることによって、神さまの助けを受けやすい高い番組に昇華上昇することが簡単に出来る時代になったのです。
 べつの言い方をすれば、自分の心で自由に次元を選べる時代となったのです。
 感謝をわすれ、報い求める心を生きれば、瞬時にしてはるか彼方の低いどろどろした暗闇に転落することもあっという間という時代になったのです。
 今のあなたのように、思い通りに、願い通りにならないと言うことは、必要以上に思いを積み重ねなくてもよくなったということなのです。又、過去に積み重ねてきた想いを消してもらえるということになるのです。
 兄がすでに先祖供養ができているのに同じ兄弟でも供養の出来ている先祖なのに迷ったという影響が弟に何時までもあるのは何故か?というご質問ですが、それは、先祖が迷ってたたるのではなく、各自一人一人の心が迷った先祖と掴んだ分だけ、影響を自分でつくって掴むからです。
 自分で自分を縛っているのすら気付かないから迷いというのです。
 自縄自縛しているものが集まるところを地獄のようなというのです。
 どんな、説明をしても、主人公はあなたなのです。
 無意識にあなたの心が選ぶ世界があなたの眼前に展開するのです。
 一瞬一瞬新たに来たる神さまからの無限の無限の輝きを感受すれば幸せ一杯の状態が現前するのです。
 過去をつかみマイナスを(自分の思い通りに求める心)掴めば、マイナスの世界、鬱の世界が展開するのです。
 先祖が迷うのではなくて、迷った先祖と決めつけてマイナスを掴んだあなたが迷うのです。
 迷った先祖とあなたを分けてはいけません。いつも申しますようにすべてはじぶんであり、自分はすべてなのです。(→それを、体感し実現されているのが天皇陛下であり、われら国民(あおひとくさ、くにたみ)は陛下を見習い、絶対奉仕の心感謝の与え尽くす心にたちかえることによって、普段の仕事を通して、陛下のお仕事である地上天国実現へのお手伝いをすることになるのです。)
 自分がすべてであると判ればこの世に現れるの全ては自分の責任であるとわかり、感謝の行き届かない分だけ、迷った先祖という姿も見える感じる影響を受けるということになるのです。
 これを唱えることによって悟れとギブアンドテイクの心でありがとうございますと唱えても真の真祈りにはほど遠いのです。
 神さまに生かされているということを知ると自然に自分のいのち自分のすべてを神さまに与え尽くして無限の無限のありがとうございますと唱えるようになるのです。そのとき、陛下のようにすべての人の幸せを願い続けることができるようになり、全てはじぶん、自分はすべてと無理なく思えるようになり、天の理想を地に実現する本来の自分の使命(本心の響き)を自然に自覚するようになり、すべての運命が自然と好転を始めるようになるのです。
 今素直にああ、神さまの生命が働いているありがとうございますと祈れるとき、あなたの肉体を通してすべて縁ある霊魂が共に素直にありがとうございますと祈ることが出来るのです。先祖とへんに掴むことなく、ただただ素直に祈らせてもらえる今の自分の立場に感謝して、ひたすら素直にありがとうございますと祈りつづけましょう。
 無限の無限のありがとうございます


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ありがとうございますと唱えると・・ by 河上あきのぶ [Mail] [URL] 2008年06月20日(金) 00時10分
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 ありがとうございますと唱えると、今の一瞬にすべてがありと宣言していることになるのです。
 今の一瞬にすべてがあると判れば、過去を掴むことによって自分の魄に覆い被さったかさぶたのようなマイナスの想念を消し去ることが出来るのです。
 逆に言えば過去を掴む癖が残っている分だけ堅くコールタールのように魄にこびりついているのです。
 ありがとうございますで柔らかくふやかしすこしづつ痛くないようにゆっくりとはがしてゆくのです。
 これを急激にすると運命の急変となってあらわれて病気や事故の形をとるのです。
 死後の世界を知らずして、しかし、誰も死後の世界から逃れることが出来ないのです。
 この世の将来に先行投資出来る人でも死後の世界のことはわからないしわかろうともしないし当然先行投資も出来ないです。
 ありがとうございますの言霊にのって無限の無限の輝きで一杯の本心の世界にもどりましょう。
 魄といえどもありがとうございますの言霊で磨けば本心の世界にまでゆくことが出来るのです。
 無限の無限のありがとうございます


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神さまを信じられない人は・・・・ by 河上あきのぶ [Mail] [URL] 2008年06月19日(木) 22時14分
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 神さまを信じられない人は、その魄が汚れているのです。
 死んでから、その汚れの禊ぎ払いに苦労することになるのです。
 別の言い方をすれば、思い巡らす癖で過去を掴む状態になっているのです。
 神さまを信じるとは、過去も未来も無い、今今今、今の一瞬だけがあると判ることです。
 神さまから来たる一瞬一瞬新たなる無限の無限の輝きを生命を感じ取って受けきってゆくことです。
 過去を掴んでいる間は永遠の判らないことなんです。
 宇宙の始発は一瞬一瞬新たに起こり、一瞬新たに終わってゆくのです。 
 その繰り返しが連続しているように勘違いしているだけなんです。
 一瞬新たに一瞬新たに受け直す、一番簡単な方法が、ありがとうございますと祈ることなのです。
 この過去を掴む癖のマイナスの思いの中に迷った先祖霊というマイナスのエネルギーがあります。
 このエネルギーは具体的に言えば魄という存在で、過去を掴む癖のマイナスエネルギーです。
 無限の無限のありがとうございますと唱えるとき、このマイナスエネルギーは消滅してゆきます。
 過去を掴むという借金(マイナス)をありがとうございますというプラスで借金返ししていくことです。
 焦ることはありません。神さまが必ず良いようにして下さると信じてゆうゆうとありがとうございますと唱え続けてゆきましょう。
 無限の無限のありがとうございます


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自殺した人に心を合わせずに・・・。 by 河上あきのぶ [Mail] [URL] 2008年06月19日(木) 20時18分
PC

 自殺した人に心を合わせずに(マイナスの思い、この世に対しての否定的な厭世的な思い)、無限の無限のプラスに心を合わせていれば良いのです。
 闇は光の未だ拡がらぬところでありますから、無理に観に行く必要は無いのです。
 自殺してしまうと、自殺というのは自分の中の本心を忘れ、自分の外に神さま以外の救い(食べ物やお金や人情や)に救いを求める結果起こるものでありまして、自分の本心の否定した分だけ永遠の闇を(自分で闇だと思ってさまよう)ばっかり選んでいってしまうのです。
 自分のごまかし、狡い生き方卑怯な生き方をすると、本心の響きが自分の思いで覆い隠されて、余計に狡い自分勝手な我良しの生き方になって、自分の外に救いを求めて、行き詰まるのです。
 ありがとうございますと祈るとき、世界が平和でありますようにと祈るとき、自然に自分の中の本心が呼び覚まされて、無限の無限の生きる勇気と希望が湧いてくるのです。
 無限の無限のプラスそのものである自分の中の本心だけを見つめて生きてゆきましょう。
 具体的には無限の無限のありがとうございますと唱え続けることは、自分の本心を見つめ拝み出すことになります。
 無限の無限のありがとうございます


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無限の無限のありがとうございます by 河上あきのぶ [Mail] [URL] 2008年06月19日(木) 13時07分
PC

 無限の無限のありがとうございますと無限の無限のを付けるのは、個人が一人でいのっいるにも関わらず、無限の無限の倍増分になるようにしているのです。
 折角いのるのですから、倍増させてひびかせているのです。
 言霊を大きく響かせる為にありがとうございますはひらかななのです。
 人間の本来の姿は神聖そのものの直霊です。この直霊(なおい)の響きを大きくだすためには、普段のお仕事を通して日本の国体である天皇陛下にご奉仕することなのです。
 だから、普段のお仕事をしながらありがとうございますと唱え続けることはなによりものご奉仕であり、大地震を幾度かの小さい地震に変換中和させる力でもあるのです。
 天皇陛下は単なる肉体人間ではあられません。いずれ神さまのお許しを得て、この掲示板にて説明いたします。
 無限の無限のありがとうございます


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書き込みが無いときは・・・・。 by 河上彰延 [Mail] [URL] 2008年06月15日(日) 20時50分
PC

 書き込みが無いときは、それなりに真祈りに集中しなければならない、忙しいときなのです。
 ご質問のように、伏せっているときもありますが、基本的には真祈りに集中しているときです。
 神さまが深い深い真祈りを要求されているときでもありますので、皆さま、ここに書き込みが何日も無いときは、沢山の真祈りが必要なときですので、どうか、心ある人はそんなときは、まいのりを、ありがとうございますを頑張って唱えて、応援してください。
 お願い申し上げます。
 無限の無限のありがとうございます


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いかなる痛みも過去の小さな自分を・・。 by 河上彰延 [Mail] [URL] 2008年06月15日(日) 20時45分
PC

 いかなる痛みも過去の小さな自分を掴んだ時に起こるのです。
 神さまのお仕事に使って頂いている時でも、自分が過去に掴んだ分だけ痛みが出ます。
 だから、痛みに感謝しましょう。
 痛みは過去の小さな自分を掴んだ分だけ痛みとなって消えてゆく果たされてゆく姿なのです。
 感謝の真祈りは、八岐大蛇(やまたのおろち⇒八題煩悩の象徴⇒魄体の主要構成エネルギー)を退治統一した時に出て来る、くさなぎの剣です。
 感謝の真祈りであるくさなぎの剣を、あまてらすおほ○かみに捧げるとき、あなたは神我一体となるのです。
 どんな苦痛も快刀乱麻を断つが如くに瞬時にして消すことができるのです。
 一瞬後に出てきた痛みも瞬時にして消すことができるのです。
 それの繰り返しなのです。
 もし、この繰り返しすら辛いと思うなら、お医者さまに行けばよいのです。
 何を信じ何を頼るかは、みんな自由なのです。
 信じるものに頼るのが一番の救いです。
 すこしでもお医者さまと思ったらすなおにお医者さまに観てもらう方が治ります。
 痛みは信じるモノにした取れないのです。
 神さまの全徳の無限の無限の輝きをすべて感受するのは、ある意味難しいのです。
 少しでも一寸待ってコレをやり残してきたから、今子供達を残して死ねないとおもったら、受け損なうのです。
 感謝の真祈りとは、与える心の極致にあるのです。
 すこしでも、自分の為、身内の為という心が残っている間は、完成していないのです。
 すべてを与える心になって生き続けてこそ、感謝の真祈りは完成するのです。
 五井先生は”神さまどうか私の生命を神さまのお仕事にお使い下さい”と祈られました。
 ならば、私たちも師に習い、”神さま、私のすべてであるいのちを捧げます。どうか、神さまの御用にお使い下さい”と自分のすべてを捧げ尽して祈りましょう。
 ありがとうございますと祈る真祈りは本来そういうきびしい真剣さが要求されるモノなのです。
 自分のすべてを捧げ尽して祈りましょう。
 それが、本当の感謝の真祈りなのです。
 自分のすべてを捧げ尽して祈るとき始めて神さまの無限の無限の輝きが自分の中に怒濤のように流れ入ってくるのです。
 神さまの一瞬一瞬新たなる全徳の無限の無限の輝きをすべて完璧に感受するためには、jぶんのすべてを与え尽し、自分を消し去る必要があるのです。
 自分というモノが無ければ、「宇宙絶対統一神、あまの造化主のみこと・あまてらすおほ○かみ 今ここに在します」とあまてらすおほ○かみさまのすべてを感受できるのです。
 過去の小さな自分をほんの少しでも残してはいけないのです。
 つねに常に”新たなる全徳の無限の無限の輝きで一杯!””新たなる全徳の無限の無限の輝きで一杯!”と、一瞬一瞬新たに新たに新しいあまてらすおほ○かみを感受し続けるのです。
 これが、本来の真剣なる感謝の真祈りなのです。
 この感謝の真祈りにはいかなる苦悩も消滅させる絶大なる力(権能)が在るのです。
 無限の無限のありがとうございます


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人の心はころころで・・・・。 by 河上彰延 [Mail] [URL] 2008年06月15日(日) 16時01分
PC

 ご質問のように人の心はころころで自由に変化します。
 決してこちらの思い通りにはならないモノです。
 それが解れば、人は思い通りにならないこと、好き勝手に自由にすることが解るのです。
 どんな時でもみんな好きにするのです。
 なぜなら、すべての行動の責任はその人にあるのですから・・・・。
 だから、そっちへいったら危ないよー!とは云えても、どうしても行きたいといったら押しとどめようがないのです。
 ただ、こちらの出来ることは、ひたすらありがとうございますとその人の守護霊さまに祈り続けるだけのことなのです。
 その人のことを最も良く知っておられるのはその人の守護霊さまだけなのですから・・・・。
 無限の無限のありがとうございます


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ありがとうございますの真義秘儀・・。 by 河上彰延 [Mail] [URL] 2008年06月15日(日) 07時26分
PC

ありがとうございますの言葉には、無限の無限のプラスの言霊が保持されているのです。
 具体的には、宇宙絶対統一神であられるあまてらすおほ○みかみさまの全徳の無限の無限のかがやきが無限に無限にすべてにすべてのすべてとしてあらわれているという意味なのです。
 ありがとうございますと唱えるとき全大宇宙のすべてに神さまの愛を観ることができるのです。
 ありがとうございますと唱えるとき自分のすべてを神さまに捧げることが出来るのです。
 ありがとうございますと唱えるとき自分の一切の過去を捨て去り新たなるじぶんとして生まれ変わることが出来るのです。
 ありがとうございますと唱えるとき天照大御神と一体化してどんな難問も一瞬にして解決出来る自分になるのです。
 ありがとうございますと唱えるとき自分に天照大御神があらわれすべての地獄は極楽に変貌するのです。
 
 すべての人々よ!
 感謝の心をおこせ!
 感謝一筋に生きよ!
 祈りに祈れ!
 ひたすらに祈れ!

 地球滅亡の予兆は、感謝の心を鍛えるためにみんなの心に感じて見えるのです。真祈りするものが増える限り決して現実化することはありません。
 感謝することによって、本心の自分は古い自我の殻を破り新しい芽を出すのです。
 新しい芽は無限に無限に生長して、花開き、実を結ぶのです。
 何時までもふるい自我の殻の中に眠っていては、本当の幸せはあじわうことは出来ないのです。
 夢、いや悪夢から覚めて、幸せ一杯の人生を歩みましょう!
 ありがとうございますと唱えて感謝の心(本心の自分、あまてらすおほ○みかみの自分)をしっかりといきることが、神さまの御心に適い、無限の無限の幸せで一杯となり全人類の心に無限の無限のかがやきが無限無限に一杯!とすることが出来るのです。
 無限の無限のありがとうございます。


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何事においても人を責めてはいけない・・。 by 河上彰延 [Mail] [URL] 2008年06月14日(土) 20時56分
PC

 何事に置いても人を責めてはいけないのです。
 人を責めるということは、その人の持つ神性(直霊⇒なおい)を否定するということに成るのです。
 又、人を責めると言うことは、自分と他人を分け隔てて、自分が正しいという我良しの小さい心になっていることですから、マイナスの言葉をつかっていることになるのです。
 どんな時でも共に助け合おうという心になってすべては自分、自分はすべてと自覚できるまで”ありがとうございます”と唱え続けましょう。
 他人のと自分を分けて責めている暇は本当はないのですから・・・・。
 無限の無限のありがとうございます


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永遠の救われ・・・・。 by 河上彰延 [Mail] [URL] 2008年06月14日(土) 19時02分
PC

 永遠の救われとは、真の神さまに対して、感謝すればするほど続くのです。
 なぜならば、真の神さまに対して感謝すればするほど、無限の無限のプラスの運命が必ず現実化してくるからです。
 逆に言えば、今の現実のマイナスの運命である苦しいことは、真の感謝が足りない分だけ、マイナスの苦しみとして現実化しているのです。
 感謝がないから、当たり前のこととしてなんの感動もないから生かして頂いていることも気付かずに生きていること心臓が動いていることが当たり前のようにおもっているからマイナスが現実化しているのです。
 感謝がないからプラスが現実化しないのです。
 それが、マイナスということなのです。
 感謝すれば、自然にプラスが増えてくるのです。
 感謝を忘れたら、なんでも当たり前と思ったら、あっという間にマイナスばかりになるのです。
 自分自身でしっかりと確かめて観れば良いのです。 
 真の神さまであるあまてらすおおみかみさまへの感謝が無ければ、マイナスで一杯の運命・世界を、永遠に味わい続けなければ成らないのです。
 これは理屈では無いのです。
 試しに実行してみれば即座に実感できる真理なのです。
 仮りにマイナスをプラスに変えたいと幾ら願っても、マイナスの言葉を好んで使っている限りは、いつまでもマイナスは現実化し続けるのです。
 感謝など出来ない・なぜ?感謝しなくてはいけないのか?・感謝したくないなどと、神さまへの感謝を拒絶している限りは、永遠に救われることは不可能なのです。
 無限の無限のありがとうございます


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真の(まことの)人生の目的・・・・。 by 河上彰延 [Mail] [URL] 2008年06月15日(日) 07時00分
PC

 神さまの御心である無限の無限の輝きの最高表現を、自分の世界に実現し、心行くまで味わうことが人生の真の目的なのです。
 だから何があっても先ず必要なのは神さまの御心を自分の心にしっかりと感受することなのです。
 正しい祈りを”ありがとうございます!””ありがとうございます”と祈りに祈って、感謝を深めて、神さまの御心をしっかりと自分の心に受け入れることが、何よりも何よりも最優先で実践しておくことが必要なのです。
 なぜならば、心に受け入れたモノが、自分の世界となって現実化し実現してくるからです。
 言葉通りに、思い通りに、すべては実現してくるというのが、この大宇宙を貫く大原則であり厳然たる法則なのです。
 だからこそ、本来存在しなかった幽界地獄煉獄というものが形作られたのです。すべては人々の思いの所存だったのです。
 リンゴの木の実(知恵の実)とはこういう意味でもあったのです。
 自分の駆使する言葉通りに、自分の心に受け入れた通りに、すべては現実化しているのです。
 自分の駆使した言葉が(過去世から現世まで通じて)、自分の今ある世界のすべてを決定しているのです。
 自分自身に全責任があるのです。
 もし、自分の世界のマイナスを他人の所為にしたら大きな間違いが起こるのです。
 他人の所為にした分だけ、自分の世界に無責任な自分が現実化して来て、いろんなマイナスが増えるだけです。
 なんにおいても自分の駆使して来たマイナスの言葉が、自分の世界に、そのマイナスの言葉通りの姿を、現実化していくのです。
 極楽のようなプラスだけの運命・世界を味わいたいのであれば、プラスの言葉であるありがとうございますだけを駆使することが必要なんです。
 仮りに今の自分の運命・世界が、無限のマイナスで一杯であっても、プラスの言葉だけを駆使し続けるならば、必ずプラスの運命・世界が現実化してくるのです。
 すべては自分の使った言葉通りに現実化するのです。
 プラスの言葉を使えば使うほど、プラスの運命は増えて来るのです。
 無限の無限のありがとうございます


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性欲食欲名誉欲(虚栄心)を・・・・。 by 河上彰延 [Mail] 2008年06月11日(水) 09時59分
PC

 性欲食欲名誉欲を持ったままでよいから、ありがとうございますと神さまの中に飛び込めばいいんです。
 ご質問のように、人は(霊止)と表現されるように、神さまそのものである直霊(なおい⇒本心のこと)が魂という円盤(丸い乗り物)にのり魄というエネルギー体を取り入れてこの世とあの世という幽神肉体界(限定表現世界)にやってきます。
 魂が愛の心であり優しさそのものなんです。
 そして魄の部分がこの限定表現世界での行動力や性欲食欲虚栄心を持っているわけですが、性欲食欲虚栄心がないとなかなかこの世での行動力になっていかないので、神さまが持たして下さっているのです。
 要は、直霊の本来の響きである、すべては自分、自分はすべてという愛の心をどのようにこの世に発露するか?が大事なことなのです。
 
 その為に魂の統一制御力をもってして、魄の持つ行動力の源泉である、食欲名誉欲性欲を如何に使いこなすか?ということなのです。
 肉体幽体を魄(はく)というのですが、この魄をやみくもに汚がってはいけません。
 神さまが必要で行動力の源泉として性欲食欲虚栄心を与えて下さっているわけですから感謝してありがとうございますと唱えて、魂の(愛の心やさしさ)の統一力を増して、使ってゆけば良いのです。
 死ねば直霊はあめのみなかぬしのかみの元に帰ります。
 魂はそれぞれの神界の産霊の御許に戻ります。
 魄はその汚れ(神さまの存在を忘れた行為)を落とすために幽界のお風呂に入ります。
 暖かい心の持ち主は暖かいお風呂に、冷たい我良しの心の持ち主は冷たいお風呂でゴシゴシとその頑固さに応じた堅さのたわしでこすられます。
 早い人で3年遅い人でもだいたい50年かかって汚れを落とします。
 しかし、自殺した人は更にその下の地獄の部分に入って真っ暗闇の中で永遠にさまよいます。
 汚れを落とした魄は魂と一つになり、又、大神さまの御許に戻っていた直霊が降りてきて、必要ならこの地上に戻ってきます。
 前述の神さまの存在を忘れた行為とは我良しの心であり、死んだら、財産お金は持ってゆきませんが、その目録は持って行きますので、あなたはそのお金と財産をどう使いましたか? と問われます。そして自分の為にだけに使っていたら、その我良しの汚れを落とすことに成るのです。
 ですから、地上にいる間は、我良しの心を持ったままでよいから、ひたすら”ありがとうございます”と唱え続けましょう。
 ありがとうございますと世界人類が平和でありますように!と唱え続けて、神さまのお仕事に参加し神さまの中に飛び込みましょう。
 ありがとうございますと唱えることは先ずは自分のことは横に置いておいて神さまのお仕事のお手伝いをしていることに、神さまの御心の中に飛び込んでいることになるのですから・・・・・。
 喩えて言えば、手の汚れを落とすことに似ています。
 手を炭で汚してしまって落とそうとゴシゴシ洗ってもなかなか時間がかかるモノです。
 でも他人様のハンカチシャツに付いた炭の汚れを落としてあげようと、手の汚れは後回しにして、ゴシゴシ手洗いしていると、ハンカチもシャツもそしていつや知らぬ間に自分の手もきれいになっている。
 そんな感じです。
 無限の無限のありがとうございます


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闇と光が未だ拡がらない状態・・・・。 by 河上あきのぶ [Mail] [URL] 2008年06月10日(火) 14時37分
PC

 しかして光は闇に勝てり!なのです。
 これはどういうことかといいますと、光が拡がるまでの間の状態を闇と云うからです。
 本源の世界に近い、波動の高い世界では空間が拡がって、時間が一瞬の状態ですから、闇の状態は一瞬にして消えるのです。
 本源の世界にやや遠い、やや波動の荒い世界は空間が縮まった状態ですから、時間が永くゆったりと光が拡がるのです。
 このゆったりの状態をこの空間に意識を縮めて入ると闇がなかなか消えずにあると感じるのです。
 闇とは光が拡がってくるまでの一時的な状態なのです。
 今、私たちの地球は光がいよいよ拡がって闇が消える寸前なんです。
 闇が好きな人は、闇がある世界に転生します。しかし、それはある意味落第であるといえるのです。
 ありがとうございますと唱え本来の自分である直霊の自分光そのものの自分を自覚して光一元の世界に転生しましょう。
 無限の無限のありがとうございます


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先祖供養とありがとうございます・・・・。 by 河上あきのぶ [Mail] [URL] 2008年06月10日(火) 14時28分
PC

 なぜ?ありがとうございますが先祖供養になるのでしょうか?
 それは、あちらの世界とは同種の響きばかりなので、なかなかありがとうございますと言えない環境だからです。
 しかし、本来不離一体神我一体の私たちはこの世に生きている状態で、縁あるあらゆる魂と不離一体なのです。
 それ故に、この世の肉体をもった魂側でありがとうございますと祈ると、縁ある魂もありがとうございますと祈るのと同じ体験ができるからです。
 決して、迷った先祖と言葉の力で縛ってはなりません。
 ただただ、言えない、唱えられないと自縄自縛の状態だけなのですから、共にありがとうございますと祈ることで、ああ、祈ることができる、ありがとうございますと言えると自覚できて、本来の光そのものの本心(直霊)を自覚するのです。
 ありがとうございますと真祈りをさせてもらえる立場に更に感謝して、ゆうゆうと力まず卑下にならず弛まず真祈りをありがとうございますを唱え続けてゆきましょう。
 無限の無限のありがとうございます


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天地を貫くエレベーター・・・・。 by 河上あきのぶ [Mail] [URL] 2008年06月10日(火) 06時48分
PC

 天の岩戸開きとは天地を貫くエレベーターが完成したということです。
 このエレベーターには思い巡らす心が無いものしか乗れないのです。なぜなれ、思い巡らす心は過去を掴む心ですから、エレベーターに乗ってから、あの財産を持っていかないと、あの議員バッチをもっていかないとと動き出したエレベーターから身を乗り出して堕ちてしまうのです。

 このエレベーターには自分のことは横に置いておいてでも世界の平和を願う大きな心の者でないと乗れないのです。何故なら、このエレベーターの床は網で出来ており、その網目は大きいので小さい我良しの心の者ではその網目から堕ちてしまうのです。

 そして、このエレベーターに乗るためには、その入り口の扉の前まで行かなくてはいけません。
 この入り口の扉の両側にはありがとうございますの門柱が立っているのです。
 ありがとうございますという光の言葉を唱えることによって、始めてこの扉が見え、その中に入ることが出来るのです。
 無限の無限のありがとうございます


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天の岩戸が開かれたということは・・・。 by 河上あきのぶ [Mail] [URL] 2008年06月10日(火) 03時42分
PC

 天の岩戸が開かれたということは、心の思う世界に直ぐに同化するということです。
 すこしだけでも、直ぐに同化するということです。
 決して油断してはなりません。
 思った通りのものに同化するのです。
 毎日が苦しいから死にたいと思ってはなりません。
 直ぐに殺されたり事故にあうような世界と同化してしまいます。
 思って良いことはもちろんありがとうございますです。
 ありがとうございますと言えなくても頑張って言い続けましょう。
 ありがとうございますと思えなくともがんばっておもいつづけましょう。
 先ずありがとうございますと云うところからすべては始まるのです。
 あなたのおっしゃるように、なんでも当たり前におもえて、なんでありがとうございますなの?
 という状態ではありがとうございますはなかなか云えないでしょう?
 しかし、今の運命に苦しみなんとか脱出したいのであれば、無限の無限のありがとうございますと唱え続けましょう。
 無理にでも、あなたの自由意志で唱え続けるとき、本心の響きが輝きだして、あなたの周囲の世界に無限の無限の輝きを与え続けることができるのです。
 なにも感じなくても良いのです。
 ありがとうございますと唱えるとき、あなたは天と地を繋ぐ者となって、神さまの地上天国実現のお仕事のお手伝いをしていることになるのですから・・・・・・。
 虚無感に陥ったときこそがんばって祈り続けましょう。
 ありがとうございますと唱え続けましょう。
 無限の無限のありがとうございます


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一切報い求めずに・・・・。 by 河上あきのぶ [Mail] [URL] 2008年06月10日(火) 00時49分
PC

 ありがとうございますと唱えるとき一切の報い求める心があってはならないのです。
 ただ、ひたすら神さまのお仕事のお手伝いする気持ちで絶対奉仕の気持ちで、ひたすら唱え続けるのがよいのです。
 
 すべては神さまが一番良いようにされるのですが、人間の側は、一切報い求めずにひたすら、ありがとうございます、ととぎれることなく唱え続けることが必要なのです。
 あまり、先祖供養と意識しすぎてもイケマセン。  
 なぜなら、迷っている先祖と言葉の力で縛ってしまうからです。
 神さまの絶対の愛→無限の無限の輝きで一杯!となることだけを想像しながら、ありがとうございますと唱える方が神さまも働きやすいのです。
 無限の無限のありがとうございます
 


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6月9日は陰陽合体の日・・・・。 by 河上あきのぶ [Mail] [URL] 2008年06月09日(月) 14時27分
PC

 6月9日は陰陽合体の日であり、螺旋状交流の日でもあります。
 この日に何事も物事の始まりがおこるのです。
 それが、わずかな小さい出来事なので誰も気付かないのです。
 心を澄ましありがとうございますと真祈りして、神さまの御心を思いましょう。
 無限の無限のありがとうございます


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おぎゃーおぎゃー・・・・。 by 河上あきのぶ [Mail] [URL] 2008年06月09日(月) 13時44分
PC

 ご質問の般若心経のぎゃあていぎゃあていはらぎゃあていは、赤ちゃんが生まれてくるときにおぎゃーおぎゃーと泣くように、輝きて輝きて無限に無限に輝きてというような意味なのです。
 ”はら”とは無限進展の言霊ですし,”ぎゃあ”は”輝きて”というような意味です。

 般若心経を全部覚えていなくともこの”ぎゃあていぎゃあていはらぎゃあてい”を繰り返すだけでよいのです。
 無限の無限のありがとうございます


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何でもコツコツ焦らずに・・・・。 by 河上あきのぶ [Mail] [URL] 2008年06月09日(月) 00時38分
PC

 今生で結果を出そうと焦る必要は無いのです。
 今与えられた問題をコツコツ焦らずにゆっくりでいいからしかし弛まずに解決に向かって歩みつづければよいのです。
 すべては神さまが良いようにされるのですから、今の一瞬をありがとうございますで生き切ればよいのです。
 人が何しようが関係ありません。
 今ある困難は神さまが必要で与えて下さったものなんですから、ひたすら、コツコツと解決してゆけばよいのです。
 無限の無限のありがとうございます


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すべては神さまが自分を通して・・・・。 by 河上彰延 [Mail] 2008年06月08日(日) 19時32分
PC

 すべては神さまが自分を通して働いていらっしゃるのです。
 それを忘れるから、自分の所有があるように勘違いするのです。
 本当は、神さまがあなたを通して、必要なものを相手(家族等)に分け与えているのにさも、自分が苦労して与えているのだと言ってしまえば大きく業想念(借金、借り)を積み重ねているのです。
 謙虚に感謝して、神さまの手足(パイプ役)になっていれば、(実際そうなのですが)大きな神さまの助けを受けることができるのに、自分がしてやっていると言えば二重に大損をしていることになるのです。
 さらに輪をかけて自分以外の人がしていることなのに、さも自分がしたかのようにしているかのように恩着せがましく言えば、三重の大損をしていることになるのです。
 自我の虚栄心の主張は、どこどこまでも業想念(借り、マイナス)を積み重ねるのです。
 私たちはいつも注意して、一寸でも自分がしていると勘違いしたときは、大きな虚栄心が顔を出したときですから、”ありがとうございます”と唱え続けて、徹底的に叩き潰し、消し去らなければならないのです。
 無限の無限のありがとうございます


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直霊(なおい本心のこと)と比較すれば・・・・。 by 河上彰延 [Mail] 2008年06月08日(日) 19時25分
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 直霊である本心の無限の無限の輝きと比較すれば、この世におけるどんな過去の栄光名誉な足跡も単なる残像に過ぎず、無に等しいものなのです。
 肉体の自分いや魂の自分がどんなに素晴らしいからと言っても、どこをとっても一つも自慢できるようなものはないのです。
 それは、舞台に出て、この将軍の衣装はすごいだろう、この大頭領の衣装はすごいだろうと衣装を自慢しているようなものなのです。
 楽屋裏からみればすべて目くそ鼻くそが、自慢しているのと同じなのです。
 自慢すれば自慢するほど、自分の程度の低さを露呈しているだけで、はずかしいかぎりなのです。
 自分を出したい・認められたい・褒められたい、自分の名を・働きを・足跡を・業績を残したい、等々の願いは、虚栄心からくるものなのです。 
 何事においても本当に必要最低限のもので満足できなければ、深い感謝が無ければ、一寸した贅沢な生き方をするだけで、虚栄心の奴隷に陥るモノなのです。(すぐに他人と自分を分けて、引き比べるようになってしまう)
 他と比較して、今の自分がどんなに素晴らしくても、それを自慢したい心では、結局は本心の自分を見失うことになるのです。
 どんなに注意しても一瞬でも感謝を忘れ、本心の自分を見失った時は、虚栄心という業想念の奴隷に陥ってしまっている時なのです。
 そうなれば必ず虚しい儚い(はかない)心に陥って、本当の心の安らぎを失ってしまうのです。
 なぜ虚しいのでしょうか?
 それは、本来すべて神さまの所有(もの)であるのに、その一部でも自分の所有(もの)と主張してしまうのが間違いだからです。
 でも、その間違いに気付かずに自分の所有であると主張するのは大きな大きな虚栄心であるのです。 
 すべての栄光は神さま(生命)にありなのです。
 にもかかわらず、神さまの働きを隠して自分の働きのように主著するのは、大きな大きな虚栄心です。
 それはまるで虎の威を借りるキツネのような生き方なのです。
 神さまの生命を覆い隠す生き方(自分一人で呼吸して生きているという思いこみの生き方)では、二重三重の虚栄心の奴隷に陥っているのです。
 このように知らぬ間に虚栄心の奴隷に陥って、大きく大きく業想念を積み重ねてゆくのです。
 本当に必要なものを必要最低限で満足する習慣をつけておかないと、直ぐに感謝を忘れて、虚しい人生を送ることになるのです。
 無限の無限のありがとうございます


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虚栄心を消し去るのがむずかしい・・・・。 by 河上彰延 [Mail] 2008年06月08日(日) 14時54分
PC

 業想念の中で一番取り去りがたく最後まで残るのが虚栄心です。
 虚栄心というのは、自分自身で気付かないことが多く、それ故になかなか消し去ろうともしないし、気付かない故に逆に増長させて、業想念を積み重ねることになってしまうのです。
 この世の繁栄立身出世など大したことありません。
 本当の栄えとは、古事記で言ういやさかあのまあかたあまのみすまるであり、それはすなわち本心の自分をこの世に輝かせることです。
 それ以外の栄えは、虚(マイナス)の栄えで、虚の栄えを喜ぶのは、虚栄心の業想念なのです。
 本心の自分をこの世に無限に無限に輝かせるためには、新たなる今の一瞬一瞬を、無限の無限のありがとうございます一筋に生き切ることです。
 この世の立身出世である過去の残像に囚われないで、神さまの新たなる全徳の無限の無限の輝きが無限に無限に一杯!と身を以てしっかりと感受し続けることです。
 無限の無限のありがとうございます


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早く業想念を消し去ろうと・・・・。 by 河上彰延 [Mail] 2008年06月08日(日) 11時19分
PC

 はやく業想念を消し去ろうと、どんどん自分から進んで七難八苦を背負いに行き、ただ背負うだけでは、何の役にも立たないのです。
 七難八苦を背負ったままでよいから、思い巡らす心で迷った苦しい心ままでよいから、神さまの中へ飛び込まなければ成らないです。
 神さまの中へ素直に飛び込むとは、命がけでありがとうございますとお祈りし、命がけで全力を尽して神さまに奉仕することなのです。
 そうすることによって始めて、いかなる七難八苦も思い巡らす心も消し去ってくださるのです。
 苦を背負って働くから”苦労”と書くのです。だから、苦労なんです。
 働くことによって、始めて本心が輝き、苦は楽に変わってゆくのです。
 だいじょうぶ!苦労が大きければ大きいほど、あなたは早く大きな楽を手にすることができるのです。
 無限の無限のありがとうございます


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なにを相手にするかによって・・・・。 by 河上彰延 [Mail] 2008年06月08日(日) 11時10分
PC

 なにを相手にするかによって自分の心が変わるのです。
 マイナス(思い巡らすくせ)を相手にしたら、マイナス(思い巡らすくせ)を自分の心の中に取り込むことになるのです。
 マイナスに(思い巡らすくせ)心を向けたら、マイナス(思い巡らすくせ)に心が同化解け合ってゆくのです。
 一番楽なのは、神さま(無限の無限の輝きが一杯!ありがとうございますの無限の無限のプラス)だけを相手にし、神さまだけに心を向け続けていくことです。
 神さまだけに心を向け続けてこそ、業想念を消し去り、無限の無限の輝きで一杯の本心を輝かせることができるのです。
 いつも申し上げますように、徹底して、神さまへの感謝と奉仕に生きてこそ、すべてに対してありがとうございますの響きにみたしてこそ、無限の業想念も消し去られてゆき、悟りが開かれるのです。
 無限の無限のありがとうございます


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イエスの振り替えの業(わざ)・・・・。 by 河上彰延 [Mail] 2008年06月08日(日) 10時36分
PC

 イエスさまは愛そのものの人だったので、人類の業生を背負い十字架にかかられたのでした。
 このように神さまの使命として、人類の思いを浄め癒しの立場(神さまの働きのこの世でのパイプ役)になる為には、先ず自分の心を完全に浄め尽し、微塵も自分の思いは無いと思うほどにありがとうございますの響きに満たさなければ成らないのです。
 思いを停め無念無想に成るだけではダメなのです。
 いつもいつも感謝を深め神さまの全徳の無限の無限の輝きが無限に無限に一杯!といつもいつも”実感”できるようにならなければ本物とは云えないのです。
 もし、どこかに隙間があっていつもいつも感じ取れなければとてもとても他人の業想念(七難八苦の運命の響き)を自分に振り替えて、ましてや、消し去るなんてことは永遠に不可能なのです。
 もし、あなたが、他人の業想念(七難八苦の運命)を風邪のような病気等の症状で被ったというときは、それは、振り替えではなく、単にご自分の過去世の七難八苦を借金の形で取り立てに会ったというだけのことなのです。
 なぜなら、相手の業想念の波を感じるというのは、あなたが霊的であるということよりも、あなた自身の心の中に、相手と同じ業想念の波が存在するということなのです。
 イエスさまのように、真(まこと)の振り替えの業(わざ)は、悟りを開き、つまり、いつもいつも一瞬一瞬新たに神さまの無限の無限の輝きが無限に無限に一杯!と実感できるように成ったときに、始めて可能なのです。
 いまだ、無限の無限の輝きが無限に無限に一杯!と感じられないのに、他人の業想念を背負っているのだといい気になっていたら、大変な目に会うのです。
 そんな高慢な心で、自分の持っている無限の業想念の上に、更に傲慢にも他人の業想念までも背負ったら、それでなくとも、この世に人生の死に向かって、死んでから行く地獄への道を加速することになるのです。
 お祈りの場(ありがとうございます護摩)・奉仕の場に近づくことも邪魔されて、貴重なすくわれのチャンスを失ってしまうのです。
 なにごとにおいても謙虚に謙虚になって、それこそこの機会を逃したらもうどうしようもないというくらいいのちがけで神さまにひたすら縋らなければ、ご自分の業想念までも少なくすることが不可能になるのです。
 無限の無限の輝きが無限に無限に一杯!
 無限の無限のありがとうございます


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七難八苦とは業想念の消えてゆく姿・・。  by 河上彰延 [Mail] 2008年06月08日(日) 05時26分
PC

 七難八苦(業想念の消えてゆく姿)を背負っているのは、本当は恥ずかしいことなのです。
 なぜなら、無限の無限のプラスの行為である。かみさまへの感謝と報恩(恩返しに⇒ご奉仕)に命がけで生きていないという証だからです。
 何故って?だって、命がけで真剣に感謝を深めていれば、神さまからきたる無限の無限の浄めの光を浴びて、浮かび上がってくる業想念(七難八苦)を瞬時にして消し去って貰えるモノだからです。
 逆に言えば、命がけで感謝と誠の恩返しに生きていれば、神さまは私たちの業想念を、身替わりになって引き受けて下さるモノだからです。
 無限の無限のありがとうございます


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本当の自分は神さまと一体・・・・。 by 河上彰延 [Mail] 2008年06月07日(土) 01時07分
PC

 真実の自分、本当の自分というのは、本来神さまと一体なのです。
 その実体は一瞬一瞬新たに新たに、神さまの無限の無限の全徳を受け直して、無限の無限の輝きで一杯!の”神そのもの”なのです。
 本来無限に無限に輝いている自分は、無限に無限に自由自在の自分なのです。
 では何故苦しむのでしょう?
 それは、神さまが私たちに与えて下さっている無限の無限の宇宙の一つに自分の心の波長を合わせて自由に楽しんでいるからです。
 でも、何時や知らぬ間に、たった一つの宇宙に夢中に無我夢中になってしまい、心が不自由になってその宇宙にはまりこんでしまって、不自由な自分を自分自身で創ってしまっているからです。
 そして、一時的に自由を失ったと勘違いしてどんどんどんどん波動をさげてより一層波動の荒い宇宙を選んで言ってしまうのです。
 しかし、それは本来苦しみではなく、神さまの予定の行動なんです。
 神さまにとって、つまり永遠不滅の本当の自分にとっては、何万年・何億年と言えども、ほんの一瞬のできごとなのです。
 宇宙とは時間と空間の十字に掛け合わせて創られているもののことですが、この宇宙空間を無限に拡大すれば、その中に存在する時間は一瞬の短いものに感じられるのです。
 思いを籠めて空間を小さい小さい地球以下の一点に集中縮小すれば、その中の時間は無限に無限に長いものに感じられるのです。
 本来自分が観ようとするものを、全体的に俯瞰すれば、一瞬に見通せるのです。
 部分を順番に小さく観ていけば、凄く長い時間がかかるのです。
 無限の無限の宇宙の中で波動の高い宇宙ほど、その空間は拡がりその中の時間は短く成るのです。
 逆に波動の低い宇宙に成ればなるほど、空間が小さくなってその中の時間は長く成るのです。
 自分が楽しいときはプラスが一杯なので、心の空間が拡がっているのです。
 だから、楽しいことの時間がたつのは早いのです。
 自分にとって苦しいときはプラスのモノが少ないので、心の空間は狭くなっているのです。
 だから、辛い悲しい苦しいことは時間が長く長く感じられるのです。
 ”ありがとうございます”と心に唱え続けると、神さまの全体像を把握する事が速やかに出来るのです。
 だから、心の空間は無限に無限に拡がり、真祈りをしている時間は無限に無限に短く感じられるのです。
 それで、一瞬一瞬、無限の無限の歓喜の状態になるのです。
 神さまへの感謝を忘れると、心に想いがでてくるんです。
 思いとは、たった一つのモノに囚われ執着して、心の空間を狭めてゆくのです。
 思い続けると、心の空間はどんどん狭まり、プラスのものもどんどん少なくなって往くのです。
 それが、限界にまで極まれば、無限の苦痛が永遠に続くように感じられるのです。
 それが、すなわち、地獄の状態です。
 思い巡らす世界に生きる人はマイナスの宇宙空間を選ぶのです。
 感謝に生きる人は、プラスの宇宙空間に生きるのです。
 思い巡らす心のときはマイナスの宇宙空間を順番に巡っているのです。
 感謝に生きる人はプラスの宇宙空間を巡っているのです。
 その行き着く先は、神さまの最高表現である、最高の宇宙空間に心の波長が合って、今の一瞬一瞬を、最高の極楽宇宙空間に物見遊山するように巡るようになるのです。
 思い巡らす心からありがとうございますの心に変わってくれば、後はごく自然にすべてはプラスにプラスにと好転して行くのです。
 どんな人も感謝一筋に生きようとする”一大決意”のできた時から、その人の心はプラスへプラスへと一大宇宙空間に拡がってゆくのです。
 無限の無限のありがとうございます


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水は大事に大事に・・・・。 by 河上彰延 [Mail] 2008年06月06日(金) 20時13分
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 水は生命の源につながっているのです。
 水は大事に大事に使いましょう。
 もし、今生で水を粗末に扱うと、次の生まれ変わりの世界や星では、水の少ない世界に生まれかわり、水の大事さを勉強することになるのです。
 火と水は大事に大事にしましょう。
 無限の無限のありがとうございます


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